『豪姫』:1992、日本

豊臣秀吉は千利休に切腹させた後、それについて利休の高弟である古田織部に語った。織部が黙って聞いているので、「何か言わんか」と 秀吉は告げる。織部が「死を賜った理由は?」と尋ねると、秀吉は「利休が不埒だったせいじゃ」と答えた。秀吉は、利休を自刃させた 理由について、巷で広まっている噂を尋ねた。秀吉は、山門に利休の木像が飾られたことに怒った、財を肥やしていたことに腹を立てた など、噂を挙げていく。しかし秀吉は、全ての噂を否定した。
秀吉は「利休の茶ではワシにはもう仕えきれん。それを知りながら最後まで負け戦を挑んだ」と織部に告げた。そして後継の茶頭になる ことを命じ、「利休を超えてみろ」と告げた。織部が聚楽第の廊下を歩いていると、豪姫が木の上から矢を放ち、笑った。彼女は織部を 慕っている勝ち気な姫様だ。豪姫は加賀の大名・前田利家の娘だったが、生まれてすぐに秀吉の養女となっている。
豪姫が屋敷へ来たがったので、織部は連れて行くことにした。その道中、豪姫はたった一輪だけ咲いていたタンポポを摘み、織部に渡した 。屋敷に到着した豪姫は、工房で茶器を作っていた織部の庭番・ウスに「その形面白いぞ、豪にくれ」と言う。織部は訪れていた蒲生氏郷 と会い、秀吉から利休の後継を任じられたこと、「利休を超えてみよ」と言われたことを述べた。氏郷は「これからは強情を張らぬこと じゃ。秀吉は一途な男を嫌う」と告げた。
織部と氏郷が話している部屋に、豪姫が酒を持って現れた。彼女は「一緒に飲もう」と言い、どんどん飲んで眠り込んだ。氏郷は織部に 「妙なものを見た、利休の生首だ」と告げる。さらした首を利休の木像に踏み付けにさせてあったという。秀吉に媚びようとした者の仕業 だろうと、氏郷は告げた。豪姫はウスを連れて馬に乗り、覆面をして二条河原に現れた。そして利休の首を奪い去り、役人に追われて逃走 した。その様子を、織部と氏郷は目にした。
豪姫は秀吉と鉢合わせし、「今日のは度が過ぎる」と叱責された。秀吉は織部に「さっきの下人を出せ。あいつは不埒なところがある」と 告げる。ウスは生意気な口を叩いたが、秀吉は「こいつはたまらん」と笑った。翌日、秀吉は織部に「二条河原の件はワシの命令ではない 。ワシは首を奪い去ろうと考えていた、そうすれば利休に縁の者の気も治まるだろうと思っていた。ところが、あのバサラ娘があっという 間に首を奪い去った」と語り、「生首の行方はあの下郎が知っておる。始末しておけ、こっそりとな」と命じた。
聚楽第を去ろうとした織部は、細川忠興に呼び止められた。忠興は「一本気も強情もいけない、充分に気を付けなさい」と警告する。そこ へ豪姫が来て、織部に「ウスを俺にくれ。ウスが俺の所へ来たいと言ったらくれるか」と言う。しかし彼女は、すぐに「ウスは来たいとは 言わないだろうな。ウスの主人は、やはり俺ではなく織部のオジじゃな」と述べた。織部が「ウスをどこへ隠された?」と尋ねると、豪姫 は「まだ帰らなんだか」とシラを切った。
ウスは豪姫に頼まれ、生首を箱に入れて利休の娘・お吟に届けた。ウスは立ち去り、庭に潜んで様子を観察した。箱を開けたお吟は顔を 引きつらせた。それから彼女は部屋に火を放ち、短刀で腹を刺した。慌ててウスが駆け込むと、彼女は「どうかこのまま。私は利休の娘 ではありません。共に灰になれるのなら幸せ」と述べた。深夜、ウスは豪姫の寝室に侵入し、強引に関係を持った。
織部は戻ってきたウスに「あの首をどこへやった?」と尋ねた。ウスはお吟の元へ届けたこと、自害したこと、娘ではなかったことを説明 した。「帰る途中、誰にも会わなんだか」と織部が訊くと、ウスは「たった一人」と答えた。「豪姫様だけか。それなら良い」と織部は 言う。ウスは「お暇を頂きたい。もう都が恐ろしい」と頼んだ。織部は「我が家の侍になってはどうか」と持ち掛けるが、「ありがとう ござりまするが、侍は好かん」とウスは断った。
