『GODZILLA 怪獣惑星』:2017、日本

移民船アラトラム号に乗っていたハルオ・サカキ大尉は1人で反乱を起こし、兵士たちに包囲されてシャトルに立て籠もった。交渉しようとする隊長に対し、ハルオはタウ星からの即刻退去と移民プランの完全棄却を要求する。タウeへの移民計画は中央委員会の決定事項だが、ハルオは「あの星は人が暮らせる星じゃない」と訴える。移民団は志願者のみで構成されていたが、ハルオは老人ばかりを集めていることを「死にに行かせるようなものだ」と批判した。
ハルオはオープン・チャンネルの回線で乗船している人々に語り掛け、1時間後に要求が通らなければシャトルを爆破すると通告した。すると老人のダイチ・タニがモニターに現れ、「ワシらがタウeに降りたがっているのは本当だ。追い払われて出て行くわけじゃない」と言う。アラトラム号で宇宙に出てから既に20年以上が経過しており、タニは「若い連中には耐えられるかもしれんが、ワシらには限界だ。せめて死ぬ時は大地で終わりたい。例えそれがどんな星であろうとも」と語る。ハルオは投降して監禁され、老人たちを乗せた揚陸艇がタウeに向かった。窓の外を眺めたサカキは、揚陸艇が着陸できずに爆発する様子を目にした。
20世紀最後の夏、怪獣たちが次々に出現して地球を荒らし、最後にやって来たのがゴジラだった。人間も怪獣も区別なく焼き尽くすゴジラを相手に、人類は成す術も無かった。そんな中、異星人のエクシフとビルサルドが地球に飛来し、ゴジラ駆逐への協力と引き換えに移住を希望した。しかしメカゴジラの起動も間に合わず、人々は地球を捨てることを選んだ。まだ幼かったハルオはシャトルで脱出する直前、両親を乗せたバスがゴジラの攻撃で爆発する様子を目撃した。
移民船での生活は、飢えと渇きと寒さに苛まれる終わりなき日々だった。病に倒れたり精神をやられたりして、同胞は減少する一方だった。エクシフの神官を務めるメトフィエスはハルオの元へ行き、頼まれていた極秘データを渡した。禁断の記憶を掘り起こそうとする理由を問われたサカキは、「なぜ俺たちはこんなに苦しんでいるのか。それは最後まで戦わず諦めたからだ。正しい備えがあれば奴は倒せた。俺が証明してやる」と述べた。
ウンベルト・モーリ船長やタケシ・J・ハマモト副長、ビルサルド族長のハルエル・ドルド、エクシフ族長のエンダルフなど中央委員会の面々は会議を開き、今後20年以内に居住可能な惑星を発見することが絶望的となっている問題について話し合った。地球への帰還を検討すべきではないかという意見も出たが、既に11.9光年も離れていた。意見が全くまとまらない中、彼らは共有サーバーにアップされている対ゴジラ戦術案の論文を厄介に感じていた。
論文の執筆者はハルオであり、サーバーにアップした協力者はメトフィエスだった。リルエル・ベルベも彼らの行動を知っており、ゴジラを倒せるというハルオの主張についてメトフィエスに「実に興味深い」と告げた。中央委員会は地球への帰還を決定し、過去に例を見ない長距離の亜空間航行に入った。無人偵察機が視察のために放出され、地球では1万年が経過していると判明する。偵察機から送られてきた映像とデータによって、委員会の面々はゴジラが生きていることを知った。
メトフィエスはゴジラを殲滅するべきだと提言し、戦術案の開発者がサカキだと明かす。保釈されたハルオは戦術案について中央委員会に詳しく解説し、至近距離で多くの人員が動く必要性を語る。移民船の生き残りは4000人だが、プラン実現には600名が必要だとハルオは述べた。エリオット・リーランドを総司令とする地球降下部隊が組織され、保釈中のハルオもA中隊に参加して揚陸艇が放出された。部隊は複数の班に分散して降下し、ムルエル・ガルグの揚陸艇は途中で衝撃を受ける。地球に着陸した彼は、機体に何かに引っ掻かれたような傷があるのを知った。
ハルオがA中隊の偵察隊に志願すると、エリオットはユウコに監視役を命じた。偵察隊のマーティン・ラッザリ博士たちは、ジャングルを移動する。ユウコはハルオに、祖父のタニが死んだ出来事について尋ねる。ハルオがシャトルに持ち込んだ爆発物は全て撤去されており、揚陸艇の爆発が事故ではなく中央委員会の細工ではないかと彼女は推測していた。ハルオは「俺はそこまで人間を見損ないたくない。俺たちはゴジラに地球を奪われただけじゃない。正義や信念、人間としての最低限の誇り、そういった物さえ見失ってしまった」と語り、だからこそゴジラと戦わねばならないのだと説いた。
廃墟を見つけたハルオは感涙し、「この星は俺たちのことを覚えていた」と漏らした。A中隊のベースキャンプがゴジラとは別の怪獣に襲撃され、ハルオたちは異変を知って慌てて戻った。リーランドたちは死者12名と多くの負傷者を出して怪獣を退治し、生態系の大きな変化を肌で感じた。ラッザリは怪獣と植物の細胞を分析し、どちらもゴジラと同じ特性を持っていることをハルオたちに語る。さらに彼は、電波障害を起こしている霧は植物の花粉だと言う。
リーランドが撤退を決めるとハルオは激しく抗議して詰め寄った。メトフィエスはリーランドに、撤退の方法が問題だと告げる。4機の揚陸艇は全て怪獣に破壊されたため、自力で母船へ戻ることは不可能となっていた。回収して離脱できる搬送力を保持しているのはD中隊とE中隊だけであり、そこに合流するためには当初の予定通りにゴジラの出没予測エリアを通る必要があった。最も安全な策はハルオが最初に提案した作戦であることを、メトフィエスは指摘した。
リーランドは「ゴジラをおびき出すような作戦を取るな」とメトフィエスに釘を刺した上で、2番艇で移動することにした。「このままゴジラと会わずに終われば、俺は何のためにここまで来たのか」とハルオが悔しがると、メトフィエスは「奴は決して人類を見逃さない」と言う。彼はハルオに、様々な文明がゴジラと同様の存在によって破滅に追いやられて来たことを教えた。その予想通り、A中隊の前にゴジラが出現した。
2番艇はエンジンの不調で不時着し、メトフィエスに手錠を外してもらったハルオはホバーバイクで出撃する。彼は至近距離から攻撃するが、その程度でシールドが発生しないことをラザッリは悟る。ハルオはラザッリに計測を依頼し、急降下して攻撃しようとする。そこへリーランドが多脚砲台で駆け付けて攻撃し、ゴジラに襲われて殉死した。総司令の座を引き継いだメトフィエスは母船に連絡を入れ、1人でも多く連れ戻すよう命じられた。
ハルオが転送したデータを分析した結果、ゴジラのシールド発生源が判明した。メトフィエスは残った面々の前に行き、以後の指揮を全てハルオに一任すると宣言した。ハルオは全く動じず、アダム・ビンデバルトたちに「今、ゴジラに屈しなかった者だけが、胸を張って明日を迎えられる。これはゴジラを殺すためだけの戦いではない。今から挑むのは、絶望と諦めを受け入れざるを得ない屈辱の未来だ。それを否定し拒絶できるなら、俺たちは再び希望と繁栄を夢見て歩き出せる」と力強く訴えた…。

