『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』:2008、日本

戦国時代、ある地方に秋月、早川、山名という3つの小国があった。海に面した早川と金鉱に恵まれた秋月は同盟を結び、山名は勢力拡大 の野望を燃やしていた。山名は秋月に攻め入り、城を陥落させた。山名軍は焼け落ちた城跡に乗り込むが、秋月の軍資金は消えていた。 秋月は軍資金を探すため、庶民を動員して労働を強制した。その中に、金堀り師・武蔵(たけぞう)の姿もあった。
ある者が硬い何かを掘り当てたので、現場監督の侍が近付いた。武蔵は駕篭に飼っていた小鳥の様子を見て、毒の瘴気を察知した。彼は 慌てて穴から脱出し、走って現場を離れた。掘った部分に侍が火を近づけた途端、穴の中で大爆発が起きた。騒動が起きている隙に、武蔵 は軍資金探索の現場から逃走した。木こりの新八も、それに便乗する形で逃げ出した。
川で水を飲もうとした武蔵と新八は、薪の中に隠されている金塊を発見した。その金塊には、三日月の紋章が入っていた。それは秋月の 紋所だ。つまり、それは秋月の軍資金だったのだ。喜ぶ2人だが、そこへ矢が打ち込まれた。2人が放った男・七郎丸を追い掛けると、 隠し砦へと逃げ込もうとする。その寸前で新八が石つぶてを命中させ、男を昏倒させた。しかし、そこへ七郎丸の兄・真壁六郎太が現れ、 武蔵と新八は捕まってしまった。
六郎太が金を見つけた場所を吐くよう脅すと、すぐに新八が白状した。武蔵は「我らは山名の侍だ。秋月の軍資金に手を付けるとタダでは 済まないぞ」と言うが、すぐに嘘だと見抜かれた。武蔵は「早川へ行こうにも、国境には山名の侍が一杯だぞ。この国を抜け出す名案が ある。取引しないか」と持ち掛けた。六郎太は武蔵と新八を牢から出した。武蔵は、敵の裏をかいて、山名に入ってから早川へ抜ける案を 説明した。六郎太は金塊を隠した薪の山を見せ、「半分は俺、残り半分を2人で分けろ」と告げた。
六郎太は武蔵と新八に野伏せりだと称していたが、本当は秋月の侍だった。そして七郎丸は、男装した秋月家の雪姫だった。六郎太は 秋月の残党を率いる長老・長倉和泉に会い、武蔵の案を語った。長倉は「軍資金は、それでいい。姫はどうする」と口にした。男装しても 喋れば女だと分かってしまうことを、六郎太は懸念した。すると雪姫は勝ち気な態度で、「砦を出たら一切口を利かない」と宣言した。 雪姫は父の形見である小太刀を六郎太に渡し、「この命、そなたに預けた」と告げた。
翌日、六郎太たちは砦を出発した。彼は武蔵と新八に雪姫を弟だと紹介し、「昨日の石つぶてで口が利けなくなった」と説明した。砦を 襲撃した山名の侍大将・鷹山刑部と一味は、長倉を始めとする秋月の残党が自害しているのを発見した。長倉たちは雪姫を逃がす時間稼ぎ をするため、自害したのだ。その中には、雪姫の替え玉として自害した六郎太の妹・さよの亡骸もあった。しかし鷹山は、それが雪姫で ないことを即座に見抜いた。
雪姫の一行は川沿いを進んでいたが、向こう岸に山名の軍勢がいるのを発見した。一行は関所を通ることにするが、手形は持っていない。 六郎太は関所の役人・草上に金塊を渡し、「河原で拾った」と告げた。関所奉行の本庄久之進は、河原へ兵を差し向けるよう草上に指示 した。六郎太は褒美を要求し、追い払われた。これで手形無しに関所を通過できるはずだったが、男色趣味のある本庄が雪姫に目を留め、 「召し抱えてやろう」と言い出した。仕方なく六郎太は「ワシのカカアです」と言い、雪姫が女だとバラした。
雪姫の一行が関所を通過した後、鷹山が本庄の元にやって来た。雪姫の一行が関所を通ったことを知った本庄は、鷹山を惨殺した。一方、 貧しい村に入った六郎太は、荷車を引っ張っている老人に目を留めた。彼は取引を持ち掛け、自分たちの馬と荷車を交換してもらった。 雪姫は人買いから手荒に扱われている娘・みつを不憫に思い、六郎太に「買い戻す」と言い出した。「今なすべきことは、お家再興のため に軍資金を運ぶこと」と六郎太は諭すが、雪姫は「それも民のためではないのか」と反発した。
