『寄生獣 完結編』:2015、日本

SATの中隊長を務める山岸は東福山警察署の平間や辻たちに協力してもらい、浦上という男を逮捕してもらう。浦上は多くの女性を殺した凶悪犯だが、寄生生物を見分ける能力を持っていた。事件の参考人として数名が面通しに連れて来られる中に、泉新一の姿もあった。浦上はマジックミラー越しに新一を見て少しだけ気にするが、「いや、違うな」と口にした。しかし、寄生生物の死体が新一の家から近い場所でばかり発見されていることから、平間は関係があるのではないかと疑いを抱いた。
新一はミギーに協力してもらい、パラサイトを見つけては始末する日々を送っていた。いずれは市役所へ乗り込み、広川と仲間たちを全滅させようと新一は考えていた。そんな新一の行動を、フリーライターの倉森が密かに追っていた。広川の側近である草野は、新一とミギーを始末すべきだと主張する。しかし広川から意見を求められた田宮良子は、生かして観察すべきだと述べた。人間との共存を目指す彼女にとって、新一とミギーは希望だった。市役所をコロニーに出来た貢献が大きいため、広川は田宮の意見を尊重した。
パラサイトの三木は溝口総業というヤクザの事務所へ乗り込み、8人の構成員を惨殺した。広川は事件のことを知り、後藤の仕業だと推測した。しかし後藤が「私ではない。三木がやったことだ」と否定したので、広川は「君に認めてもらいたいんだろう」と告げる。田宮が新一とミギーを観察している方法を後藤から質問された広川は、「恋愛感情を利用して人間を操っているらしい」と答えた。倉森は田宮に恋心を抱き、彼女に頼まれて新一とミギーを尾行していたのだった。
倉森は新一とミギーがパラサイトを殺害した時の写真を田宮に見せ、公表すべきだと告げる。田宮は少し待ってほしいと頼み、「貴方との関係も大事にしていきたいので」と口にする。妻を亡くしてから娘と2人暮らしをしている倉森は、田宮との結婚を想定して彼女の頼みを了承した。新一とミギーは倉森の尾行に気付いて捕まえ、脅しを掛けて撮影した写真を見る。田宮の依頼だと知った新一とミギーは、彼女が寄生生物であり、利用されているのだと倉森に告げた。
新一とミギーは田宮の元へ赴き、彼女が人間の赤ん坊を産んで育てていることを知った。「母なる物を知るための実験だ」と田宮が言うと、新一は「人間を食う化け物が、人間の母親になれるわけがないだろ」と嫌悪感を剥き出しにする。田宮は「お前たちは自分の心配をした方がいい。仲間はお前たちを殺したがっている」と教え、自分が仲間を教育して人間以外の物を食べるように変えて行くと話す。彼女が「私を信じろ」と告げると、新一は「化け物の言うことなんて信じねえよ」と吐き捨てた。すると田宮は、静かな口調で「人間の言うことは信じられるのか」と問い掛けた。
田宮と別れた新一は、待機していた倉森の元へ戻った。新一は田宮との会話を倉森に盗聴させており、「これ以上、関わるな」と警告した。怒りを覚えた倉森は取材と称して市役所を訪れ、広川と会った。インタビューを終えた倉森が去った後、広川は草野に新一のミギーを殺す考えを明かした。田宮のことを問われた広川は、内緒で始末すればいいと述べた。ミギーは5人のパラサイトの殺気を感じ取り、新一に教えた。しかし現れたのは三木だけで、ミギーは1人に5人が寄生しているのだと気付いた。
倉森が買い物に出掛けている間に、広川の放ったパラサイト2人組が彼のアパートへ乗り込む。倉森が戻ると、娘が惨殺されていた。三木に襲われたミギーは弱点を見抜き、新一は司令塔である頭部を切断した。新一は止めを刺そうとするが、人間が来たので逃亡した。ミギーは家に帰れば危険だと感じ、新一は身を隠すことにした。胴だけになった男からは後藤の頭が生え、三木の頭部を右腕に戻して「お前はやはり、右手がお似合いだ」と告げた。
翌朝、田宮は広川たちの行為を知って非難し、「貴方たちは人間という物を全く理解していない。人間は時に、自分自身よりも大切な他者を持つ。そして、それを奪われた時の怒りと憎しみは、彼らを狂気へと導く」と倉森の暴走を予言した。田宮は草野と手下の2人組に命を狙われるが、一瞬で全滅させた。彼女が留守にしている間に、倉森は赤ん坊を連れ去って動物公園へ向かう。田宮は新一を心配して捜索している里美と遭遇し、彼の携帯番号を教えるよう求めた。
田宮は新一に電話を掛けて「お前に預けたい物がある」と言い、動物公園へ来るよう告げた。山岸は部隊を率いて市役所へ赴き、「猟銃を持った男が侵入した」という偽情報を流す。そして市役所の人間を全て1階のホールへ集合させ、1人ずつ歩かせる。山岸は寄生生物を浦上に確認させると、車で取り囲んだ場所に導いて銃殺した。田宮が動物公園に到着すると、倉森は「目の前で赤ん坊を殺す」と告げた。田宮は「貴方の娘を襲わせたのは、私ではない」と言うが、倉森は「お前が元凶であることに変わりは無い」と怒鳴った。
新一は動物公園に駆け付け、倉森に思い留まるよう説く。しかし倉森は耳を貸さず、化け物の姿を見せて赤ん坊を奪い返すよう田宮を挑発した。田宮は無表情のまま、「私たちを虐めるな。強く恐ろしい人間という生き物に比べれば、私たちは惨めで、か弱い。それのみでは生きていけない、ただの細胞体だ」と述べた。市役所ではパラサイトが正体を現して騒ぎが勃発したため、山岸たちは庁舎へ突入した。浦上がパラサイトを見つけ、部隊が次々に殺害していく。
田宮は新一とミギーに、「随分と考えて来た。寄生生物と人間は1つの家族だ。我々は人間の子供なのだ。そしてお前たちは、我々と人間を結ぶ希望だ」と話す。平間が部下たちを引き連れて動物公園へ駆け付ける中、倉森は赤ん坊を投げ捨てようとする。田宮はパラサイトの姿を現して倉森を殺害し、赤ん坊を奪還した。市役所では部隊に追い詰められた広川が壇上に立ち、人間を批判して銃殺された。浦上が「どう見たって、そいつ、ただの人間だろ」と言うと、山岸は「標的であることに変わりは無い」と述べた。そこへ後藤が現れると、浦上は恐怖に体を震わせた。田宮は新一に「預けたい物があるんだ」と言い、ゆっくりと歩み寄る。平間の部下たちが一斉に発砲すると、彼女は頭髪で包み込んで赤ん坊を守る。彼女は新一に赤ん坊を託し、「人間の手で、普通に育ててやってくれ」と言い残して息絶えた…。

