『岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇』:1997、日本

リイチとユウジ、小鉄、それにリイチの恋人・リョーコは高校卒業の日を迎えた。リイチたちはリョーコを使って担任教師をおびき出し、 校舎の屋上から植木を頭に落として写真を撮った。リイチは競輪場前のテキヤとして働き始め、リョーコは美容院で仕事を始め、小鉄は ケンカでパクられた。ある日、リョーコは髪を切り、リイチとの思い出の写真をゴミ袋に詰めた。彼女はそれを持ってユウジのアパートを 訪れ、自分では燃やせなかったので処分してほしいと頼んだ。
[side A : for winter]
リイチはボッタクリのスナック喫茶に騙された男の代理として殴り込みを掛け、金を出させた。謝礼として半分を手にした後、スナックの 用心棒をしていたライバル・定を見つけた。不意討ちを食らわせたリイチだが、ナイフで刺されて負傷した。競輪場前でテキヤの仕事を していると、出所した小鉄が現れた。2人はリョーコも含め、ユウジのアパートで集まった。
リイチは小鉄が調理師として働くバーへ出掛け、そこでナホミという女と出会った。彼女に惹かれたリイチは、店の用心棒として雇って もらった。リョーコは美容院の同僚・マサエと共に、ユウジのアパートを訪れた。するとリイチとユウジが、小鉄の刺青を焼き消している ところだった。ナホミに惚れた小鉄は、前の女の名前を彫った刺青を消そうと考えたのだ。
翌日、ユウジは街でリョーコと出会って飲みに行こうと誘い、マサエも呼ぶよう求めた。リイチはナホミから、中学時代に手紙を渡した ことを告げられた。ナホミにとって、リイチは初恋の相手だったのだ。ちょうどリョーコとの関係に飽きていたこともあって、リイチの 気持ちは一気に彼女へと傾いた。リイチとナホミの親密な様子を、リョーコは目撃した。
ナホミは美容院に現れ、リョーコに「彼は私のためにケンカもしなくなり、おとなしくなってくれた」と挑戦的な態度で告げた。彼女の 言う通り、リイチからは以前のような荒っぽさが無くなった。定に殴られても手を出さず、一方的にやられるだけだった。リョーコに頭 から水を浴びせられても、怒りもしなかった。そんな様子を見たリョーコは、もうリイチと会わないでおこうと心に決めた。そして彼女は 髪を切り、写真を集めてユウジの元へ持って行ったのだ。
[side B : for summer]
ユウジはリョーコから預かった写真をリイチの元へ持って行き、「お前が処分しろ」と鋭く告げた。そこへマサエが現れ、リイチを激しく 責め立てた。翌日、マサエと寂れた商店街を歩いていたユウジは、落ちていた分度器を見つけた。ユウジは分度器を拾い上げ、小学生の頃 に誕生日にちなんだ67度の物を必死に探し回ったという思い出をマサエに語って聞かせた。
リイチは自分から手を出さないとナホミと約束していたため、チンピラに絡まれて血まみれになった。その姿でナホミの部屋へ行った彼は 、苛立ちを彼女にぶつけた。ナホミが「危ない仕事はさせないで」とイサミちゃんに頼んだため、リイチは仕事を辞めさせられた。結局、 リイチは我慢できずにナホミとの別れを選んだ。リイチは今までの相手にお礼参りを済ませ、ユウジと小鉄の3人でドライブに出掛けた。 しかし川べりでユウジの頭上に雷が落ち、彼は死んでしまった…。

監督は三池崇史、原作は中場利一、脚本構成はNAKA雅MURA、脚本は信本敬子&NAKA雅MURA、製作は木村政雄、プロデューサーは西村大志& 南雅史、企画は中沢敏明、撮影は山本英夫、編集は島村泰司、録音は川嶋一義、照明は高屋齋、美術は石毛朗、音楽は寺田十三夫。
出演は千原浩史(現・千原ジュニア)、千原靖史(現・千原せいじ)、鈴木沙理奈、笑福亭松之助、吉本真樹、山之内幸夫、シーザー武志 、薬師寺保栄、中場利一、絵沢萌子、山口美也子、山田スミ子、やべきょうすけ、中島ひろ子、菊池万理江(現・ひろせまい)、阪口圭香、 北村康(現・北村一輝)、横山夏海、飯島大介、安西悠久子、河本忠夫、元山力、大槻博之、足立寛和、向井達矢、中島清美、辻イト子、 西和代、高井千登勢、北澤多美江、饒波春代、Tomo、川上和親一、尾籠健次、宇都宮愛、ヤッホ寺田、福田亘、熊谷茂、近藤伸郎、 藤田裕助ら。