結局、六郎太は雪姫の主張を受け入れ、みつを買い戻して一緒に連れて行くことにした。先を進む途中、馬に荷を繋いだ4人組を捜索する 山名の手勢がやって来た。一度は通過したものの、すぐに雪姫たちの元へ戻って来た。みつは雪姫を庇い、命を落とした。六郎太は敵を 蹴散らし、雪姫は馬に乗り、逃げた一人を追う。六郎太は雪姫の後を追い、逃げた侍を倒した。新八は2人が戻らない内に早く逃げ出そう とするが、武蔵は「先に行ってろ」と告げ、雪姫が去った方向へ向かった。
村に戻った雪姫は、自分を捜索する鷹山の家臣・佐川伝兵衛たちが人々を拘束し、無残に殺害する様子を目にした。雪姫は「その者たちを 解き放て」と叫び、敵に素性を明かした。その様子を物陰から覗き見ていた武蔵は、騙されていたことに憤懣を覚えた。六郎太は敵の手勢 を斬った。戻るよう告げる六郎太に、雪姫は「この者たちを放ってはおけない」と告げた。新八の元に戻った武蔵は、「何が雪姫だ。馬鹿 にしやがって。あいつら、今頃は捕まって打ち首だ」と吐き捨てるように言った。
武蔵と新八は山へ向かうが、荷車の車輪が壊れてしまった。そこへ雪姫と六郎太がやって来た。六郎太が「裏切ったら叩き斬ると言った はずだ」と告げると、武蔵は反抗的な態度で「どうせ利用するだけ利用して殺すつもりだったんだろ。侍はいつもそうだ」と鋭く言う。 さらに彼は、「俺の親父は侍どもに扱き使われて、虫けらみたいに殺されたんだ」と語った。
武蔵が「殺せ」と挑発するので、六郎太は刀を突き付けた。そこへ雪姫が割って入り、六郎太が制止した。雪姫は武蔵に、「裏切り御免。 たばかって悪かった」と告げる。それから「侍は、そのような者ばかりではない。改めて供を願いたい」と頼んで頭を下げた。雪姫に指示 され、六郎太も頭を下げた。武蔵は反抗的な態度を保ちつつも、それを承諾する。新八が腰の低い態度で「雪姫様」と呼ぶと、武蔵は 「国が無くなりゃ姫でも何でもねえ。雪でいいんだ」とぶっきらぼうに言った。
山を進んだ武蔵は、庶民の行列に合流した。その中には、武蔵と顔馴染みの連中もいた。彼らは年に一度の火祭りに行く途中で、それに 紛れて早川に抜けるというのが武蔵の計画だった。山名の侍も、その祭りには手を出せないしきたりになっている。祭りに圧倒される雪姫 に、武蔵は「苦しみやつれえ事は火にくべて踊り明かす。それが山名の火祭りだ」と説明した。
雪姫は「この国の民は、かように踊り明かさねばならぬほど苦しんでおるのか」と心を痛め、「教えてくれ、武蔵。この世に戦や身分の 境が無ければ、落とさずとも済んだ命はどれほどあったのか」と尋ねた。武蔵は雪姫を輪の中に引き入れ、他の面々と共に踊った。祭りが 続く中、鷹山が手勢を引き連れて現れた。彼はしきたりを破り、人々を斬り始めた。
六郎太は荷車ごと薪を炎に突っ込ませ、その場から逃走した。武蔵も雪姫を連れて祭りの現場を離れた。雪姫が「一番の悪人は、この私だ。 もう耐えられない」と漏らすと、武蔵は「だったら逃げよう、俺と一緒に」と誘った。雪姫が同調しようとしているところへ六郎太が現れ、 連れて逃げようとする。だが、そこへ鷹山の手勢が現れ、武蔵たちは取り囲まれた。
武蔵が抵抗しようとすると、六郎太が刀を抜いて斬り捨てた。六郎太は降参の意志を示し、雪姫と共に捕獲された。鷹山は2人を建設中の 砦に連行し、六郎太を拷問して金塊のありかを吐かせようとする。さらに鷹山は、雪姫を山名の殿様に嫁がせることで、秋月も手中に 収めようと企んでいた。一方、気を失っていた武蔵は、朝になって目を覚ました。六郎太は敵に気付かれぬよう武蔵に小太刀を渡し、 「雪姫を頼む」と告げて、斬ったように装っていたのだ…。

