『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』:1972、日本

成功すれば賞金200万円が貰えるテレビ番組『ビックリ発明大ショック』の公開収録に、発明家のオジサンが参加した。甥の太郎と仲間の子供たちはプラカードを持ち、「オジサン、頑張れ。腹ぺこ怪獣ダイゴロウのために」と応援している。ダイゴロウというのは、島で飼育されている怪獣のことだ。飼育係の斉藤は、腹を空かせているダイゴロウに「済まないな、予算の関係で今日からまた一杯減らさなきゃならなくなったんだ」と言いながら巨大な皿に水を入れる。「とにかくデカくなりすぎたんだよ」と斉藤は告げる。
オジサンは発明品のエアロバイクで空を飛ぼうとするが、すぐに墜落して失敗に終わった。太郎と姉の好子は、入院したオジサンの見舞いに訪れた。何度も見合いに失敗している好子は、その原因がオジサンにあることを責めた。病室に熊五郎という男が現れ、オジサンの体を荒っぽく触って好子に馴れ馴れしく話し掛ける。彼は隣のベッドに入院している友人の八五郎と間違えたのだった。勘違いに気付いた八五郎は陽気な態度で謝罪するが、奥さん呼ばわりされたことに好子は腹を立てた。
ダイゴロウが急に大きくなって予算が不足する中、斉藤は島を訪れた環境衛生省の職員である鈴木にエサ代を何とかしてほしいと陳情する。全国の子供たちは寄付金を送って来るのだが、50円や100円なので全く足りないのだ。しかし鈴木は「母親の大きさからして、これが大人になりゃ少なくとも体長数十メートルだ。成長を止めるという考えが一番いいよ」と軽く言う。眠っていたダイゴロウが目を覚ましたので、鈴木は「私、貴方、トモダチ、トモダチ」と訴え掛けた。
斉藤は「こいつだって、何も好き好んでここに住み着いたわけじゃないんですよ」と述べ、6年前のことを回想する。原子力潜水艦が海底爆発事故を起こしたため、海底で太古の地層に眠っていたダイゴロウの母親が目覚めた。母親怪獣が日本に上陸して暴れたため、防衛隊が出動した。防衛隊の砲撃を受けた母親が死んだ後、子供怪獣の存在が明らかとなった。政府はダイゴロウと名付けて育てることを決定し、動物園で働いていた斉藤が飼育係に任命されたのだった。
退院したオジサンは子供たちと共に街頭に出て、ダイゴロウを救うための協力を呼び掛ける。人々が「怪獣のために税金を使うのか」と非難していると、腹を立てた熊五郎が宣伝カーに上がって怒鳴り散らした。集まった人々の批判に激昂した熊五郎は、喧嘩を始めてしまう。そのせいで、宣伝カーの周囲には誰もいなくなってしまった。熊五郎が「こんなつもりじゃなかったんだ。どうして俺はこんなにダメなんでしょうねえ」と漏らすと、オジサンは「僕だって同じですよ。この年になって、まだ親父のスネをかじってるんですから」と言う。熊五郎は「今日限り、好物の酒を断って、その浮いた金をダイゴロウのエサ代に回す」と宣言した。
太郎と仲間たちはダイゴロウのエサ代を集めるため、募金活動を開始した。若い女におだてられた中年男は募金しようとするが、団地から募金箱を持った大勢の子供たちが集まって来たので慌てて逃げ出した。馴染みの飲み屋に入った熊五郎は、いつものように酒を注文する。しかし禁酒の誓いを思い出し、飲まずに店を出た。新聞には、ダイゴロウのエサ代を節約するために成長を止める薬「アンチグロウ」を飲ませることになったという記事が出た。斉藤はアンチグロウをエサに混ぜることが出来ず、泣き出した。
