『きみのためにできること』:1999、日本

若き録音技師の高瀬俊太郎は、ドキュメンタリー番組を撮影するため、クルーと共に沖縄の宮古島を訪れた。彼には実家の造り酒屋で働く吉崎日奈子という恋人がおり、Eメールで互いに連絡を取り合っている。
俊太郎や撮影クルーは、宮古上布の取材を開始する。番組のレポーターを努めるのはヴァイオリニストの鏡耀子だが、なかなか上手くインタヴューすることが出来ない。耀子はスタッフとはあまり打ち解けなかったが、俊太郎は彼女に惹かれていく。
宴席を離れた耀子を追い掛けた俊太郎は、彼女から録音技師になった理由を尋ねられる。俊太郎は耀子に、高校時代にコンテストに出品したフィルムを佳作に推してくれたのが、録音界の巨匠である木島隆文だったと語る。
取材しようとした老婆に断られた撮影クルーに、耀子は説得できる人物を連れて来ると申し出た。彼女が連れて来たのは、宮古島で暮らしていた木島だった。木島の家を訪れた俊太郎は、彼と耀子が知り合い以上の関係だということに気付く。
日奈子から彼女の母親が倒れたという連絡を受けた俊太郎だが、仕事を放棄して駆け付けることは出来なかった。仕事を終えて東京に戻った俊太郎に、耀子は別れを告げて去って行く。そんな中、俊太郎は耀子から木島の個展への誘いを受ける…。
監督は篠原哲雄、原作は村山由佳、脚本は高橋美幸、企画は吉田達、プロデューサーは工藤俊機&森本精人&莟宣次、製作総指揮は中村雅哉、撮影は上野彰吾、編集は村山勇二、録音は田中靖志、照明は矢部一男、美術は金勝浩一、衣裳は高橋智加江、音楽は村山達哉。
出演は柏原崇、真田麻垂美、川井郁子、岩城滉一、田口浩正、大杉漣、永島暎子、倉持裕之、平良隆、平良清子、高江州キヨ、狩俣恵重、垣花英好、羽根地直子、奥平久子、島袋朝子、真壁君江、武富栄子、諸星晴美、盛島勇、吉原功、本永勉、兼村忠治、兼村克子、国仲一男、前里カズ子、伊舎堂美津江、下地キク他。


村山由佳の小説を映画化した作品。
俊太郎を柏原崇、日奈子を真田麻垂美、耀子を実際にヴァイオリニストとして活躍している川井郁子、木島を岩城滉一が演じている。
どうやら、青年が成長していく姿を描いている作品らしい。

俊太郎と日奈子がEメールでやり取りをするシーンが、あまり多くない。
しかも、肝心な会話になると電話を使ってしまう。
そんなこともあってか、まず俊太郎と日奈子の関係があって、そこに耀子が絡んでくるという形になるべきだと思うのだが、前提の部分が弱い。
回想シーンを挿入して埋め合わせをするより(埋め合わせになっていないが)、もっとEメール交換のシーンを増やした方が良かっただろう。

宮古上布の職人にインタヴューする様子にかなり時間を割いているが、彼らとの交流が俊太郎や耀子に大きな影響を与えるというわけでもない。
そのため、そういった場面はホントに単なるドキュメンタリー番組になっている。
その場面が、映画の展開とリンクしていないのである。

耀子の態度を見ていると、レポーターの仕事に対してあまり乗り気とは思えない。
それなのに、全く音楽とは無関係な番組のレポーターを、なぜ彼女が引き受けたのかが分からない。金に困ってるとか、義理で出たとか、そういうわけでもないようだし。
「木島に会うため」というのは、理由として成立していない。
なぜなら、わざわざ仕事として来なくても、普通に会いに行けるはずだからだ。
リポートが上手くない様子を見ていると、彼女に仕事を依頼する理由も分からないし。

そもそも、耀子がヴァイオリニストであるという設定に必要性を感じない。
同じ篠原監督の作品『月とキャベツ』の場合、山崎まさよしが真田麻垂美のために歌う場面には大きな意味があった(というか、それまでの流れはその場面のための前振りのようなものだった)。
しかし、この映画で耀子がヴァイオリンを演奏する場面には、それほど大きな意味を感じない。むしろ、演奏シーンが浮いている。
演奏シーンに大きな意味が無いと分かった時点で、それほど演技の上手くない川井郁子をキャスティングした意味も消える。

 

*ポンコツ映画愛護協会