『ゴジラVSキングギドラ』:1991、日本

西暦2204年、オホーツク海沖。潜水艇で海底を探索していたエミー・カノーは、砂に埋もれているキングギドラを発見した。彼女は同行した男に、20世紀の終わりにゴジラと戦ったキングギドラが首を1つ失ったことを話す。1992年、東京。夜の上空にUFOが出現し、大勢の人々が目撃した。新聞も大きく取り上げる中、雑誌『ムー』の編集者である森村千晶は恋人の寺沢健一郎に電話を掛けた。来月号でUFの特集を組むことになったので、ノンフィクションライターである寺沢に記事の執筆を依頼したのだ。超能力の本で一軒家を建てた寺沢だが、「超自然現象には飽きた」と執筆を断った。
「心を入れ替えて、これからは人間物のノンフィクションライターで賞を目指す」と口にした寺沢は、UFO騒ぎとは別の小さな記事に着目していた。それは、福岡の恐竜ワールドでオープン初日に抗議した老人がいるという記事だ。博多の焼き鳥屋台「らごす」の主人である池畑益吉が「その昔、本物の恐竜を見た」と言い、恐竜は神聖な存在だと訴えたのだ。博多へ飛んだ寺沢は、彼に話を聞く。池畑は戦時中、ラゴス島に上陸した時に恐竜を見たと話す。「恐竜はアメリカ軍から部隊を守ってくれた。自分の島を守りたかったんだろう」と彼は話すが、恐竜発見の記録は残されていないという。
UFO騒動を受けて、日本政府は会合を開いた。国立超科学研究センター所長の藤尾猛彦は、複数のレーダーがUFOを捉えていること、探査衛星の写真でも確認されていることを説明した。内閣安全保障室室長の土橋竜三も、「空飛ぶ円盤としか言いようがないのです」と口にする。国立超科学研究センターのゴジラチームに所属する三枝未希は、抗核エネルギーバクテリアで活動を抑えられたゴジラが眠る日本海の地点を彼らに指し示す。そして彼女は、その地点の上空でUFOが確認されていることを報告した。
寺沢は東都大学古生物学教授の真崎洋典を訪ね、池畑の話について意見を求めた。真崎は恐竜が絶滅していないという持論を唱えており、池畑の話も信じた。『ムー』編集部へ出向いた寺沢は、千晶に「もう恐竜はラゴス島にいないだろう。ビキニ環礁の水爆実験で放射能を浴びて、恐竜はゴジラになった」と自身の考えを語った。富士山麓上空で自衛隊の偵察ヘリ2機が謎の爆発を遂げ、地上では着陸している円盤が発見された。
寺沢は千晶から、恐竜ワールドを主催した帝洋グループ会長の新堂靖明が、ラゴス島の守備隊指揮官だったことを聞かされた。彼は千晶と共に新堂を訪ね、ラゴス島で本物の恐竜を見たのではないかと尋ねる。最初は否定していた新堂だが、寺沢が「ラゴス島の恐竜が核実験の影響でゴジラになった」という自説を語ると、「あれがゴジラになったというのか」と漏らした。新堂は寺沢たちに、ラゴス島で撮影した恐竜の写真を渡した。寺沢と千晶は、その写真を持って真崎の元へ赴いた。写真の恐竜は頭部がティラノサウルスよりも一回り小さく、ゴジラの特徴に近かった。
円盤の近くには自衛隊が到着し、藤尾や土橋も駆け付ける。モニターには「日本の方々と話し合うためにやってきました。13時に第一回の話し合いを持ちたい」というメッセージが表示され、円盤から3人の男女が出現した。藤尾と土橋が歩み寄ると、3人は自分たちが立体映像であることを説明した。エミー・カノー、ウィルソン、グレンチコという3名は、2204年から来た地球連邦機関の人間だと話す。円盤は宇宙を飛行するための乗り物ではなく、「マザー」と呼ばれるタイムマシンなのだという。
エミーたちは政府の最高責任者と話し合うことを求め、藤尾と土橋に仲介役を依頼した。翌日、3人はテレポーテーションで首相官邸へ移動し、林田首相と面会した。エミーたちは政府関係者に対し、23世紀の日本が核汚染で死滅することを語る。再び活動を開始したゴジラによって、致命的な破壊を受けるというのだ。3人はゴジラを抹殺するため、1992年の日本へ来たのだと説明した。エミーは林田たちに、未来から持参した一冊の本を見せた。
寺沢は内閣安全保障室から電話を受け、首相官邸へ呼び出された。彼が急いで出向くと、真崎も呼び出しを受けていた。エミーが林田たちに見せたのは、これから寺沢が執筆しようとしている『ゴジラ誕生』という本だった。その本には、真崎のインタビュー記事も入っていた。未来人の調査により、寺沢の説が正しいことは証明されていた。つまりラゴス島の恐竜がビキニ環礁の核実験に遭遇しなければ、ゴジラに変身することも無い。そうすれば、23世紀の日本が死滅することも無くなるわけだ。
