『きいろいゾウ』:2013、日本

妻利愛子は通称「ツマ」。無辜歩は通称「ムコ」。2人は田舎で暮らしている。ツマは植物や動物の声を聞くことが出来て、庭に生えているソテツやヤギのコソク、野良犬のカンユと会話を交わす。近所には大地という小学生の少年が住んでいるが、今は学校を休んでいるらしい。ムコは特別養護老人ホーム「しらかば園」で働いており、ツマに留守を任せて軽トラックで出掛ける。近所に住む老人のアレチが回覧板を届けに来たので、ツマは要求に応じて冷えたビールを出す。
「なんで好き込んでこんな田舎へ来た?」という何度も訊かれた質問に、ツマは「ムコさんは、こっちの方が何でもスムーズに出るって言ってました。色んな感情とか、小説のアイデアとか、ウンコとか」と話す。ムコは売れない小説家でもあるのだ。アレチは妻のセイカについて、「ボケてしもうて」と言う。「今朝も冷奴にミロの粉を掛けて」とアレチが嘆くと、ツマは「可愛い」と笑う。ただ、セイカは雨を予知することが出来て、その予知通りに雨が降り出した。
ツマは雨に濡れながら、「おかえり」と呼び掛ける。ムコが帰宅すると、ツマが転寝していた。ムコが起こすと、ツマは「オトンが結婚に賛成してくれてる夢を見た」と言う。夕食の時、ツマがテレビの内容について話し掛けても、ちゃんと聞いていなかったムコは同じ言葉を返すだけだった。「またオウム返しや」と腹を立てたツマは、ムコの冷奴にミロの粉を掛けた。夕食の後、庭に出たツマはソテツに話し掛け、「満月になると不安になる」と吐露する。ムコは机に向かい、日記を書く。それから2人は蚊帳を付けた寝室へ行き、セックスをする。蚊帳が破れているのに気付き、ツマはムコに知らせる。
翌朝、朝食を食べながら会話を交わしている流れで、ツマは幼少時代に心臓の病気で入院していたことを話す。ムコは初めて知ったので驚くが、ツマは軽い調子で「人より心臓が小さいらしいけど、もう治ったみたい」と言う。次の朝、ムコが出勤した後、ツマは郵便受けに届いている手紙を見る。それは差出人名の無いムコ宛ての手紙で、彼が帰宅すると机の上に置いてある。ツマの機嫌が良くない様子なので、ムコは「明日、海行こうか。約束したやろ、今度連れて行くって」と持ち掛けた。
翌日、ツマとムコは軽トラックで海へ出掛ける。ツマが「ムコさん、いつも日記だけ書いてるの?」と尋ねると、ムコは「日記と、小説書いてるで」と言い、唐突にエジプトの神殿のことを話し始める。ツマは「日記の話聞きたい」と告げるが、ムコは無視して神殿の石像について話すするとツマは「それ見た、写真や。蔵の中」と言い、ムコが「テレビの話やで」と告げると「違う違う違う」と激しく苛立つ。ムコがなだめようとすると、ツマは「ムコさんは私の話、全然聞いてくれへん。自分の話ばっかり」と文句を言う。
ツマは「ムコさんはウチより日記の方が大事なんやろ」と泣き出し、ムコが謝っても機嫌は直らない。海に到着して車を停めたムコは、「満潮や。だから、後は引いて行くしかないやろ。だから、大丈夫や」と穏やかに話す。ツマは「海や」と言い、泣きながら笑い出した。ツマは浜辺へ繰り出して興奮するが、服を脱いだムコの背中にある刺青を見つめて真顔になった。ムコはツマに、男と逃げた母の妹がいたこと、その男と別れた妹が戻って来たことを話した。
ムコは叔母が戻って来る前に、日記に「彼女からグリコを貰ったが女の子用だった」と嘘の内容を書いていた。すると、叔母は本当にグリコをプレゼントとして渡して来た。ムコはそれを突き返してしまったが、2日後に叔母は首を吊って自殺した。ムコはツマに、今でもグリコを突き返したことへの後悔が消えないことを語った。帰宅したムコが小説を書いていると、2階で布団に入っていたツマが「下で布団敷いてムコさんの傍で眠りたい」と言い出した。ムコは彼女の言う通りにしてやり、日記を書いた。
ある日、ツマとムコは、訪ねて来たアレチとセイカ、大地の5人でドンジャラをする。しかしアレチとセイカがルールを無視するので、ムコは困惑する。洋子という少女が大地を捜しに来ると、大地は「僕はいないって言って下さい」と頼んで隠れる。洋子はムコに「だいぶ前に遊びに行くって」と告げられ、「大地ったらもう」と頬を膨らませる。彼女は「大地いたら私が捜してたって言っといてね」と告げ、その場を去る。大地はツマたちに、お婆ちゃんに頼まれて遊んであげたら、毎日来るようになったので困っていると説明した。
別の日、ツマは自分に懐いている大地と散歩に出掛ける。大地はツマに、学校へ行かなくなった理由を明かす。国語の時間の本読みで「姉さん」を「アネさん」と読んでしまい、みんなに囃し立てられたのがきっかけだと彼は言う。理解できないツマに、「笑われて自分に注目が集まって、恥ずかしくなった」と大地は話す。大地は「これから恥をかくことが、どんどん増えて行く。それか怖いんだだって僕、まだ11歳だよ、怖くて身動きが出来ないんだ」と語り、泣き出した。
ツマは唐突に、「欠けていってるから、月。大丈夫ですよ」と口にした。戸惑う大地に微笑み掛けたツマは、「ウチな、満月が怖いねん。怖いっちやうか、よう分からへんねんけど。前な、ウチがバイトしてた喫茶店にムコさんが来てな、そう言うてん。欠けていってるから、月。大丈夫ですよって。なんか、めっちゃカッチリ来てなあ、その言葉」と言い、その後に結婚して下さいと言われたことを話す。
ある日、蜂に刺されて家に逃げ帰ったツマは、アレチに手当てしてもらう。ソファーで眠っていたツマは、大地が来ると目を覚ます。ツマは「黄色いゾウかと思った。小さい頃、遊びに来てくれてん。満月の夜にな。空を飛べるんやで。ウチを乗せてエジプトまでひとっ飛びや。でな、ピラミッドのてっぺんに座って、お月様と話した。その夜からウチ、色んな声が聞こえるようになってんで」と語った。
「しらかば園」で開催される「しらかば祭」を見に行ったツマは、ムコが同僚3人と一緒にステージへ登場したので驚いた。ムコは他の3人をバックコーラスに従え、あまり上手くない『グッド・ナイト・ベイビー』を披露した。その様子を見ていたツマは、かつてムコが実家へ結婚の許可を貰いに来た時のことを思い出す。新人文学賞を受賞していたムコだったが、ツマの父親には結婚を許して貰えなかった。ツマはムコの手を取り、駆け落ち同然に家を出た。その時、電車の中で酔っ払いが歌っていたのが、その歌だったのだ。
大地が祖母の家を出て両親の所へ戻ることになり、ツマとムコは見送りに行く。大地はツマに握手を求め、こっそり手紙を握らせた。それはツマへのラブレターだった。数日後、ムコの担当していた足利老人が死去し、彼はツマを伴って葬儀に参列した。帰宅したムコは叔母のことを連想して涙に暮れ、ツマは彼を力強く抱き締める。翌朝、ムコは例の手紙を開封する。差出人は夏目という男で、「勝手なお願いとはわかっていますが、どうか妻を助けてください」と書かれていた。かつてムコは、夏目の妻である緑と不倫関係にあった…。

