『隠し剣 鬼の爪』:2004、日本

時は幕末、東北の海坂藩。講武所の下級武士・片桐宗蔵と友人の島田左門は、江戸勤番馬廻役となった狭間弥市郎の見送りに出向く。狭間 は妻の桂を残し、江戸へと向かった。宗蔵は左門を連れて、母の吟と妹の志乃、奉公人・きえが待つ家へと戻った。左門と志乃は、許婚の 間柄だ。宗蔵の父は詰め腹を斬らされて禄高は100石から30石に減らされており、宗蔵に出世の見込みは無い。吟は左門と志乃の結婚を 釣り合わないと心配していたが、左門は気にせず祝言を挙げた。しばらくして、今度はきえが商家に嫁いでいった。
それから3年後。吟を亡くした宗蔵は、偶然にも町できえと再会する。豪商の伊勢屋に嫁いで幸せに暮らしているはずのきえだが、宗蔵 には病人のように見えた。宗蔵は助けてやりたいと思ったが、どうすれば良いのか分からなかった。講武所では西洋式砲術の教練が実施 されていたが、宗蔵はきえのことが気になり、全く身が入らなかった。
江戸から来た砲術の教官はエゲレス言葉ばかり使うので、海坂藩の面々には何のことやらサッパリ分からなかった。吟の3回忌には、 片桐家の親族が集まった。宗蔵は伯父の勘兵衛から砲術を学んでいることを咎められ、「刀で正々堂々と戦うのが侍だ」と言われる。さら に宗蔵は、「だから嫁も貰えないのだ」と理不尽な非難を受ける。
宗蔵は左門と志乃から、きえが2ヶ月前から病で寝込んでいることを聞かされる。1日も休みを貰えずに必死で働いて病になったのに、 伊勢屋の女将は金を惜しんで医者も呼ばないのだという。宗蔵が見舞いに行くと、伊勢屋の女将は冷たく追い払おうとする。宗蔵が強引に 上がり込むと、きえはひどく弱っていた。宗蔵は伊勢屋の主人に「離縁状を書いてくれ」と言い放ち、きえを連れ帰る。
左門や志乃が看病を手伝ってくれたこともあり、きえは順調に回復していった。そんな中、宗蔵は左門から、狭間が幕府内部の改革派と 通じており、謀反の罪で捕まったことを聞かされる。文久元年のことである。藩は謀反を働いた面々を密かに処分したが、狭間だけは 「郷入り」という極刑が下されて国元へ返された。
宗蔵は大目付の甲田と家老の堀に呼び出され、狭間との関係を問われる。宗蔵と狭間は、かつて剣術指南役・戸田寛斎の道場で同胞だった。 戸田は禄を返し、今は百姓になっている。剣術の腕は狭間の方が上だったが、戸田は秘剣“鬼の爪”を宗蔵に授けていた。甲田から狭間と 仲の良い仲間を密告するよう命じられた宗蔵だが、キッパリと拒絶した。
宗蔵は左門から、町に広まっている噂について聞かされる。宗蔵が伊勢屋の若妻を妾のように囲っているという噂だ。左門は宗蔵のことを 心配し、「きえを何とかしろ」と告げる。宗蔵はきえを海に連れ出し、「元気になったことだし、そろそろ実家に帰れ。いずれ良い男を 見つけて、嫁に行かねば」と切り出した。きえは留まることを望んだが宗蔵は聞き入れず、彼女は実家へ戻った。
山奥の番小屋に監禁されていた狭間が牢を破り、百姓の家に人質を取って立て籠もった。狭間は逃げるつもりは無く、堀に宛てて「追っ手 を差し向けろ。斬りまくってやる」と挑戦的な書状を送り付けていた。宗蔵は藩命により、狭間の討手となった。宗蔵は狭間の妻・桂から 夫を逃がして欲しいと頼まれ、そのためなら体も委ねると持ち掛けられる。宗蔵に断られた桂は、堀に嘆願すると口にする。騙されるだけ だと止める宗蔵だが、桂は聞く耳を持たなかった。
翌日、宗蔵は狭間が潜む村へ向かう。藩は既に鉄砲隊を送り込んでおり、いざとなれば人質もろとも狭間を射殺して良いという命令を 出している。宗蔵は狭間の立て籠もる家へ赴き、切腹するよう持ち掛ける。説得は受け入れられず、宗蔵は狭間と刀を交える。だが、家の 外へ出たところで鉄砲隊が銃弾を放ち、狭間を殺害した。桂と会った宗蔵は、堀が彼女に「狭間の討伐を中止する」と約束していたことを 知る。桂が命乞いのために体を委ねると持ち掛けたため、堀は肉体関係を持った上で約束を破ったのだ…。

