『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』:1969、日本

大気汚染の広がる町で、小学生の三木一郎は暮らしている。彼は車のブレーキ音を聞いて「ミニラみたいだ」と口にするぐらい、怪獣に強い興味を持っている。同級生のサチ子と下校途中、ガキ大将の三公、通称「ガバラ」と仲間たちがぶつかって来た。からかうような笑みを浮かべて走り去るガバラたちを、一郎は睨み付ける。一郎は操車場の機関士として働く父の健吉を見つけ、声を掛ける。三木家は共働きなので、鍵っ子の一郎は両親が仕事を終えて帰宅するまで一人で過ごしている。
健吉は連結手の平さんはから、一郎のことで「元気が無いけど、小児ぜんそくじゃないか」と心配される。健吉は一郎が気の弱い子で、引っ込み思案なところがあるのだと話す。一郎は道端に落ちていた真空管を拾った後、廃工場の敷地に入ろうとする。「叱られるわよ」とサチ子は反対するが、一郎は構わずにフェンスを越える。すると、そこにはガバラたちが待ち受けていた。ガバラたちは真空管を奪い取り、「欲しかったら、あのオートバイのクラクションを鳴らして来いよ」と要求する。近くではペンキ屋が仕事をしており、その傍らにはオートバイが停めてあった。一郎が「僕、いいよ」と要求を断って立ち去ると、ガバラたちは「弱虫」と囃し立てた。
アパートへ戻った一郎は、鍵を預かってもらっている隣人の南信平を訪ねる。南は「おもちゃコンサルタント」を自称し、様々な発明品を作っている。一郎が行った時には、ちょうど「ちびっ子コンピュータ」なる物を完成させたところだった。その機械に南が月を写すと、一郎は「月旅行もいいけど、怪獣島に行ってみたい。ミニラだとかゴジラダトカ、ラドンやクモンガや、一杯いるんだよ」と話した。彼は鍵を受け取り、自宅へ戻った。黒板には、いつものように母のタミ子がメッセージを残してある。
一郎がテレビを付けると、五千万円を強奪して2人組が逃走を続けているというニュースが報じられている。一郎は自分で作ったオモチャの送信機を引っ張り出し、怪獣島と交信する遊びを始める。いつの間にか眠り込んだ一郎は、夢の中で飛行機に乗り、怪獣島へと渡った。一郎はゴジラがカマキラスと戦う様子を見て興奮し、ゴロザウルスやマンダ、アンギラスとも遭遇した。どこからか大ワシが飛来すると、ゴジラは戦って退治した。
カマキラスに追われた一郎は必死で逃走するが、深い穴に落ちてしまった。するとミニラが木の弦を使い、一郎を引っ張り上げてくれた。ミニラは一郎に手招きし、「おいでよ。苛めたりなんかしないから」と告げた。一郎がミニラと話していると、未知の怪獣が出現した。するとミニラは「ガバラだ」と大慌てし、一郎を連れて身を隠す。その怪獣はガバラという名前で、とても怖いのだという。「喧嘩したことある?」と一郎が訊くと、ミニラは「無いよ。だって強いんだよ」と答える。一郎は「じゃあ僕と同じだ」と口にした。
南はタミ子からの電話を受け、「仕事で帰れなくなった」という伝言を頼まれた。南は隣家へ行き、転寝している一郎を起こしてタミ子の言葉を伝えた。外へ出掛けた一郎は、釣りをしている三公たちから「来いよ」と誘われる。その場から逃げ出した一郎は、廃工場のビルを散策する。レシーバーと免許証を見つけた一郎は、ビルを後にする。実は、その免許証はビルに潜んでいた強盗2人組の奥田が誤って落とした物だった。奥田は兄貴分の千林から、一郎の行き先を確かめて来るよう命じられた。
一郎は南が売りに出しているオンボロ車を見つけて悪戯するが、それを預かっているアパートの管理人に叱られる。アパートに戻った一郎は、南の部屋ですき焼きを御馳走になった。そこへ刑事2人組が来て、強盗たちが車を盗んで逃亡する恐れがあるので注意してほしいと喚起した。自分の家に戻った一郎は、またミニラに会うために目を閉じた。夢の中に入り込んだ一郎がミニラを呼ぶと、ガバラが出現した。急いで逃げ出した一郎は、ミニラと再会した。
一郎はミニラに、ゴジラの元へ案内するよう頼んだ。ミニラは海辺のゴジラを見つけ、一郎を連れて行く。ゴジラはエビラを倒した後、クモンガも倒す。一郎とミニラが興奮していると、ガバラが現れた。一郎が「逃げようよ」と言うと、ミニラは「でも、あんまり逃げるとゴジラに弱虫って言われるからなあ」と口にする。ミニラはガバラに立ち向かうが、歯が立たなかったので結局は逃げることにした。
戦闘機の連隊が飛来するのを一郎が見つけると、ミニラは「また人間がこの島を取りに来たんだ」と話す。ゴジラが戦闘機を次々に破壊する様子を見て、一郎とミニラは大喜びした。ゴジラはミニラを呼び寄せ、放射能を吐く練習を積ませる。ミニラの応援をしていた一郎は、侵入した強盗2人組によって起こされた。彼らはナイフで一郎を脅し、廃ビルに連行した。免許証を取り戻した奥田に、千林は車を調達してくるよう命令した。
椅子に座らされた一郎は「ミニラが危ないんだ」と言い、目を閉じる。怪獣島ではミニラがガバラと戦っていたが、電流攻撃を浴びて劣勢に立たされる。そこへゴジラが現れたので、ミニラは助けを求める。しかしゴジラはミニラを突き放し、自力で戦うよう促した。ミニラは再びガバラと戦うが、一方的に攻撃を受けてしまう。ミニラが逃げ出すと、様子を観察していた一郎が呼び寄せて作戦を授けた。ミニラは一郎の指示通りに行動し、ガバラに一撃を食らわせる。だが、ガバラは立ち上がり、ゴジラに不意打ちを仕掛ける…。

