『源氏物語 千年の謎』:2011、日本

平安時代。時の権力者である藤原道長は、物語の書き手として有名だった彰子の女房・紫式部を捕まえて犯した。道長は「いつか、そなたの書く物語を読ませてくれ。男と女の物語だ。我の名を知りたいか。我は光だ。夜をあまねく照らす光だ」と彼女に告げた。翌日、道長は式部を呼び、一条帝の心を掴む物語を書くよう命じた。娘の彰子に一条帝の心を向けさせ、自分の血を帝の中に残すためだ。
式部は『源氏物語』を書き始めた。帝の寵愛を受けた桐壺更衣は、他の女たちから激しい嫉妬を買った。中でも帝の第一后である弘黴殿は激昂し、妊娠した桐壺に掴み掛かった。決して屈せずに皇子を出産した桐壺は、それと同時に命を落とした。桐壺の死から3年後、帝は愛する人の忘れ形見である第二皇子・光の宮と共に暮らし始めた。さらに彼は、桐壺更衣に瓜二つである先帝の第四皇女・藤壺を新しい女御として迎えた。
時が過ぎ、成長した光の宮は、宮中の女たちの心を奪う美男となっていた。御所・清涼殿において光の宮の元服式が執り行われた。弘黴殿が産んだ第一皇子は右大臣という後ろ盾を持ち、早くに東宮に立った。帝は、本心では光の宮を東宮にしたかった。しかし後ろ盾も無いため、無位の親王という頼りない立場にあるよりはと、源氏の姓を与えて宮中に仕える臣下の地位に落とした。母の愛を知らずに育った源氏は、藤壺に対して強い思いを抱いていた。
ここまでの物語を、式部は一条帝や彰子たちの前で読み聞かせた。一条帝は強い興味を示し、「早く続きが聴きたいものよ」と口にした。その夜、道長は再び式部を捕まえ、「今宵、そなたの胸で甘えてみたい」と告げる。「お酒が過ぎたようでございますね、道長様」と式部は受け流し、その場を去ろうとした。すると道長は「道長ではない。我は光だ。そなたが物語の中で我を光と名付けたではないか」と言う。式部が「早く御寝所へ」と去ろうとすると、道長は「式部、でかした。彰子が身ごもったのは、そなたのお蔭だ。改めて礼を申す。我とて、そなたの書く物語にすっかり心を奪われておるのだぞ」と述べた。
道長は能書家の藤原行成に、「彰子の腹の子は男皇子であらねばならぬ。その時こそ我が一族の戦を終わらせることが出来る」と語った。その時、道長たちの前に鬼のような形相の男が現れた。道長は落ち着き払った様子で対峙し、「お前は、この私に敗れたのだ。何故、それを認めぬ」と説く。男が刀を抜くと、道長の亡兄の嫡男・伊周の顔になった。恨みに溢れた伊周が襲い掛かるが、道長も刀を抜いて対抗する。そこへ陰陽師の安倍晴明が現れ、伊周を退散させた。
式部は『源氏物語』の続きを書いていた。源氏は元服後、左大臣の娘である葵の上と結婚した。後ろ盾を持たない源氏の身を案じた帝が、左大臣を後見にと思って彼女と結婚させたのだ。だが、葵の上は源氏に対して心を開こうとしなかった。源氏は前東宮の妃・六条御息所の元を訪れ、導きを求める。御息所は東宮から貰った漢書を渡そうとして、誤って自分が書き写した巻物を見せてしまう。失礼を詫びる彼女に、源氏は「貴方のお手の方が、よほど美しい。つややかで気品に満ちていらっしゃる」と告げた。
源氏は受け取った巻物に濡れた箇所があるのに気付き、御息所に問い掛けた。すると御息所は、東宮を思って涙を落としたのだと説明した。源氏は藤壺を思い浮かべ、「例え長く生きようとも、ただ一つの思いさえ遂げられるのなら、なんと甲斐無き人生でありましょうか」と漏らす。彼はいきなり御息所の腕を掴み、「私の苦しい思い、ほんの人匙でも受け取っては下さいませんか」と襲い掛かる。源氏は彼女を押し倒し、唇を奪った。最初は抵抗した御息所だが、すぐに源氏を受け入れた。
そこまでの物語を式部が書き上げた頃、彰子が男皇子を産んだ。道長は大いに喜び、式部に礼を述べた。そこへ晴明が現れ、式部に凶相が出ていることを道長に教えた。その後も式部による『源氏物語』の執筆は続く。源氏が御息所の相手となったことは、たちまち噂として広まった。御息所は日が高くなる前に立ち去るよう源氏に告げ、「私が笑われます。盛りを過ぎた女が若い公達に心を奪われ、慎みを失っていると」と述べた。
