『海軍』:1963、日本

大正七年(1918年)、鹿児島県の谷精米店で、真吉とワカの間に六男が誕生した。真吉は息子に、真人と名付けた。大正十二年(1923年)、真吉が病死し、ワカは長男の真蔵と店を続けようと考える。商業学校に通う四男の四ノ吉が手伝いを志願したので、真蔵は配達を任せることにした。昭和十年(1935年)、真人は友人の牟田口隆夫と共に、第二鹿児島中学で柔道に励んでいた。隆夫は海軍に憧れ、兵学校に通うことを決めていた。真人は進路を決めかね、「金が無いから兵学校を受けるというのは気が進まない」と隆夫に語った。
谷家では長女のハルと次女のミツが結婚し、真蔵は徴兵されて戦地へ旅立った。真人は隆夫と共に兵学校を見学し、当直教官に案内してもらった。教官の話を聞いた彼は、兵学校を受けることにした。真人と隆夫は陸軍を目指す小森と共に、熱意に満ちていた。しかし隆夫は乱視が判明し、兵学校の受験を涙ながらに断念した。真人は試験に合格し、隆夫の両親は家に招いて彼を祝ってやろうと考えた。隆夫の妹であるエダは、「兄が惨めになる」と不貞腐れた。隆夫は挫折感を覚えながらも、真人の合格を祝福した。その日は昭和十一年(1936年)2月26日で、夜のラジオで二・二六事件が報じられた。
昭和十二年(1937年)、谷家の次男である真二郎は出征し、真人は兵学校で鍛錬を積んだ。夏休みに帰省した真人は久々に家族と再会した後、谷家を訪ねた。隆夫はどうしても海軍に行きたくて海軍経理学校を目指し、既に一次試験は通っていた。真蔵は満州の部隊に所属しており、真二郎は台湾で結婚していた。長女のハルは4人目の子供に恵まれ、次女のミツも出産していた。三女のマツエも、来月に結婚することが決まっていた。
精米店を手伝って配達に出た真人は小森と遭遇し、隆夫が最終の体格検査で不合格になったことを聞いた。隆夫は幼少期に肺炎を患っており、その跡が残っていたのだ。心配になった真人が谷家を訪ねると、エダが「誰にも会いたくないそうです」と帰らせた。エダは真人が気になっていたが、素直な態度を取れずにいた。隆夫の父は息子に絵の才能があると感じ、東京で画家をやっている友人の市来徳次郎を訪ねるよう勧めた。隆夫は軍艦を描きたいと思っていたが、市来の専門はヌードだった。彼は隆夫に、何でも描いてみるよう告げた。真人は母からの手紙で、真二郎の戦死を知った。
昭和十四年(1939年)、兵学校を卒業した真人は士官候補生となり、ハワイへ向かう練習艦に乗船した。エダは彼から牟田口家に届いた手紙を読み、最後の「エダによろしく」という文面を見て頬を緩ませた。鹿児島湾に入港した戦艦「五十鈴」に乗っていた真人は上陸し、エダと会った。エダは今しか機会が無いと感じ、「貴方のお嫁さんになりたいの」と告白した。真人は「いつ死ぬか分からないから結婚は出来ない」と言うが、エダは「それでも貴方の妻になりたいんです」と熱い気持ちをぶつけた。
東京に出た真人は、町で隆夫と遭遇した。隆夫は真人をアパートに招き、恋人で絵描き仲間の江波ミドリを紹介した。隆夫は軍艦ではなく、ミドリをモドルにした裸婦画を描いていた。真人は隆夫の質問を受け、任務を遂行するためなら戦争で死んでもいいという考えを語った。それに対して隆夫は兵隊小説家の言葉を信用し、批判的な見解を示した。「俺は信じて、まっしぐらに生きるばかりだ」と真人が言うと、隆夫は「一筋に生きる君が羨ましい」と口にした…。

監督は村山新治、原作は岩田豊雄 朝日賞受賞 角川文庫版 新潮社版、脚本は新藤兼人、企画は園田実彦&矢部恒、撮影は二口善乃、録音は廣上益広、照明は原田政重、美術は北川弘、編集は田中修、特撮は矢島信男、音楽は林光。
出演は北大路欣也、三田佳子、千葉眞一(千葉真一)、北原しげみ、杉村春子、江原眞二郎(真二郎)、梅宮辰夫、加藤嘉、荒木道子、加藤武、東野英治郎、亀石征一郎、増田順司、風見章子、水上竜子、石島房太郎、成瀬昌彦、永島明、萩原満、山本緑(山本みどり)、戸田春子 、谷本小代子、相馬剛三、笠間雪雄、大野茂樹、高原秀麿、田川恒夫、山浦栄、都健二、田中恵美子、檜有子、北山達也、河合絃司、三宅一ら。


獅子文六が本名の「岩田豊雄」名義で1942年に発表した同名小説を基にした作品。1943年に海軍省報道部の企画で松竹が映画化しており、これが2度目の映画化となる。
監督は『東京アンタッチャブル』『無法松の一生』の村山新治。
脚本は『しとやかな獣』『舞妓と暗殺者』の新藤兼人。
真人を北大路欣也、エダを三田佳子、隆夫を千葉眞一(千葉真一)、江波ミドリを北原しげみ、ワカを杉村春子、隆夫の父を加藤嘉、
隆夫の母を荒木道子、市来を東野英治郎、小森を亀石征一郎が演じている。兵学校の当直教官役で江原眞二郎(真二郎)、指導官役で梅宮辰夫が出演している。

