『ゴジラ』:1984、日本

伊豆諸島の南端にある大黒島で、爆発が起きた。その3ヶ月後、第五八幡丸は大黒島近海で嵐に見舞われた。第五八幡丸には船員の他に、明法大学電子工学科の学生である奥村宏も乗船していた。第五八幡丸は舵が利かなくなり、大黒島へと吸い寄せられた。奥村はブリッジから、島が盛り上がって巨大生物が咆哮する様子を目撃した。翌日、ヨットで航行していた東都日報の大島通信員・牧吾郎は、行方不明になっていた第五八幡丸を発見した。船に乗り込んだ彼は、船員たちのミイラ化した死体を発見した。
牧はロッカーの中で意識を失っている奥村を発見するが、その直後に巨大なフナムシの襲撃を受けた。牧は窮地に陥るが、目を覚ました奥村がナタでフナムシを始末した。彼は牧に、「あれは化け物だ。いきなり島が盛り上がった。巨大な岩のようで、生きてた」と語った。あまりにも巨大すぎて、ブリッジから全身を見ることは出来なかったと彼は言う。大スクープだと感じた牧は本社の喜多川デスクに連絡するが、信じてもらえない。そこで彼は、ネガを持って本社へ向かうことにした。
関東第二警察病院に入院した奥村の元を、内角調査室長の辺見昇に連れられた生物物理学者の林田信が訪ねて来た。奥村は救助されて以来、海上保安庁や警察、内角調査室に対して怪獣の目撃談を何度も話していた。そんな彼に林田は、30年前に出現したゴジラの写真を見せる。奥村の反応を目にした林田は、辺見に「彼が見たのはゴジラです」と告げた。さらに彼は、船の死体は巨大なフナムシに血液と水分を吸い取られたこと、フナムシが巨大化したのはゴジラに寄生していたのが原因であることを話す。ゴジラの体内から発生する放射性物質を絶え間なく浴び続けることによって、フナムシが巨大化したというのが彼の見解だ。
ゴジラが出現した理由を辺見に訊かれた林田は、「火山の噴火による激しい地殻変動によって眠っていたゴジラが目覚め、地表まで押し出されてきた」という考えを述べた。報告を受けた内閣総理大臣の三田村清輝と官房長官の武上弘隆は、しばらくゴジラの出現を伏せておくことにした。牧は記事を没にされたため、喜多川に文句を言う。編集局長の伍堂は、奥村が目撃した怪獣はゴジラであること、政府が国民のパニックを避けるために箝口令を敷いたことを牧に説明した。
牧は伍堂から、武上が林田との接触を許可したことを告げた。牧は研究所を訪れ、林田と会った。林田は30年前のゴジラ出現の際に両親を亡くし、ゴジラの研究に精力を注いでいた。彼は牧に、「ゴジラは生きた核兵器だ。おまけに生命は不滅だ」と述べた。彼の研究所では、奥村の妹である尚子がバイトしていた。政府の指示があるため、彼女は兄が救助されたことを知らされていなかった。牧はバイトを終えた彼女を追い掛け、奥村が救助されて関東第二警察病院にいることを教えた。
尚子は牧に感謝し、病院に押し掛けた。彼女が兄との再会を喜んでいると、牧が病室に現れ、カメラマンの上条に写真を撮らせた。牧は全く悪びれた様子を見せず、「記事にはしませんよ、今すぐにはね」と笑った。ソ連原子力潜水艦が撃沈され、ソ連政府はアメリカの原潜による仕業だと断定した。アメリカ政府は否定するが、ソ連は臨戦態勢に入った。江守外務大臣から報告を受けた三田村は、P-3C哨戒機が捉えた海面写真を見て、ゴジラの仕業だと確信した。
三田村はソ連とアメリカの駐日大使を呼んで事情を説明し、記者会見を開いてゴジラの出現を公表した。会見には奥村も同席し、船員を殺したゴジラへの憎しみを吐露した。全ての新聞がゴジラ復活を大々的に報じる中、東都日報の一面では奥村と尚子の再会を撮影した写真が大きく掲載された。林田の研究所を訪れた牧に、尚子は「記者としては立派なんでしょうけど、牧さんのことを誤解していました」と悲しそうな目で告げた。
ゴジラ非常緊急対策本部が設置され、空幕幹部の秋山たちは自衛隊の総力を結集して迎撃に当たることを説明した。自衛隊にゴジラを倒す力があるのかと危惧を抱く磯村自治大臣たちに対し、毛利防衛庁長官は秘密兵器のスーパーXを使うことを告げる。スーパーXは首都防衛のために極秘開発された兵器であり、ゴジラ対策としてカドミウム砲の装備も急いでいた。一方、林田は牧と奥村に、「ゴジラはエサを求めて必ず日本に来る」と告げていた。
日本全土に警戒態勢が敷かれる中、静岡県の井浜原子力発電所にゴジラが出現した。ヘリコプターで現地に降り立った林田、牧、奥村は、その様子を眺めた。ゴジラは原子炉の炉心を取り出し、放射能を全て吸収した。渡り鳥の群れが頭上を飛んで行くと、ゴジラは追い掛けるようにして海へと去った。研究所に戻った林田は、ゴジラの帰巣本能を確認したことを牧たちに話す。奥村の言葉から、林田はゴジラの磁性体が渡り鳥に反応したのだと推察した。
林田は奥村に対し、旧友である地質学者の南博士に同行して大島の三原山へ向かうよう指示した。三原山を調査した南は、人工的に噴火させることか可能だと判断した。林田は緊急対策本部へ赴き、ゴジラを超音波で三原山へ誘導し、噴火させた火口へ落とす作戦を閣僚に提案した。しかし神崎大蔵大臣たちは難色を示し、自衛隊に任せるべきではないかと主張する。三田村は自衛隊の準備を進めると同時に、林田にも作戦のための行動を続けるよう依頼した。林田は牧に、「ゴジラを葬るのではない。ゴジラは人類の滅びの啓示だ。せめて故郷へ帰してやりたいと願っている。それだけだ」と話した。
ソ連のチェフスキー特使とアメリカのローゼンバーグ特使が対策本部を訪れ、戦術核兵器の使用を訴えた。閣僚の中では様々な意見が出たが、三田村は非核三原則を理由に拒否した。三田村は「自国でゴジラが暴れた時、核兵器を使えるのか」と両国の首脳に問い掛け、その判断を了承してもらった。ソ連の政府工作員であるカシリン大佐は、東京湾に停泊している貨物船のバラシェーボ号へと赴いた。貨物船には核弾頭ミサイルのコントロール装置が積み込まれていたが、それが不要になったからだ。
東京湾へ向かうゴジラの姿がの太平洋上で発見され、大勢の人々が避難を開始した。自衛隊が迎撃態勢に入る中、ゴジラが東京湾に出現した。自衛隊は一斉に攻撃するが、ゴジラにはダメージを与えられない。ゴジラが暴れた影響でバラシェーボ号も被害を受け、カシリンはコントロール装置を止められないまま絶命した。ゴジラは東京に上陸し、街を破壊しながら霞が関へ向かって進撃する。一方、ソ連の地上攻撃用衛星が誤作動を起こし、核弾頭ミサイルが発射されてしまう…。

