『カムイの剣』:1985、日本

幕末の下北、佐伊ノ村。次郎の外出中、母・つゆと姉・さゆりは乗り込んで来た忍びに殺害された。家に戻った次郎は2人の遺体を発見し、傍らにあった短刀を拾い上げた。彼が鞘から刀を抜くと、そこへ村人のお金婆さんが通り掛かった。お金は次郎を母と姉殺しだと決め付け、大声で叫んで村人たちを呼び寄せた。捨て子だった次郎を拾って育ててくれたのにと、村人たちは激しく非難した。次郎は無実を訴えるが、村人たちは彼が犯人だと決め付けた。
次郎は村から逃走し、森に入った。すると僧侶の天海が現れ、「犯人は忍びで、仏ヶ浦に追い込まれている」と次郎に教えた。仏ヶ浦では太郎佐という忍びが十勝半蔵と配下の松前衆に包囲され、窮地に追い込まれていた。しかし、つゆとさゆりを殺したのは太郎佐ではなく、半蔵の方だった。半蔵は太郎佐に、彼がアイヌ女との間に儲けた息子がつゆの元で育っていたことを教えた。そこへ天海に連れられた次郎が現れ、短刀を構えた。松前衆の攻撃で太郎佐は瀕死の状態に陥り、自分の息子だと気付いた次郎に腹を刺された。
天海は太郎佐を殺害し、村を焼き払って住人を全滅させるよう松前衆に命じた。彼は次郎に「父親は忍びかもしれん」と言い、自身で謎を解き明かすよう促した。天海は次郎を引き連れ、松前の天源寺へ戻った。配下の忍びである三平は、次郎に天海のことを教えた。天海の息子である真吾は、次郎に忍びの稽古を積ませた。やがて次郎は青年へと成長し、天海は父の名は太郎佐であること、シノピリカ・コタンという場所で消息を断ったことを教えた。
次郎は天海の指令を受け、父の手掛かりを得るためにシノピリカ・コタンへ向かった。天海は真吾に、究極まで追い込んだ次郎が太郎佐と同じ行動を取るかどうか確かめるよう命じた。「御前様」と呼ばれる幕府の重鎮が天源寺を訪ねてくると、天海は「ご案じめさるな。矢は放たれ申した」と述べた。次郎はウラカという少年から、父が暴行を受けているので助けてほしいと頼まれる。次郎は暴行している連中を退治するが、既にウラカの父は死んでいた。
ウラカは次郎を連れて、自分が住むシノピリカ・コタンへ向かう。ウラカの父を襲っていた連中の元へ真吾が来て、計画通りに進行していることを確認する。コタンに到着した次郎は、長老に短刀を見せた。すると長老は、それは村の秘宝とされる「カムイの剣」であること、娘のオヤルルと結婚した和人の男に贈ったことを話す。だが、2人は村を出て行き、オヤルルだけが戻って来たと彼は述べた。次郎はオヤルルの家を訪ね、既に父親が死んでいると考えていることを聞かされた。次郎が天海の名を口にすると、オヤルルは彼こそが父親を送り込んだ男だと告げた。
天海に追われた太郎佐は、赤ん坊の次郎を救うため川に流した。天海は太郎佐に「宝の秘密を解いたか」と問い掛け、裏切った彼に傷を負わせた。その話を聞いた次郎は、自分が刺した相手こそ父親だったと気付いた。次郎とオヤルルは夕食を取るが、混入されていた痺れ薬によって倒れ込んだ。次郎は意識が朦朧とする中、真吾がオヤルルを殺して去る姿を目にした。次郎は母親殺しの下手人だと村人たちに誤解され、牢に入れられた。次郎を信じるウラカは、彼を牢から脱出させた。
次郎は墓地を訪れ、父の遺品を埋めたというオヤルルの言葉を思い出した。彼が墓を掘ると、英文で綴られた手紙があった。次郎は襲って来る忍びたちを始末し、その1人に化けて真吾と接触した。真吾は何も気付かずに痺れ薬を飲んでしまい、配下の忍びたちを欺いて彼を殺害させた。次郎が「抜け忍になる」と告げて走り去ると、半蔵と松前衆が追って来た。次郎は重傷を負うが、何とか逃げ延びる。そこへお雪という忍びが襲い掛かって来るが、次郎は彼女の胸に軽傷を負わせて逃走した。
