『陰日向に咲く』:2008、日本

テレビのニュースでは、台風12号が日本に接近しており、このままの進路だと列島を縦断して大きな被害をもたらすという予測が報道 されている。8月6日、日曜日。バスの運転手として働くシンヤは、出発前の車内で本日の出費をノートにメモしている。バスガイドの 根室がエキサイティング東京NOWツアーの客を連れて現れ、シンヤはバスを発進させた。サラリーマンのリュウタロウは、歩道橋を降りて くるホームレスの男を見て、目が釘付けになった。その姿に、リュウタロウは思わず「モーゼ」と呟いた。
アキバで休憩していたシンヤは、売れないアイドル・みゃーこのPVが写る街頭テレビの前で、ゆうすけ、ツヨシ、ハジメという3人の オタク青年たちが踊る様子を目にした。浅草に移動したシンヤは、百円が転がってくるので拾おうとする。そこへ、その百円を探している 池田寿子という若い女性が現れたため、シンヤは百円を渡した。彼女が縁結びのお守りを落としたので、それもシンヤは拾って渡した。 寿子がペコリと頭を下げて去った後、なぜかシンヤは根室から縁結びのお守りを買わされた。
シンヤが出費を細かくノートに付けているのは、バス営業所の所長・富田に指示されたためだ。シンヤはギャンブル癖があり、パチンコ 狂いで400万円の借金を背負っている。シンヤは所長から50万円を借りており、二度とギャンブルをしないという誓約書を提出している。 だが、彼は帰宅途中でパチンコ店に入った。3万円の勝ちを得て、そこで止めておけばいいものを、調子に乗って続けたら負けてしまった。 彼は金を借りようとイエローローンに飛び込むが、ブラックリストに名前が掲載されているので貸してもらえなかった。
ゆうすけはツヨシとハジメがファンレターについて話すのを聞き、「ファンレターを書くにしても、好きだなどと書かず、みゃーこのため になることを書きたい」と言う。みゃーこは25歳でアイドルとしては崖っぷち、今のままでは芸能界を生き残っていけない。だから彼は、 新聞はテレビ欄しか読まないという彼女のために、世の中の出来事を分かりやすく説明したレターを書くようにしているのだ。ゆうすけが 書いたファンレターを見たツヨシとハジメは、彼を称賛した。
夜、シンヤは寿子がストリップ小屋“浅草ゴールデンホール”の前にいるのを発見した。声を掛けたシンヤは、彼女と一緒にストリップを 見ることになった。寿子はシンヤに、35年前に浅草ゴールデンホールで撮影された写真を見せた。それは、彼女の母・鳴子が舞台で漫才を やっている時の写真だった。寿子はシンヤに、母の相方だったゴールデン雷太を捜したいのだと明かした。寿子の中では、鳴子は地味な 女性だった。しかし母の荷物を整理していたら日記が出て来て、そこには東京での出来事が記されていた。そこには、自分の知らない母の 姿があったのだという。
35年前、ツアーで浅草へ来た鳴子は、自由行動の時間に一人で佇んでいた。そこへ雷太が駆け寄ってきてネタを始めたため、鳴子は驚いた。 雷太のネタはつまらないダジャレばかりで、鳴子は冷めてしまった。しかし、不審者と間違えられて取り押さえられてもネタをやる雷太の 姿を見て、鳴子は笑顔を浮かべ、彼の鼻先にキスをした。ツアーを終えた鳴子は改めて上京し、浅草ゴールデンホールへ赴いた。そして 雷太に「コンビになってほしい。2人で日本一のお笑い芸人になる」と告げた。しかしコンビは長続きせず、離れ離れになってしまった。 「届かなかった母の思いを伝えたい」と言う寿子に、シンヤは雷太を捜す手伝いを申し出た。
リュウタロウは古着を持ち帰り、それを切ったり汚したりして加工した。ホームレスらしい格好になったリュウタロウは夜の公園へ赴き、 モーゼや仲間のホームレス達と会った。リュウタロウが「モーゼ」と呼ぶと、モーゼは「ビックリした。30年ぐらい前、人間関係に 疲れて琵琶湖の近くに住んでいた。天に向かって叫ぶと、琵琶湖の真ん中に渦が出来て割れた」などと語る。仲間たちは「またオッサンの 大ボラが始まった」と笑った。モーゼは大ボラふきで有名なオッサンなのだという。
シンヤがアパートに戻ろうとすると、外に借金取りが来ていた。借金取りに捕まって「自宅に行きましょう」と言われたシンヤは、焦って 「それだけは勘弁してください」と言う。左腕を痛め付けられたシンヤは、土下座をして何とか借金取りに帰ってもらった。部屋に入った 彼は、テレビの上の写真を見て、母が病院で死んだ日のことを思い出した。
8月7日、またテレビでは台風情報が伝えられている。ゆうすけはツヨシ、ハジメと共に、みゃーこのイベント会場にやって来た。だが、 開始時間になっても、会場には3人しかいない。イベントが始まり、みゃーこは客席を見て驚きを隠せない様子を示した。ゆうすけたちは、 気まずい感じで遠慮がちに応援した。けなげに頑張るみゃーこの姿を見たゆうすけは、携帯電話を取り出して「電車が停まって、みんな 来られないんだ」と誰かと喋っている芝居を始めた。だが、そこへ電話が入り、すぐに嘘だとバレてしまった。
