『記憶にございません!』:2019、日本

ある夜、黒田啓介が病院のベッドで目を覚ますと、頭に包帯が巻かれていた。彼が廊下に出ると黒いスーツの男たちが待機していた。そのリーダー格である古賀が「あっ」と言って歩み寄ろうとすると、黒田はパジャマ姿のまま慌てて逃げ出した。彼が街を歩いていると、通り掛かった酔っ払いの中年サラリーマンが「おい、お前」と告げた。黒田は「御存知なんですか。僕のこと」と言い、記憶が無くなって自分が誰か分からなくなっていることを説明した。するとサラリーマンは、「お前のせいでな、幾ら働いても金が貯まらねえんだよ。消費税を引き上げるからだ」と文句を浴びせた。
黒田がサラリーマンに掴み掛かられて困っていると、古賀たちが駆け付けた。黒田はサラリーマンを突き放し、その場から逃亡した。食堂に入った彼が食事を取っていると、テレビでは内閣総理大臣の黒田啓介に関するニュースが報じられていた。スピーチの最中、聴衆に罵声を浴びせた黒田は投石を受け、昨日から入院していた。黒田は平成史上最低の総理と呼ばれ、内閣支持率は2.3パーセントを記録していた。鏡に映る自分の顔を見た黒田は、自分の正体に気付いた。
食堂を出た黒田は、通り掛かった警察官の大関平太郎に連行される。黒田が総理大臣だと説明しても大関は信じず、だったら自分を昔から夢だったSPにしてくれと告げる。黒田の顔をまじまじと見つめた彼は、「確かに似てるな」と口にした。そこへ古賀たちが駆け付け、車に黒田を乗せて去った。首相秘書官の井坂とは脳外科医の戸波を呼び、黒田を診察してもらう。戸波は井坂、事務秘書官の番場のぞみ、秘書官補の野々宮万作に、黒田は政治家になってからの記憶が抜け落ちていることを説明した。
井坂は番場と野々宮に、しばらくは黒田の記憶喪失をトップシークレットにすると告げた。黒田の妻の聡子は何でもマスコミに喋るため、井坂は彼女にも内緒にすることを決めた。井坂は黒田に総理大臣として振る舞うよう指示し、彼が丁寧な言葉で話すことを気味悪がった。内閣官房長官の鶴丸大悟が秘書官の八代を伴って様子を見に来たので、井坂は黒田に記憶喪失を隠して会うよう告げた。黒田は無言で対応し、鶴丸は全く気付かずに去った。
番場は総理公邸へ黒田を連れて行き、息子の篤彦、料理人の寿賀、妻の聡子と義兄の鰐淵影虎について教えた。黒田が礼を言うと、番場は初めての体験に驚いた。番場が去った後、1人になった黒田の携帯が鳴る。黒田が電話に出ると、男が「近々、会いたいんだが」と告げる。黒田は誰か分からずに困惑するが、相手は電話を切ってしまった。就寝しようとした聡子は、黒田に後ろからハグされて驚いた。黒田が寝室に行くと夫婦のベッドは別々で、かなりの距離が取られていた。
翌日、黒田は井坂から、ぶら下がり取材を受けるよう指示された。黒田は狼狽するが、井坂は復帰したことだけ告げて終わらせればいいと告げる。黒田は記者たちの前に行き、復帰して元気になったことだけを話す。井坂は早々に取材を打ち切り、黒田を連れて去ろうとする。記者たちが食い下がって次々に質問を浴びせる中、1人の女性が転倒してしまう。黒田は女性を起こして気遣うが、今までに無かった行動をマスコミは不気味に感じた。その様子を、フリーライターの古郡祐が離れた場所から観察していた。
黒田は閣僚の面々と会い、拍手で迎えられた。財務大臣の森崎に「例のアレはアレで進めましょうか」と確認された彼は、何も分からないまま「アレで」と話を合わせた。黒田が閣議に出席すると、鶴丸に促された厚生労働大臣の桜塚が謝罪した。何のことか分からない黒田が改めて説明するよう求めると、桜塚は国会を休んでフィリピンパブへ行っていたことを話した。外務大臣の牛尾は、翌月に米国大統領が来日することを話した。彼は英語が全く話せず、それでも外務大臣になれたのは鶴丸のおかげだと感謝した。
閣議を終えた黒田は、野党第二党の党首を務める山西あかねと会う予定を井坂から聞く。井坂は別件があると言い、番場に同行を指示した。黒田は山西の元へ向かう車中で、山西が同期で以前は同じ政党に所属していたことを番場から知らされた。井坂は公邸へ行き、不倫関係にある聡子と密会した。聡子は黒田が不倫の証拠写真を見たにも関わらず何も言って来ないことを話し、精神的に追い込むつもりなのだと井坂に告げた。山西と2人になった黒田は、彼女と不倫関係にあること、政党合併を提案されていることを知った。体を求められた黒田は、慌てて逃げ出した。
井坂は黒田の幼馴染で建設会社を営む小野田治と接触し、勘がいいマスコミが動き始めていることを話す。今度は黒田と直接会わないよう釘を刺した井坂は、小野田から大金の入ったスーツケースを受け取った。聡子がテレビ番組を収録していると黒田から電話が入り、食事に誘われた。聡子は困惑し、番場に代役を強要してスタジオを去った。番場は黒田に、聡子が税金を使ってバラエティーショー番組を作っていることを教えた。