源氏が「貴方は何を守ろうとなさっているのですか」と言うと、御息所は「ただ楽しまれよと?ただ、この一時を愛おしめと?私は一人で生きて行かねばならぬのです。貴方が私の元を去っても。先に老いてゆく者は、多くを愛してはならぬのです」と述べる。だが、それは本心ではなく、強がりだった。源氏が去ろうとすると、彼女は後ろから抱き締め、「行かせない。誰にも渡さない」と告げた。
ある日、腹心の家来・藤原惟光たちを従えて町を移動していた源氏は、ある花に目を奪われた。惟光に花の名を尋ねると、「夕顔ですよ。人知れず夜に咲き、人知れず枯れていく。哀れな花です」という答えが返って来た。源氏は惟光に、一房持って来るよう指示した。惟光が花の咲いている家に近付くと、そこに住む女は女童を通じ、花を乗せるための扇子を渡す。源氏が花を受け取ると、それを乗せた扇子には和歌が書かれていた。
その女・夕顔に関心を持った源氏は、彼女と関係を持った。だが、寝所に2人でいると、急に夕顔が苦しみ始めた。驚く源氏の前に御息所の生き霊が現れ、「私がこんなに愛しておりますのに。そのようなつまらぬ女に情けをお掛けになるとは。貴方の愛をひたすら信じた私が情けない」と言う。生き霊が夕顔を捕まえたので、源氏は「やめろ」と叫んで斬り付ける。生き霊は消えたが、夕顔は死んだ。
源氏は左大臣の嫡男である頭の中将から、「葵の元を、もう少し訪れてやってはくれないか」と頼まれる。「冷たい女ではないのだ。あれはただ、東宮妃となるために育てられ、取るに足らない誇りを捨てられずにいる。寂しいと泣き付くことの出来ない不器用な女」と言う彼に、源氏は「時間が掛かろうと、行く末はきっと打ち解けた夫婦になろうと」と釈明した。頭の中将は「御所に行く度、俺は感心してしまう。帝と藤壺の宮様の睦まじさ。今は藤壺の宮様の御郷下がりで帝もお寂しいことであろうな」と述べた。
頭の中将の言葉を聞いた源氏は藤壺の元へ行き、彼女に熱い気持ちをぶつける。しかし藤壺から「貴方は思い違いをしておられる。私を求めるのは父帝の妃だからこそ。易々と手に入る女であったなら、決してそのようには思いますまい」と言われると、源氏は「そのように思われていたのですか」と寂しそうな表情を浮かべて立ち去った。しばらくして、葵の上が懐妊した。源氏は「これで私たちも打ち解けた並の夫婦となりましょう」と彼女に告げた。
源氏が「私は母親の記憶がありません。けれどこれから産まれてくる私の子は母親である貴方の愛を存分に受けることが出来ましょう。私はそれを見てようやく、寂しかった幼き日々より解き放たれるのです」と語ると、葵の上は嬉し涙をこぼした。「これからは辛いことも苦しいことも、何でもおっしゃって下さい。私たちは世に許された夫婦なのですから」という源氏の言葉に、彼女は深くうなずいた。だが、そんな葵の上にも、御息所の生き霊が迫っていた。
そこまでの物語を読み聞かせた式部に、道長は「恐ろしい女であるなあ、六条御息所とは。一人の女を殺めておいて、まだ気が済まぬのか。どこまで源氏を追い詰めるのだ」と問い掛ける。「さあ、それは私にも分かりませぬ」と式部が答えたので、道長は「そなたが決めることであろう」と言う。すると式部は「筆を取り、紙に向かうまでは何も決まっておりませぬ。書きながら初めて、この者はこう動くのだと分かるのです」と説明した。
道長は「ほんに、恐ろしい女であるなあ、そなたは」と小さく笑った後、「彰子は皇子を産み、我の大願は果たされた。それでもまだ、そなたが物語を綴るのは何のためだ」と尋ねた。式部は微笑を浮かべ、「まさか、それをお分かりにならぬ貴方様ではありますまい。遂げられぬ思いが、私に筆を持たせるのでありましょう」と答える。そんな式部の凝り固まった思いが毒となって体内を回っていることを、晴明は見抜いていた。
式部の中に秘められていた修羅の心は、御息所の生き霊となり、懐妊間近となった葵の上を苦しめる。それに気付いた晴明は物語の中に入り込み、生き霊を追い払った。晴明は道長に、「あの者の修羅はいずれ物語の世界から抜け出す。その時は我とて収められぬやもしれぬ。式部の筆を止めるのです。止められるのは道長様の他にはおりませぬ」と説いた。だが、道長は「それは出来ぬ。それを望まぬからだ。我は、あの者の業の深さを見届けたいのだ」と言う…。