リュウタロウはモーゼと共に、昼間の原っぱで寝転んでいた。空を指差したモーゼから「あれは何に見える?」と問われたリュウタロウは 、「雲ですね」と応えた。モーゼは「つまんねえ奴だなあ」と呆れたように笑い、「ここじゃあ、もっと自由でいいんだよ」と告げた。 携帯に電話が入ったため、リュウタロウは慌ててモーゼから離れた。相手は会社の部下だった。リュウタロウは「俺は休暇中だ。そんな 報告なら山下にしてくれ」と告げて、そそくさと電話を切った。
寿子はシンヤと共にポルノ映画館を訪れ、映写技師に雷太のことを尋ねた。その映写技師は、35年前の浅草ゴールデンホールの支配人 だった。寿子は元支配人から、ゴールデン鳴子・雷太に関する話を聞いた。ラジオのレギュラーが決まってこれからという時に、元支配人 は鳴子に「雷太は才能が無い」と告げた。それでも鳴子は2人で頑張ろうとしていたが、その直後にコンビは解散した。その解散には、 舞台に立っていたストリッパー、ジュピター小鳥という女性が関わっていたという。
リュウタロウやモーゼ達は、公園でボランティアの配給を受けていた。そこへ仲間のホームレスが現れ、「この公園に探偵が来ている」 と告げて、その男から貰った名刺を見せた。仲間はリュウタロウたちに、「息子が父親の捜索願を出していて、その親父がこの公園にいる らしい」と告げた。その息子がプロ野球選手の川島だと聞いた途端、モーゼの顔色が変わった。
ゆうすけはツヨシとハジメから「いつか現実の恋がしたい」と聞かされ、「あれは小学校5年生の時」と自分のことを語り始めた。彼は クラスメイトの女の子に消しゴムを拾ってもらい、初めての恋をした。ありがとうの一言が言えずに3年が経過し、ある日突然、彼女は 転校してしまった。それが最初で最後の、現実の恋だと彼は語った。だが、ツヨシとハジメは全く食い付かない。雑誌を見ていた2人は 、みゃーこが日本テレビで明日19時から放送される『爆笑!健康大百科』に出演する情報を知ったのだ。みゃーこが初めてゴールデン番組 に出演すると知り、ゆうすけもツヨシたちと共に盛り上がった。
夜、シンヤがアパートに戻ると、借金取りは部屋の中で待ち伏せていた。「金が返せないなら、俺の言う通りにしろ」と言われ、シンヤは 公衆電話を使ってオレオレ詐欺をやる。しかし電話に出た中年男性にオレオレ詐欺だと見抜かれ、「警察に通報するぞ」と怒鳴られた。 慌てて電話を切ったシンヤだが、このままでは本当に通報される可能性もあると怯え、謝罪しようと改めて電話を掛けた。だが、今度は 中年男性ではなく、婦人の声だった。彼女が「健一なの?」と尋ねるので、シンヤは「そうだよ」と答えた。息子に成り済まして金を要求 しようとしたシンヤだが、相手の優しく穏やかな語り口に、金のことを言い出せないまま電話を切った。
翌日、モーゼは川島の探偵に自分が父親だと打ち明け、今後のことを話し合った。いつものホラだろうと考えていた仲間たちだが、モーゼは 空き缶の中に、川島の記事の切り抜きを集めて持っていた。リュウタロウはモーゼに、「無理に戻ることは無いと思います。モーゼの自由 にすれば。難しいですから、家族っていうのは」と言う。するとモーゼはリュウタロウの心を見抜き、「俺が出て行ったら、このテントで 住むか?まだまだ捨てたくないもん、あんだろ?ここにはそんなモン、全部捨ててから来いや」と告げた。
19時になり、ゆうすけ、ツヨシ、ハジメはテレビの前でワクワクしていた。しかし、いざ『爆笑!健康大百科』が始まると、みゃーこは 「ドロトロ血液のドロ子」という全身タイツ姿のキャラとして登場したため、ゆうすけたちは唖然とした。みゃーこは、まるで芸人のような 扱いを受けていた。それでも、ゆうすけは「彼女のために出来ることをやろう」と考え、ふと思い付いてパソコンに向かった。彼は 番組ホームページの掲示板に、それぞれが別人のコメントのように偽装し、大量の書き込みをした。
シンヤは公衆電話へ行き、昨晩の婦人に電話を掛けた。具合が悪そうで咳き込んでいるので、シンヤは「風邪には桃缶がいいよ」と言った。 そう告げてから、シンヤは母のことを思い浮かべた。婦人が「お金が要るんじゃないの。幾ら必要なの」と向こうから言ってきたので、 シンヤは「50万。事故っちゃってさ」と告げた。「いいよ、そのぐらいなら」と婦人が言うので、シンヤは「仕事で行けないけど、次の 休みにでも、後輩に取りに行かせるから」と語る。「休みっていえば、日曜日、花火だね」と婦人が口にしたので、シンヤは「連れてって やろうか。俺じゃなくて、後輩に連れていかせるから」と言う。婦人は、「楽しみだね」と告げた。
次の日、公園ではモーゼのお別れパーティーが開かれた。探偵に連れられて、川島が公園へ現れた。するとモーゼは「やっぱり行けねえよ。 全部捨てたんだから、20年前に」と涙声で言い出した。川島は「僕は正直、貴方を許せない。でも、許す努力をしようと思います」と言い、 「さあ、行きましょう」とモーゼを連れて公園を後にした。夕方のニュースでは、大型台風の情報が報じられた。10日午前には、台風が 九州地方に上陸している。
