『化粧師』:2002、日本

大正時代初期、東京の下町。化粧師の小三馬は偏屈だが、指名する女性が非常に多い男だ。天麩羅屋の娘・青野純江は弟子入りを志願してくるが、小三馬は笑って受け流す。小三馬は芝居を見に行くという呉服屋の女将・三津森鶴子に呼ばれ、化粧を施す。小三馬は鶴子から、新しい女中の沼田時子を紹介される。
純江の父・茂蔵と母・うめは、娘の弟子入り志願に反対する。化粧師という職業に否定的な茂蔵は、人の足元を見て金を吹っ掛けるという小三馬の噂を純江に聞かせた。芸姑の飛行機に呼ばれた置屋へ出向いた小三馬は、香りのいい白粉の中に鉛が含まれていることに気付き、使用を中止するよう告げる。だが、若い芸姑の染太は「そんなことは言っていられない」と反発し、白粉を使い続ける。
土砂降りの中、時子は鶴子に傘を届けるため、イプセンの『人形の家』が上演中の劇場に向かう。だが、身なりの貧しさから守衛に追い払われ、劇場の前でずぶ濡れになりながら待ち続ける。劇場では、抜擢された新人女優の三枝しのぶが仲間から賞賛を受けている。劇団研修生の中津小夜は、そんな彼女に「どんな手を使って役を勝ち取ったの」と妬みを露骨に示す。
小三馬は写真館の北沢宏介に呼ばれ、客の化粧を施すことになった。現われたのは、婚礼の記念写真の撮影に来た大島朝吉と北見春子だ。朝吉が煮立った鍋を下ろそうとして手を滑らせたため、春子は顔の右半分に大火傷を負っていた。朝吉は、婚礼の記念写真ぐらい元の姿に戻してやりたいと言う。小三馬は、春子の火傷跡を化粧で完全に消してみせた。化粧代は1円だったが、北沢は小三馬に内緒で「特別な場合は2円になる」と朝吉と春子に説明し、余分の1円を懐に入れた。
帰り道、小三馬は自転車の前に飛び出してきた脇本光夫とぶつかった。口が利けない光夫は、化粧道具に強い興味を示した。しかし、そこへ現われた母・藤子は「男がそんなものに触るんじゃない」と怒り、平手打ちを食らわして息子を引っ張っていく。鶴子の家では、しのぶと劇団研修生が招かれて茶会を開いている。しのぶは、「小三馬さんに化粧してもらうと何かが変わる」と語る。彼女が口にした戯曲のセリフに、小夜は「自分への当て付けなのか」と怒りを示した。
小夜は小三馬の元を訪れ、化粧をして欲しいと依頼する。だが、小三馬は「20円持ってくれば化粧をしてやる」と法外な金額を要求して追い返す。時子は鶴子の本を盗み見ている現場を年配の女中・ふさに見つかり、「字も読めないくせに」と罵られる。時子は森山五郎が営む書店へ行き、読み書きの本を見て学ぼうとするが、買う金は無い。その姿を、小三馬は後ろから見ていた。後日、森山は店に現われた時子を呼び止め、読み書きの本を「もう汚れて売り物にならないから」と無料で進呈した。
光夫は小三馬の部屋に忍び込み、勝手に化粧道具を触る。小三馬に見つかって追い出されそうになった光夫は、いきなり似顔絵を描き始めた。時子は久しぶりに生まれ育った焼け跡のバラック街に帰り、老婆のトメらに会う。バラック街は違法に設置されたものだとして、役所から立ち退きを迫られていた。
小三馬は光夫が懐いてきたことで、藤子から「息子に構わないでくれ」と非難される。水商売で20円を工面した小夜は、再び小三馬の元を訪れる。小三馬が小夜の濃い化粧を落とすと、彼女は「これで選考会は頑張れる気がする」と晴れやかな顔になった。小三馬は小夜に、「心の化粧をするのは貴方自身だ」と語り、代金を1円だけ受け取った。
本の代金を持って書店を訪れた時子は、森山から「もう小三馬が支払っている」と聞かされる。小三馬は時子に尋ねられ、読めない字を教えてやった。光夫の家には出稼ぎに出ている父・健太が久しぶりに戻ったが、藤子が収入の少なさを愚痴ったことでケンカになる。光夫は家を飛び出し、小三馬の元にやって来る。小三馬は光夫に頼まれ、追い掛けてきた藤子に化粧をして着物に着替えさせる。藤子は自分の態度を詫びて健太と仲直りし、光夫は口が利けるようになった。
小三馬は、時子が焼け跡の子供達に本を読み聞かせている現場を目撃した。小三馬は時子に、自分が今の仕事を選んだ経緯を語る。幼少時、小三馬の母が亡くなり、化粧師が死に化粧を施した。その母の顔は、今までで最も美しかった。その化粧師に付いて、小三馬は村を離れたのだという。鶴子の元に戻った時子は、女優になりたいという夢を語った。しかしバラック街の強制執行を妨害したため、彼女は刑事に追われる身となる。小三馬は時子を変身させて逃がしてやるが、今度は彼自身が刑事に目を付けられる・・・。

