『回路』:2001、日本

工藤ミチが勤務する観葉植物販売会社では、同僚の田口が1週間も欠勤していた。佐々野順子が自宅アパートに電話をしても、応答が無い 。順子は「何か嫌なことが起こっている気がする」と不安を口にした。ミチは田口を訪ねることにした。インターホンを鳴らしても、応答 は無い。ミチが鍵を使って中に入ると、田口は奥の部屋にいた。ミチが即売会のリストを探していると、田口の返事が無い。奥の部屋に 戻ると、田口の首吊り死体があった。ミチと順子は同僚の矢部俊夫から、田口のフロッピーを見てほしいと告げられた。フロッピーの データには、田口の部屋の写真が含まれていた。パソコンのモニターには、田口の顔が写っていた。
大学生の川島亮介は、自宅のパソコンでインターネットを始めようとした。すると画面には、どこかの部屋の映像が写し出され、「幽霊に 会いたいですか」と文字が出た。亮介は怖くなって電源を切った。しかし眠っている間に、また勝手にパソコンは同じサイトにアクセス していた。翌日、亮介は理工学部の唐沢春江に相談した。すると春江は、「今度、そのサイトが開いたら、お気に入りに登録して。それが 出来なかったらプリント・スクリーンで画面を保存して」と告げ、やり方を丁寧に教えた。
矢部の携帯に電話が入り、「助けて」という謎の声が聞こえてきた。彼が田口の部屋に行くと、「あかずの間の作り方」と書かれた紙が あった。奥の部屋に足を踏み入れると、壁には大きな黒いシミがあった。矢部は「田口、どうしたんだよ」と呼び掛けてから、「俺、何 言ってんだ」と我に返った。矢部は出勤するが、ミチは彼の様子がおかしいことに気付いた。
ミチは帰宅途中、外出する際にアパートのドアの周囲に赤いガムテープを貼っている女性を目撃した。亮介は再びパソコンが同じサイトに アクセスしたので、言われた通りにお気に入りに登録しようとする。それが出来なかったので、彼はプリントスクリーンキーで保存した。 モニターに写る映像に怖くなり、彼は電源を切った。翌日、亮介から報告を受けた春江は彼の部屋へ赴き、データを取った。
ミチは矢部を心配し、声を掛けた。すると彼は「ものすごい顔を見た。あんなの、見たことが無い。あかずの間」と何かに怯えた。ミチが 「それって、赤いテープが貼ってある部屋のこと?」と訊くと、矢部は「絶対入っちゃダメだ」と声を荒げた。帰宅途中、ミチは女性の 飛び降り自殺を目撃した。春江は亮介を研究室へ連れて行き、パソコンを使って行われている研究を見せた。そして、幽霊のような現象が 起きていることを説明し、きっとサイトと関係があるんじゃないかと言い出した。
研究を主導している大学院生の吉崎が来たので、亮介は研究室を去ろうとする。すると春江は彼に自宅アパートの住所と電話番号を渡し、 「絶対連絡して、いつでもいいから」と告げた。図書館で亮介が不気味な黒い影に気付くと、そこへ吉崎がやって来た。彼は「あれが誰 なのか知りたいなら、捕まえてみるんじゃないかな。走っていけば捕まえられるかもしれないよ」と促した。亮介が走って捕まえようと すると、その影は逃げてしまった。
吉崎は亮介に、「霊魂を受容できるエリアは無限大ではなかった。いつか必ず一杯になる。これ以上は入り切れないとなると、溢れ出よう とする。そしたら魂は、こっちの世界へ進出してくるしか方法が無い」と語る。だが、亮介は馬鹿げた話だとして、信じようとしなかった 。吉崎は「あくまでも仮定の話だから」と言うが、「本当に起こったとしたら後戻りできない。どんなにバカげたシステムでも、完成 したら固定される。回路は開かれた、そういうことかな」と述べた。
ミチの会社では社長が失踪し、連絡が取れなくなった。ミチが関係者に電話していると、そこへ矢部から連絡が入った。「助けて」という 声を聞き、ミチは矢部の元へ行く。すると黒いシミが壁にあり、「助けて」という声がした。ミチは部屋から飛び出した。ミチと順子は 不気味な何かに襲われ、慌てて逃げ出した。亮介は春江から貰った連絡先に電話するが、応答が無かった。研究室へ行くと、パソコンの モニターにはどこかの部屋が写し出されており、人影が歩いていた。
亮介が春江のアパートを訪れると、彼女は「みんなどっか行っちゃった。逃げなきゃ」と怯えてパニックに陥っていた。亮介が何とか 落ち着かせると、春江は「死んだらどうなるんだろうって昔から考えていた。高校時代、死んでもずっと一人だったらどうすると考えて、 怖くてたまらなくなった。死んでも今のままが永久に続くのよ」と語る。「幽霊がどうなろうと関係ないじゃん。俺たち、こうやって 生きてるんだから」と亮介が言うと、春江はパソコンを付けて例のサイトを見せ、「この人たち、本当に生きているっていうの?幽霊と どう違うの?」と感情的になった。
「近い将来、死なない薬が開発される可能性に懸ける」と言う亮介に、春江は「永遠に生きたいの?それって楽しい?」と問い掛けた。 それから彼女は「その内、川島君の言う通りになるよ。幽霊は人を殺さない。そしたら、いずれ幽霊が増えるだけ。彼らは逆に人を永遠に 生かそうとする。ひっそりと孤独の中に閉じ込めて」と語った。亮介がゲームセンターで遊んでいると、人影が出現した。
ミチはアパートで順子の面倒を見ていたが、目を離した隙に、壁に黒いシミを残して消えた。亮介が春江の元へ戻ると、彼女は「どっか 連れてって。一人じゃ怖い」と怯えた。亮介は春江を連れて誰もいない駅へ行き、電車に乗り込んだ。急に電車が停止してドアが開き、 春江は怖がって帰ろうとした。亮介は彼女をなだめ、運転席を見に行こうとする。だが、その間に春江は姿を消してしまった。部屋に 戻った春江は、「あかずの間の作り方」というマニュアルを手に取った…。

