『キタキツネ物語 [35周年リニューアル版]』:2013、日本

キタキツネはサハリン、千島、北海道に生息するアカギツネの一種であり、本土ギツネより一回り大きい。2月の厳冬期に結婚し、約50日で出産する。8月に子別れの時期が訪れ、翌年の春まで生き残る確率は7%に過ぎない。北海道。老齢を迎えた柏の木は、冬を迎えた。流氷が到来して海が埋め尽くされるのを見ると、柏の木は1匹のキタキツネを思い出す。その年、1匹のキタキツネが流氷に乗って現れた。お腹を満たしたオスのキタキツネは、丘の近くで眠りに就いた。
翌朝、そのオスは以前から住んでいた別のオスと縄張り争いになるが、強さを発揮して追い払った。そのオスはメスの足跡を辿り、強引なアタックで心を掴んだ。柏の木はオスにフレップ、メスにレイラという呼び名を付けた。激しいブリザードの中で、2匹は放浪生活を送る。巣穴を掘るのは春が来てからで、それまでは身を寄せ合って寒さと飢えに耐えるのだ。3月になると流氷が去り、白鳥の群れが戻って来た。フレップとレイラは海辺の砂地へ移動し、そこに巣穴を作った。
レイラは巣穴に入り、5匹の子供を出産した。白鳥たちがシベリアへ帰る4月、ようやく春が訪れた。5匹の子ギツネの内、1匹は目が不自由だった。その子ギツネは他の4匹よりも、レイラに甘えて離れようとしなかった。丘にも春が来て、少し大きくなった子ギツネたちが遊び回る。やんちゃなシリカ、負けん気の強いルッサム、おっとりとしたヌプリ、優しいメスのレブン、そして盲目のチニタだ。レイラは夜の訪れに怯えながら、子育てに励んだ。
レイラにとってチニカは、最も気掛かりな子供だった。他の子ギツネたちが遠くへ遊びに出掛けても、チニカだけは一緒に行けなかった。そんにチニカにレイラは、フレップが流氷に乗って現れたことを話した。ある日、チニカはレイラに黙って海辺にあるタンポポの丘まで出掛ける。海鳴りの音を耳にしたチニカは、父のようになりたいと考えた。フレップは匂いを頼りに草原を捜し回るが、チニカの姿を発見することは出来なかった。
巣穴に日常が戻り、しばらくは平和な時間が続いた。しかし、キタキツネの天敵である犬が巣穴を嗅ぎ付けた。フレップとレイラは、畑で蛇に夢中だった。子ギツネたちは犬に襲われ、必死で戦った。砂丘の騒がしさに気付いたフレップが慌てて駆け付け、囮となって犬を引き付けた。フレップは犬を煙に巻くと、巣穴へ戻った。彼は家族を連れて、別の場所へ移動することにした。長雨が降り続いて聴覚と臭覚を奪われたキタキツネたちはエサが獲れず、空腹に見舞われた。フレップは必死でエサを探し回るが、見つけることが出来なかった。
フレップは人家に忍び込み、家畜の鶏を殺して子ギツネたちの元へ戻った。フレップを捜して巣穴を出ていたレイラは、人家に近付こうとして罠に掛かった。脚を挟まれて動けなくなったレイラ、犬たちが襲い掛かろうとする。フレップが割って入り、その間にレイラは罠から脱出した。彼女は柏の木がある丘まで必死で辿り着くが、すっかり衰弱していた。子ギツネたちが近付く中、レイラは自分の死を悟った。フレップが駆け付けた時、既にレイラは息を引き取っていた。
フレップだけの子育てが始まり、彼は食べ盛りの子ギツネたちのために来る日も来る日もエサを運んだ。子供たちの興味が外にばかり向くようになると、彼は巣穴から連れ出した。フレップは人間の世界に近付かないよう釘を刺した上で、子供たちを導いた。夏の終わり、彼は子供たちに噛み付いて追い回した。子別れの時期が訪れたのだ。子ギツネたちは必死で抵抗するが、やがて諦めて巣穴を去った。子供たちは原野へ散り、これからは別々に生きるのだ。そしてフレップも砂丘の巣穴を去り、別の土地へと向かった…。

監督は三村順一、脚本は三村順一&嶋田うれ葉、製作は柳内光子&蘇永楽Jonathan So、企画・プロデューサーは竹村友里、プロデューサーズは冨田隆示&坂本麻美&石川誌都子&石井常夫&湯之上龍子&尾崎允実&椎名康雄&曽我行則&竹森昌弘、編集・ポスプロプロデューサーは金子尚樹、録音は星一郎、音楽は渡辺俊幸。
オープニングテーマ『はじまりのDing Dong』山崎まさよし 作詞・作曲・編曲:山崎将義。
主題歌『通』山崎まさよし 作詞・作曲:山崎将義、編曲:服部隆之。
声の出演は佐藤隆太、平野綾、西田敏行、松井月杜、三木理紗子、内田朋美、山田杏朱香、菜々恵、安野未奈子、森上慎介。