監督は橋本幸治、脚本は永原秀一、製作・原案は田中友幸、協力製作は田中文雄、撮影は原一民、美術は櫻木晶、録音は田中信行、照明は小島真二、製作担当者は森知貴秀、特別スタッフは竹内均(東京大学名誉教授)&青木日出雄(軍事評論家)&大崎順彦(工学博士)&クライン・ユーベルシュタイン(SF作家)&田原総一朗(ジャーナリスト)、助監督は大河原孝夫、編集は黒岩義民、特技監督は中野昭慶、音楽は小六禮次郎、演奏は東京交響楽団、指揮は中谷勝昭。
挿入歌「さよならの恋人」 詞:荒木とよひさ、曲:三木たかし、唄:沢口靖子。
挿入歌「GODZILLA」詞:リンダ・ヘンリック、曲:小六禮次郎、唄:ザ・スター・シスターズ。
出演は小林桂樹、田中健、沢口靖子、宅麻伸、夏木陽介、武田鉄矢、石坂浩二、森本毅郎、佐藤慶、江本孟紀、林家しん平、かまやつひろし、小沢栄太郎、内藤武敏、金子信雄、加藤武、鈴木瑞穂、織本順吉、御木本伸介、森幹太、田島義文、山本清、小泉博、村井国夫、橋本功、潮哲也、江幡高志、田原千之右、加藤茂雄、福田健次、森大河、浦田賢一、田中由美子、渡辺賢酔、布施侑宏、風中臣、ウォルター・ニコルス、アレキサンドル・カイリス、ルーク・ジョンストン、デニス・ファルト他。


