『君たちはどう生きるか』:2023、日本
戦争の3年目、眞人は火事で母のヒミを亡くした。4年目、彼は父の勝一と共に東京を離れた。勝一は新たな軍需工場を営むことになり、眞人は母方の実家で暮らすことになった。勝一が眞人を伴って田舎町の駅を出ると、再婚相手の夏子が迎えに来た。夏子はヒミの妹で良く似ており、勝一の子を妊娠していた。勝一は工場へ向かい、眞人は夏子の案内で屋敷へ向かった。屋敷に着いた彼は、青サギを目撃した。屋敷ではあいこ、いずみ、うたこ、えりこなど7名の婆やと老いた下男が働いていた。
敷地内には古い母屋とは別に洋館があり、その2階が眞人の部屋に当てられた。青サギが敷地内の塔に入るのを見た眞人は追い掛けようとするが、入り口は塞がれていた。何の建物かと訊かれた夏子は、母の大伯父が建てた塔だと答えた。大伯父は頭が良くて、本を読み過ぎて変になった。読みかけの本を残し、姿を消した。大水で母屋と繋ぐ回廊が落ち、地下に通路のようなトンネルがあることが判明した。危険なので祖父が入り口を塗り潰し、入れなくした。夏子は眞人に、近付いてはいけないと忠告した。
翌朝、戦争が続いて工場が多忙な勝一は上機嫌で、眞人をダットサンに乗せて学校へ送っていく。他の男子たちに目を付けられた眞人は、帰り道で喧嘩を吹っ掛けられた。怪我を負った眞人は1人になってから石を拾い上げ、自分のこめかみを殴り付けた、彼が大量に出血して帰宅したため、夏子と婆やたちは慌てて手当てした。勝一から誰にやられたのかと訊かれた眞人は、転んだだけだと説明した。部屋の窓際に青サギが来て「眞人、助けて」と言うと、眞人は怒って追い払った。
翌朝、眞人は部屋を抜け出し、木刀で青サギを殴ろうとする。攻撃をかわした青サギは、「お前は何者だ。ただの青サギじゃないだろう」と眞人に言われて母親の元へ案内すると告げた。眞人が「母さんは死んだんだ」と言うと、青サギは死んでいないと否定した。青サギは遺体を見ていないだろうと指摘し、母が助けを求めていると眞人に語った。湖の魚たちは声を揃えて呼び掛け、蛙の群れが眞人の体を覆い尽くした。夏子が矢を放って威嚇すると、青サギは「お待ちしておりますぞ」と眞人に言い残して飛び去った。
夏子はつわりで寝込んでしまい、眞人は父や婆やから顔を見たがっているので見舞いに行ってほしいと頼まれる。眞人は夏子の部屋に行き、何の感情も込めず「早く良くなって下さい」と冷ややかに告げた。彼は密かに煙草を盗み、早々に部屋を去った。彼は下男に煙草を渡し、弓矢の作り方を教えてもらった。母のヒサコが自分に残してくれた吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』を見つけた眞人は、それを読んで涙を流した。
眞人は夏子がいなくなったことを婆やのキリコから知らされ、サギ男が関与していると確信して森へ向かった。塔の裏口から「お待ちしておりました」とサギ男の声がしたので、眞人は「罠です」と反対するキリコを引き連れて中に入った。サギ男は「貴方の母上です」と言い、ソファーに寝かせた女を見せる。その姿は完全に母だったが、眞人が触れると溶けて液体になった。腹を立てた眞人が矢を放つと、逃げ回るサギ男を勝手に追った。矢はサギ男が被っている嘴に突き刺さり、眞人は彼の顔面に向けて次の矢を向けた。
眞人はサギ男を鋭く見据え、夏子の居場所を教えるよう迫った。すると塔の上に謎の男が現れ、サギ男に「お前が案内役になれ」と命じた。サギ男は「後悔しても知りませんぜ」と言い、眞人とキリコを床下の世界に引きずり込んだ。海辺で1人になった眞人は、「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれている墓の門を見つけた。ペリカンの大群に襲われた彼は、門を開けてしまった。そこへ若い女漁師となったキリコが駆け付け、ペリカンの大群を追い払った。
キリコは眞人を船に乗せ、海に出て巨大魚を捕る仕事を手伝わせた。眞人の名前を聞いた彼女は、死の匂いがすると告げた。遠くに見える大量の帆船の存在を眞人に教えたキリコは、「みんな幻だよ。この世界は死んでる奴の方が多いんだ」と述べた。帆船の船員たちが寄って来ると、彼女は「殺生が出来ないので魚を買い出しに来る」と眞人に説明した。ワラワラたちと暮らす島の洞窟に船を入れた彼女は、魚の解体を眞人に手伝わせた。
夜、ワラワラは次々に空へ舞い上がり、キリコは「上で人間に生まれる」と眞人に教える。そこにペリカンの群れが飛来し、ワラワラを食べ始めた。するとヒミ様が小舟から花火を打ち上げ、ペリカンの群れを追い払った。深夜、眞人は深手を負った老ペリカンを発見し、警戒しながら歩み寄った。すると老ペリカンは一族がワラワラを食うために連れて来られたこと、呪われた海であることを語って絶命した。サギ男が現れて夏子の元への案内を持ち掛けると、眞人は「自分で捜す」と断った。