監督は田中光敏、原作は石ノ森章太郎、脚本は横田与志、プロデューサーは藤田重樹&進藤淳一、アソシエイトプロデューサーは小林正道&大原恒晴&橋本明、エクゼクティブプロデューサーは河端進、撮影は浜田毅、編集は川島章正、録音は武進、照明は渡邊孝一、美術は西岡善信、衣裳は木田丈雄&山崎正美、キモノ・コーディネイターは冒田伸明、メイクは広瀬紀代美&山崎邦夫&吉田志帆、音楽は大谷幸、音楽プロデューサーは石川光。
主演は椎名桔平、共演は菅野美穂、池脇千鶴、いしだあゆみ、田中邦衛、佐野史郎、柴田理恵、柴咲コウ、大杉漣、菅井きん、岩城滉一、小林幸子、岸本加世子、あき竹城、秋山拓也、仁科貴、奥貫薫、酒井若菜、平泉成、井上博一、谷口高史、minoru、北見唯一、内田チエ、泉裕介、松尾勝人、宮田圭子、坂下百合子、勇家寛子、池田真紀、山本奈々、梅林亮太、森田直幸、宮崎信哉、平井景子、岡村亜紀、結城集、三浦優、下元明子ら。


石ノ森章太郎の「萬画」、『八百八町表裏・化粧師』を基にした作品。
タイトルは「けわいし」と読む。
原作の舞台は江戸時代だが、この映画では大正時代に変更されている。それに伴い、原作では戯作者・式亭三馬の息子という設定だった小三馬を、その弟子筋に当たる人物という設定に変えている。
監督の田中光敏は、これが劇場映画デビュー作。

小三馬を椎名桔平、純江を菅野美穂、時子を池脇千鶴、鶴子をいしだあゆみ、茂蔵を田中邦衛、北沢を佐野史郎、うめを柴田理恵、小夜を柴咲コウ、森山を大杉漣、トメを菅井きん、健太を岩城滉一、飛行機を小林幸子、藤子を岸本加世子、ふさをあき竹城、光夫を秋山拓也、朝吉を仁科貴、小三馬の母を奥貫薫、しのぶを酒井若菜が演じている。

純江と時子の扱いが半端になっている。
どちらも同等程度に扱おうとしているように見受けられるが、どちらかを明確にヒロインとして設定すべきだった。
小三馬の関心は時子にあるのだから、そっちをメインにした方がいいだろう。
そうなると、純江は語り手か何かにしてしまえばいい。
というか、むしろ男にした方がいいと思うんだがなあ。

わざわざ江戸時代から大正時代に変更した意味が良く分からない。
一応、イプセンの芝居をゴージャスなドレス姿の貴婦人たちが観劇に来るとか、足尾銅山の鉱毒被害を小三馬が受けているとか、当時の世相や風俗を全く取り入れていないわけではない。
ただ、それほど強く大正ロマンを感じさせるほどではなく、「だからどうした」ってな程度。
少なくとも、積極的に大正時代にしたことへの説得力には乏しいものがある。

