『神様のカルテ』:2011、日本

消化器内科医の栗原一止は、信州の松本にある本庄病院に勤務して5年目になる。その日の当直になった彼は、「夜、ここへ来るといつも 思う。この町のどこに、これだけの人間がいたのか。普段は地下に潜っていて、日が暮れると沸いて出るんだな」などとブツブツ呟く。 すると救急外来看護師長の外村静枝が来て、彼の名札を「消化器内科医」から「救急医」に付け替える。そして「意味の無い妄想はやめて 、始めますよ」と冷静に告げる。
本庄病院では、「24時間、365日対応」を掲げている。一止は「引きの栗原」と呼ばれており、彼が当直を担当する日は普段よりも大勢の 患者が訪れる。廊下には患者の渋滞が出来ており、一止は次々に患者の処置を行っていく。自宅で倒れた患者がいるという電話が入るが、 手が回らないので信濃医大へ運ぶよう指示する。別の病院からは、消化器内科の患者を一人受け入れてほしいという連絡が入った。一止は 翌朝まで仕事を続けて、疲労困憊となった。
一止は先輩外科医の砂山次郎から、「俺も4月にようやく信濃医大に戻れることになったし、紹介してやろうか」と誘われる。一止は、 ほとんど休む暇も無く、また仕事に戻ることになった。消化器内科部長の貫田誠太郎は、「ダメだよ、医者頭使って考えちゃロクなことに ならないよ」と言う。消化器内科に訪れる患者の約半分は、アルコールにまつわる患者だ。一止は、横田、旭、大村、桐さんといった アルコール中毒患者と面談する。
一止は新人看護師の水無陽子から、「400号室の田川さん、痛みが強いみたいなんです。モルヒネを増やしてあげてください」と頼まれた。 田川仁は末期癌の患者だ。一止は淡々とした口調で、「それには及ばない。痛みが止んでも呼吸まで止めてしまっては意味が無い」と 告げる。陽子から「黙って見てろって言うんですか」と責められても、一止は表情を全く変えずに「一人の患者さんにこだわってると危険 だ。他の患者さんにも迷惑が掛かる」と述べた。
陽子が「ひいきなんかしません。先生みたいに事務的に患者さんと接するなんて、私には出来ません」と一止を非難していると、そこへ 病棟主任看護師の東西直美が来て「先生に八つ当たりすんじゃないの」と注意した。彼女は陽子に、「無力な自分を認めないと続かないよ 、この仕事」と告げる。一止が住まいである御嶽旅館へ戻ると、山岳写真家の妻・榛名は撮影で出掛けていた。彼女の手紙とカレンダーを 見た一止は、結婚記念日を忘れていたことを知った。
翌日、一止が病院の廊下を歩いていると、患者の少女・増本リカが座り込んで模様を気にしていた。そこへ小児科病棟の看護師が来ると、 彼女は走って逃げた。田川は癌の転移が予想より早く、その日に亡くなった。亡くなる前、家族の到着が遅れているため、一止は依頼を 受けて心臓マッサージを行った。その状態での心臓マッサージは患者を植物人間にする危険性を孕んでいるが、一止は肋骨が全て折れる まで30分間、マッサージを続けた。
旅館へ戻った一止は、榛名に誘われて神社へお参りに出掛けた。彼女は「一さんの背負い込んだ荷物を軽くしてくれるようにお願い しました」と言う。夫婦は旅館へ戻り、旅館の主人で絵の描けない画家・男爵、大学生の学士殿と一緒に夕食の準備をしながら語らう。 翌日、一止が出勤すると、信濃大学病院から研修の案内状が届いていた。申し込んだ覚えはないが、貫田が頼んだのだという。彼は一止に 、「行っておいでよ。医局は酷い所だよ」と冗談めかして言う。
一止は信濃大学病院へ行き、職員に案内してもらう。医大には最新の設備が整い、大勢のスタッフが働いている。救急外来のスタッフは 医師と研修医を含めると25名ぐらい、看護師はその倍だという。本庄病院の場合、救急外来は医師と研修医の2人だけで夜間救急をやって いる。カンファレンスに参加した後、一止は貫田と大学時代の悪友だという信濃医大教授・高山秀一郎から声を掛けられた。
一止は信濃医大で、近所の病院で手術は無理だと言われた胆のう癌患者・安曇雪乃を診察する。彼女は家族も親戚もいないとという。 「手術してもらえるんでしょうか」と問われ、一止は「外科の先生とも相談してみます」と答えた。治療方針を決めるため、彼は高山を 含むチームに相談する。外科医からは、オペにはリスクが高すぎるという意見が出た。一止は、抗がん剤による治療を考えていることを 説明した。安曇の癌は、その場所が悪かった。
一止がAOSC発症患者の処置を行う様子を見ていた高山は、「技術も判断も申し分ない。良かったら10月の内視鏡セミナーに参加して みませんか」と誘った。一止は砂山から、「聞いたぞ、高山教授に気に入られたって。来年は、お前が消化器内科に入局するって噂だ。 もちろん俺も歓迎する」と告げられた。本庄病院に戻った一止は、インフルエンザになった当直医の代理を務めることになった。一方、 旅館には学士殿の母が訪れていた。男爵は榛名に、「彼もここを出る日が近いのかもしれません」と語る。