監督は静野孔文&瀬下寛之、ストーリー原案・脚本は虚淵玄(ニトロプラス)、シリーズ構成は虚淵玄(ニトロプラス)&村井さだゆき、製作は大田圭二、エグゼクティブプロデューサーは古澤佳寛、プロデューサーは吉澤隆、アニメーション制作はポリゴン・ピクチュアズ、キャラクターデザイン原案はコザキユースケ、副監督は森田宏幸、演出は吉平“Tady”直弘、プロダクションデザインは田中直哉&Ferdinando Patulli、CGキャラクターデザインは森山佑樹、造形監督は片塰満則、CGディレクターは土本雅之&菅井進、アニメーションディレクターは島田寛志、美術監督は渋谷幸弘、色彩設計は野地弘納、音響監督は本山哲、音楽は服部隆之。
主題歌『WHITE OU』はXAI 作詞:蒼山幸子、作曲・編曲・サウンドプロデュース:中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)。
声の出演は宮野真守、櫻井孝宏、花澤香菜、小澤亜季、杉田智和、梶裕貴、諏訪部順一、小野大輔、三宅健太、堀内賢雄、中井和哉、山路和弘、山本兼平、高橋伸也、堀越富三郎、柳田淳一、石谷春貴、須嵜成幸、浜崎奈々、菅原雅芳、内野孝聡、小松奈生子、洲崎綾、各務立基、平ますみ、鶏冠井美智子、渡辺はるか、濱野大輝ら。


東宝が生み出した世界的怪獣のゴジラを、長編3DCGアニメーション映画で描く3部作の第1作。
TVアニメ『シドニアの騎士』や『亜人』を手掛けたポリゴン・ピクチュアズが、アニメーション制作を担当している。
監督は映画『名探偵コナン』シリーズの静野孔文と、TVアニメ『シドニアの騎士 第九惑星戦役』『亜人』の瀬下寛之による共同。
脚本はTVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』『PSYCHO-PASS サイコパス』の虚淵玄。
ハルオの声を宮野真守、メトフィエスを櫻井孝宏、ユウコを花澤香菜、ラザッリを杉田智和、アダムを梶裕貴、ガルグを諏訪部順一、リーランドを小野大輔、ベルベを三宅健太、モーリを堀内賢雄が担当している。

