『GOEMON』:2009、日本

1582年、天下統一を目指した織田信長はその夢目前にして、家臣・明智光秀の謀叛により暗殺された。しかし信長の右腕であった豊臣秀吉 が光秀を討伐し、信長の後継者として豊臣政権を樹立した。世は火種を残しつつも、一時の平和を謳歌していた。そんな中、大泥棒の 石川五右衛門は、紀伊国屋文左衛門邸に侵入して蔵から財宝を奪った。その直後、石田三成が家来を引き連れて現れ、「明智光秀が預けた 品を没収に来た」と告げた。文左衛門が「明智様にはお会いしたことも無ければ、何かをお預かりしたこともございません」と言うと、 三成は番頭を惨殺し、「蔵まで案内しろ、あるかないかとこちらで判断する」と告げた。
町では小平太が役人の又八の財布を掏ろうとして気付かれ、捕まっていた。五右衛門は三成たちに見つかり、屋根の上へと逃げ出した。 それを見つけた群衆は「天下の大泥棒、石川五右衛門だ」と大騒ぎした。五右衛門は小判をばら撒いた。又八たちは小判を拾いに行き、 小平太は逃げることが出来た。五右衛門が盗んだ財宝の中には、南蛮製の箱があった。だが、中身が空っぽだと知ると、彼は箱を屋根から 投げ捨てた。それを拾ったのは小平太だった。
遊郭へ遊びに出掛けた五右衛門は、吉野太夫と夕霧太夫から誘われた。蔵から箱が無くなっていることを知った三成は、忍者の霧隠才蔵に 「この店の人間を一人残らず始末しろ、五右衛門から箱を奪還しろ」と命令した。翌朝、五右衛門は行動を共にしている猿飛佐助に、彼の 取り分を渡した。佐助は五右衛門に、「五奉行の石田三成が南蛮の箱を差し押さえに行ったが、無くなっていたので血眼になって探して いる。霧隠才蔵を動かしている」と語る。興味を持った五右衛門は、箱を探すことにした。
三成は秀吉の元を訪れた。秀吉は、三成が南蛮の箱を探していると見抜いていた。三成が「南蛮物の取引は禁止されているので見せしめと して訪れました」と釈明すると、秀吉は勝手な行動を慎むよう戒めた。信長の姪・茶々が来たという知らせを受け、秀吉は喜んで会いに 行く。これまで親代わりとして可愛がっていた秀吉だが、「俺の側室になれ。信長様の血を引く子を産んでくれんか」と持ち掛けた。そこ へ千利休が来ると、秀吉は「茶々はしばらくこの城に留まるぞ」と告げた。
貧民街へ足を踏み入れた五右衛門は、子供の悲鳴を耳にした。行ってみると、又八が小平太の母を斬り殺していた。死体を見た五右衛門は 、両親を斬り殺された少年時代のことを思い出した。五右衛門は又八の腕を斬り落として退散させ、小平太に「強くなれ坊主。そうすりゃ 何も奪われやしない」と述べた。箱を手に入れた五右衛門と佐助の前に、才蔵が忍者軍団を率いて現れた。才蔵から箱の引き渡しを要求 された五右衛門は、それを拒否して逃亡した。
森を抜けて平原まで逃げた五右衛門は、才蔵と戦った。「随分と熱心なんだな。いったい何なんだ、この箱は」と五右衛門が訊くと、彼は 「パンドラの箱という奴だ。西洋に言い伝えがある。開けると災いを招く箱のことだ」と答えた。五右衛門は母を失った又八を引き取る ことにした。蕎麦屋で食事をしながら箱を触っていると、中から地図が出て来た。その場所へ行くと、巻物が隠されていた。家紋の入った 連判状を見た途端、五右衛門は引きつった顔になった。 五右衛門は店から尾行していた服部半蔵に気付き、「出て来いよ」と告げる。「その連判状を買いたい」と半蔵が金を投げると、五右衛門 は「分かった、売ろう」と連判状を渡した。半蔵が家康の命令で動いていると知った三成は激怒するが、妻・おりんに「もうすぐでは ありませんか。あの連判状さえ手に入れば」となだめられる。家康は半蔵から連判状を渡された。佐助は家紋が明智家と羽柴家の家紋だと 思い出す。つまり、連判状は秀吉が信長暗殺を企てた張本人だと示す証拠なのだ。
五右衛門は佐助に内緒で拝借した小太刀を手にして大坂城に侵入し、秀吉を刺し殺した。逃げる途中、彼は茶々の部屋に転がり込み、久々 の再会を果たした。誰かが来たので、五右衛門は天井裏に隠れた。すると茶々の部屋にやって来たのは秀吉だった。五右衛門が殺したのは 影武者だったのだ。五右衛門は秀吉の家来・我王に鉄砲で撃たれて堀に転落するが、才蔵に助け出された。