パチンコをしていたシンヤは富田に見つかり、営業所へ連れて行かれた。他の社員が集まっている中で「謝れ」と叱責されたシンヤは、 開き直った態度で「金なら返しますよ」と言い放つ。すると富田は「あの50万は俺が出したんじゃない。みんなが出し合ってくれたんだ」 と怒鳴った。根室が立ち上がり、おずおずと「これ」と言って、一枚のチラシを差し出した。それは新橋法律相談センターのチラシで、 「クレジット・サラ金専門の無料相談」と書かれていた。
翌日、シンヤが新橋法律相談センターへ行くと、相談員から借金を背負うことになった事情を尋ねられた。シンヤは「昔からギャンブルが 好きなんですよ」と、薄笑いを浮かべながら言った。それから彼は、家庭のことを語り始めた。シンヤの家は、毎年、家族で写真を撮る ような家だった。彼は、親の期待を背負って応えられない自分が嫌だった。2年前、ずっとギャンブル癖を心配していた母親が死んだ。 「普通、それをきっかけにやめる。でも余計に酷くなった」と、シンヤは話した。
話を聞いた相談員は、「後は弁護士の先生に」と告げて席を外した。入れ替わりで現れた弁護士は寿子だった。シンヤが何も言わずに センターを出て行ったので、寿子は後を追い掛けた。寿子が母親のことを尋ねると、シンヤは「脳梗塞で倒れた、延命をするかしないかの 話になって、俺が桃を買いに行っている間に父親が延命措置を止めた。あいつは見捨てたんだ」と吐き捨てた。
父親のことが許せないと言うシンヤに、寿子は「でも、お父さん、1年前に借金を返済してくれているじゃないですか」と告げる。シンヤ が立ち去ろうとするので、彼女は借金返済のために父親と話すよう促す。するとシンヤは、「上から見下したように見んじゃねえ」と 怒鳴り付けた。寿子はシンヤに自分のお守りを渡し、「お父さんと、会えるといいですね」と言って去った。
翌朝、台風が四国から近畿にかけての太平洋沿岸に再上陸するというニュースが報じられている。シンヤは花火大会に健一の後輩として 婦人を連れて行こうと考えたが、待ち合わせの場所に現れないので、夜になって電話を掛けた。婦人は風邪をこじらせたことを語り、 苦しそうに咳き込んだ。医者に行ったら、入院しろと言われたと彼女は話した。だが、入院費が無いという。「本当は50万円なんて大金、 とても」と口にした婦人に、シンヤは「俺が何とかする」と言って電話を切った。
リュウタロウがホームレス仲間と共に花火を眺めていると、携帯に電話が掛かってきた。相手は息子のシンヤだった。仲間から「子供は いるのかと問われた」リュウタロウは、すぐに電話を切ると、「ウチは、もういません」と答えた。彼は「女房が亡くなってすぐに、息子 が家を出て行った。バカな奴でも帰ってくるのを待っていたが、もう待つのはやめます。これからは一人で。そう決めました」と話した。 シンヤは実家に忍び込んで家捜しするが、金が見つからず、物を投げ付けて当たり散らした。
翌日、寿子に元支配人から電話が入り、「ジュピターの居所が分かった」と告げられた。シンヤは婦人に電話をするが、出たのはアパート の大家だという女性だった。彼女は「親戚の方ですか。先程、山村さん、救急車で運ばれて亡くなりました」と告げた。関東が暴風雨に 襲われる中、ゆうすけのパソコンにみゃーこからのメールが届いた。そこには「本名は武田ようこと言います。昔、日の出町にいました。 あなたは、あの雄介君じゃありませんか?良かったら今度、一緒にご飯でも食べませんか?」と書かれていた。
翌日、ゆうすけが仲間と一緒にみゃーこの握手会へ行くと、会場には大勢の観客が集まっていた。みゃーこはドロ子として人気に火が 付いていたのだ。実は、ゆうすけは最初から、みゃーこが初恋の相手だと分かって応援していた。4年前、たまたま街で握手会をしている 姿を見掛け、それからファンを続けてきたのだ。その日の握手会で、みゃーこは順番が来たゆうすけに「あのメール、読んでくれた?」と 問い掛ける。しかし、ゆうすけは「これからもずっと応援してます、頑張ってください」と他人行儀な言葉遣いで接し、あくまでもファン として応援し続けることを選んだ。
シンヤが山村のアパートへ行くと、彼女の遺体の傍にはモーゼが座っていた。リュウタロウがモーゼのテントで雨を凌いでいると、「俺の テントで何してる」と言いながら男が入って来た。刑務所に入って留守にしていただけで、そこは彼のテントだという。空き缶に入った 川島の記事の切り抜きも彼の所持品だった。彼こそが川島の父親で、やはりモーゼはホラを吹いていたのだ。
モーゼはシンヤに、自分がうだつの上がらない漫才師で、売れっ子ストリッパーに惚れていた昔話を始めた。モーゼは35年前の雷太で、彼 はジュピターに恋していた。そのジュピターが、シンヤの電話の相手である山村だった。35年前、雷太はジュピターが休んだのを心配して 、彼女の家を訪れた。すると、そこにはジュピターの恋人である横須賀基地の米兵がいた。米兵がジュピターを荒っぽく扱うのを見て雷太 は激怒し、掴み掛かった。しかし反対に殴り飛ばされ、それで芸人を辞めようと思ったのだという…。

