『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』:1966、日本

青森県の恐山。カネという女は息子の彌太が信じられず、イタコに口寄せを依頼した。彌太は乗っていたマグロ漁船が南方海域で遭難し、船の破片も発見されていた。しかしイタコはカネに、彌太が生きていることを告げた。そのため、組合長と村民が「彌太は死んだ」と諭しても、カネは決して認めようとしなかった。彌太の弟である良太は警視庁を訪れ、警備課長に船を出して捜索するよう求めた。だが、既に全員の死亡ということで事故が処理されているため、相手にされなかった。
1人の記者が良太に興味を抱いて新聞社へ連れて来たが、自分の手に負えないと感じてデスクに相談する。待合室で待機していた良太は、耐久ラリーダンスコンクールのポスターに目をやった。優勝賞品が豪華ヨットと書いてあるのを見て、彼は新聞社を立ち去った。良太はコンクールが開催されているホールに赴くが、既に3日目であり、今から参加することは出来なかった。しかし良太は参加していた仁田と市野という若者2人組に出会い、車で葉山のヨットハーバーまで連れて行ってもらえることになった。
仁田たちは太平洋横断も出来そうなヤーレン号というヨットを見つけ、勝手に中へ入った。食料の備蓄も充分なヤーレン号の船室には、猟銃を持った吉村という男がいた。仁田たちが慌てて事情を説明すると、吉村は「今夜は泊めてやるから、明日の朝には消えろ」と告げた。翌朝、吉村たちが目を覚ますと、良太は勝手に帆を張ってヨットを出航させていた。さらに彼は、実はオモチャだった吉村の猟銃を拝借し、バラバラに壊していた。吉村は腹を立てるが、彼はヨットの操縦方法を知らなかった。
仁田と市野がラジオを聴いていると、ジェームズ・コンウェイという外国人が所有するヤーレン号が盗まれたというニュースが報じられた。それに続いて、新橋の大黒パチンコ会館の金庫室から400万が盗み出された事件の犯人が未だに捕まっていないことも報じられた。すぐに2人は、吉村が金庫破りではないか、鞄に金が入っているのではないかと疑う。すると吉村は、「騒ぐと承知しないぞ」と凄んだ。良太は27人乗りマグロ漁船の遭難を伝える新聞記事の切り抜きを3人に見せ、兄を捜しに行くのだと話した。
何日も航海が続く中、備蓄して会った缶詰類もどんどん減っていく。そんな中、ヨットは嵐に見舞われた。4人が甲板に出ている間に船は浸水し、吉村の鞄からは札束が流れ出てしまった。巨大なハサミが海中から出現してヤーレン号を襲い、4人は外へ投げ出された。4人が意識を取り戻すと、見知らぬ島に流れ着いていた。空っぽになった鞄に気付いた吉村は、悔しさを露わにする。4人が崖を登ると、刀が落ちていた。彼らはジャングルに入り、果物で腹ごしらえをした。
島に入って来る船を目撃した吉村たちは、湾へ向かう。厳重に警備されている基地があったので、吉村は何か臭いと感じ、しばらく隠れて様子を観察することにした。船が着岸すると、竜尉隊長と部下たちが船員を出迎えた。船長は大勢の原住民を竜尉に引き渡し、竜尉は2つのドラム缶を運んで来た。数名の現住民が逃げ出したので、基地から機銃が伸びて発砲した。2人がカヌーを使い、海に出た。全員がそちらへ目をやっている隙に、ダヨという女がこっそりと逃げ出した。
海に出た2人の原住民が必死にカヌーを漕いでいると、吉村たちが目撃したハサミが出現した。それは怪獣エビラのハサミだった。エビラは2人を食べて海に消え、竜尉は原住民に「どんなに逃げようとしても、エビラの餌食になるばかりだ」と脅しを掛けた。基地司令官は竜尉に「強制作業員の女が逃げた」と告げ、見つけ出すよう命じた。ジャングルでダヨと遭遇した吉村たちは、敵ではないことを説明した。竜尉と手下たちに見つかった4人は、崖へ逃げて身を隠す。竜尉たちは4人が海に落ちたと思い込み、基地へ戻った。
