『銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー』:1998、日本
機械人間との戦いから一年後。星野鉄郎は地球の新たな支配者ボルカザンダIII世によって囚われの身となり、世話になった女は氷漬けに されていた。脱走計画を企てた鉄郎は、死刑判決を下された。そこへ999号が現れ、鉄郎を救って地球を去った。ボルカザンダの前には 女戦士ヘルマザリアが現れた。ボルカザンダは「必ずミスは取り返す。だから上層部にはそう伝えてくれ」と怯え、ヘルマザリアが背中を 見せた隙に射殺しようとする。しかしヘルマザリアには効かず、ボルカザンダは銃殺された。
999に乗り込んだ鉄郎はメーテルと再会し、喜びの涙を流した。鉄郎のマントには、彼の大切な友達である猫のミーくんが隠れていた。 車掌は伸び放題だった鉄郎の髪を切り、入浴させた。メーテルは鉄郎に、エメラルダスからの預かり物であるコスモドラグーンを渡した。 鉄郎は「幽閉されていた女を、いつか氷の中から助け出すと誓っていたのに、自分だけが逃げ出すことになるとは」と泣いた。メーテルは 「貴方は逃げ出すんじゃないわ」と告げた。
鉄郎はメーテルに、「地球は機械人間が消えて自然の星に戻ると思ったが、別の支配者が現れて前より酷い状態になった。建物はどんどん 支給され、飢える人はいなくなったけど、飼い慣らされた人々は無気力になり、抵抗者は光の届かない地下に追いやられ、人工物は自然と いう自然をこの世から消してしまった」と語った。メーテルは「ボルカザンダIII世はほんの下っ端。植民地惑星の支配を命じられた闇の 手先。暗黒がこの宇宙の全ての光を覆い隠そうとしている。沈黙の世界が宇宙を覆うことになる」と告げる。
999は、かつて鉄郎がクレアと出会ったトンネルにやって来た。すると、鉄郎の前にクレアが現れた。星屑になった体を元に戻してくれた 人がいるという。メーテルは「貴方はその人に終着駅で会うことが出来る。その人に会えなければ旅は永遠に終わらない」と言う。改造 された列車には、新たな構造部品の一つとして、電子妖精カノンという機関車の記憶を全て受け継いでいる存在が乗り込んでいた。彼女は 鉄郎に、銀河鉄道管理局発行のパスを渡した。
冥王星に近付いた頃、カノンは車掌に「地球の鉄道管理局からの指示が変で、瞬間通話が出来ない。このままではコントロールが不可能に なる」と告げた。列車は惑星テクノロジアへ行く予定だったが、緊急停車して様子を見ることになった。停車する星はブライトリング・ ファイヤーフライ、輝く蛍の輪の駅だ。そこは忘れられた駅だったが、メーテルは「鉄郎には懐かしい星よ」と言う。その星は自然が豊か で、鉄郎が母と暮らしていた頃の地球にそっくりだった。
鉄郎はメーテルと共にホテルの温泉に入り、副支配人で部屋係のイーゼルと出会った。従業員は彼女と父の2人だけだという。彼女は2人 の顔も名前も知っていた。それはメタノイドが「鉄郎たちを見つけ次第、通報しろ」という命令を送ってきたからだ。しかしイーゼルの父 は「通報なんぞするものか。人間としての意地だ」と、メタノイドへの怒りを吐露した。
イーゼルと話していた鉄郎は何者かの気配に気付き、銃を持って駆け出した。そこにはヘルマザリアの姿があったが、背中を向けていた ため、鉄郎は撃たなかった。ヘルマザリアは「撃たれる前に撃て。宇宙で戦う者の鉄則だぞ」と告げ、隙を見せた鉄郎を殴り倒して銃を 突き付けた。そこへイーゼルが駆け付けて鉄郎に覆い被さり、「この星に来た人は私たちのお客様。お守りするのが義務」と言って盾に なろうとする。ヘルマザリアは「今しばらく見逃してやろう」と告げ、その場を去った。
