『GODZILLA 星を喰う者』:2018、日本

動きを停止したゴジラの生体反応は確認できなかったが、体内の電磁波は健在だった。マーティン・ラッザリは次の目覚めに備え、力を蓄えているのだろうと推測した。「結局、何だったんでしょうか、ゴジラの存在とは」とジョシュ・エマーソンから訊かれた彼は、20世紀に怪獣が生まれた原因を思い出すよう促した。ラッザリはエマーソンに、「人類の原水爆実験という愚かな行為が、怪獣を生んだと僕らは教わって来た。でも逆かもしれない」と言う。驚くエマーソンに、彼は「生態系の大きなシステムで考えれば、これまで人類が発明して来た様々なテクノロジーは、怪獣という生命体を生み落とす出すための物だったと捉えることも出来る。人間はねゴジラという究極の生命を生むための前座に過ぎなかったのではないか」と語った。
ハルオ・サカキとムルエル・ガルグの通話を最後にメカゴジラシティは沈黙し、ゴジラは再び休眠状態に入った。それを知ったハルエル・ドルドは、「サカキ大尉が錯乱したせいで、ゴジラを倒す唯一無二の機会を失った」と憤慨する。タケシ・J・ハマモトは機械との融合を目指していたビルサルドの計画を批判し、激しく反発した。ユウコ・タニはナノメタルに浸食され、心臓は動いているものの手の施しようが無い状態になっていた。ラッザリはサカキに、「体を浸食した金属は、生命維持装置の機能を果たしている。彼女は生き続けるだろう。だが、二度と目を覚ますことは無い」と告げた。
そこへメトフィエスが現れ、船の連中がサカキの処遇を巡って揉めていることを教える。メトフィエスは「ハルオが人間としての在り方にこだわったがゆえに、ビルサルドによる新たなゴジラの誕生が阻まれた」と、サカキを擁護した。「なぜ俺だけが助かって、ユウコが」とサカキが漏らすと、アダム・ビンデバルトは「奇跡だよ。そこに意味があるとは思わないか」と言う。彼は「ビルサルドは神の背を向けて傲慢の道を歩んだ。奴らにそそのかされたユウコも死んだ。罰が下されたんだ」と、興奮した様子で語った。
サカキが怒って掴み掛かると、アダムは全く悪びれず「貴方だけが何かによって守られ、生き延びた。そして俺たちを救ってくれた。これは貴方の選択こそが正しいと言う啓示なんだ」と興奮した様子で主張した。メトフィエスが「みんな今回の試練で悟ったのだ。大いなる神の意思を」と言うと、アダムは「神は俺たちを見守っているんだ。ゴジラに抗う俺たちの祈りを」と話す。アダムは仲間の兵士たちを集め、自身が生き延びた体験について語る。同席したメトフィエスは、「紛れもない奇跡の証しです。君もサカキ大尉と同様に、祝福があったということです」と語った。
ラッザリはサカキに、「ナノメタルに接触したのに浸食されなかった連中には、明確な共通点がある」と教える。浸食されなかった面々はメカゴジラシティで体調不良を訴え、フツアの村で治療を受けていた。ラッザリが「フツアの治療手段に、ナノメタルの浸食を阻む抗体のような成分が含まれているんだろう」と語ると、サカキは「なんでみんなに教えてやらない?」と声を荒らげる。ラッザリは「言える空気だと思うかね」と質問を返し、生き残りの大半がエクシフのカルトに宗旨替えしている現実を指摘した。
サカキはメトフィエスと会い、「俺たちがナノメタルから守られたのは奇跡なんかじゃない。フツアの治療で抗体が出来ていたからだ」と訴える。しかしメトフィエスは、そのことを既に知っていた。サカキが「みんなを騙してるのか」と憤ると、彼は何食わぬ顔で「ゴジラと再び戦うためだ。次なる戦いに備えて、皆の心を1つにしなくては」と言う。サカキが「ゴジラには、もう勝てない。アンタの崇める神様が、ゴジラを倒してくれるとでも?」と語ると、メトフィエスは「エクシフは神に頼ってゴジラを打倒できる」と告げた。
サカキが「神様が解決してくれるなら、今までの犠牲は何だった?」と腹を立てて詰問すると、メトフィエスは「時が満ちるのを待つしか無かったのだ。君がゴジラへ向けて募らせた憎しみは、いつしか祈りとなって神の元に届くだろう。だから私は待っている。君の中で神を疑う心よりも、ゴジラを憎む思いが勝るその時を」と語った。「そうやってアダムたちも言いくるめたのかよ」とサカキが怒鳴ると、彼は「君だけだよ、ハルオ。この星に神を招くなら、君こそが祭壇に立つにふさわしい。真にゴジラを憎む者として、神の前に立つべき英雄」と述べた。
アラトラム号では重力コイルの稼働効率が落ち、再度の地球圏離脱も検討しなければならない状況に陥っていた。ウンベルト・モーリが悩んでいると、ドルドはサカキへの責任追及を要求してクーデターを起こした。船内の電力は遮断され、ハマモトは動力室を奪還するために保安部隊の召集を命じた。ラッザリはサカキを見つけ、メトフィエスについて「布教には絶好のチャンスだ。メカゴジラでさえ勝てないと分かって心まで折れた。その絶望から逃れるには神にすがるくらいしかない」と語る。「放っておいていいんだろうか」とサカキが言うと、彼は「君にだって、もう発言権は無いだろう。メトフィエスはメカゴジラシティの一件を君の責任問題ではなく、宗教的な奇跡に摩り替えた。皆、君のことは有り難く拝むだけで、意見など求めてはいない。主導権は完全にメトフィエスの物だ」と述べた。
ラッザリはサカキを外に連れ出し、ビルサルドがアムトラム号の動力室を乗っ取ったという情報を知らせた。ラッザリはサカキに「状況を沈静化させる一番の早道は、君にいなくなってもらうことだと思うのさ」と言い、脱走という体裁を取るよう持ち掛けた。サカキは反発するが、「根本的な解決には至らなくても時間稼ぎは出来る」とラッザリは説いた。ラッザリはミアナに協力を要請し、サカキは彼女の部屋で隠れることを承諾した。
