『ゴルゴ13』:1973、日本

マックス・ボアの率いる国際的犯罪シンジケートは情報部員のエバンスを捕まえ、情報を吐かせようとする。しかし一味の暴行を受けたエバンスは、舌を噛み切って自殺した。某国の秘密警察が送り込んだ人員が消されるのは、これで4人目だった。ジョンソンは自ら乗り込もうと考えるが、リチャード・フラナガン部長から「我々はマックス・ボア逮捕の任務を解かれた」と告げられる。「やっとイランにいることを突き止めた。こんなチャンスは二度とありません」とジョンソンは訴えるが、フラナガンは「イランで逮捕することは出来ない。主権の侵害で国際問題になる」と説明する。
「犯罪人の引き渡し条約があるはずです」とジョンソンが言うと、フラナガンは「正面から引き渡しを要求すれば、イランの警察が乗り出してきて本国へ送還され、裁判に掛けられて釈放される。奴は政府にとって大事なスポンサーだからな」と語る。「そこまで分かっておられて、なぜ部下たちを犬死させたんです」とジョンソンが声を荒らげると、彼は「仇は撃つ。マックス・ボアを暗殺するんだ」と口にした。フラナガンは狙撃屋のゴルゴ13と連絡を取り、ホテルで会うことにした。
ゴルゴがホテルの部屋に現れると、フラナガンは資料を渡して仕事を説明する。ボアの素顔は誰も知らず、彼を名乗る人物だけでも大勢いた。フラナガンはボアの組織が動いた国で美貌の若い女性が行方不明になっていること、自分の娘も含まれていることを明かす。資料を読んだゴルゴはフラナガンの素性を確認し、ボアの暗殺を引き受けた。フラナガンは秘書のキャサリンを、ゴルゴの助手として同行させることにした。
キャサリンはテヘラン大学に留学していたことをゴルゴに話し、夫婦の新婚旅行としてイランへ行く手筈を説明した。ゴルゴはキャサリンに誘われ、彼女を抱く。翌朝、キャサリンが目を覚ますとゴルゴは姿を消していた。ゴルゴはテヘランへ赴き、探偵のエグバリと連絡を取った。彼はデューク東郷の名で予約したシェラトンホテルにチェックインし、最上階の部屋に入る。彼は届いている荷物を開き、機関銃を組み立てた。
同じ頃、テヘラン警察のアマンは妻であるシーラの訪問を受けていた。アマンは一週間も家に帰らず、わずか半月で20人の女性が行方不明になっている事件を捜査していた。身代金の要求は無く、犯人の目的は不明だった。シーラは夜にパプリカという店で落ち合う約束をして、警察署を出た。しかし夜になっとてパプリカを訪れたシーラは、ボアの手下たちに車で拉致された。ゴルゴはシーラが連れ去られる様子を見ていたが、彼女が落としたコートを一瞥して去ろうとする。駆け付けたアマンから「このコートの持ち主を見なかったか」と問われた彼は、首を横に振って立ち去った。
次の日、ゴルゴはエグバリと会い、ボアの居所を尋ねる。エグバリは助手に使ってた男が殺されたこと、シエラ座のクラブのマネージャーと会っていたことを話す。そのマネージャーはワインという通称で呼ばれており、暗黒街に顔の売れた情報屋だった。その夜にエグバリのホテルを訪れたゴルゴは、彼の死体を発見する。ゴルゴは部屋にあったメモ用紙から、「マックス・ボアは小鳥を可愛がっている」という情報を得た。ホテルの女に殺害犯と誤解されたゴルゴは警察を呼ばれ、窓から逃亡した。
ゴルゴはシエラ座のクラブでワインと接触し、ボアの居所を訪ねる。脅しを受けたワインは、ワインはオールドタウンにアジトがあるという情報を教える。ゴルゴは店を出ると見せ掛け、電話ボックスを張り込んだ。するとワインが現れ、ボアの側近であるワルターに電話を掛けた。「ミスター・ボアを狙っている男がいます。そいつは世界トップクラスの殺し屋です。その男は東洋人で」と告げたところで、ワインはゴルゴに殺害された。
ゴルゴがホテルへ戻ると、キャサリンがベッドで待ち受けていた。「私たちにも情報網があるわ」と言った後、彼女は冷淡な態度を取るゴルゴに「貴方にとって私は邪魔者でしかない」と漏らした。しかしゴルゴが背中を向けていることに気付いた彼女は、「私を女として認めてくれたのね」と喜んだ。一方、エグバリの事件を捜査していたアマンは、シェラトンホテルに東洋人が泊まっているという情報を得た。ドアがノックされたためにゴルゴは非常階段から逃走し、アマンはキャサリンを警察署へ連行した。
ワルターはワインが殺されたことをボアに知らせ、「もし私がそいつの思っている男だとすれば」と注意するよう勧告した。そこでボアは、パリから殺し屋のサイモンとダグラスを呼ぶことにした。サイモンとダグラスの訪問を受けたワルターは、敵の正体を調査中なので明日まで待ってほしいと求めた。ワルターはオールドタウンのアジトへ出向き、16人の女が集められていることを手下から聞いた。ゴルゴはオールドタウンを張り込み、小鳥を肩に乗せて出て来た男を銃殺した。
すぐに組織の連中が現れ、ゴルゴは捕まって拷問を受ける。ワルターは彼を尋問し、ボアの替え玉だと分かった上で男を殺したのだと知る。一方、警察には女を拉致しようとした男が連行されていた。アマンは男に暴力を振るい、女たちの隠し場所を吐くよう要求した。ボアはワルターに電話を掛けて部下がテヘラン警察に捕まったことを教え、女たちを予定の場所へ移すよう命じた。一味が女たちを移送している間に、ゴルゴは拘束を解いて見張りの男を始末した。ワルターはゴルゴの銃弾を浴び、死の間際に相手の名を知った。
アマンは捕まえた男にボアの名を白状させ、イスファハンにいることも聞き出した。釈放されたキャサリンは、アマンたちを尾行した。ゴルゴはイスファハンへ向かう途中、一味が地雷を埋める現場を目撃した。アマンはキャサリンの尾行に気付き、自分たちの車に乗せた。張り込んでいたゴルゴは、アマンたちの車が走って来るのを目にする。ゴルゴは前方を狙撃して地雷を起動させ、罠の存在を教えた。その場から逃亡したゴルゴは、一味に車2台の襲われる。しかしカーチェイスの末、2台とも炎上させる。
休憩しようとしたゴルゴはサイモンの発砲を受け、すぐに反撃した。サイモンは降伏したと見せ掛け、義足に仕込んだ銃で殺そうとする。しかしゴルゴには通用せず、あえなく息の根を止められた。ゴルゴはサイモンの所持品を調べ、ホテル・シャーバスのマッチを発見する。そこに現れたアマンは、殺人の現行犯でゴルゴを逮捕しようとする。しかしキャサリンがアマンの拳銃を奪って脅し、ゴルゴと共に逃走する。ゴルゴはキャサリンを車から降ろし、ホテル・シャーバスへ向かう…。