“ゴジラ”シリーズの第16作。
1975年の『メカゴジラの逆襲』で成績不振を理由に打ち止めとなっていたシリーズを、ゴジラ誕生30周年記念として9年ぶりに復活させた作品。
監督は『さよならジュピター』でデビューしたばかりの橋本幸治。脚本は『最も危険な遊戯』『蘇える金狼』の永原秀一。
三田村を小林桂樹、牧を田中健、尚子を沢口靖子、奥村を宅麻伸、林田を夏木陽介、南を小泉博、辺見を村井国夫、秋山を橋本功、オペレーターを潮哲也を演じている。浮浪者役で武田鉄矢、原発職員役で石坂浩二、本人役で森本毅郎、伍堂役で佐藤慶、喜多川役で江本孟紀、上条役で林家しん平、新幹線の乗客役でかまやつひろしが出演している。

「東映チャンピオンまつり」に組み込まれて以降の“ゴジラ”シリーズは、製作費が大幅に減らされた影響もあって、対策本部が設置されなかったり、科学者や防衛隊幹部の対策会議が描かれなかったりした。
それ以前のシリーズでも、対策会議は描かれるものの、そこに関わるのは防衛隊の幹部と科学者だけで、国の存亡に関わる事態なのに、総理や閣僚は登場しなかった。
しかし今回は、ちゃんと閣僚がズラリと顔を揃えている。しかも、その顔触れとして小沢栄太郎や内藤武敏、金子信雄、加藤武、鈴木瑞穂、織本順吉といった名のある熟練俳優を揃えている。
ここは高く評価しておきたい。

シリーズが続く中でゴジラは「正義の英雄」「人間の味方」へと変貌していったが、今回は原点回帰を目指し、人間の敵である恐ろしい存在として描かれている。
ただし、そうなると「長きに渡って人間の味方として戦ってくれていたベビーフェイスのゴジラが、なぜ急にヒールへターンしちゃうのか」というところに説明を用意しなければいけなくなる。
だが、そこに説得力のある理由を持たせることは、かなり難しいだろう。
そこで製作サイドが考えたのが、「ゴジラが正義の味方だった設定を無かったことにする」というものだ。そして本作品は、「1954年に出現したゴジラが30年ぶりに復活した」という設定になっている。
この映画の世界観では、第1作で描かれた出来事だけが真実であり、それ以降の作品で描かれた内容は全て無視されている。つまり、まだゴジラがベビーフェイスへ転向する前の第2作『ゴジラの逆襲』から、第15作『メカゴジラの逆襲』までの作品を、全て黒歴史にしたのである。

ゴジラがベビーフェイスに転向したことに伴い(っていうか、そこは卵が先か鶏が先かという問題なのだが)、このシリーズは子供向け映画としての色合いが濃くなっていった。
しかしゴジラをヒールに戻した本作品では、そこも原点回帰しており、子供向け映画としてのテイストが薄くなっている。怪獣プロレスではなく、ポリティカル・サスペンスに重きを置いて構成されている。
だが、この映画の致命的な欠点は、「リアリズムを狙っているはずなのに、リアリズムが欠如している」ということだ。
子供向けの楽しく明るい怪獣プロレス映画としての楽しみも無い上に、重厚でリアルな大人向け映画としての質にも達していない。