監督は平川雄一朗、原作は劇団ひとり、脚本は金子ありさ、製作は島谷能成&小杉善信&見城徹&藤島ジュリーK.&西垣慎一郎& 磯野久美子&古屋文明&安永義郎、プロデューサーは樋口優香、エグゼクティブプロデューサーは市川南&奥田誠治&塚田泰浩、 協力プロデューサーは神蔵克&小玉圭太&原藤一輝、企画・プロデュースは川村元気&佐藤貴博、撮影は中山光一、編集は今井剛、録音は 深田晃、照明は中須岳士、美術は磯田典宏、漫才監修は増本庄一郎、振付は安田麻里、殺陣指導は吉田浩之、音楽は澤野弘之、 音楽プロデューサーは北原京子、主題歌『出会いのかけら』はケツメイシ。
出演は岡田准一、宮崎あおい、三浦友和、塚本高史、西田敏行、伊藤淳史、平山あや、緒川たまき、本田博太郎、北見敏之、山本龍二、 根岸季衣、生田智子、堀部圭亮、池内万作、戸田昌宏、近藤公園、平岩紙、諏訪雅、浜田学、増本庄一郎、岩田丸、木幡竜、 松岡恵望子、鈴木アキノフ、菅谷大介、矢島学、佐野夏芽、澤純子、 川上直己、矢島匡徳、藤本洋子、川本綾美、中村建彦、古川真司、金子路代、喜田智津子、桑代貴明、加藤美月、武田航介、福岡大起、 ブレイク クロフォード、水嶋友穂、加藤治、升水悠貴ら。


