『決算!忠臣蔵』:2019、日本

元禄四年(1691年)、播州赤穂(兵庫県赤穂市)。筆頭家老の大石内蔵助は火事の発生を知り、急いで現場へ向かった。藩主の浅野内匠頭は彼に、本物の火事ではなく演習だと教えた。大石は番頭の奥野将監に頼まれ、演習にしては激しすぎるのではないかと浅野に意見しようとする。浅野は彼の言葉を遮り、「今の御上は腐っておる。濁った物を良くするのが余の役目」と憤懣を口にする。彼が「火事は戦と思え。太平の世でも戦を忘れるな」と説くと、すっかり感化された大石は熱くなって演習の指示を出した。
その十年後、浅野は場所もわきまえず、賄賂好きの老人に斬り付けた。彼は幕府に切腹を命じられ、赤穂浅野家は取り潰しとなった。相手がお咎め無しだと知った足軽頭の吉田忠左衛門や大目付の間瀬久太夫は、激しい怒りを示した。足軽頭の原惣右衛門が籠城を主張すると、多くの家臣が賛同する。しかし小山源五右衛門や河村伝兵衛たちは御家再興を目指すべきだと反対し、幕府に逆らっても勝ち目は無いと難色を示す。意見を求められた大石は、「殿が火を消せと言う声が聞こえる」と口にした。
浅野の親類筋である大垣藩家老の戸田権左衛門と広島藩浅野本家家老と井上団右衛門は大石と面会し、籠城に反対した。彼らは親類筋にも害が及ぶと言い、「吉良にも沙汰は下される。御家再興も立派な戦だ」と諭した。大石が家臣たちの元へ戻ると、籠城に賛同した面々が血判状を用意していた。馬廻の菅谷半之丞は山鹿素行の教えに触れ、徹底抗戦を訴えた。しかし勘定方と会った原たちは、武具が全て売り払われていたことを知った。
指示を出したのが次席家老の大野九郎兵衛だと判明し、原は激しく非難した。大野は割賦金のためだと主張し、既に開城は決まったと通告する。毒見役の大高源五が「籠城すると割賦金は貰えないのか」と質問すると、大野は勘定方の矢頭長助に答えるよう指示する。矢頭は武具を買い戻す必要があるため、大幅に減額されることを説明した。役方と番方は対立し、激しい言い争いになった。大石は家臣たちに、開城することを告げた。
大石は割賦金を受け取らなかったが、それを知った妻のりくは嫌味っぽく「ご立派や」と言う。彼女は「これは受け取ってもらいます」と告げ、愛人に支払う手切れ金を差し出した。城の引き渡しが無事に済んだ後も、役方は遠林寺に留まって残務整理に追われた。多くの出費が明らかになったが、吉田は全て支払うよう指示した。大石は江戸から戻った堀部安兵衛、武林唯七、奥田孫太夫から弱腰を責められるが、吉良を討つ気は無いと断言した。
矢頭や蔵奉行の貝賀弥左衛門たちが御家再興のために金を残していたことが判明し、吉田や間瀬たちは腹を立てた。矢頭は幕府役人に賄賂を送る必要があるのだと説明するが、大石は全て割賦金に回すよう命じた。大石は奥野に呼ばれ、遠林寺の祐海和尚と会う。祐海は護持院の住職と兄弟弟子であり、綱吉の寵愛を受ける隆光大僧正に御家再興の力添えを頼んでほしいと奥野は要請した。江戸への旅費が必要になることから大石は矢頭の顔色を気にするが、奥野たちに賛同して祐海に頭を下げた。
大石と矢頭は同い年の幼馴染だが、石高には大きな差があった。余り金があると知った大石が激怒すると、矢頭は使い方を知らないと批判する。ちゃんと使うと約束した大石は、詳細を教えるよう求めた。かつて瑤泉院は輿入れの持参金である五千両を、塩問屋に貸し付けた。商人は大儲けしたが、その恩を忘れて返済を拒んでいた。矢頭と貝賀は懸命に動いたが、回収できたのは百両ほどだった。大石が塩問屋の前田屋へ行くと、大勢の食い詰め浪人が用心棒として集まっていた。浪人たちに挑発的な言葉を浴びせられた大石は、吉良を討つと口にした。すると浪人の中にいた不破数右衛門が前田屋を脅し金を返済させた。
大石は矢頭たちの元へ戻り、回収した金を数えさせた。大石が御家再興に金を使うと知り、不破は落胆した。台所役人の三村次郎左衛門は、ずっと倹約を続けてきたことを話した。残務整理が終わると、大石は家族を連れて京の山科へ移り住んだ。瑤泉院は用人の落合与左衛門から、大野が逐電したことを知らされた。堀部たちは吉良が本所へ引っ越したと聞き、討ち入りの機運が高まったと考える。大石は全てが水の泡になると焦り、原は堀部たちを説き伏せるために江戸へ向かう。しかし堀部たちの熱い思いを聞いた原は感化され、討ち入りを主張する書状を大石の元へ送って来た。
進藤源四郎は大高を伴い、堀部たちを説き伏せるために江戸へ向かう。だが、彼も堀部たちの話を聞き、賛同するようになる。大石が自ら江戸へ赴くと、堀部は「せめて期限を切ってほしい」と要求した。大石は「来年3月の殿の命日、もう一回集まろう」と言い、大金を渡す。遊郭へ遊びに行こうとした大石は瑤泉院に呼び出され、金の使い道を追及される。大石が慌てて誤魔化していると、瑤泉院は弔いのために使うよう命じた。
原たちは大石に貰った金を全て使ってボロ家を購入し、江戸組の拠点にすると決めた。矢頭は仕事を手伝った息子の右衛門七を連れて大石の屋敷を訪れ、見積もりを渡す。また大きな出費があったことを知り、彼は腹を立てた。批判された大石は憤慨し、2人は口論になった。大石の長男の松之丞は母と共に京を離れることになり、右衛門七に「父を見てほしい」と依頼した。赤穂浪士が一向に仇討ちしないため、そば屋の長次やおきんたちは陰口を叩く。それを知った堀部たちは、討ち入りを決意した。
浅野の一周忌法要で集まった大石は堀部たちの決意表明を知り、吉田は金で説得することを告げる。吉良が隠居したことを知った大石は、もう沙汰が下されなくなったので「約束が違う」と憤慨する。彼は大垣藩へ抗議に行くが、戸田は「はて」と惚ける。藩主の采女正は大石に、才能を評価してくれている藩に召し抱えられるよう持ち掛けた。吉田は堀部たちの元へ行き、大石が討ち入りに備えて妻と離縁したと吹き込む。盗み聞きしたおきんから話を聞いたそば屋の客たちは、大いに盛り上がった。
大石は腹立たしさから屋敷の庭で刀の稽古に熱を入れ、不破は見張られていると気付いて矢頭たちに報告した。矢頭たちは討ち入りが無いと思わせるための計略を相談し、大高が廓通いを提案すると大石は賛成した。また出費が必要になることから矢頭は反対するが、結局は大石が押し切った。他にも数々の名目で多額の経費が掛かっていると知り、矢頭は嘆息した。噂を聞いた松之丞が廓に来たので、大石は慌てて「敵を欺くための芝居だ」と釈明した。隣の座敷に潜んでいた監視の連中が、その会話を盗み聞きしていた。
大石は廓へ遊びに来た祐海を目撃して問い詰め、一度も江戸へ行っていないことを聞かされる。祐海は浅野の嫡男の大学が広島へお預けになったこと、5日前に進藤たちから話を聞いたことを大石に明かす。憤慨した大石は駕籠を呼び、進藤たちの元へ向かう。慌てて後を追った大高や不破たちは、駕籠が刺客に襲われる様子を目撃した。彼らは大石の死を覚悟するが、襲われたのは矢頭の駕籠だった。大石が進藤たちの元へ乗り込むと、奥田の姿もあった。奥田は全く悪びれず、最初から御家再興を諦めていたことを話す。そこへ瀕死の矢頭が運び込まれ、大石に看取られて息を引き取った。大石は進藤たちを追及し、刺客を放ったのが大垣藩だと知った。討ち入りを決意した大石は、円山に赤穂浪士を集めて会合を開く…。