井坂がスーツケースを持って戻ると、野々宮が中身を確認した。黒田が「いかがわしいお金みたいですけど」と告げると野々宮は「K2プランですよ」と何食わぬ顔で言い、井坂は「全て貴方が考えたことです」と述べた。黒田は訪ねて来た鰐淵に「自伝を書く」と嘘をつき、自分と聡子が結婚した経緯を教えてほしいと頼む。鰐淵は父親が総理大臣だったこと、自分は政治が苦手だったので後継者になるのを避けたことを話す。同じ派閥に所属していた黒田が聡子と結婚し、父が後継者に指名したのだと鰐淵は説明した。
井坂は聡子との不倫関係を知っている番場に、「彼女とは本気じゃない」と言う。彼は自分より劣った黒田が総理でいるのが許せず聡子と関係を持ったこと、上手く黒田を使って好きなことをやるつもりであることを語った。黒田は古郡から電話を受け、古賀を伴ってバーで密会した。古郡は黒田が手ぶらだと知り、「アレがバレたらおしまいだよ。なんで金を持ってこないんだ」と呆れる。黒田は探りを入れ、古郡が聡子の浮気写真を自分に渡したこと、彼がメモリースティックを持っていること、2千万円を支払うと約束したことを知った。帰宅した黒田は書斎を調べるが、写真は見つからなかった。
篤彦は未成年なのに夜遊びで飲酒し、警察に補導された。井坂は啓介に知らせず、警察署へ迎えに行った。井坂は表沙汰にならないよう、警察に手を回した。啓介に迷惑を掛けないよう井坂が諌めると、篤彦は反発する態度を見せた。黒田はミスしらたきの訪問を受け、笑顔で記者たちの写真撮影に応じた。黒田が去ろうとすると、農家の面々が来てさくらんぼを食べてほしいと頼む。井坂は立ち去るよう要求するが、黒田は勝手にさくらんぼを食べた。後で黒田は井坂から、「あれをやられると他の陳情も全て行ってしまうんです」と怒られた。黒田は落ち込み、「やっぱり続けて行くのは無理だ。辞任します」と漏らした。
番場は黒田に、もう少し続けるよう促す。黒田が政治について何も知らないことを吐露すると、番場は「これから学べばいいんです」と告げる。投石犯が捕まったという連絡が番場に届くと、黒田は呼んでほしいと頼んだ。彼は犯人の南条実と会い、投石の理由を訊く。南条は80歳を過ぎても鳶職をやっていた松爺が足場から落ちたこと、3年前から生活保護を受けていることを話し、「アンタは生活保護の金額を下げようとしてる。苦しんでる者の生活を見ていない」と黒田を批判した。黒田は投石に感謝していることを語り、「貴方のおかげで生まれ変われるチャンスを貰えた。今の言葉も胸に染みました」と礼を述べた。
黒田は番場に頼み、小学校時代の担任だった柳友一郎を呼び出してもらった。彼は柳に記憶喪失を明かし、政治の勉強をやり直したいので教えてほしいと依頼した。柳は黒田に政治の授業を行い、番場も隣で聴講した。井坂は電話を受け、政治献金を受け取りに向かう。番場が献金を断ったのではないかと尋ねると、井坂は「全て総理の考えだ」と告げた。黒田は山西の元へ行き、別れを告げた。彼が以前とは別人のようになったと感じた山西は、「つまんない男」と彼を追い払った。
黒田はレストランを予約し、家族3人で夕食を取ることにした。SPが警備のために同行すると、黒田は彼らのために食事を手配した。店長は黒田が来ると知り、店を貸し切りにしていた。黒田は聡子と篤彦に「僕は生まれ変わったんだ」と元気に宣言するが、2人の名前を間違えたこともあり、まるで信用されなかった。黒田は井坂に、力になってほしいと要請した。「貴方一人が動いたところで何も変わりはしない」と井坂は言うが、それでも彼は食い下がった。すると井坂は、K2プランを即刻中止できれば考えると告げた。
K2プランとは、黒田が小野田と組んでスーパー銭湯付きの第2国会議事堂を作ろうとする計画だった。既にプロジェクトは水面下で進行していたが、黒田は小野田と会って中止を通告した。小野田は激しく抗議するが、「貴方を悪者にしたくないんだ」という黒田の言葉で中学時代の出来事を思い出す。彼は感動し、計画の中止を承諾した。井坂は黒田に、鶴丸が政治の中心にいる限りは何も変わらないと説明した。鶴丸を失脚させるには恐れない人間の手助けが必要だと聞いた黒田は、古郡に頼むことを思い付いた。
井坂は黒田に、鶴丸の反撃が来る前に先手を打つ必要があると話す。彼は黒田に、問題になっている事案について会見で謝罪するよう依頼した。黒田は会見を開き、自身の暴言や嘘を全て謝罪した。彼は古郡を呼んで記憶喪失を打ち明け、鶴丸の弱みを掴んでほしいと頼んだ。黒田が報酬を提示すると、古郡は協力を引き受けた。古郡は黒田に、かつては報道記者だったこと、大きなスクープを掴んだが金に転んで握り潰してしまったことを語った。
米国で初の女性大統領であるスーザン・セントジェームス・ナリカワが来日することになり、英語の全く話せない黒田は井坂たちに不安を吐露した。そこで井坂は、「ミー・トゥー」の一言で乗り切るよう告げた。スーザンは通訳のジェット・和田を同伴し、黒田と面会した。同席した聡子が流暢な英語で話す中、黒田は「ミー・トゥー」と愛想笑いに終始した。「翌日のゴルフを楽しみにしています」とスーザンに言われた黒田だが、クラブの握り方さえ忘れていた。そこで彼はゴルフの得意な鰐淵に事情を打ち明け、1日でコーチしてもらう。翌日、黒田はゴルフ場へ行き、スーザンや鶴丸たちとゴルフをする…。

