『北の桜守』:2018、日本

1945年、南樺太の恵須取。江連てつは製材所を営む夫の徳次郎、長男の清太郎、次男の修二郎と共に、幸せに暮らしていた。庭に植えた桜が初めて開花し、てつは徳次郎から「貴方が面倒を見てくれたおかげだ」と感謝される。てつは「貴方が内地から種を持って来てくれたから始められたんです」と言い、子供たちには「貴方たちが産まれた時に種を撒いたの」と教えた。製材所の従業員や近所に住む山岡和夫たちも集まって喜び、全員で記念写真を撮影した。
しかし平穏な日々は長く続かなかった。徳次郎が木材の調達で北の森へ向かった後、ソ連が日ソ中立条約を破棄して宣戦布告した。恵須取は激しい空爆に襲われ、てつは徳次郎と連絡が付かないことで不安になった。しかし徳次郎が無事に戻り、てつは安堵する。徳次郎は網走にいる知人の元へ避難するよう家族に指示し、てつには江連家の表札を預けた。彼は必ず後を追うと約束し、戦地へ赴いた。敵機の爆撃で大勢の市民が犠牲になり、集団自決する面々もいた。てつと子供たちは何とか港に辿り着き、小笠原丸に乗り込んだ。
1971年春、札幌。修二郎は狸小路商店街で、コンビニ『ミネソタ24』の日本1号店を開店する準備を進めていた。ミネソタ24はロスを本店とするコンビニチェーンで、修二郎は日本の社長に就任していた。修二郎はアメリカ育ちの真理と結婚しており、その父親がアメリカ本部の大株主だった。修二郎は24時間営業で人の倍は働くよう店員に要求し、店長の木村学が「労働基準局もうるさくなりまして」と意見を述べると「能書きを並べる奴は辞めてもらっていいんだぞ」と睨み付けた。
1号店は大盛況で、修二郎は満足そうな表情を浮かべる。しかし網走の市役所から母親のことで電話を受けると、途端に顔を曇らせた。網走に戻った彼は、てつから「こんな雪に閉ざされたところから出て行きなさい。人一倍働いて、何自由ない生活を作りなさい。母さんのことは今日限り忘れるの」と言われたことを思い出した。江蓮食堂へ赴いた修二郎は、菅原信治や岩木、山岡など大勢の客がいる中で母が働いていた時のことを振り返った。修二郎が無人の食堂に入ると、てつが奥から出て来た。てつは15年ぶりの再会を喜び、おにぎりを出す。修二郎は仕送りを続けていたが家は貧しいままで、てつは「勿体無くて使えないよ。みんな貯金してある」と告げた。
そこへ山岡が訪ねて来て、修二郎を見て驚いた。てつの言動を見ていた修二郎は、母が認知症を患っていると感じる。てつが買い物に出ると、山岡は修二郎に「市役所から電話があったでしょ。この仮設住宅、近く撤去になるんです。時間もあったし、この店も許可無しで問題あるんですよ」と語った。「いつからこうなんですか」という修二郎の問い掛けに、彼は「2、3年ほど前からかな。でも、普段は何も変わりません」と述べた。
『ミネソタ24』に戻った修二郎は夜になると客が来なくなることを聞き、出来るだけ多くの商品を仕入れて全品の利益率を50%以上にするよう木村に命じた。もう少し様子を見てはどうかと木村が提案すると、彼は「結論は出来るだけ早い方がいい」と鋭く告げた。修二郎は美容室を経営する女性に頼んで、てつを『ミネソタ24』まで連れて来てもらった。彼は母を自宅で引き取ることに決めており、何の相談も無かったので真理は抗議した。しかし「君だけが頼りなんだ」と修二郎に言われ、真理はてつの面倒を見ることを承知した。真理はてつの言動に違和感を覚え、母のことになると何でもOKする修二郎にも不可解さを感じた。
修二郎の元を、小学校の同級生で医者の息子だという杉本久が訪ねて来た。しかし修二郎は全く記憶に無い様子で、「小学校の頃、網走で良く遊んだじゃないか」と言われると「何の話ですか?」と首をかしげた。小学生の頃、修二郎は新聞配達の仕事をしており、開業医の息子である杉本は彼に高慢な態度を取った。てつが闇米を売っていたことから、杉本と仲間たちは修二郎をイジメの標的にした。そのことを思い出した修二郎は、喫茶店を開くための融資を頼まれて杉本を罵倒した。