監督・VFXは山崎貴、原作は岩明均『寄生獣』(講談社刊)、脚本は古沢良太&山崎貴、製作は市川南&中山良夫、共同製作は古川公平&中村理一郎&藪下維也&柏木登&加太孝明&島村達雄&阿部秀司&吉川英作&高橋誠&宮本直人、エグゼクティブプロデューサーは奥田誠治&阿部秀司&山内章弘、プロデューサーは川村元気&佐藤貴博&守屋圭一郎、撮影は阿藤正一、照明は高倉進、美術は林田裕至&佐久嶋依里、録音は白取貢、編集は穂垣順之助、VFXディレクター 渋谷紀世子、キャラクタービジュアルディレクターは柘植伊佐夫、音楽は佐藤直紀。
主題歌「コロニー」BUMP OF CHICKEN 作詞・作曲:藤原基央。
出演は染谷将太、深津絵里、浅野忠信、阿部サダヲ、橋本愛、新井浩文、ピエール瀧、國村隼、北村一輝、豊原功補、大森南朋、山中崇、岩井秀人、飯田基祐、関めぐみ、余貴美子、東出昌大、池内万作、佐伯新、春木みさよ、オクイシュージ、山谷花純、大西武志、太田希望、生津徹、奥森皐月、桜木梨奈、丸尾丸一郎、栩原楽人、青木匠、中村織央、一ノ瀬ワタル、佐々木一平、青木伊織、谷田歩、萩野崇、鮎河圭吾、麻生潤也、赤山健太、山崎潤、日野誠二、志賀龍美、村本明久、千咲としえ、岩寺真志、今村聡、榎亮太朗、中村元気、あづみ昌宏、田尾きよみ、田中伸一、扇田拓也、成松修、梶雅人、比佐廉ら。