むしろ、「江戸時代を避けたかった」という消極的な理由による時代変更と考えた方が納得がいくかもしれん。
つまり、当時の時代考証であったり、時代劇の台詞回しが役者には難しいと判断したとかね。
ただ、役者の台詞回しは大正時代でもないんだよな。完全に現代劇のそれだ。
別に時代劇で現代劇の台詞回しにしてもいい作品もあるけど、これはそういうタイプの映画じゃないだろう。

まず最初の化粧シーンからして、キレイにメイクを施していくという描写を丹念に見せないのが理解できない。「すっぴんで冴えなかった顔をメイクで見違えるほど美しくする」という変身の妙を見せようとしない。
次の置屋のシーンでも、そういうシーンは無い。目や鼻や唇など、パーツごとに美しく艶めかしく見せようというフェティシズムも感じない。
写真屋で春子の火傷を隠す作業のシーンで、ようやく「パーツを撮る」という意識が垣間見える。まあ、それでも物足りないし、「変身していく過程を見せる」という意識は無いけれど。
本来ならば「火傷を全て消してしまう」というのは、かなり大きな仕事のはずだが、どうも見せ方が淡白なんだよな。
上品に描くのと淡白にするのとは、全く別なんだが。

もしかすると小三馬を狂言回しにして「女性たちを描く」ということを重視したのかもしれない、とも考えた。
ただ、1人1人の女性のドラマは、かなりの薄味だ。
化粧によって自分を得るとか、生き方や考え方が変わるとか、そういう人間的成長・変化の素晴らしさは伝わらない。
前半の客に関しては、それが顕著だ。
ビフォーもアフターも、描写が薄すぎる。

それは、扱う女性が多すぎたということが大きな原因ではないだろうか。
たくさんのキャストでゴージャスさを出そうとして、それが裏目に出たのかもしれない。
前半の鶴子、飛行機、春子の仕事シーンって、1人1人のシーンが短すぎるんだよな。化粧の後のドラマが付随していないのだ。
もう少し客を減らして、1人ずつの扱いを膨らませた方が良かったのではないか。女性がメイクの前と後でどのように内面的に変化したのかが重要なはずなのに、その描写が淡白だったり雑だったりするのだ。
例えば小夜なんて、自身が付いたのは分かるけど、それからどうなったのかが描かれないまま消える。藤子の話は、化粧された途端に「私が悪かった」と謝り、光男が言葉を話せるようになるという急変ぶり。

小夜に対し、小三馬は「化粧で取り繕ってもダメ、心の化粧をするのは貴方次第」みたいなセリフを長々と喋るのだが、それは仕事で語るべきだろう。
そんでもって、セリフは「心の化粧をするのは貴方次第」というキメになる部分だけをサラッと言えばいい。
後はメイクで見せたり、ドラマで説明したりすべきだ。
なぜ化粧よりセリフに頼るかな。

狂言回しであろうと何であろうと、小三馬に人間的魅力を全く感じない。
「偏屈だが心優しい」とか、「無口だが愛に溢れている」とか、そういう性格的なプラス要素が薄いのだ(時子や光男に優しく接しているが、それを打ち消すほどの陰気さがある)。
そうなると、彼に女性が惹き付けられるのは「化粧の技術に優れているから」という部分だけってことになる。
それじゃあマズいだろう。

終盤で小三馬に関する秘密が明かされるのだが、前半からそこに向けての伏線が張られている。
例えば純江が丼を落としても背中を向けた小三馬が気付かないとか、小夜がドアをノックしても無反応だとか。
で、小三馬の秘密ってのは「耳が聞こえない」というものだが、それを明かされても、「だから何なのか?」と思ってしまう。
それをクライマックスに持って来て「大ドンデン返し」みたいに扱うことが、別の意味でサプライズだ。
実際、それが明かされても、話に何の影響も出ていないぞ。

 

*ポンコツ映画愛護協会