『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』:2003、日本
字廻組(あざまわりぐみ)の組員である尾崎は最近、奇妙なことを口にするようになっていた。その異常さは言葉だけでなく、行動にも出るようになっていた。そんな尾崎は組長の命令を受け、弟分の南を連れて名古屋へ挨拶回りに出掛けた。彼は南に、時期的におかしくないかと告げる。さらに彼は、「ウチの組は、このままだとどんどん駄目になる。今のオヤジは、女のことしか頭に無い。一線を退いてもらおうと思ってる」と語った。
尾崎から「場合によっちゃあ、オヤジと刺し違えることになるかもしれない。俺を信じて、最後まで付いて来てくれるか」と訊かれた南は、「命を助けてもらった時から、覚悟は決めています。何があろうと、最後まで付いて行きます」と答えた。尾崎が訳の分からないことを言い出して老婆を銃殺しようとしたので、南は背後から突き飛ばして気絶させた。組長からの電話を受けた南は現在地を告げ、「尾崎は狂ってんだからな。一刻も早く、名古屋の処分場へ連れて行くんだ」と改めて命じられた。
南は尾崎を乗せて車を走らせるが、途中で道が川に遮られていた。尾崎の様子を見た彼は、死んでいるのに気付いた。慌てた南は組長と連絡を取ろうとするが、携帯電話は圏外になっていた。町へと移動した彼は公衆電話を発見するが、使えなくなっていた。その近くにある喫茶店“憩い”に南が目をやると、2階の窓から女が観察していた。女が隠れた後、公衆電話が突如として鳴り響いた。しばらくすると音は止み、南は尾崎の死体を車に残して喫茶店へ入ることにした。
南は喫茶店に電話があるのを見つけるが、十円玉を大量に積み上げた銀色ジャージの男が使っていたので待つことにした。コーヒーを注文して席に座った彼は、金色ジャージの男が凝視しているのに気付いた。「何だよ」と南が言うと、金色男は「アンタ、名古屋の人間違うやろ」と告げる。サービスの茶碗蒸しを食べた南は気持ち悪くなり、トイレへ駆け込んで嘔吐した。車に視線をやった彼は、尾崎の姿が消えているのを知って激しく動揺した。彼は慌てて周囲を捜索するが、尾崎は見つからなかった。
南から電話で報告を受けた組長は、「死んだ尾崎が一人でどっか行くわけねえじゃねえか。尾崎が生きてたらどうすんだ。あいつは俺の命だって狙ってるんだぞ。とにかく、早く見つけてヤクザ処分場へ持ってけ」と声を荒らげた。それから彼は、城山組の親分を訪ねれば協力してくれるはずだと南に告げた。しかし教わった住所に行くと、そこにあったのは寺だった。住職に質問すると、「警察に聞いてみたらいかがですか」と冷たく言われてしまった。
南は交番へ赴き、警官に城山組の場所を訪ねる。しかし要領を得なかったので、自分で探すことにした。車がパンクして困っていると、顔半分の白い男が助けてくれた。南が彼の顔を気にしていると、男は生まれた時から部分的に色素が足りないのだと説明した。「ウチの工場、タイヤが一杯あるから」と男が言うので、南はスクラップ工場へ行くことにした。男の意味不明な質問を受けていた南は、そこに城山組の事務所があるのを発見した。
南が事務所に入ると、城山組の組長は問題に答えられたら助けてやると持ち掛けた。時間制限を付けられた南は焦るが、正解を導き出した。組長は能勢という名前だった顔の白い男に、協力してやるよう指示した。「日が暮れそうなので捜査は明日からにしましょう」と能勢が言うので、南は仕方なく承諾した。能勢は南を連れて、マサとカズの姉弟が経営するマサカズ旅館へ赴いた。南は一緒に泊まろうとする能勢を帰らせた後、マサの行動に困惑させられた。
