『きらきらひかる』:1992、日本
フリーでイタリア語の翻訳をしている香山笑子は、母の千秋に付き添われて病院を訪れる。医師は「もう大丈夫ですよ。安定剤も増進剤も必要ないし、後はいい人でも見つけることかな。情緒不安定は、結婚でもすれば治りますよ」と言う。帰りの車内で千秋が見合い写真を開くと、笑子は全く表情を変えずに対応する。見合い相手である医師の岸田睦月は、同性の恋人である大学生の藤島紺から「その気が無いなら、ちゃんと相手に言うべきだね」と告げられ、「言えるわけないだろ」と口にする。
見合いの朝、笑子は父の忠志から、飼っていた犬が死んだことを知らされた。見合いの場に赴いた笑子は、睦月に攻撃的な態度を示したり、自分から話題を振っておいて「貴方には関係ないでしょ」と荒っぽい口調で言ったりする。駅で睦月に冷たく別れを告げた後、彼女は急に泣き出した。笑子は睦月に、「私、心がおかしいでしょ。病院行ってたの」と告げた。すると睦月は、「俺、男と付き合う人なんだ。だから独身なんだ」と口にした。
笑子と睦月は結婚した。笑子はベッドのシーツにアイロンを掛け、睦月に寝るよう促した。しかし、自室に入った笑子が仕事をしながら大音量でクラシック音楽を流すので、睦月はなかなか寝付けなかった。原稿を持って出版社を訪れた笑子は、編集長の樫部から「言葉が冴えて来たね。とりあえず一年契約しませんか。いつまでもバイト扱いするわけにいかないし」と告げられた。結婚のことを樫部が話題にすると、笑子は嬉しそうな表情を浮かべた。
笑子は睦月と一緒にファミレスへ行き、紺と会おうとする。しかし紺はドタキャンし、睦月が電話を掛けても出なかった。笑子は睦月に、「心配なんでしょ。アパートに行ってあげて」と告げた。睦月がアパートへ行くと、紺は不在だった。睦月は洗濯物を取り込み、アパートを後にした。彼が帰宅すると、笑子は酒を飲んでアイロンを掛けたまま転寝していた。睦月は笑子を起こし、「飲んでもいいけど、程々にしないと」と言う。笑子が「保護者ヅラしないでよね」と苛立った口調で告げると、彼は「保護者になるために、どこのどいつが旦那になるんだ。そんなお人好しじゃないよ」と口にした。
次の日、笑子は紺の元へ行き、「約束は守ってほしいもんだわ」と言う。不機嫌そうな様子を示す紺に、笑子は明るく「ウチに遊びにいらっしゃいよ」と誘った。紺は睦月の働く病院へ押し掛け、笑子が来たことを明かして「旦那さんから言っといてくれよ、俺に気安く会いにくるんじゃないって」と文句を言う。「睦月が余計な結婚なんかするから、話がややこしくなったんだぜ」と彼に責められた睦月は、「余計じゃないよ」と口にした。
笑子が家にいると、睦月の父である雄造が訪ねて来た。雄造は息子が同性愛者だと知っており、「君の両親には済まないと思っている」と言う。笑子は屈託の無い笑顔で、「知らせなきゃいいんです」と告げた。別の日、睦月が仕事に出掛けた後、上機嫌の紺が朝から笑子の元を訪ねて来た。饒舌に喋る紺だが、笑子に「用件は?」と問われると「用件は無い」と早々に立ち去ろうとした。すると笑子は表情を緩め、ゆっくりしていくよう促した。
睦月の元には母のゆり子が現れ、「笑子さんは貴方の事情を知ってて結婚してくれたんだから、人一倍、大切にしてあげなきゃダメだと思うの」と話す。ゆり子が子供を作るための努力を要求してきたので、睦月は困惑した。帰宅した睦月は、紺が来ているのを見て驚いた。すっかり仲良くなっている笑子と紺の様子を目にした彼は、「一体どういう了見なんだ。俺をからかってるのか」と仏頂面で言う。すると笑子と紺は、同じタイミングで「からかってないよ」と否定した。睦月は「2人で同じ言葉を同時に喋るな」と苛立った。