意識を失って倒れた次郎は、蝦夷地で隠遁生活を送る老学者の安藤昌山に救われた。次郎を見つけて彼の家に運んだのは、チオマップというアイヌの少女だった。昌山は地球儀を次郎に見せ、世界が広大であることを教えた。次郎は墓から掘り起こした手紙を見せ、その意味を教えてほしいと頼んだ。英文を解読した昌山は、剣の螺鈿を外すよう次郎に促した。次郎が指示に従うと、そこにはアメリカの地図が入っていた。昌山は旅費として砂金入りの袋3つを次郎に渡し、春になって船が立ち寄ったらアメリカへ渡るよう勧めた。
次郎は雪山を歩いて来る三平とお雪の姿を目撃し、すぐにアメリカへ発つことを決めた。次郎は昌山に案内され、チアマップが小舟を用意した場所へ赴いた。そこへ天海の刺客である松前三人衆が現れ、手裏剣を投げ付ける。次郎は攻撃をかわすが、昌山が手裏剣を受けて死ぬ。次郎は松前三人衆の勘助とお春を始末するが、の幻術に倒れてしまう。しかし何者かが放った手裏剣で意識を取り戻し、喜平次を始末した。誰が手裏剣を投げたかは分からないままだったが、次郎は仲間がいることを知った。
次郎はチアマップに見送られ、小舟で海へ漕ぎ出した。天海はチオマップの前に現れ、脅迫して情報を聞き出そうとする。チアマップは次郎から貰った手裏剣を使い、自らの喉を突き刺して死んだ。国後島に辿り着いた次郎は、カリフォルニア号の黒人船員であるサムが地元住民たちに追われているところを助けてやった。次郎がアメリカへ行きたいことを話すと、サムは捕鯨船へ連れて行く。そこへお雪が現れ、次郎に襲い掛かる。しかしサムがロープを使って足を引っ掛け、お雪は甲板に叩き付けられて気絶した。
次郎はドラスニック船長に前金として砂金の袋1つを差し出し、乗船を要請した。ドラスニックは船員と揉め事を起こさないこと、お雪を介抱することを条件に、乗船を許可した。次郎は熱を出して寝込んでいるお雪を看病し、徹夜で面倒を見た。砂金を狙った船員が背後から次郎に襲い掛かろうとした時、意識を取り戻したお雪は含み針で彼を救う。お雪は次郎に、「なぜ私を助けた?どうして殺さなかった?」と問い掛ける。次郎が「お前はなぜ、俺を助けた?」と訊き返すと、お雪は黙り込んだ。
次郎がドラスニックから下船を求められると、サムは自分も降りると主張する。しかしサムはドラスニックの奴隷であり、自分の意志で下船することは出来なかった。それを知った次郎は、砂金をドラスニックに渡して彼を解放してもらう。次郎、サム、お雪はカムチャッカで船を降ろされ、雪道を歩いてベドロパブロフスクの町に辿り着く。次郎は天海の姿を目撃し、サムと別れようと考えた。お雪は不意を突いて次郎に襲い掛かり、わざと反撃を受けて気絶した。意識を取り戻した彼女は、天海から拳銃を渡された。
次郎は同行を志願したサムと共に雪山を移動するが、天海と松前衆が追って来た。お雪は上空に向かって発砲し、雪崩を引き起こす。雪崩に巻き込まれないよう、松前衆は慌てて逃亡する。雪崩が去った後、お雪とサムは次郎を捜すが発見できなかった。サムはお雪を説得し、次郎が向かったであろうサンタカナリア島を目指すことにした。一方、雪山を脱出した次郎は、アメリカのネバダ州に辿り着いた。彼は白人ガンマンの2人に襲われそうになったインディアン娘のチコを救うが、疲労困憊で意識を失った。
チコはインディアンの集落に次郎を運び、酋長とである父のジェロニモと会わせる。ジェロニモは次郎に、チコがフランス人であること、母親が行き倒れになったので自分が育てたことを話す。次郎からサンタカタリナについて問われたチコは、同じ名の酒場が近くの口にあることを話す。店主なら何か知っているのではないかと言われた次郎は、チコと共に町へ行く。店にいたガンマンに絡まれた次郎は反撃し、決闘を要求される。次郎は銃を使わず、忍術でガンマンを退治した。次郎がチコと町を出ると、酒場にいた新聞記者のマーク・トウェインが追って来た。彼は次郎に、サンタカタリナ島には大海賊であるキャプテン・キッドの財宝が隠されていることを教える…。