翌朝、旅館を出た南は、迎えに来た能勢に連れられて喫茶店“憩い”へ赴いた。店には昨日と同じ金色男と銀色男が来ており、能勢が旧知の仲だと気付いて話に花を咲かせる。南は苛立ち、「昨日のことで聞きたいんだけど」と話し掛ける。しかし彼らもマスターも、南が昨日来たことさえ覚えていない様子だった。南が憤慨して金色男に掴み掛かると、能勢が制止に入った。南が外へ出ようとすると、能勢は「人捜すなら、探偵を雇えばいいでしょ。アンタになんか協力する気は無かった」と突き放すように告げて店に留まった。
南が車に戻ると、紙飛行機が飛んで来た。そこにはマサ&カズの下手な似顔絵が描かれ、「そこで待て 能勢」という文字が添えられていた。旅館へ戻った南から事情を聞いたマサは、「弟のカズは霊媒が出来るんです」と口にした。マサに勧められた南は困惑しつつも、カズに霊媒を頼むことにした。しかしカズは、霊媒の経験など全く無いことを明かした。いつの間にか戻っていた能勢は怯えた様子を見せ、喫茶店の2人は中学時代の番長と副番長だったので怖くて断れなかったのだと釈明する。さらに彼は、店のマスターが3年前に交通事故で死んでいるのだと話す。
南は能勢から、金色男と銀色男が尾崎らしき男を目撃していたことを聞かされる。尾崎らしき男は彼らに「餅米はどこだ」と尋ね、近くの米屋を教えると立ち去ったらしい。南は米屋の主人を訪ね、尾崎らしき男が「胡麻とか小豆は無いか」と問われたので近くの酒屋を教えてやったと言われる。酒屋を訪れた南は、店主の妻であるアメリカ人のミランダに話を聞く。ミランダは拙い日本語で、安い宿は無いかと問われたのでマサカズ旅館を教えたと南に話した。
南はマサカズ旅館へ舞い戻り、「昨日、俺以外にだれか泊まりませんでしたか」とマサに質問した。するとマサは、夜中の1時頃に客が来たので2階の物置き部屋に案内したこと、今朝になって出て行ったこと、その客が餅米と胡麻と小豆を置いて行ったことを話す。匂いを嗅いで尾崎がいたことを確信した南は、また戻って来るのではないかと考え、物置き部屋で泊まらせてもらうことにした。その夜、南は牛の頭部を持つブリーフ一丁の男を目撃する。牛男に紙を渡されて顔を嘗め回された南は、意識を失った。目を覚ました彼が紙を見ると、「処分場にて待つ。尾崎」と書かれていた…。監督は三池崇史、脚本は佐藤佐吉、製作は曽根晴美、企画は曽根晴美&瀬戸恒雄、プロデューサーは坂美佐子&前田茂司&向井達矢、撮影は田中一成、照明は吉角荘介、録音・整音は鶴巻仁、美術は石毛朗、編集は島村泰司、特殊造形は松井祐一、音楽は遠藤浩二。 エンディングテーマ『牛頭の唄』作詞:三池崇史、作曲・編曲:遠藤浩二、唄:蜂谷真紀、コーラス:AOと仲間たち。
出演は曽根英樹(現・曽根悠多)、哀川翔、石橋蓮司、川地民夫、長門裕之、吉野きみ佳、火野正平、冨田恵子、曽根晴美、木村進、間寛平、丹波哲郎、小沢仁志、遠藤憲一、小沢和義、山口祥行、加藤雅也、佐藤佐吉、栗原早記、本山力、エレナ、おじょう、からし、Cavid Chao、河本タダオ、塩田時敏、西咲光塁、西集、Joshua Sitkin、毛利元、松本兆幸、今田真士、岡田直也、伊藤玉野、谷口真由美、余語洋子、杉浦慎也、城山晃汰、Mallo Elas、古川秋義、長尾幸司、大澤悟、中元冨雄、ジュンナ(ナワワ)他。
監督の三池崇史が『殺し屋1』でコンビを組んだ佐藤佐吉に脚本を頼んで作り上げたビデオ映画。
愛知県名古屋市のオフィスアスクが資本を出した関係で、名古屋が舞台となっている。
南を曽根英樹(現・曽根悠多)、尾崎を哀川翔、字廻組の組長を石橋蓮司、城山組の組長を川地民夫、宮崎を長門裕之、女尾崎を吉野きみ佳、能勢を火野正平、マサを冨田恵子、カズを曽根晴美、銀色男を木村進、金色男を間寛平が演じている。
処分場の社長役で丹波哲郎が特別出演しており、組員役で小沢仁志&遠藤憲一&小沢和義&山口祥行、処分場の社員役で加藤雅也が友情出演している。劇場公開作品にすることも可能だったが、「Vシネマの可能性を示す」という意味を込めて、あえて三池崇史はオリジナルビデオとしてのリリースを選んだ。
