『ゴジラの逆襲』:1955、日本
株式会社「海洋漁業」で魚群探査機のパイロットをしている月岡正一は鰹の大群を発見し、社長令嬢で無線係の山路秀美に連絡した。月岡は婚約者である秀美と会話を交わし、デートの約束を交わした。パイロットの小林弘治はエンジン停止で岩戸島に不時着し、本社から知らせを受けた月岡が救助に向かった。月岡は島へ行き、手を振っている小林を発見して着水した。2人が話していると、近くにゴジラと四足歩行の怪獣が現れた。2頭の怪獣は戦いながら海に落下した。
後日、大阪市警視庁では緊急会議が開かれ、東京から来た古生物学者の山根恭平博士と同僚の田所博士も参加した。月岡と小林は恐竜図鑑を見せられ、アンキロサウルスの写真に目を留めて「これです」と告げた。田所は大阪市警視庁の面々に対し、アンキロサウルスが「アンギラス」と呼ばれていること、好戦的で敏捷な肉食獣であることを説明した。ゴジラ対策の意見を求められた山根は、「ゴジラを防ぐ方法は、残念ながら一つもありません」と答えた。彼は被害を最小限に食い止めるため、上陸地点を予知して周辺住民を避難させ、完全なる灯火管制を行うこと、光を憎悪する習性を利用して遠く海上へおびき出すことを提言した。
戦闘機のレーダーが海中のゴジラを捉え、フリゲート艦が追撃に向かう。報告を受けた田所は、ゴジラが紀伊水道沿岸に上陸すると予測した。月岡がダンスホールで秀美との時間を楽しんでいると、ゴジラが大阪湾内に侵入つつあるという緊急警報が流れた。大阪市内は灯火管制が敷かれ、暗闇に包まれた。防衛隊が集結する中、ゴジラが海面に姿を現した。そこへ戦闘機の編隊が飛来して照明弾を次々に投下し、ゴジラを大阪湾の外へおびき出した。
月岡は社長の山路耕平が工場へ向かったことを小林に聞かされ、自分も向かうことにした。彼は秀美に「万一の場合は裏山へ」と告げ、小林の車へ乗り込んだ。周辺住民の退避が急がれる中、護送車で移送中だった囚人たちが脱走した。3名の囚人はタンクローリーを奪って逃走し、追跡を受けてガソリン貯蔵所の石油タンクに突っ込んだ。爆発によって大規模な火災が発生し、その光におびき寄せられたゴジラは大阪此花区へと上陸した。
ゴジラを追ってアンギラスも上陸し、2頭の戦闘によって海洋漁業の本社工場は壊滅に追い込まれた。ゴジラはアンギラスを始末した後、白熱光で市街を火の海に変えて大阪湾へと姿を消した。次の日、視察に訪れた海洋漁業北海道支社長の芝木信吾は、その惨状を見て呆然とした。しかし山路は強い口調で、「必ず立ち直ってみせるよ」と告げた。山路は当分の間、北海道を中心に活動することを決めた。彼は小林に、北海道へ飛ぶよう指示した。
北海道支社で仕事を始めて小林は、同僚たちの人気者になっていた。月岡と秀美は大阪での仕事に一段落が付いたため、北海道を訪れた。小林は月岡に「会いたがってる人がいるぞ」と言い、2人を料亭「弥生」に連れて行く。すると、月岡と同じ大学出身で飛行隊でも一緒だった田島と池田、それに寺田隊長が待っていた。小林は月岡たちと別れ、会社の宴会に顔を出した。両方の宴席が盛り上がる中、ゴジラが漁船を沈没させたという知らせが届いた…。監督は小田基義、特技監督は円谷英二、原作は香山滋、脚本は村田武雄&日高繁明、製作は田中友幸、撮影は遠藤精一、美術監督は北猛夫、美術は安倍輝明、録音は宮崎正信、照明は大沼正喜、特殊技術は渡辺明&向山宏&城田正雄、監督助手は岩城英二、編集は平一二、音楽は佐藤勝。
出演は小泉博、若山セツ子、千秋実、志村喬、清水将夫、恩田清二郎、沢村宗之助、土屋嘉男、木匠マユリ、山田巳之助、笠間雪雄、大村千吉、山本廉、大友伸、土屋博敏、笈川武夫、牧壮吉、広瀬正一、吉田新、夏木順平、三田照子、手塚勝巳、中島春雄、星野みよ子ら。
1954年の映画『ゴジラ』の続編。
監督は『幽霊男』『透明人間』の小田基義。
これまで「特殊技術」のスタッフとしてクレジットされていた円谷英二が、初めて「特技監督」という呼称で表記された作品である。これは『ゴジラ』の大ヒットによって、東宝特撮班のランクが上がった(というか正当な評価が受けられるようになった)ことを意味している。
月岡を小泉博、秀美を若山セツ子、小林を千秋実、田所を清水将夫が演じている。山根役の志村喬だけが、前作から続投している。シリーズ第1作の『ゴジラ』は、優れたパニック・サスペンス映画であり、戦争映画であり、反水爆のメッセージを強烈に訴え掛ける社会派の作品であり、悲劇であり、苦悩と葛藤の物語であった。
日本映画界に「怪獣映画」というジャンルを確立した金字塔でありながら、一方で「怪獣映画」というジャンルを超越して世界に誇るべき邦画であった。
