『黄色い涙』:2007、日本

戦争が終わった時、村岡栄介は8歳だった。全てを失った栄介を救ってくれたのは漫画だった。1963年、晩春。大宮駅。彼は白衣を来た 小説家志望の若者・向井竜三と一緒にいた。栄介の母・きぬは癌に侵されていたが、郷里の富山から東京の病院に来るのを嫌がっていた。 そこで栄介は「日東大学病院から医者が迎えに来る」と説明し、母が東京に来るよう説得したのだ。
赤羽駅には、歌手志望の井上章一と画家の卵・下川圭が白衣姿で待機している。列車が大宮駅に到着し、栄介と竜三は乗り込んだ。栄介の 妹・康子に付き添われ、きぬは列車に乗っていた。栄介は竜三をインターンの先生だと紹介した。章一と圭は赤羽駅の駅員に「入院患者を 搬送する」と説明した。きぬが走り出した車内で苦しみ出し、竜三は焦った。
列車は赤羽駅に到着し、きぬは栄介たち4人も乗り込んだ消防庁の車で日東大学病院へと無事に搬送された。阿佐ヶ谷駅の近くにある 大衆食堂「さかえや」で、栄介は3人にバイト代2千円を支払った。その店で圭が無銭飲食しようとした時、栄介が金を立て替えて今回の 計画に引き擦り込んだ。竜三に声を掛けたのは、喫茶店『SHIP』で求人広告をメモしていたのを見掛けたからだ。
4人は天丼を食べて、店を出ることにした。章一は店の娘・時江に、歌は諦めないが、故郷の北海道へ帰ることを告げた。「また戻って きて。私、待ってる」と、時江は名残惜しそうに告げた。店の外で4人が別れの挨拶を交わしていると、米屋で働く若者・勝間田祐二が やって来た。「汽車の中で食べてくれ」と、彼はおにぎりを章一に渡した。栄介を残して、4人は去って行った。
二ヶ月後、栄介は東京ブック社にギャング漫画の原稿を持ち込んだ。編集長の反応は「生温いなあ。まあ、こんなもんか」と芳しくないが、 作品は受け取った。編集著は栄介に原稿料を渡し、「梶川先生がアンタの絵を誉めてたよ」と言う。梶川は大物の漫画原作者だ。彼は 「梶川先生のアクション物の脚本があるからやってみないか、アシスタント志望の奴がいるから手伝わせる」と持ち掛けるが、栄介は 「こういうのは、もう」と断った。編集長は「これからの読者が求めるのはスリル、スピード、セックスの3Sだ。いつまでも叙情作家 気取りでいるんじゃないっつーの」と告げた。
雨の日、栄介が六畳一間のアパート「あけぼの荘」で漫画を描いていると、圭が疲労困憊といった様子でやって来た。彼は大きな荷物を 抱えていた。その直後、警察から栄介に電話が入った。竜三が厄介になっていて、身元引受人として栄介が呼ばれたのだ。圭と竜三は栄介 のアパートに居候することとなった。2人が晩飯のことを言い出すので、栄介は扇風機を質に入れて晩飯代にしようとするが、大した金に ならなかった。アパートに戻ると章一が立っており、「田舎がつまんなくてまた出て来ちゃった」と口にした。
あけぼの荘に出前の天丼を運んだ時江は、章一の姿を見て、目を潤ませて喜んだ。章一は「今度こそ本気で歌をやってみる」と彼女に言う。 再会を祝して酒を飲もうと竜三が言い出すと、章一が金なら多少はあると告げた。栄介が買い出しに行こうと外に出ると、呼び止める女の 声がした。かつて栄介が一緒に鮫島先生のアシスタントをしていた西垣かおるだった。
栄介は、かおるを連れて『SHIP』へ赴いた。2人はアシスタント時代に恋仲だった。だが、かおるは漫画家になることを諦め、今は人妻と なっている。栄介は鮫島に金を借りたまま、ずっと会っていない。栄介はアパートに戻り、3人と一緒に酒を飲んだ。章一はギターを片手 に歌った。竜三が「4人とも芸術家や」と高らかに宣言し、章一は「今に見てろ、明日は違うぞ」と口にした。
栄介は同居人の面倒を見る金を稼ぐため、東京ブック社へ赴いて編集長に「梶川の原作を書かせてもらえたら」と頼んだ。その仕事は既に 無くなっていたが、編集長は「日銭が欲しけりゃ口あるよ」と言う。それは鮫島のアシスタントだった。鮫島の家に向かった栄介は、そこ で缶詰状態になった。腹を空かせた章一たちはさかえやに行くが、便りの時江は出前に出ていた。時江の父・貞吉に「注文はツケを払って からにしてくれよ」と言われ、3人は退散した。
