『結婚しようよ』:2008、日本
夕方、「スーパーおたふく」でのアルバイトを終えた木村充は賞味期限切れの弁当を賄いとして貰い。店を後にした。駅前ではバンドが吉田拓郎の『落陽』を演奏し、見物人が集まっていた。その中には会社帰りの香取卓がいて、『落陽』を口ずさんでいた。彼は踏切で列車の通過を待つ間、我を忘れて『落陽』を熱唱した。隣にいた充は面白くなり、彼に声を掛けた。卓は充が『落陽』を知っていることに驚き、懐かしくて歌ってしまったのだと語った。
卓は豆腐店に立ち寄り、豆腐を購入した。彼は「毎日、家族で晩飯を食う」と言い、充が信じないので家に連れ帰った。すると妻の幸子、長女の詩織、次女の歌織は既に帰宅しており、卓は充を夕食に参加させた。幸子は笑いながら、家族が揃わないと卓の機嫌が悪くなるのだと充に話した。卓は充に、「家族が顔を合わせて食事をするのが、最高の生き甲斐だ」と告げた。食事の後、充は詩織と歌織に、神戸出身で中学2年生の時に両親を震災で亡くしたこと、千葉で豆腐屋を営む叔父夫婦に引き取られたことを話した。
充は高校を出てから独り暮らしを始め、現在は「スーパーおたふく」と蕎麦屋でバイト中だ。実家が蕎麦屋なので、いつか父のような蕎麦を打ちたいのだと充は語った。一方、詩織は大学生で、歌織はバンド活動をしていた。充が去った後、卓は犬の散歩に出掛けた。幸子は詩織と歌織に、若い頃の卓がギターを弾いていたことを教えた。歌織は押入れを探り、卓が奥に隠してあったギブソンのギターを発見した。幸子は詩織から卓がギターを辞めた理由を問われるが、何も言わなかった。
卓は西武不動産流通の営業所で働いており、所長から裏に産廃処理場がある武蔵増戸の物件を何とか売ってくれないかと頼まれる。チラシでは「癒やしの生活が送れる古民家」とアピールされていたが、卓は「これは難しいんじゃないですか」と告げる。歌織は仲間3人と一緒にバンドの練習をした後、腕を見せる場所として今度の日曜にあるオーディションのことを話す。卓は顧客の菊島喜一と妻の靖代に、売りに出していた家の買い手が見つかったことを伝えた。喜一と靖代は自然が楽しめて自給自足の生活が始められる物件を探しており、卓は武蔵増戸の古民家ではなくあきる野市小和田の家を紹介した。
夕方、充が「スーパーおたふく」で働いていると、詩織が現れた。充が驚いていると、彼女は学校が早く終わったので近くの書店に寄っていたことを話す。店長が早く上がらせてくれたので、充は叔父の家から送ってもらった木綿豆腐を前回のお礼として詩織に渡した。詩織は家で一緒に食べようと持ち掛けるが、充は今から蕎麦屋の仕事があると言って断った。卓が駅前のバンド演奏を見ながら『春だったね』を口ずさんでいると、詩織と充が現れた。詩織は「そごて偶然会っちゃって」と言い、充は蕎麦屋に向かった。
夕食に木綿豆腐が出ると、卓は「木綿も美味いな」と言う。しかし充がくれた豆腐だと聞かされると不機嫌になり、「水っぽい豆腐だな」と告げた。歌織が「充くん、また呼んであげようよ」と口にすると、彼は「それはどうかなあ。年頃の娘が2人もいる家に」と渋る様子を見せた。充は蕎麦屋「松和」へ行き、主人の松本洋平が見守る中で蕎麦を打った。日曜日、卓は菊島夫妻を案内し、古民家を訪れた。歌織とバンドメンバーはライブハウス「マークII」を訪れ、オーディションで『やさしい悪魔』を演奏した。店長の榊健太郎と店員の丸山勉は気に入って途中からギターで参加し、バンドは合格になった。バンド名を問われた歌織は、その場で「カオリ&スリーキャンディーズ」と名付けた。
詩織は幸子に、大学の同級生だった卓と知り合った経緯について尋ねた。幸子は大学の近くにあるライブハウス「マークI」でバイトしていたこと、そこで相棒とギターを弾いて歌っていたのが卓だったことを話した。榊と丸山は歌織が使っているギブソンのギターに気付き、興味を示した。丸山は「どこかで見たことがある」と言い、榊は歌織から父親の名前を聞いて驚いた。菊島夫妻は古民家を気に入り、その場で契約を決めた。
