『風に立つライオン』:2015、日本

2011年3月25日、石巻。1人の黒人青年は瓦礫の山となった町を歩き、「ガンバレ」と呟いた。東日本大震災の24年前、ケニアのナクルにある長崎大学熱帯医学研究所では、村上雅行所長と所員たちが働いている。熱研は風土病を研究するために村上が作った施設だが、地元患者の診療施設でもあった。しかし患者の数は多く、所員の1人は村上に「これ以上、地元患者を受け入れるのは無理ですよ。肝心の研究が進まないですし」と訴える。村上は彼に、「来週には長崎から可愛い女医が2人来る」と告げた。
しかし翌週、熱研に現れたのは女医ではなく、青木克彦という男性医師だった。しかも、もう1人の島田航一郎は飛行機に乗り遅れ、予定より3日も遅れて到着した。しかし島田は積極的に仕事を引き受けるし、手術の腕も優秀だった。赴任から半年ほど経過した頃、島田と青木はロキチョキオの赤十字病院から要請を受け、しばらく派遣されることになった。彼らが「1ヶ月経ったら戻って来るよ」と軽い様子で言うと、所員は「ロキチョキオがどんな場所か、知らないんですか」と口にした。
島田と青木が派遣されたロキの赤十字病院は、主にスーダンの内戦で負傷した兵士を治療する場所だった。到着して早々、彼らは少年兵の治療を担当することになった。少年の右腕にはガス壊疽があり、島田は洗浄しして処置しようとする。しかし院長のロビーは、「肘から先を切断して命を守る」と述べた。手術の後、彼は島田と青木に、「ここでは傷の洗浄と切断がメインだ」と告げた。さらに彼は、少年兵が多いこと、その大半は家族を殺されていること、麻薬を打たれて兵士にされることを話した。島田は青木に、「俺みたいなハンパ者が来る場所じゃなかったのかもしれない」と漏らした。
任期を終えて熱研に戻った島田の顔からは、以前のような明るさが消えていた。見かねた村上は、彼を連れてマサイランドへ出掛けた。部族の儀式を見ていた島田は涙を浮かべ、一緒に参加して飛び跳ねた。翌朝、彼は荒野に向かって、大声で「頑張れ」と叫んだ。島田は村上に、またロキへ行かせてほしいと志願した。再びロキの赤十字病院で働き始めた島田に、ロビーはインドのマザー・テレサ終末病院から来た新任看護師の草野和歌子を紹介した。
ある時、島田は和歌子に縫合を任せ、別の患者の処置に移ろうとする。和歌子が「看護師の縫合は法律で禁じられています」と言うと、島田は「ここは法律が通用する場所じゃない」と感情的になった。彼は院長室へ行き、もっと看護師に権限を与えるべきだと訴えた。島田は「実情に合っていない。和歌子なら上手く縫合できる。もっと多くの患者を助けたい」と語るが、ロビーは「医師と看護師の境界が曖昧になるのは駄目だ」と認めなかった。
ある日、戦地で大怪我を負ったンドゥングという少年が運び込まれた。航一郎が傷を確認しようとすると、ンドゥングは敵だと捕らえて噛み付いた。手術を終えた後も、彼は心を閉ざして反抗的な態度を取った。それでも航一郎は、根気強く彼に接した。航一郎は子供たちと積極的に交流して仲良くなり、一緒にゲームをしたり勉強を教えたりする。だが、ンドゥングは決して輪の中に加わろうとしなかった。大人の患者たちが退院する時、見送った航一郎は1人の男に「これからどうするのか」と尋ねた。男が「スーダンに戻って、また戦う」と答えたので、航一郎は暗い表情になった。
航一郎はロビーに、子供たちを保護できないかと問い掛ける。ロビーが「ここは病院だ。治療を終えたら難民キャンプへ帰す」と言うと、彼は「まだ治ってない。精神と肉体のリハビリが必要だ」と話した。するとロビーは、「主治医の君が言うなら仕方ない」と子供たちの保護を許可した。島田と和歌子が話していると、2人の子供が歩み寄った。「奥さんなの?」と問われた和歌子は、笑って否定した。子供から「奥さんはいるの?」と訊かれた島田は、「いないよ」と答えた。
2014年、長崎県五島列島の胡蝶島。女医の秋島貴子は父の後を継いで、診療所を経営していた。彼女と島田は、長崎大学医学部の同期生だった。1985年、長崎大学医学部附属病院で勤務していた島田は、福田和恵という主婦を受け持った。彼女は肝臓癌だと判明したが、手術で助かる状態だった。ただし大学病院にはベッドの空きが無く、肝臓外科の手術スケジュールも半年先まで埋まっていた。そこで島田は福田夫妻に、個人病院を紹介しようとする。しかし夫妻は大学病院での手術に固執し、島田の説得にも応じなかった。
結局、和恵が入院できたのは半年後で、既に手遅れとなっていた。島田は青木の忠告を聞かず、死去した和恵の葬儀に参列しようと決める。貴子が同行すると、福田は島田に「お前が殺した」と怒りをぶつけた。福田家を去った島田は、中学2年生の時に母が膵臓癌で死去したこと、火葬場で父が泣くのを初めて見たことを貴子に語る。それから彼は、「ホントは福田さんの御主人だって、分かってるんだ。誰かのせいにしなきゃ、耐えられない苦しみだってあるんだよ」と述べた。
1986年、貴子の父である誠一が脳梗塞で倒れ、左半身に軽い麻痺が残った。しかし島に医師は1人しかおらず、彼は診療を続けた。その頃、貴子と島田は互いをパートナーとして意識していた。貴子は密かに、島田と島へ戻って診療所を継ぐことを望んでいた。だが、貴子は島田から、「一緒にアフリカへ行ってくれないか」とプロポーズされる。「少し時間を下さい」と答えた彼女は休暇を取って島へ戻り、父と母の清美にプロポーズされたことを話した。
誠一の世話になっている老女が、診療所へ野菜を運んで来た。山を越えて徒歩で診療所まで来たと知り、貴子は驚いた。暴風雨の予報が出ているため、貴子は彼女を車で送り届けた。その帰り道、貴子は崖崩れに巻き込まれて窮地に陥るが、駆け付けた漁師の田上太郎に救われた。翌日、貴子は滞在予定を延長し、暴風雨で傷を負った大勢の患者を治療した。診療所を継ごうと決めた彼女は大学病院へ戻り、島田に「アフリカに付いて行くことは出来ない」と告げた。
赤十字病院での任期を終えた島田は、熱研へ戻ることになった。和歌子は彼が夜中に「頑張れ」と叫んでいるのを目撃したことがあり、「頑張れって言ってくれないんですか」と笑いながら尋ねた。すると島田は、「頑張れってのは、人に言う言葉じゃないよ。あれは自分に向かって言ってるんだ」と口にした。1990年、青木は任期を終えて帰国するが、島田はアフリカに留まった。赤十字病院の子供たちは島田のことを気に入っていたが、和歌子は戻って来ないだろうと考えていた。しかし島田は危険な陸路を車で進み、病院へ戻って来た…。

