『ゴジラ FINAL WARS』:2004、日本

轟天号によってゴジラは南極に封印されたが、その後も多くの怪獣が地球には出現していた。地球防衛軍は特殊能力を持った超人類“ミュータント”を集め、怪獣に対抗するための特殊部隊“M機関”を組織した。ミュータントの尾崎真一は彼への敵対心を剥き出しにする風間勝範らと共に、M機関の兵士として任務に従事している。
轟天号の新艦長となったダグラス・ゴードン大佐は、ノルマナディー沖で怪獣マンダと遭遇した。ゴードンは地球防衛軍司令官・波川玲子の命令を無視した方法で、マンダを退治した。軍法会議で抵抗したゴードンは、懲罰房に収容された。ゴードンの部下である尾崎は、熊坂教官から分子生物学者・音無美雪を護衛する任務を命じられた。
美雪は北海道沖で発見された未知の生物の調査に向かい、古代生物学の権威・神宮寺八郎から話を聞く。発見されたのはサイボーグ怪獣とでも言うべき生物で、地球外から来たという。その生物からは、ミュータントの体にも含まれているM塩基という物質が検出された。3人の前にインファント島の小美人が出現し、その生物がガイガンだと告げた。
世界の各地で多くの怪獣が出現し、暴れ始めた。日本初の国連事務総長・醍醐直太郎が乗った専用機は、ラドンの襲撃によって爆発した。地球防衛軍は出撃するが、急に怪獣が姿を消した。そして尾崎や波川らの前に、死んだはずの醍醐が現れた。彼は危ない所を友好的な宇宙人に救われたという。円盤から現れた宇宙人は、X星人と呼んでくれと告げた。
X星人司令官は、地球に妖星ゴラスが衝突する危機が迫っているため、助けの手を差し伸べに来たのだと告げた。醍醐は宇宙連合の結成を宣言し、人々はX星人を歓迎した。しかし音無の姉でキャスターの杏奈は、醍醐が瞬きをしていないことに気付いた。杏奈は尾崎や美雪に事情を説明し、3人はX星人が醍醐に化けていることを突き止めた。尾崎は波川に知らせようとするが、彼女も瞬きをしていなかった。
尾崎は絶対にX星人と入れ替わっていない人物として、ゴードンを牢から連れ出した。尾崎やゴードンたちは、醍醐とX星人司令官、X星人統制官の3名がテレビのインタヴューを受けているスタジオへ乗り込んだ。ゴードンは醍醐を狙撃し、その正体を暴いた。X星人司令官は釈明しようとするが、統制官に射殺された。かねてから司令官の手法に否定的だった統制官は、地球を襲撃する姿勢を明らかにした。彼らの目的は、人間を家畜にすることだった。
X星人統制官はミュータント部隊をコントロールし、自分達の仲間にしてしまう。だが、なぜか尾崎だけはコントロールされなかった。熊坂は自らの命を犠牲にして、尾崎や美雪達を逃がした。尾崎たちは小室少佐の用意した車で逃亡するが、風間がバイクで襲撃してきた。尾崎は風間を倒すが、命は奪わずに介抱してやった。X星人はガイガンを復活させ、地球を破壊させる。ゴードンはガイガンとX星人を倒すため、南極に眠るゴジラの封印を解くことを主張した。
尾崎や美雪、ゴードンたちは轟天号に乗り込み、南極へ向かう。轟天号はガイガンの攻撃を受けるが、何とかゴジラの眠りを覚ますことに成功した。X星人統制官は次々に怪獣を繰り出すが、ゴジラは圧倒的なパワーで倒していく。統制官は部下を轟天号にテレポートさせ、尾崎達を拘束する。一方、山に住む老人・田口左門と孫の健太は、心優しい怪獣ミニラと仲良くなっていた…。