幸子は詩織に、卓は優しくて自分を守ってくれたと話す。榊は歌織たちに、卓とツインボーカルだったことを教える。大学時代の彼らと2年後輩の丸山は、同じアパートで暮らしていた。卓は就職しない決心を榊に伝え、幸子は3年待つと約束してくれたことを話した。丸山は歌織たちに、晩御飯を作るから食べて行かないかと持ち掛けた。歌織は困った様子で、卓との約束があることを語る。詩織は充に弁当を持って行き、蕎麦を食べて行かないかと誘われた。卓の約束を思い出した充は、「店を見て行かないか」と提案の内容を変更する。しかし詩織は、母に言って来たので食べて行くと告げた。
帰宅した卓は、娘たちが外で夕食を取ることを幸子から聞かされる。彼が納得できない様子を示すと、幸子は20年近く会っていない榊から電話があったことを教える。さらに彼女は、かつて卓が出演していたライブハウスを榊が引き継いでいること、歌織のバンドを週に1度のペースでライブに出したいと言っていることを教えた。幸子は詩織について、弁当を作って充の元へ出掛けたことを語る。「4人揃っての食事が俺にとって家族を守るっていうことなんだよ」と卓が言うと、彼女は「充分守ってくれたじゃない。少なくとも私は、あの時からずっと感謝してるわ」と述べた。
卓は若い頃を振り返る。1人になった彼が「マークI」で歌っていると、サラリーマンになった榊が現れて幸子のことを知らせる。卓は個人病院へ急行し、医師から「残念ながら赤ちゃんはダメだった」と告げられる。妊娠さえ知らなかった卓は、ショックを受けた。病室に入った彼は幸子に謝罪し、「お前の事、一生守るよ」と誓った。卓は今までの自分が身勝手だったと反省し、音楽を辞めて就職することに決めたのだった。
卓は「マークII」へ出向き、榊と会った。彼が歌織の活動について「子供たちが遊びでやってるバンド」と言うと、榊は「お前が諦めた夢を、娘が引き継ぐんだよ」と告げる。彼は卓に、歌織が「お父さんは自分から平凡なサラリーマンになろうとしてる気がする」と話していたことを伝える。歌織は「どうしてお父さんが家族揃っての夕食にこだわってるのかは教えてくれないけど、大好きになって来てるんだ、そんな団欒が」と語り、卓の許可が無ければ外食は出来ないと榊に語っていた。榊が「応援してやれ。お前と同じように、音楽を捨てた人生を歩ませるな」と説くと、卓は「それは俺が俺自身の人生を否定することになる。やはり応援できない」と拒否した。
その日の夕食で、歌織は「彼氏が出来たら」という仮定の話を始めた。卓は不機嫌になり、家族が揃っての夕食に強く固執した。娘たちは反発し、卓と口論になった。詩織は手作り弁当を持って、充の元へ向かった。彼女は充からプロポーズされ、嬉し涙で快諾した。卓は所長から、関連会社のリフォーム・クリエイトへ異動する話を持ち掛けられた。彼は古民家をリフォームしている菊島夫妻の元へ行き、作業を手伝った。充は結婚の話をするため香取家を訪問するが、卓は古民家で菊島夫妻と夕食を取っていた。
卓は菊島夫妻に、詩織から「一緒にご飯を食べれば後はどうでもいいというのは形式主義だ」と言われたこと、それが充の考えであることを語る。詩織と充は、結婚したい気持ちを幸子に打ち明ける。幸子は静かに話を聞き、「2人の気持ちは分かるけど、この家のルールは、やっぱりお父さんなのよ」と告げた。卓は酒を飲んで酔っ払い、「家族は揃ってご飯を食べなきゃなんないんですよ。ひょっとして僕、間違ってますか」と菊島夫妻に吐露する。喜一は「貴方は決して間違ってないと思います」と言い、「間違っているとしたら、そうやって迷ってる姿勢かも」と付け加える。彼は卓に、「昭和一桁の親父たちは大きな壁であり、権威だった。いつの時代も、子供たちが大人の壁を越えて行くことが大切なのかもしれません」と述べた。