彼らは栄介と連絡を取ろうと、鮫島の家に電話をする。だが、応対した編集者に「村岡栄介なんて人はいません」と切られてしまった。 章一はギターを質に入れて金を作った。章一が「なんかアルバイト探して金稼いだ方が早いんじゃないか」と口にすると、竜三は「芸術家 が芸術以外で金を儲けるのは堕落や」と言い、圭も「歌手になるならこの貧乏体験が糧になる」と告げた。
井の頭公園の雑木林で風景画を描いていた圭は、犬を散歩させている美しい女性・美香子に一目惚れした。「素敵な絵ですね」と彼女に声 を掛けられ、圭は緊張しながら「完成したらあげます。貰ってください」と告げた。パチンコで大当たりした章一は、さかえやへ言って 時江を呼び出した。「明日の定休日にデートしない?」と、彼女は「嬉しい」とOKした。
翌日、どこへ連れて行ってくれるのかと楽しみにしていた時江だが、章一は彼女をきぬの病室に向かわせた。きぬは完全に手遅れで、手術 も出来ない状態だった。時江は「栄介さんの友達です」とギクシャクした挨拶をして、「栄介さん、ものすごく追い込みで忙しくて。 売れっ子ですからね」と述べた。彼女は章一に託されたパチンコの景品を差し出し、病室を出て章一の元へ戻った。時江は不機嫌な態度で 「バカみたい」と口にした。
鮫島が過労で倒れたため、栄介は代わりに編集者から追い込みを掛けられていた。章一たちは服や万年筆などを質に入れるが、わずかな金 にしかならない。竜三は先輩・山岸に頼んで、圭の絵画を売ってもらった。山岸は部屋に戻ると「画商に4万円で売った」と金を渡した。 山岸に渡す手数料1万を差し引いても3万が残り、圭は「俺の絵が売れたんだ。すごい」と感激した。駅へ向かう山岸を追い掛けた章一は 、「どこの画商が買ったか教えてくれませんか」と訊いた。
栄介が缶詰状態から解放されたのは、学校が夏休みに入った7月21日のことだった。栄介は、章一たちがわずか1週間で2万近くも散財 したと知って呆れた。残りの所持金は1万6千円だ。栄介は17日間不眠不休で稼いだ5万4千円を見せ、「まとまった金が手に入った。 これを元手に生活の立て直しをしたい。異議は無いね?」と提案した。まだ無駄遣いしようとする3人を見て、彼は「諸君は金を稼ぐと いうことがどういうことか分かっていない。それと自由についても」と説教した。
4人で銭湯へ向かいながら、圭は「好きなことを好きなようにやっていくこと、それが自由だと思う」と言い、竜三が「同感、だから定職 を持たない」と告げた。途中で祐二と遭遇し、5人で銭湯に赴いた。栄介は「自分の本当に描きたいものは売れない。逆に金稼ぎに走ると 自分のやりたい仕事の時間は無くなる。まとまった金さえあって食えたら、自由を手にすることが出来る。問題は解決できる。今がその チャンスなんだよ」と説いた。
銭湯を出た章一は、時江が男と一緒にいるのを目撃した。彼女と目が合ったが、章一はそのまま立ち去った。祐二も含めた5人でアパート に戻っても、栄介は持論を熱く語った。圭は「7万では、4人でひと夏は足りない」と消極的な態度を示すが、祐二は「皆さんが本気に なれば、きっと出来ます。皆さんの話を聞いて、本当に感動しました」と興奮した態度で言う。章一は酔っ払って、「自炊しよう。この ままじゃダメだって。ちゃんとやろう」と泣いた。
4人は7万円で9月までやっていくことに決め、SHIPのマスター・林田に金を預けた。家賃は3ヶ月先払いしており、4人は林田から一人 5千円ずつ受け取った。自炊するつもりなのに米も味噌も買っていないというので、林田は呆れた。栄介たちは米屋に行くが、値段の高さ に驚いた。彼らは公園でオッサンたちとギャンブルをして稼ごうとするが、負けてしまった。そこへ祐二が古米を持って来たので、米の 問題は解決した。
