『顔役』:1971、日本

入江組の組長・入江が賭場の奥にいると、組員の野口が戻って来た。野口が「あきまへんわ、大淀が一週間くらい前にケジメ取りに行って まんねん」と弱気なことを言うので、入江は「取るもん、取って来たんかい。最初から喧嘩にする気やから、あの信用金庫、落とし前取り に行ったんと違うんかい」と怒鳴った。野口は「分かりました。ほな、明日、ばっちりケジメ付けてきまっさ」と告げた。
警察署では、署長が署員に弁舌を振るっている。「世間は暴力団と警察の結び付きに疑惑の目を持っている。かつて、情報源として利用 したことは事実だ。しかし現在は、彼らとの腐れ縁を切らなければならないことは言うまでもない。まして、彼らとの私的交際など絶対に あってはならない」と彼は説いた。捜査四課の西野課長は、部下の吉川に「あいつは今朝も来てへんのか」と尋ねる。吉川が「聞き込みに 行くとか言うて」と告げると、西野は「甘やかしたらいかんぞ。あいつはどっちの人間か分からへんからな」と言う。
理髪店にいた野口は、大淀組の組員・沢本によって射殺された。電話で事件発生の連絡を受けた刑事の和田は、先輩の立花に知らせた。 立花は和田を引き連れ、ストリップ小屋へ赴いた。顔馴染みである経営者の赤松に挨拶した後、立花は中に入った。彼は客席にいた入江組 の組員たちに声を掛け、「床屋の殺し。お前らと違うんかい。お前らパクろうと思ったらいつでもパクれんのやぞ」と脅した。すると彼ら は、「やったんは大淀組のモンや。やられたんはウチの組のモンやで」と告げた。
立花はストリップ小屋を出た後、赤松にノミの電話を掛けた。ストリップ嬢が全て脱いでいたため、和田は「ほっといていいんですか」と 検挙するよう立花に持ち掛けた。しかし立花は「あの親父とはな、借したり貸りたりする仲や」と軽く受け流した。立花が和田を連れて 大淀組事務所へ赴くと、幹部の杉浦が応対した。「床屋の殺しの件やけどな、カッコ付けてもらえんのかい」と立花が問い掛けると、杉浦 は沢本の身柄を引き渡した。
入江組の組員たちは大和不動産の専務室に乗り込み、「大淀がおる思て偉そうにしとったらアカンぞ。こっちかってケジメ取る気なら、 ばっちり取るんや」と脅した。経理をしていた女から手に入れた書類を彼らが見せると、専務は2日だけ待ってほしいと頼んだ。だが、 組員が去ると、彼は強気な態度で「何を言ってやがんだ」と吐き捨てた。大和不動産の社長から連絡を受けた大淀組組長の尾形は、幹部の 筒井にケジメを取るよう命じた。大淀組の連中は、大和不動産に乗り込んだ入江組の組員2人を北町通りで始末した。
捜査四課は会議を開き、吉川が事件の背景を説明した。かねてから大淀組は、本町信用金庫の支店長の不正融資をネタにして恐喝を行って いた。そこに入江組が横入りしてきたので、大淀組が床屋と北町通りで邪魔者を消したのである。西野が一同に「断固として大淀組をやる べきだと思う」と言うと、立花は「やめといた方がよろしいな」と口にした。大淀組のバックには元大臣も付いており、捜査を始めても ストップが掛かる可能性が高い。途中で圧力に屈するぐらいなら最初からやらない方がいいというのが、彼の意見だった。
西野が「絶対に責任を持つ」と約束したので、立花は行動を開始した。彼は和田と2人で大淀組の組員に化け、支店長の栗原を訪ねた。 まんまと騙された栗原は、大淀組に金を渡していることを口にした。それをテープに録音した立花は、「こっちの狙いは大淀組なんや。 アンタの不正融資やない」と言い、協力を要請した。立花は杉浦を署に連行し、取り調べを行う。だが、杉浦は余裕の態度で、大淀組の 壊滅に繋がるような情報は何も喋らない。
栗原は妻と娘を車に乗せて遊びに出掛けるが、大淀組に3人まとめて始末された。立花は杉浦の情婦・真由美の部屋を調べ、通帳を発見 した。すると真由美は通帳を守るため、「アンタの欲しい物は何でもあげる」と誘惑してきた。立花は杉浦に、尾形が真由美と寝ている こと、自分も関係を持ったことを話した。杉浦は「桜の代紋しょっとる思て、舐めた真似さらすなよ」と怒鳴る。立花が「代紋しょって なかったら、どないすんねん」と訊くと、彼は「二度と喋れれんようにしたるわい」と言う。立花は杉浦を署の外に連れ出し、警察手帳を 投げ捨てて殴り掛かった。
尾形がキャバレーを出たところで、入江組の刺客が発砲してきた。組員の筒井たちが一斉に逃げたため、尾形は肩に弾丸を浴びた。大淀組 の捜査が打ち切りになったため、立花は西野に詰め寄った。「己の立身出世のためにな、ワシらを騙して扱き使いやがって。何が組織暴力 の絶滅や」と怒鳴り散らし、立花は警察手帳や手錠を投げ渡した。だが、警察を辞めてしまうと、赤松も立花に冷たくなった。彼は「代紋 を外してしもたら、なんも面倒みてもらえんもんな」と言い、立花から今までのツケを回収した。
立花は大淀組の人間を名乗って入江組に電話を掛け、「お前トコの若いモンの体、こっちは取っとるぞ。コンクリート詰めにして川に 沈めるぞ」と脅しを掛けた。入江は「ワレんトコも同じにしたるわい」と激怒し、組員に命じて筒井を射殺させた。その報復として、今度 は大淀組が入江組に爆弾を投げ込んだ。星友会の二代目・星野が解決に乗り出し、大淀組と入江組は手打ちにすることを決めた…。