島に嵐が訪れたので、吉村たちは崖で発見した洞窟に足を踏み入れた。崖の一部が崩れ落ちる中、ダヨは祈りを捧げる。「モスラには聞こえなかったようです」と言う彼女は、インファント島の原住民だった。良太から「島に日本人がいないか」と質問を受けた彼女は、2ヶ月前に彌太という男が漂着したことを話す。すぐに兄の元へ行きたがる良太だが、ダヨは「この島からは逃げられない」と言う。彼女は吉村たちに、「赤イ竹」という連中が何度もインファント島の住民を連行していることを語った。
ダヨは4人に、「今は眠っているモスラに心が伝われば、目を覚まして助けに来てくれる」と話す。吉村が「敵の出方を探りに行こう」と提案すると、ダヨと良太は賛同した。仁田と市野は反対するが、洞窟の下で眠っているゴジラを発見したため、同行することにした。吉村が得意の腕前で鍵を開け、5人は基地に忍び込んだ。ある部屋で大量の発煙筒を見つけた一行は、何かの役に立つかもしれないと考え、それを持って行くことにした。ダヨは導線を巻いた束を見つけ、ネックレスのように首に巻いて持ち出した。
吉村たちは金庫のような場所を見つけて中へ入ろうとするが、それが核融合室だと気付く。慌てて逃げ出そうとした一行だが、竜尉と手下に発見されてしまう。吉村たちは発煙筒を投げ付け、基地の外へ逃げ出した。良太は偵察用気球の紐に足が引っ掛かり、浮上してしまう。彼を助けようとした仁田は、敵の一味に捕まった。吉村、市田、ダヨは洞窟まで逃げ帰り、竜尉たちに見つからないよう身を潜めた。3人はゴジラの呼吸音を耳にした。
仁田はインファント島の住民たちが強制労働させられている現場に放り込まれ、ダヨの友達だと説明した。島民たちは仁田に、エビラ避けの黄色い汁を作らされていることを教えた。竜尉が船長に渡したドラム缶の中身も黄色い汁で、それがあるから彼らはエビラに襲われずに島に戻れたのだ。良太は気球でインファント島に着陸し、原住民と一緒に暮らしている彌太と再会する。良太は彌太に、大勢の原住民が「赤イ竹」と呼ばれる連中に拉致されてレッチ島にいることを教えた。
市田は吉村とダヨに、ゴジラを生き返らせて暴れさせてはどうだろうかと提案した。刀と導線を利用し、雷のショックで目覚めさせようというのが彼の考えだ。一方、仁田は原住民に対し、偽物の汁を作るよう持ち掛けた。彌太がどうしても仲間を助けに行くと言い出したため、小美人は黄色い汁の入った樽を用意した。彌太と良太が出発しようとすると、小美人は大きな網を作って待機するよう指示した。
彌太と良太はカヌーでレッチ島へ向かうが、大時化に見舞われて樽が流されてしまう。そこへエビラが出現したので、2人は海へ飛び込む。レッチ島では吉村たちの作った仕掛けに雷が落ち、ゴジラが目を覚ました。ゴジラは沖に現れたエビラと戦い、岩を投げ付ける。エビラが打ち返した岩が赤イ竹の監視塔に激突し、警報が鳴り響いた。ゴジラと格闘したエビラは、海に姿を消した。ジャングルで罠を仕掛けていた吉村たちは、彌太と良太に遭遇した。兄弟が基地へ向かったので、吉村たちも仕方なく後を追った。
基地の様子を観察していた吉村は、すぐに飛び出そうとする彌太を制止する。赤イ竹に気付かれた一行は、慌てて逃げ出した。ゴジラが出現したので、追っ手は退散する。逃げ遅れたダヨを見つめたゴジラは攻撃しようとせず、その場で昼寝を始めた。そこへ大コンドルが飛来したので、ダヨは悲鳴を上げてゴジラに知らせる。目を覚ましたゴジラは、大コンドルを退治して得意げな態度を取った。ゴジラは本部から応援に来た赤イ竹の戦闘機部隊も次々に破壊し、基地へ向かう…。