監督は廣木隆一、原作は西加奈子『きいろいゾウ』(小学館刊)、脚本は黒沢久子&片岡翔、製作統括は百武弘二&浅野碩也、製作は小崎宏&都築伸一郎&芳原世幸&永井靖&山崎浩一&小野田丈士&北川直樹&川邊健太郎&佐竹一美、企画プロデュースは松本整&宇田川寧、プロデューサーは若林雄介&大畑利久&安田俊之、アソシエイトプロデューサーは岡本順哉&田辺圭吾&石岡雅樹、撮影は鍋島淳裕、照明は豊見山明長、美術は丸尾知行、編集は菊池純一、録音は深田晃、VFXスーパーバイザーは大萩真司、劇中原画・イラストは にしかなこ、アニメーションディレクターは三角芳子、アニメーションスーパーバイザーは石丸健二、音楽は大友良英、音楽プロデューサーは安井輝。
主題歌『氷の花』はゴスペラーズ、作詞:MIZUE、作曲:妹尾武。
出演は宮崎あおい、向井理、柄本明、松原智恵子、リリー・フランキー、緒川たまき、濱田龍臣、浅見姫香、本田望結、綾田俊樹、木村充揮、結城市朗、下総源太朗、石川真希、小林常作、見並文美、池田大、原田裕章、戸田浩和、橋本マナミ、坂井恵美子、坂井好、坂井仁、橋本厚見、出口幸代、村岡武、桑原あゆみ、桑原賢伸、桑原大樹、薗部喜代江、大森悠久、幡垣輝生、辻慶純、村上旭、平井涼ら。
声の出演は大杉漣、柄本佑、安藤サクラ、山田キヌヲ、高良健吾。