メーテルはイーゼルと父親に迷惑が掛かることを避けるため、鉄郎と共に999へ戻ることにした。見送りに来たイーゼルは鉄郎に弁当を 渡し、「きっと貴方は光も時間も追い越して走る時が来ます。それを忘れないで。未来をよろしく」と告げた。イーゼルは、鉄郎たちが 最後の客になると分かっていた。メタノイドに敵対する星は、破壊されることが決まっているからだ。
ヘルマザリアの指示によって、ブライトリング・ファイヤーフライは破壊された。999は爆風で激しく揺れ、幾つもの大きな星の破片が 飛んで来た。だが、今の999には、それを振り切るパワーが無かった。機関車が「絶望」と口にする中、空間軌道警備隊の車両が現れて 破片を次々に破壊した。そこにヘルマザリアの宇宙戦艦が出現し、999に激しい攻撃を浴びせてきた。999の後部車両には、メタノイドたち が侵入した。後部車両に向かったメーテルは、鉄郎に「彼らの心臓を撃ち抜くと大爆発を起こす」と告げる。
鉄郎が「どうすればいいんだ」と悩む中、メーテルはメタノイドが自爆しようとしていることに気付いた。慌ててメーテルと鉄郎が前の 車両に戻った直後、メタノイドの自爆によって後部車両は崩壊した。「それにしても自爆するなんて」と驚く鉄郎に、メーテルは「自分の 心臓を破壊してでも任務を遂行する。今度の敵はそういう相手なの」と告げる。そこへヘルマザリアが現れ、「メーテル、貴方と999と、 そこにいる少年を抹殺する」と言い放つ…。監督は宇田鋼之助、原作・総設定は松本零士、脚本は武上純希、製作は高岩淡&泊懋、企画は清水慎治、製作担当は高梨洋一、 キャラクターデザイン・作画監督は加々美高浩、メカニック・エフェクト作画監督は的場茂夫&山下高明、撮影監督は田民男、撮影は 石井吉忠、編集は西山茂、録音は波多野勲、美術監督は行信三、CGプロデューサーは藤井政登、色指定は板坂泰江、音楽は田中公平、 指揮はコンスタンチン・クレメンツ、演奏はモスクワ・インターナショナル・フィルハーモニー・オーケストラ、 音楽プロデューサーは高桑忠男。
主題歌「Brave Love 〜Galaxy Express 999」作詞・作曲:高見沢俊彦、編曲:THE ALFEE、歌:THE ALFEE。
挿入歌:「Galaxy Express 999 MOTHER」作詞:冬杜花代子、作曲・編曲:田中公平、歌:吉岡小鼓音。
声の出演は野沢雅子、池田雅子、肝付兼太、榊原良子、戸田恵子、日高のり子、たてかべ和也、梁田清之、皆口裕子、山寺宏一、 世田一恵、高橋広樹、千葉進歩、大野吉弘、大野和美ら。
ナレーションは夏八木勲。
松本零士の漫画『銀河鉄道999』の3度目の映画化作品。
漫画は1981年に連載が終了していたが(アンドロメダ編)、1996年から続編が開始された(エターナル編。ただし連載は中断されてい る)。本作品は、エターナル編を基にした内容となっている。
54分の中編で、翌年の1999年には完結篇となる長編が作られる予定だった。
つまり、これは完結篇に向けてのプロローグ的な作品だったわけである。
しかし本作品がコケたため、完結篇の企画は中止となった。世界観や登場人物、人物関係についての説明は全く無い(新しく登場するキャラについては別だが)。劇場版の前2作かTVアニメ版を 見ている人、あるいは原作漫画のアンドロメダ編を読んでいる人、そのように「銀河鉄道999を知っている人」のための作品となっている。 いちげんさんには敷居の高い作品だ。
っていうか、最初から観客のターゲットをそこに絞り込んでいるってことだろう。