脚本と監督は三谷幸喜、製作は石原隆&市川南、プロデューサーは前田久閑&和田倉和利、共同プロデューサーは岡田翔太、録音は瀬川徹夫、照明は小野晃、撮影は山本英夫、美術はd木陽次、編集は上野聡一、衣裳デザインは宇都宮いく子、音楽は荻野清子。
中井貴一、ディーン・フジオカ、石田ゆり子、小池栄子、斉藤由貴、木村佳乃、吉田羊、山口崇、草刈正雄、佐藤浩市、藤本隆宏、有働由美子、田中圭、迫田孝也、後藤淳平(ジャルジャル)、濱田龍臣、ROLLY、梶原善、寺島進、宮澤エマ、飯尾和樹(ずん)、小林隆、市川男女蔵、小澤雄太(劇団EXILE)、近藤芳正、阿南健治、栗原英雄、川平慈英、天海祐希、本間憲一、久慈暁子、長島琢磨、望月章男、内村遥、鈴木祥二郎、宮澤寿、坂本コウルド、真山勇樹、今井一樹、鯨井智充、末吉可弥、阿部洋斗、坂川良、門田学、甲斐この美、中川わさ美、高畠麻奈、辻本伸太郎、本間優太、港谷順、田中秀樹、藤江美由紀、重松希美、中村優里、加瀬谷直、岸大介、塩崎竜海、高瀬英璃、光永聖、寺田ムロラン、石鳥孝明、伊勢村圭太、坪井一春ら。
声の出演は山寺宏一。