そんな第1作の大ヒットにあやかって、わずか5ヶ月後に即席で作られた本作品は、2作目にして一気にポンコツなB級作品へと成り下がった。『ゴジラ』が大ヒットしたのだから、もう一稼ぎしたくなるのは理解できる。
「鉄は熱い内に打て」という言葉があるぐらいで、なるべく前作の人気が冷めない内に続編を作りたくなるのも理解できる。
ただ、理解は出来るけど、「安易に続編を作っちゃイカンだろ」とも思う。
もちろん、わずか3ヶ月弱の撮影期間であっても、面白い作品を生み出すことが出来れば、何の文句も無い。ただ、そんな風に突貫工事によって作られた続編で、面白かった例(ためし)が無い。当初はスケジュールに組み込まれていなかった作品だから、監督の本多猪四郎と音楽の伊福部昭という、東宝の特撮映画における重要な人物2名を欠いてしまっている。
前作で使われていた『ゴジラのテーマ』と『怪獣大戦争マーチ』が聞こえて来ないのも、実は結構な痛手になっている。
佐藤勝も似たような雰囲気を持つ楽曲は用意しているのだが、前述した迫力やスケール感、高揚感には全く敵わない。序盤、小林がエンジンの停止で不時着するという連絡を本社に入れて、そこで緊迫感を持たせる。だが、月岡が救助に行くと、あっさりと発見している。
だったら、そんな箇所で緊迫感を持たせる意味が全く無い。
で、映画開始から8分ほど経過し、2人が島で火に当たっていると、ゴジラとアンギラスが登場する。ものすごく淡白に、2頭の怪獣を登場させてしまう。
「まずはゴジラで、別のシーンを挟んでからアンギラス」という勿体の付け方もしていない。のっけから2頭を一度に登場させる。大阪市警視庁の緊急会議において、田所博士は「このアンキロサウルス、通称、アンギラスと呼ばれる恐竜は〜」と語るが、アンキロサウルスの通称が「アンギラス」なんてのは、もちろん大嘘だ。
アンキロサウルスが好戦的な肉食獣だとか、巨大な体の割りに敏捷だとか、脳髄が肉体の数ヶ所に分散しているとか、その辺りに関してもメチャクチャだ。
ここに関しては映画が勝手な嘘を並べ立てているのではなく、たぶん当時の学説ではそうなっていたということなんだろう。大阪市警視庁の面々は山根に「ゴジラを防ぐ方法は、残念ながら一つもありません」と言うと騒然となるが、ゴジラが東京で大暴れしたことは知っているはずで、その脅威も分かっているはず。
それとも、東京の情報は、大坂には全く届いていないとでもいうのか。東京でゴジラが暴れた時の映像を見せられて、初めて「こんなに凄いのか」と理解しているみたいだけど、オツムが悪すぎるだろ。
っていうか、その記録フィルムは前作の映像を使い回しているんだけど、劇中では「ゴジラ来襲を目撃していた何者かが撮影した」という設定になっているわけで、そうなると「誰がどうやって撮影したんだよ」とツッコミを入れたくなるぞ。
キッチリとカットも割られているし、走行している電車視点の映像もあったりするんだから。前作でゴジラは東京に上陸して暴れたが、今回は大阪に上陸している。これは製作サイドが「前作が東京にだから、次は大阪で行こう」と考えたのではなく、「関西の興行主から要望があったから」ということらしい。
いずれにせよ、そういう興行的な理由によって場所が決定されているわけだが、その安易な舞台設定は別に構わない。
問題は、「そういう裏事情は受け入れるから、大阪を舞台にしている意味合いをキッチリと持たせてほしい」ってことであり、この映画は、そこを疎かにしている。
そもそも、海洋漁業は大阪の会社という設定なのに、関西弁を喋っているのは井上やす子(海洋漁業KK無線係)役の木匠マユリだけ。しかも、大坂市街が壊滅した後、舞台が北海道へ移動してしまう。
どうやら当時の大阪では破壊に値するランドマークも少なかったようで、大阪城ぐらいしか見当たらない。ゴジラを大阪湾の外へおびき出す作戦は、脱走した囚人たちのタンクローリーが石油タンクに突っ込んで火災が発生したため、失敗に終わる。
だけど、その展開には無理があって、そもそも「完全なる灯火管制が敷かれた中、囚人を乗せた護送車が走行する」ということ自体が不自然極まりない。
近隣住民を避難させているので、囚人も避難させる目的で護送車に乗せているってことなんだろうとは思うよ。
だけど、真っ暗闇の中で無灯火の車を走らせるって、すげえ危険でしょうに。今回はゴジラとアンギラスという怪獣同士の戦闘があり、いわゆる「怪獣プロレス」がシリーズで初めて描かれた作品ということになる。
ただ、コマ落としで撮影しているため、迫力や重厚さが全く感じられない。