五右衛門は幼少時代のことを夢で見た。両親を失った後、彼は森の中で山賊に祖母を惨殺された。五右衛門も殺されそうになるが、そこへ 現れた信長が山賊を全滅させた。彼は「強くなれ坊主。そうすりゃ何も奪われやしない」と言い、「一緒に来るか。俺が強くしてやる」と 誘った。城まで付いて行った五右衛門は半蔵に預けられ、同年代の才蔵と共に、忍びとしての特訓を積むことになった。
五右衛門が意識を取り戻すと、傷の手当てが施されており、佐助と小平太が心配そうに見ていた。近くには、五右衛門を運んだ才蔵の姿も あった。秀吉は影武者が殺されたことで、城の警備を任せていた三成の失態を激しくなじった。五右衛門が残していった扇子を見つめて いた茶々に、利休は「懐かしい人にでもお会いになられましたか」と声を掛ける。「利休様は、なぜ秀吉様のお傍におられるのですか」と 茶々が尋ねると、彼は「諸大名方に茶を立てておりますと、声が聞こえます。世を動かす者の声が。それを教えくださったのが信長様 だったのです」と述べた。
少年時代、五右衛門は安土城で暮らすことになった茶々の警護を任された。互いに両親を亡くした2人は、やがて淡い恋心を抱くように なった。別れの時が来ると、茶々は護衛の礼として、自分の扇子を五右衛門に渡した。本能寺の変によって信長が死んだ後、侍になりたい と願う才蔵は、三成の家来になることを決めた。五右衛門は「俺は自由になってみたい」と言い、才蔵と袂を分かった。
才蔵は傷の癒えた五右衛門に「安易に秀吉を殺せば世は戦乱に戻る」と告げ、軽率な行動を戒める。五右衛門が「知るか。俺が何しようが 俺の自由だ」と言うと、才蔵は「お前が箱を盗まなければ、あの子の母親は死なずに済んだ。自由を謳歌するなら、周りを巻き込むな。 目的も無く気ままに生きることが自由じゃない」と述べた。五右衛門から三成の家来としての行動を批判されると、才蔵は「もうすぐ侍に なれる。そうすれば」と口にした。
茶々は利休に、「戦が始まるというのは本当ですか。戦だけは、絶対に」と涙ながらに告げた。利休は「此度の計画だけは何としても阻止 しなければなりません。ここは私にお任せください」と述べた。秀吉は家臣を集めてキリシタンから購入した大砲を披露し、「朝鮮、 そして明を攻める」と宣言した。彼は利休の生首を見せ、「おとなしく茶だけ点てていればいいものを」と口にした。
家康は利休の死を茶々に告げ、連判状を見せた。茶々は「私が秀吉を討ちます。それで戦が止められるのであれば」と述べた。小平太は町 で又八を目撃し、佐助の小太刀を奪って追い掛け、彼を刺し殺した。才蔵が妻・お吉と幼い息子・七郎太の待つ家に戻ると、そこには三成 が待ち受けていた。三成は「石高を与えて召し抱える」という条件を提示し、秀吉を暗殺するよう才蔵に命じた。
五右衛門の前に半蔵が現れ、茶々の元へ案内した。茶々は扇子を渡し、「お別れを言いに来ました」と告げる。家康が姿を現し、「茶々様 は正式に秀吉様の側室となられた」と五右衛門に教えた。茶々が去った後、家康は「3日後、太閤殿下の船で出兵の祝いが開かれる。そこ で側室・茶々様のお披露目というわけだ。信長様の仇を取れ。それが、茶々様を救う唯一の方法だ」と告げた。
祝いの日、才蔵は船で爆発騒ぎを起こし、混乱に乗じて秀吉を宙吊りにする。三成は用済みとなったと考え、才蔵を撃った。それを目撃 した茶々は三成に命を狙われるが、そこに五右衛門が駆け付けて彼女を助け出す。秀吉は我王に助け出されて無事だった。秀吉は三成に 「まだ生きておるぞ、その忍び」と告げる。振り返った三成が才蔵を殺そうとすると、秀吉は「殺すな。雇い主を吐かせろ」と叫んだ。 三成は才蔵の耳元で「家族の命が惜しければ口を割るな」と脅した。
才蔵が曽根崎で拷問を受けていると知った五右衛門は、彼を助け出した。秀吉は三成に、生かしたまま連れ戻せと命じた。三成は才蔵の家 を襲撃してお吉を殺し、七郎太を拉致して「子供の命が惜しければ城へ来い」という手紙を残した。才蔵は捕縛され、群集の前で茹だった 釜の前に連れ出された。秀吉から雇い主の名前を吐くよう要求された才蔵は、「俺は石川五右衛門だ」と叫び、天下人への怒りを熱く演説 して群集を煽った。秀吉は才蔵を釜に蹴り落とし、続いて七郎太も放り投げた…。