監督は りんたろう、原作は矢野徹(角川文庫版)、脚本は真崎守、製作は角川春樹、プロデューサーは丸山正雄&池上悟&りんたろう、キャラクターデザインは村野守美、作画監督は野田卓雄、美術監督は椋尾篁、美術は男鹿和雄&窪田忠雄、撮影監督は八巻磐、編集は田中修、録音は辻井一郎、効果は佐々木英世、音響プロデューサーは明田川進、音楽監督は宇崎竜童&林英哲、音楽プロデューサーは高桑忠男&石川光。
主題歌『カムイの剣』挿入歌『カムイの子守歌』作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄、歌:渡辺典子。
声の出演は真田広之、石田弦太郎、小山茉美、外山高士、江幡高志、羽佐間道夫、池田昌子、堀江美都子、山本百合子、宇崎竜童、林英哲、永井一郎、青野武、柴田秀勝、家弓家正、天草四郎、曽我部和行、塩沢兼人杉元直樹、寺島幹夫、北村弘一、村松康雄、田中康郎、朝井良江、鈴木富子、田中亮一、平野正人、田中和実、岡和男、福永栄一、遠藤浩、江森浩子、菊池英博、高柳潤、金丸祐一、谷口奈緒子ら。


矢野徹の同名冒険小説を基にした長編アニメーション映画。
監督は『銀河鉄道999』『幻魔大戦』のりんたろう。
脚本は『幻魔大戦』の真崎守。
次郎の声を真田広之、天海を石田弦太郎、お雪を小山茉美、半蔵を外山高士、ドラスニックを江幡高志、太郎佐を羽佐間道夫、オヤルルを池田昌子、チオマップを堀江美都子、チコを山本百合子、昌山を永井一郎、三平を青野武、御前様を柴田秀勝、トウェインを家弓家正、コタンの長老を天草四郎、サムを曽我部和行、真吾を塩沢兼人、ウラカを杉元直樹が担当している。

序盤、自宅に戻った次郎は母と姉の遺体を見つけた後、すぐに短刀を拾い上げる。
その段階で違和感があるが、さらに「鞘から刀を抜く」という行動を取るので、「なんでだよ」とツッコミを入れたくなる。
「次郎が村人から犯人と誤解される」という状況を作りたかったのは分かるけど、行動が不自然でしょ。
あと、幾ら状況が状況とは言え、村人たちが誰も次郎を信じず、犯人だと決め付けて糾弾するのも違和感があるわ。以前から次郎が嫌われ者だったとか、そういう設定が見えるわけでもないし。

あと、実は「犯人だと誤解される」という手順って、まるで必要性が無いんだよね。
「母と姉を殺された次郎が天海から犯人の居場所を教わって仇討ちに行く」という手順があれば、それで事足りるのよ。どうせ村は焼き討ちに遭い、村人は皆殺しにされちゃうし。そもそも次郎が太郎佐の元へ行くのも、潔白を証明するためじゃなくて、仇討ちを果たすための行動だし。
なので、短刀に血が付着していたのは半蔵が次郎に罪を被せようとした可能性も考えられるけど、だとしても無意味。
そうじゃなくても、どっちにしろ「次郎が犯人だと誤解される」ってのは手順として無意味。

次郎は天海から「犯人は忍びで、仏ヶ浦に追い込まれている」と言われると、簡単に信じ込んでしまう。「なぜ犯人を知っているのか」「犯人の動機は何なのか」ってことを、質問しようともしない。
太郎佐の元へ行った時も、「なぜ殺した」という理由を確かめようとはしない。
母と姉が惨殺されたのに、理由はどうでもいいのか。
「まだ少年だし、その時は冷静な判断力を失っていた」と強引に解釈するとしても、それ以降も彼が「なぜ天海は犯人を知っていたのか」「犯人の動機は何だったのか」を気にする様子はゼロなのよね。

