『きみの声をとどけたい』:2017、日本

神奈川県の日ノ坂町。行合なぎさと龍ノ口かえでが所属する日ノ坂高校のラクロス部は、鶴ヶ岡女子学園と練習試合を行った。かえでは浜須賀夕にパスカットから得点を決められ、試合に負けた。試合後、かえでは夕から「来年は貴方が部長なんですって。新人戦、楽しみにしてるわ」と言われて悔しがる。なぎさ、かえで、幼馴染の土橋雫が3人で下校しようとすると、鶴ヶ岡女子学園は夕の祖父である長介の寄贈した豪華バスに乗り込むところだった。
かえでが「どうせウチは弱小だよ」と夕への妬みを口にすると、なぎさは「昔は仲よく遊んだじゃん」と告げる。かえでは「俺は昔から嫌いだったよ」と言い、「夕にだけは負けたくない」と対抗心を剥き出しにした。彼女が「でも今のウチの部じゃダメ。部長、嫌だなあ。部活、辞めよっかなあ」と漏らすのを、なぎさは黙って聞いていた。彼女は用事を理由に、かえで&雫と別れて先に帰ることにした。彼女は自転車を漕ぎ、坂道を下った。
なぎさは昔、祖母から「言葉にはコトダマという魂が宿っている」と教わった。祖母は彼女に、「だからお願い事をする時は、きちんと声に出すこと。だけど他の人間の悪口は自分に返ってきちゃうから、決して口にしちゃいけないよ」と説いた。そのため、なぎさはかえでの発言に複雑な感情を抱いていた。なぎさ、かえで、雫、夕の4人は幼馴染で、以前は仲良しだった。しかし小学校に上がった頃から、夕と距離が出来るようになった。クラス委員に推薦される人気者の夕を、かえでが目の仇にするようになった。運動会の時、かえでは夕へのやっかみから「転んじゃえばいいのに」と呟いた。なぎさはコトダマがかえでの膝に当たり、転倒する様子を目撃した。
蛙口寺に立ち寄ったなぎさは蛙を目撃し、「雨でも降ればいいのに」と漏らした。慌てて口を押さえたなぎさだが、直後に雨が降り出した。慌てて家に戻ろうとした彼女は、ある建物の前で雨宿りする。アクアマリンという壁の文字に気付いたなぎさは、ドアが開いていたので入ってみることにした。中は無人で、どうやら営業していない喫茶店のようだった。棚には大量のレコードが並んでおり、奥にはマイクを始めとする放送機器が揃っていた。
なぎさはマイクのスイッチを入れて喋ってみるが、音が出ないようだった。レコードを掛けた彼女は「ラジオ・アクアマリン」の文字に気付き、ラジオDJに成り切って喋ってみた。雨が止むと、なぎさは「良かったらメール下さい」と言って自分のメールアドレスを語った。その放送を、病室にいた女子高生の矢沢紫音が聴いていた。翌日、なぎさの携帯電話にメールが届いた。驚いたなぎさは、母のみつえと父の鉄男に知らせた。
メールの送り主は、喫茶店が母のミニFM放送局だったこと、母と祖母が車の事故に遭って店を閉めたことを書いており、「嫌なことを思い出させないでください。次は不法侵入で警察に言います」と不快感を綴っていた。みつえはなぎさに、メールの送り主が喫茶店の近くに住んでいるのではないかと告げる。なぎさは蛙口寺住職の孫で同級生の小動大悟に会い、喫茶店の持ち主が矢沢という名前だと知った。なぎさが喫茶店へ行くと誰かが来た形跡があったが、ドアは閉まっていて中に入ることは出来なかった。
なぎさは川袋電器店の息子である川袋将暉と遭遇し、彼の父親が喫茶店の常連だったことを聞く。将暉の父である佐武郎を訪ねたなぎさは、12年前の事故で店のマスターが死んだこと、娘の朱音が寝たきりになって近くのリハビリセンターに入院していることを聞く。なぎさはリハビリセンターへ赴き、朱音の病室へ赴いた。するとラジオから紫音の声が流れ、「お母さん、聞こえますか。お母さんに届くように、ラジオをやってみたいと思います」と朱音に語り掛けた。
なぎさはラジオからコトダマが出現し、朱音に向かって浮遊する様子を目にした。なぎさは喫茶店へ行き、紫音に話し掛けた。紫音は彼女に、夏休みを母の傍で過ごそうと決めたこと、12年も無反応が続いていることを語る。なぎさは「ラジオで話し続ければ、きっと届くよ。私も協力するから」と言い、薄紫のコトダマが朱音に届きそうになったのを見たと話す。なきさは番組表を作成し、紫音と一緒にDJとして話そうとする。しかし彼女が楽しそうに喋っていると、紫音は「やっぱりダメ。話すことなんて無いし」と店を飛び出した。なぎさが追い掛けると、紫音は転校が多くて友達がいないのだと語った。なざきは彼女に、「じゃあ今から作ろうよ」と持ち掛けた。
なぎさはかえでと雫に紫音を紹介し、4人でラジオDJを始めることにした。4人は毎日お昼過ぎに店を訪れ、ラジオブースで喋るようになった。最初は聞いているだけだった紫音も、少しずつ話すようになった。そんな中、「藍色仮面」と名乗る人物から「貴方たちはラジオについて何も知らない」と苦言を呈するメールが届いた。かえではなぎさに、放置するよう忠告した。すると、喫茶店へ向かおうとするなぎさの前に同級生の中原あやめが現れ、自分が「藍色仮面」だと明かした。
あやめはなざきたちを「ラジオについて何も分かっていない」と批判し、具体的な問題点を指摘した。彼女はジングルが必要だと主張し、湘南音楽学院に通う友人の琵琶小路乙葉を呼び寄せた。乙葉はキーボードを演奏し、その場で幾つかのジングル案を披露した。紫音は事前に発見していたOA記録のカセットテープをなぎさたちに見せ、それを再生した。するとテープには朱音のラジオ番組の音声が記録されており、彼女はギターを弾きながら歌っていた。なぎさは紫音に、それは娘への子守歌だと告げた。
あやめはなぎさたちに、オリジナルのテーマソングを作って全員で歌おうと提案した。全員が賛同し、乙葉は曲作りを引き受けた。一同はポスターを作り、商店街に貼ってもらって宣伝した。彼女たちは番組の内容を充実させるため、取材して町の情報を集めた。かつて朱音に放送機器を提供していた佐武郎はラジオ放送の復活を喜び、劣化したトランスミッターの修理を請け負った。かえでは夕が喫茶店を覗いている姿を目撃し、声を掛けた。しかし夕は彼女の嫌味っぽい態度に腹を立て、その場を後にした。
なぎさたちはカラオケボックスに行って歌を練習したり、浴衣に着替えて祭りに出掛けたりする。かえではファミレスでバイトしている時、鶴ヶ岡女子学園のラクロス部員たちが夕への不満を漏らす様子を目撃した。なぎさは喫茶店でかえで&雫の3人になった時、将来の夢を尋ねた。雫はパティシエになるためフランスに留学する考えを語り、かえでは「応援する」と告げた。乙葉はテーマソングを作り、試しに歌うようメンバーに促した。なぎさがコトダマについて語ると、彼女だけは全面的に信じてくれた。
かえではなぎさに、夕が部長就任に反対されたこと、部員が一斉に退部届を出したことを話す。彼女は「これから賭けをするから」と言い、かえではラジオ放送で夕に語り掛けた。なぎさも夕にメッセージを送り、かえでは「遊びに来いよ」と彼女なりの言葉で励ました。事前に彼女は、夕にメールを送ってラジオを聴くよう呼び掛けていた。夏休みも終わりに近付いた頃、なぎさは父から喫茶店が取り壊されること、隣の空き地と合わせて長介の会社がコンビニにすることを聞かされた。なぎさが急いで喫茶店へ行くと、夕が紫音を問い詰めていた。夕はなぎさに、既に店が祖父の所有になっていること、今日から解体準備が始まるのに紫音が内緒にしていたことを話す…。

