『カムイ外伝』:2009、日本

17世紀の日本。徳川の時代に、貧しい村で一人の男が誕生した。名はカムイ。理不尽な階級社会の最下層で育った彼は、強くなることだけ を願った。やがて村を出たカムイは、貧しさゆえに忍びとなった。女忍者のスガルが組織を抜けた時、カムイは大頭と共に命を狙った。 スガルは大頭に襲われ、崖から海に転落した。大頭はカムイに「忍びを抜けるとは死ぬことだ。覚えておけ」と告げた。
14年後。忍びを抜けたカムイは大頭、天人、ミクモという3人の追忍に追われていた。ミクモは、カムイと同じ谷で育った仲間だった。 森に入ったカムイはミクモを飯綱落とし、天人を変移抜刀霞斬りで倒し、そこから逃走した。カムイは、漁師の半兵衛が備中松山藩藩主・ 水谷軍兵衛の愛馬である一白の前脚を川で斬り取る現場を目撃した。半兵衛が逃げた後、川にやって来た軍兵衛は激怒し、家来に犯人を 追わせた。カムイは半兵衛の前に現れ、彼の身代わりとなって追っ手の目を引き付けた。
カムイは半兵衛の小舟に乗せてもらい、荒れ狂う海に出た。しかし半兵衛は「二人なら二人とも死ぬ。一人なら助かる」と笑いながら、 カムイを海へと突き落とした。軍兵衛は馬廻役と馬屋番足軽を処刑し、生首を飾った。愛妾・アユに「誓いの首を見とうございます」と 言われると、軍兵衛は国家老の柏原に「草の根分けても探し出せ。ひっ捕まえて八つ裂きじゃ」と命じた。
翌朝、カムイは半兵衛の家がある奇ヶ島に漂着し、気を失って倒れているところを島民に発見された。半兵衛には妻・お鹿、長女・サヤカ 、長男・ゲンタ、次女・ツグミという家族があった。お鹿の正体はスガルだった。彼女は、カムイが14年前に自分を狙った少年だと気付く 。カムイを追っ手だと思い込んだスガルは、彼が眠っている間に首を絞めようとする。だが、娘のサヤカが目を覚ましたので、未遂に 終わる。サヤカか裸になって温め、カムイは息を吹き返した。
高笑いを浮かべる半兵衛にカムイは激怒して掴み掛かるが、体力が戻っていないために軽くあしらわれた。スガルとサヤカはカムイが住む 小屋を用意する。そこにはスガルの罠が仕掛けられていたが、カムイは回避した。彼が「俺は敵ではない。同じ追われる身。抜け忍だ。 いずれ出て行く」と言っても、スガルは信じない。カムイは「過ぎたる猜疑心、己を滅ぼす」とスガルに告げた。
サヤカはカムイに思いを寄せ、甲斐甲斐しく世話を焼いた。サヤカに想いを寄せる島民の吉人は、嫉妬心を募らせた。夜、半兵衛が疑似餌 を作っている間に、またスガルはカムイの命を狙った。翌朝、カムイは半兵衛と共に船で漁に出る。疑似餌を使い、半兵衛は次々に魚を 釣り上げた。半兵衛は吉人に「サヤカをお前にやろう思っとったが、やめた。サヤカの目ん玉には違うモンが生きとる。お前はもうサヤカ の目には入っとらんのじゃ」と告げた。吉人は「そんなこと、まだ決まっとらんわ」と声を荒げた。
半兵衛はカムイに、「ここで漁師になれ」と持ち掛ける。彼は、14年前にお鹿が流れ着いたこと、助けた時に手裏剣が落ちたので彼女の 素性を知っていたことを話す。彼は「お鹿の秘密、墓場まで持っていってくれ」と頭を下げる。町に出た吉人は、お尋ね者の人相書きを 見て、それが半兵衛だと気付いた。同じ夜、カムイは密かに船を漕ぎ出し、島を出た。だが、海中から銛が船底を突き刺した。スガルが 襲ってきたのだ。カムイはスガルの攻撃を避けながら、島に戻った。
カムイはスガルに、「半兵衛はお前の素性を知っている。知った上でお前と暮らし、命懸けで守ろうとしている」と明かす。そして彼女に 背中を向け、「俺は動かぬ。殺れ」と告げる。スガルはカムイを殺すことが出来なかった。そんなスガルに、カムイは「俺はスガルなど 知らぬ」と言う。2人が村に戻ると家が焼き討ちにされ、半兵衛が役人に連行されていた。吉人が密告したためだ。カムイは吉人を殺そう とするサヤカを制止し、「お前が汚れることは無い」と告げた。吉人は村人たちに包囲され、始末された。
カムイとスガルは半兵衛を救出するため、処刑場へ向かった。軍兵衛やアユ、絵師たちが見守る中、弓による処刑が行われようとする。 すると軍兵衛は自ら弓を手にして矢を放ち、半兵衛の脚を打った。彼が二の矢を放とうとしたところへカムイとスガルが駆け付け、半兵衛 を助け出した。カムイと半兵衛一家は新たな土地を求めて海へと小舟を漕ぎ出すが、人食い鮫の群れに遭遇してしまう。襲われそうに なったところへ、鮫退治を生業とする集団・渡り衆が現れて鮫を仕留めた。
カムイと半兵衛一家は、渡り衆の千石船で幸島へと上陸した。幸島の島民たちは、渡り衆を歓迎する。渡り衆の頭目を務める不動は、村長 に「10日で残らず鮫を討ち取ってみせる」と宣言した。「この幸島は金のねえ島じゃ」と村長が言うと、不動は米と酒、それに食事と女で 手を打った。カムイと半兵衛は不動に誘われ、船に乗り込んだ。渡り衆は獣をエサに使って鮫を誘い出し、見事に仕留めた。
夜、サヤカは月日貝を海で拾い、日の方をカムイに渡した。「この貝を別々に持っといたら、いつか一つになろうとするんよ」と彼女は 言う。カムイが船に行くと、渡り衆が忍び装束で襲ってきた。だが、「どういうことだ」と睨むと笑って「脅かして悪い、おめえの腕を 見たかったんじゃ」と言う。不動は自分たちも抜け忍であることを明かし、カムイを歓迎した。だが、船で海に出たカムイが違和感を 覚えて島に戻ると、人々が全滅していた。水ガメに毒が盛られていたのだ。それは追忍の不動がやったことだった…。

