『五条霊戦記//GOJOE』:2000、日本

平安時代末期、京都の五條橋では、平家武者が次々に“鬼”に襲われる事件が起きていた。破戒僧・武蔵坊弁慶は、夢の中で不動明王から「鬼を退治せよ」と告げられ、比叡山から大太刀“鬼切丸”を盗み出して五條橋へ向かうことにした。かつて童子を殺した弁慶を仏門に帰依させた阿闍梨の説得も、彼の耳には入らなかった。
五條橋の鬼の正体は、源氏の生き残りである遮那王だった。彼は影武者・芥子丸と僧兵・剛人を引き連れ、殺人を繰り返していた。遮那王は源氏再興のために近く奥州へ行き、少進坊の考えた名“源九郎義経”を名乗ることを決めていた。
平忠則と高僧・朱雀法眼は、鬼を倒すために苦毒丸らを五條橋へ向かわせた。だが、遮那王達の前には、まるで歯が立たなかった。そこに弁慶が姿を表すが、遮那王は攻撃せずに立ち去った。しかし遮那王は、弁慶の気の強さを感じ取っていた。
弁慶は刀鍛冶の鉄吉に案内させ、遮那王が潜む逢魔ヶ森へ足を踏み入れる。だが、遮那王の気に苦しめられた弁慶は、検非違使に捕まってしまう。忠則と朱雀法眼は、弁慶と彼を敵視する湛塊を囮にして、鬼をおびき出そうとする。だが、そこに現れた遮那王と芥子丸、剛人は、忠則の軍勢と湛塊の一味を全滅させて姿を消した…。

監督は石井聰亙、原案は石井聰亙&大崎裕伸&諏訪敦彦、脚本は中島吾郎&石井聰亙、プロデューサーは仙頭武則、撮影監督は渡部眞、編集は掛須秀一、録音は小原善哉、美術監督は磯見俊裕、美術デザイナーは郡司英雄、衣裳は二宮義夫、殺陣は中瀬博文、ビジュアルエフェクトスーパーバイザーは古賀信明、サウンドエフェクトデザインは今野康之、音楽は小野川浩幸、ミュージック・スーパーバイザーは大川正義。
出演は隆大介、浅野忠信、永瀬正敏、岸部一徳、國村隼、勅使川原三郎、光石研、船木誠勝、城明男、鄭義信、成田浬、細山田隆人、粟田麗、美加理、内藤武敏、高橋隆大、浅田修生、張春祥、森羅万象、田中要次、森下能幸、石原尚大、森正明、井上浩、伊藤信隆、小西直人、白岩正嗣、権藤俊輔、塚本耕司、諏訪敦彦、磯見俊裕、石井育代、清水裕之、森永健司、田邊年秋、西田聖志郎、津々良響、加瀬亮、高橋卓也、川村和人、山下念吾、原啓一郎、松川尚瑠輝、楢木リオ、加納大成ら。


源義経と武蔵坊弁慶の話を新解釈で描いた時代劇。
弁慶を隆大介、遮那王を浅野忠信、鉄吉を永瀬正敏、平忠則を岸部一徳、朱雀法眼を國村隼、阿闍梨を勅使川原三郎、湛塊を船木誠勝、少進坊を鄭義信、剛人を成田浬、芥子丸を細山田隆人が演じている。
隆大介はどちらかといえば好きな役者なのだが、この映画に関してはミスキャストだろう。劇中で弁慶は「大入道」と呼ばれているが、隆大介はそれほど大柄ではない。そして浅野忠信と対峙した時に、それほど2人の体格差が無い。

公開時のキャッチコピーは「新世紀サイバーアクション超大作」だったが、真っ赤なウソである。どこからどう見てもサイバーではない。“アクション”というのも、そんなに多いわけではない。見せ方も上手くないが、これに関しては後述することにする。
“超大作”というのも、かなり怪しい。ひょっとすると大金は掛かっているのかもしれないが、スケールの大きさが全く感じられない。これは、物語のスケールという意味ではなく、見せ方、特にアクションシーンの見せ方にスケールが無いということだ。

とにかくダラダラと風景を映しているだけの場面とか、チンタラと話しているだけの場面とか、無駄な時間が長すぎる。もっとシェイプアップして、30分は短くできるし、そうすべきだ。これから弁慶と遮那王のラストバトルに向けて盛り上げていくべき時間帯に、鉄吉の仲間が平家の連中に殺される場面が入るとか、そういうのも余計だし。
そのくせ、大事な所で描写を手抜きしたりする。例えば、弁慶が不動明王の夢を見たので五條橋の鬼を退治しようと決める経緯。これを弁慶のセリフだけで説明してしまう。不動明王の夢を見るシーンは、ちゃんと映像で見せないと説得力が無いだろう。

さて、アクションシーンについて。まず、最初の平家武者が鬼に斬られる場面の描写からして、失敗していると思う。ここで観客にインパクトを与えようとすれば、首を刈られる瞬間を明確に見せねばならない。だが、そこでカットを輪って、分かりにくくしている。
その直後、再び平家武者が殺される場面があるのだが、最初の殺人シーンと同じような映像で見せてしまう。しかも、またも殺害の瞬間を不鮮明にしてしまう。殺人シーンを隠すというわけではなく、曖昧にしているのだ。そこは首の無い死体をアップにすべきだろう。

鬼切丸を盗んだ弁慶が追って来た山伏達と戦う場面は、弁慶の最初の格闘シーンなのだから、彼の強さを観客に示すべきだ。ところが、迫力もスピードも無く、モタモタしてしまう。そして、何となく煮え切らないままで、そのシーンは終わってしまう。
次に、五條橋で遮那王達が平家の連中と戦う場面だが、やたらゴチャゴチャしており、位置関係や動いているルートがサッパリ分からない。しかも、ここでは遮那王の強さ、凄さをアピールしなければならないのに、それも全く出来ていない。

それ以降のチャンバラシーンでも、問題点は改善されない。誰がどのように刀を動かして敵を斬ったのか、その流れが分かりにくい。カット割りが、そういうことを意識したものではない。ただ一連の動きをブツブツと切る役割しか果たしていない。
色々と問題点はあるだろうが、単純にカメラが常に近すぎるというのも大きい。どうしてチャンバラの場面で映像の基本線がバストショットなのか。それではキメのポーズも決まらない。しかも、チャンバラやっても何のカタルシスも無いしね。

最後の弁慶と遮那王のバトルも、特殊効果も入れて誤魔化そうとしているが、単調で退屈だ。細かいカット割りと全体を映さないことで、役者にチャンバラの技術が無いのを隠そうとしているのかもしれないが、それにしたって盛り上がらない。
ハッキリ言って、この映画は人を斬る、人が斬られるという場面をカッコ良く見せようという意識が乏しい。そういう意識があったとすれば、それに技術が追い付いていないということだから、もっと致命的だ。新人監督の作品じゃないんだから。

 

*ポンコツ映画愛護協会