『神さまの言うとおり』:2014、日本

都立みそら高校2年B組の教室では、教壇に鎮座した大きなダルマが「だるまさんがころんだ」のゲームを生徒たちに強要している。少しでも動いた生徒は、その場でダルマに殺される。教室から逃げ出そうとしても、扉は全く開かない。次々にクラスメイトが殺されていく中、高畑瞬はゲームショップで友人のサタケと万引きした出来事を振り返る。ダルマの背中には「おしたなら おわり」という文字が記され、その下にはボタンが付いていた。一人の男子生徒がボタンを押そうとするが、ダルマのフェイントに掛かって殺された。
ダルマの背中にはタイマーが付いており、ゲーム終了までの時間が迫っていた。瞬とサタケが最後まで残るが、残り時間は1分を切った。サタケは瞬に、自分を踏み台にして死体を飛び越えるよう促した。ダルマが吐き出した大量の赤いビー玉が床に散乱し、瞬の行く手を妨害した。それでも瞬は何とかボタンを押し、タイマーを残り1秒で停止させる。ダルマは終了を宣言し、サタケは立ち上がって喜ぶ。するとダルマはサタケを殺害し、「スイッチ押したのは、高畑瞬。生きる」と述べた。
その日の朝、瞬は幼馴染であるC組の秋元いちかから登校途中に声を掛けられた。それを無視した瞬はサタケから「なんで彼女と付き合わないわけ?」と尋ねられ、「ガキの頃から一緒にいたから、今さら、そんな感じでもないよ」と答えた。学校に到着した彼は、E組の天谷武が暴れている様子を目撃した。授業中に転寝していた瞬は、教師の呼びかけで目を覚ました。その直後、教師の頭部が破裂して大量の赤いビー玉が床に散らばった。すると教師の頭がダルマに変貌し、死のゲームがスタートしたのだった。
「お前はネズミや。もうすぐ猫が来るで」とダルマが言った直後、教室の扉が開いて、いちかが現れた。彼女は自分のクラスでも同様のゲームがあったこと、最も近くにいた自分がクラスメイトを助けようとボタンを押したのに全員が死んだことを語った。瞬は警察に連絡しようと携帯電話を取り出すが、圏外になっていた。瞬といちかは学校から出ようとするが、校舎の扉は開かず、窓は消化器を投げても壊れなかった。
瞬といちかが体育館へ赴くと、ゲームで生き延びた生徒たちが集まっていた。2人が体育館に入ると、扉は閉じられた。体育館の床には、床に「ネコに鈴 つけたなら おわり」という文字が記されていた。生徒会長の森川は瞬たちにネズミの衣装を渡し、着替えるよう促した。床の下からは巨大な招き猫が出現し、『猫踏んじゃった』のメロディーに合わせて生徒たちを食べ始めた。いちかはタイマー付きの鈴が転がってくるのを見て、それを招き猫の喉にあるバスケットゴールに入れればゲームが終わるのだと理解した。
バスケ部エースであるD組の吉川晴彦は、招き猫に向かって鈴を投げた。すると招き猫はボールをキャッチして投げ返し、猛スピードの鈴を受けた吉川は壁に激突して死亡した。瞬が「キグルミを脱げ。着てない奴は狙わない」と叫び、生徒たちは彼の指示に従った。しかし招き猫は衣装を脱いだ生徒たちも食べ始め、瞬はネズミがいなくなったことで人間も餌食にしたのだと理解する。そこで瞬はネズミの衣装に着替え、囮として招き猫を誘った。
衣装に着替えた途端、瞬には招き猫の声が聞こえるようになった。「背中がかいーの。痒くて眠れないわ」という言葉を耳にした彼は、招き猫の背中をかき始める。彼は他の生徒たちに、手伝うよう頼んだ。いちかが協力すると、他の生徒も後に続いた。すると招き猫は眠りに就き、鈴をゴールに入れるチャンスが生まれた。しかし「ダルマの時のように、シュートした奴だけが生き残れるのだとしたら?」という森川の言葉がきっかけで、鈴の奪い合いが勃発した。
生徒たちが騒ぎ出したため、招き猫が目を覚ましてしまう。いちかは再び眠らせようとするが、もう残り時間が切れそうになっていた。瞬はいちかに呼び掛け、体育用具室に入った。彼はキグルミの片方に鈴を隠し、もう片方にバスケットボールを隠して「どっちが鈴か当ててみろ」と招き猫を挑発した。瞬は招き猫を巧みに欺き、鈴をゴールに入れようとする。鈴は金具に弾かれるが、天谷がシュートを決めた。すると招き猫はゲームの終了を宣言し、天谷&瞬&いちかに生き残りを通達した。