脚本・監督は中村義洋、原作は山本博文『「忠臣蔵」の決算書』(新潮新書刊)、製作総指揮は大角正&岡本昭彦、製作代表は高橋敏弘&藤原寛&松井智&藤田浩幸&飯田雅裕&有馬一昭、エグゼクティブプロデューサーは吉田繁暁&片岡秀介、企画プロデュースは池田史嗣&古賀俊輔、プロデューサーは中居雄太&木本直樹、協力プロデューサーは岩城レイ子、撮影は相馬大輔、美術は倉田智子、照明は佐藤浩太、録音は藤本賢一、編集は小堀由起子、殺陣は清家三彦、音楽は見優。
出演は堤真一、岡村隆史、岡村隆史、阿部サダヲ、石原さとみ、西川きよし、竹内結子、濱田岳、横山裕、妻夫木聡、荒川良々、滝藤賢一、桂文珍、板尾創路、村上ショージ、千葉雄大、山口良一、笹野高史、小松利昌、沖田裕樹、大地康雄、西村まさ彦、寺脇康文、木村祐一、橋本良亮(A.B.C-Z)、近藤芳正、波岡一喜、芦川誠、宮本大誠、上島竜兵、鈴木福、鈴鹿央士、金井浩人、鈴木卓爾、堀部圭亮、荻野由佳、山崎一、島津健太郎、BOB、八代崇司、森本武晴、永井裕久、神藤兼征、白神允、青山健、鶴亮、石田大智、飯野泰功、赤川千尋、和輝、阪本竜太、相樂孝仁、オラキオ、青木崚ら。