実家に戻った笑子は、千秋から新しい犬を飼おうとしていることを聞かされた。「でもねえ、いつか死んでしまうし、そしたらまた悲しい思いするわ」と千秋が迷いを示すと、笑子は「でも、それまで一緒にいてあげればいいじゃない」と告げた。「何だか大人になったわねえ。甘えてる?笑子はプライドが高いから」と千秋が言うと、笑子は「好きなだけ甘えてるわ」と述べた。泥酔して帰宅した笑子は、睦月に「ねえ、抱いて」と絡んだ。睦月は「今日は、もうお休み」と言い、しつこく絡む笑子に「俺は何もしてあげられない」と言う。笑子は「ホモに子供欲しいなんて言ったら、笑っちゃうわよねえ」と自嘲気味に笑った。
後日、睦月は瑞穂を呼び出し、笑子に男を紹介してほしいと依頼した。もちろん自分が同性愛者であることは秘密なので、「仕事が多忙で生活時間が違うので、彼女が息抜き出来る相手を見つけてほしい」と説明したが、瑞穂は納得できない様子を見せた。睦月は仕事を終えた後、紺のアパートへ行く。しかし紺の部屋に後輩の律子や大学の仲間たちが来ているのを見ると、彼と会わないまま立ち去った。
睦月は笑子が仕事に没頭している様子を見て、「あんまり根詰めない方がいいよ」と告げた。すると笑子は、「仕事してた方が楽なの。他のこと考えずに済むし」と述べた。睦月が夜勤に出掛けた後、笑子は瑞穂に電話を掛けた。彼女が泣きながら「睦月が優しいの。今日は電話くれないかも」と言うので、瑞穂は「のろけてんの?子供作ったら?子供が出来たら落ち着くかもよ」と告げる。笑子が「そういうことじゃないの。貴方に何か分かんないわ」と声を荒らげると、瑞穂は腹を立てて「睦月さんに呼び出されたわよ。男紹介してやってくれって。愛想尽かされたのよ」と語った。
睦月が夜勤から戻ると、笑子は公園で待ち受けていた。笑子が理由を言わずに怒りをぶつけると、睦月は軽く頬を叩いた。笑子が「瑞穂と絶交したわ。意味分かるでしょ」と言うと、睦月は自宅に戻って瑞穂に電話を掛けた。彼は自分が同性愛者てあることを明かし、「だから笑子には何の責任も無いんです」と告げた。公園を通り掛かった紺は、ベンチに佇んでいる笑子を見つけた。「ぶたれちゃった」と笑子が言うと、彼は「悔しいねえ。俺なんて幾らヤンチャしても、ぶたれたこと無いもんね」と述べた。
笑子は紺に、「私たち、似た者同士ね。だって睦月がいないと寂しいんだもん」と告げた。彼女が「ねえ、海に行ってみない」と提案し、紺は睦月を呼びに行く。3人は車に乗り、海へ遊びに出掛けた。笑子はいきなり海へと走り、慌てて睦月が連れ戻しに行く。帰路の途中で、紺はコンビニへ買い物に行く。車の後部座席では、笑子と睦月が寒さで震えている。笑子は体を密着させ、「抱き合うの初めてね」と言って睦月にキスをした。睦月は笑子に覆い被さり、強く抱き締めた…。監督・脚本は松岡錠司、原作は江國香織−新潮社刊『きらきらひかる』より−、製作は村上光一、企画は堀口壽一、プロデューサーは河井真也&梅川治男、プロデューサー補は池田知樹、撮影は笠松則通、照明は水野研一、録音は菊地進平、美術は遠藤光男、編集は岸真理 、音楽は茂野雅道、挿入歌『大きな古時計』歌・演奏:チャカと昆虫採集。
出演は薬師丸ひろ子、豊川悦司、筒井道隆、加賀まりこ、津川雅彦、川津祐介、岩本多代、土屋久美子、柴田理恵、関口めぐみ、河内恵理、大島智子、阿藤海(阿藤快)、小沢象、山谷初男、蜷川幸雄、六角精児、山城むつみ、吉田幸生、鈴木英一郎、有馬自由、西岡秀記、大寶智子、松村康夫、鈴木奈々、牛島辰也、桑田智子、斉藤健司、小野恵子、新井慶、佐久間淑恵、吉鶴義光、森雅晴ら。
江國香織の同名小説を基にしたフジテレビジョン製作の映画。
監督&脚本は『バタアシ金魚』の松岡錠司。
笑子を薬師丸ひろ子、睦月を豊川悦司、紺を筒井道隆、千秋を加賀まりこ、忠志を津川雅彦、雄造を川津祐介、ゆり子を岩本多代、ファミレスのウェイトレスを土屋久美子&柴田理恵、律子を関口めぐみ、瑞穂を大島智子、睦月の同僚・柿井を阿藤海(阿藤快)、見合いの世話人を山谷初男、樫部を蜷川幸雄が演じている。序盤、見合いを終えた笑子が駅で冷たく別れを告げ、急に泣き出した後、カットが切り替わると彼女と睦月が並んで座っている。
つまり、睦月が泣き出した笑子に気付き、戻って来るシーンが無い。
いわゆる省略技法ってやつだ。
だが、そこは省略すべきではない。