帰宅した卓は、詩織が大学を卒業したに充と結婚したいと思っていることを2人から聞かされる。動揺を抑えて冷静に話そうとした卓だが、充に家族での夕食を「父親の権威主義」と評されるとカッとなって平手打ちを浴びせた。充が「詩織さんを下さい」と頭を下げると、彼は「猫の子じゃないんだよ」と拒絶した。アパートに戻った充は、詩織に「殴ってもらって嬉しかった。小さい頃、親父に良く殴られた。親父の権威主義は大事なんだよ。いいお父さんだよ」と語った。卓は榊を飲みに誘い出し、詩織の結婚について苛立ちを漏らす。すると榊は、「あの頃、みんなで『俺たちの旅』ごっこしたな。いつの間にか、卓と幸ちゃんの2人になった。許してやれよ」と話す…。監督は佐々部清、脚本は寺崎かなめ&市倉久央&佐々部清、製作は高瀬哲&松本洋一、エクゼクティブプロデューサーは大村正一郎、企画プロデュースは市倉久央&青木薫&大原耕人、プロデューサーは臼井正明&渋谷保幸、撮影は長谷川卓也、美術は福澤勝広&小林久之、照明は守利賢一、録音は瀬川徹夫、編集は川瀬功、音楽プロデューサーは加瀬丈裕&茂田尚彦、インストゥルメンタルは石川鷹彦、アレンジは中ノ森BAND&伊藤心太郎。
出演は三宅裕司、真野響子、藤澤恵麻、AYAKO(現・中ノ森文子)、松方弘樹、岩城滉一、入江若葉、金井勇太、モト冬樹、中ノ森BAND(YUCCO、CHEETA、SHINAMON)、田山涼成、中村育二、波田陽区、福島まり子(現・福島マリコ)、田村三郎、ガガガSP、鯉沼直暉、中川真吾、清水悠香、木澤俊介、若松孝市、野口聖古、窪田翔、窪田光、窪田明子、後藤萌、加藤光嘉、菊池隆太郎ら。
『出口のない海』『夕凪の街 桜の国』の佐々部清が、大ファンである吉田拓郎の歌をモチーフにして作り上げた作品。
佐々部清と共同で脚本家として表記されている寺崎かなめと市倉久央は、いずれも初めての映画作品。
卓を三宅裕司、幸子を真野響子、詩織を藤澤恵麻、歌織をAYAKO(現・中ノ森文子)、喜一を松方弘樹、榊を岩城滉一、靖代を入江若葉、充を金井勇太、丸山をモト冬樹が演じている。
AYAKOは当時、中ノ森BANDとして活動しており、そのメンバーがスリーキャンディーズとして出演している。粗筋に書いたように、冒頭シーンではカバーバージョンの『落陽』が流れる。
夕暮れ時のシーンだから、『落陽』はピッタリだと思うかもしれない。しかし、ガガガSPがカバーする歌としては合っているけど、作品の雰囲気には全く合っていない。
そこに可愛いロゴで「結婚しようよ」というタイトルが表示されるので、「違うだろ」と言いたくなる。
吉田拓郎の歌なら何でもいいはずなんだから、夕暮れ時に合わせる必要は無いのよ。「まず吉田拓郎の歌ありき」なんだろうけど、たくさんの歌があるんだし。どうしても『落陽』を使いたかったとしても、別のタイミングで入れればいいんだし。卓が「家族が顔を合わせて食事をするのが、最高の生き甲斐だ」と語って笑うと、その笑い声にエコーが掛かってからカットが切り替わる。
このエコーは、どういう意図があっての演出なのかサッパリ分からない。ちょっと不気味な響きになっちゃってるけど、そういう狙いがあるわけでもないんだろうし。
後述するように、この映画では他にも幾つか「凝ったことをやろう」という強い意志を感じさせる演出が用意されている。
そして、その全ては上滑りに終わっている。充が詩織&歌織と話すシーンの途中で、後ろのソファーに座っている卓の姿が、分割画面で歌織と充の間に挿入される。歌織と充の言葉に対する卓の反応を、同時に見せるための映像演出だ。
でも、ものすごく不細工で不自然な映像になっている。
そんな変な細工をしなくても、「歌織や充が喋ってからカットを切り替えず、同じタイミングで卓の反応を見せる」ってのは可能なのよ。
カメラアングルを変更して、充の背後でソファーに座る卓が同じ画角に入るようにすればいいだけなのよ。卓は充が吉田拓郎の『落陽』を知っていて、「毎日、家族で晩飯を食う」という話を信じないというだけで、自宅に招いて一緒に夕食をさせる。