ある日、一止が仕事をしていると、安曇が患者としてやってきた。彼女は「あと半年って言われて。余命は半年だから、好きなことして 過ごしなさいって。好きなことって何していいんだか」と目を潤ませる。「迷惑ですよね。こちらでも診ていただけないわよね」と言われ 、一止は「次の外来、いつにしましょう?」と穏やかに告げる。治る見込みの無い患者を看取るのは、大学病院の仕事ではない。一止は、 自分がそれに気付かなかったせいで、安曇に辛い思いをさせてしまったと感じた。
一止の元に、陽子が謝罪に来た。彼女は東西から、田川が亡くなる前の1週間、一止が病院に泊まり込んで緩和ケアを行っていたことを 聞いたのだ。一方、学士殿が所有していた本を燃やしている様子を目にした榛名は、「大切な本じゃないんですか」と声を掛ける。学士殿 が「もう僕には用がありませんから」と言うので、彼女は「この本、貰ってもいいですか。一さんが好きなんです」と口にした。学士殿は 、「僕らの中で夢を叶えたのはドクトルだけでした」と述べた。
一止は1週間に一度、山深い地域の診療所に派遣されて仕事をしている。そこへ電話が入り、安曇が下血して緊急搬送されてきたことが 知らされた。本庄病院に戻った一止は、安曇の腫瘍が増大しており、もう1ヶ月も持たないことを砂山から聞かされる。「考えたところで 治療法は無いぞ」と彼に言われ、一止は「治療法を考えるんじゃありません。本人にどう話すかを考えるんです」と告げた。
一止は安曇に、癌が大きくなっていること、現時点では経過を見るしかないことを正直に話した。安曇から「それでも私、ここに置いて もらえるの?」と尋ねられ、一止は「もちろんです」と答えた。彼は放射線治療のため、高山に頼んで安曇を信濃医大へ移そうとする。 だが、安曇から「ここにいさせて」と懇願され、高山にお詫びの電話を入れた。すると高山は、「珍しい症例が見つかったので、来週の カンファレンスに参加しませんか」と誘ってきた。
一止は、教師だった安曇が廊下でマリと話している姿を目撃した。カンファレンスへ行く直前、彼は東西から「安曇さん、413号室が嫌 なのかな。病室から出て、いつも廊下の隅っこに座ってるけど」と言われる。一止が医大でカンファレンスに参加している最中、安曇が 下血した。たまたま内科病棟にいた砂山が処置を行った。戻って来た一止は、安曇から亡くなった夫が分校の教師だったことを告げられた 。安曇の話を聞いた一止は、彼女の故郷である穂高が病棟から見えるのは、廊下の窓しか無かったのだと気付いた。
旅館に戻った一止は、榛名から学士殿が出て行くことを知らされる。翌日、彼は安曇をナースステーションに隣接した重症患者専用の個室 である400号室へ移した。夜、居酒屋で飲んでいると、砂山が来て「気を付けろよ。一人の患者に入り込みすぎるな」と警告する。そこへ 陽子が来たので、2人が交際中と知った一止は「邪魔はしません」と店を去った。旅館へ戻ると、榛名は撮影に行く予定を一日延期し、 学士殿を見送るための準備をしていた。男爵も一緒だ。一止も彼女に促され、準備に参加した。
翌朝、旅館を出て行こうとした学士殿は、一止たちが準備した門出の桜の飾り付けを目にした。男爵は、用意しておいた桜の花びらを 撒いた。学士殿は「僕は負けて逃げ帰るんです。母の畑を手伝うんです。人に偉そうなことばかり言って。謝らなきゃなりません。ホント は大学生なんかじゃありません。受験に落ち続けて、何年も受験勉強すらしてない。父親が死ぬまで働いた、それで作った仕送りで、 のうのうと生きて来たんです。僕のことは軽蔑してください。忘れて下さい」と語る。
一止が「みんな知っていましたよ。学生じゃないこと」と言うと、学士殿は彼に「僕らの中で夢の先に立てたのは君だけだ。頑張って 下さい」と告げる。すると一止は「違う。確かに医者になった。けど何を頑張ればいい?毎日働いても、手からどんどん零れ落ちていく。 考えないようにしても命は零れ落ちて行く。こんなはずじゃなかったのに」と泣き言を言う。しかし、続けて「でも、やり続けて分かった ことがあるよ。学問を行う者に必要なものは気概であって学歴ではない。熱意であって建て前ではない。誰に恥じることも無いよ。僕らが 過ごした8年は無駄じゃない」と語る。一止たちは、万歳で学士殿を送り出した。
一止が病室へ行くと、モルヒネを投与された安曇は彼を死んだ夫と間違えて「カステラ、買って来てくれた?」と告げた。彼は榛名に電話 を掛けて、カステラを持って来てもらう。榛名は安曇の病室へ行き、自分が撮影した山岳写真を見せる。その中には、安曇の故郷である 穂高の風景もあった。一止は東西から、「明後日の10月20日、安曇さんの誕生日なの。もう一度だけ、山を見せてあげられない?」と提案 を受けた。10月20日は、内視鏡セミナーの行われる日でもあった。
その夜、一止は安曇から「夫が迎えに来たら、あんまり待たせたくない」と言われ、手紙を渡された。その手紙には、「以下のことを希望 します。延命治療は望まない。呼吸できなくなったら、そのまま。輸血は望まない」と記されていた。翌朝、一止は高山の元を訪れて、 セミナーの参加を断る。そして彼は安曇を屋上へ運び、穂高の景色を見せる。その夜、一止が貫田に呼ばれて居酒屋へ行くと、高山も一緒 だった。高山は一止に、4月から医大に来てほしいと持ち掛けた。高山に「私は君を買ってる。たくさん症例を見て、技術を磨きなさい」 と言われ、一止は頭を悩ませる…。