天海が「犯人は仏ヶ浦に追い込まれている」と言った後、カットが切り替わると太郎佐が十勝半蔵と松前衆に襲われている。しかし、その段階で「つゆとさゆりを殺したのは半蔵」「太郎佐は次郎の父親」ってことを、あっさりと観客に明かしてしまう。
それは、どう考えても得策じゃないでしょ。そういうことを明かすと、次郎が太郎佐を刺した時点で「騙されたにせよ、あまりにも愚かな父殺し」ってことが分かっちゃうし(止めを刺したのは天海だけど)。
そこで真実をバラすのではなく、次郎と同じタイミングで観客も「実は太郎佐が犯人じゃなくて、天海の指令を受けた半蔵の仕業だった」「太郎佐は次郎の父だった」と知る形にした方が、得られる効果は間違いなく大きい。
どうやら観客に事実を明かした上で、「次郎が悪党に騙されているとは知らずに行動する」ってのを見せようとしているようだが、そういう形を取ることによって得られるメリットが全く分からない。仮にメリットがあるとしても、デメリットの方が大きいように思うし。

天海が松前衆のボスってことで、彼が黒幕なのも分かってしまう(っていうか村の焼き討ちを命じた時点で、次郎が「こいつはヤバい奴」と全く気付かないのは、かなりボンクラだぞ)。
そんで天海が次郎に「己の出生の謎、解き明かしてみんか」と持ち掛けるけど、こっちは大まかなことを知っちゃってるわけで。
「天海は立派な僧侶」と思わせた状態で次郎が忍びの修行を積む様子を見せないと、次郎が真相を知った時の効果が全く得られないでしょ。彼が衝撃を受けても、こっちは「とっくに知ってるから」ってことになるでしょ。
もちろん、そこの効果を捨ててでも、最初から天海が黒幕であることや太郎佐が次郎の父であることを明かしておくメリットの方が大きければ別にいいのよ。でも、そこを天秤に掛けた時、隠しておいた方がメリットが大きいとしか思えないのよ。

実際、コタンを訪ねた次郎が「悪の黒幕は天海で、自分は父親を刺していた」という事実を知るシーンも、彼は激しいショックを受けているけど、何の衝撃も無い状態になっている。
しかも、その瞬間はショックを受けているが、あっという間に立ち直ってしまう。
ただし、仮に真実を観客に隠したまま話を進めていたとしても、そこはやはりインパクトに欠けるシーンになっていた可能性が濃厚だ。
なぜなら、そもそも演出として淡々と描いている上に、テンポもものすごく悪いからだ。

天海の正体や父を刺したことへのショックから立ち直るのも早かった次郎だが、オヤルルが殺されたことへの悲しみに至っては完全にゼロ。
そこを一気にスッ飛ばして、「天海への復讐心」という手順に入ってしまう。
あと、次郎とオヤルルの意識が混濁するシーンは、何がどうなったのかサッパリ分からないんだよね。
後になって「実は痺れ薬が使われていた」と説明されるけど、そうなると今度は「いつの間に入れたんだよ」という疑問が湧くし。

次郎がオヤルル殺しの下手人として牢に入れられた後、天海の「絶望してから反撃して来い」と挑発する姿が写し出される。
それは次郎の想像という設定かもしれないが、たぶん台詞の内容は「実際に天海が思っていること」という設定のはず。
だけど、彼が次郎を絶望させてから反撃させようとする目的がサッパリ分からない。
天海は財宝を手に入れるために次郎を騙していたわけだが、それと「絶望させて反撃させる」という目的は全く結び付かないでしょ。絶望した次郎に反撃されても、財宝は手に入らないでしょ。

次郎は剣に隠されていた地図を発見し、財宝を手に入れるためアメリカへ渡る。
だけど、いつの間にか彼の目的が「財宝を見つける」ということになっているのが、どうにも良く分からない。
彼はオヤルルを殺されて天海への強い復讐心を抱き、抜け忍になったはず。財宝を手に入れても、両親の仇討ちには繋がらないでしょ。
天海への怒りを燃やしたのなら、財宝探しに夢中になるよりも、彼を殺すための行動を取るべきじゃないのか。