監督は紀里谷和明、原案は紀里谷和明、脚本は紀里谷和明&瀧田哲郎、製作は野田助嗣&上木則安&市原高明&木下直哉&久松猛朗& 紀里谷和明&原知行&亀山慶二&島本雄二&水上晴司&平塚剛&フランク・デュボア&西崎英美、エグゼクティブ・プロデューサーは 秋元一孝&関根真吾、プロデューサーは一瀬隆重&紀里谷和明、アソシエイト・プロデューサーは長澤佳也&上田有史、 撮影監督は紀里谷和明、撮影は田邉顕司、編集は紀里谷和明&横山佐智子、録音は矢野正人、照明は牛場賢二、美術監督は林田裕至、 美術プロデューサーは赤塚佳仁、セットデザイナーは平井淳郎、衣装デザインはVaughan Alexander&Tina Kalivas、 VFXスーパーバイザーは野崎宏二、VFXプロデューサーは藤田卓也、殺陣は森聖二、音楽は松本晃彦、 Special Thanksは今井賢一&樋口真嗣&中山大輔&武論尊、コンセプトデザイン協力は庄野晴彦。
主題歌「ROSA」作詞・作曲はYOSHIKI、編曲はYOSHIKI、歌はVIOLET UK。
出演は江口洋介、大沢たかお、広末涼子、ゴリ(ガレッジセール)、奥田瑛二、寺島進、平幹二朗、伊武雅刀、中村橋之助、要潤、 玉山鉄二、チェ・ホンマン、佐藤江梨子、戸田恵梨香、鶴田真由、りょう、藤澤恵麻、佐田真由美、深澤嵐、福田麻由子、広田亮平、 田辺季正、佐藤健、蛭子能収、六平直政、小日向文世、ウド鈴木(キャイ〜ン)、やす(ずん)、花原照子、増本庄一郎、なべやかん、 紀里谷和明ら。


『CASSHERN』の紀里谷和明が監督を務めた作品。監督だけでなく、原案、脚本、プロデューサー、製作(プロデューサーと製作の違いが 良く分からないが)、撮影監督、編集も兼ねており、さらに明智光秀役で出演もしている(ただし予定していた俳優がキャンセルしたため の代役であり、セリフは無い)。
五右衛門を江口洋介、才蔵を大沢たかお、茶々を広末涼子、佐助をゴリ(ガレッジセール)、秀吉を 奥田瑛二、半蔵を寺島進、利休を平幹二朗、家康を伊武雅刀が演じている。
他に、信長を中村橋之助、三成を要潤、又八を玉山鉄二、我王をチェ・ホンマン、吉野太夫を佐藤江梨子、夕霧太夫を戸田恵梨香、小平太 の母を鶴田真由、五右衛門の母をりょう、お吉を藤澤恵麻、おりんを佐田真由美、小平太を深澤嵐、少女時代の茶々を福田麻由子、少年 時代の五右衛門を広田亮平、青年時代の五右衛門を田辺季正、青年時代の才蔵を佐藤健が演じている。
あと、遊郭のダンサーの一人の中に混じって、なぜか加藤夏希も踊っている。

ここにあるのはパラレルワールドとか、そういう次元の世界観ではない。いわゆる「あたかも安土桃山時代」ではないのだ。
歴史上のキャラクターを使って全く別の世界を作り上げている、と解釈した方がいい。
少し手を加えたとか、少し人間関係やキャラ造形が異なるとか、そういうレベルじゃない。
ハッキリ言うけど、これは時代劇じゃないからね。完全にファンタジーだからね。
時代劇の台詞回しも全くやってないし。
歴史考証をやった上で崩しているわけじゃなくて、薄い上澄みだけを掬って、それを使ってデタラメ・ワールドを構築 している。
つまり、ちゃんとしたデッサン力を持っている上で崩しているピカソとは、全く違うアプローチだってことよ。