監督は崔洋一、原作は白土三平『カムイ外伝』、脚本は宮藤官九郎&崔洋一、製作代表は迫本淳一&小笠原明男&亀井修&久松猛朗& 堀義貴&木下直哉&熊谷玄典&喜多埜裕明&吉田実、製作総指揮は野田助嗣、製作は松本輝起、エグゼクティブプロデューサーは榎望、 プロデューサーは森重晃&玉江唯、撮影は江崎朋生&藤澤順一、編集は川瀬功、録音は白取貢、照明は渡邊孝一、美術は今村力、 衣裳デザインは小川久美子、VFXスーパーバイザーは浅野秀二、CGIディレクターは林弘幸&鹿住朗生、 特殊メイク造型スーパーバイザーは江川悦子、アクション監督は谷垣健治、殺陣指導は高瀬將嗣(高瀬道場)、 音楽は岩代太郎、音楽プロデューサーは佐々木次彦、ナレーションは山崎努。
主題歌『Alive』は倖田來未、作詞は倖田來未、作曲はG.F.ヘンデル&岩代太郎、編曲は岩代太郎。
出演は松山ケンイチ、小雪、小林薫、伊藤英明、イーキン・チェン、佐藤浩市、大後寿々花、金井勇太、土屋アンナ、PANTA、芦名星、 隆大介、藤井康次、佐々木帯刀、田宮五郎、仲野茂、渡邉邦門、山本浩司、飯島大介、団時朗、森山開次、海東健、竹嶋康成、坂口征夫、 石原仁志、中山正幻、伊藤俊、蔵本隆史、社城貴司、木場大輔、諏訪太朗、小林十市、恩田括、友倉由美子、中條佐栄子、横尾香代子、 吉田妙子、木下ほうか、真境名恭子、山城初子、荒井健太郎、春名風花、イ・ハソン、萩野可奈子、竹内寿、若菜葵ら。