監督・脚本は黒沢清、製作は山本洋&萩原敏雄&小野清司&高野力、企画は土川勉&横山茂幹&大塚康高、協力プロデューサーは神野智、 プロデューサーは清水俊 奥田誠治 井上健 下田淳行(&ー渕有子は間違い)、製作総指揮は徳間康快、撮影は林淳一郎、編集は菊池純一、 録音は井家眞紀夫、照明は豊見山明長、美術は丸尾知行、VFXスーパーバイザー(ビジュアルエフェクトは間違い)は浅野秀二、 音楽は羽毛田丈史、音楽プロデューサーは和田亨、主題歌はCocco「羽根〜lay down my arms〜」。
出演は加藤晴彦、麻生久美子、役所広司、小雪、有坂来瞳、松尾政寿、哀川翔、風吹ジュン、武田真治、菅田俊、水橋研二、塩野谷正幸、 一条かおり、高野八誠、高島郷、結城淳、森下能幸、丹治匠、長谷川憲司(日本テレビアナウンサー)、北村明子、小野輝男、基常結子、 狸穴善五郎、安田理英ら。


『CURE』『カリスマ』の黒沢清が監督&脚本を務めた作品。
亮介を加藤晴彦、ミチを麻生久美子、春江を小雪、順子を有坂来瞳、矢部を松尾政寿、ミチの母を風吹ジュン、吉崎を武田真治、社長を 菅田俊、田口を水橋研二が演じている。
他に、ミチが乗り込む客船の船長役を役所広司(2シーンのみ)、ガムテープを借りてドアの周囲に貼る工場の従業員役を哀川翔(1 シーンのみ)が演じている。

黒沢清監督は、とにかく話を不条理にすればホラー映画になる、観客が怖がると勘違いしているんじゃないか。
確かに、不条理が恐怖に繋がるという部分はある。「ワケの分からない怖さ」ってのはあるからね。
だけど、それも度を超えると、ただ話が見えなくなるだけになっちゃうのよ。
この人は、按配ってものを全く考えずに、なんでもかんでも不条理にしているから、すげえ難解なだけ。

恐怖よりも先に、話が見えないことに対する不快感や拒絶反応が出てしまう。そこで何が起きているのかがサッパリ分からず、だから、 それを登場人物が怖がっても、その感情にシンクロできない。「何が怖いの?なぜ怖いの?」というところで引っ掛かって しまうのだ。
例えば、春江が「じゃあ、これは何?」とパソコンを付けて「この人たち、本当に生きているっていうの?幽霊とどう違うの?」と 言い出しても、「この人たち」が、どういう人たちを意味しているのかが分からない。
『CURE』では、その不条理さの按配が上手くいっていたわけだが、あれは緻密な計算によるものじゃなくて、偶然の産物だったのだろうか 。それ以降の作品では、『カリスマ』でもそうだったが、やたらと話を難解にする人という印象が強い。
黒沢清監督にとってのホラー映画ってのは、「お客さんを楽しませよう」という方向性ではなく、ゲージツ的なモノになっちゃってんの かなあ。

