『火天の城』:2009、日本

天正四年、熱田。宮番匠の岡部又右衛門が弟子たちの仕事を見守っていると、織田信長が4人の家来を引き連れてやって来た。恐縮する又右衛門に、信長は「安土の山を丸ごと城にする。天主は五重じゃ」と告げる。又右衛門が「五重の天主など、未だ見たことも聞いたこともございませぬが」と困惑すると、信長は「出来ぬか?」と笑う。返答を求められた又右衛門は、「建てまする」と力強く告げた。
又右衛門が城作りを引き受けたと知った信長の家臣・木村次郎左衛門たちは、「身の程を知らぬ田舎大工が」と嘲笑した。すると築城奉行の丹羽長秀が、「これはお屋形様がお決めになったことだ」と告げる。岡部一門の熊蔵は五重の天主など無理だと漏らすが、若手の市造は「棟梁に付いて行けば出来る」と確信に満ちた口調で告げる。それを見ていた見ていた又右衛門の娘・凛は、嬉しそうに微笑した。又右衛門は妻の田鶴に用意をしてもらい、安土へ向かう。城の縄張りをしている木村たちを見た彼は、その大掛かりな計画に驚いた。
又右衛門は熱田に戻り、図面を書く仕事に没頭する。信長に呼ばれた彼は、地球儀を初めて目にする。信長は「遥か南蛮のキリシタンの天主堂は、天井まで広々としているそうじゃ。我が安土の城も、吹き抜けにしろ」と命じる。「吹き抜けの天主に、親方様がお住みになられるのですか」と又右衛門が尋ねると、彼は「いかにも」と答える。当惑する又右衛門の様子を見た信長は、「気が変わった。城作りは指図(設計図)争いで決める」と告げた。
指図争いになったことを知った木村たちは、「又右衛門は当て馬じゃったのじゃ」とバカにして笑う。指図争いの相手は、金閣寺を建立した京の宮大工・池上五郎右衛門と、奈良の大仏殿を建立した中井一門の総師・中井孫太夫に決まった。又右衛門は弟子たちと共に、雛型を作る。それは吹き抜けではなかった。誰もが「これで指図争いに勝てるのか」と疑問を抱くが、又右衛門の右腕・弥吉は「ワシらは棟梁に従うだけだ」と告げる。凛が「男に生まれれば良かった。そうすれば指図争いに行けるのに」とこぼすと、田鶴は微笑を浮かべて「女は笑みを絶やさぬように」と述べた。
指図争いの当日、中井も池上も、信長の要望通りに吹き抜けを取り入れた指図と雛型を披露する。続いて又右衛門が披露した指図と雛型は、五層七重となっていた。吹き抜けが無かったため、信長は激昂して刀を抜く。すると又右衛門は「お屋形様にお願いの儀がございます。お屋形様のお命に関わることでございます」と申し入れる。彼は全ての雛型に火を付ける実験を行った。すると、中井と池上の雛型は、たちまち天主まで燃え上がった。
又右衛門は信長わ真っ直ぐに見据え、「天主に吹き抜けなどあらば、炎の道となりまする。お屋形様のお命をお守りするお城を作ることが、我ら番匠の務めにございます」と告げる。「3年で建てるか?」という信長の問い掛けに、彼は「ははっ」と答える。信長は、又右衛門を総棟梁に任命した。こうして、安土の地で城作りが開始された。又右衛門の指揮の下、男だけでなく、平次の妻・ふさを始めとする女たちも良く働いた。
又右衛門は信長に、檜を探しに行きたいと願い出る。天主を支える親柱のためには、2尺5寸の巨大な檜が必要だ。それは木曾上松にあると又右衛門は説明する。そこは武田勝頼の領国であるため、家臣たちは騒然となる。丹羽が「武田と一戦交えろと申すのか」と尋ねると、又右衛門は「天下一の城には、天下一の檜。それが無ければ、何千年の時に耐える城は建ちません」と答える。信長は「その方の願い、あい分かった。行って来い」と言い、又右衛門は木曾へ向かった。
信長は家臣の中川左内から、「木曾義昌殿が檜を我らに渡せば、武田の怒りを買って滅ぼされましょう。義昌殿が武田に忠誠を尽くせば、又右衛門の命はありません」と告げられる。信長は「お前はどちらを望む?強く願い、命を懸けて突き進む。その気概が無ければ事は成らん。どちらにせよ、最後はこのワシが蹴りを付ける」と述べた。義昌の領地へ辿り着いた又右衛門は、たちまち連行される。信長の書状を読んだ義昌に、彼は「何卒、お願い申し上げまする」と頭を下げて檜を切らせてほしいと頼んだ。
義昌が「番匠の分際で武田と事を構えると申すか」と訊くと、又右衛門は「この命と引き換えで済むならば、差し上げまする。代わりに、御領内の檜を頂戴いたしとう存じまする」と懇願する。杣頭の甚兵衛は又右衛門を連れて森に入り、檜を見せる。だが、又右衛門の気に入る立派な檜は、なかなか見つからない。一方、仕事でつまらぬ失敗をした市造は、養父の弥吉から「木を粗末にして番匠が務まるか」と叱責されて「不器用だから、俺」と漏らす。平次は彼に「不器用は宝だ。どうすればいいか工夫する。毎日やってていく内に、体で感じるようになるんだ。不器用を喜べ。これは昔、棟梁に言われたんだ」と声を掛けた。
若い娘が男たちに絡まれ、うねという女が助けに入った。今度は彼女が絡まれ、市造が「よせ」と仲裁に入ると殴られた。熊蔵が「うねに手を出す奴は許さねえ」と叫んで男に殴り掛かり、他の面々も加わって大きな喧嘩になった。その頃、又右衛門は甚兵衛が本当な立派な檜を隠していると察知していた。実際、甚兵衛は義昌から「適当な檜を見せて、手ぶらで返せ」と命じられていた。だが、甚兵衛は「七重の城か。本当に建つなら、オラも見てみてえ」と呟く。