そこで未来人の3名は、1944年のラゴス島にタイムワープし、恐竜を別の場所へテレポーテーションさせることを日本政府に提案した。そして寺沢、真崎、未希の3人に同行を要請した。マザーに乗り込んだ寺沢たちに、ウィルソンはエミーとアンドロイドのM11が同行することを告げた。寺沢たちが搭載艇「キッズ」に乗り込むと、空飛ぶ3匹の小動物がいた。エミーは寺沢たちに、ペット用に遺伝子操作で作られたドラットという生き物だと説明した。
キッズが1944年2月6日のラゴス島へタイムワープすると、激しい戦闘の最中だった。M11は外へ出て、洞窟にいる守備隊の姿を確認した。翌朝、守備隊と米軍の戦闘中に恐竜が出現した。恐竜は米軍の上陸部隊を全滅させるが、巡洋艦の砲撃を受けて傷付いた。その様子を観察したエミーたちは、守備隊が撤退した2月14日にタイムワープする。新堂たちは傷付いて倒れている恐竜に別れを告げ、島を離れた。それを確認してから、エミーたちは恐竜をベーリング海にテレポーテーションさせた。
エミーはドラット3匹をキッズの外へ出し、1992年へ戻ろうとする。ドラットがいないことに気付いた未希が声を掛けても、エミーは無視してM11にタイムワープを指示した。1992年に戻った一行は、ゴジラが日本海から消えたことをウィルソンから聞く。しかしウィルソンは、その代わりにキングギドラが出現したことも告げる。キングギドラは福岡に現れ、街を破壊した。未希は寺沢や藤尾たちに、ドラットが核実験の放射能を浴びてキングギドラになったのだろうと話した。
未希が推測した通り、エミーは意図的にドラットをラゴス島へ残して来たのだった。ただし、彼女は日本への警告だけを目的として考えていたが、ウィルソンとラドンチコはキングギドラに東京以外を全て破壊させて日本を壊滅させようと企んでいた。その方針に激しく反対したエミーがマザーを出て行くと、ウィルソンはM11に監視を命じた。エミーは寺沢を訪ね、自分たちが地球均等環境会議のメンバーであること、計画のために地球連邦機関とタイムマシンを乗っ取ったことを明かした。
エミーは寺沢に、23世紀に入るまでゴジラが一度も現れていないことを話す。死滅したというのも嘘で、それどころか日本は赤字を出した他国を買収して世界一の超大国になっていた。巨大になり過ぎた日本を潰そうというのが、地球均等環境会議の過激派メンバーであるウィルソンたちの計画だ。ただし核兵器は21世紀の終わりに地球上から破棄されており、武力で日本を抑えることが出来ない。そこで彼らは、ゴジラ以上の怪獣を1992年の日本に出現させ、国力を消耗させようと考えたのだ。
ウィルソンたちは政府に対し、日本の政治に自分たちのコンピュータを導入するよう要求した。土橋は真崎に、「ベーリング海に眠る恐竜を核の力でゴジラにすることは可能でしょうか」と質問した。理論上は可能だと言う真崎だが、日本に核兵器は存在しない。しかし、実は新堂が核ミサイルを積んだ原子力潜水艦を東南アジアの軍事施設に緊急用シェルターとして保有していた。土橋たちから相談を受けた新堂は、原潜をベーリング海へ向かわせることを喜んで承諾した。
未希は寺沢たちに、「ゴジラを感じる」と告げた。驚く寺沢に、エミーは「もしベーリング海の氷の下に、核物質があったとしたら?」と口にする。寺沢は千晶に調べてもらい、過去にベーリング海で原潜の沈没事故があったことを知る。核燃料は回収されたと発表されていたが、寺沢は嘘だと確信する。未希は「やっぱりゴジラです。動いてます」と言い、探査衛星からの低周波画像にゴジラの陰影が捉えられたことを寺沢たちに知らせた。
寺沢は原潜の出撃が不必要になったことを新堂に教えるため、エミーと共に車で出発する。しかし張り込んでいたM11が襲い掛かり、損傷を受けながらも車を停止させる。寺沢が立ち向かおうとすると、エミーは自分がマザーへ戻ることを告げた。エミーはウィルソンたちに内緒で、M11のプログラムディスクを交換した。一方、ゴジラは新堂の派遣した原潜を撃沈させた。M11は寺沢をマザーに引き入れ、エミーと会わせた。エミーは寺沢に大型コンピュータの位置を教え、破壊工作に乗り出す。未希と真崎は北海道へ飛び、ゴジラの姿を目にした。ゴジラは以前よりも、さらに大きくなっていた…。