中場利一の小説を基にしたシリーズ第2作。
監督は1作目の井筒和幸から三池崇史に交代し、スタッフも出演者もゴッソリと入れ替わった。
さらに主人公の役名もチュンバからリイチに変更された。ただし、チュンバもリイチも同じキャラクターだ。
キャラ自体は同じなのに名前を変えて、しかも変更に至る経緯が劇中で説明されるわけでもないので、どういうことなのかと思ってしまう。
「吉本興業の芸人コンビが主演する」という括りは引き継がれ(何しろ吉本の制作だし)、前作でナインティナインの矢部浩之が演じた チュンバ(リイチ)を、今回は千原兄弟のジュニアが演じている。ユウジを千原兄弟の兄・せいじ、リョーコを鈴木沙理奈、小鉄をやべ きょうすけ、マサエを中島ひろ子、ナホミを・菊池万理江(現・廣瀬麻衣)、ヒロコを阪口圭香、定を北村康(現・北村一輝)、定の彼女 を横山夏海が演じている。

キャスティングが全て変更されただけでなく、話としても前作からの連続性を全く感じさせない。
そもそも前作でチュンバは高校を退学し、リョーコは中学を卒業してスーパーで働いていたはず。
その部分からして、繋がりを断ち切っている。
それが意図的かどうかは知らないが、どっちにしても引っ掛かりは覚える。
ユウジとか言われても、お前は誰なんだと思ってしまうし。
だって、前作でユウジなんて出てこなかったじゃん。
それよりも前作で仲間だったサイとかサンダ&ガイラはどうしたのかと。
少しでいいから、前作のメンツの「その後」に触れるぐらいの気配りがあってもいいんじゃないかと。

ただし、そんなことに意識が無かった理由も、分からないでは無いんだけどね。
監督だけじゃなく脚本家も異なるわけだし。
そんで三池崇史&NAKA雅MURAのコンビが、「前作を引き継いで、前作のファンにも気配りをして」などと考えるタイプじゃないことも分かるし。
その後に続くシリーズからすると、どうやら「当初から連続性を無視し、1作ごとにバラバラでOK」という企画だったようだし。

私は前作を、井筒和幸監督の作品でベスト3に入る傑作だと高く評価している。
前作との比較ということもあって、本作品に対する評価は著しく低いものにせざるを得ない。
三池崇史は多作で、突き抜けた作品を生み出すこともあるが、一方で凡作・駄作も撮りまくっている。
そして、これは後者に属する。

前作は「ケンカに明け暮れる日々」であり、かなり暴力シーンが多かったが、しかし「大人が高校生を演じる」という配役によって 「ファンタジーとしての寛容さ」が生じていた。
ところが今回はリイチたちが高校を卒業し、しかも矢部浩之と比べて千原ジュニアが若いこともあって、演者とキャラの年齢差が小さく なった。
さらには学生服というアイテムも無くなったため、「ファンタジーとしての寛容さ」は完全に失われた。
それだけでなく、そもそも三池監督の暴力演出が陰惨で血生臭いものになっている。
前作と比べると暴力シーン自体は減っているのに、だから陰惨なイメージは圧倒的に強くなっている。
そして、それはマイナスだと感じる。

序盤、リョーコのナレーションによって「リイチと会わないつもりだったのに、実際にそうなったのはユウジの方だった」ということが 説明される。これにより、何らかの形でユウジが物語から退場することが示唆される。
しかし、それなら本作品は、この3人の友情ドラマを描くドラマにすべきだし、ユウジの存在は大きく扱われるべきだ。
ところが実際には、そうではない。
だったら、最初にリョーコのモノローグでユウジへの注目を集めさせるなんてことは、やるべきではない。