山を下りる朝、甚兵衛が目を覚ますと又右衛門の姿が無い。又右衛門は勝手に森を探索していた。彼は見事な檜を発見し、感涙した。そこに来た甚兵衛は、それが御神木であることを教える。「この木は、この山が、二千年という時が育てた」と言う彼に、又右衛門は「その二千年、風雪に耐える城を作りたい。頼む」と申し入れる。義昌の家臣たちが来たのに気付いた甚兵衛は、「この木はやれん。おとなしく帰れ」と又右衛門を殴り、「大雨が降るまで待て。お主の夢にオラも賭けてみる」と耳打ちした。
弥吉の元を中川が訪れ、「腕の立つ番匠を5人出せ。戦だ。砦を作る。出立は明日」と告げて去る。逆らえば又右衛門の首が飛ぶため、平次が名乗り出た。すると市造が、「俺が行く」と手を挙げた。その夜、凛は市造と会い、「戦に行くってホント?」と問い掛けた。市造が「弥吉の父っつぁんには恩がある。物心付いた頃、飢え死に寸前の俺を拾って育ててくれた。恩返しをしたいんだ」と語ると、彼女は「戦に行くことが恩返しなの?そんなに死にたいの?。いいわ。戦にでも何でも行きなさいよ」と涙声で抗議した。
木曾から戻った又右衛門は、戦へ向かう信長軍を目撃した。凛は市造を追い掛け、かんざしを渡した。又右衛門が作事場に戻ると、熊蔵は「ワシら、戦をしに来たんじゃにゃあ。城作りをしに来たんじゃ」と泣きそうな顔で言う。又右衛門は丹羽から「檜はまだか、いつ来るのじゃ」と問われ、「大雨が降れば必ず」と答える。丹羽は「工期はあと2年じゃ。お屋形様との約束を違えたら、その方は打ち首じゃぞ。忘れるな」と釘を刺した。
ある夜、皆がお囃子で盛り上がる中、酔った熊蔵はうねに抱き付く。うねが「何やってるよ」と笑って突き飛ばすと、皆が笑った。しかし熊蔵が「市造や太助はいつ戻ってくるんじゃ。人では戦に取られて、檜は来ん。そんなんで城は建つんか」と喚くと、一気に静まり返った。戦が終わり、太助が戻って来た。凛が「市造さんは?」と駆け寄ると、彼は目を潤ませて口をつぐんだ。
市造の死を知った凛は、母の前で「父さんは酷い。城のためなら仲間だって捨てられる」と荒れる。田鶴は娘に平手打ちを浴びせて「お父様を貶めるのは、私が許しません」と叱った後、優しく抱き寄せた。苛立ちを募らせた熊蔵は注意した平次と喧嘩になり、弥吉が制止に入った。そこへ又右衛門が来ると、熊蔵は「ホントに城は建つんか。騙されたんじゃ」と愚痴る。「市造さんは犬死だ」と弟子の留吉が泣き出す中、又右衛門は何も言えなかった。
又右衛門は田鶴の前で、「俺は人を束ねることも叶わぬか」とこぼす。田鶴が微笑しながら「貴方らしくございません」と言うと、彼は苛立って「お前はなぜ、いつもそのように笑うておる?何があっても笑うておる。それほどワシが馬鹿に見えるか」と怒鳴る。すると田鶴は「とんでもありません。父の教えでございます。女子は何があろうと微笑んでおれと躾けられて育ちました」と静かに答えた。
又右衛門が「ならば笑え。声を上げて笑うてみよ」と大声で要求すると、田鶴は目を潤ませながら、「貴方は、人の心を分かろうとはなさらぬのですか。その微笑みの裏で、その人がどれほど辛い思いを噛み締めているのか、お分かりにならないのですか。私にも血は通うております。男も女も泣かぬ者はおりますまい。その涙を見せるか、微笑みで包むかの違いです」と一筋の涙をこぼす。又右衛門は心を打たれ、「ええ、親父様だったな」と口にした。
夜中に散歩へ出た又右衛門は、親友である石工頭の戸波清兵衛と遭遇した。彼は巨大な蛇石に座っており、「月見酒じゃ、やらんか」と誘って来た。戸波は蛇石について、「もし動かしでもしたら、どえらい祟りがある。世の中には、どれほど気張っても思い通りにいかんことがある。我ら石工は石を敬い、石を恐れる。石に教えを請い、石が秘めたる力を信じるのじゃ」と語る。又右衛門は「ワシも、田鶴に教えられた。女子は強い」と言い、彼と酒を酌み交わした。
田鶴は城作りの成功を祈り、具合の悪い体でありながら、お百度参りを行う。そんな中、ついに大雨が降った。甚兵衛は筏を作り、檜を川に流して又右衛門の元まで届けた。義昌は命令に逆らった甚兵衛を呼び付け、「杣人の分際で」と罵る。すると甚兵衛は彼を睨み付け、「あの男を人を分け隔てはしない。山の民の心根を分かってくれた。敵も味方もありゃせん」と言う。義昌が「打ち首じゃ」と激昂すると、甚兵衛は「斬るがええ」と堂々たる態度で言い放つ。義昌は彼の首を斬り、「手厚く葬ってやれ」と家臣に命じた。又右衛門は甚兵衛から届いた手紙を読み、「いい夢を見させてもらった。後は頼む」の言葉に涙する。
天正五年夏、綱が張られ、親柱が建造された。城作りが進む中、田鶴は体調の悪さを隠して又右衛門を気遣った。雪の降る日、とうとう彼女は喀血するが、それを又右衛門には明かさなかった。天正六年春、作業現場で大きな蛇石が見つかった。丹羽から本丸へ運ぶよう命じられた清兵衛は、「蛇石は、お山の神の化身です。動かせば祟りがございます」と拒む。「首を撥ねられてもか」と、木村が刀に手を掛ける。又右衛門が止めに入って「餅は餅屋。石のことは、この清兵衛に任せるがよろしいかと思います」と述べると、丹羽は「口出しはならん」と一喝する。木村が又右衛門を切ろうとすると、清兵衛が「おやめ下され。蛇石を動かす差配を取りましょう」と告げた…。