白土三平の同名漫画を基にした作品。
カムイを松山ケンイチ、スガルを小雪(当初は菊地凛子が演じていたが、撮影の最中に怪我を負って降板した)、半兵衛を小林薫、不動を 伊藤英明、大頭をイーキン・チェン、軍兵衛を佐藤浩市、サヤカを大後寿々花、吉人を金井勇太、アユを土屋アンナ、絵師をPANTA、 ミクモを芦名星、柏原を隆大介が演じている。
監督は『クイール』『血と骨』の崔洋一、脚本は『ゼブラーマン』『舞妓Haaaan!!!』の宮藤官九郎と崔監督が共同で担当している。
元々、白土三平は『カムイ伝』という漫画を執筆しており、そこに登場する3人の主人公の内の一人、カムイだけを取り出して描かれた スピンオフ的な作品が、『カムイ外伝』である。
第一部が1965年から1967年まで週刊少年サンデーに不定期連載され、第二部が1982年から1987年までビッグコミックに連載された。
その内、この映画は第二部で2つ目のエピソードとして全15回に渡って連載された「スガルの島」を原作としている。

まず、ミスキャストの嵐というところに触れておこう。
松山ケンイチは、格闘アクションでは頑張っているが、「カムイじゃねえだろ」という印象は否めない。
小雪は格闘のイメージじゃないし、大後寿々花の母親役ってのも違和感。
伊藤英明は、まず強敵としての説得力が無いし、アクション映画の強敵としても不適格。
そこは「いかにも格闘が強そうな敵」として説得力のある人間を配置すべきでしょ。
イーキン・チェンに関しては、なんでわざわざ海外から招聘したのかサッパリだ。アジア市場を見据えてのキャスティングなのか。

さて内容。
「17世紀の日本。徳川の時代に、貧しい村で一人の男が誕生した。名はカムイ。理不尽な階級社会の最下層で少年はたくましく 育った。カムイの願いはただ一つ、強くなることだった。やがて村を出て旅を始めた彼は、冷たく大きな壁にぶち当たる。貧しさゆえに 忍びとなり、技を磨いて人を殺し、掟に縛られ、やがて抜け忍になり、死の淵へと追い詰められる。だが、真の敵は追忍たちの果てしなく 続く攻撃ではない。誰も信じられない、己の心である。カムイの夢はこの世には無いのか。それでもカムイは逃げ続ける。生きるために」 と、ここまでをナレーションと漫画によって説明してしまう愚かしさに呆れ、無神経さに絶句する。
そこで、もう話が終わってるじゃねえか。
「逃げ続ける」の後に「完」とか「終」とか文字を出して、それで終幕で成立しちゃうじゃねえか。

これから映画を使って描くべきことを、全て最初に説明してどうすんのよ。それに、最初に漫画のカムイを見せてしまったら、そこから 場面が転換して松ケンが写し出された時に、違和感しか与えられないじゃないか。
何もいいことなんて無いぞ。
で、続いて「そして、運命の出会い。ここに、生き抜くために戦う女がいた」というナレーションと共に、スガルが大頭&少年と戦う場面 が描かれるのだが、松ケンのカムイが登場してタイトルが表示された途端、すぐにスガルのターンに移るという構成は違和感 たっぷりだ。
まずはカムイがどういう人間か、それを描写すべきだろうに。
まさか、冒頭の漫画とナレーションによって、その作業は終わったと監督は解釈しているのか。