監督は樋口真嗣、オリジナル脚本は黒澤明&菊島隆三&小国英雄&橋本忍、脚色は中島かずき、製作は富山省吾、製作統括は島谷能成&小杉善信&亀井修&藤島ジュリーK.&西垣慎一郎&宮崎哲彰&大月のぼる&島本雄二、 プロデューサーは山内章弘&甘木モリオ、アソシエイトプロデューサーは倉田貴也、エグゼクティブプロデューサーは市川南&奥田誠治、 Coプロデューサーは山田健一、撮影は江原祥二、編集は上野聡一、録音は中村淳、照明は吉角荘介、美術は清水剛、 VFXプロデューサーは大屋哲男、殺陣は久世浩、刑部衣装デザインは竹田団吾、音楽は佐藤直紀、 音楽プロデューサーは北原京子、主題歌『裏切り御免』はThe THREE(布袋寅泰×KREVA×亀田誠治)。
出演は松本潤、長澤まさみ、阿部寛、椎名桔平、宮川大輔、甲本雅裕、上川隆也、國村隼、高嶋政宏、中村橋弥、坂野友香、川口節子、 橋本じゅん、ピエール瀧、粟根まこと、黒瀬真奈美、生瀬勝久、古田新太、徳井優、皆川猿時、小松和重、田鍋謙一郎、KREVA、 羽柴誠、赤堀雅秋、野口雅弘、松島誠、舞太鼓あすか組ら。


1958年に公開された黒澤明監督の映画『隠し砦の三悪人』をリメイクした作品。
監督は『ローレライ』『日本沈没』の樋口真嗣。
脚色を劇団☆新感線の座付き作家である中島かずきが担当。
武蔵を松本潤、雪姫を長澤まさみ、六郎太を阿部寛、鷹山を椎名桔平、新八を宮川大輔、伝兵衛を甲本雅裕、宿場襲撃隊の隊長を上川隆也 、長倉を國村隼、本庄を高嶋政宏が演じている。
オリジナル版では雪姫の家臣・六郎太が主人公だったが、今回は彼を脇役に回している。オリジナル版で六郎太と共に行動するのは百姓の 太平と又七だが、このリメイク版では武蔵と新八という別のキャラクターに変更し、武蔵を主役に据えている。さらに、追って来る山名の 侍大将も田所兵衛から鷹山刑部へと変更され、オリジナル版とは違う冷酷無比な悪党キャラになっている。

マツジュンは全てのセリフが軽くて、時代劇としての重厚さが全く無い。
時代劇であっても、コメディー・リリーフだったら軽いノリは必要だ。
ただ、仮にコメディー・リリーフだったとしても、そこにあるべきモノは軽妙さだから、ただ軽薄なだけの芝居では失格だけど。
長澤まさみは、勝ち気に振舞っている間は、そんなに問題は無い。
しかし後半、急にナヨナヨし始めると、お姫様らしさの不足が、大きなダメージとなって顕著に表れてしまう。

