『月光仮面』:1981、日本

竹林賢法が教祖を務める新興宗教ニューラブカントリー教会には、多くの信者が集まっていた。理想国家の建設を訴える賢法の説法に、信者たちは心酔していた。信者の巻村幾子や黒木公明、トミー・チンやタイガー・尾崎、片貝誠や緒形進平たちは理想国家を実現するため、赤い覆面とマント姿で東朋銀行を襲撃した。一味は地下金庫から現金5億円を強奪し、マスコミは「レッドマスク強盗団」と名付けて報道した。警視庁特別捜査本部の松田警部や末松刑事、阿部刑事や吉岡刑事たちが捜査に当たるが、何の手掛かりも掴めなかった。
レッドマスク強盗団は現金輸送車を襲い、霊柩車に現金を詰み込んで逃亡した。捜査本部は検問を張って霊柩車を調べるが、レッドマスク強盗団だと気付かずに通過させてしまった。レッドマスク強盗団は用意しておいた大型トラックに乗り換え、深夜の高速道路を走行した。そこへ月光仮面がバイクで現れ、荷台を開けて現金の入ったスーツケースを蹴り落とした。彼はスーツケースを奪い、その場から逃走した。翌日、捜査本部は乗り捨てられた霊柩車を発見するものの、相変わらず犯人に繋がる手掛かりは得られなかった。
松田は娘婿である新聞記者の豊橋浩介から、ニューラブカントリーと若者たちの家出の増加の関係について調べていることを聞かされる。しかし松田は何の興味も持たず、豊橋を邪険に追い払った。豊橋はニューラブカントリー教会の取材を申請して断られたため、郊外にある賢法の屋敷を張り込む。賢法と幹部の幾子たちは、監視カメラで彼の姿を確認していた。トミーは「相手にするな。少し様子を見よう」と言い、賢法は豊橋よりも月光仮面の存在を気にしていた。
3年前にアメリカから帰国した自然科学者のジョージ・小原は、ニューラブカントリー建設準備のために島で研究に従事している。屋敷を 訪れた彼は、信者である中山めぐみたちの前で優れた運動能力の一端を披露する。ニューラブカントリー教会が次に狙っているのは、某国の王女が所有しているダイヤのネックレスだった。時価十数億と言われるネックレスを奪うチャンスについて、トミーは「3月8日の午後3時から4時、1時間だけ」と黒木たちに説明した。
捜査本部に匿名の男から電話が入り、松田に「現金輸送車から奪われた現金5億円を返金する。ただし手数料として10パーセントを差し引かせて頂く」と語る。「明日の午後3時、銀座」と指定された松田と部下たちは、変装して現場を張り込んだ。ニューラブカントリー教会の面々はダイヤのネックレスを奪うため、銀座の街を移動する王女を尾行した。ラジコン操作のスーツケースが歩行者天国を走り抜け、刑事たちは慌てて確保した。その直後、月光仮面がビルの屋上に出現し、幾つもの風船を使って空に消えた。
刑事たちの存在を知ったニューラブカントリー教会の面々は、ダイヤの強奪を諦めて立ち去った。松田たちがスーツケースの中の現金を確認すると、手数料10パーセントを差し引いたことを記した月光仮面のメッセージが添えられていた。捜査本部は記者会見を開き、月光仮面が10パーセントの手数料を差し引いた上で盗難金を返還したことを発表した。翌朝、松田が妻や高校生の末娘・のぞみと朝食を取っていると、バンド活動に没頭している長男の正人が自室から下りて来た。彼は一緒に朝食を取らず、慌ただしく出掛けた。
工場の爆発事故で救済されず困っている母子の前に男が現れ、鞄を置いて立ち去った。母子が鞄を開けると5千万円が入っており、「坊やたちの幸せのために」という月光仮面からのメッセージが添えられていた。ニューラブカントリーの幹部たちが月光仮面の正体を気にする中、賢法は「誰であっても良い。邪魔になる者は消していくだけだ」と述べた。ニューラブカントリーが次の標的に選んだのは、政財界を裏で操る高利貸しの東条寺恭作だった。