杉本を追い払った後、彼は真理に「真理さんには、俺たち親子のことは永遠に理解できないよ」と告げ、貧しい生活の中で母が自分だけを守ってくれたことを話す。彼は木村から母が雪の中でコートも着用せず歩いていたと聞き、急いで捜索に出た。真理は買い物帰りのてつの行動を思い出し、桜の木の下にいる彼女を見つけ出した。修二郎は母を病院で診察してもらい、医師の三田からアルツハイマーではなく強烈に忘れたい過去の出来事が影響しているのだろうと告げられた。
『ミネソタ24』ではホットドッグの売れ行きが落ちており、修二郎は日本独自の何かを作る必要があると考えた。そんなある日、てつは庭で釜を使って御飯を炊き、修二郎は隣人から「火事になったらどうするんだ」注意されて謝罪した。てつが作ったおにぎりを食べた彼は、それを『ミネソタ24』で売ることにした。しかし2個しか売れなかったため、すぐに修二郎は残りを廃棄した。てつが八百屋で金を払わずにネギを持ち去ろうとしたため、修二郎は連絡を受けて駆け付けた。てつはツケにするつもりだったが、八百屋が「誰にツケるんだよ」と訊くと呆けた顔をするだけだった。修二郎が「やっと掴んだチャンスを逃すわけにはいかないんだよ」と声を荒らげると、てつは慌てて謝った。真理は修二郎に、父の大吉が日本1号店の経営に不信を抱いて調査に来ることを教えた。
翌朝、目を覚ました修二郎は母がいなくなっていることを知り、急いで駅へ向かう。てつが網走へ帰るつもりだと確信した修二郎だが、母は駅のベンチに座っていた。修二郎が家に帰ろうと告げると、てつは「人に迷惑だけは掛けたくないの」と断った。「母さんはどうするんだよ」と問われた彼女は、「分からない。とりあえずお礼参りするの」と答えた。修二郎が同行すると、てつは険しい崖を登って神社へ赴く。修二郎はてつに「信治さんと結婚すればいいと思ってた」と言い、信治を訪ねようと言う。彼は真理に電話を掛け、明日の調査には戻らないことを告げた。「パパがノーと言ったらクビになるよ」と真理が話すと、彼は「母さんを放っておけない」と告げた。
次の日、てつと修二郎は電車に乗り、旭川で運送会社を営む信治の元へ向かう。網走に逃げ延びた直後、てつと修二郎は闇米屋の信治と弟分の岩木に遭遇した。空腹に耐えかねた修二郎が信治からおにぎりを分けてもらおうとすると、てつは「みっともない真似するんじゃない」と注意した。信治は2人を車に乗せておにぎりを分け与え、仕事を手伝わないかと誘った。運送会社に着いたてつは、店の金も信治が払ってくれたが返していないことを修二郎に打ち明け、「一番会いたいけど、一番会いたくない」と漏らした。
大吉は真理と共に『ミネソタ24』へ行き、店員たちがおにぎりを積極的に売り込もうとしている姿を目にした。おにぎりについて率直な意見を問われた木村と店員たちは、修二郎の恩に報いるためにも頑張りたいと言う。木村たちはホットドッグを日本流にさせてほしいと頼み、大吉に試作品を食べてもらう。店員たちの様子を目にした大吉は、日本は修二郎に任せると真理に告げた。修二郎はてつを白滝駅へ連れて行き、「この駅、覚えてる?」と問い掛けた。闇米屋の仕事を始めたてつと修二郎は、駅へ駆け付けた警官隊に見つかって追われた。必死で逃亡する2人を誘導してくれた岩木は、警官に足を撃たれて捕まった。てつも警官に捕まるが、それは山岡だった。てつと修二郎に気付いた彼は、2人を逃がしてくれた。思い出話に花を咲かせた後、修二郎は芋を盗んだ畑へ母を連れて行った。
居酒屋たぬきに立ち寄った修二郎は、てつから島田光江という女性のことを聞かされる。修二郎は知らなかったが、てつの隣に住んでいた女性で、「恋人が刑務所に入ったので待っている」と話していたらしい。今はどうしているのか尋ねると、てつは数年前に来なくなったと話す。修二郎が「父さんのこと、覚えてる?」と訊くと、てつは「もちろんよ」と答えた直後に血相を変えて「顔が浮かんでこないわ」と漏らした。網走で食堂を営んでいた頃、てつは徳次郎が昭和22年2月にシベリアで逝去したことを知らされた…。