そんなことを思っていたら、スガルが海に落ちた後、大頭が少年に向かって「忍びを抜けるとは死ぬことだ。覚えておけ、カムイ」と言う 。
おいおい、その少年、カムイだったのかよ。
つまり、最初にチラッと松ケンが出てきたのに、そこから時代を遡って描いていたのかよ。ちっとも分からなかったぞ。
っていうか、冒頭のナレーションで「抜け忍になった」というところまで説明したのに、子供時代のカムイのシーンを「回想」としてでは なく、普通に持って来る辺り、なんちゅうデタラメな構成なのかと。

アクションシーンだが、まず序盤にスガルが戦うシーンが描かれる。
追忍たちとの戦いで、彼女がワイヤーワークでフワリと空を飛んだ途端に気持ちが萎える。
『カムイ外伝』で描くべきアクションって、そんな武侠映画みたいなノリじゃないと思うんだよなあ。
確かに忍者ってのは常人離れした動きを見せる職業だとは思うけど、そこまで行くと、もはや「厳しい鍛錬を積んだ人間」じゃなくて、単 なる超人になっちゃってる。

せっかく松ケンの走ったり格闘したりする動きは悪くないのに、ワイヤーワークが台無しにしている始末。やたらとスローモーションを 使うのもダサい。
飯綱落としで逆さに落下する様子をスローで見せるセンスの無さには呆れた。
それは、単に「ゆっくり落ちている」としか見えないのよ。むしろスピード感をアピールすべきなのに。
とにかく、いちいちカッコ悪いんだよな、この映画。

ミクモを飯綱落としで倒すシーンでは、「カムイの秘術、飯綱落とし」と説明が入るが、すげえカッコ悪い。
続いて川で天人を斬る際にも、「カムイの秘技。変移抜刀霞斬り」も説明が入る。
いや、そんなの、いちいち言わなくていいよ。
原作を知っている人なら分かることだし、知らない人には、わざわざ技の名前なんて教える必要性が無い。
それを教えたところで、だから何なのかって話だし。

宙吊りにしたミクモを見上げて「ミクモ」とカムイが呟くと、そこから回想シーンに入るが、その程度では2人の関係、カムイの「同じ谷 の者は殺さん」という彼女への気持ちは全く表現できていない。
逆に回想なんか使わなくても、会話を用意して、ミクモをそこだけの出番にしなければ、もっと伝わるように描くことも出来ただろうが、 そこだけで終わり。
だったら、追っ手の一人をそんな形でフィーチャーする必要性は無い。っていうか邪魔。
戦いだけで終わらせて、さっさとスガルのいる島へ向かわせるべきだ。

なんでもかんでもナレーションで説明するのも、話のテンポを悪くするだけだ。
馬に乗っている軍兵衛を「妖気漂うこの男」と説明するけど、ちっとも妖気なんか漂ってないし。
ただバカみたいに口を開けてボーッとしているだけにしか見えないし。
半兵衛を目撃するシーンでは「馬の脚を斬る男の不可解な行動に、カムイの本能は動いた」と語るが、そんなの説明しなくても、カムイが 男の追ったことぐらい、見ていれば分かるから。二重の説明になっているだけだから。

その半兵衛が軍兵衛の愛馬の前脚を斬り取る行動は、不可解極まりない。
そんなことをしたら軍兵衛の手下に追われる身になることは明白なのに、なぜそんなボンクラな行動を取ったのか。彼が独り身なら 「命懸けで漁をしている」というところで納得しようかとも思うが、彼はスガルが抜け忍だと知っており、そして「命懸けでスガルを守る 」という心意気の男なんでしょ。
藩主の手先が追ってきたら、女房だって困るでしょうに。
ただ、これは映画だけの問題じゃなくて、原作からそうなっているので、原作の問題だ。
っていうか、原作に問題があるんだから、そこは映画にする時に脚色すべきだったと思うんだけどさ。