お笑い芸人の劇団ひとりが執筆し、100万部を突破したデビュー小説を基にした作品。
監督は『そのときは彼によろしく』の平川雄一朗、脚本は『電車男』の金子ありさ。
原作小説は5つの物語の連作だが、映画版では4つのエピソードだけが採用されている。
また、原作はオムニバス形式で書かれているが、映画版は複数の人物の物語が並行して進行する形式になっている。
シンヤを岡田准一、寿子&鳴子を宮崎あおい、リュウタロウを三浦友和、ゆうすけを塚本高史、モーゼを西田敏行、雷太を伊藤淳史、 みゃーこを平山あや、ジュピターを緒川たまき、支配人を本田博太郎、富田を北見敏之、川島の父親を山本龍二、山村のアパートの大家を 根岸季衣、シンヤの母を生田智子、借金取りを池内万作、相談員を戸田昌宏、根室を平岩紙が演じている。

序盤、シンヤがパチンコ店に入っていく時にスロー映像になるのは違和感があるし、そこに流れる音楽も「違うなあ」と感じる。なんか 感動ドラマ的な音楽だけど、そこはダメ男がダメな行動を取る場面なんだからさ。
それと、そこでタイトルバックに入るってのも違うなあ。まだシンヤのキャラしか見えてないし。他の奴は、ただ出てきただけだ。
最初にメインとなる人物全員を登場させるのは別にいいけど、出すんだったら、そいつらの様子も少しぐらいは描いて、それからタイトル を出すか、もしくは、もっと早いタイミングでタイトルでしょ。
どっちを選ぶかと言われたら、後者だな。もう冒頭でタイトルを出してしまった方がいい。もしくは全員が登場したタイミングで、 タイトルを出すべきだ。

複数の物語を並行して進めていく形式にしたのは、失敗じゃないだろうか。原作と同じオムニバス形式で、それぞれのエピソードを順番に 並べた方が良かったんじゃないか。最初にみんな出てくるのは構わないけど、その後は1人ずつの話を順番に並べるって感じでさ。で、 1人目のエピソードのラストに2人目が出て来て、そいつの話にバトンタッチするような形にするとか。
この映画だと、シンヤが主人公で、他のキャラ(寿子、ゆうすけ、リュウタロウ)はその周囲にある傍線って感じなんだけど、全て同じ 程度の扱いにした方がいいと思うんだよな。中心を作る必要は無い。むしろ、それがマイナスだと感じる。
あと、シンヤのナレーションで進行するのは、大きなマイナスでしょ。こいつはダメ男なのに、そのダメな行動を正当化している。それを 本人に喋らせているんだよ。
そんなの、こっちの神経を逆撫でするだけだ。

そこにシンヤがいる状態で、寿子が母と雷太のことを回想するシーンに入っちゃうと、なんかピントがボケちゃってるなあと感じる。
そもそも回想シーンが入ること自体に疑問なんだが、これが仮にオムニバス形式で、シンヤの話とは全く別のエピソードとしてやって くれたら、そんなに違和感は抱かなかったと思う。
ただ、それでも回想シーンは必要ないと思うけどさ。
あと、ゴールデン鳴子・雷太が登場した時、喝采を浴びているのも奇妙。
ストリップ劇場で、漫才コンビが喝采を浴びるって、よっぽどだぜ。そこは全く受けていない設定の方が自然だろ。
どうやら「雷太だけだと全く受けなかったが、鳴子とコンビを組んで受けるようになった」という設定のようだが、そのシーンの時点では 、そこまで詳しいことは分からないし。
喝采シーンだけを描くなら、そのことを、もっと分かりやすく示すべきだ。

