『極道大戦争』:2015、日本
神浦組組長の神浦玄洋は、かつて対立する羅漢幸雄の元へ殴り込んだことがあった。羅漢と手下たちに日本刀で斬られ、銃弾を浴びた彼は深手を負うが、死ぬことは無かった。神浦は羅漢たちを始末した後、情婦のアパートへ赴いた。情婦が慌てて抱き止めると、神浦は彼女の首筋に噛み付いて血を吸った。そして現在、神浦は昔気質のヤクザとして、毘沙門仲通り商店街の人々に慕われている。三下の影山亜喜良は、そんな彼に憧れを抱いている。
神浦は若頭の膳場壮介や組員の荒鉄英明、安粕昭二といった面々を率いて、阿南杏子という女が輪姦されている現場へ乗り込んだ。神浦は現場にいたヤクザたちを叩きのめし、杏子を入院させて費用を全て支払った。高校生の伊沢マサルは、商売が上手く行かずに多額の負債を抱えた父に自分を殺してほしいと頼む。伊沢は覚悟を決めてマサルを殺そうとするが、そこへ神浦が現れた。彼は伊沢に大金を渡し、その場を後にした。
神浦は影山を伴い、法眼という男が営む居酒屋へ出掛ける。神浦は影山を待たせたまま、店の地下へ移動する。地下には編み物教室があり、ヤクザたちが毛糸を編んでいる。法眼はヤクザを更生させるため、下駄で足を踏んでも耐える修業を積ませている。神浦は影山の素質を確かめるため、内緒で血を飲ませる。影山は敏感肌で刺青を彫ることが出来ないが、兄貴分たちは彼を快く思っていない。影山は向こう岸の柄谷組に絡まれた博打狂いの教師を助けるが、それも「ケツを拭くのは誰だと思ってる」と兄貴分たちに怒鳴られた。膳場は神浦に「話を付けて来ますよ」と告げ、荒鉄たちを連れて出掛けた。
神浦は商店街で伊沢親子と出会い、歩きながら会話を交わす。そこへ伴天連という男が現れると、神浦は「組織に戻る気は無い。組織とは縁を切った。俺はヤクザとして自由に生きてる」と告げる。伴天連は殺し屋の狂犬に神浦を襲わせ、伊沢親子に銃弾を浴びせた。杏子の見舞いに出掛けていた影山は、神浦の危機を察知して現場に駆け付けた。影山は狂犬に殴り掛かるが、まるで歯が立たなかった。神浦は伴天連の持参した特殊な武器で撃たれ、狂犬に首を捻じ切られた。
影山は意識が薄れる中、膳場が伴天連と話している姿を目にした。影山は伴天連に撃たれるが、死ななかった。神浦の生首は「我が血を受け継いで、ヤクザヴァンパイアの道を行け」と影山に告げ、首筋に噛み付いた。すると影山の肉体に変化が生じ、背中には神浦と同じ刺青が浮かび上がった。膳場や荒鉄、伴天連たちが居酒屋へ行くと、法眼は不在だった。伴天連は膳場と荒鉄に編み物教室のヤクザを見せ、「こいつらの血が神浦の餌だ」と述べた。
伴天連と同じ組織のガータローが居酒屋へ現れ、「彼が来る。世界最強のテロリストだ」と告げる。伴天連は困惑し、「その必要が無いように狂犬を連れて来たのに」と漏らす。神浦を始末したのに町へ来る理由を膳場が尋ねると、ガータローは分からないと告げる。その上で彼は、「覚醒する前に始末せんと、厄介なことになるで」と忠告した。影山はカタギの長谷川夫婦に暴力を振るっていた兄貴分3人を目撃し、銃弾を浴びた。しかし彼は死なず、3人を始末した。
喉の渇きを感じた影山は長谷川に噛み付き、妻に非難されて自殺しようとした。すると長谷川がヤクザヴァンパイアとなって蘇り、妻の首筋に噛み付いた。長谷川夫婦は通り掛かった知り合いの女子高生に襲い掛かり、彼女もヤクザヴァンパイアになった。病院へ赴いた影山は、看護婦にも噛み付いてしまった。法眼は影山に、ヤクザヴァンパイアとしての注意事項を説明した。彼は神浦から託されていた封筒を渡すが、影山が中を確認すると白紙が入っているだけだった。