『清須会議』『ギャラクシー街道』の三谷幸喜が脚本と監督を務めた作品。
黒田を中井貴一、井坂をディーン・フジオカ、聡子を石田ゆり子、番場を小池栄子、寿賀を斉藤由貴、スーザンを木村佳乃、山西を吉田羊、柳を山口崇、鶴丸を草刈正雄、古郡を佐藤浩市が演じている。
他に、古賀を藤本隆宏、夜のニュースキャスターを有働由美子、大関を田中圭、野々宮を迫田孝也、八代を後藤淳平(ジャルジャル)、篤彦を濱田龍臣、鱒淵をROLLY、小野田を梶原善、南条を寺島進、和田を宮澤エマが演じている。中年サラリーマン役で近藤芳正、定食屋の店長役で阿南健治、スナイパー役で川平慈英、ドラマ「女西郷」主演女優役で天海祐希が出演している。
フジテレビ開局60周年記念作品。

黒田は古賀が「あっ」と言って歩み寄ろうとした時に慌てて逃げ出すが、その行動に違和感を覚える。記憶を失っているのに、なぜ自分を知っていると思われる彼らに何も質問しようとせず逃げ出すのか。
ただし、古賀にしても、「あっ」と口にしただけで無言のまま黒田に近付くのは不自然だ。
「黒田が逃げ出す」という状況を作り出すために、双方の行動を不可解なモノにしている。
古賀たちは黒田をすぐに追い掛けたのに、見失っているのも変だ。黒田は病院を出た後、すぐ歩き出しているぐらいなのに。

黒田は中年サラリーマンから逃げた後、食堂で夕食を取っているが、これも不可解だ。お金なんて持っていないでしょうに。
そもそも、彼は自分が何者か分からずに困っているんだから、まずは交番にでも駆け込んだ方が良くないか。そういうことを思い付かず、食堂に立ち寄るのは不可解だ。
黒田は食堂のテレビを見て自分の正体に気付いているので、店長に「僕が誰か分かりますか」と尋ねるのも不可解だ。
店長は最初から黒田の正体を知っているので、食事を食わせておいて「金は要らん。早く出てってくれ、迷惑だと」追い出すのも不可解だ。ホントに不愉快だと思っているのなら、店に入ってきた時点で追い払えばいいでしょ。

内閣支持率は2.3パーセントなのに黒田が総理大臣を続けているってのは、現実的に考えれば絶対に有り得ない。
所属する政党からしても、そんな奴を総理に担いでいたら選挙で自分たちも落選する恐れがあるし、野党に転落するかもしれない。
だから、そこまで支持率が低下する前に、黒田を切り捨てるだろう。それでも黒田を支えていこうとする奴なんて、ほぼ存在しないだろう。
ただ、これはリアリティーを求めるタイプの作品ではないので、そこは嘘まっしぐらでも一向に構わない。