冒頭でハルオの反乱劇やシャトルの爆発を描いた後、「こんな経緯が過去にありまして」ということをハルオのモノローグで説明する。
そこでは怪獣たちが地球に飛来したこと、中でもゴジラがダントツで凄かったこと、エクシフとビルサルドが移住したこと、結局は地球を捨てざるを得なかったことなどが語られる。
それらを全てハルオのモノローグで「過去の出来事」としてサラッと処理するのは、その時点で雑という印象が否めない。
「回想としての処理がダメってことじゃなくて、「内容を詰め込み過ぎ」ってことだ。

まず「怪獣が次々に現れたけどゴジラが最後に来て別格の凄さを見せ付けた」という部分は、「ゴジラだけで良くねえか」と感じてしまう。
「ゴジラが他の怪獣も全て倒した」という設定なので、「ゴジラだけなら人類が駆逐できる可能性を感じさせるから」という言い訳は成立しない。
もっと邪魔に思えるのが、エクシフとビルサルドという2種類の異星人の移住だ。
彼らが来たことで何の変化があったのかも全く分からないまま回想シーンが終わるので、「地球人だけで良くねえか」と言いたくなる。
現在進行形の物語が進むと彼らも深く関与してくるが、それでも「地球人だけで良くねえか」という印象は全く変わらない。

ハルオの元へメトフィエスが来ても、事前に紹介シーンが無いし、その時に説明が入るわけでもないから、こいつがエクシフの神官であることは予備知識が無ければ分からない。その後の中央委員会の会議シーンでも、誰が誰なのかサッパリ分からない。どいつが最も偉いのか、それぞれがどういう役職なのかも、もちろん全く分からない。
「ミステリアスな要素で興味を引き付ける」という部分とは全く無関係な、単なる説明不足があまりにも多すぎる。
そして、無駄に話を複雑化させているエクシフやビルサルドという異星人の設定は、いつまで経っても意味を持たない要素のままだ。
せめて1種類で充分だったんじゃないか、っていうか別に異星人である必要なんて無かったんじゃないかという違和感をスッキリと解消させてくれるような答えは、この映画の中に存在しない。

ハルオのモノローグでは、「移民船での生活が過酷なので、どんどん人口が減っている」ってことも語られる。そこに附随して、参考映像もチラッと挿入される。
しかし、見ている側として「移民船での生活は絶望感に満ちており、人々は精神的にも肉体的にも疲弊の限界まで来ている」という印象を受けるかというと、答えはノーだと断言できる。
その理由は簡単で、説明をモノローグだけで済ませているからだ。
現在進行形のシーンで、「病気で瀕死の人が大勢いる」とか「自殺者が出たけど良くあることなので周囲の人は大して気にしない」とか、そういった様子でも描けば伝わる力は一気に強くなっただろうけど、そんな意識は皆無だ。

こっちに「移民船の生活の苦しさ」が全く伝わらない状態なので、ハルオの反乱も単なる身勝手な暴走にしか見えない。
そもそもタニが「自分たちの意志で上陸を選んだ。もう船の生活は限界だから、せめて死ぬ時は大地で死にたい」と言っているし、その意志を汲んでやるべきじゃないかと。
ハルオは委員会による口減らしだと批判しているけど、どうせ移民船での生活を続けたところで死を待つだけだし。
なので、どっちにしろハルオの反乱は「賛同を得られない身勝手」になっている。

ハルオは移民船で他の場所を探すべきだと主張しているわけではなくて、移民プラン自体を中止するよう要求している。つまり彼は、地球へ戻ることを求めているのだ。
なぜ戻りたいのかというと、それはゴジラと戦うためだ。彼はゴジラと戦う理由について「人としての尊厳を取り戻すため」と言っているが、それは建前にしか聞こえない。
でも建前かどうかってのは、この映画では大した意味を持たない。それより問題なのは、それも含めてハルオの身勝手に過ぎないってことだ。
そんなハルオの身勝手に、大勢の人々が巻き添えを食らっているというのが今回の話なのである。

もちろん、委員会の連中は話し合って地球への帰還を決めているし、ゴジラ駆逐の作戦も説明を聞いてOKしている。
ハルオが無理強いしたり騙したりしたわけじゃなくて、最終的には「他の連中も承知した上で作戦が実行されている」という形ではある。
だけど、ハルオが共有サーバーに論文をアップし、地球帰還&ゴジラ駆逐のプランが通るように仕向けていたことは事実だ。
「人類の住める星が見つかる可能性はゼロに近い」という状況を示すことで「他に選択肢は無いし」という風に見せているけど、だとしてもゴジラ駆逐作戦に関しては「それで本当に正解なのか」という疑問を禁じ得ない。

