『怪談』:2007、日本

下総の国。針師の皆川宗悦は女房と死に別れてから、娘のお志賀、お園と暮らしている。彼は金を貯めて、よそに好意で貸し付けていた。 年も押し迫った雪の晩、宗悦は藩士・深見新左衛門の家に出向き、30両と3年越しの利息の合わせて65両を返すよう頼んだ。だが、 新左衛門は「返せぬものは返せぬ」と開き直り、刀で斬り掛かった。庭に逃げた宗悦は、落ちていた草刈鎌に目をやった。さらに新左衛門 の刀を浴びた宗悦は、「恨みますぞ」と言い残して死んだ。
新左衛門の屋敷からしばらく行ったところに、累ヶ淵という場所があった。かつて女が亭主に殺されて以来、この淵に沈んだ者は二度と 浮かび上がらないという言い伝えがある。新左衛門は下男に命じ、草刈鎌を魔除けに乗せて、宗悦を累ヶ淵に沈めた。それ以来、深見の家 には数々の不幸が起きた。新左衛門は乱心し、奥方を斬って自害した。家は取り潰しとなり、生まれたばかりの息子・新吉だけが残された。 これが怪談の発端である。
25年後、江戸。新吉は叔父の勘蔵が営む但馬屋で、煙草売りとして働いている。一方、宗悦の長女・お志賀は豊志賀と名を改め、三味線の 師匠として江戸で暮らしていた。そんな2人は、互いの素性を知らずに町で遭遇し、一目で惹かれ合った。正月、豊志賀の家では弟子が 集まって宴が開かれ、久しく顔を出さない新吉の話になった。気になった豊志賀が様子を見に行くと、新吉は普通に仕事をしていた。 豊志賀から家に誘われた新吉は、最初は遠慮したが、結局は足を向けた。
新吉は「お目にかかるのも、これっきりに致します。師匠のお引き立てで、商売も景気良くなりました。ですが、もう、これっきりで」と 言う。「これ以上、この家に来れば、きっと師匠の顔見たさに来てるってことを言われます。一目見て、もう忘れられなくなりました」と 彼は明かした。豊志賀は動揺しながらも、「あたしは年かさの男が好きだ」と嘘をつく。だが、その気持ちは抑え切れず、新吉と豊志賀は 関係を持った。翌朝、訪ねてきた豊志賀の妹・お園は、新吉がいるのを目にして、すぐに関係を悟った。
その日から、新吉は亭主のように豊志賀の家で暮らすようになった。豊志賀は、弟子のお久が新吉が親しげに話しているのを見ただけで、 途端に不機嫌になった。羽生屋の娘であるお久は母親と上手くいっておらず、叱られてばかりいた。新吉との関係が明らかになったことで 、弟子はどんどん減っていった。豊志賀は苛立ち、お久が稽古に来ても「今日は気分が悪い」と追い返した。途中までお久を送っていった 新吉は、「また来ておくれよ」と優しく微笑み掛けた。
お園は豊志賀に、「またお父っつぁんの夢を見た。よりによって新吉とだなんて、志賀はバチ当たりだ、と言っていた」と告げた。彼女は 「新吉さんとはよしてほしい、長くは続かないって分かってるんでしょ」と言うが、豊志賀は「新さんのそばがいいんだよ」と怒鳴る。 「二度と顔を見せないでおくれ」と豊志賀がお園を追い出したところへ、新吉が来て制止した。新吉はお園にも「大丈夫ですか」と優しく 接した。お園は「ここにはもう来ません。姉さんをよろしく頼みます」と言い残して去った。
新吉は豊志賀を諌め、「弟子にも変に意地が悪いよ」と告げる。すると豊志賀は「変にお久の肩を持つね」と言い、嫌味を浴びせた。新吉 が「お弟子がみんな下がっちまったのは俺のせいだ。俺は叔父さんの元に戻るよ」と言うと、豊志賀は「どこへも行かせやしないよ」と 泣いてすがりつく。新吉が引き離そうとした時、豊志賀は持っていたバチを誤って目の上に当ててしまった。
弱音を吐く豊志賀に、新吉は「どこへも行きゃしないよ」と告げる。「きっと覚えとく。忘れないよ」と、豊志賀は抱き付いた。豊志賀の 傷は腫れ上がり、容貌はすっかり変わってしまった。医者は新吉に、「タチの悪い腫れ物だ、あれより腫れるようなら、切って膿を出す しかない」と告げた。新吉は懸命に看病するが、豊志賀は投げやりな態度を取ったり、荒れたりした。