脚本・監督は大森一樹、特技監督は川北紘一、製作は田中友幸、プロデューサーは富山省吾、撮影は関口芳則、美術は酒井賢、録音は宮内一男、照明は粟木原毅、編集は池田美千子、擬斗は宇仁貫三、音楽は伊福部昭。
出演は中川安奈、豊原功補、土屋嘉男、西岡徳馬、小高恵美、原田貴和子、小林昭二、佐々木勝彦、チャック・ウィルソン、山村聡、時任三郎、上田耕一、薩摩剣八郎、リチャード・バーガー、ロバート・スコット・フィールド、矢追純一、ケント・ギルバート、ダニエル・カール、ジェフ・バークランド、東銀之助、森末慎二、風見しんご、吉満涼太、佐原健二 、黒部進、仙波和之、荻原賢三、辰馬伸、渡辺哲、小木茂光、坂田祥一郎、井上康、マイケル・フォキャノン、マーク・フォキャノン、藤本修子、破裏拳竜、福田亘ら。


“ゴジラ”シリーズの第18作。
脚本&監督の大森一樹、特技監督の川北紘一は前作から続投。第15作『メカゴジラの逆襲』以来、16年ぶりに伊福部昭が音楽を担当している。
前作ではゴジラの敵として新怪獣(というか植物)のビオランテが登場したが、今回はキングギドラが第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』から19年ぶりに復活している。
キングギドラは第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』で初登場してから4作品でゴジラと戦って来たが、1対1でのバトルも、タイトルに名前が付くのも、本作品が初めてだ。
エミーを中川安奈、寺沢を豊原功補、新堂を土屋嘉男、藤尾を西岡徳馬、未希を小高恵美、千晶を原田貴和子、土橋を小林昭二、真崎を佐々木勝彦、ウィルソンをチャック・ウィルソン、グレンチコをリチャード・バーガー、M11をロバート・スコット・フィールドが演じており、林田役で山村聡、レポーター役で時任三郎が出演している。
他に、テレビのコメンテーター役で矢追純一、アメリカ海軍大佐役でケント・ギルバート、ラゴス島アメリカ軍少佐役でダニエル・カール、アメリカ海軍副官役でジェフ・バークランド、モールズ役で東銀之助、カメラマン役で森末慎二、国立超科学研究センター所員役で風見しんごが出演している。

前作に引き続いて、超能力少女の三枝未希が登場する。
前作では超能力少女の存在に否定的だったのだが、今回は素直に受け入れられる。
その理由は、のっけから2204年という未来の時代設定があり、その後にはUFOやら未来人やらタイムマシンやらアンドロイドやらといった要素が次々に出てくるからだ。
そこまで振り切ってくれたら、超能力少女なんて屁でもない。
むしろ、今回の未希は超能力を使った活躍が乏しいのだが、もっとエスパーとしての扱いを大きくした方がいいのに、とさえ思ったぐらいだ。

ただ、SF映画としての要素が色々と盛り込まれているのだが、日本映画の悲しさなのか、意匠の部分が甘いというか、安っぽい。
例えば、M11が寺沢とエミーの車を追い掛けるために高速移動する描写なんかに、その安っぽさが顕著に表れている。
っていうか、その辺りは完全に『ターミネーター』の物真似だし。
もちろん意図的にやっているんだろうけど、パロディーというわけでもなく、オマージュにもなっておらず、ただの陳腐な表現になってしまっている。

シナリオの部分も、すんげえ雑で洗練されていない。だから、登場人物の行動に幾つもの疑問が生じてしまう。
例えば、未来人が寺沢たちを1944年のラゴス島へ同行させる理由がサッパリ分からない。
ラゴス島や恐竜に詳しい新堂を連れて行かない理由に関しては、「タイムワープ理論では、同じ時代に同じ人間は存在できない」という説明がある。でも、寺沢、真崎、未希を選ぶ理由は無い。
そもそも、現代の日本人を同行させる必要性が無いのだ。自分たちだけでタイムワープして、計画を遂行すればいいでしょ。
それに恐竜を移動させるのではなく、抹殺してしまえばいいことだし。

エミーたちは2月6日のラゴス島へタイムワープし、洞窟にいる守備隊の様子を観察する。翌朝に行われた米軍と守備隊の戦闘&恐竜の出現を確認してから、2月14日にタイムワープして恐竜をテレポーテーションする。
それ、すげえ無駄に手間を掛けてないか。
最初から2月14日にタイムワープすれば済むんじゃないのか。
もちろん、映画として恐竜が米軍を撃退するシーンを見せておく必要があるってのは理解できるんだけど、その都合を通すために、登場人物の行動が不自然に見えちゃったらマズいでしょ。

