『けものがれ、俺らの猿と』:2001、日本

脚本家の佐志は妻が留学と称して逃げて以来、仕事が全く来なくなってしまった。家主である義父からは、解体してマンションを建てるので今月中に退去してくれと言われてしまう。室内には奇妙な虫が繁殖し、女子高生は庭に三輪車を放り込んで来る。
佐志の元を、映画プロデューサーを自称する男・楮山が訪れた。社会派作品を手掛け、50年の経歴があるという。その楮山が、佐志に新作の脚本を依頼してきた。締め切りは2週間後で、3つのゴミ処分場へシナリオ・ハンティングに行ってほしいと楮山は語る。
佐志は製作費が5億円と聞かされ、楮山から取材費を受け取った。佐志は最初のゴミ処分場へ向かうが、愛想の悪い書店の女性店員に道を尋ねても無言で怯えるだけ。佐志は彼女に怒鳴って店を出るが、警備員に監禁されて暴行を受ける。
気が付くと夕暮れ時で、佐志はゴミ処分場にいた。草むらに倒れていたのを、1人の青年が助けてくれたらしい。ところが青年はバッグを盗んだ上、謝礼まで要求してきた。佐志は謝礼とは別に金を払い、青年に近くの駅まで車で送ってもらった。青年によれば、なぜか周辺住民は佐志のことを警戒し、敵視しているらしい。
翌日、佐志は虫に襲われた義父を病院に運んだ。その後、彼は楮山の車で、見知らぬ町へ連れて行かれる。町を歩いていた佐志は、そうめんを口から垂らした浴衣の女性達とすれ違う。続いて学生服を着たブラスバンドの集団に取り囲まれ、死にそうになる。佐志は、これまで起きた全ての出来事が楮山の仕業ではないかと疑う。
翌日、佐志は楮山の車に同乗し、2時間も掛けてツートンカラーの大仏を見に出掛けた。ところが楮山が急に発作を起こし、動かなくなってしまう。電話を探して山道に迷い込んだ佐志は、アンジーという小猿と暮らす男・田島の家に一泊することになった…。

監督&編集は須永秀明、原作は町田康、脚本は木田紀生&久保直樹、プロデューサーは小澤俊晴&長谷川真澄&平田樹彦&小掠悟、演出部は江良圭、撮影部は北信康、録音部は松本修、照明部は木村匡博、美術は郡司英雄、造形は野口隆二、特殊美術は鈴木駒子、CGスーパーバイザーは石川智太郎、音楽プロデュースは會田茂一。
出演は永瀬正敏、小松方正、鳥肌実、車だん吉、降谷建志、ムッシュかまやつ、松重豊、石堂夏央、手塚とおる、鮎貝健、中山マリ、山本ふじこ、立川志らく、奏谷ひろみ、濱本康輔、阿部能丸、IKKAN、森下能幸、仁科貴、蒲生純一、星野園美、望月知子、松岡春奈、中村元則、古島弘美、今奈良孝行、政岡泰志、森本訓央、山田伊久磨、三浦由紀子、清水まり、斎藤史典、安斎あかね、大桃芽吹、中元智晶ら。


ミュージック・フィルム出身の須永秀明が、初めて映画監督を務めた作品。
原作は町田康の『屈辱ポンチ』に収録された同名小説。
佐志を永瀬正敏、楮山を小松方正、田島を鳥肌実、義父を車だん吉、金を要求する青年を降谷建志が演じている。

この映画は、「ただキテレツなことをやりまくれば、それだけで面白い作品になるのか」という実験である。
そして、その答えはハッキリと出ている。
「キチガイ犯罪者が警察の聴取に対して喋る、支離滅裂な内容は面白いか」という質問の答えと同じだ。
つまり、「ノー」である。

カメラワーク、アングル、ショットの繋ぎ方、カットの組み合わせ、編集、とにかく、あらゆる所で凝りに凝りまくっている。音楽の使い方にも、こだわりを見せている。
しかし、「だから何なのだ」という言葉が、思わず口を突く。
ハチャメチャな幾つものピースを1つにまとめ、同じ方向に走らせるだけの力が、この映画には無いのである。

キテレツが意味のあるキテレツではなく、単純にデタラメを撒き散らしているだけ。
「とにかく、その場その場で変わったことをやる」というだけに終始している。

ミュージック・フィルムなら、場当たり的で意味不明なシーンの羅列でも構わないだろう。
しかし、この映画は『稲村ジェーン』のように、長尺のミュージック・フィルムとして作られているわけではない。明らかに、ストーリーを、ドラマを綴ろうとしている。
にも関わらず、、完全に破綻している。
いや、破綻するという以前に、最初から成り立っていない。

これは、一種のメルヘンである。
だから、どれだけ変わったことだらけでも、主人公は全て受け入れている。いちいち「なぜ?どうして?」と引っ掛かることは無い。
しかし、「メルヘンだから何をやってもいい」ということは無い。メルヘンとしてのルール、統一感は必要だ。
だが、この映画は、メルヘンとしての1つの世界観を構築しようとしない。

主演が永瀬正敏というのも、マイナスに働いている。
彼は思っていることを全て口に出し、たまにワザとらしい喋り方をするという芝居を見せているが(もちろん演出によるものだろう)、基本的にメルヘンの世界に染まり切れるタイプの役者ではないようだ。
猛スピードの車に焦ったり、クレイジーな田島への対応に困ったり、そういう時の永瀬正敏は、「らしい」と思わせる。
つまり、そういう普通のリアクションが、彼には似合うのだ。不可解を全て平然と受け入れるようなキャラクターは、合っていないのだ。変な世界、ヤバいことに巻き込まれたという感覚で動く方が、合っているのだ。

 

*ポンコツ映画愛護協会