監督は三池崇史、原作は さだまさし「風に立つライオン」(幻冬舎文庫)、脚本は斉藤ひろし、企画は大沢たかお、製作は中山良夫&市川南&見城徹&山中力&藪下維也&奥野敏聡&柏木登&松田陽三&品川泰一、ゼネラル・プロデューサーは奥田誠治、エグゼクティブ・プロデューサーは門屋大輔、プロデューサーは藤村直人&坂美佐子&前田茂司、アソシエイトプロデューサーは北島直明、撮影は北信康、照明は渡部嘉、美術は林田裕至、録音は中村淳、編集は山下健治、音楽は遠藤浩二。
主題歌:「風に立つライオン(シネマ・ヴァージョン)」さだまさし 作詞・作曲:さだまさし、編曲:渡辺俊幸。
出演は大沢たかお、石原さとみ、真木よう子、石橋蓮司、萩原聖人、鈴木亮平、藤谷文子、エリック・オジャンボー、パトリック・オケチ、中村久美、山崎一、大鷹明良、宮田早苗、ちすん、エムビル・ピーター・キマニ、ニック・レディング、リディア・ギタチュー、ジュマ・スレイマン、ダニエル・ワホーム、小谷昌之、山中祥史、森川彰、平野和紀、後藤恭路、松本穂香、横山涼、牧純矢、五味佳晃、平野笑夢、田中公基、小久保寿人、扇田森也、坂口達也、中島幸代、北川アサ子、吉田武男、久保智恵子、佐々野イツ子、草野美良子、草野亜惟、上川徳広、松本寿一、白石茂、白石フミエ他。


シンガーソングライターのさだまさしは、元長崎大学熱帯医学研究所の柴田紘一郎がアフリカで医療活動に従事した体験に着想を得て、『風に立つライオン』という曲を作った。
1987年発売のアルバム『夢回帰線』に収録され、シングルカットされた。
さだの小説を基にした『解夏』と『眉山』という2本の映画に出演していた大沢たかおは、映画化を想定した上で、『風に立つライオン』の小説家を彼に依頼した。2013年になり、さだは同曲をモチーフにした小説を発表した。
その小説を基にしたのが、この映画である。

