『北の零年』:2005、日本

幕末、淡路島の稲田家は徳島藩の統治に不満を募らせていた。明治維新後、新政府が設けた身分制度により、稲田家の家臣は卒族に分類 されることとなった。これに不満を抱いた稲田家は、徳島藩からの分離独立を主張した。1870年(明治3年)、徳島藩は稲田家を攻撃した。 世に言う庚午事変である。明治政府は両者の引き離しを図り、稲田家の側に北海道への移住を命じた。
明治4年、第一次移民団546名を乗せた船は、北海道へと辿り着いた。その顔触れは志乃と娘の多恵、馬宮伝蔵と妻・加代、息子で多恵の 許婚でもある雄之介、長谷慶一郎と妻・さと、慶一郎の母・すえ、中野亀次郎と又十郎の親子らだ。静内に到着した志乃は、家老・ 堀部賀兵衛と共に先遣隊として入っていた夫・小松原英明と再会した。
小松原や堀部らは木を切り出し、主君・稲田邦植を迎えるための屋敷を建てた。多恵と雄之介は、稲田家家臣・川久保栄太の息子・平太と 親しくなった。3人がウバユリを摘んでいる時、多恵の前に熊が出没した。アイヌの男アシリカは、老人モノクテと共に多恵を助けた。 実はアシリカはアイヌ人ではなく、妻子が殺されて生きる意味を失っていたところをモノクテに拾われたのだった。
1年目の秋、薬売りの持田倉蔵が静内に現われ、国許の家老・内田からの書状を堀部に差し出した。そこには、第2陣平運丸が紀州沖で 難破し、83名が死亡したことが書かれていた。小松原は皆を勇気付けるため、殿の言葉を読み上げた。しかし実際には、書状に殿の言葉は 無かった。冬、雄之介は病に倒れ、両親の献身的な看護の甲斐なく命を落とした。
2年目の春、稲田邦植の一行がやって来た。だが、内田は小松原や堀部らに対し、新政府が廃藩置県を決めたこと、この土地が開拓使の ものになったことを告げる。国許の者は誰も静内には来ない。小松原らは見捨てられたのだ。稲田邦植の一行が去った後、小松原は髷を 切り落として「ここに残る」と宣言し、他の者も追随した。
小松原らは開拓使からの扶持米を拒否するが、開墾した土地で稲は一向に根付かない。淡路でやっていた農法では無理なのだ。このまま では、備蓄している米も夏には底を突く。小松原は堀部から、札幌の農園へ行って静内でも根付く稲を持ち帰るよう指示した。長くても 半年という期限で、小松原は札幌へ向かう。しかし予定の半年が過ぎ、冬になっても小松原は戻らなかった。
食料が少なくなり、志乃は夫人一同から小松原が戻らないことで責められる。倉蔵が子分を連れて村を訪れ、「出来るだけのことはさせて いただきます」と堀部らに告げるが、それは口先だけだった。倉蔵は志乃に「小松原は札幌で他に女を作った」と吹き込み、手篭めに しようとする。逃げ出した志乃は、アシリカに救われた。
倉蔵は堀部から渡された金に対して、味噌樽一つしか提供しなかった。腹を立てた馬宮は、米を盗み出そうとして倉蔵の子分・窪平に怪我 を負わせる。窪平は馬宮を役人に突き出そうとするが、加代の懇願を受けて倉蔵は釈放し、「皆様に米を等しくお分けしましょう」と約束 する。加代は倉蔵に体を売り、腹一杯になるまで飯を食った。
馬宮に殺されそうになった加代は、志乃の家に逃げ込んできた。加代は妊娠していることを告げ、「この子を守るためには何でもする」と 口にする。志乃は多恵を連れて、村を後にした。札幌へ向かおうとした志乃だが、猛吹雪の中で立往生してしまう。抱き合ったまま意識を 失っていた2人は、馬で通り掛かった西洋人のエドウィン・ダンに助けられた。
5年後、志乃は牧畜と農業の指導で北海道へ来ていたダンの協力で、牧場を経営するようになっていた。川久保や平太は志乃が育てた馬を 使い、稲作りに精を出している。志乃は戸長から呼び出しを受け、開拓使静内分署へ出向く。戸長は倉蔵であり、加代は彼の妻となって 裕福な暮らしをしている。堀部や長谷らは倉蔵の部下となり、馬宮は官舎の厩で働いている。
志乃は倉蔵から、西郷隆盛の反乱を鎮圧するために馬を出すよう求められた。政府からは人員も要求されているが、馬を差し出せば、 そちらは半分でいいのだという。志乃は拒否するが、倉蔵は「どうせ国が決めたことだから、役人が徴用に来る」と告げる。村は大量の イナゴに襲撃され、畑の作物は食い荒らされた。やがて馬を徴用するため、本庁書記官・三原英明の一行がやって来た。その顔を見た多恵 は驚いた。三原英明は、札幌へ行ったまま戻らなかった小松原英明だったのだ…。