監督は福田純、特技監督は円谷英二、脚本は関沢新一、製作は田中友幸、撮影は山田一夫、美術は北猛夫、録音は吉沢昭一、照明は隠田紀一、編集は藤井良平、音楽は佐藤勝。
出演は宝田明、水野久美、平田昭彦、田崎潤、砂塚秀夫、当銀長太郎、伊吹徹、渡辺徹、天本英世、沢村いき雄、伊藤久哉、石田茂樹、広瀬正一、鈴木和夫、佐田豊、本間文子、中北千枝子、池田生二、岡部正、大前亘、丸山謙一郎、緒方燐作、勝部義夫、澁谷英男、中島春雄、関田裕、ペア・バンビ、スタジオNo.1ダンサーズら。


「ゴジラ」シリーズ第7作。
脚本は『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣大戦争』から3作連続で関沢新一、監督はシリーズ初登板となる『電送人間』『国際秘密警察 虎の牙』の福田純。
吉村役の宝田明はシリーズ3度目、ダヨ役の水野久美はシリーズ2度目(本来は演じる予定だった高橋紀子が急性虫垂炎で入院したことによる代役)、竜尉役の平田昭彦はシリーズ4度目、基地司令官役の田崎潤はシリーズ3度目の出演。
他に、仁田を砂塚秀夫、市野を当銀長太郎、彌太を伊吹徹、良太を渡辺徹、船長を天本英世が演じている。小美人役がザ・ピーナッツからペア・バンビに交代している。

当初は『キングコング対ゴジラ』に続き、アメリカのRKO社からキャラクター使用権を取得したキングコングの登場する2作目の映画として企画されていた。
つまり、キングコングとエビラが戦う映画としてプロットが用意された。
しかし共同製作のランキン・バス・プロ側が賛同しなかったため、2作目は『キングコングの逆襲』になった。
エビラのプロットは没になったはずだったが、「ゴジラ」シリーズの企画として再利用され、この映画が作られたという次第である。

モスラはインファント島で眠り続けているが、なぜなのかは説明が無い。ゴジラはレッチ島の洞窟で眠っているが、そこで眠っている理由は分からない。
その辺りは、もちろん御都合主義ではあるんだけど、何でもいいから適当な理由ぐらい用意すべきでしょ。
吉村たちが備品の部屋から持ち出した発煙筒が竜尉たちに見つかった時に役立つとか、ダヨがネックレス代わりにしている導線がゴジラを目覚めさせる仕掛けに役立つとか、その辺りも分かりやすい御都合主義。
気球で浮上した良太がインファント島に辿り着くのも同様。

市野が金庫のような部屋を見て即座に「核融合室だ」と気付いたり、そこが重水工場だと悟ったりするのは、かなりの違和感がある。
その直前に仁田と市野の間で「何の工場だ?」「さあね」「お前、理工学部だろ」「麻雀の方が忙しくてね」という会話があったが、それが邪魔なのよ。
むしろ、最初から「市野は理工学部だから、そういうことに詳しい」という形にしておけば良かったんじゃないのか。

ゴジラやモスラと比べると、エビラは「所詮は単なるデカいエビ」という印象が否めない。
それを言い出せば、モスラだって所詮はデカい蛾なんだけど、モンスターとしてのエビラの外見は、あまり魅力的とは言えない。
もっと問題なのは「海から出られない」ということで、だから戦闘シーンも海に限定されてしまう。ゴジラは基本的に陸の生き物なので、そこで厳しくなってしまう。
当然のことながらゴジラが海に入って戦うしか無いのだが、海中バトルが今までと違う新鮮味や面白さを提供してくれるかというと、そんなことは無いし。

『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のガイラが逃げ遅れた女性を食らう描写は恐ろしさを感じさせたが、エビラが原住民を食べるシーンは全く怖さが無い。
むしろ、ちょっとユーモラスにさえ感じてしまう。
その理由は簡単で、ガイラは巨人でエビラが巨大エビという造形の違いだ。
ぶっちゃけ、もうエビラはそういう造形にしちゃった時点で、何をやっても脅威や迫力は出せないんだよね。