あと、あの流れで、なぜ鳴子が雷太に「コンビにしてほしい」って言い出すのかサッパリ分からん。
「あまりのレベルの低さに呆れて、自分の方がまだセンスがある」ということでコンビ結成に至る方が、まだ幾らかマシだ。彼に惚れて コンビになるってのは、すんなりとは納得しかねる。
それでも、まだ荒唐無稽な喜劇として演出されていたら、強引に突破できたかもしれんけど、感動の人間ドラマとしての匂いがプンプン しているので、そこの壁は非常に高い。
それと、寿子の話は、彼女の母と雷太の話と言い換えてしまった方がいいような内容なのだが、そうじゃなくて「今」の物語、今を生きて いる人の物語を描くべきなんじゃないの。寿子自身の物語が描かれるべきでしょ。
っていうか、そこは本来、鳴子を「今の人」として描くべきなんだよな。
寿子は映画オリジナルのキャラで、そもそも原作では鳴子と雷太の話なんだから。

寿子のエピソードは(っていうか彼女の母と雷太のエピソードだが)、シンヤと寿子が出会ってから始まっている。
しかし、ゆうすけやリュウタロウの場合、全く別の独立した形で開始される。
そこは繋げようよ。リュウタロウなんかは、シンヤの父という設定なんだから、なおさら繋げやすいはずでしょ。
2人の親子関係を終盤まで隠しておきたかったのようだが、それを隠しておいたことの効果もそれほど感じられないし、さっさと明かして しまってもいいんじゃないか。
あと、リュウタロウが冒頭でモーゼを見た後、ホームレスの衣装を作り始めるシーンまで、彼の話については何も進展が無かったので、 なんか話が切れてるなあという感じが強い。
そもそも、なぜホームレスになりたがるのかもサッパリ分からない。「自由になりたい」ということなんだろうけど、リョウタロウが日々 の生活に不自由さを感じているような描写は全く無いし。

川島が「モーゼは本当の父親じゃない」と気付かないのは、ちょっと無理があるような気がするぞ。
20年前の川島の年齢を考えると、もう充分に物心は付いているはず。
少なくとも「本当に父親なのか」と違和感ぐらいは覚えてもいいんじゃないか。
っていうか、そもそもモーゼが父親だと主張し、切抜きを持っていたというだけで、川島が父親だと認めてしまうのは不自然だろ。普通、 もっとキッチリと調査するんじゃないか。

シンヤはクソ野郎だ。
彼はダメ人間だが、「だから悪い」ってことじゃない。ダメ人間を正当化するような描き方に問題がある。ちっとも愛すべきダメ人間と してアピールしてくれない。
センターの相談員に身の上話をして、母親の死を語ったりするが、そんなことで共感するとでも思ったのか。
むしろ、「そんな話を持ち出して言い訳すんなよ」と反感を抱きたくなる。

シンヤの弁護士が寿子ってのは、もう呆れて物が言えない。
御都合主義にも、受け入れられる類とそうでないものがあって、これは無理だわ。
まず宮崎あおいが弁護士っていう時点でアウトだよ。
モーゼと雷太が同一人物という設定も、配役の時点でおかしいでしょ。
伊藤淳史が35年後に西田敏行になるとは到底思えない。配役の問題を差し引いても、やっぱり受け入れがたいものがある。
原作に無い相関関係を作るところで、かなり無理が生じているのだ。

リュウタロウとモーゼに複数の役割を担わせているのは、原作と異なる設定だ。原作のリュウタロウはシンヤの父親ではないし、原作の モーゼは雷太と同一人物ではない。
で、そこを変更したせいで、キャラ的に不自然なところが生じている。
例えばリュウタロウは、シンヤの父で妻の救命措置を止めて息子の借金を支払った人物と、ホームレスのような自由な生活に憧れる中年 サラリーマンがイメージ的に合致しない。
モーゼもそうで、下手な漫才師の雷太が、やたらと嘘が上手いホームレスになるのはピンと来ない。
そんなに無理をしてまで、それぞれのキャラクターを深く関連付けなくても良かったのに。チラッと出会っているとか、一回だけ会った ことのある程度の顔見知りとか、その程度でも一向に構わないのに。
あと、一方で、ゆうすけの話だけは、シンヤ、寿子、リョウタロウの話との接点が全く無い。だから、それだけは完全に浮いているんだ よな。
だったらカットすりゃ良かったのに。