影山は父を亡くしたマサルの元へ行き、「敵を討ちたくねえか?」と問い掛けた。影山が首筋に噛み付いて血を吸うと、マサルの頭髪はパンチパーマに変貌した。長谷川夫婦に噛まれた女子高生は賭場が開き、安粕や荒鉄たちが乗り込んだ。すると女子高生も賭場の客も全く怯まず、ヤクザのような態度を取った。賭場の面々は水漏れのような音を耳にするが、それは膳場の頭の中で鳴っていた。安粕や荒鉄たちが外へ出ると、カタギの面々が次々にヤクザ化していた。
荒鉄はカタギがいなくなることへの危機感を抱くが、膳場は脳が溶け始めており、それどころではなかった。影山は組事務所へ乗り込み、膳場を始末しようとする。そこへ伴天連と狂犬が現れ、荒鉄たちは膳場を逃がした。狂犬は影山に襲い掛かるが、人間離れしたパワーに押されて驚愕した。伴天連は「マズいな、覚醒するか」と呟き、特殊な武器を構えた。法眼は事務所に乗り込み、影山を連れて逃走した。影山が手紙を取り出すが、イカ臭いと感じる。法眼は彼に、火で紙を炙るよう指示した。影山が紙を炙ると、「愚直であれ」という言葉が浮かび上がった。一方、伴天連たちの元には、最強のテロリストであるKAERUくんが現れた…。監督は三池崇史、脚本は山口義高、製作総指揮は佐藤直樹、製作は由里敬三&藤岡修&久保忠佳&奥野敏聡、エグゼクティブプロデューサーは田中正&永田芳弘、企画は千葉善紀、プロデューサーは増田真一郎&西村信次郎&坂美佐子、ラインプロデューサーは今井朝幸、アソシエイトプロデューサーは深津智男、撮影は神田創、照明は渡部嘉、美術は坂本朗、録音は中村淳、 編集は山下健治、スタントコーディネーターは辻井啓伺&出口正義、VFXスーパーバイザーは太田垣香織、音楽は遠藤浩二。
主題歌『Bite』KNOCK OUT MONKEY 作詞:w-shun、作曲:KNOCK OUT MONKEY。
出演は市原隼人、成海璃子、高島礼子、リリー・フランキー、青柳翔、渋川清彦、三浦誠己、テイ龍進、ヤヤン・ルヒアン、三元雅芸、有薗芳記、優希美青、三津谷葉子、渡辺哲、ピエール瀧、でんでん、中村靖日、坂口茉琴、中村まこと、春木みさよ、泉澤祐希、森下能幸、内田慈、翁長夕貴、桜井ユキ、金子岳憲、佐久間麻由、フェルナンデス直行、黒石高大、森里一大、袴田健太、三河井武史、日向丈、龍坐、寺中寿之、村上和成、福本伸一、俵木藤汰、新納敏正、高橋征男、速見領、古川伴睦、加々美伸次、森羅万象、谷田奨悟、市川しんぺー他。
『悪の教典』『藁の楯 わらのたて』の三池崇史が監督を務めた作品。
脚本を務めた『アルカナ』『猫侍』の山口義高は、元々は三池組の助監督だった人だ。
影山を市原隼人、杏子を成海璃子、膳場を高島礼子、神浦をリリー・フランキー、安粕を青柳翔、荒鉄を渋川清彦、伴天連をテイ龍進、狂犬をヤヤン・ルヒアン、KAERUくんを三元雅芸、ガータローを有薗芳記、マサルを坂口茉琴が演じている。
他に、編み物教室で更生するヤクザを渡辺哲、羅漢をピエール瀧、法眼をでんでんが演じている。冒頭、神浦が羅漢組の連中に日本刀で斬られても、拳銃で撃たれても、不死身の姿を見せ付ける。
その後、彼が情婦の首筋に噛み付く展開が加わり、のっけから「神浦はヴァンパイア」「これはヤクザ物の範疇に収まるマトモな作品じゃない」ってことがハッキリと伝わってしまう。
それは「分かりやすい」とは言えるかもしれないが、サプライズの効果は失われる。