独特の雰囲気を出したいとか、実験的な演出を持ち込みたいとか、監督には自分なりの考えもあったんだろうとは思う。詳しい意図は不明だが、ともかくオーソドックスにストーリーを描こうとせず、ずっと散文のような状態で進行していく。1つ1つのエピソードは厚みを持たず、シーンとシーンの繋がりは弱い。
そんな中でアクションシーンも描かれるため、高揚感や緊迫感は乏しい。
っていうか、もう少しアクションを減らして、ストーリーテリングを大切にした方がいい。
ただでさえ、ごった煮状態で内容があちこちへ行きまくるのに、それを整理するのではなく乱雑に散らかしている。

次郎は魅力的な主人公ではなく、単なる傍迷惑な疫病神になっている。彼が関わった人間、彼に手を貸した人間は、次々に犠牲となるのだ。
本人のせいじゃないかもしれないが、そのことに対する罪悪感を抱いている様子も無い。そして次郎は、関わった人々を敵から守ろうという意識も乏しい。
例えば松前衆が雪山に来た時、彼は昌山に「すぐに発ちます」と言う。そこまで敵が来たってことは、次郎が去った後で昌山とチアマップに危険が及ぶことは容易に想像できるはず。だけど次郎は、自分がアメリカへ行くことしか頭に無いのだ。
小舟で去る時も、「見送ったチオマップの元へ天海が来て尋問するだろう」という誰でも想像できることを全く考えちゃいない。彼はチオマップが自害したことも知らないまま、自分の目的のためだけに行動するのだ。
ものすごく薄情で身勝手な奴にしか思えない。

カリフォルニア号でお雪が気絶すると、次郎は「海へ捨てよう」と言い出す。ドラスニックから彼女を解放するよう求められると、即座に「嫌です」と言い切る。
そりゃあ自分を殺そうとした敵だから、当然の対応かもしれない。
ただ、いざ介抱を承諾すると、徹夜で看病してやるんだよね。
それと、お雪が次郎の危機を救って「なぜ私を助けた?どうして殺さなかった?」と問い掛けるシーンがあることを考えると、そこは敵であっても最初から「介抱してやる」という行動を取るべきだよ。

そりゃあ、松前衆が何人も襲って来る中で、次郎がお雪だけを特別扱いしてしまうと、不自然になってしまうことは事実だ。
でも、「海に捨てよう」とか「(介抱するのは)嫌です」と言っておきながら徹夜で看病してやる行動を取るのも、流れとしては悪くなっちゃうわけで。
どっちにしろ、違和感をゼロにすることは出来ないのだ。
どっちの違和感を選択するかという問題になるので、そこはリスクの低い方を取るべきでしょ。

次郎は英語なんか全く分からないはずなのに、アメリカ人と会っても全く困らずに会話を交わしている。お雪にしても、アメリカ人の言葉を普通に理解して情報を入手している。
「次郎は昌山から英語を学んだ」と解釈するにしても、何の問題も無く会話できるほどの英語力を会得するのは無理だろう。
「言葉が分からない」という設定にしたら色々と面倒なので、手間を省くために言語の違いを無視するのは分からないでもない。
ただ、それによってバカバカしさが生じていることは否めない。

雪崩が発生した後、お雪とサムは次郎のことを心配して必死で捜索する。
一方、次郎は雪崩から脱出してネバダ州に辿り着いた後、2人のことを気にする様子など全く無い。ただサンタカタリナ島へ行くことだけを考えて、行動を取る。
ここでも次郎の冷淡さ、薄情さは顕著に示されている。
そんな奴がキャプテン・キッドの財宝を見つけても、何の高揚感も無い。
っていうか、そういう理由が無くても、高揚感の無いシーンになっているしね。だからと言って、「財宝は手に入れたけど大切な物を失った」という虚しさがあるわけでもない。
終盤は戊辰戦争まで描かれているが、そのボリュームを全く処理できておらず、何から何まで雑になっている。

(観賞日:2017年7月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会