むしろ、そこは睦月が初めて情緒不安定な笑子に寄り添うという重要なポイントなんだし、彼の対応や心情の変化を見せた方がいいはずだ。そこに限らず、この映画は省略技法を多用している。
例えば笑子と睦月が最初にファミレスにいるシーンでは、睦月がアパートに電話を掛けても紺が出ようとせず、笑子が「私が紹介してよなんて言ったから、怖気付いたのかな」と言う。
つまり、笑子が睦月に恋人のことを尋ねたり、紹介してほしいと頼んだり、そのことを睦月が紺に話したりするシーンが省かれているわけだ。
そりゃあ何でもかんでも描写すりゃいいってもんじゃないし、省略が効果的に作用するケースもある。
だが、そこに関しては、3人の感情を表現して人間ドラマを盛り上げることが出来るシーンを削っているわけで、マイナスにしか思えない。やたらと抑制して、淡々としたタッチでやりたかったのかもしれない。
だけど、登場人物が何を考えているのか分かりにくくなっている。
笑子がどういう気持ちで恋人のことを尋ねたり紹介を頼んだりしたのか、その時の睦月の反応はどういう様子だったのか、睦月から事情を説明された時の紺はどのような態度だったのか。
そういうのが見えないのは、メリットよりデメリットの方が遥かに大きい気がするぞ。睦月が「俺、男と付き合う人なんだ。だから独身なんだ」と言ってカットが切り替わり、『きらきらひかる』というタイトルが表示される。そこからカットが切り替わると、もう2人は結婚して新婚生活を送っている。
だから、なぜ2人が結婚する気になったのか、サッパリ分からない。
結納や挙式など、新婚生活が開始されるまでの経緯を全て丁寧に描写しろとは言わない。
しかし、2人が結婚を決意するに至るきっかけ、その心情は、ちゃんと分かるようにしておくべきだろう。睦月サイドからすれば、ゲイであることを隠すために偽装結婚という利点はある。
しかし、仮面夫婦を笑子が承諾する心境が分からない。
「精神的に不安定な自分を受け入れたり、寄り添ったりしてくれる人が欲しい」ということであったとしても、「彼でなければダメだ」というスペシャリティーが睦月には見当たらない。
「ゲイという問題があっても彼を選ぶ」というほど、睦月が笑子にとって特別な存在であるようには思えない。この映画の導入部だけを見た限り、むしろ睦月がゲイであることは、笑子が結婚相手に選ぶ決め手になっているようにも解釈できるのだが、じゃあ「なぜゲイだから結婚を決めたのか」というのは分からない。
結婚した彼女は嬉しそうな表情を浮かべているが、自分に対する恋愛感情が無いことが分かり切っている相手と結婚して、なぜ幸せそうにいられるのかがサッパリ分からん。それは「そのぐらい相手のことが大好き」と解釈せざるを得ないんだが、そこまで好きになる理由も理解不能だし。
一方の睦月にしても、単純に「ゲイであることを隠すための偽装結婚」ということではなさそうだ。笑子に「保護者になるほどお人好しじゃない」と言ったり、紺から「睦月が余計な結婚なんかするから、話がややこしくなったんだぜ」と責められて「余計じゃないよ」と反論したりしている。「もちろんゲイだから笑子に対する恋愛感情は無いけど、保護者になるつもりで結婚したわけでもない」ということのようだ。
で、それって、どういう感情なんだろうか。私にはサッパリ分からない。「最初は分からなかったけど、物語が進む中で2人が結婚した理由が分かるような仕掛けになっている」というわけでもない。最後まで映画を観賞しても、やっぱり分からないのだ。
物語が進む中で、結婚後の笑子と睦月の心情変化は何となく見える部分もあるのだが、結婚した理由は分からない。笑子は睦月に恋人がいること知っているのに幸せそうな様子なのだが、その心情が全く理解できない。
そこを理解させたり、共感させたりすることが、映画としては必要な作業のはず。
登場人物の心情が全く理解できず、ずっと距離が遠いままってのはマズいでしょ。ハードボイルド映画でも犯罪映画でもないんだし。省略技法を多用している一方で、「それってホントに必要かな?」と感じるシーンがあったりする。