撮影速度の設定を間違えて撮ったフィルムを見た円谷英二が、それを気に入って戦闘シーンの手法としてコマ落としを採用したらしいんだが、これは大失敗。
どうやら円谷英二は怪獣のスピーディーな動きがいいと考えたんだろうけど、デカくて重量のある怪獣なのに、軽くて滑稽に見えてしまう。前作のゴジラは戦争の影を背負った存在だったが、今回の2頭は中身や背景が空っぽだ。ただ単に「出て来て、暴れて、姿を消す」というだけでしかない。
アンギラスに関しては、ゴジラを凌駕するどころか互角に戦える強さも持ち合わせておらず、大阪編で簡単に始末されてしまい、クライマックスには登場しない。
雑魚とまでは言わないまでも、露払いのような扱いだ。
その後の不遇な扱いも止む無しと思えるほど、ちっとも魅力的ではない。ゴジラが出現しても、対策を練る政府関係者も出て来ないし、報道する記者たちも出て来ない。
関西で起きている出来事ではあっても、日本としての危機的状況なんだから、政府が動くはずだし、マスコミも取材に走り回るはず。
そして、そういう人々を描くことによって、緊迫感やスケールの大きさを表現することに繋がるはず。
そういった描写が無いので、小ぢんまりした話という印象になっている。その後もシリーズに付きまとう問題ではあるのだが、怪獣プロレスと人間ドラマが上手く融合していない。
しかも、なぜか「ゴジラの接近で会社の仕事に影響が出ることを危惧する」とか、「工場が壊滅しても社長は再建に前向き」とか、「北海道支社を中心にして活動を続行する」とか、そういう遠洋漁業という一企業の様子ばかりを描いている。
だけど、一企業の大阪本社が壊滅しても、そんなに悲壮感も緊迫感も出ないんだよね。ゴジラによって多くの犠牲が出ており、日本が危機に陥っている状況下で、そんなのは取るに足らないことだ。「大勢の死者が出ました」ということでもないんだし。
せめて、会社が壊滅したことで深刻に落ち込んだり、ゴジラへの怒りや憎しみを爆発させたりすれば、もう少し共感を誘ったかもしれないが、すげえ淡白だしね。しかも、描写は無いけど、ゴジラの大暴れによって、きっと大勢の犠牲者が出ているし、市街は火の海に包まれたのに、壊された本社で月岡たちが話しているシーンでは、妙にノンビリした雰囲気の中で笑い合っている。
その後、北海道に場所が移動すると、今度は仕事をしている小林の様子や、料亭で宴会が催される様子が描かれ、これまたノンビリしたムードが漂っている。
この映画で、サラリーマン喜劇みたいなノリの緩和は要らないでしょ。
82分という上映時間を考えても、もっと緊張感を持続させようぜ。前作で芹沢は、「大量殺戮兵器である水爆の実験による影響で目覚めたゴジラを、大量殺戮兵器であるオキシジェン・デストロイヤーで抹殺する」ということに対して、激しく苦悩&葛藤した。しかし最後は自分を犠牲にしてまで、オキシジェン・デストロイヤーを使ってゴジラを抹殺した。
それなのに、今回は雪崩を起こして生き埋めにするという方法で退治している。
そりゃあ「特殊な兵器に頼らず、人間の知恵によってゴジラを退治する」というのは、素晴らしいことかもしれんよ。
ただ、前作の芹沢の行為が、ものすごく矮小化されてしまっているようにも思えてしまうんだよな。
あの自己犠牲は何だったんだろうと。一応、今回も自己犠牲というのは支払われていて、小林が民間機で特攻し、ゴジラの攻撃を受けて雪山に突っ込んでいる。
そして、その影響で雪崩が発生したのを見た月岡が、「ゴジラを生き埋めにする」という作戦を思い付くという流れになっているのだ。
ただ、そもそも「なぜ小林は民間機でゴジラに突っ込んだのか」というところに疑問しか無いんだよね。
戦闘機の攻撃が効かないのを見た彼は感情的になって突っ込んでいるんだけど、前作の芹沢とは全く違って、アホにしか見えないのよ。前作の芹沢が「かつての婚約者に対する恋心を秘めたまま、自らの命と引き換えにゴジラを抹殺する」というキャラになっていたので、今回も小林も同じような感じで行きたいと思ったのか、北海道に移ってから恋人が出来たという設定になっている。
ただ、その恋人は一度も登場せず、写真がチラッと写るだけ。
恋人とのドラマが皆無なので、出撃前に秀美との会話で「彼女へのプレゼントは何がいいかな」みたいなことを喋っていても、彼の特攻における悲劇性が高まらない。
って言うか、繰り返しになるけど、特攻する意味が無いから、仮に恋人とのドラマが充実していたとしても、やっぱり「アホにしか見えん」という印象だっただろうけどさ。(観賞日:2014年1月5日)