エビラだけでは厳しいと思ったのか、ゴジラの敵として大コンドルも登場させているが、まるで意味が無い存在だ。
その後に飛来する戦闘機とゴジラが戦うシーンでは、なぜかラリーダンス大会に流れるようなノリノリのエレキサウンドで陽気な雰囲気を作り出すという不可解な演出がある。
ゴジラが足を踏み鳴らす映像も挿入されるので、ひょっとすると本気で「ゴジラのダンス」を意識していたのか。
時代を反映しているつもりかもしれんが、そういう取り込み方は邪魔だわ。

ゴジラがダヨを見ると動きを止め、何も攻撃せずに見つめた後で居眠りを始めてしまうというのは、そのポジションが本来はキングコングだったことの名残りだ。
だけど、ゴジラとしては違和感しか無い行動なんだから、モンスターが変更されたことに合わせて行動も変えるべきでしょ。
大コンドルを退治して得意気に鼻をこするという、『若大将』シリーズの加山雄三を真似した仕草も、「コレジャナイ」感が強い。
ゴジラを悪玉から善玉にしたいってことなんだろうけど、脱力感ばかりを抱かせる。

『三大怪獣 地球最大の決戦』において、ゴジラは「モスラに頼まれて仕方なく手伝ってやる」という流れでキングギドラと戦い、結果的には人間を助ける行動を取ることになった。
今回のゴジラも、「正義の英雄」や「人間の味方」ということではないが、エビラと戦うことで、結果的には吉村たちを救っている。
ゴジラが日本を襲う凶悪な怪獣だった頃なら、モスラは人間の味方になってくれる唯一の怪獣だった(本来はインファント島の守り神であって他の連中を助ける義理など無いのだが、『モスラ対ゴジラ』において日本も救ってくれる存在に都合良く作り変えてしまった)。
しかし、意図的であれ結果的であれ、ゴジラが人間の味方になると、モスラの存在意義が弱くなってしまう。

『三大怪獣 地球最大の決戦』ではモスラが戦いの主役であり、ゴジラはサポート役に過ぎなかったのだが、今回はゴジラが率先して戦っている。
しかも相手はキングギドラは比較にならない雑魚キャラ(強さの設定は分からないが、少なくとも見た目からはキングギドラより遥かに弱い奴に感じられる)が1頭だけ。
だから、ゴジラだけで充分ってことになるのだ。
実際、ゴジラだけで足りているし。

だったらモスラなんて出さなきゃいいものを、なぜか無理に投入してしまったせいで、何の意味も無い存在と化している。この映画の大半で、モスラはインファント島にいて眠っているだけだ。
終盤、ようやく目を覚ましたモスラは、島に向かって来たゴジラを羽ばたきと羽根パンチで遠ざけると、巨大な網に乗った吉村たちを吊り下げて島から飛び立つ。
つまり今回のモスラは、ほぼ運搬係としての役目しか担当していない。
「吉村たちは巨大気球で島を脱出した」ということでも成立するので、モスラの存在意義は限りなくゼロに近い。

終盤になってゴジラがエビラと戦う時、既に赤イ竹の連中は基地を脱出しようとしてエビラに殺されている。吉村たちはモスラに運搬してもらって島から脱出するので、海からエビラを排除して船が航行できる状態にする必要も無い。
つまり、もはやゴジラがエビラと戦う必要性は無くなっている。
また、ゴジラとエビラは海で戦うので、そこに島の面々が巻き込まれることも無い。
ようするに、その戦いは、吉村たちと何の関係も無い戦いなのだ。吉村たちは傍観者として見物しているだけ。
それは構図として厳しいぞ。

前述したように、ゴジラは吉村たちを助けるためにエビラと戦ったり、基地を破壊したりしたわけではない。
だからエビラを始末した後、吉村たちが残っている島へ戻って来て襲撃しようとする。
しかし脱出した面々は、時限爆破装置が起動している島に取り残されたゴジラを見て「可哀想ですね」と同情を寄せる。ゴジラが無事に脱出したと知ると、大喜びする。
どうにもゴジラの立ち位置が曖昧だ。
だったら、「ゴジラが島に戻って吉村たちを攻撃しようとするが、モスラに阻止される」という展開を無くしておけばいいのに。

(観賞日:2014年4月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会