銀河鉄道999はアニメが大人気になったので、その頃にハマった人は多いだろう。だから今の子供たちではなく、「子供の頃に銀河鉄道999 と触れた大人たち」に観客層を絞り込んでも、黒字が出るぐらいの儲けは出るだろうと考えたのかもしれない。
ただし、それにしては、同時上映が『長靴をはいた猫』ってのは違うだろ。そっちは明らかにファミリー向け映画であり、ターゲットに している観客層が大きく異なる。
製作サイドの考えがサッパリ分からないぞ。原作漫画のアンドロメダ編、TVアニメ版、映画版は、それぞれ異なる内容となっている。
で、この映画は漫画のエターナル編を基にしているんだが、そのエターナル編は漫画のアンドロメダ編の続編になるのかというと、これが 微妙なところで、一部に映画版から受け継いだ設定もある。
ただ、この映画では、アンドロメダ編を読んだ人、TVアニメ版を見た人、映画版を見た人、どのケースでも、それほど問題は無いと 思われる。
ただし1つだけ、鉄郎の姿が原作と同じになっているので、年齢設定を上げた劇場版の印象が強い人は、やや戸惑いを覚えるかもしれない 。
ちなみに私は劇場版のイメージが最も強いので、「旅を通じてたくましく成長したはずの鉄郎が、すっかり幼くなってしまっている」と 感じてしまった。
メーテルが「貴方は変わっていない」と言うので、「いや、随分と変わったぞ」と。それはいいとしても、鉄郎がたった1年で変わるわきゃないよ」と言うまで、アンドロメダ編から1年後の物語だと分からないのは、手順 として上手くないと思うぞ。
その後に「地球は機械人間が消えて別の支配者が現れて」などと説明的なセリフが入るんだが、そこまでは、鉄郎がボルカザンダIII世に 捕まっていた状況も良く分からないし。
っていうか、鉄郎が具体的にどんな抵抗運動をしていたから捕まることになったのかは、サッパリ分からないし。
もっと分からないのは、氷漬けになっていた女だ。あれは誰なんだろうか。なぜ彼女は、そんな状態で捕まっていたんだろうか。
イーゼルと会った時に鉄郎は「地球にいた時に世話をしてくれていた人にそっくりだ」と言うけど、「そいつは誰なんだよ」と言いたく なる。それは氷漬け女のことなのか、それとも母親のことなのか。
で、イーゼルと別れる時に、鉄郎は別の女性の面影を見るんだけど、それが誰なのか良く分からないから、まるでピンと来ないシーンに なっちゃってる。序盤の説明的セリフに戻ると、鉄郎は「別の支配者が現れて前より酷い状態になった」と言うが、「建物はどんどん支給され、飢える人は いなくなった」とも言っている。
それを「飼い慣らされた人々は無気力になった」と批判的に述べているが、建物が支給されて飢える人もいなくなったのなら、それは良い ことだ。なぜ前より酷い状態と言えるのか、それこそ説明すべきじゃないのか。
「人工物は自然という自然をこの世から消してしまった」と鉄郎は言うので、どうやら自然破壊を批判しているらしい。
でも、それは薄い批判だよな。人間が生きていく以上、自然破壊は付き物と言ってもいい問題だからね。
しかも、未来都市の描写には、自然破壊が悪であるというアピールがあまり感じられない。ごく普通に「未来都市」の様子でしかないん だよな。メーテルは「あの支配者はほんの下っ端。植民地惑星の支配を命じられた闇の手先。暗黒がこの宇宙の全ての光を覆い隠そうとしている。 沈黙の世界が宇宙を覆うことになる」と言うが、彼女の言葉とBGMが大げさに危機感を煽っているだけで、単に鉄郎が脱獄を企てて処刑 されそうになったというぐらいで、「宇宙の大きな危機」に見合うようなシーンが無いんだよな。
鉄郎は死んだはずのクレアと再会しても、すげえ淡白で感動が薄い。単なる「久しぶりの再会」にしか見えないぞ。メーテルとの再会では 感涙しておいて、クレアの扱いが酷すぎないか。