翌日、ウスは織部の見送りで雪山へと去った。直後、刀を交わす音が聞こえたので、織部は急いで馬を走らせた。するとウスが石田三成の 差し向けた刺客たちに襲われていた。物陰から鉄砲の音も響いた。織部が加勢に入ろうとすると、木の上にいた豪姫が弓矢で刺客を攻撃 した。「後はウスに任せておけばよい」と彼女は言う。織部が「しかし鉄砲傷が」と言うと、「受けてはおらぬ。愛しやウスに鉄砲を 当てさせてなるものか」と豪姫は微笑んだ。彼女は、ここを通るのをウスから昨夜の内に聞いていたという。
また鉄砲が撃たれた。ウスは刺客の最後の一人を始末した。豪姫は駆け寄り、自分のさらしを切ってウスの頭に巻いた。ウスは織部と豪姫 に見送られて去った。豪姫は織部に、「見送りに来たのは嘘、ここを通るのも知らなかった」と明かした。「気が変わったのは三成が 追っ手を差し向けていると知ってからのこと。ウスを殺して口を塞ごうというのも、元はと言えば利休の首のこと。本来ならば俺を狙う べきだ。俺はウスが哀れになり、果ては愛しいもののようにさえ思えた」と彼女は語った。
ウスは雪山で倒れていたところをジュンサイと名乗る老人に救われ、彼の山小屋で介抱された。「死んでも構わんと思っていた」とウスが 強がると、ジュンサイは「こいつがまだ生きたいと言っておるぞ」と股間を叩いた。「巻いてあったさらしは血だらけで使い物にならん から、川に捨ててきた」とジュンサイが告げると、ウスは慌てて起き上がり、さらしを拾って戻ってきた。
ウスはジュンサイと共に暮らし始めた。ジュンサイはウスに、「この山でずっと暮らしていけるが、ワシにもどうにもならんことがある。 女子(おなご)だ」と告げる。ジュンサイは戦で死んだ武士の兜や鎧を奪い、まだ息がある者の首を絞めた。彼は戦利品を洞窟に集めて いた。それを手伝わされたウスは、「もうこの仕事は出来ません。ジュンサイ様とは別の場所で暮らします」と告げた。ジュンサイは 「勝手なことをほざけ。ここを見られた以上は、生かしておくわけにはいかん」と怒鳴って刀で襲い掛かるが、それをウスにかわされると 「二度とワシの前にツラを見せるな」と洞窟から追い払った。
ウスは川沿いに小屋を作って暮らし始めた。秋、冬、春と季節は過ぎた。ある日、小屋に戻ると甘露煮が置いてあった。彼は礼を述べる ため、ジュンサイの小屋を訪れた。ジュンサイは秀吉の死を教え、「古田織部は家康に煙たがれておる」と告げた。ジュンサイは「家康は キリシタンに怯えておる。日本中のキリシタンが集まれば大変な勢力になる」と言うが、ウスは何の関心も無かった。
ジュンサイが「あのお姫様のこと、知りたいと思わんか」と訊くと、ウスは「オラにはもう何の関わりも無い」と告げる。ジュンサイは 「前田家の預かりになって今、加賀におる。豪姫の夫・宇喜多秀家は関ヶ原の合戦に破れ、八丈島に島流しになった」と語る。ジュンサイ は山を降り、高山右近の屋敷を訪れた。ジュンサイは右近の元家臣で、17年ぶりの再会だった。
ジュンサイは右近に「加賀越前の山中に潜む我ら元家臣一同、殿の決起を心待ちにしております」と告げ、今が天下人になるための絶好の 機会であり、家康を討つべきだと促す。しかし右近は「ワシは今、武器を捨てた。我が主ゼウスは戦を望んではおられんのじゃ」と断った 。ジュンサイはキリシタンの転びと知った遊女を山に連れ帰り、強い薬を服用して関係を持った。しかし心臓の発作を起こし、駆け付けた ウスの眼前で息を引き取った。