監督は『悪の教典』『藁の楯 わらのたて』の三池崇史。脚本は『Life 天国で君に逢えたら』『余命1ヶ月の花嫁』の斉藤ひろし。
航一郎役の大沢たかおは、企画段階から作品に携わっている。
和歌子を石原さとみ、貴子を真木よう子、村上を石橋蓮司、青木を萩原聖人、田上を鈴木亮平、看護師の児島聡子を藤谷文子、清美を中村久美、誠一を山崎一、和恵の夫を大鷹明良、和恵を宮田早苗、航一郎の母をちすんが演じている。
ンドゥング役のエリック・オジャンボーは、ロケ地であるケニアで選ばれた少年らしい。

序盤で気になったのは、村上に「これ以上、地元患者の受け入れは無理ですよ」と進言する職員の芝居が下手なこと。
この職員、それなりに台詞が多い。ロキへ派遣される大沢たかお&萩原聖人と会話を交わすなど、そこそこ意味のある役回りを任されている。
どうやらプロの役者じゃなくて、熱研で働く本物の職員らしい。
ただ、そんな事実を普通の観客には分からないわけだし、単に「下手な役者」ってことで映画の評価を下げることに繋がってしまう。
本物の職員を出演させるにしても、もうちょっと起用法を考えた方が良かったかなと。

冒頭、黒人青年が震災に見舞われた石巻を訪れるシーンが映画は始まる。ネタバレだが、この青年は成長したンドゥングだ。
だから、少年時代の彼を語り手にして回想劇を進めるのかと思ったら、しばらくは登場しない。回想劇に入ると24年前の熱研が登場し、そこへ青木と島田が赴任する様子が描かれる。
で、島田が働いている様子を少し見せた後、唐突に老けたメイクの青木が現れ、当時を振り返って誰かに喋っている。話している相手が誰なのかは、その時点でカメラに映らないので分からない。
それより何より、そんな構成にしている意味が分からん。
急に「青木が過去を振り返る」というシーンを挿入されても、違和感しか無いわ。

24年前のシーンでは、まず青木が予定通りに赴任して、後から到着した島田が「寝坊して、飛行機に乗り遅れて」と釈明する様子が描写される。
だが、3日遅れで赴任した設定にしている意味が皆無に等しい。
どうやら「遅刻した上にノホホンとしているので、クズが来たと思っていた村上だが、その働きぶりを見て意外に使えると感じる。手術の腕もいいことが分かる」という「意外性」をアピールする狙いがあったようだ。
ただし、それに必要なビフォーの描写もアフターの描写も、どっちも不足している。

アフターに関しては、ものすごく淡々と描いているし、しかもダイジェスト的な処理だから、島田という人物のキャラをアピールできているとは言い難い。
そもそも、青木と一緒に赴任させている意味も乏しい。島田との対比をしているわけでもないから、キャラとしては、ほぼ死んでいる。
一応は「後になって当時を振り返り、誰かに喋る」という役割を青木に与えているので、そのために必要な人材ってことになる。
ただし、前述したように「青木が過去を振り返る」というシーンの挿入には違和感しか無いし、必要性を全く感じない。

青木が回想するシーンを入れるなら、そこから話を開始して、過去の島田を描く回想形式にすればいい。
ところが実際には、石巻を訪れたンドゥングのシーンから始めて、その後に24年前のシーンを描いて、途中で「現在の青木が誰かに当時のことを語る」という箇所を挿入するという構成になっているので、無駄にゴチャゴチャしてしまう。
ハッキリ言って、東日本大震災を絡めたのは大失敗だよ。その出来事に心を痛めたのかもしれんけど、だからって何でもかんでも盛り込めばいいってモンじゃないわ。
「ガンバレ」とか言われても、何のエールにもなりゃしないよ。

24年前のシーンの構成にしても、島田が赴任して来るところから始めている時点で、いかがなものかと思うんだよね。
既に熱研で働いて何年も経過しているところから始めて、「そんな彼の元へ日本から手紙が届く。それを読んだ島田が過去を振り返る」ってことで回想劇に入る構成にすれば良かったんじゃないかと。
その方が、楽曲の内容ともマッチするわけで。
原作の内容は知らないけど、映画でも同名の楽曲が主題歌に起用されていることを考えれば、そこを合わせた方がいいんじゃないかと。