地球の環境を知ったリーランドは、「こんな星を取り戻すためにゴジラと命懸けで戦うなんて馬鹿の極みだ」と撤退を決める。
彼は月面に居住地を作り、地球からは資源だけを回収した方が安全面を考えれば現実的なプランだと考える。
地球は人の住めるような環境とは到底言えないので、それは理解できる考えだ。
しかしハルオが激しく抗議し、メトフィレスが「母船へ撤退する方法が大事」ってなことを言うと、結局はゴジラと遭遇して戦いに至るルートを取らざるを得なくなっている。

「俺の言うことは絶対」と思い込んで暴走したがるキャラがいても、それは別に構わない。
ただし、そういうのって基本的には脇役が担当するような役回りであって、主人公としては明らかに不適格だ。
これが「仲間を救うために無茶をする」とか「地球を守るために自分の命を粗末にしようとする」という類の暴走ならともかく、そうじゃなくて「多くの仲間に犠牲を強いる」という暴走だからね。
サカキの考えを徹底的に全否定するキャラを登場させて、イデオロギーの対立を軸にしてドラマを描くわけでもないし。

ハルオは保釈された後、委員会に戦術案を詳しく説明する。
専門用語を使いつつ彼は具体的に説明しているが、まるで頭に入って来ない。
確実に言えるのは、「それでゴジラを駆逐できる」という説得力が微塵も感じられないことだ。
ザックリ言うと「弱点を調べて一点集中で攻撃する」という方法なのだが、「いやザックリしすぎだろ。そもそも、簡単に弱点を突き止められるぐらいなら、21世紀末の時点で殲滅できているだろ」とツッコミを入れたくなる。

長い宇宙生活で全員のオツムがユルくなってしまったのか、「かつて3つの種族が知恵や技術を結集して戦ったのに、ゴジラには全く歯が立たなかった」という現実を完全に忘れ去っている。
それを覚えていたら、「今度こそゴジラに勝てる」なんて安易に思うことは出来ないはずだ。
当時と比較して、人類サイドの科学力が飛躍的に向上したわけではない。彼らが離れている間に地球の環境はゴジラが住みやすいように変化し、電波状況は著しく悪化している。
そんな状況なのに、何の根拠でゴジラに勝てると思えるのか。正気の沙汰とは思えない。
せめて「ゴジラが老いて、以前より衰えている」みたいな分析でもあればともかく、そういうのは無いわけだし。

何よりも引っ掛かるのは、「ゴジラである意味が無い」ってことだ。
この映画におけるゴジラには、「その人気と知名度を利用して大勢の観客を集める」という客寄せパンダの意味しか見出せない。ゴジラじゃなくて別の巨大怪獣でも全く支障は無いし、もっと言えば怪獣である必要性も乏しい。それこそ『シン・ゴジラ』と同じで、使徒か何かでも大して変わらないのだ。
とは言え、「ゴジラというキャラに、実写では不可能なアクションをさせてみたい」という目的があったとすれば、それはそれで「CGアニメで作る意味」として有りだと思う。
ただ、そういう目的があったとは到底思えない。何しろ、ゴジラが写っている時間はそんなに多いわけじゃないし、「アニメだからこそだな」と唸らせてくれるような映像表現があるわけでもない。

ゴジラってのは「人間と比べて圧倒的に大きい」というのも脅威の1つであるはずだが、そのサイズが分かりにくい。
ハルオがモノローグを語る序盤に参考映像として登場した時は、チラッと写るだけなので分かりにくい。
後半に入ってハルオたちが遭遇する時は、周囲の環境がジャングルになっているため、大きさを比較できる物が無い。
大きさを表現するには「下から見上げる」というカットを使うケースが多いが、そういう意識も乏しい。

最後の最後で新しい怪獣が登場すると「ゴジラとは比較になりません」と評しているけど、そもそも比較対象である最初のゴジラの大きさが分からないわけで。
新しい怪獣にしても、「体高300メートル超え、質量10万トン」と言うけど、やっぱりジャングルの中に立っている状態で比較対象物が無いから大きさが伝わりにくいし。
また、ずっとジャングルでの戦闘が続くから、都市破壊のシーンも無い。ただSFアクションをやっているだけにしか見えないが、じゃあSFアクションとして面白いのかと問われると、それも感じない。
3部作なのは『シン・ゴジラ』の大ヒットに便乗した部分が大きいのかもしれないが(1本より3本の方が稼げるだろうという目論みね)、1作目がこれでは相当に厳しいと言わざるを得ない。

(観賞日:2019年1月5日)


2017年度 HIHOはくさいアワード:第6位

 

*ポンコツ映画愛護協会