山を降りたウスは金沢へ行き、馬で散歩している豪姫を木陰から覗き見た。豪姫は狼藉者の襲撃を受け、刀を抜いて反撃する。しばらく 様子を見ていたウスは、ゆっくりと近寄って狼藉者を蹴散らした。豪姫はウスを客人として屋敷に招いた。彼女は家族と切り離され、老僕 と2人で暮らしていた。義弟・前田利常と会った豪姫は、一人で出歩いたことを「無用心すぎる」と責められた。
豪姫は「一人フラフラ起きて、寝て、永らえて、来る日も来る日もそれだけ。他に何のしようがある。今日など狼藉にあって久方ぶりに胸 に残る日であったわ」と、平然とした態度で利常に告げた。「徳川の目もうるさい」と利常は気遣いを求めるが、徳川の顔色を窺わねば ならぬ生活に豪姫は辟易していた。豪姫から客人用の小屋に住むよう求められたウスは、断って立ち去ろうとする。すると豪姫は「住めと 言うておる。頼む」と声を荒げて引き止めた。
徳川家の茶の指南役となった織部は、家康に「物作りは何かに付けて熱中する。しかも頑固で身勝手になる者が多い。茶の湯者も用心せん とな。利休なんかもそうじゃろう、どうじゃ?」と尋ねられ、「物を作る楽しみは、新しき世を見出すことです。新しきものはその価値が 推し量れませぬゆえ、正統な評価も下されるまま、身勝手と思われることもありましょう」と答えた。
家康が「茶道具の名品は既にある。その価値を損なわぬよう活かすのがそちの役目ではないのか」と言うと、織部は「いかにも、仰せの 通りにございます。さりながら名物は名物として等しく価値を認めながらも、新しきものを作る喜びを打ち消すことも出来ませぬ。それが 自然の摂理ではございませんか」と述べた。家康は「キリシタンは自然の摂理という言葉をよく使う。キリシタンではないのなら、摂理 などという言葉を使うな。キリシタンは病じゃ。武士は健康が第一じゃ」と口にした。
キリシタンの排除を目指す家康は、京都所司代・板倉勝重から「右近などが立ち上がれば、集結したキリシタンの勢力は徳川を凌ぐかも しれません」と報告を受けた。「キリシタンを禁じて貿易に支障は無いか」という家康の質問に、板倉は「全て幕府が掌中に致しました」 と答える。家康は「では、そろそろ右近を動かすか」と言った後、「織部はどうするかな」と問い掛けた。「織部殿は右近殿の義兄であり 、ご子息の一人が大阪方でございますが、武将としての力量は取るに足らぬ者と思いますが」と語る板倉に、家康は「織部の茶の湯は不惑 なところがある。ワシの世にふさわしいものと思うか?」と言い、同様に排除すべきだという考えを示した。
豪姫の元に、八丈島の秀家から1年ぶりに荷物が届いた。その中には息子たちの絵日記や木の実が入っていた。豪姫はウスの小屋へ行き、 茶会を催す考えを口にした。招く客は織部、右近、忠興の3人だ。翌日、彼女は右近の元を訪れ、明春の桜の頃に茶会を開きたいと告げる 。しかし右近は家康から命じられた長崎行きが決まっており、茶会には行けそうもないという。
豪姫は織部への手紙を書き、それを届けるようウスに頼んだ。ウスは手紙を届け、久しぶりに織部と会った。織部は手紙を持って忠興を 訪ねた。すると忠興は「将軍家御茶道役ともあろう織部殿が、よもや軽はずみなことはなさるまいな」と、茶会への出席を断るよう説いた 。家康は板倉から、右近の船を沈める計画は失敗したとの報告を受けた。船はルソンへ向かったという。
板倉から織部が豪姫の茶会へ出席することを告げられた家康は、「あやつは何を考えておるのじゃ」と怒りを露にした。織部は茶会に出席 し、豪姫としばし語らった。織部が茶会を終えて去ろうとすると、板倉の配下が待ち受けており、捕らえに来たことを告げた。織部の重臣 である木村宗喜が、謀反を企んだとして捕まったのだ。織部も豊臣方との内通を疑われ、閉門を命じられた…。