サカキが「俺はゴジラを倒したかった。倒す手段も目の前にあった。だが、それを選べなかった」と落ち込んでいると、ミアナは「貴方も私も負けてない。勝ってここにいる。貴方は負けたがっていた」と指摘する。「じゃあ君にとっての勝ち負けって何だ?」という質問に、彼女は「勝つこと。生き残る、命繋ぐ。負けは死ぬこと、消え去ること。ゴジラ挑むこと」と答える。ミアナが「ハルオ、貴方は勝つべき。これからもずっと、私たちと一緒に」と言って服を脱ぎ始めたので、サカキは戸惑う。ミアナが「客人を受け止め、知り尽くす。私たちの役目」と性交渉を求めると、サカキは「いいんだ、そこまでしなくても」と制止し、眠らせてほしいと頼んだ。
アラトラム号ではエンダルフが信徒の船員たちに向かい、祈るよう促していた。メトフィエスはエンダルフから「仕儀は一通り整いましてございます」と報告を受け、「こちらの儀式も、後は仕上げを残すのみだ」と返す。慎重に計画を進めてきたことについて、メトフィエスは「クオーツを完璧な形に仕上げるには、さらにもう一手を詰める必要がある」と語った。「たかが1人の地球人を追い込むために、何故そこまで固執なさいますか」とエンダルフが訊くと、メトフィエスは「彼にはその価値があるのだ。真の栄光へと導かれるべき資格がな」と答えた。メトフィエスはミアナが覗いていることに気付いており、姿を見せるよう要求した。
ハルオの元にはマイナが現れ、「貴方、負けそう。消え去りそう。だから勝たせる。命を繋ぐ」と言って体を密着させる。サカキは「俺も怖いよ」と告げ、彼女を抱き締めた。メトフィエスはテレパス能力を隠していた理由をミアナに問われ、「他の種族にとってテレパス能力は脅威だ。警戒されては敵わない」と答える。何を望むのかという質問に、彼は「迷える者たちに導きを。救済と祝福を」と言う。ミアナが「何を祝うの?何をもって福音とするの?それを秘密にしたままで皆をどこに導くつもり?」と問い掛けると、メトフィエスは「それを告げる以上は、捧げ者の一員になってもらうしかない」と彼女を捕まえた。
サカキはミアナがメトフィエスの生贄になっている悪夢を見て、慌てて飛び起きた。すると隣で寝ていたミアナが、怯えた様子で「今、妹、声がした。ギドラが」と口にする。メトフィエスは信徒たちを集めて儀式を執り行い、「ゴジラをも凌駕して強大なる者、至高の存在たる神。これに献身し、一体となるより他に、勝利の道筋は有り得ません」と語る。同じ頃、アラトラム号ではエンダルフが信徒たちに説法していた。
メトフィエスとエンダルフはクオーツを掲げ、信徒たちと「ギドラよ、我らに勝利を。血肉を糧に、究極の勝利を」と呼び掛けた。すると生贄になった信徒たちは次々に倒れ、アラトラム号の近くに特異点が発生する。モーリたちが狼狽する中、特異点から怪獣ギドラが出現してアラトラム号を撃沈した。地球では3つの異常重力場による上昇気流が積乱雲を発生させ、サカキはマイナと共に見張り台へ赴いた。マイナが「あそこから聞こえる。ギドラと」と高台を指差す。生体反応があることを聞いたサカキは、メトフィエスが何か企んでいると確信する。彼は「俺が行ってくる」とラッザリたちに言い、見張り台に残るようマイナに指示した。
異常現象に呼応するかのようにゴジラが動き出し、雲の中からはギドラが出現した。ゴジラが熱線を吐いて攻撃すると、ギドラは空間を湾曲させて回避した。エマーソンはラッザリに、「今の熱線、こちらの記録だと直進したことになっています。機械には、あの怪獣が全く見えていない。我々の目と耳だけが、あいつを認識しているんです」と語る。ゴジラがギドラの首を掴もうとしても左手は空を切るだけで、エマーソンは「やっぱり実体が無い」と驚愕した。しかしギドラはゴジラを噛んでおり、「一方的にしか触れないなんて、矛盾じゃないですか」とエマーソンは動揺した。
ゴジラの体内電磁波は急激に低下し、エマーソンは「ゴジラの体表には間違いなくシールドが発生しています。でも波形に全く変動が無い。攻撃を受けている形跡すらありません」と報告する。そんな中、新たに2体のギドラが出現し、ゴジラに襲い掛かる。ラッザリが「あれは何なんだ?」と怯えていると、マイナが「ギドラ。全てを食らい尽くす。この世ならざるもの。虚空の王」と口にした。一方、サカキが高台にいるメトフィエスを発見すると、その傍らではミアナが磔にされていた。メトフィエスはサカキに「我が使命が今、果たされんとしている」と言い、宇宙の森羅万象は神であるギドラへの捧げ物としてのも存在しているのだと語った。
サカキが「ギドラはアンタの星を滅ぼした怪獣なんじゃ?」と問い掛けると、メトフィエスは滅びを祝福として認識していることを語る。メトフィエスがギドラを使って全てを滅ぼすつもりだと知ったサカキは、憤慨して掴み掛かった。するとメトフィエスは「ただ運命に身を委ねよ。君も心の奥底でそれを望んでいたはずだ」と呼び掛け、ガルビトリウムを使ってサカキの意識を奪った。精神世界に取り込まれたサカキは、心の声に耳を傾けて滅びを受け入れるようメトフィエスに諭された。
ゴジラは攻撃のために体表温度を上昇させるが、発熱を全て吸い取られてしまった。ラッザリは別の宇宙からの攻撃だと気付き、「ゴジラどころの脅威じゃない。地球そのものが食い尽くされる」と漏らす。メトフィエスはサカキに過去の体験を思い出させ、命を散らした仲間のために決着を付けるよう説いた。ギドラの異常な動きを観察していたラッザリは「敵はギドラじゃない。我々の側の宇宙に、あいつの手引きをしている奴がいる」と気付き、それがメトフィエスだと確信した…。