監督は本多猪四郎、特技監修は円谷英二、脚本は関沢新一、製作は田中友幸、撮影は富岡素敬、美術は北猛夫、録音は刀根紀雄、照明は原文良、編集は永見正久、音楽は宮内國郎。
主題歌・クラウン・レコード「怪獣マーチ」作詞:関沢新一、作曲:叶弦大、編曲:小杉仁三、歌:佐々木梨里。
出演は佐原健二、中真千子、矢崎知紀、天本英世、堺左千夫、鈴木和夫、沢村いき雄、石田茂樹、佐田豊、当銀長太郎、中山豊、田島義文、伊東潤一、森徹、黒川俊哉、宮岡裕之、高橋信人、伊東ひでみ、小人のマーチャン、覚幸泰彦、中島春雄ら。


“ゴジラ”シリーズ第10作。
監督は前作『怪獣総進撃』に引き続き、シリーズ7度目の登板となる本多猪四郎。脚本もシリーズ7本目となる関沢新一。
健吉を佐原健二、タミ子を中真千子、一郎を矢崎知紀、南を天本英世、千林を堺左千夫、奥田を鈴木和夫、屋台の親父を沢村いき雄、アパート管理人を石田茂樹、平さんを佐田豊、若い刑事を当銀長太郎、ペンキ屋を中山豊、中年の刑事を田島義文、ガキ大将のガバラを伊東潤一、サチ子を伊東ひでみが演じている。

これまでは2本立ての内の1本として公開されてきた“ゴジラ”シリーズだが、今回は第一回「東宝チャンピオンまつり」(3本立て)の1本として公開されている。
形態が変わった理由は、東宝の経営不振である。
この頃は東宝に限らず、邦画界全体が斜陽の時期に突入しており、観客動員は落ち込む一方だった。
そんな中、金の掛かる怪獣映画は『怪獣総進撃』で終了のはずだった。しかし他の映画の成績が芳しくなかったため、それなりに観客の呼べる“ゴジラ”シリーズを続けることになったのだ。

シリーズ続行は決まったものの、経営が苦しいという状況があるため、製作費は大幅に削られてしまった。
特撮シーンには、今までと同じような予算を投入することが出来ない。そこで本作品がどういう対応を取ったのかというと、「過去のフィルムの流用」という手段である。
この映画の特撮シーンは、一郎がミニラと共に行動するシーンとガバラが絡むシーンを除くと、その大半が過去の作品からの流用だ。
新規撮影された怪獣はゴジラ、ミニラ、ガバラ、カマキラスだけだ(しかもカマキラスは1カットのみ)。
大映の“ガメラ”シリーズが第4作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』以降は大幅に製作費を削られ、過去の映像を流用するようになったが、“ゴジラ”シリーズも邦画界の苦境には耐え切れなかったわけだ(ちなみに『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』の封切が1968年、本作品が1969年)。