監督は勅使河原宏、原作は冨士正晴、脚本は赤瀬川原平&勅使河原宏、製作は奥山和由&磯邊律男&小田久栄門&勅使河原宏、 プロデューサーは杉崎重美&西岡善信&野村紀子、撮影は森田冨士郎、編集は谷口登司夫、録音は瀬川徹夫、照明は中岡源権、美術は 西岡善信、音楽は武満徹。
出演は仲代達矢、宮沢りえ、三國連太郎、松本幸四郎(九代目)、永澤俊矢、笈田勝弘(現・笈田ヨシ)、井川比佐志、すまけい、 真野響子、山本圭、別所哲也、江波杏子、花澤徳衛、名古屋章、川津祐介、植野葉子ら。


冨士正晴の時代小説『たんぽぽの歌』(この映画に合わせて『豪姫』と改題)を基にした作品。勅使河原宏監督は『利休』に続いて、今回 は利休の高弟である古田織部を取り上げている。
元々、彼は千利休、古田織部、本阿弥光悦(書家だが、茶道にも携わっている)という茶人三部作を構想していたらしい。しかし光悦の 映画を作る前に亡くなり、これが遺作となった。
織部を仲代達矢、豪姫を宮沢りえ、ジュンサイを三國連太郎、右近を松本幸四郎(九代目)、ウスを永澤俊矢、家康を井川比佐志、氏郷を すまけい、秀吉を笈田勝弘、お吟を真野響子、忠興を山本圭、利常を別所哲也、板倉を川津祐介、遊女を植野葉子が演じている。
永澤俊矢はファッションモデル出身で、これが俳優デビュー。
脚本は『利休』と同じく勅使河原監督と赤瀬川原平の共同。

『利休』に出演していた複数の俳優が、今回は別の役で登場する。
例えば三國連太郎は『利休』では利休、今回はジュンサイ。松本幸四郎は『利休』では信長で、今回は高山右近。井川比佐志は『利休』 では山上宗二で、今回は家康。
で、『利休』では秀吉や家康、織部や忠興、右近といった人物を別の俳優が演じていて、『利休』の流れで観賞すると、ちょっと混乱して しまう。
あと、冒頭で「家康の毒殺を断ったせいで利休が殺された」という噂について織部が告げると、秀吉が「毒殺などはワシの性分に合わん」 と怒っているんだけど、『利休』では毒殺を命じているんだよね。
そこの繋がりは無いことにしておくべきなんだろうな。
まあ、その辺りは、こっちが本作品を勝手に『利休』の続編的なモノとして捉えたのが悪いんだけどね。

豪姫が登場した途端、いきなり画面が安っぽくなる。
冒頭の笈田勝弘(ヨシ笈田)の台詞回しも何となく引っ掛かるところはあるんだが、しかし少なくとも重厚なイメージはあった。
宮沢りえの芝居は、軽いんだよね。戦国の時代言葉も、まるで口に馴染んでいない。
いわば「喋らなければ、いい女」という感じかな。
あと、あの爆発したヘアスタイルはアリなんだろうか。
ドリフのコントのオチで爆発したみたいになってるぞ。

生首を奪った後、役人に追われて逃走した豪姫とウスは、高い塀をジャンプで飛び越える。
ウスはともかく豪姫まで、それほどまでに運動能力が高い設定なのか。
で、ウスが生首を持って行くとお吟は「私は利休の娘ではありません」と言って自害するが、「娘じゃないから自刃した」という理屈は、 ちょっと意味が分からない。娘だったとしても、父の生首を見せられたらショックだろうし。
しかも事前に「生首です」と言われていたらともかく、箱を開けたら生首だもんな。
どっちにしても、豪姫がウスに命じて生首を持って行かせた行為は、デリカシーのかけらも無いと感じる。