監督は滝田洋二郎、舞台演出はケラリーノ・サンドロヴィッチ、脚本は那須真知子、製作総指揮は早河洋&岡田裕介、企画は多田憲之&角南源五&木下直哉、製作は戸田裕一&大森壽郎&高木勝裕&間宮登良松&脇坂聰史&原口宰&山口寿一&渡辺雅隆&樋泉実&横井正彦&和氣靖&広瀬兼三&吉村和文&北澤晴樹&伊藤裕章&佐藤吉雄&繻エ美樹、ゼネラルプロデューサーは亀山慶二、エグゼクティブプロデューサーは村松秀信&西新、シニアプロデューサーは佐々木基&須藤泰司、プロデューサーは冨永理生子、舞台プロデューサーは北村明子、アソシエイトプロデューサーは高橋一平、キャスティングプロデューサーは福岡康裕、撮影監督は浜田毅、照明は高屋齋、美術は部谷京子、録音は小野寺修、VFXスーパーバイザーは野口光一、特撮は佛田洋、編集は李英美、音楽は小椋佳&星勝&海田庄吾、音楽プロデューサーは津島玄一。
主題歌「花、闌の時」作詞・作曲:小椋佳 編曲:星勝。
出演は吉永小百合、佐藤浩市、阿部寛、堺雅人、篠原涼子、岸部一徳、中村雅俊、高島礼子、笑福亭鶴瓶、安田顕、野間口徹、田中壮太郎、毎熊克哉、大出俊、永島敏行、螢雪次朗、三田村周三、菅原大吉、土屋慶太、阪本颯希、日中泰景、谷口翔太、高島豪志、海野恭二、凛カオリ、マユ・ソフィア、久保田賢治、三谷麟太郎、山崎光、大竹悠義、北原十希明、鈴木翼、宮川浩明、植村恵、西郷豊、一谷昌秀、小島庄一郎、宮本剛徳、池内直樹、赤瀬智子、小築舞衣、嶋田壮一郎、須藤為五郎、木庭博光、加倉幸の助、関口秀実、中里春彦、中川慧、石田晃一、天崎明、岡田謙ら。


吉永小百合の120本目となる映画出演作。
いつの間にか「北の3部作」となっていた『北の零年』『北のカナリアたち』に続く最終章。
監督は『おくりびと』『天地明察』の滝田洋二郎。脚本は『北の零年』『北のカナリアたち』の那須真知子。
てつを吉永小百合、信治を佐藤浩市、徳次郎を阿部寛、修二郎を堺雅人、真理を篠原涼子、山岡を岸部一徳、大吉を中村雅俊、光江を高島礼子、居酒屋たぬきの主人を笑福亭鶴瓶、杉本を安田顕、木村を野間口徹、舞台劇の進行役を務める軍人を田中壮太郎、岩木を毎熊克哉が演じている。