天谷は残っていた生徒たちを次々に殺害し、「この先の世界は力が全て。俺はずっと、そういう世界を夢見て来た。ありがとう、神様」と口にした。「無能なクズどもは死んで当たり前だ。お前も俺と同類だ」と彼が瞬に話し掛けると、いちかが「瞬は貴方と同じじゃない」と否定した。その直後、招き猫が口から煙を放出した。一方、その頃、テレビでは世界各国で同時多発テロが起きていることが報じられていた。世界中で一千万人以上が死亡し、安倍川首相は国家危機レベル4を発動した。東京上空に謎の立方体が出現し、多くの若者が閉じ込められていた。引きこもり男のタクミは、ネットの書き込みに視線を向けていた。
いつの間にか眠っていた瞬は、中学時代の同級生である高瀬翔子に声を掛けられる。瞬は白い服を着せられ、見知らぬ部屋に移動していた。部屋には彼らの他に、平良幹則と田岡由実の2人がいた。瞬は50音順で別々の部屋に入れられていると推理し、いちかを捜しに行こうとする。しかしドアは鍵が掛かっており、外に出られなかった。平良がボタンを押すとモニターが出現し、ニュース映像が表示された。平良は瞬に、「今の自衛隊には、僕たちを助けるスキルは無さそうだ。待つのさ、次のゲームが始まるのを」と述べた。
モニターに「カギで扉あけたならおわり」という文字が表示され、「タロウ」「ケンイチ」「ハナコ」「アケミ」という4体の巨大コケシが部屋に入って来た。平良は「かごめかごめ」のゲームに誘われ、喜んで目隠しをする。しかし彼は背後に止まったコケシを当てられず、ハナコのレーザー攻撃を受けた。平良はコケシたちに操られ、自らの額を床に打ち付けて死んだ。次には誘われた由美は嫌がるが、結局は受けざるを得なかった。しかし彼女もコケシを当てられず、両足を引き裂かれて死んだ。
こけしたちが続いて翔子を誘うと、瞬は「俺が先に遊んでやるよ」と口にした。彼は4体の声を聞き分けて、ケンイチだと当てる。すると、アケミが鍵に変貌した。瞬と翔子が廊下に出ると、鬼コケシに追われた真田ユキオという男子が逃げて来た。瞬が翔子の手を繋ぐと、真田も手を繋ぐ。鬼コケシが去った後、彼は「誰かと手を繋いでいないと、あいつが襲って来るんだ」と説明した。「手を離さないでね」と翔子に言われた瞬は、中学時代のことを思い出す。イジメを受けた翔子が飛び降り自殺を考えた時、瞬はガラクタを割ってスッキリするよう勧めた。その時に割った茶碗の取っ手を、翔子はネックレスにして首から下げていた。
いちかが鬼コケシに追われているのを目撃した瞬は、翔子の手を離して助けに向かう。瞬がいちかの手を掴むと、鬼コケシは立ち去った。瞬が天谷のことを尋ねると、いちかは「分からない。コケシを倒して出て行ったから」と答えた。その時、巨大な顔が出現し、「鍵。7つの鍵を7人同時に回してね」と告げた。しかし人数は6名で、鍵は3つしか無かった。タイマーの残り時間が迫って瞬たちは焦るが、そこへ男を捕まえた天谷が3つの鍵を持って現れる。彼は捕まえていた男を殺し、「コケシに狙われないために、一緒にいただけだ」と口にした。7人が鍵穴へ鍵を差し込み、同時に回してゲームを終わらせた。
7人の近くには私服が置いてあり、巨大な顔は着替えるよう指示した。全員が着替え終わると、トンネルが出現した。奥から巨大な顔が呼び掛けるので、瞬たちはトンネルに入った。するとトンネルを抜けた場所に巨大な木彫りの白熊人形が出現し、くわえていたシャケを吐き出した。白熊は瞬たちに、「全員がホントのことが言えたなら、それで終了。ただし、誰かが嘘をついたら、その度に生贄を選んでもらう」というゲームを要求した。「好きな食べ物は?」という簡単な質問を受けて、7人は順番に答えた。すると白熊は激昂し、「嘘ついてるな。2分以内に嘘つきを出せ。でないと全員食い殺す」と口にする…。

