『兜』:1991、日本&アメリカ&イギリス日本

西暦1600年頃の日本では、天下を狙う東軍と西軍の二大勢力が激しい戦いを繰り広げていた。東軍は徳川家康が総大将を務め、西軍は豊臣秀吉の遺児である秀頼を擁して結集していた。関ヶ原の決戦で、徳川家の家臣である前田大五郎は軍勢を率いて西軍を攻めた。前田の軍勢は天気も味方に付けて、西軍を打ち破った。家康の実子である頼宗は、前田から武術の指南を受けていた。そこへ豊臣軍が急襲したため、彼は妻の千代と息子の大助に、頼宗を連れて逃げるよう指示した。千代は頼宗を地下道から避難させると、大助を替え玉として駕籠に隠れさせた。千代と大助は敵の軍勢に襲われ、命を落とした。
家康は密偵を通じ、豊臣方が伝道師を通じてキリシタン銃を入手している情報を掴んだ。頼宗の英語教師であるバスコ神父は、「お許しがあれば武器を伝道師たちに集めさせます」と家康に持ち掛ける。家康は皮肉っぽい口調で、「神父どもは信用できん。そなたは別だが、領民の改宗は許さん。キリシタンは神より金を愛するのか」と告げた。家康は前田に、「関ヶ原で勝てたのは、西軍の武将が銃を手土産に寝返ったからだ」と言う。前田は鉄砲を好まなかったが、家康は「鉄砲が戦を変える」と考えていた。彼は五千丁の新式銃を入手するため、頼宗と前田をスペインへ派遣することにした。
豊臣方のスパイであるバスコは淀君と密会して情報を伝え、「頼宗と前田は生きて帰らせない」と約束する。淀君は相談役から、バスコを信用しないよう忠告された。秀頼が天下を取った暁には、布教活動と教会の建立に協力してほしいというのがバスコの条件だった。淀君は了承し、2人の刺客を同行させることにした。前田たちは港へ行き、バスコの手配したプリンス・オブ・オレンジ号へと乗り込んだ。バスコも刺客を箱に潜ませ、船に搭乗した。
クロフォード船長が船を出航させ、前田たちはスペインを目指す。しかし嵐に見舞われて船が浸水したため、前田と頼宗は箱に入れた黄金を守ろうとする。そこへ隠れていた刺客たちが襲い掛かるが、前田と頼宗は返り討ちにした。しかし、買い付けのために用意した黄金は海に沈んでしまった。嵐が過ぎ去った後、前田はクロフォードに落ちていたロケットを返した。クロフォードは15年前に船が沈没した際、妻と娘が海に消えたことを前田に語った。
前田たちは無事にスペインのカデスへ到着した。1602年のことである。城へ赴いた前田たちは、国王の側近であるドン・ペドロの一行と遭遇する。不遜な態度のペドロが火打石銃を威嚇発砲する様子を見た前田は、「火縄がありません。あれなら雨でも使えます」と頼宗に告げた。フィリップ国王と謁見した前田は、太刀を含む土産を贈呈した。城への滞在を許された前田は、ペドロの婚約者であるセシリアに出会って恋心を抱いた。
前田に挑発されたペドロは、自らが持つ剣の切れ味を誇示した。「次は貴様の番だ」と言われた前田は、日本刀の切れ味を見せ付けた。ペドロが速射砲の能力を披露していると、刺客がフィリップに向けて矢を放つ。前田が矢を掴んで阻止するが、武装した一味が速射砲を奪って攻撃を仕掛ける。前田は一味を斬り捨て、森の中から突っ込んでくる軍勢を速射砲で一掃した。前田がセシリアに視線を送っていることに憤慨したペドロは、決闘を申し込んだ。前田は戦いを避けようとするが、ペドロが剣を抜いたために応じた。
バスコは気付かれぬよう床に水をこぼし、前田を転倒させる。しかし前田はペドロの剣を奪い取って決闘を中止し、「クロフォード船長がセシリア嬢と同じロケットを付けていたので、見てしまった」とフィリップに事情を説明した。クロフォードは娘が死んだと思っていたが、セシリアは彼の弟に拾われ、取り引きのためにペドロの元へ嫁がされることになったのだ。セシリアは「ただ飲んだくれていたのね」と自分を捜そうとしなかった父を拒絶し、クロフォードが近付こうとすると走り去った。
ペドロは前田に「貴様たちがいると目障りだ。とっとと帰れ」と怒鳴るが、フィリップは「前田殿の恩義を忘れてはいかん。私の命の恩人だ。そして、君の命を救った」と言う。彼はお礼として、火打石銃と連射銃を家康に送ることを約束した。バスコはペドロの客として城に滞在していたモロッコ君主のエル・ザイダンと接触し、前田たちの船を襲って銃を奪うよう持ち掛けた。バスコは小姓に指示し、頼宗の茶に毒を入れて始末しようとする。前田に疑いを抱かれた彼は、小姓の罠を指摘して罪を被せることで頼宗の信用を得た。
セシリアは駕籠に隠れてオレンジ号に乗り込み、「前田に会わせて。ペドロとは結婚しない」とクロフォードに言う。そこらペドロが来て出航を止めるが、頼宗は「セシリアを日本へ連れて帰る」と通達する。ペドロは威嚇発砲するが、前田たちは無視して出航する。ペドロは「このままで済むと思うなよ。すぐに追い付いて、お前と小僧の首をさらしてやる」と告げ、港を去った。クロフォードはペドロの襲撃を避けるため、航路を変更した。しかし君主ではなく海賊だったザイダンが、バスコの合図を受けてオレンジ号を襲撃した…。