かつての日本映画界にはスターシステムが存在し、一握りの限られたスター俳優しか主演を務めることが出来なかった。観客はスターを見るために映画館へ足を運び、1年を通してスターの主演作が公開されていない時期など無かった。
第二次世界大戦の前から尾上松之助や阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛壽郎、長谷川一夫といったスターたちが活躍し、戦後になっても大川橋蔵や中村錦之助、市川雷蔵や勝新太郎らがスターとして華々しい活躍を見せた。
しかしテレビの普及に伴って映画は斜陽の時期に突入し、観客動員は下り坂となった。五社協定は崩壊し、多くのスター俳優を生み出した時代劇映画は全く客に受けなくなった。東映が任侠路線を打ち出すなどして奮闘したが、大映は倒産し、日活はロマンポルノ路線に舵を切った。
時代は移り変わり、映画の本数が減ったことを受けて、かつて映画スターと呼ばれていた面々もテレビ番組に積極的に出演するようになった。そして当然の流れとして、スター映画は絶滅寸前の状態となった。

そんな中、高倉健と吉永小百合の2人だけは、昭和から平成に時代が変わってもスター映画の火を絶やさないような活動を続けた。どれだけ年齢を重ねても、映画の主演スターであることにこだわった。
片岡千恵蔵や市川右太衛門のように、年齢を無視した役柄を平気で演じ続けた。父親や母親を演じることはあっても、決して老人を演じようとはしなかった。
実のところ、かつての映画スターは全員が「永遠の主演スター」であることに固執したわけではない。大河内傳次郎や嵐寛壽郎は年を取ってからは、脇役に回ったり年相応の役を演じたりるようになった。
しかし高倉健と吉永小百合は、主演であることにこだわった。高倉健が死去し、ついに吉永小百合が「古きスター映画の伝統」を引き継ぐ唯一の役者になった。

吉永小百合の主演作を見る時に大切なのは、世の中には大勢のサユリストがいるってことだ。そして彼女の主演作は全て、「サユリストの、サユリストによる、サユリストのための映画」である。
サユリストなのは、決して彼女の主演作を見る観客だけではない。映画に参加しているスタッフも、キャストも、制作に関与する会社の責任者も、配給する会社の担当者も、みんながサユリストなのだ。
そんな彼らは吉永小百合を崇拝し、彼女を輝かせるための努力を惜しまない。吉永小百合が気持ち良くなってくれれば、それがサユリストの幸せなのだ。
サユリストのコミューンに属していない連中が何を言おうと、どう感じようと、そんなことは全く関係が無いのだ。

吉永小百合が年齢的に無理のあり過ぎる役柄を演じるのは、今に始まったことではない。
60歳の時に主演した『北の零年』では旦那が46歳の渡辺謙、娘は11歳の大後寿々花だった。
『北のカナリアたち』では9歳しか離れていない里見浩太朗の娘役で、旦那は6つ年下の柴田恭兵だった。
『母べえ』にしろ、『まぼろしの邪馬台国』にしろ、かなり年下の俳優が夫役を務めていた。
しかし、決して「年上女房」という設定ではなく、吉永小百合が実年齢より遥かに若い役柄を演じていた。

そして今回も吉永小百合は、「永遠のヒロイン」であり続けようとする。
御年73歳となった彼女は、53歳の阿部寛の奥さんとして登場する。どうやら映画序盤の彼女は、38歳を演じているようだ。
網走に逃げ延びた彼女を見た30歳の毎熊克哉は「いい女だな」と欲情し、強姦しようと目論む。57歳の佐藤浩市は彼女にマジ惚れし、ついには求婚する。
そういった描写を全て許容できるかどうかが、サユリストになれるかどうかの試験だと言ってもいい。
ちなみに、今回は珍しく「すっかり老け込んで認知症を患っている」という年代も演じているが、それはあくまでも「まだそんな年じゃないのに老け役を演じている」という扱いだ。

もはや吉永小百合は、年齢を超越した存在と化している。そんな扱いを温かい目で見ることが出来れば、貴方も立派なサユリスト予備軍だ。
ただし本物のサユリストは、そんなレベルではない。
年齢的に違和感の強すぎる設定や描写が続いても、彼らは何も気にしない。「何が変なのか、どこがおかしいのか」と、本気で思うだろう。
サユリストにしてみれば、吉永小百合が佐藤浩市に求婚されるのも、毎熊克哉に欲情されるのも、それぐらい魅力のある女性なので、ごく当たり前のことなのだ。