監督は鶴橋康夫、原作は高山由紀子『源氏物語 〜千年の謎〜』(角川文庫)、脚本は川崎いづみ&高山由紀子、製作総指揮は角川歴彦、製作は井上伸一郎&濱名一哉&市川南&羽雁彰&藤島ジュリーK.&辰巳隆一&森越隆文&常田照雄、エグゼクティブプロデューサーは椎名保、プロデューサーは土川勉&鈴木光&岡田和則&坂本忠久、協力プロデューサーは小川富子、アソシエイトプロデューサーは松栄清、撮影は藤石修、美術は今村力、照明は磯野雅宏、録音は甲斐匡、草食は極並浩史、編集は田中愼二、衣裳デザイナーは宮本まさ江、VFXプロデューサーは西尾健太郎、美術プロデューサーは竹村寧人、監修は朧谷寿&荒俣宏、所作指導は熊谷宝子、時代考証は福嶋昭治、音楽は住友紀人、音楽プロデューサーは長崎行男、雅楽・舞楽指導は東儀秀樹、舞踊指導は花柳双子。メインテーマ『源氏物語 〜Ancient Love Stories〜』作曲・編曲は住友紀人。
エンディングテーマ『ETERNITY』作曲・編曲は住友紀人、篳篥・笙 演奏は東儀秀樹。
出演は生田斗真、中谷美紀、東山紀之、真木よう子、多部未華子、室井滋、佐久間良子、田中麗奈、窪塚洋介、芦名星、蓮佛美沙子、榎木孝明、東儀秀樹、甲本雅裕、尾上松也、竹嶋康成、佐藤祐基、若葉竜也、山中聡、高橋静香、Mari、Eri、辻千春、中村祐美子、サカモトワカコ、高橋綾沙、小峰隆司、宇谷玲、松島紫代、熊谷有希子、上原麻未、高橋瑞佳、柴田洋子、あきやまりこ、宮崎恵美子、増岡恵美、高橋伶唯子、横山賢太郎、まつむら眞弓、桜蘭ハナ、丹羽実麻子、平松東馬、宮田和美、佐賀裕子、大野清志、松永輝人、下江昌也、益野歩夢、関根航、阿久津秀寿、片山佳那子、井上麻衣子、古家貴子、平野恵未、西野まゆか、太田雅之、吉田輝生、澤江晃史、永元三重子、手島みづえ、佐藤都輝子、園英子、奥村由香里、石上裕翔、友寄由香利、窪田弘和、高橋知代ら。


紫式部の『源氏物語』を題材とする高山由紀子の同名小説(映画化に合わせて文庫版で改題される前は『源氏物語 悲しみの皇子』というタイトルだった)を基にした作品。
監督は『愛の流刑地』の鶴橋康夫。
脚本は『欲望』『キラー・ヴァージンロード』の川崎いづみと原作者による共同。
源氏を生田斗真、式部を中谷美紀、道長を東山紀之、藤壺を真木よう子、葵の上を多部未華子、弘黴殿を室井滋、藤壺の侍女・王命婦を佐久間良子、御息所を田中麗奈、晴明を窪塚洋介、夕顔を芦名星、彰子を蓮佛美沙子、桐壺帝を榎木孝明、一条帝を東儀秀樹が演じている。

田中麗奈が「私が笑われます。盛りを過ぎた女が若い公達に心を奪われ、慎みを失っていると」とか「先に老いてゆく者は、多くを愛してはならぬのです」とか言うのは、すごく違和感があった。
そりゃあ生田斗真よりは年上だし、実年齢は当時31歳だから、平安時代なら年増の女ってことになるんだろう。
だけど田中って童顔だし、「自分の年を気にする女」としてはミスキャストなんじゃないかと。