監督は三池崇史、原作は金城宗幸、ARTは藤村緋二(講談社「週刊少年マガジン」連載)、脚本は八津弘幸、製作は市川南、共同製作は中村理一郎&吉川公平&奥野敏聡&弓矢政法&吉川英作&宮本直人、エグゼクティブ・プロデューサーは山内章弘、企画・プロデュースは白井央、プロデューサーは石黒裕亮&坂美佐子&前田茂司、ライン・プロデューサーは森徹&今井朝幸、プロダクション統括は佐藤毅、撮影は北信康、照明は渡部嘉、美術は橋本創、録音は中村淳、編集は山下健治、VFXスーパーバイザーは太田垣香織、音楽は遠藤浩二。
出演は福士蒼汰、神木隆之介、山崎紘菜、染谷将太、優希美青、高島礼子、大森南朋、リリー・フランキー、入江甚儀、山本涼介、萩原みのり、大鶴佐助、高橋直人、桜田通、菊田大輔、村上虹郎、佐藤佐吉、池谷のぶえ、高橋里央、柳喬之、坂本優太、石川大樹、碓井将大、大久保祥太郎、西川喜一、永井響、戸井智恵美、YAE、瀬戸沙織、志村玲那、喜多陽子、清水彩絵、濱頭優、Kaito、川村亮介、土屋シオン、中川可菜、山崎じゅり、東亜優、寺田伽藍ら。
声の出演は山崎努、渡辺哲、トミーズ雅、前田敦子、肥後克広(ダチョウ倶楽部)、上島竜兵(ダチョウ倶楽部)、寺門ジモン(ダチョウ倶楽部)、達依久子、柳沢三千代、水田わさび、小桜エツコ。


金城宗幸(作)&藤村緋二(画)による同名漫画を基にした作品。
監督は『喰女-クイメ-』『土竜(モグラ)の唄 潜入捜査官 REIJI』の三池崇史。
脚本は『イキガミ』『晴れのち晴れ、ときどき晴れ』の八津弘幸。
瞬を福士蒼汰、天谷を神木隆之介、いちかを山崎紘菜、サタケを染谷将太、翔子を優希美青、瞬の母を高島礼子、タクミを大森南朋、ホームレスをリリー・フランキーが演じている。
白熊の声を山崎努、シャケを渡辺哲、ダルマをトミーズ雅、招き猫を前田敦子が担当している。

回想シーンが何時か挿入されるが、それは全て要らない。たぶん登場人物の内面とか人間関係を紹介するために盛り込んでいるんだろうけど、そんなの全く要らない。
どうせ数名を除けば、殺されるために出て来ただけのメンツに過ぎない。そして、そいつらの人間性や瞬との関係性を紹介しておいても、それによって生じる効果なんて屁の突っ張りにもならない。
例えば瞬がサタケと一緒に万引きする回想シーンは、2人の友情を示しておきたかったんだろう。だが、それによって「サタケが自分を踏み台にして瞬にボタンを押させる」「でもサタケは死んでしまう」という展開に何かしらの効果が追加されたのかというと、そんなモノは皆無に等しいわけで。
その一瞬だけは瞬が「サタケを死なせた」ってことを気にするものの、すぐに次の展開へ移るので、そこの友情なんて全く後に繋がらないし。

外にいる人々の様子が何度か挿入されるが、これまた全て要らない。
タクミがネットの書き込みを見ているとか、ホームレスが不思議な力を発揮しているとか、生き残りの子供を人々が「神の子」と崇めているとか、評論家がテレビでテキトーなことを言っているとか、何もしていない警察がいるとか、そんなの全く意味が無い。
タクミとホームレスなんて、個人としてフィーチャーされるぐらいだから物語の展開に何かしらの影響を与えるのかと思いきや、ただ出て来ただけで終わるんだぜ。
つまり、まるで要らない奴らってことだよ。