どっちを選択した方がメリットが大きいのかを考えた時に、そりゃあ間違いなくサプライズの方だ。映画の公開前に色々な情報が露出するから、その時点で「ヤクザヴァンパイアが出て来る」ってことを知ってしまう観客もいるだろう。
しかし、それを考慮しても、オープニングでいきなり「神浦がヴァンパイア」「マトモなヤクザ映画じゃない」ってことをハッキリと示すことが得策とは思えない。
それは影山が「神浦がヤクザヴァンパイアだった」と知って驚くのと同じタイミングで、観客に認識させる形にした方がいい。
せっかくタイトルが『極道大戦争』で、一応はヤクザ映画っぽい体裁も取っているんだから、「ヤクザ映画だと思っていたら、実際はキテレツな中身」という意外性の効果を最大限に活用しないのは勿体無いでしょ。この映画の構成には、大いに難がある。
まず序盤、杏子を拉致した連中の事務所へ神浦組が乗り込む際、当たり前のような顔で高島礼子が参加している。
そこについては、何の説明も無い。「女性だけどヤクザ組織の一員になっている」という設定なのかと思ったが、そうではなく「男の役を演じている」ってことのようだ。
だが、まだ本筋と言える「ヤクザヴァンパイアが云々」とう部分で何も話が進んでいない中で、それとは全く無関係のヘンテコな要素を登場させるのは、視点が無駄に散ってしまう。居酒屋の地下にある編み物教室で、法眼がヤクザの足を下駄で踏んで更生させようとしているシーンが登場するのも、これまた上手くない。
そういうシーンは、影山が「神浦はヤクザヴァンパイアだった」と認識し、その部分で少し展開を消化してから「実は居酒屋の地下で、こんなことをやっていました」という風に見せるべきだろう。
序盤から見せるだけでなく、影山が全く知らないトコで起きている出来事として描写するなんてのは、どう考えたってマズいでしょ。わざとなのかもしれないが、やたらと編集が粗いのは引っ掛かる。
例えば、神浦を助けに来た影山が襲われるシーン。
影山が撃たれた後、カットが切り替わると彼が這っている様子が写る。「撃たれて死んだはずなのに、なぜ普通に生きているのか」ってのは気になるが、そこを甘受するにしても、次のカットで「影山が神浦の生首を持ち上げる」となるのは、省略する部分が変じゃないかと。
だったら最初から、「影山が撃たれた後、カットが切り替わると彼が生首を持ち上げている」ってことにすればいいわけで。影山が神浦に噛み付かれるシーンの後、カットが切り替わると、立ち上がった彼が服を脱ぐ様子が写る。
ここも前述した箇所と同様で、カットする部分に違和感がある。まるでダイジェストのような状態になっちゃうんだよね。
ジャンプ・カットで独特の味を醸し出すとか、スピード感を狙うとか、そういうケースもあるとは思うのよ。でも、この映画の場合、単に「編集が雑っていうか変」という印象しか受けないわけで。その手の「変な感覚」は、まるで要らないわ。
神浦に噛み付かれた影山が立ち上がり、肉体に変化が生じて背中に刺青が浮かびあがるシーンなんかは、一連で見せた方が勢いが出るはずだし。映画開始から30分ほど経過した辺りで、河童のガータローというキャラクターが登場する。実際に河童っぽい特殊メイクを施しているのだ。
造形がチープなのは意図的だろうけど、それは問題じゃない。問題なのは、そんなクセの強いキャラを登場させてしまうことだ。
それは欲張り過ぎじゃないかと。
登場させるにしても、開始30分は早いわ。まだ「神浦がヤクザヴァンパイアだった」ってのが明らかにされた直後であり、そこの部分をもう少し進めてからにすべきだわ。