監督は山田洋次、原作は藤沢周平、脚本は山田洋次&朝間義隆、製作は久松猛朗、プロデューサーは深澤宏&山本一郎、製作代表は 大谷信義&間部耕苹&岡素之&佐藤孝&大野隆樹&石川富康、製作総指揮は迫本淳一、撮影は長沼六男、編集は石井巌、録音は岸田和美、 照明は中岡源権、美術は出川三男、美術監修は西岡善信、殺陣・所作は久世浩、音楽は冨田勲、音楽プロデューサーは小野寺重之。
出演は永瀬正敏、松たか子、緒形拳、小林稔侍、田中泯、笹野高史、吉岡秀隆、小澤征悦、田畑智子、倍賞千恵子、田中邦衛、 綾田俊樹、神戸浩、光本幸子、高島礼子、赤塚真人、松田洋治、小市慢太郎、北山雅康、松野太紀、近藤公園、香川耕二、山村嵯都子、 斉藤奈々、笠井一彦、佐藤亮太、前田淳、水野貴以、志乃原良子、土方錦ノ助、鍋島浩、吉良浩一、中島崇博、武田博之、福岡貴之、小妻寛和、石渡幸児、岩須透、泉祐介、中谷容子、 牧田楓加、米良洋亮、田中雄三朗、夏坂祐輝、小峰隆司、瓜生まどか、東康平、菅原司、金子珠美、萩野洋子、神野絵美、宮前安孝、 杉迫義昭ら。


藤沢周平の短編小説『隠し剣鬼ノ爪』と『雪明かり』を基にした作品。
2002年の『たそがれ清兵衛』に続く、山田洋次監督の藤沢周平3部作の2作目に当たる。
宗蔵を永瀬正敏、きえを松たか子、左門を吉岡秀隆、狭間を小澤征悦、堀を緒形拳、志乃を田畑智子、吟を 倍賞千恵子、勘兵衛を田中邦衛、伊勢屋の女将を光本幸子、桂を高島礼子、戸田を田中泯、甲田を小林稔侍が演じている。

貧しい下級武士が主人公で、まだ嫁がいない。
惚れている女性は嫁いでいくが、辛い目に遭って主人公の元に戻ってくる。
しかし互いに惚れ合っているが、身分の違いで結婚することが出来ない。
下級武士は藩命により、望まぬ討伐に赴くことになる。
大まかな筋書きは、『たそがれ清兵衛』の焼き直しと言ってもいいぐらい酷似している。
「たまたま原作が似ていた」ということではない。
わざわざ2つの小説を組み合わせているわけだから、意図的に似た物語として仕上げているのだ。

ひょっとすると山田洋次監督は、『たそがれ清兵衛』に満足できず、やり残したコト、不充分に思った部分に手を加え、より良い作品を 作りたいというリメイクの気持ちがあったのかもしれない。
ただ、そうだとしても、このスパンの短さは無いだろ。
セルフリメイクというのは最近でこそ少ないが、昔はそれほど珍しくはなかった。
ただ、さすがに2年前の映画を次回作でリメイクするというのは、ちょっと感覚を疑ってしまう。
それは意味不明なマンネリズム至上主義なのかと思ってしまう。