監督は北村龍平、脚本は三村渉&桐山勲、製作は富山省吾、プロデューサーは山中和成、アソシエイトプロデューサーは鈴木律子、撮影は古谷巧、編集は掛須秀一、録音は斉藤禎一、照明は高坂俊秀、美術は瀬下幸治、アクションコーディネーターは竹田道弘、アクション協力は坂口拓、ワイヤーワークは下村勇二、タイトルデザインはカイル・クーパー、特殊効果は関山和昭&巻木良孝、特殊技術は浅田英一、特殊美術は三池敏夫、造形は若狭新一、ゴジラ/スーツアクションアドバイザーは喜多川務、轟天号&地球防衛軍デザインは新川洋司、モンスターXデザインは寺田克也、絵コンテ&怪獣デザインは西川伸司、ガイガン&X星人デザインは韮沢靖、イメージボードは有働武史、轟天号3Dモデリングは小林良照、UFO&CGデザインは城前龍治、イメージ絵コンテは小坂正人&武田晃&渡辺伊織&小原智和&奥哲也、スーパーバイザーは泉谷修、音楽はキース・エマーソン&森野宣彦&矢野大介、音楽共同プロデュースはキース・エマーソン&ウィル・ァレクサンダー、音楽プロデューサーは北原京子。
挿入歌はSUM41「WE'RE ALL TO BLAME」、ゴジラメインテーマは伊福部昭。
出演は松岡昌宏、菊川怜、ドン・フライ、水野真紀、北村一輝、ケイン・コスギ、國村隼、宝田明、水野久美、佐原健二、船木誠勝、長澤まさみ、大塚ちひろ、四方堂亘、須賀健太、泉谷しげる、伊武雅刀、中尾彬、上田耕一、橋爪淳、高杉亘、榊英雄、羽鳥慎一、小橋賢児、マイケル富岡、大槻義彦、韮澤潤一郎、篠原ともえ、角田信朗、木村大作、松尾貴史、佐野史郎、谷原章介、さとう珠緒、レイ・セフォー、ゲーリー・グッドリッジ、田中要次ら。


“ゴジラ”シリーズの通算28作目。ゴジラ生誕50周年記念作品。
尾崎を松岡昌宏、美雪を菊川怜、ゴードンをドン・フライ、杏奈を水野真紀、X星人統制官を北村一輝、風間をケイン・コスギ、小室を國村隼、醍醐を宝田明、波川を水野久美、神宮寺を佐原健二、熊坂を船木誠勝、小美人を長澤まさみ&大塚ちひろ、国木田少将を四方堂亘、X星人司令官を伊武雅刀が演じている。北村監督も、Xに改名した小橋賢児を迎えるラジオのDJ役でカメオ出演している。

この映画は、シリーズの最終作として作られている。
とは言っても、以前にもシリーズ最終作と銘打たれた作品が製作されながらも、また復活するということがあった。
今回も、「どうせ復活するだろ」と観客が本気にしない可能性は大いにあった。
そこで北村龍平監督に課せられた使命は、これが本当に最終作だと観客に納得してもらうことだ。

目的を達成するために北村監督が目指したのは、パロディーだった。
それも単なるパロディーではなく、ものすげえチープなパロディーだ。
普通に考えれば、「ゴジラ」シリーズでゴジラのパロディーをやるというのは、ゴジラのファンから石をぶつけられても仕方の無い行為だ。
しかし、北村監督は「ゴジラ」シリーズを完膚なきまでに叩き潰すため、あえてパロディーを持ち込んだのだ。
そうじゃないとすれば、ゴジラだけでなく、あらゆる商業映画を撮る資格など無い。

これまでのシリーズに登場した怪獣やキャラクター、あるいは出演者が多く登場するが、それは決してリスペクトのためではない。
今までのシリーズを全てひっくるめて、ケチョンケチョンにしてやろうということだ。
だから怪獣も有名タレントも多く出てくるが、ほとんどは単なる顔見世だけで、使い捨て状態で消費されていくだけだ。