監督は行定勲、脚本は那須真知子、企画は遠藤茂行&木村純一、プロデューサーは角田朝雄&天野和人&冨永理生子、製作プロデューサー は長岡功&多田憲之(北海道統括)、製作総指揮は岡田裕介&坂本眞一、エグゼクティブプロデューサーは早河洋&坂上順、製作統括は 生田篤、撮影は北信康、編集は今井剛、録音は伊藤裕規、照明は中村裕樹、美術は部谷京子、 音楽は大島ミチル、音楽プロデューサーは北神行雄&津島玄一、音楽監修は佐々木真。
出演は吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司、柳葉敏郎、石原さとみ、香川照之、石田ゆり子、石橋蓮司、鶴田真由、平田満、吹越満、藤木悠、 大口広司、馬渕晴子、奥貫薫、寺島進、榊英雄、大後寿々花、阿部サダヲ、モロ師岡、忍成修吾、金井勇太、中原丈雄、木下ほうか、 田中義剛、山田明郷、アリステア・ダグラス、藤本浩二、及森玲子、大高力也、今野雅人、久松信美、紀伊修平、澤田俊輔、三浦誠己 戸田昌宏、所博昭、岡元夕起子、猪口卓治、松江隆、永井寛人、関戸将志、菊池龍、斉木テツ、大久保聡、入沢勝、竹内和彦、中野美絵、 樋口貴子、相坂美香、森川絢、萩原友、小川敏明、加藤英真、大沼百合子、麻生奈美、山田陽、平野萌香、広岡和樹、谷村拓哉ら。


東映が『世界の中心で、愛をさけぶ』の行定勲監督を招聘し、製作費15億円を掛けて送り出した168分の大作映画。
志乃を吉永小百合、小松原を渡辺謙、アシリカを豊川悦司、馬宮を柳葉敏郎、多恵を石原さとみ、倉蔵を香川照之、加代を石田ゆり子、堀部を石橋蓮司、 川久保を平田満、長谷を吹越満、少女時代の多恵を大後寿々花、中野又十郎を阿部サダヲ、すえを馬渕晴子、モノクテを大口広司、 中野亀次郎を藤木悠が演じている。

この映画をダメにした大きな要因は2つある。
1つは脚本で、もう1つはヒロインの配役だ。
その2つに触れる前に、演出について触れておこう。
前述した2つの欠点が大きすぎるために目立たないが、演出もかなりヤバい。
「ええじゃないか」で人々が踊りながら乱入するシーンなどは、そのタイミングが合っているか否かという以前に、意味が分からない。
とにかくBGMを大げさに流せばドラマティックになるだろう、感動的に盛り上がるだろうと言わんばかりに、行定監督は繊細さに欠ける 演出をしている。
元々はインディーズ界において、淡々としたタッチで小ぢんまりした映画を撮っていた人だけに、たぶんスケールの大きさや ダイナミズムを出すために、どこまでやればいいのか、微妙な調整の按配が良く分からなかったのだろう。

さて、2つの大きな欠点について。まず脚本から触れよう。
長い月日を追い掛ける大河映画では、1つ1つのエピソードを軽くなぞるだけで精一杯になり、薄っぺらくなってしまうという失敗に陥りがちだ。
この映画は、その罠に見事にハマっている。
だから、例えば雄之介が死ぬ場面でも、そこまでに彼の印象付けが薄いため、悲しみもへったくれも無い。
演出が必死に悲劇を高めようとしても、そこに向けた足場慣らし、助走が不充分で「そこだけ」になっているので、感情は動かされない。