『たそがれ隠し剣 鬼の爪』として仕上げたのは、ハッキリ言って失敗だった。
まず前作の焼き直しになっているということがマイナスにしか思えないし、キャスティングともズレが生じている。
永瀬正敏は『雪明かり』には合うかもしれないが、『隠し剣鬼ノ爪』では線が細すぎるしチャンバラの迫力が無さすぎる。
真田広之のようにカッコ良く刀を扱う必要は無いし、泥臭くても構わないのだが、殺陣シーンにおける迫力や凄みは必要なのだ。
永瀬正敏には、それが出せない。

きえが伊勢屋に嫁いで3年後、彼女と出会った宗蔵は「青白い顔で、まるで病人だ」と感じている。
そのシーンにおける松たか子の姿は、やつれて……いない。
栄養たっぷりで元気に見える。
かすれ気味の声で弱々しく喋っても、顔立ちがまるで変わっていない。
「元気になりたきゃ、とりあえずタバコをやめろ」と的外れなことを言いたくなるぐらい、弱っている病人には見えないのだ。
どうせ焼き直しなら、ここは宮沢りえにしておけば合っていたかもしれない。

講武所の面々と教官のやり取り、砲術の訓練や披露が上手く行かないというシーンが何度か挿入される。 ストーリー進行上は何の意味も無い捨てゴマだが、そこでのホノボノしたユーモラスな雰囲気は、山田監督らしさが良く表れているとも言える。
ただ、柔らかさ、暖かさが強まった分、緊迫感は薄れた。
いざという時に緊迫感に包まれるのなら普段は緩和でも構わないんだが、緊張への切り替えが上手くいっていないようだ。

前半の内に、宗蔵は強引に伊勢屋に上がり込んできえを連れ帰る。
これは、「踏み越えるべきではないライン」を簡単に踏み越えてしまったことになる。
甲田から仲間の密告を命じられて即座に拒絶するシーンも、同じことが言える。
侍と町人、武士の上下関係という身分の違いに翻弄されるとか苦悩するとか、そういうことが無くて、簡単に踏み越えているのだ。
後半に友人を討ったり家老を狙ったりという展開があることを考えれば、前半で宗蔵の人間としての強さを見せるのは避けた方が良かった と思う(最初から強い奴として登場したり、剣術の強さを見せたりということなら話は別だ)。
つまり、きえを連れ帰るのは中盤以降にした方がいいし、密告の拒否も弱々しく「勘弁してくだせえ」と言う感じにした方が良かった。

下級武士としての悲しみや辛さを表現するのであれば、等身大の「普通の人」ということで、永瀬正敏は似合っていたかもしれない。
しかし、それをいとも簡単に突っぱねる強さを外に発するキャラだと、これはミスキャストと言わざるを得ない。
というか、永瀬正敏は芝居が淡々としていて感情の起伏がほとんど表情に出ないんだが、それじゃマズいんじゃないのか。
宗蔵がきえに故郷へ戻るよう言う時も、「本当は好きなのに葛藤している」という感じが全く無い。
きえを実家へ戻す理由が、本当に彼女のことを考えてとか、妹が辛い目に遭っているからとかでなく、噂のことを言われたからとしか 見えないのはキツい。
伊勢屋から連れ戻す時点で身分違いを簡単に踏み越えた感があるので、今さら身分違いを気にするのはどうなのかとも思うし。