「英語のサブタイトルを付けた邦画にロクなモンは無い」というのが、偏見に満ちた私の持論なのだが、それが少なくとも本作品に おいては当たっている。
「ジャニーズのタレントに合わせて話を作った映画にロクなモンは無い」というのが私の偏見なのだが、少なくとも本作品においては 当たっている。
「3作連続でポンコツ映画を作ったら、その人は監督の才能が無い(もしくは才能が枯れた)と断定しても構わない」というのが私の決めた 勝手なルールなので、樋口氏は本作品によって、映画監督としての才能が無い人に決定。
樋口真嗣監督が今までに撮った作品を見れば、この映画を彼に任せた時点で、失敗作になるのは確定したも同然だ。そのことに気付かない 製作サイドは、あまりにも愚かしい。ただし、じゃあ他の監督だったら大丈夫だったのかというと、そういうわけでもない。そもそも、 黒澤映画のリメイクなんて、その時点で無謀だ。そこに手を出した時点で、もうアウトだろう。

オリジナル版が『スター・ウォーズ』に大きな影響を与えたことは、良く知られている。
で、なぜか今回、樋口監督は『隠し砦の三悪人』のリメイクではなく、『スター・ウォーズ』の時代劇版をやろうとしたようだ。
鷹山の甲冑なんて、完全にダース・ベイダーを意識したものだ。
そこにあるのは黒澤監督へのリスペクトじゃなくて、ジョージ・ルーカスへの憧憬だ。
っていうか、『隠し砦の三悪人』というタイトルだけど、今回のリメイク版だと「三悪人」が存在しないでしょ。

あるインタビューにおいて、監督が「真っ当な時代劇を目指した」とコメントしているのを知って、唖然とした。
どこが真っ当な時代劇なのかと。
これを本気で真っ当な時代劇だと思っているなら、もう完全に終わってるぞ。
かつての東映が作っていた荒唐無稽な時代劇映画でも、ここまでの無茶はやらなかった。
この映画は、時代劇としての最低限のルールを土足で踏みにじっている。
鷹山は本庄を斬り捨てるが、そんなに大勢の家臣が見ている中で侍大将が奉行を斬るなんて、真っ当な時代劇では考え難い。
武蔵は「国が無くなりゃ姫でも何でもねえ」という理屈で雪姫を「雪」と呼び捨てにするが、どんなに侍への反発心があろうとも、庶民が 姫様を呼び捨てにするなんて、そんなのも「真っ当な時代劇」では有り得ないことなんだよ。

オリジナル版では、終盤に田所兵衛が「裏切り御免」と口にする場面が有名だ。
雪姫に胸を打たれた敵方の兵衛が味方を裏切って処刑寸前の彼女たちを救出し、自分の軍勢に向かって、そのセリフを吐くのだ。そういう 意味合いで使われる名台詞だ。
そういうセリフを、このリメイク版では、全く違うシチュエーションで使用している。
これが呆れるぐらいドイヒーな使われ方なのだ。

まず一度目は、雪姫が武蔵に「裏切り御免。たばかって悪かった」と告げる。
だが、そこで「裏切り御免」という言葉を使うのは、あまりにも不自然だ。
別に裏切ったわけではない。そもそも、裏切るほど信頼関係があったわけでもないし。
そこは「裏切り御免」の部分を削除して、「たばかって悪かった」と告げる方が遥かに自然だ。
そこまで無理して「裏切り御免」を使う必要は無い。
二度目は、民に迎えられた雪姫を見た武蔵が、彼女の元を去る時に微笑しながら「裏切り御免」と告げる。一緒に逃げようと約束したのに 、それを破ったことに対して「裏切り御免」と告げるわけだ。
でも、それも不自然極まりないセリフだ。
オリジナル版を冒涜するような「裏切り御免」の使い方をするぐらいなら、使わない方が遥かにマシだが、でも使ってくれたことにある 意味では感謝している。
それが無くてもボロクソな映画だが、使ってくれたことで、さらに徹底して酷評したい気分にさせてくれたから。
火に油を注いでくれたことに、最大級の皮肉を込めて感謝する。