しかし第56回カンヌ映画祭監督週間のディレクターが内容を称賛し、正式選考を経て出品された。
日本では劇場公開されていないのに(第25回ぴあフィルムフェスティバルではオープニング上映された)、カンヌ映画祭では劇場で上映されているという、珍しい類の作品である。
ポンコツ映画愛護協会では基本的にビデオ作品は取り上げないのだが、この作品はカンヌ映画祭に出品されたことも鑑みて、特例として扱っている。企画の始まりは、曽根晴美が息子の曽根悠多を主演に据えたオリジナルビデオ作品を製作しようと考えたことからだ。
曽根悠多は父親がプロデュースしたビデオ作品『仁義なき野望』で主演デビューを果たし、そのシリーズは3部作になった。だが、それ以降は脇役ばかりが続き、パッとしない俳優稼業が続いていた。
曽根晴美としては、「何とか息子のために一肌脱いでやろう」ということだったんだろう。
そこで彼は、『仁義なき野望』で監督を務めた三池崇史に企画を持ち掛けた。ここまでの流れなら、「三池崇史が監督を務め、曽根悠多を主演を務めるヤクザ物のビデオ映画」という、ごく普通の作品が仕上がっていたはずだ。たぶん、ほとんど話題にならずに終わっただろう。
ところが、三池が「普通じゃないヤクザ物を撮りたい」と要望したことから、企画の内容が変貌していく。
それを曽根晴美が承諾し、全てを三池に委ねたことで、もはや誰もコントロールできる者はいなくなった。
三池崇史は、自分のやりたいことをやれる環境を整えたのである。「史上初のヤクザ・ホラー」という触れ込みだったが、ホラーという印象は受けなかった。
この映画を見て「ワケが分からない」と感じる人は大勢いるかもしれないが、「怖い」と感じるのは少数じゃないだろうか。
ホラーってのは不条理の要素を含有していることが多いが、ここまで不条理の度合いが大きくなっていると、もはや恐怖の感情なんて喚起しない。
ある程度の「訳の分からなさ」は恐怖に結び付くが、何から何まで訳が分からない場合、「怖い」という単純な気持ちは引っ込んでしまうのだ。「もしもデヴィッド・リンチがヤクザ物のVシネマを撮ったら」というのが、この作品のコンセプトだ。
ただし作品を見ても、「実際にデヴィッド・リンチがヤクザ物のVシネマを撮ったら、こんな感じに仕上がるだろうな」とは全く思わない。
良くも悪くも三池崇史って人はエンターテインメント業界の監督であり、雇われ仕事も喜んでこなす人だ。だから、どこかで「お客さんに楽しんでもらおう」という意識が見え隠れする。
「唯我独尊、我が道を行く」というスタンスを貫けない、いい人なんだろうね。そんなわけだから、この映画を見て「ちっともデヴィッド・リンチじゃない」と感じた。
しかし、それは決してマイナス要因ではない。むしろ、個人的にはプラス評価である。
それと、これは三池崇史よりも佐藤佐吉のセンスが大きいのかもしれないが、「笑い」の要素を感じるってのもデヴィッド・リンチとの違いを感じる部分だ。
デヴィッド・リンチの映画にコメディーを感じたことは一度も無いが、この作品には笑いの要素を強く感じる。
それはたぶん、デヴィッド・リンチがマジで作っているのに対して、これは「もしもデヴィッド・リンチが〜」というコンセプトなので、そこがパロディー的な味付けに繋がっているからじゃないだろうか。ってなわけで、これはヤクザ・ホラーではなく、実際にはシュールなパロディーであり、ナンセンスなコメディーである。
冒頭シーンから、それは顕著に表れている。
そもそも喫茶店でヤクザの定例会議が開かれている時点でヘンテコなのだが(普通は組事務所でやるだろ)、尾崎が「これから言う話は全部冗談ですから、本気にしないで下さい」と前置きし、店の外で若い女たちが可愛がっているチワワについて「あれはヤクザだけを追うように訓練された、ヤクザ犬に違いありません」と言うのも、もう完全に喜劇でしょ。