北村監督が狙っているのは、ひたすらチープな印象のゴジラ映画だ。
そうすることによって、「もう充分だ。これ以上、ゴジラ映画を貶めるのはやめてくれ」と観客に感じさせ、シリーズ終了を納得させようとしているのだ。
ゴジラ映画の商品価値を徹底的に下げまくり、シリーズにトドメを刺すポンコツ映画に仕立て上げようとしたのだ。

わさわざキース・エマーソンを音楽担当に招いておきながら、爆裂するプログレBGMではなくテケテケ&ピコピコの安い音楽を作らせたことも、とにかくチープな印象にしようという心構えの表れだ。
ハリウッド版ゴジラに似せた怪獣ジラを弱小モンスターとして登場させることによってコケにしていると見せ掛けて、実はそのハリウッド版ゴジラよりもコケにされるような作品を作り上げたのだ。

「ゴジラ」シリーズは長く続いているが、実際には惰性で続いているだけだ。
もはやシリーズは、とっくの昔に続ける価値など無くなっている。
昔の遺産に頼って、それを食い潰しているだけに過ぎない。
だから北村監督は、もはや15億を費やしても、こんな程度のモノしか出来ないのだということを示し、シリーズの続行や復活を諦めさせようとしているのだ。

「ゴジラ」シリーズの中で、怪獣プロレスという方向性を目指した作品は少なくない。そして、それらの作品の評価は大抵の場合、あまり高くないと言っていいだろう。
この作品は、その怪獣プロレスの方向性を採用している。
なぜなら、ハードでシリアスなテイストにするよりも、そっちの方がチープに見えやすいからだ。

しかし北村監督は、心底から怪獣プロレスがやりたかったわけではない。重厚なドラマよりは、まだ怪獣プロレスの方が好きな部類だという程度である。

北村監督が本当にやりたいのは、人間のアクションだ。だから、この映画でも人間によるアクションシーンが多く含まれている。怪獣プロレス映画のはずが、怪獣の出てこない時間帯が非常に長い。
尾崎たちをミュータントにしているのも、乗り物に乗らず生身の体で怪獣に突っ込んでいくというアホすぎる行動に理由を付けるためだろう。
とにかく、やたらと人間による『マトリックス』もどきの格闘シーンが多い。クライマックスに至ってさえ、格闘アクションを持ってくる。
ただし北村監督はアクションシーンの演出が好きではあっても、決して上手いわけではないが。

北村監督には、マトモにストーリーテリングをするつもりは毛頭無い。
X星人と地球人の対立の図式を描いておきながら、主人公の尾崎をミュータントにしている時点で、マジにやる気が無いことは明白だ。
とは言っても、実質的な主役は松岡昌宏ではなくドン・フライ(プラス玄田哲章)なんだが。
というか、その主役のズレも、マジにやる気が無いことの表れだ。

結局はパロディーとしても怪獣プロレス映画としても中途半端で、チープという要素だけが際立つことになった。
シリーズの終焉を納得させるという目的を考えれば、結果的には大成功だったと言えるだろう。
というか、そもそも北村龍平という人にゴジラの監督を任せた段階で、その成功は約束されたようなものだったのではないかとも思う。

北村監督は自らの監督としての評価を落としてまで、シリーズを終わらせるためのポンコツ映画を作り上げたが、いずれまた「ゴジラ」シリーズは復活するだろう。
もし「ゴジラ」シリーズが復活すれば、その時は、この作品が存在意義を持ってくるはずだ。
「少なくとも『ゴジラ FINAL WARS』よりはマシかもしれないな」という比較対象として。

(観賞日:2005年12月30日)


第1回(2004年度)蛇いちご賞

・作品賞
・監督賞:北村龍平
<*『どろろ』『スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ』の2作で受賞>

2004年度 文春きいちご賞:第6位

 

*ポンコツ映画愛護協会