かなり無理のある展開に感じるが、それでも「卓は誰にでもフランクで簡単に他人を受け入れる性格」という設定なら、まだ良しとしよう。
しかし、どうやら他人を夕食に招くのは、珍しいケースのようだ。
しかも、自分から誘ったのに、詩織が充と一緒にいるのを見た後は、木綿豆腐の件で不機嫌になり、また招待することを露骨に嫌がる。粗筋でも触れているように、『落陽』や『春だったね』はガガガSPによるカバーで、『やさしい悪魔』は中ノ森BANDによるカバー。
でもカバーだけでなく、吉田拓郎のオリジナルバージョンをBGMとして使うシーンもある。
例えば卓は菊島夫妻を古民家へ案内するシーンと、歌織たちがライブハウス「マークII」を訪れるシーンでは、『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』がBGMで流れる。
でも、全く状況に合っているとは思えないし、そもそも「登場人物が劇中に歌うカバーバージョン」か「BGMとしてオリジナルを使う」か、どちらかに絞った方がいいと思う。謙幸子は詩織から卓がギターを辞めた理由を問われた時、何も答えない。しかし卓と出会った経緯について問われると、こっちは簡単に話す。
ここでは回想シーンを挟むが、ただライブハウスで卓と相棒が歌うのを見せるだけなので、無駄な場面転換にしか思えない。
そのシーンでは若き日の榊と丸山も写っているのだが、そんなのは後で榊たちが「卓と知り合いだった」と明かす時の回想シーンで明かせばいい。
そこに限らず、古民家のシーンと「マークII」のシーンを何度も行き来する構成は、無駄に場面転換が多いと感じる。もっとスッキリと整理した方がいいよ。そんなカットバックに、何の効果も無いよ。丸山はバンダナを頭に巻いていて、それを外すと薄い頭髪なので、バンドメンバーが口をあんぐりさせるというシーンがある。卓が久々に再会した時も、やはりバンダナを外した丸山の頭部を見て驚く様子が描かれる。
このハゲネタの使い方は、ものすごく寒々しいし、完全に外している。
回想シーンでは卓が病院を訪れると、雷鳴が轟く。「妊娠や流産を知らされてショック」ってのを表現しているわけだが、「いやマジか」と。「衝撃のシーンに雷鳴を轟かせる」って、もはやホラー映画のギャグやパロディーでしか使わないような演出だぞ。
続く病室のシーンでは台詞を音声にせず、なぜか字幕だけで表現する。これも、こっちが恥ずかしくなるような演出だ。榊が卓に歌織の言葉を伝えるシーンで、彼女は「お父さんが反対したら私は(丸山の用意した夕食に)参加できない」と話している。
でも実際には、卓の許可が出ていないのに参加したんだよね。榊が幸子に連絡するだけで、外食しちゃったんだよね。ってことは、言動不一致になっちゃってるぞ。
で、その日の夕食では卓が歌織の言葉を思い出し、「大好きになって来てるんだ、そんな団欒が」と語る映像を分割画面で挿入する。
でも、そこは、声だけで伝わるし、わざわざ映像を入れるのは不格好だよ。
あと、卓と娘たちが口論になると文句を言いながら野菜スティックをかじるのは、カッコ悪いだけの演出だよ。一緒に夕食を取って少し喋っただけなのに、詩織が自ら充の元を訪れるぐらい惚れているのは、なかなかの強引さを感じる展開だ。
充が詩織に結婚を申し込むのも、それを詩織が喜んで受けるのも、あまりにもタイミングが早すぎるだろ。2人が出会ってから、まだ数回しか会っていないはずでしょ。マトモにデートもしていないし、手を握ったりキスしたりという行動も無かったでしょうに。
そりゃあ「時間や回数が全てじゃない」という意見もあるだろうけど、この映画では説得力が全く感じられないわ。色んな手順を端折り過ぎているとしか感じないわ。