軍資金捜索現場で爆発が起きて、そこから武蔵と新八が逃げ出す冒頭のシークエンスだけで、もう「ああ、この映画は軽くて安いな」と 感じさせるだけの説得力がある。さらに、薪の中の金塊を発見した2人の所へ矢が飛んでくる際の効果音も、いちいち大げさで 気持ちを萎えさせる。
ああ、監督は時代劇じゃなく特撮映画として作っているんだなあと、ゲンナリさせられる。
映像表現も今一つで、カット割りが変だと感じる箇所もある。
ものすごく引っ掛かったのは、みつを殺した手勢と戦った六郎太が、馬に乗って雪姫を追い掛ける一連のシーン。
敵を斬る六郎太を正面から撮り、馬に乗る姿は後ろから、そして馬で走っていく様子は再び前からのアングルで、それを短い間隔で繋げて いるのだが、その切り替えだと、馬に乗る後ろ姿が六郎太だというのが分かりにくい。
っていうか、なんか間違ったカットが紛れ込んだかのような違和感がある。

六郎太は出会ったばかりの金堀り師の戯言をすぐに聞き入れ、牢から出してしまう。
だけど「敵の裏をかいて山名から早川に抜ける」なんて、いちいち地面に図を描かなくても、口だけで説明できることだよな。もちろん 「観客に分かりやすく説明する」という意味では絵を描いた方がいいのは分かるけど、そこで六郎太が武蔵と新八を牢から出しているのは 不可解だ。
それに、武蔵はともかく、新八は何の作戦も持っていないんだから、牢から出す意味は皆無だろ。
さよの爆死について六郎太が「忠義に殉ずるは臣下の面目。妹も喜んでいる」と言うと、雪姫は「嘘だ。私が彼女なら、この姫を恨むぞ」 と反発するが、そんなことは無いと思うよ。さよは姫様に忠義を尽くしているんだから、守るために命を投げ出しても本望だろう。それが 侍の時代における主従関係というものだ。
あと、そんなデカい声で喋っていたら、武蔵たちに聞こえるぞ。

関所を渡る際、六郎太は金塊を役人に渡すことで、手形を見せずに通過する作戦を実行する。火祭りの場に敵が来た時は、炎に金塊を 投げ入れて逃亡する策を取る(その金塊が偽物なので、結果的には何の意味も無い作戦になっているが)。
このように、時には六郎太がアイデアを出すこともあり、危機を脱出するための頭脳労働を全て武蔵に割り当てているわけではない。
それは役割分担がボヤけているなあと。そこは全て武蔵がアイデアを出す形に統一しておけば良かったのに。
いっそのこと、戦闘の分野も武蔵が担当して、六郎太は「忠実な下僕だけど能力値は低い」という設定にしても良かったかもしれない。
で、もちろん戦闘能力の高い金堀り師なんて不自然だから、武蔵の職業も盗賊か何かに変更すればいい。
でも、それだとマツジュンでは合わないから、そこを阿部寛にするか。
ただ、そうなると「マツジュン(ジャニーズのタレントと言い換えてもいい)を起用する」という条件がクリアできなくなるんだよな。
その部分は、やはり大きなネックだよなあ。

軍資金を運ぶ旅に出てからの武蔵って、雪姫の正体を知る辺りまでは、完全に脇役なんだよね。特に活躍するようなことも無いし、キャラ の内面に切り込むようなことも無い。雪姫とのロマンスも、全く始まらない。
別に序盤から惹かれ合う必要は無いよ。むしろ、そうじゃない方がいい。
ただ、武蔵と雪姫の関わりは、早い段階から示しておくべきだろう。
特に雪姫にとって、武蔵の存在はほとんど目に入っていないような状態なので、それはマズいんじゃないかと。
マイナスの感情さえ無くて、無関心なんだよな。
雪姫は六郎太に父の小太刀を渡して「この命を預けた」と言うぐらいだから、その2人で恋愛関係を作った方がスムーズだ。でも、ここの 恋愛関係は生じない。
で、山を登る途中で武蔵が雪姫に手を貸して、それまで全く何も無かったのに、そこで急に互いを意識するような表情を見せる。そこから 火祭りの辺りまでの短時間で、慌ただしく2人のロマンスを描いていく。