監督は伊藤尚往、脚本は石川学、製作総指揮は植村徹、製作は二宮清隆&井上俊次&堀内大示&荒波修、アソシエイトプロデューサーは吉田健太郎、プロジェクトプロデューサーは林隆司、プロデューサーは鈴木隆浩、アニメーションプロデューサーは服部優太、キャラクターデザインは青木俊直、アニメーションキャラクターデザインは高野綾、サブキャラクターデザインは高橋瑞香&朝来昭子、CG監督は藪田修平&廣住茂徳、プロップデザイン/イメージボード協力は垪和等、コスチュームデザイン協力は鈴木政彦、サブキャラクターデザイン協力は辻繁人、美術監督は橋本和幸、色彩設計は堀川佳典、特効ディレクターは谷口久美子、撮影監督は川下裕樹&継岡夢月、編集は木村佳史子、音響監督は清水洋史、絵コンテは伊藤尚往&山城智恵、演出は山城智恵、音楽は松田彬人、音楽プロデューサーは木皿陽平。
エンディング主題歌『キボウノカケラ』作詞:結城アイラ、作曲/編曲:杉山勝彦、歌:NOW ON AIR。
声の出演は片平美那、田中有紀、岩淵桃音、飯野美紗子、神戸光歩、鈴木陽斗実、三森すずこ、野沢雅子、梶裕貴、鈴木達央、浅尾慶一郎、佐古真弓、志村知幸、牛山茂、小林操、さかき孝輔、高村清香、白兎夕季、小橋里美、内藤有海、松浦裕美子、早川毅、土屋直人、楠原千夏、青木崇、山橋正臣、安倍ようこ(鎌倉FM)。