監督はゴードン・ヘスラー、原作はショー・コスギ&ネルソン・ギディング、脚本はネルソン・ギディング、製作はショー・コスギ、製作協力はジーン・クラフト、製作総指揮は土屋宏&林俊明、撮影はジョン・コナー、美術はエイドリアン・ゴートン、編集はビル・バトラー、音楽はジョン・スコット。
主演はショー・コスギ、共演は三船敏郎、デヴィッド・エセックス、ケイン・コスギ、クリストファー・リー、高田美和、清川虹子、ノーマン・ロイド、ロナルド・ピックアップ、ジョン・リス=デイヴィス、ポリー・ウォーカー、ディラン・カスマン、杉村由紀、関口健、重水直人、澤山雄次、トニ・ソシエ、サヴィッチ・ミルティン、ミオミール・ラデヴィッチ=ピギ、白倉慎介、ダスコ・ユジノヴィッチ、シュテファン・ミンジャ、リュボミール・スキルジェヴィッチ、ジョン・スチュワート、ドラゴミール・スタノジェヴィッチ=カメニ他。


主演のショー・コスギが林俊明と共に映画ファンドを設立して投資家から資金を集め、アメリカ&イギリス&日本の合作として製作された映画。
脚本は『ポセイドン・アドベンチャー2』『第27囚人戦車隊』のネルソン・ギディング。
監督は『ザ・ニンジャ/復讐の誓い』『ショー・コスギ'88/復讐遊戯』のゴードン・ヘスラー。
なお、当時は豊臣秀吉の正室を「淀殿」ではなく「淀君」と呼ぶのが一般的であり、この映画でも「淀君」となっている。

前田をショー・コスギ、家康を三船敏郎、ペドロをデヴィッド・エセックス、頼宗をケイン・コスギ、フィリップをクリストファー・リー、淀君を高田美和、淀君の相談役を清川虹子、ヴァスコをノーマン・ロイド、クロフォードをロナルド・ピックアップ、ザイダンをジョン・リス=デイヴィス、セシリアをポリー・ウォーカー、船員のスミティーをディラン・カスマンが演じている。
ポリー・ウォーカーは、これがデビュー作。
ジョン・リス=デイヴィスの起用は、『将軍 SHOGUN』に出ていたってのも関係あるかな。
三船敏郎やクリストファー・リーの起用は、やはりアメリカ市場を意識した部分が大きいんだろう。