カムイは半兵衛の身代わりとして目を引き付けて助けるのだが、そんなことをした理由がサッパリ分からない。それは正義感から来る行動 なのか。
でも、冒頭で「真の敵は誰も信じられない己の心」と言っていたのに、そんなに簡単に赤の他人を助けるのは合点がいかない。
それ以降も、カムイが強い猜疑心を持っていることは全く表現されていない。
どこに猜疑心があるのかサッパリだ。

なぜカムイが抜け忍になったのかも、サッパリ見えない。
彼は忍びの非常な掟に嫌気が差し、自由を求めて抜け忍になったのではないのか。
そして、最初は猜疑心があったが、次第に漁村の人々に心を開くようになり、そこで暮らしていこうか、あるいは渡り衆の仲間として 暮らしていこうかと考え始め、自由を得られたと感じるようになった途端に非情な裏切りに遭い、自由を得るための代償の大きさ、自由を 得ることの難しさに打ちのめされるという筋書きにすべきではないのか。

氷のように閉ざされていたカムイの心が、サヤカによって純真で真っ直ぐな「無償の愛」を捧げられることによって開かれていく、という 流れも全く無い。
虚無や孤独感が最初から無いので、「心が開放された直後に裏切られ、冷徹に報復し、再び虚無に落ちる」というドラマ も無い。
この映画が何を描きたかったのか、サッパリ分からない。
人間ドラマは無視して、ひたすらアクションだけに特化して作っているとも思えないし。
っていうか、仮にアクションに特化していたとしても、アクションの出来映えはグダグダだし。

「猜疑心の固まりだったスガルが次第に心を開いていき、不動のことも信用し、その島でずっと暮らそうと決意した直後、裏切りに遭って 悲劇を迎える」というドラマも、上手く描かれていない。
「カムイが異変を感じて島に戻ったら全員が惨殺されている」という描写で、「幸せと心の開放から、一瞬にして」という急転直下の悲劇 としての描写になっていないし、
半兵衛一家も「カムイが行ったら死んでた」というだけだし。水ガメに毒が盛られていたのなら、次々に死んでいく阿鼻叫喚の地獄絵図を 鮮明に見せた方がいいし。

っていうか、島民の全員が死ぬってことは、水がめに混入された毒は即効性じゃなかったってことなんだろうが、島民の全員が死ぬまで誰 にも気付かれないぐらい遅効性の毒って、どんな毒なんだろうか。
あと、カムイが海に出る前に「嫌な夢を見たから行かないで」とサヤカが不吉な予感を口にしいるが、その後の悲劇を匂わせるのは避けた 方がいいでしょ。
「平穏で幸せな雰囲気だったのに」という流れの方がいいでしょ。
っていうか、なんで不動が島民も皆殺しにするのか、その理由がサッパリ分からん。

澄み渡る空と、青く輝く南の海は、ちっとも話の雰囲気に合っていない。
海の映像の着色なんて、鮮やかすぎるし。
山じゃなくて海を舞台にしたのはいいとしても、そこはイメージとしては、日本海とか瀬戸内海の方がいいんじゃないのか。
あと、「主題歌がミスマッチな映画は中身もポンコツ」というのは私の持論だが、この作品も、その持論通りの結果になっている。

まあ崔監督にアクション演出の才能があるとは最初から期待していなかったけどさ。
そもそも崔監督にこの映画を任せた時点で、既に失敗することは確定したようなものだ。娯楽映画、しかもアクション映画なんて、この人 に撮れそうもないことは、今でのフィルモグラフィーを見れば分かりそうなものだが。
「意外に面白いモノを撮るかもしれない」とでも思ったのか。
そりゃあ、今までと全く違うジャンルの映画を手掛けて、それをヒットさせた監督なんて、世の中にはゴロゴロといるけどさ。
ただし、それはハリウッドでのことであり、邦画の世界では、あまり成功例は多くないと思う。
っていうか、パッと思い付かない。

(観賞日:2010年10月14日)


第3回(2009年度)HIHOはくさい映画賞

・最低監督賞:崔洋一
・最低特殊効果賞:浅野秀二(IMAGICA)

 

*ポンコツ映画愛護協会