ロキの赤十字病院へ派遣された島田は、「俺みたいなハンパ者が来る場所じゃなかったのかもしれない」と漏らす。
ただ、そこまでに「島田は積極的に仕事を引き受ける熱心な男だし、手術の腕も優れている」ってことが提示されている。だから、ハンパ者という印象は全く受けない。「ハンパ者だった島田が、ロキでの体験を経て変化・成長する」ってことを描きたいのなら、そこのビフォーは弱すぎる。
そしてアフターにしても、ロキへの一度目の派遣は、エピソードが短くて薄すぎる。「島田がショックを受けた」ってのは段取りとしては理解できるが、ドラマとしての深みが無い。
その後、「マサイランドを訪れた島田はロキに再び行くことを決意する」ってのも、どういう心境の変化なのかサッパリ分からない。マサイの儀式を見て泣くのも、大声で「頑張れ」と叫ぶのも、ワケが分からないだけだ。

そもそも、「ハンパ者だった島田がアフリカで変化・成長する物語」として描きたいのなら、先に熱研を登場させて、「そこへ島田が赴任してくる」という形を取るのは望ましくない。
島田の視点から、物語をスタートさせるべきだ。
もっと言えば、「日本にいる頃の島田」から話を始めるべきだろう。
そして「日本にいた頃の、ハンパ者だった島田」を最初にアピールして、そこから「ロキでの体験を経て衝撃を受け、気持ちが変化する」ってのを見せるべきだろう。

島田が再びロキへ赴いた後、新任の看護師として和歌子が登場する。
だったら、和歌子を語り手として登場させ、「彼女が派遣された先にいた医師」として島田を配置した方がいい。そして、「今はこんな感じだけど、過去の島田はこうだった」ってことで回想劇を入れればいい。
とにかく、どこをどんな風に取ったとしても、構成に失敗している。
それと、和歌子が登場すると「最初は島田と何かに付けて意見が対立するが、やがて彼の考え方を知って印象が変化して」というドラマも上手く描写できていない。
っていうか、そこを描こうとするなら、やはり和歌子が赴任するまでの島田について先に描くのは避けた方がいいはずだし。

和歌子は島田が夜中に「頑張れ」と叫んでいる様子を目撃し、微笑を浮かべる。
「島田への印象が変わった、好意的な印象を抱いた」ということを示すようなシーンだが、それは違和感が強いわ。
ワシだったら、夜中に外へ出て「頑張れ」と叫んでいる様子を見たら、精神的に参っているのかな、ちょっとヤバい人なのかなと感じるぞ。少なくとも、それで「これまでは批判的な考えもあったが、好意的な印象に変わる」ってことは無いなあ。
だから、そこは無理があると感じる。

「奥さんはいるの?」と子供たちに訊かれた島田が「いないよ」と答えた後、シーンが2014年の胡蝶島に切り替わり、貴子が登場する。
年を取った青木が登場するシーンと同様に、彼女もカメラに映らない何者かに向かって過去を語り始める。
だが、彼女の語りによって島田がアフリカへ行く前の出来事を説明するってのは、最悪の形だ。
そこを回想劇として描くのはいいけど、どう考えたって「いないよ」と答えた島田が回想する形式にした方がいいわけで。

そもそも、貴子がナレーションベースで振り返る回想部分は、決して「島田と貴子の過去」ってわけではないのだ。「貴子の視点から見た島田との関係」を描く内容ではなくて、あくまでも「貴子の過去」なのだ。だから島田が全く登場せず、「島に戻った貴子が両親や患者と触れ合って云々」みたいな部分も多い。
それに、「互いをパートナーとして意識していた」という語りが入るまでは、2人が恋愛関係にある様子も皆無だ。そこに「深く愛し合っている2人」の印象が乏しいから、別れのドラマも全く心に響かない。そんなに大きな意味のある出来事だと感じられない。
本来なら、島田と貴子の間には深い愛があるべきなのだ。そして、「でも島田はアフリカへ行くことを決断し、必ず戻ると貴子に約束する。しかし現地での体験から強い使命感を抱いた彼は、留まることを選ぶ。だから貴子との別れに関して、罪悪感を抱く」ってな感じの中身になるべきだと思うのよ。
そもそも、貴子を女医にしている時点で失敗だと思うんだよね。
そうじゃなくて、「普通の幸せを望んだ女性」ってことにした方がいいと思うのよ。

それと、貴子が父の診療所を継ぐという形にしたのも間違いだわ。
それだと、島田の方が別れを告げられた形になるわけで。そこは逆じゃないと、楽曲の歌詞に合わないでしょ。
それに、貴子が別れを告げて、そのことを島田が引きずっている気配も全く無いんだから、それは単なる「終わった恋」に過ぎないわけで。だったら、わざわざ回想シーンとして挿入する意味さえ無いんじゃないかと。
もちろん小説の映画化ではあるんだけど、最終的に主題歌が流れるトコへ行き着くわけだから、もっと「楽曲の内容や世界観に合わせる」ってことを最大限に考慮しないとダメでしょ。