題名が『源氏物語 千年の謎』で、映画の冒頭には
「今からおよそ千年前に誕生し、今も読み継がれる世界最古の恋愛小説『源氏物語』〜中略〜『源氏物語』最大の謎は、作者・紫式部である。彼女は何故、この物語を書いたのか。いや、書かねばならなかったのか〜後略〜」
というテロップが入る。
だから、こっちとしては
「なるほど、この映画は紫式部が源氏物語を描くに至った経緯を描くんだな。物語の終盤になって、『こういう理由で紫式部は源氏物語を描くようになりました』ということが判明するんだな」
という身構えをする。

ところが、この映画は序盤、道長が式部を犯して「娘の彰子に一条帝の心を向けさせるため、物語を書け」と命じられ、『源氏物語』を書き始めるという展開がある。
ってことは、そこで「彼女は何故、この物語を書いたのか。いや、書かねばならなかったのか」という問い掛けの答えは出てるよね。始まって10分も経過しない内に、もうアヴァン・タイトルの段階で解決しちゃったよね。
だったら、このタイトルはダメでしょ。
それでも、まだ「原作のタイトルがそれだったから」ということなら言い訳にもなるが(それでも改題した方がいいとは思うが)、この映画に合わせて原作の方のタイトルを変更しているんだよな。
まるでダメじゃん。

映画が始まると中谷美紀が登場し、続いて東山紀之が現れる。なぜか良く分からないが、東山を見た途端に中谷は逃げ出す。
たぶん「東山は女を見つければすぐにレイプする奴」と知っていたんだろう。で、東山は中谷を捕まえてレイプする。
この段階では、まだ中谷と東山が誰の役を演じているのか紹介されていない。
東山が「そなたの物語には本物の血が流れているようだと」と言っているので、中谷が紫式部を演じていることは何となく分かるが、っていうか2人の配役を知った上で映画を見る人も多いとは思うが、だとしても、そこは2人が何者なのかを、まず先に説明すべきじゃないのか。
意図的に何者なのかを明かさないまま、強姦シーンを描いているとも思えない。ただ不親切なだけにしか思えない。

その強姦シーンは、平安の時代だったら、当時は夜這いが当たり前に行われていたし、権力を持つ男が女を犯すことは許されたし、特に道長ともなれば何をやっても強姦にはならないってことは、まあ歴史の基礎知識が無いと受け付けられない人もいるかもしれないが、そこは受け入れられる。
「それにしても道長が青姦をするかね。どう考えても屋内で犯すだろ」とは思うが、そこも受け入れよう。
ただ、「道長に犯された式部が彼に惚れました」という展開には、ちょっと笑ってしまった。
式部って、東映実録路線のヤクザ映画に出て来る、ヤクザの情婦みたいなキャラクターなのね。

序盤以降も、ホントに誰が誰なのか分かりにくいよなあ。
例えば道長が甲本雅裕に「コウセイ」と呼び掛けるんだけど、甲本が誰の役であり、どういう立場にいるのかはサッパリ分からないんだよな。
そりゃあ歴史に詳しい人なら、「コウセイ」という響きだけで「ああ、能書家の藤原行成ね」と理解できるかもしれんよ。
だけど、そんなに歴史に造詣の深い人ばかりが本作品を見ているとは思えないぞ。

そもそも、出演している役者(特に生田斗真とか)が目当てで映画を見るという人も少なくないはずで、もう少し分かりやすくしてあげる配慮があってもいいんじゃないかな。
この映画、見る人に対して、かなりの予備知識を必要としているよな。
なんかさ、無駄にハードルが高いのよ。
『源氏物語』のパートについても、『源氏物語』を知らなかったら、中身を把握するのは簡単じゃないと思うぞ。

そこの問題は説明不足が原因なんだけど、説明不足になっているのは、脚本や演出の不備というだけでなく、尺が足りていないということも大きいんじゃないかな。
そもそも『源氏物語』だけに限定しても、136分の尺で描くのは厳しいだろう。
そりゃあダイジェストみたいな中身にすれば物語を最初から最後まで消化することは可能だけど、そんなのは映画としての体を成していない。厚みのあるキャラクター、充実したドラマを描き出そうとすれば、『源氏物語』だけでも、かなりの部分を捨てないと厳しい。
おまけに本作品の場合、式部や道長の登場する現実パートと交互で描いて行くわけで、そもそも2時間強で詰め込もうってのが無理な作業だったんじゃないかと。
どうしても136分で収めようとするのなら、源氏物語のパートは幾つかのエピソードだけを抽出する形にして、式部のパートは『源氏物語』のパートとリンクする部分だけに絞り込んで、尺を短くするような作業が必要だったのではないか。