例えば笑子が瑞穂と公園で会い、睦月が瑞穂の幼い娘と遊ぶシーン。
ここでは瑞穂が「せいぜい幸せにしてもらいなさい」と言ったり、笑子が幸せそうに微笑んだりという描写がある。
だが、そこに「ホントは問題を抱えているけど笑子は幸せ一杯であるように装う」というのが透けて見えればともかく、そんなのは見えないし、そこでの笑子の心情は何も伝わって来ないので、そのシーンの必要性が分からない。睦月と紺がアパートでキスを交わして肉体関係を持つシーンにしても、やはり何のために持ち込まれているのかサッパリ分からない。
単純に、「そういうのを期待しているヤオイな人々へのサービス」ということなのか。
そうだとしたら、まだ理解できる。そうでなければ、全く必要性が分からない。
少なくとも、有効には機能していない。
テンポを作るための捨てゴマ的なシーンとしては長すぎるし、そこでの睦月と紺の心情が見えて来るわけでもないし、後の展開にもスムーズに繋がっていないし。例えば、睦月と紺がアパートで肉体関係を持つ描写があって、その次に上機嫌の紺が笑子を訪ねるという流れになっていれば、シーンとシーンがスムーズに繋がっていると感じただろう。
例えば、瑞穂と会って睦月が娘と遊ぶシーンの後に、笑子が「抱いて」と睦月に絡む流れになっていれば、これもスムーズだと感じただろう。
しかし、そういう構成ではない。
だから、なぜ紺がハイテンションで笑子を訪ねるのか、なぜ笑子が悪酔いして「抱いて」と絡むのか、その心情が良く分からないのだ。紺が家に来て笑子と仲良くしているのを見た睦月が苛立つのは理解できる。睦月の態度に笑子が腹を立てるのも良く分かる。
しかし、笑子に「楽しかった」と告げて家を出た紺がファストフード店に立ち寄った際、騒いでいる若者グループの近くの席で歌い出し、注意した店員に掴み掛かって「そっちの奴らを注意すべきじゃないのか」と声を荒らげるのは、何に苛立っているのかサッパリ分からない。
単純に、その若者グループにイライラしていただけではないはず。
だが、笑子や睦月と絡んだ中で、どこに苛立ちのポイントがあったのかは全く分からないのである。そりゃあ実際の生活では、「何かきっかけがあった直後に、それに関連する行動を起こす」というケースばかりではない。
以前にあった出来事が数日後の行動に繋がるとか、何のきっかけもないのに急に意外な行動を取るとか、そういうことはあるだろう。
でも、映画の場合、きっかけと行動を上手く繋げておかないと、物語はスムーズに流れない。そしてスムーズに流れないのは、得策ではないはず。
きっかけと行動に間隔を空けるにしても、「あれが原因だな」と観客が容易に理解できる形にしておいた方がいいはず。笑子は急に「抱いて」と言い出したり、「あんまり根詰めない方がいいよ」と声を掛けた睦月に不機嫌そうな態度を示して嫌味を言ったり、瑞穂に電話を掛けて泣きながら「睦月が優しいの。今日は電話くれないかも」と言ったり、紺に向かって不意に「海に行ってみない」と持ち掛けたりする。
その時の彼女の心情は、まるで分からない。
そういうのを全て「情緒不安定だから」ということで済ませているのだとすれば、そりゃ厳しい。
とてもじゃないが、付いて行けない。結局、笑子の方は睦月に依存しているだけにしか見えないし、睦月は笑子に同情しているだけにしか思えない。
そういう関係で結ばれるパートナーシップがあっても罪ではないが、結婚という形態を取るのであれば、それは偽装としか受け取れない。本当にあるべき「夫婦」としての姿とは感じられない。
そんな2人より、真相を知って激怒する忠志の方が、遥かに共感できる。同性の恋人がいるのに平気な顔で「このままでもいいと思ってます」と言えちゃう睦月は、卑怯な奴にしか思えない。
そんで結局、問題は何も解決しないままなのに、まるで全て丸く収まったかのように映画を終わらせちゃってるけど、それは風呂敷を畳まずに放り出しているだけだよ。(観賞日:2014年8月6日)