年を取った青木が「1990年に自分は帰国したけど、島田は戻らなかった」と語った後、彼の妻になった聡子が島田と高校の同級生だったことを話す。そして、高校時代の島田が吃音だったこと、合唱コンクールのソロパートに立候補して見事に歌い上げたことを回想シーンで描写する。
だけど、そういうのって心底から「どうでもいい」と感じるわ。
学生時代の島田を描くことが、この映画にとって何の意味を持つのかサッパリ分からんよ。
彼が一浪して大学に合格したってのも、どうでもいいエピソードだし。

赤十字病院へ島田が戻って来たり、サンタの格好で子供たちにプレゼントを渡したり、和歌子が孤児院を作ったりする様子が描かれた後、また貴子のターンに移る。で、彼女が両親から太郎との結婚を持ち掛けられるエピソードが描かれるんだけど、全く必要性を感じない。
ぶっちゃけ、貴子の結婚相手なんて、登場しなくてもいいぐらいの存在なのよ。
で、そんな貴子から届いた手紙を見た島田が考え込んだり、なかなか返事が書けなかったりする様子に移行するんだけど、それは変だよ。だって島田は別れを告げられた側だし、未練なんて全く無かった様子なんだし、普通に「おめでとう」ってことでいいはずで。
何を考える必要があるのかと。

しかも、島田が最終的に書いた手紙の文面は、「お願いですからどうかしあわせになってください」なのよ。
いやいや、貴子はアンタのことなんて、全く引きずってないっての。なんで「まだ未練があるかもしれんけど、俺のことは忘れてくれ」みたいな、すんげえ偉そうな立場からの物言いになってんのよ。
ちなみに楽曲の方は、そんな歌詞なんて存在しないからね。
楽曲が「別れた彼女からの手紙への返信」という形なので、歌詞を引用するんだろうと思っていたけど、まさか完全に無視した中身にするとは思わなかったわ。

とにかく、色々なことを盛り込み過ぎて、余計なことが多いのよね。
石巻を訪れたンドゥングから始めるなら「島田とンドゥングの絆」に集中した方がいいけど、それだと楽曲の内容に全く合わない。
だから、むしろ楽曲に繋げることを考えれば、ンドゥングが石巻を訪れる2011年のシーンは邪魔。
楽曲と同様に、そこを冒頭に配置するのがマストとは言わないけど、「島田が貴子から届いた手紙を読んで過去を振り返る」という形にした方がいい。

完全ネタバレだが、終盤に島田は兵士の銃撃を受ける。手榴弾の爆発があった後、同行していた案内役の男が見回しても島田の姿は無いが、もちろん死んだってのは確定的だ。
ただ、そもそも案内役が「悪魔の匂いがする。先祖の霊や神様が行くなと言ってる」と言ったのに軽く受け流し、銃撃戦に巻き込まれた時に案内役から銃を渡されても「俺は医者だから撃たない」と反撃を拒んだりしているので、その結果として殺されても全く同情心が湧かない。
緊急で出掛けなきゃいけない用件があったわけじゃなくて、ただの巡回だしね。
しかも、その巡回にしても、「村人たちのため」ってことより、「貴子への返事が書けないことからの逃避」に見えちゃうし。

それより何より、そもそも「なんで島田が兵士の攻撃を受けて命を落とす」という着地を選んだのか、そのセンスが全く解せないのよ。
そんなトコに、悲劇のカタルシスなんて全く無いからね。
主題歌の内容に合わせて、「恋人との結婚よりアフリカでの仕事を選んだことに罪悪感を抱いていたが、別れた彼女からの手紙を読んで救われた気持ちになり、これからも自分の仕事に邁進しようとする」という中身にしていれば、優れた映画になった可能性はあっただろうに。

大沢たかおが企画から参加しているとか、危険の伴うケニアのナイロビでロケーションを敢行しているとか、とにかくスタッフやキャストに熱意があったことは確かだろう。
ただし残念ながら、熱意があれば面白い映画が出来るとは限らないわけで。
139分という上映時間の映画よりも、わずか6分程度しか無い主題歌の方がドラマとしての厚みや深みを感じさせるし、心に響くモノがある。
もちろん楽曲が素晴らしいってことではあるんだけど、それに完敗するようでは、映画として失敗でしょ。

(観賞日:2016年3月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会