シンヤがアパートの大家から山村の死を知らされるシーンは、その前の部分からの流れの作り方が間違っている。
その死を知った時、シンヤは「婦人が本当に苦しんでおり、入院費が無くて困っている」と信じているが、それじゃダメだよ。
そこは、シンヤが「入院費が無いというのは嘘で、自分から逆に金を騙し取ろうとしているんじゃないか」と疑いを抱くべきだ。
で、そんな気持ちを抱いたまま電話を掛けたら死を知らされて、「疑ったけど本当に病気だったのか」とショックを受ける展開にしないと ダメでしょ。

川島の父親が登場して、リュウタロウはモーセの話がホラだったと知る。
だけど、本物の父親がムショで留守にしていただけだというなら、なぜ他のホームレス仲間は、そのテントをモーゼの住居として認めて いたのか。ムショにいたといっても、そんな十年も二十年もいたわけじゃないはずだし、そこがモーゼのテントじゃないことを知っている 奴がいてもいいはずだろう。
モーゼはジュピターの亡骸の傍らで、シンヤに昔話を始める。
だが、それは寿子がいるとこで喋るべきじゃないのか。いや、そもそもモーゼが雷太と同一人物という設定自体が大間違いなんだけど、 それはひとまず置いておくとしてさ。
あと、雷太が芸人を辞めようと思うきっかけが「米兵に殴られたから」というのは、「そんなことかよ」と呆れてしまう。
それと、そもそもモーゼは川島と共に退場したら、二度と画面に戻ってくるべきではない。そのまま「大ホラ吹き」として消えるべき なのよ。

あと、モーゼのエピソード(というか雷太と鳴子のエピソード)で感動の盛り上がりを作ってしまうもんだから、その直後に「実は ジュピターの息子の健一は2歳で死んでいる」ということが判明する泣かせ所があるのに、そこの盛り上がりを邪魔してしまう。
こっちの方が優先すべき泣かせ所だよ、どう考えても。そこだけは、分かっていても泣けたもん。
で、その感動シーンに寿子は無関係なんだから、邪魔なんだよ。
シンヤへの説法(というか観客への説明)も要らない。

っていうか正直、この映画の泣かせ所って、シンヤが山村の真実を知り、彼女が残した手紙を読むシーンだけでいい。
他の部分で感動を欲張りすぎて、見事に逆効果。
その後もシンヤとリョウタロウの父子の会話で泣かせようとしていて、感動を畳み掛けようという狙いなのかもしれんが、そこでのシンヤ の涙には、もう全く心が揺り動かされない。
むしろ、すげえ冷めてる。
だって、シンヤが山村の真実を知るシーンがピークなんだもん。それに、シンヤとリョウタロウの親子関係の描写も薄かったしさ。

あと、最終的にシンヤとリョウタロウの親子関係は修復されたかもしれんが、シンヤのギャンブル癖は全く治ってないし、借金の返済も 全くメドが立っていない。
営業所の面々との関係も、どうなったかサッパリだ。
っていうか、シンヤは間違いなく、次の日もパチンコ店へ行くぞ。あいつは、そういう奴だ。
山村のことに涙するシーンでは感動したけど、基本的には全く魅力の無い、共感できない奴だ。
メインのキャラに共感が持てないんだから、そりゃキツいよ。

ともかく、お涙頂戴に傾きすぎたのは、大きな失敗だと思う。 基本的には「クスっと笑える程度の、ユーモラスな匂いの漂う人間ドラマ」として進めて、ここぞという所だけ泣かせるという程度の按配 にしておくべきだったんじゃないか。
例えば中学のゆうすけが摘んだ花を持って車を追い掛けるシーンなんかも、明らかに感動方面へ舵を切っているんだけど、そういうのは 違うんじゃないかなあと。
タイトルは素晴らしいと思ったけど、それは映画じゃなくて原作に対する評価だな。

(観賞日:2009年10月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会