前述した高島礼子と同じで、無駄に目が散るのよ。ヴァンパイアと化した影山が敵と戦う展開を用意するのなら、それは「慕っていた親分を殺された復讐劇」として構築すべきだろう。
だが、それとは別に、「ヤクザ化したカタギの連中が増殖する」という現象があり、それは影山が長谷川を噛んだことが発端だ。
この問題に関して影山は、最初は罪悪感を見せているものの、すぐに「ヤクザ化した連中を率いて行動する」という状態に変化している。そして影山が彼らを率いて行動する以前に、ヤクザ化した連中の増殖によって膳場たちが追い込まれる状況が描かれている。
つまり観客が復讐劇に乗って行くための図式は、それがスタートする前から既に崩壊しているのである。主人公がヴァンパイアに変貌し、狂犬やKAERUくんと戦う展開に入ると、もはや膳場たちの存在もヤクザの設定も、ほぼ無意味になってしまう。
せっかくヤクザ物にヴァンパイアの要素を盛り込んでおきながら、肝心の「ヤクザ物」というフォーマットが完全に死んでしまうってのは、本末転倒でしょうに。
「KAERUくんはヤクザが嫌い」という設定もあるんだし、「ヤクザがヴァンパイア軍団と戦う」という図式にでもした方が良かったんじゃないのか。
例えば「本来はカタギの血を吸うのがヤクザだが、ホントに血を吸うヴァンパイアが出現し、ヤクザは成り行きでカタギを守るために戦う立場になる」という形にでもしてさ。っていうかさ、神浦が「かつて組織にいたが、そこを抜けた」という設定だったら、その組織はヴァンパイアの組織じゃないのかよ。
でも実際は、ヴァンパイア・ハンターである伴天連がいたり、キグルミのKAERUくんがいたり、河童のガータローがいたりと、まるで統一感が無いのよね。
どういう組織なのか、サッパり分からない。
見た目や特殊能力はバラバラでもいいけど、そこは「全員がヴァンパイア」という設定にしておいた方がいいんじゃないかと。影山が狂犬やKAERUくんと戦う時は、普通に人間の姿のままだし、普通の格闘アクションで戦っている。
だから、もはや彼がヴァンパイアに変貌したという設定さえ、ほぼ無意味になっている。
結局のところ、ヤクザ物のフォーマットも、ヴァンパイアの要素も、どっちも充分には活用されていない。
色んな要素を盛り込んで、その全てが中途半端に食い散らかされ、互いの要素を邪魔し合っているわけよ。イカれたパワーに満ち溢れていても、クセの強すぎるキャラクターを登場させても、そんなのは一向に構わない。
しかし、芯になる部分は、キッチリと整えておく必要がある。
そこも平気で壊しているから、どうしようもない仕上がりになるのだ。
っていうか、そもそも本作品は、ピカソの絵画のように「デッサンがあって、それを大胆に崩して」ということではなくて、ただデタラメな落書きなのよ。三池監督は本作品が公開される際に「サヨナラ、軟弱で退屈な日本映画」というコメントを口にしているんだけど、皮肉なことに、この映画も退屈なのよね。
こんだけキテレツにしているのに、メリハリが無くダラダラしているモンだから、そんなことになっちゃうのよ。
三池崇史監督の『DEAD OR ALIVE 犯罪者』がカルト映画として一部で高く評価されたのは、序盤からクレイジーなパワーはあるものの、一応は「犯罪映画」としての枠内に留まっていたモノが、残り5分になってから「なんじゃこりゃ」と感じさせるキテレツな展開を見せるからだ。
序盤からルール無用で暴れ回り、次から次へと思い付きのようにヘンテコなキャラやヘンテコな展開を羅列するだけでは、単なるデタラメなだけの映画になってしまうのだ。(観賞日:2016年4月10日)