監督は佐藤純弥(佐藤純彌)、原作は さいとう・たかを&さいとう・プロダクション(ビッグコミック連載 小学館刊)、脚本は さいとう・たかを&K・元美津、企画は吉峰甲子夫&矢部恒&寺西國光(国光は間違い)&坂上順、撮影は飯村雅彦、録音は広上益弘、照明は梅谷茂、美術は藤田博、編集は田中修、助監督は深町秀煕&福湯通夫、疑斗は日尾孝司、音楽は木下忠司。
出演は高倉健、モーセン・ソーラビィ、プリ・バナイ、ノースラト・キャリミィ、ガタキ・チャン、ジャレ・サム、シーランダミ、ジャラル、アレズー、アトラシィ、アーラッシュ、アサザデ、ラメザニ、ゴルジー、レザー、マシンチャン、アラヒョリ、カルメン、バハロム、サガール、アリ・デヒガン、ナセル、モクタリ他。
声の出演は山田康雄、平井道子、富田耕生、真木恭介、北浜晴子、森山周一郎、渡辺猛(渡部猛)、柴田秀勝、原田一夫、和田文夫、火野捷子、肝付兼太、兼本新吾、村越伊知郎、辻村真人。


さいとう・たかを&さいとう・プロダクションによる同名劇画を基にした作品。
監督は『実録 私設銀座警察』『実録安藤組 襲撃篇』の佐藤純彌。
原作者であるさいとう・たかを先生が、さいとうプロのシナリオライターであるK・元美津と共に脚本を手掛けている。
ゴルゴを高倉健、アマンをモーセン・ソーラビィ、キャサリンをプリ・バナイ、フラナガンをノースラト・キャリミィ、ボアをガタキ・チャン、シーラをジャレ サム、ワルターをシーランダミ、ダグラスをジャラル、イボンヌをアレズーが演じている。