ただし、「なぜ内閣支持率2.3パーセントの黒田を周囲の面々が降ろそうとせず、支え続けるのか」という部分については、ちゃんとした理由を用意しておくべきだ。
これは必要不可欠な作業だと断言していい。
その理由がデタラメであろうと、現実離れしてしても、それは別にいいのだ。重要なのは、「何でもいいから理由を用意する」という作業だ。
「記憶喪失を内緒にする」という部分についても、もう少し何か理由の説明が欲しいところだ。
その辺りに何も用意されていないのは、ただの手抜きにしか思えない。

黒田は政治家になってからの記憶が抜け落ちている設定だが、ってことは嫌われる理由となった「傲慢で人を見下したな言動」とか「女性蔑視」といった要素は政治家になるまで見られなかったことになる。記憶を失ってからの黒田は、そういう奴じゃないからね。
でも、それは人間の本質的な部分でしょ。「政治家になってからそんな奴になった」ってのは、ちょっと無理があるんじゃないか。
急に変貌したってことなら、よっぽど大きなきっかけでも無きゃダメだけど、特に何も用意されていないのよね。
あと、黒田は「子供の頃の記憶は確実にある」と診断されているので、そうなると目が覚めてから「僕は誰なんでしょう」と人々に質問していたのは筋が通らないよね。総理大臣であることは分からなくても、自分が黒田啓介という人間であることは覚えているんだからさ。

閣議のシーンでは桜塚が黒田に謝罪し、何をしたのか問われるとフィリピンパブへ行っていたことを話す。牛尾は鶴丸への礼を述べ、下手な英語で笑いを誘う。
このシーン、何の意味があるのか良く分からない。
閣議の後で黒田が「やっぱり無理があると思うんだよな」と吐露しているけど、「記憶喪失のまま総理の仕事を続けるのは無理」と感じるような出来事なんて閣議では何も起きていないでしょ。
他の面々が変に存在感をアピールしている間、黒田はほとんど傍観しているだけだ。

さくらんぼ農家の面々が黒田の元へ来るシーンがあるが、そこまで無許可で入って来られるのは変だろ。
どんだけ国会の警備はユルユルなのかと。古賀が制止に入り、井坂が帰るよう指示しているけど、その前の段階で止めておくべきでしょ。
あと、黒田って国民の嫌われ者で、内閣支持率も2.3パーセントまで落ちているんでしょ。それにしては、さくらんぼ農家の態度に「黒田を嫌っている、憎んでいる」という様子が皆無なのよね。
さくらんぼを黒田が美味しそうに食べても、それを不思議そうに思う気配も無いし。

番場は総理を辞めると言い出した黒田に、「記憶を無くした総理大臣にしか出来ないことだってあると思うんです」と言う。
でも、そんなモノは無いと思うよ。
番場は「以前の記憶が無いからこそ、新しい政治が出来る」と話すけど、そもそもドイヒーな人間じゃなかったら、最初から国民のためになるように政治をやれるわけで。
なので、それは番場の主張する「記憶を無くした総理大臣にしか出来ないこと」とは言えないと思うのよね。

南条が逮捕された時、黒田が会いに行くならともかく、自分のトコへ呼び出しているのはリアリティーを逸脱している。
前述したように、徹底したリアリティーが必要なタイプの映画ではないのよ。ただし、じゃあ何でも有りなのかっていうと、それは違うわけで。ある程度のリアリティー・ラインってのは必要なはずで。
政治を扱っていることを考えると、そこは繊細に考えなきゃいけない部分もあるはずで。
この映画は、その線引きとなる「あたかもリアリティー」すら構築できていないのよ。

柳は記憶を失う前の黒田、つまり内閣支持率2.3パーセントだった頃の黒田について、「個性的でいいと思っていましたよ。この国の人間は、枠に収まらない人間をすぐに排除しようとする」と語る。
でも以前の黒田は「個性的」とか「枠に収まらない」というレベルじゃなく、ただの酷い奴だったのよ。「態度は横柄だが政治家としては優秀」とか「口は悪いけど言ってることは正しい」ってことではないのよ。
そんな奴を肯定しちゃったら、「変わる必要はない」ってことになっちゃうでしょ。
「今の日本では誰がやっても同じ」と柳は言うけど、そんなことはねえよ。そういう設定だとしたら、話が根幹から変わって来ちゃうでしょ。