一応はハリウッド映画ということになっているが、実質的には「ほぼ日本映画」と言ってもいいだろう。
「ハリウッド映画」と銘打つからには、本来ならば日本よりもアメリカでの興行収入が高くなければおかしいはずだ。しかし実際には、アメリカでの興行収入は日本国内の10分の1にも届かない。
っていうか、そもそも日本国内での興行収入にしても、7千万円にも満たないのだ。
製作費が約20億円らしいから、見事なぐらいの大赤字なのである。

歴史考証は超デタラメだが、そういうトコに正確さを求める類の映画ではないので、そこは全くマイナス査定には繋がらない。
「頼宗って誰だよ」とか、「なんでバスコ神父は頼宗にポルトガル語じゃなくて英語を教えているんだよ」とか、「当時の呼び方はイスパニアのはずなのに、家康がスペインと言っているのは変だろ」とか、「なんで手配した商船がプリンス・オブ・オレンジ号という英語名なんだよ」とか、「オレンジ号の連中が頼宗に生意気な態度を取るのは変だろ」とか、そりゃあ真っ当な歴史考証からすると色々と引っ掛かる部分は多いけど、そういうのは全て受け入れられる。
それに、本気でアメリカ市場を意識するのなら、むしろ「もっと振り切った方がいいのに」と感じるぐらいなのよね。中途半端に史実を守ろうとしていることが、邪魔になっているのよ。
アメリカ人の大半は徳川幕府やら関ヶ原の戦いやらを全く知らないわけで、そういう設定を盛り込んでいることからして「要らなくねえか?」と思ってしまう。

だから冒頭シーンからして、「ホントにアメリカ市場を意識して作っているのか」と疑問を抱いてしまうのよね。
冒頭で関ヶ原の戦いに関する説明がナレーションで入り、それに勝利した徳川の政治が続くようになったってことが語られるんだけど、「だから何なのか」と言いたくなる。
そういうのを申し訳程度に説明して、「淀君が徳川幕府の転覆を狙う」という筋書きに繋げようとしているんだけど、それって戦国時代について知識がある日本人なら脳内補完できるけど、大半のアメリカ人には無理なわけで。
だったら、そういう歴史的な出来事を盛り込まずにシナリオを構築すべきじゃないかと思うわけで。

冒頭で関ヶ原の戦いを描くのは、単に「合戦シーンを入れたかった」というだけじゃないかと思ったりもするけどね。
で、そういう部分も含めて、たぶんスケールの大きさを感じさせる映画にしたいという願望が強かったんだろうってのは、良く分かるのよ。
だけど、「豊臣と徳川」という対決の図式を使わなくても、スケールの大きさを感じさせることは幾らでも可能だったはずで。
そこに中途半端に史実を持ち込んだせいで、「邪魔な縛り」になっていると感じるのよ。

世界市場は度外視して、「ハリウッド映画」と銘打つことで箔を付けて、日本国内での興行収入を狙うってことなら、それはそれで1つの考え方だ。
20億円の製作費を投入した映画で、日本国内だけで儲けを出すのは簡単じゃないけど、不可能なことではない。
ただし、日本国内だけで興行を考えにしても、やはり中途半端な仕上がりと言わざるを得ない。
まずキャスティングの段階で、もっと訴求力のある役者を揃えるべきだろう。
残念ながら、「ショー・コスギと三船敏郎の共演」というだけでは、かなり弱い。

また、「史実と虚構のバランス」という意味でも、中途半端という印象を受ける。
家康の息子として頼宗という架空のキャラを登場させるなら、それは構わない。
ただし嫡男として登場させるよりは、表向きは内緒にされている隠し子とか、そういう設定にした方が良かったんじゃないかと。
もちろん「時代伝奇物」として架空の設定を持ち込むのはOKだが、さすがに三男の秀忠を無視して「頼宗だけが息子」みたいな扱いにしているのは、日本人向けの映画としてはキツいかなと。