この映画を今から観賞する人に向けて忠告しておきたいのは、「真面目に考えたら負けだよ」ってことだ。どうしようもなくバカバカしい話だし、それを三池崇史監督も充分に理解した上で演出している。
真剣に脳味噌を働かせようとする必要は無いが、ただし「考えるな、感じろ」というブルース・リー先生の教えも守らない方がいい。なぜなら、感じようとしても、「バカバカしい」ってことしか伝わらないからだ。
「だったら、どういうスタンスで鑑賞すりゃいいんだよ」と言いたくなる人がいるかもしれないが、まあ一番は「見なきゃいい」ってことになってしまう。
それでも観賞したい場合、「時間潰しとして何となくボーッと見る」「ツッコミを入れながら見る」という二択になるかなと。

殺人ゲームの目的や黒幕が謎であっても、あまりに不条理すぎる内容であっても、そんなのは一向に構わない。整合性や理屈の部分に問題があっても、色んなトコがデタラメだらけでも、それは別に構わない(でもホンマはアカンねんで)。
「なぜ平良だけは謎の立方体にノートパソコンを持ち込めているのか」という疑問も、そもそも真面目に考えない方がいい。彼がゲームにノリノリなのは天谷と微妙にキャラが被っているけど、どうせ直後に死ぬからどうでもいい。
ただしシロクマのゲームに関しては、「嘘つきはシロクマ」というドイヒーすぎる答えなので、それは「ホラーとして許容できる理不尽」を余裕で超えている。ひたすら不愉快で嫌悪感が強いだけであり、そこまでやっちゃうとホラーとしても楽しめないわ。正直に答えた翔子が無残に殺されるのは、単純に可哀想だし。
あと、殺人ゲームが繰り返される中で、「退屈な毎日、平凡な日常の大切さに気付こう」というメッセージが声高にアピールされるのは、心底から疎ましいだけだわ。

ザックリと言ってしまえば、これは『ソウ』の系統に属する映画である。一言で表現するなら、「生き残り殺人ゲーム」ってことになる。
だから、この映画を楽しみたいのであれば、「どういう知恵や作戦で生き残るのか」というゲーム的な要素と、「殺人シーンのケレン味」という残酷描写の要素を意識すべきだろう。
裏を返せば、「それ以外には何も無い」ってことになる。だからと言って、それが悪いとは言わない。むしろ、その2つで観客を楽しませることが出来るなら、ホラーとしては大成功だからね。
だから本作品が駄作になっちゃったのは(もう早々と駄作って断言しちゃうけど)、話が陳腐極まりないことや、「神さまの言うとおり」なので何でも有りになっちゃってることが原因ではない。
「生き残りゲームとしての面白味」と「殺人ショーとしての面白味」が著しく不足していることが問題なのだ。
そこが充分な質と量に達していれば、荒唐無稽なB級ホラー映画として楽しめるモノになっていた可能性もあるだろう。

「生き残りゲームとしての面白味」については、まず最初の「だるまさんがころんだ」は知恵もクソも無いまま終了している。
ただし、それは「こんな世界観の作品ですよ」ってことを紹介するチュートリアルみたいなパートなので、別に構わない。
2つ目の招き猫ゲームでは、瞬が「ネズミのキグルミ姿だと食べられる」「キグルミがゼロになると人間も食べられる」といったルールに気付き、それを利用して囮になっている。
また、2つの鞄とバスケットボールを使って敵を欺く知恵を使っている。

コケシのゲームでも、あらかじめ「時間切れ」という声を録音して、アケミを騙して先に声を出させるという知恵を使っている。そういう意味では、「ゲームとしのて面白さ」を見せていると言えるんじゃないかと思うかもしれない。
ただし、そもそも1つのゲームに費やす時間が少ないため、「ゲームで次々に生徒が死亡する」→「何かの法則があるんじゃないかと推理する」→「攻略法を試すが失敗する」→「新たなルールや対策を突き止め、ゲームを終わらせる」といった手順を踏むことが出来ない。
ゲームが始まったら、すぐに瞬は簡単に攻略法を思い付き、あっさりとクリアしてしまう。
だから、ゲームとしての面白味は少ないのだ。