東北新社とCSファミリー劇場による新人声優発掘育成企画「キミコエプロジェクト」と連動して企画された長編アニメーション映画。
「キミコエ・オーディション」第1弾の合格者である6人のユニット「NOW ON AIR」が、メインキャストとして起用されている。
監督は『映画 ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!? 未来につなぐ希望のドレス』の伊藤尚往。
TVアニメ『夜桜四重奏-ヨザクラカルテット- ハナノウタ』のシリーズ構成を務めた石川学が、脚本を担当している。
なぎさの声を片平美那、かえでを田中有紀、雫を岩淵桃音、夕を飯野美紗子、あやめを神戸光歩、乙葉を鈴木陽斗実、紫音&朱音を三森すずこ、なぎさの祖母を野沢雅子、大悟を梶裕貴、将暉を鈴木達央が担当している。

映画が始まると、まずは街の景色が写し出される。最初に路面電車が走っている様子が描かれるのだが、この段階で早くも違和感が生じている。なぜなら、路面電車が周囲の背景から明らかに浮いて見えてしまうからだ。
その後、街の人々の様子が写し出されるが、彼らも背景から浮いている。
この「キャラが背景から浮いている」という状態は、なぎさたちが登場して以降も続いてしまう。
キャラが浮いて見える原因の1つは、頭髪の周囲を白く縁取りしているからだ。
なんでそんな塗り方にしたのかなあ。

かえでの一人称が「俺」なのは、ものすごく引っ掛かる。
キャラ付けを分かりやすくするためかもしれないが、そこは「私」でいいでしょ。
女性キャラに「俺」の一人称を使わせるのって、ものすごくデリケートに考えないとダメな問題だぞ。っていうか、よっぽどのことが無い限り、使わせない方が賢明だ。トランスジェンダー的な設定でもない限り、どんなに頑張っても違和感は拭えないだろうし。
かえでというキャラに「俺」と言わせなきゃいけない必要性なんて、皆無だぞ。

なぎさが祖母からコトダマについて教わったことを描く回想シーンでは、まず彼女が膝を怪我して痛がっている様子が写し出される。祖母が手をかざして「痛いの痛いの、飛んで行け」と言うと、なぎさの膝から透明の球体が出現して上空へ飛んでいく。
それがコトダマってことらしい。
ただ、膝から球体が出現して飛んでいくと、それは「痛み」の具現化であって、コトダマとは違うようにも感じるぞ。
言葉の魂がコトダマという設定であるならば、それは言葉を発した口から発生すべきじゃないのか。

コトダマが膝から上空へ飛んでいく時、幼少期のなぎさはそれを見ている。つまり、他の人には見えないコトダマが、彼女にはハッキリと見えているってことだ。
そんな能力設定があるので仕方が無いのかもしれないけど、コトダマの威力が強すぎるのよね。
何しろ、誰かが口にした願いも呪いも、ほとんど実現してしまうのだ。もはやオカルトの世界だよ。コトダマをテーマとして据えるにしても、もうちょっと何か上手いやり方があったんじゃないかと。
なぎさが雨宿りした時の「早く止め」という言葉は「こういうのは聞いてくれないんだよな」ってことになっているけど、これは「都合が良すぎるだろ」と感じるし。

いっそのこと、思い切ってファンタジーに振り切ってくれれば、それはそれで成立したような気もするんだよね。
でもコトダマ以外の部分は、基本的に「等身大の女子高生の日常を描く、回りにあるような青春物語」の手触りになっていて。
なので、コトダマが絶対に実現してしまうという部分の異常性が、ものすごく邪魔に感じられるんだよね。
コトダマなんて見えない設定にしてしまえば、そこの問題は簡単に解消されたようにも感じるんだけどね。