監督は勝新太郎、脚本は菊島隆三&勝新太郎、製作は勝新太郎&西岡弘善、撮影は牧浦地志、編集は谷口登司夫、録音は大角正夫、照明は 中岡源権、美術は西岡善信、擬斗は楠本栄一、音楽は村井邦彦。
出演は勝新太郎、山崎努、太地喜和子、藤岡琢也、若山富三郎、伴淳三郎、山形勲、前田吟、大滝秀治、深江章喜、織本順吉、 江波多寛児(現・江幡高志)、横山リエ、大川修、北城寿太郎、秋山勝俊、蟹江敬三、テレサ・カーピオ、藤山浩二、九段吾郎、 伊吹新吾、北野拓也、黒木現、山岡鋭二郎、長岡三郎、大杉潤、岩田正、福井隆次、安藤仁一郎、馬場勝義、藤春保、新関順四郎、 三藤頼枝、石井喜美子、三輪京子、上原寛二、今田義幸、宮崎美栄子、渡辺満男、竹内春義、森下耕作、佐竹克也、新田章、山村友絵ら。


勝新太郎が初監督を務めた作品。彼は脚本にも携わっている。
配給はダイニチ映配らしいのだが、映画が始まると東宝のマークが出る。製作は勝プロダクション。
立花を勝新太郎、杉浦を山崎努、真由美を太地喜和子、栗原を藤岡琢也、星野を若山富三郎、赤松を 伴淳三郎、尾形を山形勲、和田を前田吟、西野を大滝秀治、筒井を深江章喜、吉川を織本順吉、入江を江波多寛児(現・江幡高志)、沢本 を蟹江敬三が演じている。

この作品でカツシンは、「本物」にこだわっている。
冒頭、賭場のシーンが映し出される。手持ちカメラのブレや、ガヤガヤしているがハッキリしない台詞など、ほとんどドキュメンタリーの ような印象のオープニングだ。
だが、「本物」へのこだわりは、そこではない。
なんと、そこに登場している面々は、全て本物の山口組組員なのだ。
さらに終盤の手打ちシーンでは、実際の手打ち式を忠実に再現しているらしい。
また、途中で登場するストリッパーも本物で、使われるストリップ小屋やトルコ風呂も実際の場所である。

1960年代、勝新太郎は同期の市川雷蔵と共に、大映を支えるトップスターだった。『座頭市』や『悪名』、『兵隊やくざ』といった人気の シリーズに主演し、華々しく活躍していた。
だが、似たような娯楽作品ばかりが続くことに納得できず、自分が思うような映画を製作するために、社内プロダクションの形で勝プロを 設立した。
そんな中、彼は銀座のクラブで勅使河原宏と出会った。
彼は安部公房の小説を基にした『落とし穴』、『砂の女』、『他人の顔』を撮り、前衛的な監督として注目を集めていた。