眞人はサギ男に手伝わせて、老ペリカンを埋葬した。喧嘩になった眞人とサギ男はキリコから和解するよう諭され、一緒に夏子を捜しに行くよう促された。勝一は工場の従業員に眞人たちを捜索させるが、手掛かりさえ得られなかった。彼は婆やたちから、塔が人の作った物ではなく明治維新の少し前に空から落ちて来たのだと聞かされる。池の水が干上がって塔が建ち、それを発見した大伯父が周りを建物で覆った。大伯父は塔に姿を消し、ヒサコも少女時代に失踪した。しかし1年後には当時の記憶を失った状態で、元気に戻って来た。話を聞いた勝一は刀を携え、塔へ向かった…。原作・脚本・監督は宮ア駿、プロデューサーは鈴木敏夫、作画監督は本田雄、美術監督は武重洋二、色彩設計は沼畑富美子&高蜑チ奈子、撮影監督は奥井敦、編集は瀬山武司&松原理恵&白石あかね、音響演出・整音は笠松広司、録音は鈴木修二&山名康友、音楽は久石譲、主題歌『地球儀』作詞・作曲・歌は米津玄師。
声の出演は山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉、竹下景子、風吹ジュン、阿川佐和子、滝沢カレン、大竹しのぶ、國村隼、小林薫、火野正平、上原奈美、西村喜代子、綿貫竜之介、柳生拓哉、画大、飯塚三の介、川崎勇人、鈴木一希、土居正明、重田未来人、井下宜久、岡森建太。
2013年の『風立ちぬ』で長編映画からの引退を発表していた宮ア駿が、10年ぶりに原作・脚本・監督を手掛けた長編アニメーション映画。
タイトルは吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』と同じだが、内容は全く異なる。
眞人の声を山時聡真、サギ男を菅田将暉、キリコを柴咲コウ、ヒミをあいみょん、夏子を木村佳乃、勝一を木村拓哉、老ペリカンを小林薫、大伯父を火野正平、あいこを大竹しのぶが担当している。
アカデミー賞の長編アニメ映画賞、ゴールデン・グローブ賞のアニメ映画賞、英国アカデミー賞のアニメ映画賞など、数多くの映画賞を受賞した。タイトルは『君たちはどう生きるか』だが、中身からストレートに考えれば「俺はこう生きてきた」である。
この映画の登場キャラクターには、宮崎駿監督の周囲の人物が投影されている。
例えば青サギはプロデューサーの鈴木敏夫で、キリコは色彩設計として何作も組んで来た保田道世、そして大伯父が高畑勲だ。
宮ア駿にとって、鈴木敏夫は疎ましいけど時には助けてくれる存在で、保田道世は困った時に頼りになる大切な存在で、高畑勲は偉大すぎるが乗り越えなければいけない先輩ってことだ。そして眞人のモデルになっているのは、宮崎監督自身だ。これまで脇役に自身を重ねることはあったが、ハッキリと主人公に投影した作品は初めてだろう。
ある程度のキャリアを重ねた映画監督が自分語りの作品を撮ることは、昔から良くあった。そういう類の映画を、ついに宮崎監督も作ったわけだ。
それなりの地位を築いた監督は、一生に1本なら自分語りの映画が許されると個人的には考えている。
ただし宮崎監督の場合、本当に撮りたかったのかという疑問がある。
アイデアが枯渇し、描きたいテーマも無くなり、でも「映画を作りたい」という意欲だけは再び高まり、その結果として「他に手が無かった」という消去法だったんじゃないかと疑いたくなるのだ。宮崎監督は『もののけ姫』以降、完全にストーリーよりもイメージやモチーフを優先するようになった印象がある。
今回もザックリ言うと、モチーフのコラージュになっている。
作品を「大きな物語」として捉えて理解しようとすると、難解の濃霧に迷い込んでしまう恐れがある。
だから全体を見るのではなく、1つ1つのモチーフを切り分けて、その場その場でイメージとして感じる方が、きっと精神的な負担は軽減できるはずだ。眞人は周囲で不可思議な出来事が次々に起きても、ほとんど驚いたり慌てたりという反応を示さない。特に下の世界へ行ってからは、全ての現象を当たり前のように受け入れている。
これはメルヘンの世界の主人公としての動かし方だ。
本来のメルヘンとは、心的世界を構造化した物語だ。これは伝承的なメルヘンではなく創作メルヘンだが、宮崎監督の心的世界が描かれていることは間違いない。
宮崎流マジック・リアリズムの世界だが、何となくヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』を連想した。宮ア駿監督自身が「良く分からない」とコメントしているのだから、観客である我々が本作品を見て「良く分からない」と感じるのは当然のことだ。
どれだけ頭を捻って「こういう意味じゃないか、こういうことを言いたいんじゃないか」と推理しても、正解に辿り着くことは絶対に無い。
何しろ、正解なんて監督の中には存在しないわけだから。
詳しく考察したところで、所詮は「個人的な感想」に留まる。
そういった部分に関しては、なぜか宮ア駿は年を取ってから庵野秀明に近付いてしまったようだ。ともかく、描かれているのは宮崎監督の心的世界なのだから、本来なら明確な答えがあるはずだ。しかし監督本人が「良く分からない」と 公言している以上、究極を言ってしまうと精神分析医による診断やカウンセリングが必要な案件なのだ。
そして我々は、その方面の専門的な知識など持ち合わせていない。だから詳しく分析して、答えを出すことなど不可能なのだ。
それでも無粋と知りつつ、あえて1つだけ触れておくとするならば、「何となく高畑勲の作品を思わせる部分もあるなあ」ってことは 感じた。
だから「宮崎監督は本当に高畑勲を慕っていたんだなあ」と、そういうことだけは強く感じた。(観賞日:2025年8月18日)