『君を忘れない』:1995、日本

1945年、蓑屋航空基地。若き海軍大尉・望月晋平は、海軍史上最年少で総司令部入りしたにも関わらず、自ら志願して前線に戻り、隊長と なって302特別飛行隊を編成した。部下として集まったのは、海軍兵学校時代の望月の後輩・上田淳一郎少尉、水を飲んでも太ってしまう 肥満体の高松岩男一飛曹、東京帝大出身の早川乙彦少尉、優秀な戦績を残している三浦草太少尉、音楽を愛しハーモニカやピアノを演奏 する佐伯正義少尉、整備兵上がりの森誠一飛曹という面々だ。
初めて顔を合わせた彼らは自己紹介をするが、上田が望月に対して生意気な態度を取る。海軍大将である父・昌平に呼び出された望月は、 前線に戻った理由を「総司令部には自分の仕事が無いことが分かったから」と述べた。特攻作戦に批判的な望月だが、「上の決定には 従います」と答える。その後、彼は「ただし、やるからには犬死はしません。確実な戦果が確信できるまで出撃するつもりはありません」 と付け加えた。
訓練が続く中、高松と森は三浦から、上田が隊長として2度の特攻に出撃し、いずれも戻ってきていることを聞かされる。上田は、何かに 付けて望月に反抗的な態度を取る。上田は望月の別れた恋人・志津子に想いを寄せており、「逃げたんでしょ。あなたは人の気持ちを平気 で踏みにじった」となじる。早川は連れられて行った遊郭の娘・緑と恋に落ちる。
望月は、志津子からの手紙を受け取った。彼女は故郷を離れて集団疎開で岡山の小さな村に移り、分校の教師として働いていた。望月は父 に呼び出され、総司令部からの帰還命令を告げられるが拒絶した。「そんなに大事なのか、あんな隊が」と問われた望月は、「後悔して ますよ、あなたの息子に生まれたことを」と告げて立ち去った。
戦火はますます激しくなり、沖縄守備隊は全滅した。出撃命令を要求する三浦に、望月は「まだ訓練は途中だ」と淡々と告げる。気分転換 に居酒屋へ出掛けた飛行隊の面々は、彼らを目の敵にする海軍古参兵に絡まれる。彼らはケンカを始めるが、望月の親友・小沢啓二が制止 した。将来の海軍を背負う優秀な人材と言われていた小沢だが、特攻隊に選ばれたために横須賀から移って来たのだ。
7月1日からの3日間、望月は飛行隊の面々に休暇を与えた。いよいよ出撃が迫ったということだ。三浦は秋田から祖母を呼び寄せ、 早川は遊郭へ赴いて緑と会う。森は女学生の瑞穂と出会い、上田と高松は基地に留まる。佐伯は妻子に連絡するが、なかなか現われない。 休暇の最後の夕方、ようやく妻子が現われ、佐伯はハーモニカを演奏して聞かせた。
特別飛行隊は特別攻撃隊に編成され、7月10日に出撃することが決定した。望月は隊員に対し、沖縄へ飛んでアメリカ第3艦隊に特攻する ことを告げる。早川は夜中に隊を抜け出し、緑の元へと行く。緑に「一緒に逃げて」とせがまれた早川は、脱走兵として古参兵に捕まって しまう。望月は「自分の使いで町に出した」と嘘をつき、早川を庇った。望月は出撃に際し、戦果確認機として一機を戻すよう父から 命じられていた。「お前が戻れ」と指示された望月だが、考えた末に佐伯を選んだ…。

監督は渡邊孝好、脚本は長谷川康夫、製作は古川博三&伊地知彬、企画は小滝祥平&遠谷信幸、プロデューサーは 市村朝一&藤田義則&馬越勲、エグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮は間違い)は坂上直行&田中迪、 撮影は高間賢治、編集は奥原好幸、録音は橋本文雄、照明は上保正道、美術は金田克美、特撮監督は徳永徹三、音楽は長岡成貢、 音楽プロデューサーは鎌田俊哉。
出演は唐沢寿明、木村拓哉、松村邦洋、袴田吉彦、反町隆史、池内万作、堀真樹、長塚京三、高嶋政宏、水野真紀、戸田菜穂、渋谷琴乃、 平田満、大河内浩、森下桂、鼓太郎、毛利賢一、鈴木耕司、根岸大介、唐沢民賢、伊藤公紀、吉満涼太、三浦了、東恵美子、中島陽子、天野玖美、窪園純一、島ひろ子 、成瀬労、清水進一、松本航平、北村淳一、蛭田有希子、鈴木智子、宮代香織、芳林由香、町田恵美、小島知津子、寺本愛、山田聖子、 岩澤初香、津田健次郎、松永知巳、村上英樹、笹本英希、田中淳一、新国厚、御園生智美、塚越義晃、高橋志朗、横山浩幸、松永太郎、 後藤浩基、酒井郷博ら。