才蔵から箱を渡せと要求された五右衛門は拒否するが、半蔵が「その連判状を買いたい」と金を投げると、そこでは簡単に引き渡す。
それは受け入れるにしても、地図が見つかり、連判状を発見した時点で、パンドラの箱がパンドラの箱としての役割を果たさなくなるって のはダメでしょ。マクガフィンとしての役割さえ果たさない。単に「地図の入っている箱」に過ぎないという始末だ。
普通、「主人公が箱を盗み出したが、それを悪役も狙っていた」という始まり方をしたら、そこから「箱を巡る争奪戦」にするでしょ。
丹下左膳の「こけ猿の壷」みたいな扱いにするでしょ。
あっさりと箱の存在価値を皆無にしてしまう辺りの無神経な筋書きには、唖然とさせられる。
みんなの目的が、箱から連判状に移行してしまうんだよな。
それなら、箱の中に連判状が入っているとか、そういう設定にしておくだろ。どうせ連判状のありかに辿り着くまでに、謎解きも何も 無いんだし。
あと、途中からは、もはや連判状さえ意味の無い物と化してしまうんだよな。ひでえよ。

連判状は秀吉が信長暗殺を企てた張本人だと示す証拠なのだが、手に入れた家康は「まさか、秀吉と光秀が裏で繋がっていようとはな」と 驚きのリアクションを見せている。
お前、中身を知らずに連判状を探していたのかよ。
秀吉の失脚を狙って、秀吉が首謀者だと確信した上で探していたんじゃなかったのかよ。
だったら、それを見つけて何をやろうとしていたのか。目的がサッパリ見えないぞ。

五右衛門は大坂城に乗り込んで秀吉を刺し殺す時、怒りに燃えて「信長様の仇だ」と言っているが、なぜ彼が信長の仇討ちをしようと 燃えるのか、全く分からない。
その後に少年時代の回想シーンが入り、信長の世話になっていたことが分かるんだけど、それは完全に手順を間違えている。
秀吉の影武者を殺す前に、五右衛門と信長の関係を説明しておかないと、観客が話に乗れないでしょ。

茶々が「利休様は、なぜ秀吉様のお傍におられるのですか」と尋ねると、利休は「諸大名方に茶を立てておりますと、声が聞こえます。 世を動かす者の声が。それを教えくださったのが信長様だったのです」と言うが、それは質問に対する答えになってない。
秀吉のことを訊いているのに、信長のことを喋っている。
この時点でミステイクだが、おまけに、そこから回想に入り、子供時代の五右衛門が信長から茶々を紹介されるシーンを描くのは、 タイミングとして明らかにおかしいでしょ。
それは五右衛門が茶々に惚れた過去を示すシーンだから、五右衛門の回想として描くべきでしょうに。

才蔵は五右衛門に「お前が箱を盗まなければ、あの子の母親は死なずに済んだ」と言っているが、違うでしょ。
又八は、小平太が自分の財布を盗んだから殺しに来たんだろうに。
で、そんな間違えたことを言う才蔵は、「もうすぐ侍になれる。そうすれば」と口にするが、侍になれば何なのかサッパリ分からない。
侍になることが目的なのは分かるが、そのモチベーションが理解できないのだ。

茶々から「戦が始まるというのは本当ですか。戦だけは、絶対に」と言われた利休は、「此度の計画だけは何としても阻止しなければ」と 口にする。
で、次のシーンで秀吉が朝鮮出兵を宣言するが、そこは手順を飛ばしている。まずは宣言する前に、秀吉が朝鮮出兵を目論んでいることを 口にする場面を、どこかで用意しておくべきだ。
それから茶々のセリフに繋げないと、「戦が始まるというのは本当ですか」と言われても、「いつ、どこで、そんな流れになったんだろう 」と首をかしげてしまう。

家康の行動は、支離滅裂なことになっている。茶々に連判状を見せたところで、彼女から秀吉暗殺の決意を引き出すのが狙いかと思ったら 、その後で五右衛門に秀吉暗殺を促している。
だったら、茶々が側室になるよう仕向ける必要性はゼロだ。
っていうか、そもそも五右衛門は言われなくても茶々に惚れている上、仇討ちに燃えているわけだから、最初から「秀吉は茶々を側室に しようとしているぞ」とでも吹き込めば、家康の狙い通りに動いただろうに。
ボンクラすぎるだろ、家康。

ボンクラと言えば、三成もボンクラだよな。船で我王に助け出された秀吉が「まだ生きておるぞ、その忍び」と告げると、慌てて才蔵を 始末しようとしているけどさ、そこには他に我王しかいないんだから、テメエで秀吉と我王を殺してしまえば良かったじゃねえか。
そこで秀吉を始末しない理由は何も無いぞ。
どいつもこいつも、ボンクラだらけだな。
まあ、この映画そのものがボンクラなんだから、仕方が無いのかもしれんが。