西加奈子の同名小説を基にした作品。
監督は『余命1ヶ月の花嫁』『雷桜』の廣木隆一。
脚本は『誘拐ラプソディー』『キャタピラー』の黒沢久子と『Miss Boys! 決戦は甲子園!?編』『Miss Boys! 友情のゆくえ編』の片岡翔による共同。
ツマを宮崎あおい、ムコを向井理、アレチを柄本明、セイカを松原智恵子、夏目をリリー・フランキー、緑を緒川たまき、大地を濱田龍臣、洋子を浅見姫香、幼少時代のツマを本田望結が演じており、ソテツの声を大杉漣、コソクを柄本佑、カンユを安藤サクラが担当している。

映画の中には、観客に明確な答えを用意せず、想像に委ねる類の作品がある。
それが上手く転がるかどうかは、作品の内容や、どこまで想像を委ねるかという塩梅によって変わって来る。
この映画の場合、その手法は完全に失敗している。「幾ら何でも観客に委ね過ぎだろ。観客の負担がデカすぎるだろ」と言いたくなる。
もはや「観客の想像に委ねている」という好意的な表現ではなく、「製作サイドが明確な答えを用意せずに投げ出しているだけなんじゃないか」と解釈したくなる。

ムコは扇風機に当たったまま転寝しているツマを見ると、「付けたまま寝たら死んでまうって。何遍も言うてるやろ、(扇風機の)首は振らせなさいって」と焦るけど、そんなことで簡単に死ぬこたあ無いだろう。
ワシなんか、夏場は素っ裸で首を固定した扇風機の風を浴びながら就寝するという生活を何年も続けているけど、死んでないぞ。その程度で死ぬとすれば、よっぽど体が弱い奴だ。
ってことは、ツマはそれぐらい体が弱いのか。
心臓病を過去に患っていたことをムコは知らないはずだけど、でも体が弱いことは知っているのね。
でも具体的に体の状態とか知らないはずなのに、「そんなことしてたら死ぬ」とまで言い出すのは、やはり違和感がある。

幼少時代のツマが入院していたことを示す描写が挿入されているので、それは彼女の妄想じゃなくて事実のようだ。自分でも心臓の病気で入院していたと言っているしね。
ただ、現在のツマを見る限り、体が弱いというよりもオツムが弱い奴のように見えるんだが。
宮崎あおいは童顔だから、幼児っぽい言動が多いのは似合っているっちゃあ似合うんだけど、それにしても情緒不安定がヒドすぎるわ。
どう考えても、専門家に診てもらった方がいいレベルだぞ。

かなりファンタジックなテイストにしてあるのに、その一方で必要性の見えない濡れ場は用意してあったりして、そこにアンバランスを感じる。もはや「ムコとツマの間に性的関係がある」ということの明示さえ、邪魔に思えるぐらいなのに。
ひょっとすると「ファンタジーの皮を被っているけど、その中にはリアルなドラマがある」という仕掛けなのかもしれないけど、それには付いて行けない。
ファンタジーとして受け止めてしまった気持ちが、リアルなドラマに対して拒絶反応を起こしてしまう。
いっそのこと、濡れ場で宮崎あおいのヌードでも見せてくれたら、エロい気持ちが勝って全てを受け入れることが出来たかもしれんけど(バカだねえ)。

物語はゆったりとしたテンポで進み、なかなか先へ進まない。そのスローライフなペース調整は、もちろん意図的にやっているものだ。
なんでもかんでも畳み掛けるように進めるのが優れた映画ってわけではない。ゆったりしたテンポで、じっくりと人々の生活風景を描き、ふわっとした雰囲気を醸し出すことで、心地良さを与えてくれるような映画もある。
ただ、この映画のスローなテンポは、心地良さを全く与えてくれない。
「すんげえダルくて退屈になるわ」「さっさと物語を進めろよ」「もっと話の中身を充実させろよ」と、批判的な感想ばかりが湧き出てしまう。