鈴木はアンチグロウをエサに混ぜ、ダイゴロウに食べるよう促した。最初は吐き出したダイゴロウだが、事情を悟ったのか、自ら薬入りのエサを口に入れる。その様子を見ていた斉藤は、ダイゴロウに抱き付いて泣いた。ダイゴロウの目からも、涙がこぼれた。ダイゴロウが薬入りのエサを食べたことを報じる新聞記事を読んだ熊五郎が自宅で感涙していると、退院した八五郎がやって来た。熊五郎は禁酒してダイゴロウのために貯金していることを明かすが、妻・うめ子が勝手に服を購入していたと知って激怒した。
オジサンは再び『ビックリ発明大ショック』に出演し、今度は「瞬間雨降りミサイル」で賞金に挑む。ミサイルを発射した直後、雨ではなく雪が降り出した。挑戦は成功とみなされ、オジサンは200万を獲得する。しかしオジサンは、雪が降ったのはミサイルが原因ではないと気付いていた。同じ頃、島にも雪が降っていた。斉藤と鈴木が話していると、雷鳴が轟いて天候が荒れ始めた。するとダイゴロウは海に近付き、不可思議な行動を取った。
鈴木は「狂ったんだ。凶暴性を表したんだ」と言い、麻酔銃で撃とうとする。斉藤は彼を制止し、「ダイゴロウは沖を見ています。沖に何かいるのかもしれません」と告げる。鈴木は耳を貸さなかったが、海中から巨大な怪獣が出現する。その皮膚が氷を被っていたことから、鈴木は「あいつが雪を降らしていたのか」と口にした。ダイゴロウは怪獣と戦うが、ドロップキックをかわされる。怪獣は角から電光を発し、ダイゴロウは電気ショックを受けて海に倒れ込んだ。
翌日、オジサンや、熊五郎夫婦、八五郎、子供たちはダイゴロウの食料を積んだトラックと共に、島へやって来た。砂浜で倒れたままのダイゴロウの近くで、鈴木は彼らに「その怪獣はダイゴロウを倒した後、臨海工業地帯で乱暴狼藉し、再び海中に姿を消したそうですよ」と語った。太郎は「お腹一杯食べてたら、きっと負けなかったよ」と言う。島の獣医は一行に、ダイゴロウ注射をしたが効果は無いことを告げる。しかし熊五郎が誤ってダイゴロウの口に落ちたことで、喉に新怪獣の皮膚のかけらが挟まっていたことが判明した。そのかけらを取り除くことで、ダイゴロウは息を吹き返した。
鈴木は熊五郎たちに、かけらを分析すると地球上に存在しない元素が含まれていたことを話す。以前に漁師が隕石を見たという目撃談が入っており、斉藤はダイゴロウが宇宙から怪獣が来るのを見ていたのだと確信した。オジサンは子供たちに、地球を覆っている空気が人間のせいでバランスを崩したたため、怪獣が飛来したのではないかと語った。太郎は「早いとこ見つけて、核弾頭ミサイルを撃ち込めばイチコロだよ」と言うが、オジサンは「海の中で原爆を使ったら、日本の近海が全て汚染される」と告げる。
鈴木はダイゴロウに充分なエサを与え、「大きくなって力を付けて、どんな怪獣にも負けない立派な怪獣になるんだぞ」と話し掛けた。新聞は宇宙から来た怪獣を「大星獣」と呼び、港湾地帯が破壊されても政府が対策に行き詰まっていることを報じた。島では獣医が子供たち「核兵器を使えば大星獣は死ぬだろうが、海も死ぬ。そくんなことをして、人間はあと何年、この地球で暮らせるんだろうか」と語る。斉藤が「人間の知恵は過去何万年の間に幾度と無く見舞われた絶体絶命のピンチを切りぬけて来たんですから」と楽観的な意見を口にすると、獣医は露骨に不快そうな表情を浮かべた。
オジサンは母親怪獣の写真を確かめてから、ダイゴロウに身振り手振りで指示を出す。最初は上手く行かなかったダイゴロウだが、何度か繰り返していると、母親と同じように口から炎を吐くことが出来た。漁師2名が「大星獣がいたぞ」と叫び、砂浜を走って来た。オジサンは大星獣に「ゴリアス」と名付け、熱線を発する角に自分の発明したカバーを被せる作戦を説明した。そのためには、角に登ってカバーを被せる必要がある。オジサンは尻込みする熊五郎や八五郎を説得し、3人でボートに乗り込んでゴリアスの元へ向かう…。