栄介は部屋で漫画を描き、圭は公園で美香子を妄想しながら絵を描いた。竜三はSHIPで執筆しようとするが、それよりも女給の千恵子に 気持ちは行っていた。栄介はタバコ屋の老婆に味噌と塩を借り、飯を炊いて食事の用意をした。さかえやから戻った圭は、章一に時江から 「七夕祭りの日、6時にシップで待ってる」というメッセージを伝えるよう頼まれたことを告げた。
七夕祭りの当日、章一は6時を過ぎてもSHIPに行かず、栄介と圭の3人でお祭り会場の演芸を見ていた。「フッちゃったんだ」と栄介が 言うと、「今の俺にはさ、時間と金の無駄じゃない」と告げた。かおるが現れたので、栄介は人気の無い場所に移動して彼女と会った。 かおるは「おはぎ、良かったら食べて」と差し出した。これから旦那と熱海だという。栄介は腕を掴んでキスするが、彼女は振りほどいて 去った。時江は銭湯の時の男に声を掛けられ、「新宿まで出ない?面白い店があるんだ」と誘われた。
後日、竜三がSHIPへ金を貰いに行くと、林田は「明後日からお盆だから今の内に買いだめしておかないと」と告げた。千恵子は熊本に帰郷 するという。竜三が「付いていこうかな」と言うと、彼女は「お見合いするの」と嬉しそうに述べた。病院に赴いた栄介は、きぬの病気に 関して担当医から「持って、あと2ヶ月。好きなことをさせてあげてください」と告げられた。圭は完成した絵の裏に住所と名前を記し、 雑木林に置いて去った。
栄介は母と康子と、お盆に帰郷することにした。乗車券を購入するため、彼は妹と共に行列に並んだ。康子は、駅から病院まで運んだ面々 が医者ではないと知っていることを母は知っていると明かした。看護婦に聞いて、「そんな人たちは病院にいない」と言われ、栄介の友達 だと気付いたのだという。康子は、きぬが「いい友達持って幸せモンや」と泣いていたことを話した。
ある日、さかえやに米を運んだ祐二は、「時江さん、最近見ないですね」と貞吉に話し掛けた。すると貞吉は不機嫌な様子で黙り込んだ。 雨の夜、章一を除く3人がアパートにいると、ずぶ濡れの時江がやって来た。章一が帰宅したので、栄介たちは気を利かせて外に出た。 「何しに来たの?」と章一が訊くと、時江は無言で電気を消し、頬に触れてきた。翌朝、栄介たちが戻ると、時江は去っていた。章一は 「セックスってつまんないね」と照れ隠しのように言った。
圭は弓子という女性の訪問を受け、SHIPで会った。彼女は圭が雑木林に置いた絵を持っていた。圭は「ある人の面影を見て絵を描きました けど、それは別の人で、貴方じゃない」と説明するが、弓子は「私でなくても構いません。この人は、たぶんこの世に存在しない女性だと 思います。私はこの絵の魅力に惹かれてお訪ねしたのです」と言う。彼女と別れてアパートに戻る途中、圭は時江と遭遇した。時江は、 新宿のバー「五輪」に勤めに出ることを告げた。
アパートに戻った圭は、弓子と結婚すると言い出した。彼は栄介たちに、「僕には彼女が必要だと分かった。明日から軽井沢の彼女の別荘 で創作に取り組む」と嬉しそうに話す。「山岸さんに売ってもらった絵も売るんじゃなかったよ」と浮かれて言うので、章一は山岸が画商 に売ったのではなく質に入れていたことを明かした。「これもホロ苦い青春の思い出だね」と圭は漏らした。
林田がアパートを訪れ、弓子のことを圭に話した。弓子は婚約者が雪山で遭難してから精神的におかしくなって、しょぼくれた若者を 捕まえては結婚の約束をする有名な女だという。栄介は完成させた児童漫画「かかしがきいたかえるのはなし」を東京ブック社に持ち込む が、編集長からは「預かれないね。いつまでも児童漫画なんか描いてたら、ホントに仕事無くなっちゃうよ」と冷たく告げられた。栄介が バー「五輪」で時江を相手にクダを巻いていた頃、アパートには康子から母の危篤を知らせる電報が届いていた…。