それと、そこから[side A : for winter]ということで、リョーコが写真をユウジに渡すまでの経緯が綴られるのだが、回想形式にした 意味も分からない。普通に時系列順で構成した方がいい。 さらに途中で[side B : for summer]になるが、そこは[side A]を別角度から描くのではなく、[side A]の続きを描いている。
その構成も理解に苦しむ。
一応、メイン視点がリョーコからリイチに変更されるということになっているが、それも必要性を感じない。
最後までリョーコ視点がメインでいいと思う。

リョーコとマサエがアパートを訪れた時、リイチがマサエに気付いて質問を投げ掛ける。目を丸くしながらリイチに挨拶をするマサエの顔 が、アップで映し出される。
その表現からすれば、マサエはリイチとの関係で話に絡んでくるべきだ。
ところが次のシーンでは、ユウジがマサエを飲みに誘う。
どうやらユウジはマサエに惚れた様子だが、だったらアパートの場面の描写がおかしい。
そこでユウジとマサエの関係を作るための作業はゼロってのは間違いだろう。

リイチは定に一方的に殴られて無抵抗のままだが、そこまでに「ナホミに入れ込んで、次第に闘争心や殺気が失われていく」という経緯は 全く描かれていない。ナホミと付き合い始めた途端、急にヘタレになる。
だが、そこまでナホミにメロメロになって洗脳状態という感じは無いし、彼女に合わせて生き方を変えたというのがピンと来ない。 リイチは「自分から手は出さない」とナホミに約束したらしいが、確か前作ではリョーコからケンカばかりするのを注意されても全く
生活態度は変わらなかったはずで、なんでナホミだと簡単に言うことを聞くのかってのも引っ掛かる。
それと、ナホミとの交際に幸せそうな印象がほとんど感じられないまま、リイチの面白く無さそうな態度に移行してしまうのも引っ掛かる。
リョーコに水を掛けられる場面では既に楽しそうな雰囲気ゼロなのだが、そこまでに「しばらくは幸せだったが、ケンカが出来ないことで ストレスを溜め込み、ナホミとの関係が少しずつギクシャクしていく」という変遷は全く描かれていない。

[side B ]の冒頭では、御丁寧にリイチのモノローグによってユウジの死が示唆される。
だったら、そこから2人の関係が話のメインになるのかと思うと、そうではない。リイチはリイチで、ユウジはユウジで、それぞれ個人の 物語を歩いている。
そもそも[side B ]だけに留まらず、全体を通してリイチとユウジの友情劇が話のメインになるべき素材ではなかったか。
ユウジが分度器の思い出を語ると、その回想シーンが挿入される。そこだけ浮いているような感じも受けるが、それ以前の問題として、 回想シーンではなく現在のシーンで見せ場を作って欲しいと思う。
それと回想シーンを挿入するにしても、それはユウジ個人の思い出ではなく、リイチとユウジの友情を示すモノにすべきだろう。
この2人の友情が充分に描かれていないと、終盤に待ち受けている「ユウジの死」という出来事の意味合いが弱くなってしまう。

前作のように「日常スケッチの串刺し方式で作品を紡いでいく」ということではなく、たくさんの切れ端が散らばったままでマトモに 紡ぎ合わせておらず、繋ぎ合わせが不充分で隙間だらけという感じ。
リイチとリョーコの恋愛劇も薄いし、輪を掛けてリイチとユウジの友情ドラマは薄い。
リョーコとユウジの関係なんて問題外のレベルだ。
だったら、冒頭からユウジに注目させるなと。

ユウジが死ぬシーンは、「車の事故があるので死ぬかと思ったら平気」「川べりで姿が消えるので死んだのかと思ったら川の中に入って いただけ」という肩透かしの連続で無駄に引っ張った後、なんと「落雷でコントみたいに全身が黒漕げ」というギャグの如くに処理してしまう。
事前にユウジの死を示唆していたリョーコやリイチのモノローグのテンションからしても、そこは絶対に悲劇として描くべきだろうに。
そこに照れとかスカし芸なんて要らないのよ。素直に悲しい出来事として描くべきなのよ。
その後で死を悲しむマサエの号泣を見せられても、貰い泣きも出来やしねえよ。

(観賞日:2008年3月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会