1978年に公開され、230万人の観客動員を記録したを大ヒット映画『キタキツネ物語』のリニューアル版。
当時は使用されなかった映像も含めた100時間に及ぶフィルムを再編集し、ハリウッドのラボで高画質化している。
監督を務めたのは、オリジナル版では助監督だった『僕たちのプレイボール』『カルテット!』の三村順一。
新たな声優陣が起用され、フレップを佐藤隆太、レイラを平野綾、柏の木を西田敏行が担当している。

私はオリジナル版を見たことがあるが、かなり前のことなのでハッキリとは覚えていない。
うすぼんやりとして記憶だけで評するならば、そんなに優れた映画だと思った印象は無い。むしろ、「予想したのとは違う」という印象がある。
ホノボノとしたファミリー向け映画を予想する人もいるだろうけど、まるで異なる。蔵原惟繕監督の中に「誰もが健全に楽しめるファミリー向けなんかにするもんか」という妙な意地でもあったのか、ものすごく殺伐としていて、残酷な内容である。
「誰が得をするんだよ」と言いたくなるけど、蔵原監督って『南極物語』でも似たようなことをやっているんだよね。

リニューアル版でも基本的な内容はオリジナル版と変わらないので、「剥き出しの野生」が色々と盛り込まれている。
序盤からキタキツネがウサギを追い掛けて襲う様子が描かれており、いわゆる「ファミリー向けのホノボノした動物映画」とは一線を画す内容であることをアピールする。
他にも、キタキツネが殺した鳥をくわえている様子や、子ギツネたちがエサの小動物を奪い合う様子などが描かれている。
エサを奪い合うシーンには可愛い声の台詞が乗せられているんだけど、ちっとも雰囲気は和らいでいない。

「動物の可愛くて愛くるしい姿」を見せようとする映画ではなく、残酷な部分や凶暴な部分も平気で描写する。
そもそもキタキツネは野生の肉食動物なので、狩りをしてウサギや鳥を食らうのは当たり前の光景なのだ。そこをオブラートに包むことなく、真正面から見せている。
そして、キタキツネが死を迎えるシーンも容赦なく描かれる。しかも1匹だけではない。前半でチニタ、中盤でレイラ、終盤にはレブンと、3匹もの死が待ち受けている。
まあオープニングで「7%しか生き残らない」と説明しているんだから、そりゃあ次々に死ぬのは当然とも言えるんだけどね。

キタキツネの残酷さや自然の厳しさだけでなく、人間がキタキツネをライフルで撃つ様子も描かれる(オリジナル版にはダイナマイトで爆破するシーンもあったが、そちらはカットされている)。
北海道の人間からするとキタキツネは害獣なので、駆除するのは当たり前っちゃあ当たり前のことだ。
でも、何しろキタキツネが主役なので、攻撃する人間は悪役扱いなのだ。家畜の鶏を盗むフレップの行為は全面的に肯定され、人間の仕掛けた罠に掛かるレイラは不憫な出来事として描かれる。
で、こんなに残虐で殺伐とした内容なのに、1978年に公開された時にはバカみたいに大ヒットしたのよね、この映画。

オリジナル版は、一応はドキュメンタリーとされているが、ヤラセがあったことが発覚している。で、ドキュメンタリーではあるのだが、ドラマ仕立てにしてあるわけだ。
それはリニューアル版でも同様なのだが、そのせいで「ドラマとしてはキャラが薄いし構成がマズい」という問題が生じている。
序盤、フレップが登場すると、すぐにレイラと出会い、あっという間に親密な関係になる。「冬を耐える」と語りが入った後、すぐに出産シーンが訪れる。
ドラマのキャラクターとしてフレップやレイラに感情移入させようとしているのに、その造形がペラペラだし、展開も慌ただしいので、まるで乗れないのだ。

子ギツネたちが誕生した後、「やんちゃなシリカ、負けん気の強いルッサム、おっとりとしたヌプリ、優しいメスのレブン」という性格設定がナレーションで説明される。
だが、そういう性格が劇中で見えて来ることは全く無い。
また、「レイラが子育てに励む」という状況がナレーションで説明されるが、フレップはどうしているのかというと、しばらくは完全に画面から消えている。
「フレップはフレップで、こういう仕事をしているんですよ」ということを説明するわけでもないし、そういう様子を挿入するわけでもないので、単にキャラの出し入れを失敗しているようにしか見えない。