『エンジェル 僕の歌は君の歌』の監督&脚本家が再びコンビを組んで手掛けた戦争映画。
望月を唐沢寿明、上田を木村拓哉、高松を松村邦洋、早川を袴田吉彦、三浦を反町隆史、佐伯を池内万作、森を堀真樹、望月の父を長塚京三、小沢を高嶋政宏、緑を水野真紀、 志津子を戸田菜穂、瑞穂を渋谷琴乃が演じている。
1995年は第二次世界大戦が終わって50年ということで、幾つかの戦争映画が製作されたが、その内の1本である。

この映画の特徴としては、「歴史的リアリティーを度外視している」ということが挙げられる。
ロングヘアーを束ねた隊員(木村拓哉)もいれば、肥満体の隊員(松村邦洋)もいる。ロングヘアー以外の面々の髪型も、現代的でオシャレなイメージを残しているし、口調も現代的だ。
隊員たちは見た目だけでなく、中身も現代的に味付けされている。
上官に対して簡単に歯向かう奴らばかりだし、女にモテたいという理由で飛行機乗りになった奴もいる。
酒やタバコをやたらと口にするのも、第二次世界大戦を描いた作品としては違和感がある。
本作品に登場する若者たちは、どう頑張っても「第二次世界大戦末期の特攻隊員」には見えない。

隊員の姿が歴史考証からすると大きく外れていることが、公開当時は批判の対象となった。
しかし、この映画がターゲットにしている観客層を考えてみよう。
配役からして、明らかにターゲットはアイドルにワーキャーと騒ぐような若者だ。
そして、そういった若者の大半は、「第二次世界大戦当時の日本兵が長髪や肥満体」ということにリアリティーがあるのかどうかなんて知らない。
そういった若者たちに対して、50年前の兵士を身近な存在として感じさせるために、あえて現代風の姿にしたのかもしれない。

ただし、その部分を好意的に解釈するためには、現代風の兵士たちを使って第二次世界大戦をどう描くかに懸かっている。
しかし、序盤に訪れる基地の空襲シーンからして、早くも「軽い」という印象を受ける。
各人の中身にしても、例えば上田は特攻で二度も出撃しながら戻っているのだが、そこにある苦しみは全く見えない。
三浦は「目の前で次々と仲間が死んでいくのを見てきた」と訴えるが、それまでの様子には、そんな苦しみを抱えている素振りは全く見られなかった。

「どのように伝えるのか」という以前に、この映画には「戦争の意味」を描こうとする意識が薄弱なのだ。
ただ軽薄に戦争を描いているとしか思えない。
なぜ彼らは命を懸けた特攻作戦に参加するのか、どういう理由で死ぬ覚悟を決めたのか、それがサッパリ分からない。
何のために命を落とすのか分からず特攻することの不条理を伝えようってわけでもない。
終盤に望月が演説をぶつが、何が言いたいのか良く分からない。どうやら「守るべき何か」があるらしいが、それが何なのかは具体的には教えてくれない。

製作サイドには、「青春映画として見せたい」という意図があったのかもしれない。
だったら戦局悪化の前から話を始めて、「夢や希望に満ち溢れていた若者たちが、戦争によって死に追いやられる悲惨さ・残酷さを浮き彫りにする」という方法も取れただろう。
既に戦況は悪化しており、最初から「特攻」が見えている中で「爽やかでキラキラと輝いている青春」を見せようとしても、そりゃ無理がある。

もう戦況は悪化して特攻作戦も始まっているというのに、隊員は浮かれた様子を見せている。
特攻作戦に向けた訓練の中でも、隊員たちに緊迫感や悲壮感は薄い。
「束の間の喜びや笑顔」ではなく、ずっと緩和の中にある。
これから人を殺しに行く、そして自分にも死が約束されているという状況にも関わらず、彼らは楽しくやっている。
まるで現実が分かっていないかのようだ。

戦闘機で訓練をする場面が何度も登場するが、「抜けるような青空が雄大に広がる中を優雅に飛んでいく」という感じで、飛行機で空を 飛ぶことのカッコ良さや素晴らしさをアピールするかのようだ。
それが「実際に特攻として出撃する時は全く違うものだ」というギャップに繋げるための前フリになっているのかというと(だとしても明るすぎるが)、そうではない。
出撃の朝でさえ、彼らは余裕があって楽しそうにしている。
いよいよ飛行機に乗り込むという場面になっても、軽快で爽やかな音楽が流れる中、彼らは笑顔を浮かべて出撃していく。
それが悲しみや切なさを秘めた明るさや爽やかさではなく、芯からのモノになっている。戦争の無常を浮き上がらせるための対比になっているわけでもない。
なぜ、そんなに爽やかに笑って特攻していけるのか。
この映画の問題点は、隊員の現代的な「見た目」にあるのではない。
あまりに軽薄で陳腐な「中身」の問題だ。

 

*ポンコツ映画愛護協会