山本博文の研究書『「忠臣蔵」の決算書』をモチーフにした作品。
脚本・監督は『殿、利息でござる!』『忍びの国』の中村義洋。
大石を堤真一、矢頭を岡村隆史、浅野を阿部サダヲ、瑤泉院を石原さとみ、大野を西川きよし、りくを竹内結子、大高を濱田岳、不破を横山裕、菅谷を妻夫木聡、堀部を荒川良々、戸田を滝藤賢一、祐海を桂文珍、戸田を板尾創路、前田屋を村上ショージ、磯田を千葉雄大、井上を山口良一、落合を笹野高史が演じている。

映画のオープニングで、「そば一杯の値段は十六文。現在のそば一杯の値段を480円とすると一文は30円。これを基準として、劇中の値段を現代の基準で換算する」という説明が入る。これは忠臣蔵を「費用」の面から描こうとする作品だ。
その趣向は面白そうなのだが、残念ながら実際に見てみると「そうでもない」という感想だ。
幾つかの要因があるだろうが、その1つは「決算書」に対して生真面目に向き合ったことではないか。
そのせいで、「娯楽映画としての面白さ」が犠牲にされている部分があるのではないか。

赤穂藩の取り潰しが決まったことをナレーションで説明した後に「倒産」と文字が出るが、それだけで次のシーンに切り替わる。
だけど、そこは「取り潰しってのは現代に例えれば会社の倒産ですよ」という解説を入れた方が良くないかな。
その後には「割賦金=退職金」とか、「番方=いくさ担当」と「役方=経理担当」という解説が入るんだよね。
どこまで解説するのかという基準が、かなりボヤッとしているように感じられる。

『忠臣蔵』は有名な話だし、少なくとも本作品を見る人は知っているだろうってことなのか、松の廊下の刃傷沙汰に関しては「賄賂好きの老人に浅野が斬り付けて切腹して」と簡単な説明だけで片付けている。
相手の老人が吉良という名前であることさえ、その時点では全く触れない。
後で「吉良」という名前だけは台詞で出て来るが、姿を見せることは一度も無い。
それどころか、吉良側の人間は刺客ぐらいしか登場しない。

赤穂藩の面々は、全員が関西弁を喋る。忠臣蔵を題材にした今までの作品だと、普通は標準語だった。しかし場所を考えれば関西弁が当然だ。
しかし、そういうことを狙って関西弁にしているわけではない。関西のお笑い芸人が多く出演しているのも、決して「リアルな忠臣蔵に近付けるには関西弁が必要で、だからネイティヴな関西弁を喋れる芸人を多く起用した」ってことでもない。
ポイントになるのは、この映画を吉本興業が製作しているってことだ。
所属芸人を多く起用するに当たって、「関西が舞台だから関西弁が必要でしょ」という名目は都合が良かったのだ。

西川きよしに「小さなことからコツコツと」と御馴染みの台詞を言わせるような遊びはあるが、全体としてコメディーとしては全く弾け切れていない。
まあ忠臣蔵ってことは主君が切腹させられるし、最終的には四十七士も切腹するし、決してハッピーな話ではないので喜劇として難しい部分はあるだろう。だけど芸人を多く起用したのは、コメディーとしての戦略の一環じゃないのか。
実際、一応はコメディー寄りで演出しようとしてるのよ。でも全く足りていないってことなのよ。
皮肉なことに、芸人が登場するシーンより、役者がコメディーをやっているシーンの方が遥かに質が上なんだよね。