冒頭、「伊豆諸島南端 大黒島」というテロップと溶岩のアップだけで、すぐに3ヶ月後のシーンに写ってしまうので、それが噴火や爆発を表現していることが分かりにくい。
次に漁船が島へ吸い寄せられて奥村が怪獣を目撃する様子が描かれるが、これまた、あっさりしすぎ。もうちょっと引っ張ったり余韻を持たせたりした方がいい。
で、カットか切り替わると牧がヨットを浮かべてラジオを付けているのだが、流れて来る沢口靖子の挿入歌『さよならの恋人』が、見事に雰囲気をブチ壊す。
要らないわあ、そういう挿入歌。

牧を襲う巨大なフナムシ(ショッキラス)は作り物なのがバレバレだし、飛んで襲って来るのはワイヤーによる操演なのがバレバレだ。
ものすごくチープなので、出さない方がいい。そいつを登場させなくても、ストーリーには何の支障も無いからね。
巨大なフナムシの存在を排除したとしても、奥村の目撃証言だけでゴジラの復活を林田に確信させることは出来るし。
そいつは「牧がミイラ化した死体を見て驚く」「牧が襲われて危機に陥る」というところで使われるだけで、そこにサスペンス的な盛り上がりを持たせたかったんだろうけど、まあ無くても構わないなあ。

日本政府は牧が奥村から怪獣の目撃証言を取ったことを知っているが、マスコミに箝口令を敷く一方で、彼が情報を漏らさないよう監視を付けたりするようなことは無い。
一方で、牧は箝口令が敷かれたことを知ったくせに、奥村がゴジラを目撃したことも、彼が入院していることも平気で尚子にバラしてしまう。
なんて口が軽い奴なんだろう。
こいつが脇役や悪役ならともかく、実質的な主人公なんだよね。

牧は「政府はパニックを恐れてお兄さんを監禁しています。マスコミには報道管制を敷いてします。国の秘密を守るためには、兄弟の愛なんか無視するという考え方は間違ってる」と言うが、政府の方針は賢明だと思う。
しかも、そうやって政府を批判しているのは本心じゃなくて、兄妹の再会を撮影して記事にしてやろうという目論見があるのだ。
いやあ、外道だね。そんな奴を実質的な主人公に据える判断は、ホントに正しいのか。
後で「反省して考えや行動を改める」という展開を用意していることぐらいは分かるけど、充分にはリカバリーしきれていないと思うぞ。

尚子が病院に行くと、政府が大勢の人間を配置して厳重に警備しているはずなのに、なぜか簡単に病室まで行くことが出来る。
しかも、警備していた男たちが3人もいて入室させないようにしようとしているのに、それを押しのけて尚子は兄と再会する。
そいつらは政府が雇った警備担当者なのに、なんで若い女性一人を全く止められないんだよ。
ひょっとすると尚子は、かなりの怪力の持ち主なのか。

牧は兄妹を再会させて写真を撮影するというクズっぷりを披露しているのだが、奥村は助けてもらった恩義があるからなのか、そんな彼を厳しく批判するようなことはない。
林田も同様で、彼らがコジラに関して重要な話をする時も牧を同席させる。
っていうか、もうゴジラの出現を公表したんだから、政府が牧を特別扱いする必要も無くなったはずなのに、なぜか彼は研究所にホイホイと出入りしているのね。他の記者たちも来ているならともかく、そうじゃないので、なぜか特別扱いが続いているのね。
で、ヘリで出動する時も牧は同行しているけど、そこまで彼を厚遇する理由は何なのか。

ゴジラが原発に出現した時、濃霧が晴れてから存在を確認した緊急対策本部のモニターに、その様子が写し出される。
そのゴジラを写している映像は、どこから撮影しているんだろうか。
それと、緊急対策本部は眺めているだけで、全く行動を起こさないのね。
で、ようやく政府がゴジラ出現の情報を知ったばかりという状況の中、林田たちはヘリで原発に到着している。情報が早いな。
っていうか、まだ政府が情報をキャッチする前からヘリを飛ばしているので、「そこにゴジラが現れる」と予測して動いていなけりゃ成立しないぞ。でも、もし予測していたのなら、政府に知らせるべきだろ。