運動会のシーンでは、なぎさがコトダマを目撃したタイミングで挿入歌が流れ始める。
だけど、どう考えても歌を挿入するタイミングじゃないのよね。
だって、そこは「かえでは自分が発したコトダマのせいで、徒競走で転倒してしまう」というシーンなのよ。
そこからなぎさが寺へ自転車で向かう様子に切り替わるけど、だったら回想を終えてからでもいいでしょ。挿入歌は必須条件だったのかもしれないけど、だとしても、他に流せるチャンスなんて幾らでもあるでしょ。

しかも、この歌は雨が降り出しても続き、そのまま「なぎさが石段を下りるとタイトルが表示される」というトコに突入するのだ。導入部の構成として、ものすごく不細工になっている。
まず、挿入歌はどこかのタイミングで絶対に終わらせるべきだよ。
回想シーンと、なぎさが寺に立ち寄るシーン、雨が降り出すシーンを、一括りでまとめるべきではない。そしてタイトルを入れるタイミングも、完全に失敗だろ。
なんで雨雲が広がる空にカメラがパンしてタイトルなのよ。爽やかな青春ドラマのはずなんだから、もっと晴れやかなシーンでタイトルを入れた方がいいでしょ。

なぎさが喫茶店に侵入するシーンでは、ヴィバルディーの『四季』のレコードを見て「聞いたことあるな」と言う。「誰もいないのかな」と言いながら彼女は奥へ進み、マイクを見つけて「マイク。ってことは何かの放送用かなあ。なんでこんな所に?動くのかなあ」と言う。
ある程度はしょうがない部分もあるんだろうけど、説明のための台詞が多すぎて不自然さが目立つ。もはやコントじゃないと成立しないぐらい、何から何まで丁寧に説明する。
だけど、その説明の大半は、映像を見ていれば分かることだ。
それ以外のシーンで使われているナレーションについてはともかく、そのシーンの説明台詞は完全に邪魔。

なぎさがラジオブースを見つけて掛けるレコードがヴィバルディーの『四季』というセンスの違和感については、ひとまず置いておこう。
彼女がラジオDJに成り切って饒舌に話し始めるのは、行動として変じゃないか。
彼女が放送部員だとか、お喋りが好きな性格ってことが紹介されていれば、すんなりと受け入れられただろう。でもラクロス部員だし、お喋り大好きってことが示されていたわけでもない。深夜ラジオのリスナーってわけでもない。なのに、そんなに普通に、よどみなく喋れるかね。
あと、そこも受け入れるにしても、「たまたま紫音が聴いていた」という御都合主義も受け入れるにしても、なぎさがメルアドを喋るのは無理があり過ぎるだろ。

みつえが登場するシーンでは、「なぎさの母親だろうな」と思っているのに、なぎさが「みつえさん」と呼ぶので少し困惑してしまう。
実際に彼女は母親なのだが、なぎさが「みつえさん」と呼んでいるのは何か重要な意味がある設定なのかと思ったら、特に意味は無かった。
だったら、そんな呼び方にしている必要性は全く無いでしょ。
かえでの一人称の「俺」もそうだけどさ、余計な引っ掛かりを作るだけで全く意味の無い設定なんて、持ち込まない方がいいよ。

なぎさがメールを送って来た相手に興味を抱き、調べようとするのは理解できる。
ただ、さすがにリハビリセンターへ押し掛けるのは、デリカシーが無さ過ぎるだろ。
あと、なんで部外者である彼女が、簡単に病室へ入れているんだよ。センターの警備態勢が杜撰すぎるだろ。
それと、なぎさが紫音について調べる手順で大悟&将暉&佐武郎という面々が登場するけど、こいつらの出し方も不細工だよなあ。正直に言って、存在意義は皆無に等しいし。そこも無理に出番を用意しているとしか感じないし。

なざきが紫音に「一緒にラジオをやろう」と持ち掛けるのも、お節介が過ぎる。
表面的には「紫音のコトダマを朱音に届かせるために協力したい」ってことになっているげと、ただ自己満足を満たしたいだけにしか思えないのよね。
何しろ、番組表を作って最初の放送で、彼女は自分と友達のことを楽しそうに喋っているだけなのよ。
でも、紫音のコトダマを朱音に届かせたいのなら、まず「朱音に向けて喋る」ってことを意識しなきゃダメでしょ。そして、なざきじゃなくて紫音が喋ることを意識すべきでしょ。