菅谷は吉田に紹介されて大石にスピーチする時、初めて存在が明かされる。吉田が名前を言ってから、初めて顔が映し出される。
大野は原が糾弾して詰め寄る時、初めて顔が映し出される。大高は挙手して質問する時、初めて存在が明らかになる。
まるでオールスター映画における、スターの初登場シーンみたいな演出だ。
ただ、そうだとしても、わざとらしさが強い。
ひょっとすると、あえての演出だろうか。でも、陳腐なだけにしか感じない。

序盤から様々な問題に対して必要な金額や使い方が具体的に表示されるが、まるで興味を誘われない。
そういうのを細かく紹介されても、面白くないんだよね。
これが「忠臣蔵の金の使い方」を解説する歴史バラエティー番組だったら、きっと面白く感じた可能性が高いんじゃないかと思うのよね。
でも映画だと、完全にそっちへ振り切っているわけでもないし、それなりにドラマは描こうとしているが、どっち付かずになっているだけという印象を受けてしまう。

どんな用件で幾ら出費しようが、どれぐらいの残金になろうが、「だから何なのか」としか思えない。様々な金の使い方が、物語の面白さには全く繋がっていない。
そう感じる理由は、「だって忠臣蔵だもの」ってことに尽きるのではないだろうか。
我々は、赤穂家の御家再興が叶わないことを知っている。大石たちが吉良邸へ討ち入りに入ることを知っている。
なのでザックリ言うと、御家再興に向けて使われる金は、全て無駄になることも分かっている。
だから、「早く討ち入りに向けた展開に移ろうぜ」と言いたくなるのだ。

矢頭を死なせる必要があるのかと言いたくなる。
彼の死を受けて大石が討ち入りを決意するので、決して「無駄死に」ではないし、重要なシーンとしては扱われている。でも話の進め方として、そのタイミングでダブル主演の一角を殺すのは、いかがなものかと。
矢頭を死によって退場させなくても、大石に討ち入りを決意させるきっかけなんて、幾らでも作れるはずで。
それまでマッタリしていた大石が真剣モードに変化して討ち入りを決心する流れも、かなり強引に作っている印象を受けるし。
「刺客が大石と間違えて矢頭の駕籠を襲う」という展開は、その状況を作るための見せ方がギクシャクしていると感じるし。

しかも、大石が矢頭の死を看取って、それをきっかけに仇討ちを決意するんだから、「会合で仇討ちを宣言し、浪士たちが熱くなり」という展開はシリアスに徹底して進めるべきだろう。
ところが、会合で120名が参加すると決まった後、シーンが切り替わると「人数が多くて仇討ちの3月まで金が持たない」と指摘され、オチが付いている。
緊張と緩和なので、笑いの作り方としては何も間違っちゃいない。でも、これだと矢頭が「無駄死に」になっちゃうのよ。
なので、余計に「殺さなくてもいいのに」と言いたくなるのよ。

せめて矢頭の死を看取った大石が浪士を集めて討ち入りを宣言し、そこから実際の仇討ちへ一気に畳み掛ける展開だったら、まだ何とかなったかもしれない。しかし、そこから実際の仇討ちまでには、かなりの時間を要するのだ。
そうなると、矢頭の死も忘れ去られてしまう。仇討ちに向けて動いている間、ずっと大石が矢頭の死を胸に刻んでいるわけでもないし。
そりゃあ矢頭は役方だから、仇討ちには参加しないのよ。だから仇討ちの時には、いなくても支障は無いのよ。
でも、そういうことじゃないでしょ。

吉良の情報を掴んだり、屋敷の図面を手に入れたりするための作戦は、全く描かれない。なので、「そのために幾ら掛かって」という部分での決算書も描かれない。
仇討ちが決定した後も、基本的には「赤穂浪士が好き勝手な行動を取ったりワガママな要求を出したりして、そのせいで出費がかさむ」ってのがダラダラと描かれるだけなのだ。
だから仇討ちに向けた気持ちの高まりってのは、まるで無い。
まあ実際の仇討ちは描かずに終わるので、そこへ向けて盛り上げても意味が無いと思ったのかもしれないけどさ。

(観賞日:2022年1月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会