監督は犬童一心、原作は永島慎二 黄色い涙シリーズ「若者たち」より、脚本は市川森一、プロデューサーは三木裕明&原藤一輝& 長松谷太郎、共同プロデューサーは田口聖、エグゼクティブプロデューサーは藤島ジュリーK.、撮影は蔦井孝洋、編集は上野聡一、録音 は志満順一、照明は疋田ヨシタケ、美術は磯田典宏、VFXスーパーバイザーは古賀信明、漫画制作/漫画指導/イラストは関口シュン、 音楽はSAKEROCK、音楽プロデューサーは安井輝、テーマ曲「涙の流れ星」アーティストは嵐。
出演は二宮和也、相葉雅紀、大野智、櫻井翔、松本潤、香椎由宇、松原智恵子、田畑智子、韓英恵、高橋真唯、菅井きん、志賀廣太郎、 本田博太郎、山本浩司、小市慢太郎、川村歩惟、宮光真理子、陰山泰、三浦誠己、中村靖日、日野陽仁、窪田かね子、枝光利雄、大崎章、 佐藤佐吉、吉田能里子、鈴木隆之介、鈴木うたな、横山ホットブラザーズら。


永島慎二の漫画『若者たち』を基にした作品。
犬童一心監督は、その漫画を基にして1974年にNHK銀河テレビ小説で放映されたドラマを中学時代に見て強い影響を受け、いつか映画化 したいと思っていたそうだ。
そのドラマ版と同じ市川森一に脚本を書いてもらい、念願だった夢を果たしたのが本作品だ。
原作漫画は1968年の秋から始まる物語だが、ここでは1963年になっている。また、原作漫画では漫画家のアパートに居候するのは4人だが 、ここでは3人で、残る1人は米屋で働く勤労青年となっている。

メインの若者5人を演じるのは、ジャニーズのアイドルグループ「嵐」のメンバー。栄介が二宮和也、章一が相葉雅紀、圭が大野智、竜三 が櫻井翔、祐二が松本潤という配役。
他に、時江を香椎由宇、きぬを松原智恵子、かおるを田畑智子、康子を韓英恵、弓子を高橋真唯、タバコ屋の老婆を菅井きん、林田を 志賀廣太郎、貞吉を本田博太郎、山岸を山本浩司が演じている。
嵐の5人(マツジュンは出番が少ないので4人と言った方がいいかもしれないが)、1963年の物語としてマトモに観賞することが 難しい。随分と安っぽいモノに感じられてしまう。
それは彼らの容姿が今風だということよりも、やはり「嵐というアイドルグループの面々だ」ということが大きい。
これが仮に二宮以外は別の若い俳優が演じていたとしたら、全く印象は異なっていただろう。

嵐の5人が主演という段階で、バイアスが掛かってしまう。
もしも現代を舞台にした作品だったら、そこから脱却できる可能性はあった。
しかし1963年が舞台の話となると、もう無理だ。ジャニーズのアイドル映画として見ることしか出来なくなる。
ただし、アイドル映画が全てダメというわけではない。アイドル映画として面白いと思える作品だって、世の中には存在している。
これがおバカなノリのドタバタ劇であったり、軽妙なコメディーであったり、そういう類の作品だったとしたら、面白いアイドル映画と して仕上がったかもしれない(ただし、そうであっても時代設定は現代にすべきだと思うが)。
しかし、これは若者たちが味わうホロ苦さを描き出そうとする作品だ。
それをアイドル映画の枠内でやろうとするのは、あまりにも無謀な挑戦だ。
そもそも、この話を嵐の主演で映画化しようという企画自体が無謀だったのではないか。

竜三は関西弁っぽいイントネーションを喋るので、どうやら関西出身の設定らしい。
だが、「関西弁っぽい」と書いたように、ものすごく変なイントネーションになっている。
二宮和也を除く3人(相葉雅紀、大野智、櫻井翔)は、当時のファッションに身を包んでも、それがコスプレにしか見えない。
衣装も含めて何もかもが、1963年という時代設定に馴染んでいない。
松本潤は、メンバーの中で最も1963年に馴染まない顔付きだと思うが、出番が圧倒的に少ないので、そんなに気にならない。

章一の歌手志望という設定は、冗談にしか見えない。 他の3人の夢は、それぞれ本人の技能を出す必要は無いけど、章一だけは相葉雅紀が本人の歌唱力を披露しなきゃいけないわけで、それが キツい。
章一が歌って「素晴らしい才能やわ」と竜三が言うが、悪い冗談にしか聞こえない。
吹き替えに出来ないこともないけど、さすがにそれはジャニーズ事務所が許さないだろう。