前半が『雪明かり』編、後半が『隠し剣鬼ノ爪』編と、前後編でほぼ分断状態の構成にしたのは失敗だろう。せめて混ぜ合わせるべきだった。
っていうか、いずれか一方にした方が良かったんじゃないか。それで2時間以内にまとめた方がスッキリした気がするんだが。
『雪明かり』の部分は宗蔵ときえの関係が薄いし、『隠し剣鬼ノ爪』の部分は狭間や桂や堀との関係が薄いし。
2つを組み合わせた結果として、どちらの人間関係も薄くなってしまったんじゃないかと思うんだが。
特に『隠し剣鬼ノ爪』の方は、宗蔵が狭間と盟友だった頃の描写が全く無いのに、「友を斬れというのですか」と訴えても、その友情での 苦悩は伝わらないよ。堀の悪党としての存在感も薄いし、桂はオマケみたいな存在になっちゃってるし。
本当ならば、宗蔵が桂の情の強さに心を揺り動かされ、それが卑劣な家老を暗殺する怒りへと繋がっていかなきゃいけないはずなのに、 導火線が細い。

どっちかに絞るとすれば、そりゃあ迷うことなく『雪明かり』だ。
山田監督は人情劇の人だし、『隠し剣鬼ノ爪』に含まれるチャンバラ時代劇を魅せるためのケレン味が足りない。
永瀬正敏と小澤征悦の決闘は大きな見せ場のはずなんだが、盛り上がりに欠ける。
これは『たそがれ清兵衛』でも思ったが、チャンバラの見せ方があまり上手くないのね。
ただし、『たそがれ清兵衛』の時とは、見せ方が上手くないという意味が全く違う。
『たそがれ清兵衛』では、「細かい動きをやっているのに、引いた絵ばかりなので何をどうやっているのか良く分からない」とか、 「対決シーンで映像が薄暗いため、相手を斬るという大事な時でさえも何をやっているのか分かりにくい」とか、そういう問題だった。
この映画の場合、チャンバラが上手くない永瀬正敏と小澤征悦の決闘を引いた絵&カット長めで撮るので、殺陣のヌルさが露骨に分かって しまうという問題だ。

終盤に宗蔵が仕掛人梅安になる展開が待っているのであれば、そこまでを人情劇として進めているのは具合が悪い。
なぜなら、その仕掛人になる展開が、あまりにも唐突に感じられてしまうからだ。
そこをスムーズな流れにするためには、もっと戦いを主体とする時代劇として作り、「隠し剣とは何ぞや」ということをアピールしておく 必要があったのではないか。

『たそがれ清兵衛』で主人公が喋りすぎだと感じたが、この映画でも登場人物が喋りすぎ。
特に終盤、狭間が死んだ後に宗蔵が桂と会うシーンと、宗蔵が堀に会うシーンは酷い。
まず前者は、桂が「ご家老様は狭間を討つのをやめろと言わなかったのですか。私には約束して云々」と言い、宗蔵が「何も言われて いない、本当にご家老の所へ行ったのですか、だから騙されるだけだと云々」と長いセリフを互いに喋るのだが、そこは「ご家老様は狭間 を討つのをやめろと言わなかったのですか」とだけ言わせて、後は桂の表情で彼女が騙されたことを宗蔵が悟る形にした方がいい。
続く宗蔵が堀に会うシーンは、堀が桂を抱いたことを「言い寄られたので可愛がってやった、女も結構喜んでいた」などと長いセリフを 語るのだが、それもベラベラと喋りすぎだ。
そこは、前述したシーンでの桂の様子で宗蔵が察知する、それを堀に確認するという作業だけで済ませるべき。
つまり堀のセリフは、劇中のモノよりも遥かに短くていい。

「喋りすぎ」というのもその中に含まれるのだが、ちょっと説明しすぎじゃないか。
特にラストのシーンは、それが顕著。
禄を返して町人として蝦夷へ渡ることを決めた宗蔵が、きえに会って求婚してOKを貰うシーンで終幕するのだが、そこまで全て ハッキリと見せなくてもいいだろう。
その一方で、余韻は無いし。
「これから求婚する」と匂わせる程度でも良かった気がするが。

 

*ポンコツ映画愛護協会