しかも冗談と前置きしておきながら真剣な顔だし、「やられる前にやっとかないと」とチワワを何度も叩き付けて惨殺するんだから、やっぱりコメディーでしかないよ。
一応はホラー的に演出しているけど、殺されるチワワが作り物丸出しなのも含めて、明らかにマジじゃないよ。続くエピソードでも、尾崎のイカれまくった行動を見せている。
彼は白い車が走って来るのを見る慌てた様子で、「あれはヤクザをひき殺すために設計されたヤクザカーだ」と言う。もちろん、今回も表情は真剣そのものだ。
運転手は全く害の無さそうな女性だが、尾崎は拳銃を構えて発砲しようとする。
無関係な女性を殺したらシャレにならないという判断だったのか、南が尾崎を殴って気絶させるという着地にしてある。だけど、いっそのこと銃殺しちゃっても、コメディーとして成立するんじゃないかと思うぞ。南が急ブレーキを掛けると、既に死んでいる尾崎が車体に激しく激突し、反動で後ろに倒れ込むという描写も、やはりコメディーのそれだ。
喫茶店でコーヒーを注文したらサービスとして茶碗蒸しが付いて来るとか、店員がオカマ3人組で注文を届ける時も3人揃って来るとか、南がコーヒーを飲まずに茶碗蒸しを食べ始めるとか、「アンタ、名古屋の人間違うやろ」と告げるのが名古屋人ではない間寛平だとか、その彼と色違いのジャージ男が木村進で吉本新喜劇の懐かしいコンビが復活しているとか、それらも全て喜劇である。
本気でホラーとして作っていたら、木村進と間寛平の会話で「熱かったニャーいうたら、ワンいいよんねん」とか言わせないでしょ。
っていうか、そもそも、この2人を起用しないでしょ。南から尾崎の失踪について連絡を受ける時、組長は愛人とセックスの最中で、尻の穴にオタマを突き刺している(それが無いと勃起しないという設定)。
愛人の足先がオタマに触れると、「あっ、痛い。オタマに当たる。ああっ、痛い痛い痛い」と呻く。南の車がパンクすると、草むらの中で雑誌を読んでいた男が「骨だね」と言う。
顔の左半分は色素が無くて白いという設定だが、どう見ても単に白く塗っただけだ。
男が口にした「骨だね」という言葉は何のことかと思いきや、彼はタイヤに刺さった骨を抜く。白塗り男はスクラップ工場へ行くと、「与作、歌える?」「人殺ししたことある?」「カレーとハヤシライス、一緒に食べちゃったりするでしょ」「おばあちゃんの名前、キリコでしょ?」などと脈絡のないことを立て続けに言う。
祖母の名前について「ケイコです」と南が答えると、急に低い声で「ケイコか」と冷たく告げる。
城山組の事務所は狭くて天井が低いので、南は体を傾けて立っている。
城山組の組長は協力の条件として、「座っているのに立っているものは何?」というクイズを出す(正解は「時間」)。
まあ正直に言うと、この辺りはシュールやナンセンスこそ感じるものの、喜劇のテイストは感じない。能勢はマサカズ旅館に向かう時、ずっと南の手を握っている。マサに「今夜、泊まれますか」と尋ねる時も手を握り、中を確認するという名目で部屋まで付いて行き、「僕、変なことしないよ」と居座ろうとする。
この辺りは、最初からシナリオにあったのかもしれないけど、何となく三池監督の嗜好を感じる。三池監督って、同性愛の描写が好きな人なのでね。
ちなみに、そこの設定は途中で完全に忘れ去られ、能勢がフェードアウトしちゃうけど、その辺りのテキトーさは「そういう作品だから」ってことで全く気にならない。
そういうマトモなことをマトモに気にしていたら、たぶん序盤で鑑賞意欲がゼロになっちゃうよ。マサカズ旅館に入って呼び掛けても返事が無いので南たちは中に入るが、背後から「いらっしゃい」とマサに言われて驚く。
ここは普通に考えるとショッカー描写とも言えるし、そういう意味ではホラーだが、でも実際に作品を見ている限り、やっぱり喜劇寄りなのよね。