紫音はなぎさと一緒に初めての放送に臨んだ時、「友達がいないから話すことが何も無い」と言う。そこで、なぎさが「じゃあ今から友達を作ろう」と持ち掛け、かえでと雫を紹介する流れになる。
だけど、そこは進め方として強引すぎるわ。
友達がいなくても、話すことがある奴なんて五万といるぞ。趣味がある奴、オタクで知識が豊富な奴なら、そういうことを話せるでしょ。
「なぎさが紫音にかえでと雫を紹介する」という手順に入りたいのは分かるが、「友達がいない」と「話すことが無い」をイコールで結ぶのは無理がある。

前述したように、なぎさは紫音とラジオ番組を始める理由として「紫音のコトダマを朱音に届かせるため」と語っている。しかしメンバーが揃って本格的に動き始めると、あっという間に当初の目的は忘れ去られている。そして、「女子高生たちによる夏の思い出作り」が目的のようになっている。紫音でさえ、「母親のため」という目的を忘れているかのように見える。
だったら、最初から「女子高生たちが夏の思い出作りとしてラジオ番組を作る」ってことにしてもいいのよ。どうせ「朱音にコトダマを届ける」という要素を、上手く処理できているとは言えないし。
あと、かえでと夕の関係修復という要素も、上手く組み込めているとは言えないし。
もっと要素を削ぎ落として、シンプルにした方がいいんじゃないか。詰め込んだ情報に対して、明らかに処理能力が追い付いていない。

「キミコエ・オーディション」第1弾の合格によるユニットが「NOW ON AIR」という名前なので、たぶん「ラジオDJをやる」ってのは最初から決まっていたんだろうと思われる。だったら、それは別にいいよ。
ただ、「女子高生たちがラジオDJを始める」という状況を作る方法なんて、他に幾らでもあるはずで。そこに向けた話の進め方には、大いに難があ
あと、全員を主要キャストで使うことは最初から決まっていただろうに、なんで紫音役を三森すずこにしたのよ。
三森すずこは朱音役だけにして、紫音役を「NOW ON AIR」の誰かに担当させれば、それでキャラを1つ削ることが出来るでしょ。

ハッキリ言って、メンバー全員をまるで使いこなせていないのよ。
あやめや乙葉の絡ませ方なんて、かなり強引だ。乙葉なんて、なぎさのコトダマを最初から信じてくれる唯一の存在なんだけど、ここの関係性は弱すぎる。いっそのこと、最初からクラスメイトや友人という設定でもいい。
そんな風に、ちゃんと全員のキャラを上手く使いこなせていないので、紫音を「NOW ON AIR」の誰かに担当させた方がいいと感じるのだ。
あと、大悟とか将暉の存在意義も皆無に等しいよな。

終盤、かえでと夕が喧嘩別れした後、なぎさはラジオを通じて和解させようとする。彼女は夕をラジオのゲストに呼び、かえでにLINEで「なうオンエアー」と送って放送を聴くよう促す。
だが、かえではファミレスでバイトの真っ最中だ。なのでラジオを聴くために、店長にトイレへ行くと嘘をつかなきゃいけなくなっている。
そもそもLINEを確認したのも、たまたまゴミを捨てに出たタイミングであり、仕事中なのだ。なぎさは親友なんだから、かえでがバイトの最中ってことぐらい知っているんじゃないのか。その時間にラジオを聴くよう要求するってのは、アホかと。
っていうか、本気で和解させたいなら、会って話せばいいだけでしょ。かえでがなぎさと会うことを拒んでいるわけでもないんだし。

ラスト直前、紫音と父の正信は朱音を転院させるために日ノ坂町を出発しようとする。なぎさと仲間たちは町民に蛙口寺の境内へ集まってもらい、最後の放送をする。なぎさたちは練習したテーマソングを歌い、紫音と朱音に届けようとする。
このシーンが描かれると、紫音を三森すずこに担当させた理由が分かる。彼女は車内にいるから、歌唱に参加できないのよね。
ただ、理由は分かるけど、納得できるわけではない。そもそも、テーマソングの合唱をクライマックスに配置するのなら、ラジオ番組作りじゃなくて「みんなで歌う」というトコへ向けた話にすりゃいいんじゃないかと思うし。
それに、その合唱に夕が参加しているのも違和感があるしね。彼女は歌の練習に参加していなかったんだから。

(観賞日:2019年8月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会