全てのシーンを、荒唐無稽な喜劇として演出しようとするのは分からんでもない。
ただ、黒田が聡子と篤彦に「僕は生まれ変わったんだ」と宣言するシーンで、2人の名前を間違えたり、篤彦が未成年なのを分かっていなかったりするのはダメでしょ。「何も成長していない」と言いたくなるぞ。それだと「生まれ変わる」という言葉の真剣さも薄れるよ。
聡子と篤彦の名前も、篤彦が未成年なのも、事前に調べておけば簡単に分かることであって。「家族と向き合って関係を再構築したい」と本気で思っているのなら、それぐらいのことは絶対にやるべきでしょ。
そこを怠っているのに「生まれ変わる」と言われても、「いや嘘じゃん」と。
目先の笑いを取りに行って、黒田の誠実さが無くなっちゃうのはマズいでしょ。

黒田がK2プランの中止を通告した時、小野田が簡単にOKしちゃうのは「なんでだよ」とツッコミを入れたくなる。
いっそのこと、黒田が切り出した途端、あっさりと「いいよ」とOKするぐらい淡白だったら喜劇として成立した可能性はあるが、「小野田は抗議するけど黒田の言葉に感動して承諾する」という手順を踏むと、それも消える。小野田は「中学時代に殴り込みを掛けようとした時も同じように止めてくれた」と言うけど、ただ「笑えないし呆れる」というだけのエピソードになっている。
あと小野田は黒田について「嘘ばかりでクラスの嫌われ者だった」と評するけど、ってことは「政治家になってから腐った人間になったわけじゃなくて、昔から性根は変わっていない」ってことになっちゃうだろうに。
その頃の記憶は残っているんだから、「黒田は政治家としのて記憶を失って生まれ変わっても、嘘つきで嫌われ者なのは同じ」ってことになっちゃうでしょうに。

黒田はスーザンに、アメリカンチェリーの一方的な関税の引き下げは拒否すると告げる。それを知った鶴丸は激怒し、スーザンも共同会見で「傲慢で不愉快な人間だ」と評する。
さて、この外交問題を黒田はどうやって解決するのかと思っていたら、直後にスーザンが「それは素晴らしいこと。言いたいことを言える関係であるべきだ」と黒田を称賛する。
つまり「そもそも問題は起きていなかった」ってことで片付けているのだが、なんちゅう安易な解決方法だよ。
笑いにも繋がっちゃいないし、ただ楽しているだけにしか思えんわ。

終盤、黒田は鶴丸の弱みを握って退任に追い込み、後任の官房長官に鱒淵を起用する。警備の強化が決まると、新しいボディーガードに大関を起用する。
そういうのって完全に公私混同って言うか、褒賞人事だよね。そういうのって、黒田が否定すべき「悪しき政治」の一端じゃないのか。
まだ大関はともかく鱒淵に関しては、何の経験も無い男を急に官房長官に抜擢しているわけで。それは絶対にダメでしょ。
それを周囲の人間が許しちゃうのも不可解だし。

井坂と聡子の不倫関係を暴露する写真が雑誌に掲載されると、黒田は火消しのために記者会見よりもインパクトの強い方法を選ぶ。
彼は山西に協力してもらい、党首討論の場で不倫問題を糾弾してもらう。その上で黒田は時間を貰い、カメラに向かって聡子に愛を訴えて関係の修復を求める。これで黒田と聡子の関係は修復され、この一件落着となる。
だけど、「そんなことに党首討論の場を利用するなよ」と言いたくなるわ。
コメディーではあっても、それは違うなあと。

(観賞日:2020年12月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会