監督は飯島敏宏、脚本は千束北男、製作は円谷一、撮影は稲垣涌三、美術は池谷仙克、照明は新井盛、録音は東京映画映像部、編集は白江隆夫、視覚効果は飯塚定雄、特殊技術は大木淳&中野稔、音楽は冬木透。
出演は三波伸介、犬塚弘、小坂一也、小林昭二、三角八朗、浜村純、砂塚秀夫、小松政夫、人見きよし、天地総子、瞳麗子、田坂都、田代千鶴子、若宮大佑、今村源兵、佐々木久男、辻しげる、伊海田弘、山寺勉、石山克己、矢崎友紀、村田宏一、簾内滋之、スタンリー・イルマティ、河井京子、伊東享子、山村哲夫、加藤寿ら。


円谷プロダクション十周年記念作品。
TVシリーズ『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』の飯島敏宏が、映画の脚本&監督を初めて務めている(脚本の「千束北男」は飯島敏宏のペンネーム)。
『パンダ・コパンダ』と同時上映された。アンクレジットだが、当時は社員として円谷音楽出版に勤務していた子門真人が主題歌の『ダイゴロウ対ゴリアス』と挿入歌の『ぼくのおじさん』『そしてエピロオグ』を歌っている。
熊五郎を三波伸介、オジサンを犬塚弘、斉藤を小坂一也、鈴木を小林昭二、八五郎を三角八朗、医者を浜村純、中年男を砂塚秀夫、好子見合い相手を小松政夫、TVキャスターを人見きよし、好子を天地総子、うめ子を瞳麗子、太郎を矢崎友紀が演じている。
なお、タイトルでは「ダイゴロウ」という表記だが、劇中では一貫して「ダイゴロー」と表記されている。

最初にダイゴロウの母親を自衛隊、つまり人間が殺している。
その後、残されたダイゴロウを人間は保護して育てているのだが、そこで留まっていれば、まだ「母親を殺したことへの罪悪感」とか、そんなことは気にしない。
しかし、「ダイゴロウをゴリアスと戦わせて日本を守ってもらう」という展開になると、「それは身勝手が過ぎやしないか」と言いたくなる。
母親を殺しておいて、その子供を戦わせて日本を守ってもらおうってのは、かなり酷い行動だろ。下手すりゃダイゴロウだって命を落とすわけで。

ダイゴロウの母親を殺したのは「日本を守るため」という事情があるので、それは仕方が無い。
ただ、母親を殺しておきながらダイゴロウを育てている時点で、ホントは「いずれはダイゴロウも母親と同じ形態に成長する可能性が高い。
その時は母親のように殺害するのか」という問題がある。そこは何かしらの答えなりメッセージなりを用意しておくべきだと思うのだが、華麗にスルーしている。
そこの問題を無視するなら、そもそも「母親怪獣が暴れたので防衛隊が殺しました」という設定なんて盛り込まなきゃいいのに。

ダイゴロウの立場になってみれば、人間は母親を殺した犯人だ。つまり憎むべき敵だ。
人間が母親を殺したことをダイゴロウ自身が認識しているのかどうかはともかく、ゴリアスと戦うということは「本来なら復讐心を抱いてもいい相手である人間を守る」ということだ。
だから、そこは人間側からすると「憎まれたり攻撃されたりしても仕方が無いのに、ダイゴロウは自分たちのために戦ってくれる」ということで、心を打たれても良さそうなモノだが、そんな感情を抱く奴は誰一人としていない。
そもそも、「人間が母親を殺したのに、その人間を守るためにダイゴロウが戦う」という図式を、この映画は鮮明に提示しようとしていない。
それは勿体無いし、雑だわ。

タイトルから考えれば、この映画はダイゴロウとゴリアスの対決を描く作品のはずだ。
それにしては、登場の遅いゴリアスはともかく、ダイゴロウの扱いが悪すぎる。後半に入るまでは、ほぼ背景と化しているのだ。
いや、背景どころか、カヤの外という時間帯が長い。たまに島の様子が写し出されるが、メインとなる面々はダイゴロウから遠く離れた場所に住んでいるし、関わりが薄いのだ。
で、ダイゴロウが登場しない時間で何を描いているのかというと、ユルい人情喜劇だ。
この映画、怪獣映画と言うより、ほぼ人情喜劇なのだ。