そもそもタイトルに「オール怪獣」とあるけど、ラドンやモスラは過去の映像でさえ使われていない。
登場するのはゴジラ、アンギラス、ミニラ、カマキラス、クモンガ、ゴロザウルス、マンダ、エビラ、ガバラという顔触れ(大ワシは怪獣に含めていない)。
東映の時代劇映画で例えれば、市川右太衛門、東千代之介、北大路欣也、徳大寺伸、薄田研二、柳永二郎、吉田義夫、香川良介、沢村訥升の顔触れで「オールスター」と銘打っているようなモンだからね。
片岡千恵蔵も大友柳太朗も中村錦之助も大川橋蔵も丘さとみも桜町弘子も美空ひばりも山形勲も進藤英太郎も登場しないようなモンだからね。

冒頭、主題歌の『怪獣マーチ』が流れ始め、子供の元気な歌声が聞こえてくる。完全に小さな子供たち向けの映画ってことを象徴するかのような始まり方である。
前作でも充分すぎるほどに子供向けの映画となっていたが、それとは比較にならないぐらい対象年齢が下がっている。
もはや大人の観客は「子供たちを映画館に連れて来る保護者」のみに限定されていると言ってもいい。
そもそも「東宝チャンピオンまつり」での公開なのだから、当然と言えば当然だけどね。

その『怪獣マーチ』、「怪獣様のお通りだ。なんでもカッコ良くぶっとばせ」と、全面的に怪獣を応援するような歌詞となっている。
怪獣が暴れるってことは基本的に我々の住む世界が破壊されるってことであり、それを応援するのは果たしてどうなのかと思うんだが。
しかも、その後には「ゴ、ゴ、ゴジラは放射能」と歌うんだけど、ゴジラが放射能を吐くことまで応援しちゃうのかよ。それはダメだろ。
最初にゴジラが登場した時の反核のメッセージが忘却の彼方になっているだけでなく、放射能光線を応援しちゃうのかよ。

本編に入ってから歌われる2番では、メガトン、スモッグ、排気ガス。これがホントの怪獣さ」という歌詞がある。
冒頭にも大量の車が走って大気が汚染されている様子が描かれているので、今回は公害批判のメッセージを盛り込んだ内容に仕上げているのかと思ったら、それは序盤だけですぐに消えた。
その流れを汲んで、というわけではないが、次の『ゴジラ対ヘドラ』では本格的に公害問題を取り上げている。
ようするに、当時の日本では公害が大きな社会問題だったのだ。

“ゴジラ”シリーズは1作目が飛び抜けた位置にある頂点で、2作目以降で優れた出来栄えと呼べるような作品は無い。むしろ駄作と言うべき作品の方が多い。
そんな中でも、“ゴジラ”シリーズのファンが耐性を試される一番の作品は、これだろう。
何しろ、怪獣が登場するシーンに関しては、「一郎が見た夢の中での出来事」という設定なのだ。
つまり、劇中の現実世界で起きている出来事ではなく、一郎が妄想で動かしている存在に過ぎないのだ。

まだ「全て現実に起きている出来事」と思わせておいて、終盤になって「実は全て夢」と明かす夢オチ構成にしていないだけマシだけど、だからって「全て一郎の夢の中の出来事」という設定を甘受できるわけではない。
その時点で充分にドイヒーだ。夢の世界なら何でも有りだもんな。
だからミニラに日本語を喋らせるという暴挙に出ている。で、ゴジラのことは「ゴジラ」と呼ぶ。
テメエの父親だろうに、パパとかお父さんじゃなくて呼び捨てで「ゴジラ」なのかよ。

子供向け映画だから、ミニラを喋らせることで、さらに子供受けを良くしようと考えたんだろうけど、まあ疎ましいこと。
そもそもミニラというキャラ自体が「要らない子」なのだが、日本語を喋らせることで、その印象がますます強くなっている。
しかもミニラ、一郎と同じサイズと来たもんだ。これまた「夢の世界だから何でも有り」ってことなんだけど、拒絶反応が強く出るわあ。
で、そのままだと怪獣ガバラと戦えないのだが、戦う時には巨大化するのだ。
お前はウルトラマンかっての。