岩明均の同名漫画を元にした2部作の後篇。
監督は『永遠の0』『STAND BY ME ドラえもん』の山崎貴。脚本は『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズのコンビである古沢良太と山崎貴監督が手掛けている。
新一役の染谷将太、良子役の深津絵里、後藤役の浅野忠信、ミギー役の阿部サダヲ(声とモーション・キャプチャー)、里美役の橋本愛、平間役の國村隼、広川役の北村一輝、山岸役の豊原功補、倉森役の大森南朋、辻役の山中崇、草野役の岩井秀人、信子役の余貴美子、島田役の東出昌大、A役の池内万作らは、前篇からの続投キャスト。
他に、浦上を新井浩文、三木をピエール瀧、倉森の娘を殺すパラサイト2人組を飯田基祐&関めぐみが演じている。

原作で描かれている全ての内容を盛り込むのは無理なので、当然のことながら切り捨てなきゃいけない箇所も出て来る。
どこを残し、どこを捨てるかってのは、監督や脚本家のセンスが問われる部分だ。
後藤が市役所で特殊部隊を簡単に全滅させるシーンをバッサリとカットしているのは、ひょっとすると「残酷描写が強いので問題になるんじゃないか」と懸念したのかもしれない。
ただ、どういう理由であろうと、そこをカットしたことでアクションとしての大きな盛り上がりを欠くことになってしまった。

その代わりとなるような見せ場が用意されていれば問題は無かったかもしれないが、そういうモノが何も見当たらないので、残念な結果となっている。
おまけに、そのシーンを削除したことで、「後藤の圧倒的な強さ」をアピールすることも出来なくなっているので、二重の意味で痛手となっている。
それに加えて、後藤の行動理念がサッパリ分からないことになっているので、ますますキャラとして残念な印象に陥っている。
広川が死んだ後も彼が新一を狙う理由なんて、何も無いはずでしょ。

原作の後藤には「強い敵と戦うことこそ喜び」というキャラ設定があるのだが、それが映画版だと全く伝わってこない。
そのための描写が何も無いので当然っちゃう当然で、だから終盤における彼の行動が不可解になっちゃってるのよ。
そんな奴と新一の戦いも、どうしてもワクワク&ハラハラ感に欠ける形になってしまうし。
そこは本来なら「最強の敵」と戦いであり、映画におけるクライマックスのはずだが、そういう高まりに著しく欠けている。

あと、原作の後藤は「猛毒の有機塩素化合物が付着した棒による攻撃を受けて他のパラサイトがパニック状態になり、新一に倒される」という最期を迎えるのだが、付着した物質を「放射性物質」に変更している。
そういう、誰が何の得をするのかサッパリ分からない変更を施したことによって、余計な引っ掛かりも生じている。
放射性物質が付着した鉄骨を持っていたんだから、新一だって無事じゃ済まないはずでしょ。
そこは「ミギーのおかげでノーダメージ」という御都合主義で受け入れなきゃいけないのか。