監督は田中光敏、原作は山本兼一(文藝春秋・刊)、脚本は横田与志、製作総指揮は河端進、ゼネラル・プロデューサーは河端勲、プロデューサーは進藤淳一&藤田重樹、撮影監督は浜田毅、美術監督は西岡善信、美術は吉田孝、照明は安藤清人、録音は小野寺修、編集は穂垣順之助、ラインプロデューサーは清水圭太郎、スーパーバイザーは長岡功、題字は武田双雲、VFXスーパーバイザーは田口健太郎、音楽は岩代太郎。
主題歌『空が空』歌:中孝介、作詞:川村結花、作曲;川村結花、編曲:河野伸。
出演は西田敏行、大竹しのぶ、福田沙紀、椎名桔平、緒形直人、夏八木勲、寺島進、山本太郎、石田卓也、ペ・ジョンミョン、前田健、上田耕一、笹野高史、水野美紀、熊谷真実、西岡徳馬、渡辺いっけい、河本準一、田口浩正、岸本康太、福本清三、遠藤章造、内田朝陽、石橋蓮司、セス ヤーデン、高橋弘志、中川峰男、笹木俊志、三上雅士、木下通博、西村龍弥、吉田輝生、山根誠示、青木哲也、太田雅之、稲田龍雄、上泉雄一、江原政一、山中悦良、山田永二、宇野嘉高、林健太郎、久保田光男、青木孝仁、秋庭健、今西洋貴、大山哲司、川原伸介、菊池建二、齋藤力丸、田原昌夫、常廣大亮、吉川康男、樽沢啓一、倉本豊ら。