監督は静野孔文&瀬下寛之、ストーリー原案は虚淵玄(ニトロプラス)、シリーズ構成は虚淵玄(ニトロプラス)&村井さだゆき、脚本は村井さだゆき&山田哲弥&虚淵玄(ニトロプラス)、製作は大田圭二、エグゼクティブプロデューサーは古澤佳寛&高橋亜希人、プロデューサーは吉澤隆、副監督は吉平“Tady”直弘&安藤裕章、キャラクターデザイン原案はコザキユースケ、プロダクションデザインは田中直哉&Ferdinando Patulli、CGキャラクターデザインは森山佑樹、造形監督は片塰満則、演出は米林拓、CGスーパーバイザーは多家正樹、アニメーションディレクターは島田寛志、色彩設計/色指定は野地弘納、美術監督は渋谷幸弘、編集は肥田文、音響監督は本山哲、音楽は服部隆之、音楽プロデューサーは小林健樹。
主題歌『live and die』XAI、作詞:XAI、作曲・編曲・サウンドプロデュースは中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)。
声の出演は宮野真守、櫻井孝宏、花澤香菜、杉田智和、梶裕貴、小野大輔、堀内賢雄、中井和哉、山路和弘、上田麗奈、小澤亜季、鈴村健一、早見沙織、諏訪部順一、三宅健太、山本兼平、堀越富三郎、柳田淳一、石谷春貴、小松奈生子、洲崎綾、池田海咲、浜崎奈々、浜田洋平、佐々健太、岩澤俊樹ら。