一郎は「気が弱くて引っ込み思案」「元気が無い、小児喘息かもしれない」と評されているが、ちっともそんな風には見えない。ブレーキを掛ける車を見て「ミニラみたいだ」と興奮した様子を見せるし、サチ子とは元気に喋っている。廃工場を見つけて「入ってみようか」とサチ子を誘い、止められても構わずにフェンスを越える。
ものすごく積極的で活動的だ。
一応はイジメの対象になっているが、三公たちを睨んだり、それなりに反発したりもする。南の車に悪戯して叱られたり、「もうぶっ壊れてるよ」と生意気な口を叩いたりする。
そこは、もっと「内気で弱気」ってのを徹底しておくべきでしょ。おとなしくて口数も少なく、弱々しい感じにしておくべきでしょ。
こいつ、普通に明るくて元気じゃねえか。

一郎は「オートバイのクラクションを鳴らす」という悪戯を要求されて拒否し、「弱虫」と囃し立てられるが、決して弱虫の行動ではない。他人に迷惑を掛ける行動を拒んだだけだ。
むしろ、優しい奴だと言ってもいい。
そこで命令に従ってクラクションを鳴らすのは、強い奴でも何でもなくて、「行き過ぎた悪戯をやらかすタチの悪いガキ」でしかない。
この映画、「弱虫」「勇気のある奴」という基準の設定がおかしいよ。明らかに間違っている。

ゴジラが怪獣島に飛来した戦闘機を全て破壊すると、一郎はミニラと一緒に大喜びして「万歳」と叫ぶ。
いやいや、戦闘機には人間が乗っているわけで、それを叩き落とされて「万歳」は無いんじゃないかと。
「島を取りに来た」というミニラの説明で「悪い奴」と決め付けているんだろうけど、それが事実かどうかは分からないんだし。
っていうか悪い奴であっても、「ゴジラが人間を殺した」という行動に大喜びするのは、どうにも違和感が拭えないぞ。
なんでゴジラを無条件で正義の味方扱いしてるんだよ。

終盤、妄想から覚めた一郎はミニラの言っていた「一人で戦えってさ、一人で生きる練習しろって(ゴジラが)言うんだよ」という言葉を思い出し、犯人たちの車から逃げ出して廃ビルへ駆け込み、物を投げるなどして反撃する。
だけど、それ以前から一郎は犯人たちに対して生意気な態度を取っていたし、それなりの抵抗も見せていた。
だから、「ミニラに感化されて勇気が沸いた」という変化が見えにくい。
もっとオドオドとしてる弱々しい感じにしておかないと。

それと、ミニラは一人でガバラに立ち向かって勝利を収めたわけではなく、ゴジラに泣き付いている。それでも一人で戦えと要求されて仕方なく立ち向かうけど、劣勢に陥るとビビって逃げ出している。
一郎の協力で一撃を加えたものの、最終的にガバラを倒すのはゴジラだ。
それで「ミニラに影響を受けて一郎が犯人と戦う」ってのは、流れとしてダメでしょ。そこはミニラが頑張ってガバラを倒さないと。
あと、一郎は犯人にガバラを重ね合わせ、消火器を噴射して戦うんだけど、それは違うでしょ。
怪獣ガバラってのは一郎が三公をイメージして作り出した空想の産物なんだから、それを重ね合わせて戦う相手は三公じゃなきゃ筋が通らないぞ。

強盗2人組との一件が解決した後、一郎は三公と戦って叩きのめす。
だけど、三公が仲間に入るよう誘っただけなのに、それを拒絶して自分から喧嘩を吹っ掛けているので、ちょっと引っ掛かる。三公って、そんなに悪い奴じゃないんだよな。
で、その後に一郎はオートバイのクラクションを鳴らし、そのせいでペンキ屋が梯子から落下してペンまみれになるという事態が起きているのだが、その悪戯によって一郎はグループのリーダー的な存在になっている。
いやいや、他人のオートバイに悪戯するのは、決して「強くなった」「勇気のある少年になった」ということじゃねえから。
むしろ、大切な何かを失っているようにしか思えないぞ。

(観賞日:2014年4月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会