監督は深川栄洋、原作は夏川草介「神様のカルテ」小学館 刊、脚本は後藤法子、製作は市川南&小林昭夫&大西豊&藤島ジュリーK.& 石田耕二&町田智子、製作統括は塚田泰浩、企画プロデュースは山内章弘&春名慶、プロデューサーは阿部謙三&澁澤匡哉&川田尚広、 プロダクション統括は金澤清美、撮影は山田康介、美術は金勝浩一、録音は林大輔、照明は川井稔、編集は坂東直哉、VFXスーパー バイザーは廣田隼也、医療監修は今井寛、音楽は松谷卓、音楽プロデューサーは北原京子。
「神様のカルテ テーマ」作曲・ピアノ演奏:辻井伸行、オーケスト編曲:松谷卓。
出演は櫻井翔、宮崎あおい、柄本明、加賀まりこ、池脇千鶴、西岡徳馬、要潤、吉瀬美智子、岡田義徳、原田泰造、朝倉あき、斎藤歩、 梅沢昌代、左右田一平、でんでん、山下容莉枝、今井和子、春延朋也、野間口徹、中山卓也、金子さやか、関根洋子、太田美恵、澤山薫、 當島未来、山野海、梶原阿貴、内田滋、北山雅康、駿河太郎、松本実、小林博、池口十兵衛、中西美帆、城戸美夜、能見達也、長岡尚彦、 山口朋華、諌山幸治、もたい陽子、倉田麻由子、筒井奏、文月ユウ、廣瀬裕一郎、五刀剛、橋野純平、仲沢景、賀川黒之助、西山愛美、 大門真紀、森富士夫、若林幸樹、永井博章、根岸大介、原田文明、柴田清花、大久保英一、山本直輝、さいとう芽美ら。