五右衛門は忍びの特訓を受け、才蔵や半蔵の尾行を察知していたくせに、店で佐助たちを待っている時は半蔵に全く気付かず、彼が隣に 来てビクッとしている。
もっと不可解なことに、才蔵が処刑されそうになった時、彼は近付こうとして群衆をかき分けている。
いやいや、アンタ、超人的な跳躍力があるんだから、そこまで飛んでいけるだろ。
あと、投げ落とされた赤ん坊だって、南蛮の箱をキャッチした時みたいに飛び道具を使えば助けられただろ。
その辺りは、完全に監督の「映像至上主義」が厄介なモノになっている。
まず「こういうシーン、こういうカットが撮りたい」というのが先にあって、それを実現させるためなら、キャラに不自然な行動、整合性 の取れない行動をさせても平気なのだ。

才蔵は「俺の名は五右衛門」と叫ぶと、「天下人が約束を未だに果たしていない、一番流れているのは庶民の血だ」と熱くアジテーション するんだが、それを秀吉は黙って見ている。
そんなことされたら困るのはアンタだろ。なんで長々と喋らせておくのかと。普通、途中で口を封じるぞ。
っていうか、そもそも大勢の前で雇い主を吐かせようとすること自体、不自然極まりないぞ。処刑だけを公開するなら分かるけど。
っていうか、才蔵の声、遠い場所にいる民衆まで、良く聞こえたもんだよな。

この映画を『スラムダンク』の安西先生が見たら、「まるで成長していない」と漏らすことだろう。
どうやら紀里谷監督は『CASSHERN』の失敗から、何も学ばなかったようだ。あれと同じ過ちを繰り返している。
いや、ひょっとすると、もっと状態は悪化しているかもしれない。
ただし、たぶん監督は、前作を失敗だとは思っていないのだろう。あれは正しかった、自分の映画は成功したと確信しているのだろう。
だからこそ、何の疑問も持たず、何の改良もせず、同じことを繰り返しているのだ。
確信犯というのは、周囲の意見に耳を傾けようとしないので、とてもタチが悪い。

イデオロギーやテーマを主張するためのメッセージを語るセリフは過剰に声高であり、「自然な流れの中でテーマを盛り込む」という配慮 は全く無い。
まずセリフありき、まず映像ありきで監督は組み立てを考えており、流れとか展開とか構成とか順番とか、そういうことは 完全シカトだ。
とにかく監督は、自分のイメージしたシーンを撮影し、自分の主張したいメッセージさえセリフとして喋らせることが 出来れば、それで満足なのだ。
そして、それで映画として面白くなっていると、彼は信じている。

もっと残念なことをお知らせしておくと、紀里谷監督が自分では「イケてる」と思っているであろう1つ1つのシーンのヴィジュアルも、 ハッキリ言って全くイケていない。
正直、ダサいよ。やたらとVFXで加工しすぎてゴチャゴチャしているし、色使いもケバケバしい。
あと、アクションも全くダメ。
完全にビデオゲームのノリで、そこには実写映画としてのスリルも迫力も全く無い。
チェ・ホンマンを起用しておきながら、その体の大きさを際立たせる撮り方をしていないセンスの無さには呆れるし。

っていうか、ゲームだと仮定しても、今はもっとリアリティーを持たせるような映像表現をするよな。
現実に存在するような物や場所(草原とか家とか)でさえ、わざと嘘っぽさを強調しているかのような映像になっている。
っていうか、たぶん意図的に嘘臭くしていると思うけど、それが吉と出ているかと言われると、ノーだね。
おまけに出てくる登場人物も、生身の人間としての血が通っていないかのようだ。
っていうか、もはや生身の役者が登場する必要性を全く感じないんだが。

こんな映画(と呼ぶべきかどうかも微妙だが)を作るよりも、紀里谷監督はCGアニメーションでも作った方がいいんじゃないか。
ただし映画じゃなくて、ゲームのプロモとか、そういう短いフィルムでね。
とは言え、まだ紀里谷監督は2本目なので、救済のチャンスはある。
「3本連続でポンコツ映画を作ったら、その人は才能が無い、もしくは枯れた人」というのが私の解釈なので、次回作がラストチャンス だ。
まあ、たぶん私の予想が確信に変わるだけだと思うが。

(観賞日:2010年10月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会