日本を舞台にして「架空時代劇」として進めて行くのかと思いきや、開始から30分ほど経過するとスペインに向かう。 そうなると、今度は「異国の地で日本の侍が活躍する」という面白さを見せる内容に変化するわけだ。
だったら最初から、そこに焦点を定めればいいわけで。そこまでの合戦シーンとか、そういうのって時間の無駄遣いにしか思えないわけで。
以降の展開を考えれば、「日本の侍がいますよ」ってことを示せば事足りるのよね。
で、さっさと「前田がスペインに派遣される」という展開に移った方が得策だろうと。

オレンジ号が港を出航すると、しばらくは海上でのシーンが続く。
せっかく船を使っているんだし、そこでのシーンに時間を使いたいという考えは理解できる。
ただ、もちろん船員は外国人だけど、船上シーンだと「異国と侍」という面白さは出ないわけで。
そこには「黄金を失う」という段取りがあるんだけど、それを処理する目的よりも、「嵐のシーンでスケールの大きさをアピールしたい」という意識が強いような感じを受けるなあ。

と言うのも、黄金を失わなかったとしても、それ以降の展開に支障は出ないのよ。
この映画だと「船の難破によって銃を買う黄金を失ったけど、フィリップの命を救った恩賞として銃を手に入れることが出来た」という筋書きになっている。
でも、そこは「黄金はあるのに、フィリップが前田たちを信用せず、銃を売ろうとしない」ってことにでもしておけばいいでしょ。
そうすれば、「フィリップの命を救ったことで信用を勝ち取り、銃を売ってもらえる」という形に出来るわけでね。

嵐のシーンを入れるのが絶対にダメというわけではないのよ。
ただ、この映画の場合、「どこに焦点を置くべきか」ってのを考えれば、それは間違いなく「異国の地で、外国人を相手に日本の侍が大活躍する」という部分でしょ。
だったら、それ以外のトコで多くの時間を割くってのは、上手い考えとは思えないのよ。
だから航海のシーンは、後で話に絡んで来るキャラクターを紹介する目的さえ果たせば、さっさと切り上げてしまった方がいいんじゃないかと。

あと、嵐の中で刺客2人が襲い掛かるけど、これって完全に無駄でしょ。
刺客が行動しなくても、嵐で黄金が海に沈めばいいわけで。その時点で、「銃が家康に渡らないようにする」という目的は達成できちゃうわけでね。
そういうことを考えても、やはり嵐のシーンは違うんじゃないかと。
「刺客が襲い掛かるけど撃退される」ってのを見せるだけにして、「無事にスペインに到着したけど、フィリップに銃を売ってもらえない」という筋書きにすればいいんじゃないかと。

前田は千代と大助を殺された後、城で2人のことを回想している。船に乗った後も、妻子を思い出すシーンがある。
それぐらい妻と息子に対する愛情の強さをアピールし、「2人の死を引きずっていますよ」と見せているにも関わらず、フィリップ国王の城に到着してセシリアと遭遇した途端、すぐに恋心を抱く。
いやいや、千代への思いはどうなったんだよ。あっという間に忘れちゃったのかよ。
恋愛劇を盛り込みたいのなら、なんで「妻が殺され、心に傷を負う」という展開なんて入れたんだよ。

しかも前田は、ペドロの前でセシリアが初対面を装っているのに(実際は前夜に出会っている)、「貴方とは縁があるようだ。またお会いできましたね」と平気な顔で口にする。それどころか、まるでペドロを挑発するような態度まで取るのだ。
なんちゅうデリカシーの無い男なんだよ。
「恋心を抱くけど、他人の婚約者だと知って葛藤する」とか、そういう形にした方がいいでしょうに。
そういうトコで押しの強さなんて要らないわ。

前田に挑発されたペドロが「剣の切れ味を見せてやろう」と言い、噴水に剣を突き刺す。そこへバラの花びらを撒き、水に流されて切れる様子を見せる。
それに対して前田は、日本刀を噴水に突き刺すと一心に念じて、刃から炎を放出させる。
いや、それは切れ味の鋭さじゃなくて、完全に魔術の世界だろうに。
その後、彼は飾ってあった西洋鎧の兜を切断する。
だったら最初から、それでいいでしょ。なんで魔法みたいな力を見せちゃうのかと。