怪獣映画を人情喜劇のテイストで描くということなら、それは別に構わない。「ゴジラ」シリーズならともかく、オリジナルの怪獣たちしか出て来ない作品だし、完全に子供向け映画だから、そこには何の問題も無い。
しかし、肝心のダイゴロウが人情喜劇にほとんど関与しないという構成はダメでしょ。
ぶっちゃけ、ゴリアスが登場するまでの筋書きは、ダイゴロウのポジションを何か別の存在、思考も感情も無い物体に差し替えても、余裕で成立してしまうのだ。もっと極端なことを言えば、そこのポジションを抹消して人間たちだけのドラマとして描いても、ちょっと手を加えるだけで成立してしまうのだ。
前半のダイゴロウは、その程度の存在だ。
人情喜劇を描くのはいいが、そのためにダイゴロウの存在意義が薄弱になったら本末転倒だろう。

ダイゴロウにアンチグロウを飲ませることが決まる展開があるが、それの何が悪いのかが描写されていない。
そりゃあ人間に例えると、成長を抑制するのは問答無用で批判されるような決定だろう。しかし巨大怪獣のエサ代を節約するために成長を止める薬を飲ませることが、全面的に「悪いこと」として表現されていることに対しては違和感を覚える。
その薬の安全性が確認されていないとか、副作用があるとか、何か大きな問題があるのならともかく、そうではないんだから。
ダイゴロウにとって害悪が無いのなら、共存するためには最適の方法じゃないかと思うんだよな。

途中でオジサンや獣医たちが核兵器の使用や環境汚染について問題提起する展開があるが、かなり強引だし、ものすごく説教臭い。
それに、この映画で提起すべき問題は、もっと他にあるだろうに。
それは「母親を殺した人間がダイゴロウを都合良く利用する身勝手さ」とか、「いずれダイゴロウも狂暴性を持つ怪獣に成長してしまう可能性があるが、その場合の対処はどうするつもりなのか」ということだ。
あと、結局はダイゴロウの食糧問題が何も解決されていないまま終わってるのも、いかがなものかと思うぞ。

もっとダイゴロウと子供たちの関係性を充実した描写にしておくべきなのに、ダイゴロウは島に隔離されているため、子供たちが触れ合うことは出来ないのだ。
だから「テレビなり新聞なりで情報を得た子供たちが、直接は見たことも無いし、ホントはどういう性質なのかも全く知らないけど、感覚的なモノで応援している」というだけになってしまう。
そうなると、辛らつな言い方をするなら「現実を知らない無知なガキどもの身勝手な偽善的精神」という風にも思えてしまう。
そうではなく、少なくとも太郎と数名の仲間たちは実際にダイゴロウと触れ合い、絆を深め、「友達だから助けたいと思う」という形にしておくべきだ。

ダイゴロウがドロップキックをゴリアスに軽くかわされるのを見た鈴木が「駄目な奴だなあ」と呆れたように告げると、斉藤は「腹が減ってるからですよ、可哀想に。我々のために必死に戦ってくれているんじゃありませんか」と言う。
だが、ダイゴロウが島の人間を守るために戦っているのかどうかはハッキリしない。海から狂暴で攻撃的な怪獣が現れたから、野生動物の本能として排除しようと思っただけかもしれないのだ。
そこで斉藤にそんなセリフを吐かせるのなら、島にいる誰かがピンチに陥って、それをダイゴロウが助けるためにゴリアスと戦うという描写にしておくべきだ。っていうか斎藤の台詞の有無に関わらず、そういう形にしておくべきだろう。
そこでダイゴロウが助ける相手は斉藤よりも、それまで冷淡な態度を取っていた鈴木にしておいた方が、より効果的だ。そして、それをきっかけにして、鈴木のダイゴロウに対する感情や行動が大きく変化するという展開にでもすれば、人情ドラマとしての厚みも増すだろう。

終盤、鈴木だけでなく斉藤までダイゴロウにゴリアスと戦うよう指示しているのは承服し難い。
「恐ろしがることはないんだ。ゴリアスの角は使い物にならなくなってるからな。一撃で急所を狙うんだ。それがダメだったら逃げておいで」とは言うが、でも戦わせていることは事実なわけで。
そこは人間たちがダイゴロウにゴリアス退治を指示するのではなく、ダイゴロウが自らの意思で「人間たちを守るためにゴリアスと戦おう」と考える形にしておいた方がいいんじゃないかと。

(観賞日:2014年7月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会