火祭りが始まると、雪姫は圧倒された様子を示す。武蔵が「苦しみやつれえ事は火にくべて踊り明かす」と説明する前から、雪姫は民の 踊りを楽しいものとは見ていない。
で、「この国の民は、かように踊り明かさねばならぬほど苦しんでおるのか」と言い出す。
どうして、そういう解釈になっちゃうのかねえ。
このお嬢様は、なんでもかんでも悩みすぎじゃねえか。

で、雪姫は「この世に戦や身分の境が無ければ、落とさずとも済んだ命はどれほどあったのか」と言い出すんだが、戦いは身分の格差が あるから起きるわけじゃないでしょ。
「全ては身分格差が悪い」みたいなことを姫様が考えるシナリオには、ものすごく無理を感じる。
雪姫の目の前でいろんな人が死んだのは、身分格差のせいじゃないだろ。どう考えても考えが飛躍しすぎだ。
っていうか、そもそも問題があるのは、山名の庶民と侍の関係であって、秋月では良好な関係なんだよな。

六郎太は敵に気付かれぬよう武蔵に小太刀を渡し、「雪姫を頼む」と告げて敵に捕まるが、ただの金堀り師に大事な姫様を 委ねるかね。そこまでの信頼関係は構築されてなかっただろ。
それまでに、武蔵が雪姫を助けるために何か大きな行動を起こしたことも無かったし。
で、その辺りになると、もう雪姫はすっかり弱々しくなっている。
あの勝ち気な性格は、どこへ行ったのか。

実は金塊が鉛だったことが明らかになり、雪姫は「金は一つずつ百人の民に持たせた」と明らかにする。
大事な軍資金を委ねるぐらい民を信頼しているのか。そこまで信頼関係が出来上がってるなら、身分の差がどうとか気にするなよ。
一方、武蔵は雪姫の救出に向かうが、なんせ戦闘能力がゼロに等しいので、鷹山と戦うのも六郎太が担当している。
クライマックスにおける武蔵の立場は、ものすごく半端なものになっている。
で、六郎太と鷹山のチャンバラにも、何の魅力も無い。

「民は待っていてくれるだろうか」と不安になる雪姫に、武蔵は「誰もいなくても俺が待ってる」と告げる。
でも、そこは自分をアピールするんじゃなくて、「きっと民は待っていてくれるさ」という形で励ますべきじゃないのか。
で、秋月の民は雪姫を待っていてくれるけど、でも雪姫は国のトップに立つ人間として、ふさわしい姿を見せたわけじゃないのよね。民は 「殿様の娘」ということだけで、彼女を慕っているけど、そうじゃなくて、そこは主君らしい行動や態度を何か一つぐらい見せようよ。
で、その主君として領民を率いて行こうとする姿を見て、自分は身分違いだと感じた武蔵が去って行くという形にしておけば、陳腐な ロマンスも少しは意味のあるモノになったんじゃないか。
まあ、どうやったところで、そこで武蔵が雪姫に「裏切り御免」と告げて立ち去るのは愚の骨頂だけどね。
「裏切り御免」ってのは、恋愛関係で使うようなセリフじゃないよ。
まあ、この映画も含めて、黒澤映画のポンコツなリメイク版ばかりが作られることによって、オリジナル版が再認識されるきっかけになる ことを考慮すれば、ある意味では、良いことなのかもね。

(観賞日:2009年11月2日)


第2回(2008年度)HIHOはくさい映画賞

・最低監督賞:樋口真嗣
・最低主題歌賞:KREVA

第5回(2008年度)蛇いちご賞

・女優賞:長澤まさみ

 

*ポンコツ映画愛護協会