スペインで最後まで物語を進めるのかと思いきや、1時間ほど経過した辺りで出航してしまう。
だからさ、それは違うんだなあ。
海戦を盛り込みたかったみたいだけど、それって「侍が異国の人々と戦う」という面白さを最大限に活用できる状況じゃないでしょ。せめて前田が乗っているのが日本の船ならともかく、西洋の帆船なんだし。
しかも、せめて勝ってくれればいいけど、あっさりと負けちゃうし。
で、モロッコのラバトに舞台を移すんだけど、それでスケールの大きさを出そうという狙いもあったのかねえ。
そんなことより、スペインだけでもいいから、もっと話を整理して上手くまとめてくれよと言いたくなるんだけど。

ペドロとザイダンは一緒に登場するんだし、ペドロは前田への敵意を剥き出しにしているんだから、その2人は結託している悪党という関係性にしておけばいいでしょ。
ところが実際には、ペドロは個人的な感情で前田を敵視しているだけで、バスコの陰謀やザイダンの悪事とは全く無関係なのだ。それどころか、ザイダンにセシリアを拘束されて、身代金を要求される始末なのだ。
いやいや、そうなるとペドロも、ある意味では被害者になっちまうじゃねえか。
なんで悪党を2つに分けちゃうかね。1つのグループでいいでしょうに。

っていうかさ、そもそもは「豊臣方と通じたバスコが前田たちを狙う」ということで始まっているんだから、その時点だと敵は「豊臣方」という形になっているはずで。
ところが、すぐに日本を離れてしまい、もはや豊臣方は刺客の2人しか存在しなくなる。その2人も船で死亡し、後はバスコが何とか「豊臣方」に近い人間として存在するだけ。
でも、彼は厳密に言うと目的のために豊臣方と組んでいるだけであって、豊臣方とは言えない。
そう考えると、そもそも序盤で「豊臣方の陰謀」に触れているのは邪魔じゃないかと。

終盤、ザイダンがペドロとチェスをやっていると、お茶を運んで来た頼宗がつまずいて駒を倒してしまう。ザイダンは「わざとやったに違いない」と言い、剣を抜く。
ところが、「もう少しでペドロが勝つところだったが、こいつがブチ壊した」と告げた彼は笑い出して、「良くやった」と頼宗の行為を歓迎する。怒ったペドロが剣を抜くと、前田が現れて妨害する。
ザイダンは「お礼がしたい」と言い、前田が「頼宗やセシリアと共に帰国したい。銃も持ち帰りたい」と求めると、「ペドロと対決して勝てばOK」と約束する。
もはやペドロって悪党のポジションからズレつつあったのに、そこで何とか引き戻そうとするのね。

で、前田はペドロと対決し、卑劣な敵を退治する。スペインに到着した時点ではラスボスっぽい雰囲気だったペドロなのに、ザイダンに利用される小悪党みたいな形で最期を迎えてしまう。
もちろんザイダンは約束なんて守らず、前田が海賊と戦う展開が待ち受けているわけだが、困ったことにバスコも残っている。
ただ、もはやザイダンはバスコの策略と切り離しても、普通に悪党として存在しているわけで。そのくせ、約束を守らなかったザイダンは退治されず、そのまま手下を連れて立ち去っちゃうのよ。
なんか中途半端に「気概のある海賊」みたいな見せ方をしているけど、まるで腑に落ちないわ。

ショー・コスギとしては、アメリカでニンジャ映画に出演していた頃と同様、やっぱり「息子のケインを売り込みたい」という意識が強くあったようだ。
だから、「前田が異国の地で悪党と戦う」というシンプルな話にしておけばいいものを、「タカビーな頼宗を前田が教育する」とか、「頼宗が降伏した前田に幻滅するが、武士の心意気を忘れていないと知って和解する」とか、「頼宗の成長物語」という要素を盛り込んでいる。
もちろん、それが物語を厚くするために貢献していれば何の問題も無いわけだが、残念ながら、そうじゃないのよね。
ぶっちゃけ、ホントに邪魔なのよね。

(観賞日:2016年4月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会