「プログラム・ピクチャーではなく、訳の分からない映画を作りたい」と思っていたカツシンは、たちまち勅使河原と意気投合した。
そこで2人がコンビを組んで作られたのが、1968年に公開された勝プロの第2作『燃えつきた地図』だった。
前述した勅使河原監督の3作と同様、原作は安部公房である。
映画文法を無視し、現場で自由に演出を変えていく勅使河原のやり方は、カツシンに「これがOKなら、自分にも映画を撮ることが出来る はず」という自信を持たせることになった。

カツシン本人にとっては、勅使河原宏との出会いは素晴らしい出来事だったのだろう。
しかし映画ファンにしてみれば、不幸な出会いであった。
カツシンが勅使河原と出会わなければ、それ以降に映画やTVドラマで監督を務めることなど無かったかもしれない。
仮に監督をするようになっても、前衛的で訳の分からない作品を撮ることは無かったかもしれない。
カツシンは勅使河原宏と出会い、彼の影響を強く受けたことによって、どうしようもなくダメな監督になってしまったのである。

冒頭、映画が始まると、いきなりフォーカスが合わずピンボケする。
その後も、手持ちカメラは映画の文法を完全に無視して自由奔放に動きまくる。
極端なアップでシーンを始めるため、そこがどういう場所なのか、しばらくは判別できないという箇所が幾つもある。
例えば真由美が杉浦の面会に来るシーンでは、まず結ばれたリボンがアップになり、次に真由美の顔の一部に寄った極端なアップが写る。
例えば星野が入江と話すシーンでは、最初に入江の頭部が画面一杯に写し出される。

それ以外にも、例えば立花と和田がストリップ小屋へ行くシーン、普通なら、前のシーンからカットが切り替わったところで、立花たちが 歩いて行く様子を捉えるだろう。
ところが、この映画では、前のカットで屋上からトタン板が落とされ、そのまま手持ちカメラが首を振って、その後、階段を上がっていく 立花たちの視点による映像になる。
つまり、しばらくの間、立花と和田が写らないのである。
だから、何が何やら良く分からないまま、しばらく時間が経過する。

そのように、「喋っている人物をカメラが捉えない」ということが、この映画では非常に多い。
立花たちが大淀組の事務所へ赴くシーンでも、最初に杉浦の「お待たせして。わて、大淀エンタープライズの杉浦です」という声が 聞こえるが、その時点ではカメラが杉浦視点になっている。
彼が座ってから、ようやく顔が写る。
行動している本人の視点映像だけでなく、誰かが喋っている時、まるで別の場所を写すというケースも多い。
また、会話の中で切り返しショットを使うことは皆無に等しい。

カメラが固定されたままで会話が続くようなことは無く、妙な場所に向いたり、妙なタイミングでカメラがズームアウトしたり、気まぐれ に動きまくる。
あまりにトリッキーすぎて、まるで付いて行けない。
シナリオの骨格だけを取ってみれば、かなり分かりやすいプログラム・ピクチャーに仕上がりそうなのに、やけに分かりにくい、かなり 取っつきにくい作品になっている。
それもそのはずで、カツシンは最初から「訳の分からない映画」が撮りたかったのだ。

床屋で殺人事件が発生した後、シーンが切り替わると、カメラは幾つものカットを立て続けに捉えていく。
ただ、事情聴取する刑事が描写されるのは理解できるが、その後が良く分からない。
道に落ちている丼茶碗、ボンヤリと座っているノーネクタイのサラリーマン、手拭いを頭に巻いた男、乳母車の中にいる赤ん坊といった カットが続くのだが、どういう意味を込めて用意されているんだろうか。

状況や人間関係を説明するためのセリフや場面が用意されておらず、そこで何が起きているのか、どういう物語進行になっているのか、 それを把握することは、容易とは言えない。
それほど複雑な骨格を持ったシナリオではないが、それをマトモにストーリーテリングする気など、カツシンには全く無い。
そもそも、彼は娯楽映画を作ろうとしていない。みんなに楽しんでもらおうとか、観客が喜ぶような面白い映画を提供しようとか、そんな 意識はさらさらないのである。

カツシンはただ、自分のやりたいように遊びまくっただけだ。
ハッキリ言ってしまえば、これは彼のマスターベーションであり、それにスタッフも出演者も観客も付き合わされたのだ。
プログラム・ピクチャーで大勢の観客を楽しませる監督や俳優の方が、高尚を気取って一部のインテリや批評家だけに持て囃されるような 芸術映画を作るよりも、遥かに優れたことなのに、それに気付かなかったために、カツシンは間違った方向へと走り出してしまった。
そして結局、間違いに気付かないままで生涯を終えたのである。

(観賞日:2011年5月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会