序盤、ミチや順子たちが会社にいるシーンの段階で、SEも含めて、不安を煽るような雰囲気に満ち溢れている。平穏な日常との落差や 変化を付けることによって、観客に恐怖を与えようという意識は無い。
これは黒沢清監督の特徴で、最初から最後まで、延々と薄気味悪い雰囲気を出し続ける。この人は計算でやっているわけではなく、 どうやら、それしか出来ないような感じだ。
登場人物が普通に喫茶店や仕事場で喋っているシーンでさえ、どこか薄気味悪さが漂っている。だから、「ごく普通の日常、特に何も 無かった生活に、不気味な影が忍び寄ってくる」という印象にならない。
「ずっと薄気味悪かった場所で、怖いことが起きる」というわけだから、それってある意味、当たり前の出来事なんじゃないかと。
あと、黒沢清の作品では、生活感という部分のリアリティーは完全に欠如している。この映画ではそれが致命的な欠点になっており、 登場人物に現実感が無いので、「既に現実に生きていない奴らが非現実に侵食されても、別にどうでもいいじゃん」という感覚になって しまう。

この映画にホラー映画としての怖さは全く感じなかったが、登場人物の行動がキテレツで怖い。
田口は会社にパソコンがあるのに、自宅で顧客リストを作成している。一人暮らしだから自分が部屋の鍵を持っていれば事足りるのに、 なぜか鍵が鉢植えの皿に隠してある。
ミチは平気で無断侵入し、田口を捜すより先に室内を物色する。奥に田口がいると、無断侵入を詫びることも無く明るく「なんだ、 いたんだ」と言う。
っていうか、そもそも無断欠勤が1週間も続いてから、ようやく連絡を取るのかよ。

田口が自殺した後、ミチを迎えに来た矢部は「お茶飲もうぜ、お茶」と軽く言う。順子は「忘れようよ。ミチのせいじゃないんだし」と、 こちらも軽い。
田口のフロッピーの中身を見たミチたちは、「何か起こってんのかな」「普通じゃないぞ」と、この時点で、既に超常現象が関与している かのような反応を示すが、冷静に考えると、そこでそんな風な考えに至るのは不自然だ。雰囲気作り(特にSE)によって誤魔化している けどさ。
ミチは部屋でテレビを見ていて調子がおかしくなると、それだけで、やたらと怯えるような態度を示す。テレビの調子が変になるって、 そんなにビビることでもないでしょ。
矢部が田口の部屋に行くと、なぜか簡単に入ることが出来る。現場検証が行われた形跡も無く、自殺した当日のまんまになって いる。
亮介は春江の名前を知った時、「唐沢さん」ではなく「春江さん」と呼ぶ、さらに、次のシーンでは、もう「春江」と呼び捨てにする。 ミチの時は、最初からタメ口だ。一方のミチも、亮介に初対面でタメ口だ。

春江は亮介と会ったばかりなのに、次に会った時には、「データを取りに行く」ということで自分から彼の部屋に赴いている。
で、時間を掛けて何か作業しているけど、プリント・スクリーンで画像を保存しただけなのに、何のデータを取っているのか良く 分からない。
矢部が「ものすごい顔を見た。あんなの、見たことが無い。あかずの間」と何かに怯えると、即座にミチは「それって、赤いテープが 貼ってある部屋のこと?」と言い当てる。
ミチは矢部を心配するが、「体調が悪いのではないか、病院に行った方がいいんじゃないか」という形での心配はしない。

亮介が春江を呼び捨てにする図書館には、なぜか宇宙の本と心霊の本が並んで陳列されている。
ミチは順子の面倒を部屋で診ているが、病院に頼ろうとはしない。
亮介は明らかに様子のおかしい春江を残し、ゲームセンターへ遊びに行く。
亮介はパソコンの知識は皆無だが、故障した車を修理する能力は持っている。そこまでに彼が車に詳しいという設定は示されていないし、 それどころか車を運転しているシーンさえ無かった。その後には、モーターボートまで操縦している。そもそも、そこに都合良くモーター ボートがある。
春江は自分の顎から上に向けて拳銃を発射したのに、顔はキレイなままで血も全く出ていない。

人との繋がりやコミュニケーションについてのセリフが、ものすごく不自然な形で春江や社長の口から語られる。
それについて描きたいようだが、だからって唐突なセリフで「これはコミュニケーションがテーマです」と主張するのは、かなりブサイク だ。
そもそも人と人との繋がりがこの映画だと希薄に感じられるし、生命感に乏しい。だから、誰かが消えても、「どんどん人が消えていく」 という恐怖が薄い。
あと、そもそも「人が大勢いた」という状況が描かれていないので、後半、コンビニやゲームセンターに誰もいなくても、「人が 消えてしまった」という感覚にならない。最初から人の姿が少ないという状態だったので、この映画においては、もはや、それが当たり前 の光景になっているのだ。

(観賞日:2010年10月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会