東宝が生み出した世界的怪獣のゴジラを、長編3DCGアニメーション映画で描く3部作の第3作。TVアニメ『シドニアの騎士』や『亜人』を手掛けたポリゴン・ピクチュアズが、アニメーション制作を担当している。
監督は映画『名探偵コナン』シリーズの静野孔文と、TVアニメ『シドニアの騎士 第九惑星戦役』『亜人』の瀬下寛之。
脚本はTVアニメ『シドニアの騎士』『シドニアの騎士 第九惑星戦役』の村井さだゆき&山田哲弥、TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』『PSYCHO-PASS サイコパス』の虚淵玄による共同。
サカキの声を宮野真守、メトフィエスを櫻井孝宏、ユウコを花澤香菜、ラッザリを杉田智和、アダムを梶裕貴、リーランドを小野大輔、モーリを堀内賢雄、ドルドを中井和哉、エンダルフを山路和弘、マイナを上田麗奈、ミアナを小澤亜季が担当している。

この映画の企画が立ち上がった時点で、東宝は「アニメ版ゴジラは怪獣プロレスにしない」という方針を決定していた。
ひょっとすると、東宝はギャレス・エドワーズが監督を務めた2014年の『GODZILLA ゴジラ』を見て、「普通に怪獣プロレスをやっても勝負にならない」と思ったのかもしれない。
仮にそうだとしたら、その考えは大間違いだ。
そもそも『GODZILLA ゴジラ』は、怪獣プロレスの魅力を存分に表現できていたとは言い難いからね。

それに、アニメーションにはアニメーションなりの魅力があって、「特殊視覚効果を多用しても、実写では出来ないような怪獣プロレスの面白さ」を表現することは充分に可能なはずだ。もっとポリゴン・ピクチュアズ(この3部作を手掛けたアニメ制作会社)の力を信じて、委ねれば良かったのだ。
この3部作で東宝が怪獣プロレスを放棄したのは、結果として「ポリゴン・ピクチュアズのアニメーション技術は低い」と判定したようなモノになっているんだよね。
しかも、「怪獣プロレスにしない」という方針を決定して、「もはやゴジラ映画である意味がない」「ゴジラという名前を利用しただけ」という内容になっているんだから、どういうつもりなのかと。
頭でっかちなオタク気質の人が陥りがちな失敗を、この映画は(っていうか3部の全てが)見事にやらかしている。
この3部作が大きな話題になることもなく終了し、一部のマニアにしか見てもらえなかった上に評価は芳しくないという結果から考えても、東宝の打ち出した方針が失敗だったことは火を見るより明らかだ。

大体さ、怪獣プロレスの要素を完全に放棄し、その代わりに重視したのが禅問答では御門違いも甚だしいわ。
そんなモン、何の代わりにもならないぞ。
押井守の熱烈なファンでもない限り、「登場キャラクターが何のアクションも起こさず、ダラダラと哲学的だったり抽象的だったりする会話を続ける」という時間を長く見せられて、喜ぶような奇特な観客はいないだろ。
例えアニメであろうとも、ゴジラ映画を見る観客が求めているのって、そういうモノじゃないはずで。

特にメトフィエスが禅問答の使い手として重用されており、やたらと小難しいことを得意げに語る。
例えば、神について「こう考えたことはないか?神についてオカルトや迷信の類いと同列に語るのは、そもそも君たちの科学が神を理解できるほど成熟していないからだと」とか、「我々にとって神の存在とは、数学的帰結だ。君たちが未だに至らないゲマトリア演算というテクノロジーが、我々に高次元存在との接触を実現させたのだ」なんてことを彼は喋る。
だが、「とりあえずウザいし、すんげえ面倒だわ」としか感じない。これは「ワシがバカだから理解できない」とか、そういう問題とは全く別の話だ。
もちろん、何を言っているのかサッパリ分からないワシはバカだけど、「そんな難解なことをウダウダと喋っている暇があったら、もっと体を動かせ。あと喋るにしても、もっとストーリーを進めるための言葉を吐け」と言いたくなる。
劇中で語られる禅問答の大半は(もはや全てと言ってもいいかもしれないが)、例えば「1つの教室にいる人物たちが、そこから1歩も動かずに喋り続ける」という状況下でも成立しちゃう内容なんだよね。そこがストーリーを転がしたり、ドラマを牽引したりする道具としては機能せず、まるで上手く絡み合っていないのだ。