ところが、この映画は、いずれのパートも「どこに焦点を置いているのか」がサッパリ分からないような形になっている。
『源氏物語』のパートでは源氏が関係を持つ女性を4人に絞っているけど、物語としての焦点がどこにあるのかは分からない。
源氏が成長するまでの部分も、要らないんじゃないかなあ。
「母の愛を知らないから瓜二つの藤壺に恋い焦がれる」という部分を描くためには、彼の出生に関して触れておかないとマズいってのも分かるんだけど、式部のナレーションベースで処理してしまうぐらいなら、成長した源氏から始めて、会話劇か何かで「母を知らぬ源氏が瓜二つの藤壺に恋い焦がれる」という部分を表現しても良かったんじゃないかなあ。
っていうか、「源氏の藤壺に対する遂げられぬ思い」というところを中心に据えているのかもしれんけど、「私の苦しい思い、ほんの人匙でも受け取っては下さいませんか」と御息所を手籠めにしたり、夕顔と出会ってすぐに肉体関係を持ったりする辺りは、ただの女好きにしか見えないからね。
特に御息所との関係については、「藤壺への思いが叶わないから他の女を力ずくでモノにしました」って、そこに共感は出来ないよ。
「不憫だわあ」とは思えないよ。

あと、源氏物語のパートは前述のように、源氏が関係を持つ女を4人に絞っているけど、それでも慌ただしいなあ。
源氏が相手のどこに惹かれたのかは全く描かれないし、源氏が女を口説き落とすまでの過程も削ぎ落とされてい御息所が嫉妬心から生き霊になる展開なんかも、「まだ早いでしょ」と感じる。
彼女は源氏と関係を持つシーンで初登場し、強がるシーンが2度目の登場で、3度目に登場すると、もう嫉妬に狂って生き霊になっているのだ。
「以前は足繁く通ってくれていた源氏が、最近は全く居着かなくなってしまった」とか、「他の女との色恋沙汰について噂を耳にする」とか、「貴婦人として気高く振る舞っているが、実際には激しい嫉妬心を募らせているので、心のバランスを崩してしまう」とか、そういう描写は全く無いままに、御息所は3度目に登場すると、すぐに生き霊へと変貌している。
だから正直、なぜ彼女が生き霊になるのかが分かりにくい。

御息所が生き霊になった理由については、夕顔の家に現れて「私がこんなに愛しておりますのに。そのようなつまらぬ女に情けをお掛けになるとは」と、言葉で説明しちゃうんだよな。
いや、そりゃあ本作品に分かりやすさは必要だと思うけど、そういうことじゃないんだよな。
心情を台詞だけで説明しちゃうのは、野暮ってモンでしょ。
あと、源氏と夕顔も、まだ一度しか関係を持ってないんだしさ。
もっと何度も源氏が夕顔の元へ通っていることを示してからじゃないと、御息所の生き霊への変貌は早すぎる。

現実のパートに関しては、伊周の怨霊が道長に襲い掛かったり、それを晴明が退治したりするエピソードなんて、いったい何のために盛り込まれているのかサッパリ分からない。
『源氏物語』のパートと全くリンクしていないし、式部の感情が描写されているわけでもない(そもそも、そのエピソードに式部は登場しない)。
晴明というキャラ自体、この映画には不要だったのではないかと感じるぞ。

現実パートで何より重要なことって、式部が道長に思いを寄せているという部分のはずなんだよね。
ところが、それが全くと言っていいほど描かれていない。
物語を書き続ける理由を問われた式部の言葉には、それとなく思いが込められているけど、そこまでに、式部が道長に惹かれているような様子は微塵も無かったぞ。
っていうかさ、道長って、冒頭で式部を犯した以外、他の女と関係している様子が全く無いんだよな。大勢の女をはべらせているような描写も無いし。
だから、式部が大勢の女たちと浮名を流す光源氏と道長を重ね合わせて『源氏物語』を描き、御息所に彼女の思いが投影されるという筋書きに、ちょっと違和感を覚えてしまう。

御息所が生き霊となって女たちを襲い始めると、式部の道長に対する思いを、彼女を通じて訴えているという形になっているんだけど、そこが効果的に作用しているとは到底言い難い。
ぶっちゃけ、「普通に式部が感情表現する形にしておけばいいのに」と思ってしまう。
御息所がどれだけ苦しい胸の内を吐露しても、それが式部と重なってくれないんだよな。
御息所が感情を吐露しているシーンに、物語を綴っている式部の姿を重ねるような表現も無いし。

(観賞日:2012年8月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会