きぬを入院させるための作戦は、栄介がメンバーに声を掛けていく準備段階がバッサリと省略されているし、そこでの「仲間意識の芽生え」 というのが全く感じられないんだよな。
作戦遂行のために一つになろうという連帯感が生じていくドラマが無いのよ。
あと、同居生活が始まってからも、そこで連帯感が強くなっていくという感じが薄い。
だから別れのシーンも、ちっとも感情が高まらない。
最後に圭の手紙で引用されているモンテルランの『無駄奉公』という詩も、心には全く響かない。

とにかく時間が足りてないなあと。
だから、どのキャラの描写も薄いんだよね。
脇役キャラも出番が少なくて、4人の絡みだけじゃなくて、4人がそれぞれの周囲の人々との絡む中で個人の物語を紡いで行くような作り なのに、その脇役も出番が少ない。
山岸なんて、急に出てきて絵を売って金を作って、それでサヨナラだもんな。
出て来た段階で、「アンタ、誰だよ」と思っちゃう。
その前に、一度は顔見せしておいて、そして、その場面で助け舟を出すという形にすべきでしょ。

栄介は「梶川先生のアクション物の脚本があるからやってみないか」と持ち掛けられて断るが、「なんで断るんだよ」と思って しまう。
その時点で栄介がどういう漫画を描いているのか、どういう漫画を描きたいのかは全く示されていないし。
持ち込んだ原稿はギャング漫画だが、その漫画も嫌々ながらやっていたってことなのね。
その辺りが分かりにくい。
その前に本人の描きたい漫画が提示されていれば、そこで断るのも、すんなりと受け入れられただろうけど。

4人が栄介の部屋で酔っ払った時、竜三が「4人とも芸術家や」と言うが、竜三と圭に関しては、作品も、それを作っている様子も、一度 も出てきてないんだよな。
そういうのを見せないで芸術家とか言われても、「夢に向かって頑張っている芸術家の卵」とは見えないよ。
章一が「今に見てろ、明日は違うぞ」とか言うけど、「頑張ってるけど現実の厳しさに直面し、貧しい暮らしの中でもがいている」という 苦難が見えない。
ただ口先だけで夢を語っている考えの甘い連中にしか見えないのよ。

章一が山岸が絵を画商に売ったのではなく質に入れたことを明かすと、圭は「これもホロ苦い青春の思い出だね」と作り笑いで言うが、 ちっともホロ苦さが伝わらない描写になっている。
っていうか、質に入れて5万になったのなら、それはスゴいことじゃないのか。それをホロ苦い出来事として提示されても、ピンと 来ない。
その後、圭は弓子がキチガイだと知らされて泣いているが、そんなにマジに落ち込むような出来事なのかと思ってしまう。
そもそも、会っていきなり結婚の約束をしている時点でウサン臭いし、圭が甘すぎただけとしか感じない。それに絵画のことで 打ちのめされたわけじゃないし。

出来上がった児童漫画を持ち込んだ栄介は、編集長から「いつまでも児童漫画なんか描いてたら、ホントに仕事無くなっちゃうよ」と 言われるが、これもホロ苦さっていうか、そもそも考えがヌルいとしか感じないし。
「そんなに苦悩や苦労を経てないでしょ」と思ってしまう。すげえ頑張って、必死になって漫画を描いていたという感じが弱いし。そして 打ちのめされ方もヌルいし。
竜三のホロ苦い体験に関しては、千恵子の見合いを知って、それでオシマイなのね。小説家という夢に関するホロ苦さは全く体験せずに 終わっているのね。
っていうか、全く小説なんか書いてないし、そもそも書く気があるのかも疑わしい。

結局、栄介を除く3人、特に竜三なんかは、本気で目指していたんじゃなくて、ただのモラトリアムだったってことか。
本気で必死に頑張って、その結果として挫折するんじゃなくて、最初から考えの甘い奴らだったという風にしか見えない。
「夢に向かってもがいている、不器用ながらも前に進もうとしている」という感じが、ちっとも伝わってこないんだよな。
原作は読んだことが無いが、たぶん永島慎二の漫画だから、もっと哀愁に満ちているのではないか。そして、その哀愁があるからこそ、 一見すると無作為に生きているような若者たちを、愛すべき連中として受け止めることが出来るのではないか。
この映画には、若者たちに共感させるためのペーソスが圧倒的に不足しているのだ。

(観賞日:2010年3月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会