ドラットは作り物感が丸出しなので、「そんなのをラゴス島へ連れて行く必要なんか無いのに。っていうか出さなきゃいいのに」と思っていたら、そいつがキングギドラに変身する。
でも、エミーはキングギドラに変身させるためにラゴス島へドラットを置いて来るつもりなら、最初から寺沢たちには見せない方がいいでしょ。見せた上で姿が消えていたら、そりゃ不審に思われるのは当然なんだから。
そこも「ドラットを寺沢たちに見せておかないと、それがキングギドラに変身したことを彼らが察する展開を作れない」という事情は理解できる。
理解は出来るけど、その都合を通すために、登場人物の行動が不自然に見えちゃったらマズいでしょ。

っていうか、ドラット3匹がキングギドラに変身するって、メチャクチャだろ。
真崎は「3匹のドラットが合体してキングギドラになったというのは、考えられないこともない」と言うけど、いやいや、考えられないっての。そこは何の説得力も無いぞ。
それと、そもそも未来人がキングギドラの存在を知っていること自体に覚えるし、「ゴジラ以上の怪獣を出現させる」という目的を持っているウィルソンがキングギドラを誕生させるのも違和感がある。
キングギドラって、今までに一度もゴジラに勝っていないんだから。

実際、今回もキングギドラは簡単に退治されている。
キングギドラって人気は高いし、「ゴジラの強敵」という位置付けのはずなんだけど、実際にゴジラを苦しめるほどの強さをアピールした映画って1本も無いんだよな。
前作のビオランテの方が、よっぽどゴジラを苦しめていた。
あと、「キングギドラは未来人の怪獣であり、過去に日本を襲ったことは無い」という設定になっている可能性もあるが、だとすれば、今度は「現代の人々がキングギドラを知っているのはおかしい」という問題が生じる。

そもそも、ウィルソンの目的を考えると、1992年にキングギドラを出現させる必要性は無いんだよな。
むしろ、「21世紀の終わりに核兵器が破棄され、武力で日本を抑えられなくなった」と言っているぐらいなんだから、そうやって世界の武力が一気に弱体化した後の時代にキングギドラを出現させた方が効率的じゃないかと思うぞ。23世紀までゴジラが一度も日本に出現していないという事実もあるんだから、そうすりゃあゴジラが出て来てキングギドラを倒そうとする可能性も消えるわけだし。
っていうかさ、それを考えると、そもそもゴジラを抹消する必要性も無いんじゃないか。23世紀までゴジラが一度も日本に出現していないんだから、2204年にキングギドラを出現させ、日本で暴れさせればいいんじゃないか。
もしもゴジラが現れたら、その時に初めて抹消計画を遂行すればいいだけのことだ。

タイムワープの要素を持ち込んだ作品では、どうしてもタイムパラドックスの問題が付きまとう。
この映画は、そこの問題を解消することが全く出来ていない。
ラゴス島の恐竜を移動させ、ゴジラが出現しないように歴史を変えたのであれば、「ゴジラの存在しない世界」に作り変えられたということになる。ところがエミーたちが1992年に戻ると、みんなゴジラのことを知っている。
藤尾は「日本海のゴジラが消えた」と言ってるけど、それは変でしょ。
そもそも、そこにゴジラがいたという歴史が改変されているはずなんだから。

日本政府は最初、「ゴジラが未来の日本を死滅させる敵」という未来人の話を信じて、存在を抹消しようとする。
しかしキングギドラが出現すると、それを倒すためにゴジラを復活させようとする。
でも実際に復活したゴジラがキングギドラを倒すと、その後も暴れるので困ってしまう。
そこでエミーがメカキングギドラを誕生させ、ゴジラを倒す。
ゴジラが1本の映画の中で善玉と悪玉を行ったり来たりするということに、どうも気持ちがしっくり来ない。

キングギドラを倒したゴジラが暴れ続ける中、エミーは2204年に戻ってキングギドラを改造し、メカキングギドラをタイムワープさせる。
でもさ、タイムワープが可能なんだから、「ゴジラが暴れる前の日本」へ行って再び歴史を改変すれば、問題は解決するんじゃないのか。
もちろん映画としてクライマックスに派手な怪獣バトルが欲しいってのは分かるんだけど、そういう進行上の都合で登場人物がバカな奴にしか見えなくなってしまうのはマズいでしょ。
結局、時間移動を持ち込んだ映画に付きまとうタイムパラドックスの問題が、まるで解消できていないだけでなく、大きな欠点に結びついているんだよな。

(観賞日:2014年6月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会