そこに限らず、田宮が死んだ後の展開は、ことごとく違和感を抱くモノばかりだ。
新一と里美の濡れ場に至っては、もはや失笑しか出てこない。あの状況で、あのタイミングで、あの場所で、なぜセックスするのかと。
そりゃあ原作でも2人のセックスはあったけど、それを上手く盛り込もうという意識が全く無い。
セックスという事象だけを切り取り、雑に配置しているもんだから、「後藤から逃亡した直後、そこから少ししか離れていない廃棄物集積所で、発見される危険性も充分に考えられる状況下で、呑気にセックスする」というボンクラ度数の高い濡れ場になっている。

最後に浦上が敵として登場するのも、ただの蛇足でしか無い。
そもそも彼はマジックミラー越しにしか新一を見ていないし、つまり新一からすると初対面の相手なのだ。そんなに関係性の薄弱な奴を最後の最後に待ち受けている敵として配置されても、ピンと来ない。浦上の側から見ても、新一に固執する理由が乏しいし。
浦上の「本能に従って生きる自分こそが本当の人間の姿だ」という主張も、そこまでの新一が自身のアイデンティティーについて葛藤する様子を充分に描いていないから、ちっとも効果的に作用しないし。
あと、その前に里美が新一の正体を知っているので、そういう意味でも浦上と対決する意味が無くなっている。

原作漫画には深いテーマがあり、そこを完全に無視するわけにはいかないので、この映画でも少しぐらいは表現する必要がある。
しかし、山崎貴監督は人間ドラマを描くのが不得手な人なので、その中に上手く織り込むことは出来ていない。ダメな邦画の典型的なパターンである「クドクドとした台詞だけで説明してしまう」という方法を取っている。
そりゃあ、ある程度は台詞を使わないと、テーマを表現することは難しいだろう。ただ、その全てが会話劇ではなく単独の台詞であり、それを喋る間は登場人物の行動が全てストップしまうので、ものすごくモタモタした印象になっている。
しかも、そういう類の台詞に附随すべきドラマが全く足りていないので、説明のための言葉だけが不恰好な形で浮き上がっているのである。

しかも、田宮や広川の台詞によって「寄生生物と人間、どちらの方が本当に恐ろしい生物なのか」「人間と寄生生物の共存は可能なのか」「人間とは、どういう生物なのか」といった問い掛けが提示されているのに、それが上手く収束しないままで映画は終わってしまう。
明確な答えが必要不可欠というわけではなくて、観客に下駄を預けても構わない。
でも本作品の場合、そういう問題ではなくて、そもそも提示した問題とマトモに向き合えていないのだ。
ただ原作にあった要素を適当に抽出し、適当に散りばめただけなのだ。

どうやら山崎貴監督は田宮良子というキャラクターに魅力を感じたようで、前篇から彼女の存在を重視しようという意識は強く感じられた。
その重心は後篇に入り、さらに傾きを増している。この作品の前半は、もはや田宮が主役じゃないのか、っていうか彼女を主役にすればいいんじゃないのかと思ってしまうほどだ。
出演時間だけを考えれば、もちろん新一が主役としての扱いになっている。
しかしキャラとしての存在感は、深津絵里の演技も手伝って、圧倒的に田宮の方が勝っている。

監督が思い入れのあるキャラクターの描写を充実させることは、決して悪いことではない。しかしながら、そのせいで映画のバランスが崩れてしまったらマズい。
そして田宮の扱いを大きくしたことによって、さらに困ったことが起きている。粗筋でも触れたように途中で田宮は絶命するのだが、彼女が消えると映画のパワーは一気に落ちるのだ。
もう市役所の戦いでは全員が始末される形にするか、もしくはバッサリとカットするか、あるいは先に処理しておいて、「田宮が新一に赤ん坊を預けて死ぬ」ってのをクライマックスにした方がいいんじゃないかと。
後はエピローグで終幕に向かった方が、よっぽど綺麗な着地になるんじゃないかと。

(観賞日:2016年12月31日)

 

*ポンコツ映画愛護協会