エピソードの1つ1つを薄くしても時間が足りなかった場合、どうするか。
途中で月日の経過を一気に省略してしまうというのが、良く見られる方法だ。
この映画でも、途中で5年の歳月を省略している。
省略戦法を採用する場合、「どこでタイムワープするか、ワープ後はどこへ着地するか」ということは、かなりデリケートに考えねばならない。
だが、そこへの気配りは無かったようだ。
ダンの手助けで牧場を初めて以降は、物語としても完全に別の場所へワープしてしまっている。

終盤の展開は、「途中で省略しても時間が足りなかったのか、それとも広げた風呂敷の包み方が分からなくなったのか」と思わせるものとなっている。
小松原と警官隊が馬の徴用で牧場に来ると、志乃には何の恩義も無い堀部や長谷らが駆け付ける。
さらには、タカビーな女になっていた加代まで貧しい衣服に着替え、平然と堀部らの仲間に加わっている。
堀部らからすれば拒否反応を起こしても不思議ではないはずだが、そこは普通に受け入れているようだ。
さらには、実は五稜郭の生き残りだったアシリカまで現われて全ての馬を逃がし、小松原に対峙する。そして小松 原は馬の徴用を諦めて去る。志乃が「また土地を耕しましょう。何とかなるさ」的なことを言うと、皆が賛同する。そして逃げた馬も戻ってくる。
良かった、良かったというエンディングだ。
しかし良かったと思っているのは、スクリーンの中にいる人々だけだ。

どんな風に作ったとしても(つまり省略シーンを変更したり、演出を変更したりしても)、後半に再登場する小松原は「どのツラ下げて 戻ってきたんだクソヤローが」ということになってしまうが、ホントにそれでいいのか。
前半部分では、志乃を差し置いて主役のようなポジションを占めていたキャラクターだったのに。
日本映画の製作関係者は、もうそろそろ那須真知子に大作映画の脚本は無理だと学習した方がいい。
このように史実を基にした作品となれば、なおさらだ。人間には、誰しも向き不向きというものがある。
那須真知子という人は、スケールの大きなシナリオ、綿密な考証を必要とするシナリオを練り上げるための引き出しは持ち合わせていないのである。

さて、続いてヒロインだ。
ハッキリ言って、この映画のヒロインを吉永小百合が演じるというのは無理がありすぎる。
渡辺謙が30代後半を演じても大丈夫なぐらい若々しいことも手伝って、この夫婦のバランスがあまりにも悪すぎる。
志乃の年齢設定は30代から40代という辺りではないかと推測できるが、どう見ても「すげえ年上女房」にしか見えない。
実年齢が上でも、見た目が若ければ別に気にならなかっただろうが、さすがの吉永小百合も、もう年相応に老けている。

前半は多恵を撮影当時11歳の大後寿々花が演じているので、その親子関係も違和感を抱かせる。
例えば上に兄姉がいるというならともかく、吉永小百合の娘が大後寿々花というのは年齢的に無理がありすぎだ。
むしろ祖母と孫の関係だろう。
石田ゆり子の子供と吉永小百合の娘が同年代というのが、またバランスが悪い。
志乃が加代に対して「妹のように思っている」と言うシーンがあるが、そこが親子の関係と言ってもいいぐらいの年齢差だ。

ただ、これは原作があったわけではなくオリジナル脚本なのだから、彼女に合わせてヒロインの年齢を設定することは可能だったはずだ (仮に原作があったとしても変更は可能だし)。
にも関わらず、この年齢設定で、吉永小百合が演じるという企画で、ゴーサインが出たわけだ。
ということは、製作サイドの罪も相当に大きなものだと言わざるを得ない。

「銀幕のスター」というものが滅亡の一歩を辿っていく中で、吉永小百合は高倉健と共に、その牙城を守り続けてきた。
そうしている間に、彼女はアンタッチャブルな存在になった。
もはや主役以外は演じられない、演じてはいけない存在になった。
そして、とうとう、彼女は年齢を超越した存在になってしまったのだろう。
考えてみれば、それは伝統的なスターの在り様を立派に示しているということになるのかもしれない。
何しろ昔の映画スターというのは、片岡千恵蔵御大にしろ、市川右太衛門にしろ、すっかりオッサンになっても堂々と若者の役を演じていたものだ。
それを観客は何の文句も言わず、普通に受け入れていたのだ。
その伝統を、吉永小百合は守り続けているのだ。

(観賞日:2006年12月24日)


2005年度 文春きいちご賞:第6位

 

*ポンコツ映画愛護協会