さいとう・たかを先生は東映から映画化を持ち掛けられた時、本当は断るつもりだったらしい。
そこで「絶対に無理な条件を付ければ断念するだろう」と考え、「主演は高倉健で、オール海外ロケ」という要求を出した。
ところが東映が条件を飲んだために断ることが出来なくなり、実写映画化される運びとなった。
全編に渡ってイランでロケーションが行われており、イラン政府が製作に協力している。
銃撃戦やカーチェイスが普通に撮影されているのは、今のイランという国を考えると有り得ない。ただ、当時はパーレビ体制の時代なので、自由な風潮があったのだ。
1979年2月にイラン革命が勃発し、この国は大きく変化することになった。

そもそも高倉健はデューク東郷のモデルになった人なので、本来ならば「ピッタリのキャスティング」と言えるはずだ。 しかし、実際に観賞すれば多くの人々が感じるだろうが、高倉健の演じるデューク東郷には違和感しか抱かない。
やはりデューク東郷ってのは劇画だからこそ成立するキャラクターであり、実写化には向いていないのだ。
「高倉健だからミスキャスト」という問題ではなくて、誰が演じたとしても無理があるってことなのだ。

ただ、そんなのは企画の段階で何となく分かることだろうし、だから「なぜ高倉健がコミック映画の主役を引き受けたのか」ってのは少し疑問が生じる部分ではある。
ただ、当時の高倉健は「ヤクザ役」のイメージからの脱却を目指していた時期だったのだ。
任侠映画のスターとして人気を得た高倉健だが、その固定イメージを望ましく思っていなかった。また、東映が実録任侠路線を打ち出し、高倉健の居場所は微妙なことになっていた時期でもあった。
そういう事情があったからこそ生まれた珍品と言えるのかもしれない。

「イランでのロケーション」ってのは珍しいことだし、それは一つのセールスポイントになると言ってもいいだろう。
ただし本作品は、それと引き換えに「高倉健以外に日本人キャストが登場しない」という大きなデメリットを背負ってしまった。
もちろん当時の高倉健は大人気の映画スターだから、彼が主演しているだけでも観客を呼ぶ力は充分に期待できる。
しかし、それまで彼が主演していた任侠映画であれば、脇を固める男優やヒロイン女優たちにも一定の訴求力が期待できたわけで。
海外の俳優に訴求力が望めれば問題は無いが、何しろイランの役者たちなので、「誰だよ」と言いたくなるようなメンツしか見当たらない。

イラン人俳優のセリフは、全て日本語吹き替えになっている。
アランを山田康雄、キャサリンを平井道子、ボアを富田耕生、フラナガンを真木恭介、シーラを北浜晴子、ワルターを森山周一郎といった声優陣が担当し、イラン人なのに日本語を喋る形になっている。
それが陳腐であることは否定できないが、当時の日本映画では「外国人俳優のセリフは日本語吹き替え」ってのが標準だったのだ。
ただし、そこに「高倉健」「ゴルゴ13」という2つの要素が乗ることで、ますますバカバカしくなっていることは否めない。

さいとう・たかを先生がK・元美津と共に脚本を手掛けているんだから、物語としては原作のイメージに沿った内容になっているはずだと思うかもしれない。
しかし、佐藤純彌が完成したシナリオ通りに撮影しなかったため、さいとう・たかを先生の望んだ仕上がりとは大きく違っているらしい。
佐藤純彌は東映ヤクザ映画を手掛けてきた人だし、疑斗の担当は当然のことながら東映の日尾孝司だ。そんなわけで、この作品は何となく東映ヤクザ映画のノリを感じさせる仕上がりになっている。
木下忠司は東映ヤクザ映画ばかりを手掛けてきた人じゃないけど、そっち寄りの伴奏音楽になっている。少なくとも、『ゴルゴ13』っぽさは無い。
でも、この映画の雰囲気や内容にはマッチしているから、伴奏音楽としては正解なのよね。

もはや大枠の時点でシオシオのパーなので、細かいことを気にしても仕方が無いのだが、とりあえず幾つかのポイントには軽く触れておくとしよう。
まず序盤、フラナガンは仲間を殺されて激しく憤るジョンソンに対し、「こういう事情でボアの逮捕は難しい」ってことを落ち着き払った態度で説明する。ところがゴルゴと会った時には、自分の娘がボアに誘拐されていることを話す。
そういう事情があるなら、むしろダグラスより感情的になるべきじゃないのか。そのことを話す時でさえ、あまり感情的になっていないのよね。
これは役者の演技が稚拙ってのもあるし、吹き替えが淡々としているってのも影響している。