現役の医師である夏川草介の小説『神様のカルテ』シリーズの第1作を基にした作品。
監督は『60歳のラブレター』『白夜行』の深川栄洋。
脚本はTVシリーズ『ブラックジャックによろしく』や『チーム・バチスタの栄光』の後藤法子。
一止を櫻井翔、榛名を宮アあおい、貫田を柄本明、安曇を加賀まりこ、東西を池脇千鶴、高山を西岡徳馬、砂山を要潤、外村を吉瀬美智子 、学士殿を岡田義徳、男爵を原田泰造、陽子を朝倉あきが演じている。

一止は夏目漱石の『草枕』を愛読しており、その影響で言葉遣いが文語体になっているという設定だ。
例えば東西から昼食に誘われると、「誘ってもらって光栄だが、私は妻のある身だ。その手の申し出は断ることになっている」と口に する。妻に心配されると、「案ずるな、これが私の仕事だ」と言う。
そういう独特な言葉遣いをするキャラが彼だけであれば、「ある場所に一風変わった男がおりまして」ということに過ぎない。
だが、榛名も「突然ですが、これから神社まで行きましょう。まだ神様にただいまの挨拶をしていませんので」などと、かなり丁寧な 文語体で話している。さらに、男爵と学士殿は時代錯誤的なキャラで、かなりクセが強い。

そのように風変わりな連中、クセの強い連中を揃えることによって、この物語そのものがファンタジーになっている。
別にファンタジーだったら、どんな映画もダメってわけじゃない。ただ、この映画の場合、ファンタジーでは困る。
なぜなら、これは「青年内科医が医療の現実と向き合い、悩み、答えを見つける」という人間ドラマだからだ。
それは、地に足の着いた現実的な話でなければならないはずだ。ファンタジーの世界で繰り広げられる、浮世離れした話では困るのだ。
一方で加賀まりこや池脇千鶴は現実感を醸し出しており、同じ映画の中で、キャラとキャラの間に乖離が生じている。
っていうか、この2人、芝居が上手いしなあ。

一止の「誘ってもらって光栄だが、私は妻のある身だ」などという言葉遣いは違和感たっぷりだが、それは櫻井翔が言うから口に馴染んで おらず、不自然に聞こえるという部分も大きい。
例えば及川光博が同じセリフをクールに喋っても、そんなに違和感は強くなかったんじゃないか。
それはイメージに合っているからだ。
一止は変人呼ばわりされるキャラなので、そこで違和感を感じさせるのは、ある意味では間違ってないのかもしれないけど、「口に 馴染んでない」と思わせたら失敗なんじゃないかと。

一止は「誘ってもらって光栄だが、私は妻のある身だ」と口にした時、東西に「そんなんだから変人って呼ばれるのよ」と言われている。
だけど、そこまでの段階で、それほど変人ぶりはアピールされてないんだよね。
冒頭でブツブツと独り言を言って妄想するのと、そのセリフぐらいでしょ。
彼を変人キャラにするなら、もっと誇張してもいいのに。
そこは妙におとなしくて、中途半端になっている。

一止は陽子から「事務的に仕事をしている」と批判された後、「事務的に見えるか?」と東西に問い掛けている。
確かに、自宅で倒れた患者の受け入れについて迷っている様子からすると、完全に事務的ではないようだ。しかし、それ以外の部分では 淡々と仕事をこなしており、かなり事務的にも見える。その辺りは、中途半端に感じられる。患者の受け入れに関して迷うシーンで感情を 表現するなら、それ以降も積極的に喜怒哀楽を出せばいいのに、感情の起伏に乏しい奴になる。
で、「淡々と仕事をしていた主人公が、物語が進む中で、あるいは1つの出来事をきっかけに大きく変化していく」というドラマが展開 されるのかと思ったら、そういうわけでもない。
後半、彼が安曇にこだわる展開があるが、そこで「陽子には一人の患者にこだわるなと警告していたのに、自分がこだわるようになって、 彼女の気持ちが分かる」とか、「一人の患者にこだわる一止を見て、陽子が何かを感じたり、手伝ったりする」とか、そういうところで 序盤のシーンとの関連付けがあるわけでもない。