その日は隅田川の川開きで、花火が上がる夜だった。薬を取りに出掛けた新吉は、お久から声を掛けられた。花火が上がると、お久は新吉 の手を握ってきた。2人は出会い茶屋へ足を向けた。お久は「家を出ようと思って。羽生の伯父さんに手紙を書いて、置いてくれないかと。 すぐに来いと返事をよこしてくれた」と語る。それから彼女は「どうして師匠が私に辛く当たるか分かる?師匠は気付いてるんです、私の 気持ちに」と言う。新吉は彼女を抱き締め、「俺も羽生へ行くよ。このままでは俺も師匠も駄目になる」と告げた。
但馬屋に戻った新吉は、勘蔵に「江戸を出る」と告げた。勘蔵は「ふざけるな」と怒鳴り、奥の部屋にいる豊志賀の姿を見せた。彼女は 新吉を捜しに来たらしい。「どこへ行っても構やしないよ。ただ、死に水だけは取っておくれよ」と、彼女は静かに言う。駕篭を呼んで家 まで送ろうとしたところへ、「師匠が死んだよ」との知らせが届く。駕篭を開けると、豊志賀の姿は無かった。新吉が駕篭の下を触って いると、女の腕が伸びてきた。新吉が慌てて飛び退くと、女の腕は消えていた。
新吉が豊志賀の家に戻ると、彼女は「このあと女房をもてば 必ずや とり殺すから そう思え」という手紙を残していた。新吉は豊志賀 を弔った後、お久と遭遇した。まだ彼女は羽生へ発っていなかったのだ。新吉が「まだ羽生へ行こうという気はあるかい?一緒に行こうか、 俺と」と持ち掛けると、お久は「連れて行って」と言って駆け寄り、抱き付いて涙を見せた。
新吉とお久は、共に江戸を出た。大雨の降る夜、2人は橋の下で雨宿りした。それは累ヶ淵の近くだった。「宿場まで戻ろうか」と新吉が 言うと、お久は震えて拒否し、「付いてきてるんだもの」と口にした。ギシギシと、誰かが橋を歩いてくる音がした。足音は頭上で止んだ。 刹那、橋の隙間から豊志賀の目が覗いた。お久は絶叫して逃げ出し、落ちていた草刈鎌で膝を負傷してしまった。
新吉が慌てて手当てすると、お久は「死んでしまうの?そしたら新吉さんは、また他の女と人と一緒になってしまうわね」と言う。直後、 「お前は私を見捨てるよ」という豊志賀の声が聞こえた。お久は豊志賀の姿に変わり、新吉の首を絞めた。新吉は草刈鎌を振り回し、 豊志賀の首に突き刺した。だが、新吉の眼前に転がった死体は豊志賀ではなく、お久だった。
翌朝、新吉は村外れで行き倒れているところを発見され、お久の叔父・三蔵が営む下総屋に運び込まれた。新吉を発見した三蔵の娘・お累 は、新吉を手厚く介護した。累ヶ淵でお久の死体が発見され、葬儀が執り行われた。その間に新吉は下総屋を抜け出した。渡し船に乗ろう とする彼の姿を、川沿いの茶店“かぎ浦”で働くお園が見つけた。新吉は「姉さんが死んだよ」と告げ、「すまねえ」と詫びた。「姉さん は喜んでます。新吉さんに心底惚れてましたから」と言われ、彼は「俺だって心底惚れてた」と声を詰まらせた。
新吉はお園の助けで働き口を見つけ、羽生に留まることになった。船で荷物を運ぶ仕事をしていた新吉の元へ、下総屋の番頭・茂松が やって来た。彼に連れられて下総屋に行くと、三蔵と妻・お定はお累と所帯を持つよう持ち掛けた。「娘が貴方のそばにお仕えしたいと 申しますんですのよ」と、お定が言う。新吉は「そればっかりは、お受けするわけには参りません」と断った。するとお累は、泣いて隣の 部屋に駆け込んだ。
立ち去ろうとした新吉はお累に声を掛け、「どうぞ私のことなんぞ諦めてください。深川で夫婦のように暮らしていた女がいまして、 そいつとの縁が未だに切れないように思うんです」と述べた。その時、天井からお累の着物に蛇が落下した。慌てて振り払おうとしたお累 は囲炉裏の火に倒れ込み、顔に火傷を負ってしまう。お累を見捨てることができず、新吉は彼女と祝言を挙げた。やがて新吉とお累には、 お志摩という娘が誕生した。だが、新吉はお志摩を抱くと、その顔が豊志賀に見えてしまった。
お志摩は異様におとなしく、全く泣き声を上げなかった。不気味さを覚えた新吉は、「こいつは出来損ないだぜ」と罵った。ゴロツキの 甚蔵に誘われて遊郭へ出掛けた新吉は、三蔵の妾の女郎・お賤と出会った。後日、お賤は甚蔵を介して新吉を呼び出した。彼女はお久殺し を知っており、百両を要求した。一方、お累はお志摩の枕元に座る白装束の豊志賀を目撃した。お累は震えながら、「お引取り下さい」と 告げた。すると豊志賀はお累の頬に切り傷を付け、煙のように姿を消した…。