サユリストは単に数が多いだけでなく、映画界でも大きな力を持っている。
それが顕著に分かるのが、日本アカデミー賞だ。
吉永小百合は1998年の『時雨の記』以降、主演した全ての映画で日本アカデミー賞主演女優賞にノミネートされている。
そして本作品も主演女優賞の他、作品賞や監督賞など合計12部門にノミネートされた。
ちなみに主催している日本アカデミー賞協会の会長を務める岡田裕介は、熱烈なサユリストである。
つまり、そういうことだ。

この映画がコミューン映画であることを、ひょっとすると滝田洋二郎は理解してたのかもしれない。
まるで「厚い信仰心を求められる一種の宗教映画」であることを強調するかのように、序盤から通常では考え難い演出を持ち込んでいる。
まず、てつが記念撮影で草履が脱げて転倒し、徳次郎が抱っこするというシーンからして、わざとらしくて不自然だ。
さらに映像がスローになり、合唱の声が流れて来ると、ますます不自然さは強くなる。

そして極め付けが、オープニング・クレジットだ。
シーンが舞台に切り替わり、そこには白装束の合唱団が立っている。さっきの合唱の声は、その面々の歌だったのだ。
その中には吉永小百合の姿もあり、振付に従って動いている。途中で白装束を脱ぐと、舞台劇が始まる。冒頭では恵須取で描かれていた物語の続きが、舞台劇として展開されるのだ。
ここに違和感を覚えない人が、果たして存在するのだろうか。

その後、すぐにロケのシーンに戻るが、その後も舞台劇が何度か挿入される。そんな演出は、この話が作り物の世界であることを強調する。
そこに私は滑稽さやバカバカしさしか感じないが、それはサユリストではないからだろう。
きっと本物のサユリストなら、そんな無意味にしか思えない演出さえ泰然と受け入れられるはずだ。
ある意味、その演出はサユリストの踏み絵と言ってもいい。

「吉永小百合だけを輝かせるために」という意図があったのかどうかは不明だが、修二郎は無駄に好感度の低い男と化している。
修二郎の『ミネソタ24』従業員に対する態度は完全にパワハラであり、彼の会社は明らかにブラック企業だ。
「高度経済成長期にはそれが当たり前だった」と言われれば、その通りかもしれない。しかし、修二郎が決して好感の持てる人物でないことは確かだ。
だが、なぜか店員たちは「恩に報いるためにも頑張りたい」と修二郎を敬愛しており、彼のために全力で頑張る。そんな描写に説得力は全く無いが、そもそも全てが嘘っぱちの世界なので、いちいち気にしちゃいけないんだろう。

てつはアルツハイマーじゃないと医師は言うが、どう見てもアルツハイマーだ。
それは置いておくとしても、「てつには強烈に忘れたいことがある」ってことで、その忘れたい出来事については観客にも明かさないまま話を進めているのだが、よっぽど鈍い人間じゃなければ「旦那と次男が死んでいる」ってことぐらい簡単に分かる。
なので、それを「実はこんなことが」ってな感じで後半に入ってから明らかにされても「いや、とっくに分かってましたけど」と冷めた気持ちにさせられるだけだ。

それ以外でも、普通の映画として捉えた場合、難点は山のように存在する。
回想劇が散らかりまくっているし、そもそも何を伝えようとしているのかサッパリ分からない。コンビニ関連の描写は、「そこって丁寧に描く必要があるのか?」という疑問を拭えない。
光江の存在意義は、全く分からない。終盤に桜守のシーンがあるものの、「北の桜守」というタイトルが内容と合致しているとは思えない。
しかし、それらの問題を全て許容できてこそ、真のサユリストと言えるのではないか。きっと真のサユリストなら、この映画で素直に感動できるはずなのだ。
それはまるで、カルト教団の信者が教祖様の説法を聞くかのように。

(観賞日:2019年7月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会