キャサリンは「もし貴方が私を抱かなかったために、何かの失敗が起こったら」と言い、ゴルゴに自分を抱くよう迫る。そこでゴルゴは彼女を抱き、翌朝には姿を消す。
ゴルゴが簡単に女を抱くのは、決して間違った描写ではない。
ただ、そこの流れる音楽によって、まるでメロドラマ的な雰囲気が漂ってしまうのは大きなマイナス。
それ以降も、やたらと恋愛劇っぽく描いているので、まるで「ゴルゴはクールに振る舞うが、実はキャサリンに少なからず好意を抱いている」って感じになっているのよね。それは違うわ。

ボアの側近であるワルターは盲目で、パリから呼び寄せた殺し屋のサイモンは右脚を引きずっている。
裏社会の人間が五体満足じゃなきゃダメってわけではないが、凄腕の狙撃屋であるゴルゴと対決する立場にある人間が身体に障害を背負っているってのは、なかなか厳しいモノがある。
ワルターは暗闇の中でゴルゴと対峙し、「闇の中じゃあ目の見えねえ俺の方が有利のようだな」と言っているので、一応は「ハンデがあるからこそ優位に立てる」という状況は用意している。だけど、ちっとも有利な立場には感じない。
彼を盲目キャラにしている意味が他に無いだけに、雑な片付け方だなあと感じる。

それでも意味を持たせているだけマシな方で、サイモンに至っては「右脚を引きずっている」というキャラ設定が単なる弱点でしかない。
「義足に銃を仕込んでいる」という設定があり、その隠していた銃でゴルゴを殺そうとする展開は用意されている。だから全く意味の無い設定というわけではないんだけど、ハンデの方がデカいでしょ。
サイモンは「ゴルゴ13は丸腰の男は撃たねえって聞いたぜ」と言っており、「丸腰と思わせて油断しているトコを狙う」という仕掛けに使っているけど、まるで機能していないし。
そもそもゴルゴって、相手が義足でも全く油断したり手加減したりしない男だからね。「油断させようとしたけど、ゴルゴには通用しなかった」ってのを上手く見せていれば義足の設定に大きな意味が生じた可能性はあるけど、すんげえ雑に片付けているのでね。

ゴルゴが来ることを知ったボアは、ホテルの中庭に複数の影武者を用意し、同じテーブルを囲んで座る。
本物が誰か分からなくしているんだけど、そもそも1人の影武者だけを小鳥と一緒に遊ばせておいてテメエは姿を隠していれば、そいつを撃ち殺したゴルゴが仕事を遂行したと思い込む可能性が高いでしょうに。
大勢の影武者と一緒に自分も並んだら、殺されるリスクはあるでしょうに。
しかも、下手をするとゴルゴに全員が殺される恐れだってあるわけで、アホ満開の作戦だ。

ゴルゴは「影武者も本物も、まとめて皆殺し」という野蛮な方法を取らず、駕籠を狙撃して小鳥を外へ出す。
その小鳥が肩に乗った男が本物のボアだと見抜き、そいつだけを狙撃の対象にする。
ところがダグラスに発見されて発砲を受け、逃げ出す羽目になる。
情けないヘマと言わざるを得ないんだけど、それは「ボアがゴルゴダの丘に拉致した女たちを立たせ、出て来ないと一人ずつ殺すとゴルゴを脅す」という展開に繋げるためだ。

ゴルゴは女を人質に取られたからと言って降伏するような人間じゃないので、もちろん一味の要求に応じることは無い。キャサリンを殺すと脅されても、それは変わらない。
ただ、出て行くことは無いものの、何となく苦悩や逡巡が見えちゃうのは「そんなキャラじゃないはずだろ」と言いたくなる。
っていうかさ、そもそもゴルゴって、丘に行く必要が全く無いんだよね。ゴルゴの目的は「ボアを殺す」ってことであって、その場に彼はいないんだから。
「女を人質に去られても降伏しない非情なゴルゴ」ってのを見せたかったんだろうけど、中庭の一件も含めて、終盤におけるゴルゴの行動はボンクラ度数が高まっている。

ひょっとすると「バカ映画として楽しめるんだろう」「カルト映画としての面白さがあるんだろう」と思っている人がいるかもしれないが、そっち方面の期待を高く持つのはオススメしない。
この作品で何よりも残念なのは、実は「みんなが真面目にやっているマヌケな映画」としての質が高くないことなのだ。
普通の映画としては出来栄えが悪くても、おバカな映画として楽しめれば、それはそれで価値があると言ってもいいだろう。
でも、ちっとも笑えるトコが見当たらないし、ツッコミを入れながら楽しむという観賞方法にも向いていない。単純に、ただ出来が悪いだけの映画なのよね。

(観賞日:2016年8月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会