「出会った時から、一気に燃え上がった恋心」という描き方をしているわけでもないし。充が結婚の意思を話すために正装で香取家を訪れるシーンでは、「なかなか言い出さない充の足を詩織が蹴る」という映像を下から一瞬だけ競り上がる分割画面で見せる。
古民家で酔っ払う卓が「問題はウチの女たちですよ」と言うと幸子のクシャミが聞こえ、喜一が何か音が聞こえた様子で上に視線を向けると画面が香取家に切り替わる。
前述したエコーの演出や、充が詩織&歌織と話すシーンの演出と同様、ここも見事なぐらいカッコ悪い。充は結婚の申し込みに来たのに、卓から「ウチの夕食のセレモニーを形式主義だと言ったそうだな」と言われると「初めて会った時には、そう思いました。言い直します。父親の権威主義です」と語る。
わざわざ怒らせるようなことを言って、何がしたいのかと呆れてしまう。
「何だと」と卓が激怒すると「最後まで聞いて下さい。僕が言いたいのは」と補足しようとするが、ビンタされると頭を下げて「詩織さんを僕に下さい」と頼むだけ。
いや、補足があったんだろ。だったら、ちゃんと説明しろよ。なんで誤解されたままで終わらせるんだよ。
後で「殴られて嬉しかった。親父の権威主義は大事なんだよ」と言うけど、それを卓に弁明すべきだろ。なんで自己満足で済ませるのか。そのヘンテコなオナニーは、どういうつもりなのか。っていうか、その「親父が息子を殴り付ける権威主義は大切」という感覚を肯定する物語に、呆れ果ててしまうわ。
ここだけでなく、その前にも粗筋でも書いたように、喜一が「昭和一桁の親父たちは大きな壁であり、権威だった。いつの時代も、子供たちが大人の壁を越えて行くことが大切なのかもしれません」と語るシーンもある。これを卓は受け入れており、まるで否定されない。
後で喜一が「自分は息子の壁になれなかった」と打ち明ける展開はあるが、だからって自身の考えが間違っていると言うわけではない。
でも、「頑固親父が権威主義で子供の壁になる」って、ものすごく古い価値観だわ。卓が家族揃っての夕食に固執する理由が全く解せないまま、物語はどんどん進んでいく。
どこかで納得できる理由が明かされるのか、物語の中で共感できるようになるのかと思ったが、そんなことは全く無い。
そんな中、歌織は「マークII」のライブのシーンで、「バンド活動のせいで一家揃っての夕食が出来なくなった」と泣きながら謝罪する。それを聞いている卓も、目に涙を浮かべる。
ここを感動的なシーンとして演出しているが、前述のように卓が家族揃っての夕食に固執する理由がサッパリなので、何も心に刺さらない。その辺りまで話が進むと、もう卓は詩織と充の結婚に反対していない様子だ。なので、後は直接対面で結婚を許し、終幕へ持って行くだけになっている。
でも実際には、菊島家のリフォームに榊と丸山とカオリ&スリーキャンディーズも参加するエピソードが用意されている。一応、そこには卓に内緒で詩織と充を呼んでいるという仕掛けもあるが、リフォームを手伝う描写が無駄に長い。
で、卓が結婚を認めたら、後はエピローグだけでいいだろうに、卓と幸子が自宅で会話を交わすシーンなどを挟んで、ダラダラと時間を浪費する。
結婚式のシーンも丁寧に描いて10分ほど費やすが、この辺りも全てが蛇足にしか感じない。前あと、菊島家で卓と充が話す内容も、大いに引っ掛かるんだよね。
充はビンタされたことを「嬉しかった」と言い、卓は「男は、頭では分かっていても、全く別の行動に出ることがある。あの時、君を殴らなければ、私は父親ではいられなかった」と全く詫びずに自身の行動を正当化する。
そうやって短気で暴力的な頑固親父を手放しで称賛する姿勢には、呆れるばかりだ。
ひょっとすると、『男はつらいよ』っぽい映画を作りたかったのかな。公開された2008年でさえ古めかしい家族像だし、金井勇太は何となく吉岡秀隆を連想させるし。
でもまあ、どういう狙いがあったにしても、完全に失敗している。(観賞日:2023年6月5日)