監督は中田秀夫、原作は三遊亭圓朝、脚本は奥寺佐渡子、プロデューサーは一瀬隆重、製作は松本輝起&北川淳一&稲田浩之&久松猛朗& 千葉龍平&沼田宏樹&亀山慶二&中村邦彦&喜多埜裕明、製作総指揮は迫本淳一、撮影は林淳一郎、編集は高橋信之、録音は野中秀敏、 照明は中村裕樹、美術監督は種田陽平、アート・ディレクターは矢内京子、視覚効果は橋本満明、特殊効果は岸浦秀一、特殊造型は 松井祐一、衣裳デザインは黒澤和子、サウンドエフェクトは柴崎憲治、殺陣は高瀬将嗣、音楽は川井憲次、音楽プロデューサーは慶田次徳、 主題歌「fated」歌は浜崎あゆみ。
出演は尾上菊之助、黒木瞳、井上真央、麻生久美子、木村多江、津川雅彦、瀬戸朝香、一龍斎貞水、六平直政、榎木孝明、光石研、 清水ゆみ、広田レオナ、西野妙子、柳ユーレイ、宇津宮雅代、絵沢萌子、村上ショージ、李丹、折瀧翔、田野良樹、江澤璃菜、 松尾薫、永井浩介、望月章男、尾上菊三呂、尾上菊市郎、富本豊前、富本豊柳、富本豊一郎、南早希、立石由衣、石井春花、田代裕季、 富本豊徳、富本豊梅、富本豊梓、野村信次、蒲地竜也、武藤令子ら。


三遊亭円朝の創作落語『真景累ヶ淵』を基にした作品。
落語と言っても観客を笑わせるネタばかりではなく、泣かせる人情劇もあれば、怖がらせる怪談話もあるのだ。
『真景累ヶ淵』は長いネタであり、映画では発端部分である「宗悦殺し」を最初に講談で語り、本編は新吉と豊志賀の関係を描く「豊志賀 の死」から「お久殺し」「迷いの駕籠」「お累の死」といった辺りをベースにして脚色している。
惣吉という男が主役になり、敵討ちの話が展開される後半部分は全く使われていない。
新吉を歌舞伎役者の尾上菊之助、豊志賀を黒木瞳、お久を井上真央、お累を麻生久美子、お園を木村多江、三蔵を津川雅彦、お賤を 瀬戸朝香、講釈師を一龍斎貞水、宗悦を六平直政、新左衛門を榎木孝明、勘蔵を光石研、甚蔵を村上ショージが演じている。
監督は『リング』『仄暗い水の底から』の中田秀夫。日本映画を手掛けるのは5年ぶりになる。

中田秀夫が監督ということで、『リング』や『仄暗い水の底から』のようなテイストを期待した人は、きっと肩透かしを食らうこと だろう。
これはJホラーではなく、怪談だ。
たぶん1950年代から1960年代に作られたような、古典的な怪談映画のテイストを意識しているのだろう。
怪談において何より怖いのは、得体の知れない存在が生み出す怪奇現象よりも、人間の情念や因縁である。
Jホラーの場合、「序盤で何か奇怪な現象が起きて、それがエスカレートしていき、やがて幽霊や化け物が主人公に襲い掛かる」という 展開が基本パターンになるだろう。だが、怪談においては、「序盤で何か奇怪な現象が」というのは有り得ない。
なぜなら、その段階では、まだ恨みを持つ幽霊が誕生していないからだ。
Jホラーでは、恨みを持つ幽霊は、映画が始まった段階で既に死んでいる。だが怪談の場合、最初は生きていて、物語の途中で殺され、 後半に入って幽霊として再登場するのが基本パターンだ。

尾上菊之助の佇まいは素晴らしい。昔の怪談映画の主役を思わせるような雰囲気は、さすが歌舞伎役者だね。
ただし、これが恋愛を描いた普通の時代劇だったら、合わなかっただろうとは思う。怪談だからこそのフィット感だろう。
普通の恋愛劇だったら、「こんな男に、なぜ多くの女が惚れるのか?」と感じたんじゃないかな。
恋愛時代劇の主人公としてはミスキャストだけど、女の幽霊に恨みを買う怪談の主役としてはピッタリだ。