ゴジラが原子炉の炉心を抱えて放射能を吸い込んでいる時、すぐ近くで林田たちはノンビリと眺めている。
だが、科学者なのに放射能漏れを全く気にしないのは不可解。
ソ連とアメリカから戦術核兵器の使用を求められた際、閣僚からは「放射能汚染の問題はどうなるのかね」という意見が出るが、そもそもゴジラが放射能を撒き散らしている問題をどう考えているのかという疑問は最後まで解消されない。
あと、閣僚会議でリアルな雰囲気を出したいんだろうとは思うけど、緊迫感の煽りには繋がっていない。

ゴジラが東京湾へ向かっているというニュースが流れた時点で、大勢の人々が避難しようとしてパニック状態になっている様子が描かれる。しかし、まだ政府は緊急避難命令を出していない。
それもあって、危機感を抱いていない連中も大勢いたらしく、ゴジラが上陸して街を破壊していくシーンでは、多くの建物で照明が付いている。
おまけに、ゴジラが上陸しているにも関わらず、まだ新幹線が走っている。
ゴジラが上陸しても運行を続けるとは、どういう感覚なんだよ、JR東日本。

ゴジラが上陸してから、ようやく政府は新宿区、港区、渋谷区に緊急避難命令を出す。その周辺の区域には避難命令を出さない辺り、政府はゴジラを軽く見過ぎていると思うぞ。
で、そんな間も林田は、研究所で超音波装置の開発を進めている。三田村が自衛隊の作戦と並行して計画を進めるよう指示しているわけだから、かなり重要な研究開発のはずなのに、携わっているのは林田とバイトの尚子の2人だけ。
ゴジラが上陸した時、政府関係者が林田を安全な場所へ避難させるために急いで行動するようなことも無い。陸自のヘリが到着するのは、事前に迎えに行くことを約束していた時刻になってからだ。もしも林田がゴジラ襲撃で命を落としていたら、超音波作戦は不可能になってしまうのに、すげえ軽んじている。
やっぱり日本政府はボンクラなんだろう。

ゲストが登場すると、その存在が不必要にアピールされて、それがリアリティーを失わせる一因になっている。
特に問題なのが浮浪者の武田鉄矢で、緊張感の張り詰めているような状態の中で邪魔な緩和を持ち込んでしまう。
スーパーXの存在も、これまたリアリティーを失わせる大きな原因の1つだ。他の兵器が実際の自衛隊の装備に合わせている中で、完全に浮いた存在になっている。
あと、カドミウム砲の搭載に時間が掛かっているのなら、そういう準備段階も見せようぜ。いきなり発進したところから見せるんじゃなくてさ。

ソ連の核ミサイルが誤って発射されるという展開は、「そこで緊迫感を出してどうすんのか」と思ってしまう。
それ、ゴジラと直接的な関係は無いサスペンスだからね。
しかも、それをゴジラ対スーパーXの戦いが行われている最中に並行して描くもんだから、焦点が明らかにボンヤリしてしまうでしょ。
ただでさえゴジラとスーパーXの戦いは盛り上がりに欠けているのに、それを助長してしまっている。

ビルに閉じ込められてしまった林田たちが、ヘリで脱出するという展開も、やはり「そこで緊迫感を出してどうすんのか」と感じるモノだ。それもゴジラと関係の無い場所で発生しているサスペンス・アクションだからね。
で、肝心のゴジラはスーパーXの攻撃で一時的に昏倒するのだが、その時に大勢の野次馬が集まり、またリアリティーを失わせる。
しかも、核ミサイルが新宿上空で爆発する可能性があるということで政府が避難命令を出しているのに、その野次馬たちは残っているのだ。
どんだけ危機感が無い連中なんだよ。

(観賞日:2014年5月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会