粗筋では書かなかったが、「大正七年(1918年)」などと表示される度に、その年に起きた政治的な出来事がテロップで説明され、動画や写真が付随する。
大正七年(1918年)だと、「ドイツ降伏 第一次大戦は終った」「翌年にパリで平和会議が開かれ、ヴェルサイユ条約が成立した」「日本は五大強国の一つとして、世界に君臨した」と表示される。
大正十二年(1923年)は九月一日の関東大震災と、甘粕憲兵大尉が無政府主義者の大杉栄夫妻を虐殺した出来事が説明される。

粗筋だと、そこから昭和十年(1935年)まで飛んでいるが、実際には間にも年号が表示され、その時に起きた出来事が説明される。
まず1928年は張作霖の爆殺事件、そして1931年は柳条湖事件。1932年は第一次上海事変、爆弾三勇士の事件、満州国建国宣言、五・一五事件。そして1933年はヒトラー内閣成立。
ここまでは政治的な事件を説明するだけで、その年の真人のエピソードは何も描かれない。
後に真人が海軍兵となって従軍するので、大東亜戦争が勃発するまでの流れをザックリと説明しておこうってことなんだろう。

真人が兵学校を見学するシーンでは、教官が海軍兵学校の歴史や「どういう学校なのか」ってことを詳しく説明する。
教官の「一個の人間としての教養に、最も力を入れております。これは、ここを出て行く人たちは将来の日本の運命を背負う人となるからであります」などという話を聞いて、真人は兵学校に入りたいと思うようになる。
そこで心を掴まれるってのは完全に「段取りを消化してるだけ」って感じだが、そこに説得力を求めてるのは酷だわな。
特に、今の時代となっては、「海軍に入って日本のためにやってみたい」という真人の思いに共感するのは、ちょっと難しいだろうしね。

当初の企画では、千葉真一が真人、北大路欣也が隆夫を演じる予定だった。しかし北大路が配役を交換するよう要求し、それが通って真人を演じることになった。
そりゃあ、明らかに真人が主人公だから、「どっちの方が自分に合っているか」という問題じゃなくて、そっちを演じたいと思うのは当然っちゃあ当然だわな。
ただし普通なら、一介の若手俳優が配役の交換を要求しても通るはずがない。
仮に千葉真一が同じことを要求していたら、間違いなく一蹴されていたはずだ。

そんな上層部の怒りを買ってもおかしくないような要求が簡単に通ったのは、もちろん北大路欣也が市川右太衛門の息子だからだ。
戦後の東映において、市川右太衛門は取締役を兼任したトップスターとして活躍していた。
この映画が公開された1963年だと、既に時代劇は斜陽の時期に入っており、右太衛門もトップスターとは呼べない立場になっていた。
それでも会社重役としては大きな力を持っており、息子である北大路は優遇されていたのだ。

配役の交代が果たして正解だったのかどうかは、実際に映画を見た印象としては、どっちでもいいかなと。どうせ映画が面白くないので、その程度で評価が大きく変わることは無い。
根本的な問題として、なぜ1963年に『海軍』を改めて映画化しようと思ったのかが謎だ。
前述したように、原作は1942年発表で、最初の映画化は1943年。ようするに、ド真ん中の戦意高揚作品なのだ。
しかし言うまでも無く、1963年は戦時中ではない。なので、もちろん戦意高揚、国威発揚が目的ではないだろう。
ただ、その色を薄めてまで、わざわざ『海軍』を映画化する意味がサッパリ分からないのだ。

今回は原作や1943年年版とは大きく異なり、隆夫とエダの恋愛要素を強めている。
だけど、これが上手くハマっていないんだよね。前半はエダが登場するとユーモラスな雰囲気が漂うけど、ちょっと異物混入を感じちゃうし。
隆夫が乱視を告白する際、「エダが呼びに行って家まで連れて行く」という流れになっているけど、無理にエダの出番を設けている印象が強い。隆夫が真人&小森と海辺で喋っている時に目の不調を感じているが、そこからシーンが切り替わったら「医師から乱視と言われたことを隆夫が真人に打ち明ける」という流れでも別にいいわけでね。
それをエダが呼びに行く形にして、家に着くまでに2分ぐらい、真人と2人の時間を作っているんだよね。
谷家の人々が真人の合格を祝福するシーンでも、夏休みに真人が谷家を訪ねるシーンでも、エダの存在を強調している。

兵学校を卒業した真人は練習艦でハワイへ向かうが、ここには何のドラマも無い。
後に繋がるような出会いとか、真人の人生に大きな影響を与える体験とか、盛り上げるようなエピソードは特にこれといって用意されていない。ただ尺を稼ぐための時間になっている。
エダ側から見て「会えない時間」を感じさせるための、告白シーンに向けた前置きみたいなモノになっている。
しかも、そういう意味でも大きな効果が得られているわけではないし。

後半の展開を見る限り、明らかに「反戦」か、そこまで行かないにしても「厭戦」のメッセージが感じられる。
終戦後の日本映画が描く戦争映画は反戦のメッセージが付き物だし、それが悪いなんてことは、もちろん言うつもりも無い。
ただ、そういう方向性で作るのなら、他に幾らでもお似合いの原作はあるはずで。何ならオリジナル脚本で作っても良かったわけだし。
わざわざ大幅に改変してまで、『海軍』をを再映画化する企画の意図が分からないんだよね。

(観賞日:2025年5月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会