その後、クレアは全くと言っていいほど話に絡んでこないし。わざわざ復活させた意味がほとんど感じられないぞ。
完結篇では、もっと意味のある使い方をする予定があったのかもしれんけど。なんか旅の目的がボンヤリしたままなんだよな。 カノンから渡されたパスでは1年前の旅と同じくオリオン・プレアデス経由アンドロメダ行きになっているから、その段階では目的地は 分からないんだよな。
一応、闇の手先がどうとかメーテルは言っているけど、「それを阻止するため」とか「ボスを倒すため」という発言は無い。
その後で「その人に会えなければ旅は永遠に終わらない」というセリフがあるが、その人に会うことが具体的にどんな意味を持つのか、 何のために会うべきなのか、それは教えてくれないし。ブライトリング・ファイヤーフライが爆発した後、星の破片が飛んで来て999が危機に陥るが、その直後にヘルマザリアの戦艦が現れて 攻撃してくるので「破片によるピンチはどうなったんだ?」と思ってしまう。
機関車が「絶望」と告げた後、カノンが「これは」と言うと男の顔が映し出され、戦闘車両が現れて破片を撃っているので、それで破片の 危機は回避されたということのようだが、何の説明も無いもんだから、その男が誰で、その車両が何なのかはサッパリ分からないのだ。
どうやら、あの男は『銀河鉄道物語』に登場するキャラクターで(有紀学なのかな)、戦闘車両は空間軌道警備隊のシリウス小隊専用車輌 であるビッグワンか新ビッグワンのどちらかだと思われる。
だけどハーロックやエメラルダスならともかく、そんなの知らないっつーの。原作漫画を読んでいれば分かるのかもしれないが、初登場で 説明無しはキツいぞ。
もしファンへのサービスのつもりなら、そういう重要な役回りじゃなくて、物語に深く関わらないゲストとしての登場に留めるべきだ。
っていうか、そいつらは、なぜヘルマザリア艦には攻撃を加えないんだろうか。それ以外にも、そのシークエンスには大きな問題がある。
ブライトリング・ファイヤーフライが爆破されたのなら、そこではイーゼルが殺されたことに対する鉄郎のショックや哀しみを描写する 時間帯を設けるべきだろう。なのに、すぐに自分たちもピンチになっちゃうから、それどころではなくなってしまう。
それは構成として、あまりにもお粗末と言わざるを得ない。
その後、メタノイドが車両に侵入してくるが、そのメタノイドが何なのかも今一つ分かりにくい。
そこから自爆があって、鉄郎が気絶しながらもヘルマザリアを撃つ展開になり、ヘルマザリアはメーテルに「私にもあの子ぐらいの息子が いる」「あの子には私が逃げたと。でないと、あの子は必ず胸を痛める」と告げて命を落とす。
ヘルマザリアは悲哀を帯びた、同情を誘うようなキャラなんだけど、出番が少ないから、それを充分に描き切れているとは到底言い難い。鉄郎は太陽が超新星になって爆発したと知らされると、「僕は地球を元に戻したくて999に乗ったんだ。戦う覚悟をして。これじゃあ何の ために旅に出たんだ」と言うが、そうじゃないだろ。
処刑されそうになったところを救われただけじゃねえか。勝手に自分の行動を改ざんするなよ。
そこでハーロックが登場して鉄郎に呼び掛けるが、なんか無理に関わらせているという印象しか受けないんだよな。
そこに「おおっ、ハーロック」という喜びが無い。ただ出てきただけで、意味のある使われ方をしていないし。
あと、声優が井上真樹夫から山寺宏一になってるのもなあ。ナレーションが城達也じゃないのは仕方ないけど、井上真樹夫は存命なのに。(観賞日:2010年4月7日)