始まってから30分以上は、ゴジラどころか何の怪獣も動きを見せず、その予兆さえ見えない状態が続く。そんな中、人類サイドのゴタゴタが延々と描かれる。
しかも、それは派手なアクションを伴うゴタゴタではなく、基本的には言葉による闘争だ。
メトフィエスがミアナを捕獲すると、ようやくゴジラが動き出す予兆を示す。そして映画開始から40分辺りでギドラが登場し、地上に移動してゴジラとの戦いを開始する。
陳腐なカルト教団の動きばかりを描いていた前半が、そこに向かう流れとして充分な力を持っていたとは到底言い難いが、そこから怪獣バトルを存分に見せるのなら、まだ救いの道は残されている。

しかし、いざ怪獣が暴れ出しても、小難しい言葉を使った解説をやたらと盛り込んで邪魔をする。
そして疎ましいメトフィエスが参加し、またもやウダウダと喋り出す。「君たちとの邂逅も、永きに渡る虚空の旅も、全てはこの収穫の日のために」「星という種から命が芽吹き、人という花が文明を咲き誇らせる。その果てに実る果実がゴジラだ」「そして最後に果実を摘み取り、食らうもの。それこそが我らが神。王たるギドラ」などと、面倒なことを淡々と喋る。
そして怪獣バトルは何度も中断を余儀なくされ、メトフィエスとサカキの退屈極まりない禅問答が開始される。
「我々の先祖は、永遠など存在しないという結論に至った。宇宙は有限であり、全ては滅びて消えて行く。ならば我らは滅びの果てに安息と栄光を見出すしかない」とメトフィエスは語り、「そんな戯れ言を認めない」とサカキは反発する。メトフィエスは「それは欺瞞だ。命とは恐怖の連続。そこからの解放と永久の安息は、あらゆる理性にとっての祝福なんだ」とサカキに説く。
そんなやり取り、心底からどうでもいいわ。

サカキがメトフィエスの野望を阻止するとギドラが消滅し、ゴジラ・アースは動きを止める。
多くの犠牲が出たものの、これで平穏な日々が訪れるのかというと、そうではない。映画のラスト、サカキはユウコを抱いてゴジラ・アースに突入するという行動に出る。
この結末に、心底から不快感を覚えた。ヘドが出そうになった。
もしかすると、実写シリーズの1作目で芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーを抱いてゴジラを抹殺した行動に重ねている部分があるのかもしれない。
だけど、仮にそうだとしても全くの別物だからね。

芹沢は自分が犠牲になることでゴジラを抹殺し、地球や人類を救おうとした。
だけどサカキはザックリ言うと、ただ自殺したかったただけなのよ。ゴジラに特攻するのは、言い訳みたいなモンなのよ。
それは地球や人類のための自己犠牲でも何でもなく、ただの自分勝手で卑怯な逃避行動だ。責任を取るための決断ではなく、責任を取らずに済む安易な方法を選んだだけなのよ。
しかも、それは何とか生き残った仲間たちの希望を無残に打ち砕く行為でもあるんだよね。
サカキって、最後まで身勝手なクズ野郎のままなのよね。

オカルト色が強くなるとか、怪獣の解釈を実写シリーズから大幅に変化させるとか、そういうのは別にいいのよ。そもそも、実写シリーズでも作品によっては設定や解釈が違うしね。
ただ、それ以外の部分でコレジャナイ感が強すぎる。
どうやら製作サイドには「今までゴジラを見たことが無かった人にも楽しんでもらえる映画」「マニアだけのモノにならないような映画」を作ろうという意識もあったようだが、別方向で超マニアックな仕上がりになってんじゃねえか。
これならシンプルに怪獣プロレスを描いた方が、遥かにマシだろ。

ハッキリ言って、これまでの実写のゴジラシリーズにはポンコツな作品が幾つもあった。でも、それらが良く出来た映画だと感じるぐらい、この3部作はドイヒーだわ。
これまで製作されたゴジラ映画の中で、ローランド・エメリッヒ監督作も含めて、この3部作がダントツでポンコツだわ。
しかも、ただ出来が悪いだけじゃなくて、タチが悪いわ。
ローランド・エメリッヒ監督作は駄作なりに愛せなくもないけど、この3部作は1ミリも愛せないわ。

(観賞日:2020年6月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会