後半、砂山が一止に「何がしたい?」と怒って問い掛けるシーンがあるけど、別の意味でワシもそう思うよ。
一止の感情の動きが、あまり見えて来ないんだよね。
感情表現が豊かではない、ノンビリしたようなキャラを意図的に演じているんだろうってのは分かるけど、その中でも、わずかな表情の 変化とか、セリフの喋り方とか、そういう部分から心の揺れ動きが見えてくるような形になっていないと困るはずなんだよね、ホント なら。
そこは結局のところ、櫻井翔の演技力が不足しているということなんだろう。

まるで有効に機能していないキャラクターが多すぎる。
旅館の連中は、旅館の生活風景も含めて、全く必要が無い。
榛名でさえ必要性を感じない。一止と彼女の夫婦関係は重視されているのかと思ったら、いなくても成立するぐらいだ。一止を独身の設定 にしても、ほとんど支障が無い。
榛名が山岳写真家という設定も、まるで意味の無いモノになっている。完全に宮崎あおいの無駄遣い。
他にも、マリとか、アルコール中毒患者の面々も上手く活用されていない。
むしろ必要性を感じるキャラ、存在感のあるキャラの方が少ない。

砂山と陽子が交際するのも、砂山が「天使だ」と呟くシーンがあっただけで何の流れもないし、交際が明らかになったからって「だから何 なのか」という感じだ。
そこにはエピソードもドラマも全く用意されていないのだ。物語に厚みを加えるための要素になっていない。
2人が交際しようがしまいが、どうでもいい。
もっと言っちゃうと、こいつらがいてもいなくても、どうでもいいぐらいだ。

陽子なんて、序盤で一止を「事務的に仕事をしている」と批判したのに実は違っていたことを知ったり、一止が彼女に「一人の患者に こだわるな」と言ったのに自分が安曇にこだわったりするんだから、もっと活用されるべきなのに、結局はどうでもいいキャラに成り 下がってしまう。
っていうか、なぜ一止が安曇だけには入り込みすぎてしまうのか、その理由も良く分からないんだよな。
自分のせいで辛い思いをさせてしまったという罪悪感があるからなのか。
だとしても、そこは伝わって来ないし。

学士殿の別れのシーンを感動的な盛り上げようとしているが、ちっとも心を揺さぶられない。なぜなら、そこまでに彼のキャラ描写が薄弱 で、ちっとも魅力をアピールできていないからだ。門出の桜で飾り付けるってのもピンと来ない。
いっそのこと、旅館のシーンをバッサリと削ってしまえばいいと感じる。
そこの人間関係が、病院でのドラマや医者としての栗原に、ほとんど影響を与えていないし。
ただし、前述した「一止の文語体による変な言葉遣い&榛名の丁寧な言葉遣い」や、時代錯誤な旅館の連中のキャラを取り除いてしまうと 、この映画で描かれている医療ドラマって、もう使い古されて、骨の髄までしゃぶり尽くされたようなネタなんだよね。
今さら感の強いネタを、オーソドックスな筋書きで進めて、「主人公が先進医療と献身的医療の選択を迫られ、悩んだ末に後者を取る」と いう、とてもオーソドックスな答えに辿り着いている。

この作品、映画館を訪れた観客の半数以上を中高生が占めていたらしい。
医療の現場を描いたドラマであり、明らかにティーンズ向けの内容ではないのだが、にも関わらず中高生が多く観賞したってのは、よう するに櫻井翔目当ての若い女子が多かったってことだろう。
櫻井翔を主演ら起用したことでファンが大勢来たんだから成功っちゃ成功なのかもしれないが、結果的にはアイドル映画になってるのね。
それでホントにいいのかと、私は製作サイドに問いたい。問い掛けたい。問い詰めたい。
まあ、ワシも「朝倉あきは可愛いなあ」などと思いながら見ていたので、あまり人のことは言えないが。

(観賞日:2012年3月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会