山本兼一の同名歴史小説を基にした作品。
監督の田中光敏と脚本の横田与志は『化粧師 KEWAISHI』『精霊流し』のコンビ。
又右衛門を西田敏行、田鶴を大竹しのぶ、凛を福田沙紀、信長を椎名桔平、甚兵衛を緒形直人、清兵衛を夏八木勲、平次を寺島進、熊蔵を山本太郎、市造を石田卓也、太助をペ・ジョンミョン、留吉を前田健、弥吉を上田耕一、うねを水野美紀、ふさを熊谷真実、長秀を西岡徳馬、木村を渡辺いっけい、羽柴秀吉を河本準一、中川を田口浩正、孫太夫を内田朝陽、五郎右衛門を石橋蓮司が演じている。

なぜ信長が城作りを又右衛門に命じたのかという部分の説明は、何も用意されていない。
木村たちが「身の程を知らぬ田舎大工が」と嘲笑しているが、ってことは、信長の家臣たちの中では、それほど評価の高い人物ではなかったわけだよね。
にも関わらず、なぜ信長は他の面々ではなく、彼を直々に指名したのか。
丹羽が「お決めになったことだ」と言った後、それに疑問を呈する者もいないし、その疑問に答えようとする者もいない。だから、そういう周辺人物の会話から推測することも出来ない。
最初に「この又右衛門に、まだ御用が」と言っているように、実は彼は城作りの前に、信長の仕事を請け負ったことがある。天正元年に、鉄甲船を建造しているのだ。
だから信長は、その時の仕事ぶりから彼を指名したんだろうけど、そういうことは劇中では語られていないしねえ。

吹き抜けにしろという信長の命令に、「いやあ、それは……」と又右衛門は漏らす。すると信長は椅子から立ち上がって「気が変わった。城作りは指図(設計図)争いで決める」と言い出す。
信長が又右衛門の態度に納得できず、彼に任せるよりもコンペ形式にしようという気持ちの変化があったという流れは理解できる。
ただ、そこの描写が淡白なので、「予想外の展開」としての効果が弱くなっている。
信長って短気なキャラとして描かれることも多いんだし、この映画でもすぐカッとなるシーンがあるし、そういう形(又右衛門の態度にカッとなって指図争いを決めるという形)にしておいた方が良かったのでは。
あるいは、もっと間を溜めたり、あと一度ぐらい会話のやり取りがあってから、「気が変わった」と言い出す流れでも良かったのでは。

見せ方がのっぺりしているから、又右衛門が総棟梁に任命されるシーンも盛り上がりに欠けている。
もっとドラマティックにやってもいいと思うんだけどなあ。やってるつもりなのかなあ。
例えば、弟子の誰かが又右衛門に反対意見を述べるとか、中井や池上が彼の指図を見て勝ち誇るとか、そういう「又右衛門の敗北が濃厚で、周囲の面々がバカにする」みたいなトコからの、逆転劇としての高揚感が無いんだよな。
もう最初から、又右衛門が勝つ筋書きしか見えてない感じなのね。

又右衛門は檜を探しに行きたいと信長に願い出るが、そこに向けての流れが皆無。
場面が切り替わると、いきなり願い出ている。
そうじゃなくて、その前に市造に「木は育った方位のままに使うてやれ」と教えている場面があるんだし、その流れで、「ここにある木では不充分だ。親柱に使うには、この柱ではダメだ」と又右衛門が考えるシーンを用意しておけばいいのに。
あと、又右衛門が木曾へ向かうのに一人ってのも違和感があるなあ。
なんで誰も連れて行かないのか。

又右衛門が城を建てるために奔走する、その情熱や覚悟の表現が物足りない。
基本的に、彼の強い思いってのは、全て「誰かに訴える」というセリフで表現されている。
もちろん、西田敏行がセリフを喋って、それに伴う演技を見せれば、熱い思いってのは伝わりやすいだろう。ただ、それ以外にも、行動とか、周囲のキャラによる説明とか、人間ドラマとか、そういうのも使ってほしい。
例えば檜を探すシーン、又右衛門が一人で探索に出掛けると、あっさり見つけ出してしまう。
そこは、もう少し苦労させた方がいいでしょ。そうしないと、檜を見つけた時の感動も、こっちに全く伝わらない。