それに比べると、女優陣は総じて低調。井上真央なんて、おままごとみたいになっちゃってる。
喜劇ならともかく、シリアスな時代劇、しかも怪談となると、まるで作品のテイストに馴染めていない。
あんみつ姫なら、別に問題ないんだろうけどね。
麻生久美子は、雰囲気はいいんだけど、声だけが残念。その声がシリアスな時代劇に合わない。
瀬戸朝香はそもそも役者不足で、ヒロインである黒木瞳も同様。
木村多江ぐらいだなあ、合っていると感じるのは。

豊志賀と新吉の父親の因縁って、必要なのかなあと思ってしまう。
冒頭、一龍斎貞水による「宗悦殺し」の講釈が5分ぐらい続くのは、2人の父親の因縁を説明するためだけど、そこを削っても、そんなに 大きな影響は無かったように思うんだよな。
「血の因縁が、新吉と豊志賀の事件を引き起こした」という形にしてあるんだけど、それによる効果は全く感じないのよ。
むしろ、それを説明するために、冒頭の講釈に時間を割かなきゃいけないというデメリットの方が大きいのではないかと。

豊志賀がお園に「どうあったって、新さんのそばがいいんだよ」と怒鳴ると、置いてあった三味線の糸がパンと切れるというシーンが ある。
その辺りは音楽も含めて、変に不安を煽るようなホラー的描写になっているが、こういうのは余計だったなあ。
それが「関係が破綻することへの兆候」としての不安を示す描写になっていれば別にいいんだけど、冒頭で2人の父親の因縁話を描いて いるだけに、「何か不吉なことが起きる」という、ホラーとしての兆候にしか感じられないんだよね。
で、「不吉なことが起きる兆候」って、怪談としては、まだ早いんじゃないかと。実際に人が死ぬまでは、関係の破綻とは別の意味での 「よからぬことが起きそうな予感」を醸し出すのは早いんじゃないかと。
そういう意味も含めて、冒頭の講釈や、父親同士の因縁設定は、無い方が良かったんじゃないかなあ。
その辺りは、嫉妬や独占欲といった醜い感情も含む恋愛劇に、まだ集中すべき時間帯ではないかと。
でも、やっぱり中田監督、恋愛劇は苦手ってことなのかな。

新吉が駕篭の下を触っていると腕が伸びてくるという表現があるが、そんなの、まだ早いよ。
豊志賀の恨みは、お久と一緒になろうとする時から発生すべきだよ。死んですぐに、化けて出るのは早すぎる。
っていうか、化けて出るんじゃなくて、腕だけ伸びてくるってのは、Jホラー的な演出だよね。
その辺りは、怪談映画として徹底できてないよなあと。
それとも、Jホラーのテイストを盛り込みつつ、怪談映画を新解釈で描こうという狙いがあったのかな。
だとしても、それは上手く行っていないと思う。

死んだ豊志賀には腫れ物が無いが、誰も気にしてないのね。せめて新吉ぐらいは、それに気付いて驚いても良さそうなものだが。
それと、残された手紙の文面を豊志賀の声で語らせると、あまり怖さが無い。そこは、少し分かりにくくなるかもしれないけど、手紙の 文字だけで表現した方が良かったな。
あと、豊志賀の死体がずっと新吉を見つめているような演出があるが、これはやりすぎ。
そこは「新吉が豊志賀に目をやる」というだけに留めた方がいい。

途中、「お園の助けで働き口を見つけた新吉は、羽生に留まることになりました」とか、「新吉はお累と夫婦になることを決意致しました」 とか、「この赤ん坊が再びの災いの種でございました」という講談調の語りが入る。
だけど、それは雰囲気を壊していると感じるんだよなあ。
これ、全てカットした方が良かったよ。
どの場面も、語りをカットして説明することは可能だと思うし。

怪談で化けて出るのは女と相場が決まっているし、恨まれるのは男だと相場が決まっている(もちろん例外もあるが)。
恨まれる男には、大きく分けて2種類ある。
徹底的に性根の腐った悪党か、あるいは情状酌量の余地ありというタイプか、いずれかだ。
今回の新吉は、後者に属するタイプだろう。長谷川一夫とか、その辺りのイメージに近いかな。
そうなると「幽霊の復讐」という感じよりも、むしろ悲劇性が強い。
というか、そもそも大抵の怪談というのは、悲劇の色が少なからず盛り込まれているものだが。

終盤の立ち回りは、何か派手な盛り上がりが欲しいとでも思ったのかなあ。
でも、見せ場が欲しいのなら、それは幽霊が出て来るシーンで作るべきだよなあ。
あそこで殺陣を持って来るのは、何か悪いものでも取り憑いておかしくなっていたのかと疑ってしまう。
あと、最後に豊志賀の霊が新吉の生首を抱くカットは、ちょっと失笑を誘っちゃうよなあ。ありゃ無いわ。

(観賞日:2010年2月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会