チニカの失踪(っていうか海への転落死だよね)をドラマティックに描こうとしているようだが、ものすごく無理がある。
また、柏の木の「チニタの魂は空高く飛び去って行ったんです」という語りによってチニタの死をボンヤリと終わらせた後、シーンが切り替わると「巣穴のある砂丘には、いつもの日々が戻ってきました」ってことで、フレップたちはスパッと切り替えているのよね。
普通に楽しい日々を送る様子が描かれるのよ。
んなアホな。

これが人間の家族だったら、「生後間もない子供の死」ってのは大きな悲劇だし、そう簡単に切り替えられる出来事ではない。
キタキツネに台詞を与えて半ば擬人化しておきながら、フレップたちが何事も無かったかのようにチニカの死を全く引きずらず、あっさりと「平和な日常」に戻ってしまうので、大きな違和感に繋がっている。
これが完全に「ドキュメンタリー」として作られており、淡々と状況を説明するナレーションだけで進行されていれば、キタキツネはあくまでもキタキツネでしかなく、観客との距離感は全く違ってくる。
名前を持たない、単なる無個性のキタキツネなら、大きく印象は変わるだろう。

タイトルでツッコミを入れたくなるのは、「35周年って何だよ」ってことだ。
結婚して35周年とか、コンビ結成35周年とか、そういうことなら別にいいのよ。
ただ、「同じ映画を再上映するタイミング」としては、そんなにキリのいい数字には思えないぞ。
この映画にとって、「35」という数字に重要な意味があるなら分からんでもないよ。だけど、そういう意味は何も無いんだしさ。
わざわざ再上映する時期として、「35周年」を選ぶのは、どうなのかと。

そもそも「再上映する意味があるのか」って部分からして、かなり引っ掛かるモノがある。
なんでも、2011年3月11日の東日本大震災がリニューアル版を製作するきっかけになったらしいけど、どういうことなのは全くワケが分からない。
そこを理由にすれば大っぴらには反対しにくいし、それどころか注目を集める材料に使えるから、「震災」ってのを利用して一稼ぎしてやろうとか、仕事を一つ見つけようとか、そういうことにしか思えないのよ。
だってさ、「被災地の復興の様子を厳しい自然を生き抜くキタキツネに重ね合わせた」とか言ってるみたいだけど、この映画と震災って何の関係も無いからね。

あとさ、ただの再上映じゃなくて、「完全なる新作として作り直す」ってことで声優陣を一新したり、主題歌を変更したりしている意味は何なのかと。
再上映するにしても、リマスター版ってことで充分でしょうに。
まだ再編集するのは理解できるとして、声優陣や楽曲まで変更する意味がサッパリ分からないのよ。
「声優陣や主題歌の担当者を最近のメンツにすることが、訴求力に繋がる」ということよりも、何か他の事情でも絡んでいるんじゃないかと邪推したくなるわ。

オリジナル版では町田義人がフレップ、朱里エイコがレイラ、ゴダイゴが子ギツネたちのキャラクターとして、劇中歌を担当する演出になっていた。
ようするに、ちょっと変則的なミュージカル映画でもあったのだ。
このリニューアル版でも、その仕掛けが一応は踏襲されている。オリジナル版に比べると歌曲が少ないが、平野綾が2曲、apricot(子ギツネの声を担当した子役を含むグループ)か1曲を劇中で歌う。
フレップとして歌うのは佐藤隆太じゃなくて山崎まさよしだが、これはオリジナル版と同じだ(オリジナル版でも、フレップの台詞を担当したのは大林丈史、歌は町田義人と分けられていた)。

リニューアル版で使われている楽曲は、全て新しく作られた物だ。ゴダイゴが演奏を担当したオリジナル版の楽曲は一切使われていない。
オリジナル版で作詞を担当したのは1曲を除いて今回の監督である三村順一なんだし、そこは使ってもいいんじゃないかと思うんだけどね。
何よりもマズいのは、町田義人が歌唱を担当した主題歌『赤い狩人』を捨ててしまったことだ。
前述したように、オリジナル版は無闇に残酷で殺伐としていたし、決して傑作と呼べるモノだったというイメージは無い。
しかし、主題歌だけは文句無しに素晴らしかった。その主題歌だけでも、かなりの力を持っていた。
だから、そこを捨てるのは大きなダメージになるのだ。

山崎まさよしが町田義人よりも歌手として劣っているとか、新しい主題歌が冴えない出来栄えだとか、決してそういうことではないのだ。
ただ単に、『キタキツネ物語』には町田義人の主題歌『赤い狩人』が必須だってことなのよ。
他の変更点は受け入れるにしても、そこだけは変えちゃダメだわ。
ホントはオリジナル版の曲を使うことが望ましいけど(既に町田義人は引退しているため、新しく録音するのは無理なので)、山崎まさよしが『赤い狩人』をカバーするということでもいい。
とにかく、『赤い狩人』が欲しかったなあ。

(観賞日:2016年4月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会