刺客に襲われたウスを、豪姫は自分のさらしを切って介抱する。 「体を奪われて、男勝りの姫様がすっかりメロメロになっちまったってことか。田嶋陽子さんが見たら青筋立てて激怒しそうな映画だな」 と思っていたら、そういうわけでもないらしい。
豪姫は「ウスがここを通るのも知らなかった知っていたら俺が追っ手を差し向けていたかもしれんわ。気が変わったのは三成が追っ手を 差し向けていると知ってからのこと」と言い出している。
豪姫は「ウスを殺して口を塞ごうというのも、元はと言えば利休の首のこと。本来ならば俺を狙うべき。ウスが哀れになり、愛しいものの ようにさえ思えた」と語るのだが、この辺りの感覚が良く分からない。
むしろ「手篭めにされてメロメロになった」という方が、女性蔑視かもしれないし、個人的にはバカバカしいとも思うが、ただし 分かりやすいことは分かりやすいんだよな。

『利休』では経緯の省略が多く、「いつの間にか出来事が終わっている」という箇所が何度もあったが、それは今回も同様だ。
知らない内に秀吉が死んでいるし、いつの間にか豪姫が結婚していて、いつの間にか関ヶ原の合戦があって、いつの間にか豪姫は加賀に 移っている。
ウスが狼藉者を追い払った後、豪姫が「もう四十路の婆さんになる」と言うので、「いつの間にそんなに歳月が経過していたのか」と驚く 。
そりゃあ季節の変化が描写されるカットはあったけど、数十年が経過したことは全く分からなかったぞ。

最初に秀吉と織部の会話があって、この2人の関係が軸になるのかと思ったら、豪姫が登場する。
なんせタイトルが『豪姫』なのだから、豪姫が主役で織部との関係が描かれて行くのかと思いきや、今度はウスという男が登場して くる。
では、その3人の関係が描かれるのかと思いきや、ウスは山へ移り住んでジュンサイという老人と知り合う。
そこからしばらくは、その2人の話が描かれる。かなり長い間、豪姫は登場しない。織部もチラッと顔を見せた後、家康に茶を点てる シーンまでは消えている。

誰を中心に据えたいのか、何をどう描きたいのか、サッパリ分からない。
群像劇、集団ドラマというわけではない。話の焦点が定まらず、最初から最後までボンヤリしたままだ。
主役の移動ってのは、よほど上手くやれば面白くなるのかもしれんが、それが成功している作品は、あまり多くないように思う。
どうやら原作でも「織部が主役」「豪姫が主役」とカッチリ決まっていたわけではないようだが、原作がどうであれ、中心をカッチリと 決められなかったことは失敗だろう。

山を降りたウスは豪姫を覗き見るが、男たちに襲われているのに、全く助けに行こうともしない。
で、反撃しているのを近くまで行ってゆっくり眺め、それから、ようやく狼藉者を斬る。
そこでのウスの感覚はサッパリ理解できない。
『利休』もそうだったが、今回も登場人物の心情がほとんど見えない。
勅使河原監督には、人間の中身を描き出そうという意識が欠如しているのだろう。

織部と家康の関係が悪化して行く経緯もまるで見えない。家康が織部を嫌う理由も伝わらないし。
家康が登場すると、既に織部との関係は悪くなっているのよね。
豪姫の気力が失われて行く経緯も描かれていない。その境遇、心情についても、たった1度、セリフで簡単に説明されるだけ。
とにかく心情の移り変わり、人間関係の移り変わり、そういう経緯、流れというものが全く描かれていない。
ウスにしても、「山で一度死んで、ただ生きているだけの人間」という位置付けのようだが、そういう「事情があって空虚な気持ちを 抱えるようになってしまった男」ということがまるで伝わらない。ただ単に「中身の無いキャラクター」でしかない。

監督が最も描きたかったはずの織部と、タイトルになっている豪姫の関係は、序盤の後は、終盤まで全く描かれない。
終盤まで会わないし、会わない中で互いに相手のことを考えるわけでもない。
そもそも中盤は全く出番が無いのだから、そうなるのも当然だ。
っていうか、織部を描きたかったはずなのに、その織部もろくに描けていないぞ。
「織部が切腹を拒否し、使者と戦って死ぬ」というところへ至る流れ、そこでのドラマ的な盛り上がりも皆無だし。

(観賞日:2010年4月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会