又右衛門が城を建てるために頑張る姿に集中すればいいのに、他のことにも色々と目を向けている。
それが物語に厚みをもたらすために機能していない。ただ映画を散漫な印象にさせているだけ。
しかも、それらの要素は全て薄っぺらいのだ。
例えば凛と市造の恋仲にしても、まるで描写が足りていないから、市造が戦に出掛ける時も、帰らなかった時も、そこに悲劇的なモノとしての盛り上がりが無い。

それと、凛が渡したかんざしを誰も持ち帰っていないので、市造が死んでおらず、後から戻って来ることもバレバレなんだよな。
むしろ戦場に落ちていたかんざしを誰かが持ち帰ることで、「市造は死んだ」とミスリードした方がいいんじゃないの。
あと、市造が戻らなかった時に、それに対する又右衛門の反応を描かないのは手落ちでしょ。
そこで痛切に感じたり、娘の悲しみに触れて心を痛めたり、そういう描写があってもよさそうなものなのに。

それと、終盤になって市造が無事に戻っても、そこに何の感動も無いってのは致命的な欠陥だよな。
彼が戻るのは「これから親柱を四寸切る」という実現不可能と思われる作業に挑もうとする直前で、みんなが無理だと思っているところへ「無理じゃねえ」と叫んで登場するという展開。
でも、そんなことより「四寸切る」というクライマックスとなる作業に向けて、全員の気持ちが向いている。
なので、彼が無事に戻ったことへの喜びや感動ってのは、軽くスルーされちゃうんだよな。

熊蔵が「うねに手え出す奴はオラが許さねえ」と喧嘩するシーンがあって、その後には抱き付いて笑って突き飛ばされるシーンがあるが、これしか2人の関係を示すためのシーンは用意されていない。
それで「熊蔵&うねと恋仲になりました」というのは、あまりにも薄い。
「2人は恋仲になりました」というところで終了だったら、その程度でもOKかもしれん。
しかし完全ネタバレだが、うねは武田の乱破で、信長を殺そうとして戦い、彼女を助けるために熊蔵が飛び出し、2人とも殺されるという「悲劇の結末」まで持って行くわけで。
そこへ着地するにしては、2人の関係描写は薄すぎる。

又右衛門と甚兵衛の関係描写も薄いから、そこの信頼関係を軸にして「檜は本当に届くのか」というドラマを進められても、まるで心が湧き立たない。
「いかに又右衛門が全てを懸けて城作りに燃えているか」ということの表現も、それを甚兵衛が感じ取って気持ちが変化するという表現も、どちらも足りていない。
そして、又右衛門と甚兵衛が「男の絆」で結ばれるというドラマも足りていない。

恋愛劇とか、武田の乱破が襲ってくるアクションとか、そういうのが全て邪魔だわ。
特にアクション部分は絶対に要らんでしょ。そこに又右衛門は全く関与しないんだし。
あと、凛と市造の恋愛劇にも、やっぱり又右衛門は全く関与しないし。
又右衛門の関連するところでエピソードを入れるのならともかく、他のキャラクターを活かすためのエピソードは要らない。邪魔な存在にしかなってないし。

又右衛門は丹羽から「工期はあと2年じゃ」と言われるシーンがあるが、「いつの間に1年が経過したのか」と驚いてしまった。
まるで月日の経過を感じなかったのでね。
ただ、そこで「あと2年」と言っているのに、又右衛門が死んだ甚兵衛の手紙を読むシーンの後に、「天正五年、夏」というテロップが出るんだよね。
ちょっと待てよ、まだ1年経過してなかったのかよ。
辻褄が合わないぞ。

親柱が立てられるシーン、その前後に何も無く、そこだけをポツンと配置しているので、感動も何もあったものじゃない。余韻を持たせ、皆が盛り上がるのを見せるわけでもないし。
とにかく、全ての描写が淡白なのね。
多くの出来事、多くの要素を盛り込んで、それを全て消化するので精一杯という感じになってしまっている。
だから、例えば田鶴が死んでも、悲劇として心を打つモノがまるで無い。流れの作り方が上手くないんだよな。
「ここは盛り上げるべきシーン、そして盛り上げようとしているであろうシーン」というのが、ことごとく「点」でしかないのだ。
そこへ向けての作業が全く無いわけじゃないんだけど、それが「線」としてしっかりと繋がっていない。

(観賞日:2012年10月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会