ツマの心臓病が明らかになっても、ムコの刺青が大きく示されても、そこにスポットを当てたエヒソードが膨らむわけではない。その場だけで終わらせて、そんなことは忘れて次のシーンへと移って行く。
ムコは海で自殺した叔母のことを話すが、そのことが以降の展開に大きく関与したり、物語に影響を及ぼしたりすることは無い。
「それはそれ、これはこれ」という感じだ。
だから、唐突に語られる叔母の自殺というエピソードには、「だから何?」という感想しか湧かない。

差出人不明の手紙が届いてツマは不機嫌になるが、それが物語を進展させる道具としてすぐに使われるわけではない。
手紙が届いても、ツマはそのことを忘れてしまうし、ムコは開封しようとしない。
だから映画としても手紙の存在は忘れ去られてしまい、そんなアイテムを無視して時間が経過していく。
随分と経過してから手紙の存在に再び触れた時、「ああ、そう言えば」とようやく思い出す始末だ。

話が先へ進まなくても、ツマとムコの日常風景が魅力に満ち溢れていれば、そんな不満だらけの感想にならなかっただろう。
ようするに、「ゆっくりとした時間の中で繰り広げられる田舎での生活模様」が、見ていて楽しそうに思えないのだ。つまらないのだ。
だからと言って、そこに楽しさとは違う意味で興味を惹き付けるような要素があるわけでない。
テンポがゆったりしている一方で、セリフの量はかなり多いのだが、会話の内容が魅力的というわけでもない。

ツマとムコは、明らかにコミュニケーション不全に陥っている。
ツマの言うようにムコは彼女の話をマトモに聞いておらず、ツマはツマで不思議ちゃんが強すぎて理解するのが困難な女だ。だから、些細なことでツマが腹を立てて険悪な状態になることもある。
ただ、2人の言動に疑問が多すぎて、夫婦喧嘩に感情が入り込むことを阻害している。
例えば、「なぜツマはムコの手紙が気になっている様子なのに何も言わないのか」とか、「なぜムコは手紙を開封しないのか」とか、「なぜツマがそのタイミングでそれほどまでに怒るのか」とか、「なぜそのタイミングで『「ムコさんはウチより日記の方が大事なんやろ』というセリフなのか」とかね。

海へ行く途中ですんげえ険悪になったのに、「満潮や。だから、後は引いて行くしかないやろ。だから、大丈夫や」というムコのセリフでツマの機嫌が直って笑い出すとか、まるで理解不能。
ワシの頭が決して良くないことは認めるけど、これは全面的にワシの理解力不足が原因なのかねえ。
そこは「夫婦って、そういうこともあるんだよ」というフワッとした受け止め方をすればいいんだろうか。
だとしたら、完全にお手上げだわ。

あと、ツマとムコって、どこの出身という設定なんだろうか。
どうやら「都会から田舎へ来た」という設定のようだけど、その都会がどこなのかが良く分からん。
ツマは明らかに関西弁を喋っているんだけど、ムコの方は「何となく関西弁に近いけど、明らかに関西出身ではない人間の喋るエセ関西弁」なのよね(まあ細かいことを言うとツマも微妙にイントネーションが違うけど)。
それは単純に、宮崎あおいと向井理の方言に対する習熟度の差ってことなのか。
ただ、そもそも「なんで無理して関西弁を喋らせないとダメなのか」という部分に疑問が湧くしね。標準語でも全く支障は無いよ。
ツマとムコの出身地がどこであれ、物語に何の影響も及ぼさないんだから。

ムコはツマが手紙のことで自分に「忘れられない女がいる」という疑いを持っていることに気付いても、日記を読んでいると知っても、コップで何度も執拗に手を殴られて流血しても、夏目や緑との関係や自分の過去を明かそうとはしない。
そこまで頑なに隠すほどの事情って何なのかと思っていたら、「ムコは20歳の頃に叔母と雰囲気の似ている緑と出会って心を奪われた。緑は重度の障害を持つため週に一度しか会えない娘のことで心を悩ませていた。彼女がムコの背中に鳥の刺青を描いた」という内容だ。
これを一言で表現するならば、「肩透かし」である。
ようするに、それってザックリと言うならば「過去に惚れた女がいた」というだけのことでしょ。そんなに頑固な態度で隠し通す必要があるとは到底思えない。
それに、その程度のことでヒステリックで情緒不安定になっている妻と、妻に向き合おうとせずに無駄な隠し事を続ける夫の生活風景を見せられても、たぶん「互いに腹を割っておらず、相手の深い部分へ入ることを遠慮している」ということなんだろうけど、これっぽっちも面白くないんだよなあ。

(観賞日:2014年4月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会