その後、南が風呂にいると外からマサが「お背中、流しましょうか」と言い、断ったのに勝手に入って来る上にバスタオルを体に巻いただけの姿ってのも、明らかにコメディー、っていうかコントの世界でしょ。
そんで南が股間を隠していたタオルをマサが隙を見て奪い取ったり、巨乳を自慢して「オッパイも出るんですよ」と揉んで母乳を出したり、「飲みます?」と勧めたり、困惑した南が断ると「最近、そうやってお断りなさるお客様が本当に多いんですよ」と寂しそうに言うのも、やっぱり喜劇でしょ。マサは南が尾崎を捜していると知り、「弟のカズは霊媒が出来るんです」「その霊なら、貴方の捜してらっしゃる方の心当たりがあるかもしれません」と言う。
尾崎が生きていて逃げ出したのなら、誰かの霊を降ろしても全く意味が無い気がするんだが、ともかく南は頼むことにする。
降霊術が始まるとマサはカズの上半身を裸にして、謎の呪文を心の中で唱えるよう南に指示する。彼女はカズの背中を鞭で何度も叩き、「霊は降りてきたか」と尋ねる。カズは痛みに苦悶し、「そんなモン降りて来ないよ」と言う。「霊媒出来るんですか」という南の質問にカズが「そんなモノ出来ないよ」と答えて、そこでオチが付く。
「出来なくても何とかするのがサービス精神であり、この旅館のモットーなんだ」とマサが逃げるカズを追い回すのは、表面的には恐怖劇だが、でも喜劇でしょ。マサが母乳を搾って牛乳瓶に入れ、カズが蓋を付ける作業をしているのも、やはりコメディーだ(その直前、南が瓶の牛乳を飲む子供の姿を目撃していることも含めて)。
牛の頭部を持つブリーフ男も、そりゃあ実際に出現したら怖いかもしれないけど、劇中のキャラクターとして見る分には滑稽さが勝っている。
南が長い舌でベロベロと顔を舐め回されて唾液まみれになるのも、喜劇的だ。
南が処分場へ行くと、ペッタンコにされたヤクザの皮がクリーニングした服のように幾つも並んでハンガーに吊るされている。これまた喜劇的だ。南が車に戻ると「遅かったですね」と言う女が待っていて、自分は尾崎だと主張する。敬語ではあるが、本物の尾崎しか知らないことを話す。
ホテルに宿泊した南は、眠っている女尾崎のオッパイに触れる。アソコから妙な音が聞こえたので、耳を近付ける。
女尾崎が目を覚まして「Hする?Hしたくなったら、いつでも起こして下さい」と言うので、慌てて離れる。
この辺りは、さすがに喜劇だとは感じないけど、少なくともホラーではない。南が東京へ戻ると女尾崎は組事務所まで同行し、かつて世話になった男の娘なので働かせてほしいと組長に持ち掛ける。組長は相手が美人なので承諾し、2人きりになってセックスしようとする。
そこへ南が突入して「兄貴は誰にも渡さない」と叫び、組長と格闘する。
組長が顔面を殴られるとオタマから牛乳が出て、座り込んだら尻の穴にオタマが深く突き刺さる。
南は電気スタンドのニクロム線をオタマに接触させ、組長を感電死させる。
この辺りも、少なくともホラーではないし、組長のリアクションなんかはコメディーだ。南は女尾崎をホテルへ連れて行き、かつて尾崎からプレゼントされたジバンシーの穴開きパンティーを履かせる。南は女尾崎とセックスするが、その股間から腕がニョキッと伸びて来る。
南が困惑していると、女尾崎の股間からヌルヌルの液体に覆われた尾崎が這い出して来る。女尾崎が尾崎を産み落としたってことだ。
女尾崎は干からびるが、「お湯に入れたら、女は元に戻った」という南のモノローグが入り、南、尾崎、女尾崎の3人が仲良く暮らしている様子で話は終わるのかと思いきや、最後は銀色男が笑うアップ。
混沌の渦に巻き込まれたまま、「ゴズ、ゴズ、ゴズ」とサビで繰り返す歌が流れてエンドロール。
その歌詞は「ごめんね、おじちゃん、乳牛だけど、お乳が出ない。だって、おじちゃん、オスなの」という、コミック・ソングとしか思えない内容になっている。(観賞日:2015年11月20日)