「殺人ショーとしての面白味」については、まず冒頭、いきなり生徒の頭が破裂して首チョンパの状態になる。
しかし、そのまま「次々に頭部破裂」というトコへ移行してしまうのは、のっけから派手な描写で観客を引き付けたいってのは分かるけど、完全に「質より量」になっている。
そこは、まず「1人が死亡する」ってのを丁寧に示して、そこでケレン味のある残酷描写を施すべきだ。
そして、「こういう映画ですよ」ってのをアピールする手順を経た上で、次に「大勢が死亡する」というパートを用意した方が効果的だ。

また、「頭が破裂すると赤いビー玉が散らばる」という描写は、「中途半端に逃げの手を打っている」という印象しか受けない。
そもそも赤いビー玉の意味が全く分からないし、そこの不条理は恐怖のために機能するモノではないので邪魔なだけ。
一応は「ダルマへ近付くことを妨害する」といいう役割を果たしているものの、それよりは「教室が血だらけになる」ってトコを赤色で誤魔化しているという部分の方が圧倒的に強い。
「頭が破裂して首の無い死体がゴロゴロと転がって教室が血まみれに」という惨劇を荒唐無稽に描いてこそのシーンなのに、そこをヌルく飾り付けて、何がしたいのかと。

そもそも、生徒たちが死ぬ様子にしても、サタケの時は破裂する頭部が画面に映らないなど、すんげえ中途半端な処理になっているのよね。
むしろ他の面々は名も無き生徒で、そのシーンではサタケだけがフィーチャーされる唯一の生徒なんだから、他の面々にも増して「頭部が破裂する」ってのをキッチリと見せるべきでしょ。
特に彼の場合は「ゲーム終了で喜んでいたら頭部が破裂」という落差があるので、その瞬間を見せるのはショッカー描写として大きな効果があるはずなんだし。

ダルマのゲームは全員が頭部破裂なので、殺され方のバリエーションは無い。ただし、そこは「大勢の生徒が頭部破裂」というトコでのケレン味があると言ってもいいだろう。
しかし招き猫のゲームに入ると、生徒たちは頭からパクッと丸飲みされてしまうので、残酷描写なんて全く見られなくなる。吉川は鈴を投げ付けられて壁に激突するけど、そこにケレン味など皆無だ。森川&もう1人の男子は招き猫の爪で始末されるが、殺される瞬間の彼らは画面から外れている。
つまり始まってから20分程度で、もう「残酷殺人ショー」としての面白味を放棄しているのだ。
その代わりに他の面白さがあればリカバリーできるかもしれないけど、何も無いわけでね。

ゲームが終わった後で天谷が生徒たちを串刺しにして殺すけど、それもケレン味は乏しい。
おまけに、「天谷が殺しちゃうのかよ」というトコの残念さも加わるし。
こいつをクレイジーなキャラにしたいのは分かるけど、それだと恐怖の対象がボヤケちゃうのでマイナスしか無いのよ。
殺人を実行するのは、謎のクリーチャーだけに限定すべきだわ。どうせ天谷による殺人なんて凡庸そのもので、ショーとしての面白味は皆無なんだし。

コケシのゲームでは、4体に操られた平良が何度も床に頭を打ち付けて死亡する。しかし、その殺し方には面白味なんて全く感じない。
しかも、「グシャッ」と潰れる音がするだけで、平良が死ぬ様子は画面に映らない。それを見ている瞬の表情を写すだけで済ませてしまう。由美にしても、両脚が前後に引き裂かれるけど、「引き裂かれて死亡する」という状態は映像に写らず、見ている瞬と翔子の表情だけで片付ける。
そもそも殺し方のケレン味が全く足りていない上に、残酷描写の部分までゼロなのだ。
レーティングを意識したのかもしれないけど、残酷描写をヌルくするぐらいなら、こんな話、そもそも映画化するなよ。
最後に死ぬ奴らが「レーザー光線を受け、光の中で消滅する」という形になっているのも、「最後の最後で残酷描写ゼロって舐めてんのか」と言いたくなるわ。

(観賞日:2016年7月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会