東条寺の金庫に眠る10億の財産を奪うため、幹部のクラーク・坂井は島の若者たちから何名かを選抜してレッドマスクに加えようと提案する。トミーや尾崎たちは賛同するが、黒木は「理想のために手を汚すのは我々だけでいい」と反対する。賢法は黒木の考えを尊重し、島を訪れている幾子を呼び戻して行動に移るよう命じた。レッドマスクは国税庁の視察という偽情報で東条寺を欺き、今回は賢法も黒覆面で参加した。彼らは現金の入った鞄を奪い、東条寺の手下たちを蹴散らして逃亡した。
月光仮面が出現すると、賢法は待機させておいたバイク軍団を差し向けた。しかし月光仮面は軽く蹴散らし、見守っていた幹部たちの前をバイクで走り抜ける。トミーがジープで追い掛けると、月光仮面は飛び乗って襲い掛かる。黒木はライフルを構えるが、トミーに当たることを懸念して引き金を引くことが出来ない。すると賢法がライフルを発砲し、トミーが弾丸を受けて死亡した。月光仮面は賢法から「貴様は正義に名を借りた、ただの横取り屋ではないかと」と批判されると、「何とでも言うが良い。私は愛の助っ人だ」と言い放つ。彼は一味が奪った現金入りの鞄を盗み、その場から逃走した。
月光仮面は東条寺の名前を使い、各地の金を送った。彼は東条寺に電話を掛け、20パーセントの手数料を差し引いて養護施設に寄付したことを告げた上で、現金の返還を約束した。黒木は月光仮面の行動に共感し、ニューラブカントリーの理念に疑問を抱き始めた。彼は賢法に、「あのオートバイの連中とトミーの死をもっても得ようとする、貴方の愛とは何なんだ」と問い掛ける。彼は涙を流し、「貴方は私を騙した」と賢法を責める。その様子を、幾子が密かに見ていた。
賢法は「嶋から若者たちを呼び寄せ、月光をやれ。それが我々の進む道だ」と命じるが、黒木は「断る。これ以上、若者たちを犠牲にしたくない」と告げた。捜査本部は東条寺の敷地から指紋を採取し、学生時代に過激派だった黒木の存在を突き止めた。賢法は幹部たちに「黒木は脱落した。彼らは勇気が無かった」と告げ、月光仮面の抹殺を命じた。幾子は「お前を信じている。行動するのだ」と言われ、若者たちを先導するよう要請された。
黒木が島を訪れると、既に若者たちは去った後だった。隠れていた幾子は、苦悩しながらもライフルを構えて黒木を狙う。そこへ小原が現れ、狙撃を制止する。しかし賢法の刺客であるウィター・ションがブーメランを投げ付け、黒木を始末した。もう1人の刺客であるジュリー・チャンは、小原に襲い掛かった。小原は幾子の見ている前で、崖から海へ落ちて行方不明になった。松田は警官隊を率いて賢法の屋敷へ突入するが、残っていたのは緒方と片貝だけだった。彼らは警官隊に発砲するが、反撃を受けて逮捕された。
幾子は賢法に、「これ以上は若い人たちを巻き込まないで」と頼む。すると賢法は、「私は誰をも強制して来なかったが、もはやそうは行かない」と言う。幾子が「月光仮面?」と訊くと、彼は「月光仮面は死んだ。お前の目の前で」と言う。彼は小原が月光仮面だと確信していた。彼は幾子に、「犠牲を恐れては前進は有り得ない。前進なくしてニューラブカントリーは有り得ない。もう戻ることは不可能だ。脱落も許されん。どこまでもお前を連れて行く」と語った。
賢法は幾子に、彼女が大切にしているペンダントと同じ物を見せた。幾子は幼少時の記憶が無かったが、賢法は戦後に帰国して捨てられていた彼女を養育したことを話す。しかし幾子がペンダントを捨てて拒絶姿勢を示したため、賢法は平手打ちを浴びせて「貴様は悪魔だ」と罵った。そこへ坂井と沢田が、逃げ出そうとしためぐみを連行して来た。賢法はめぐみを毒殺すると脅し幾子に「国から1千万ドルの金を奪って来い」と要求する…。

監督は澤田幸弘、原作・製作監修は川内康範、脚本は川内康範&澤田幸弘、製作は古川博三&増田久雄、撮影は山崎善弘、照明は矢部一男、録音は信岡実、美術は徳田博、編集は鈴木晄、擬斗は松尾悟、音楽は川内康範。
主題歌「愛の助っ人」詩・曲:川内康範、編曲:横尾正広、唄:ノーザン・ライツ。
出演は桑原大輔、志穂美悦子、地井武男、原田大二郎、藤岡琢也、鈴木瑞穂、小松方正、桜井センリ、井上純一、ジョニー・大倉(ジョニー大倉)、鈴木ヤスシ、ガッツ石松、小柳トム(現・ブラザートム)、晴乃ピーチク、五代高之、斉藤智美、内田喜郎、長江英和、サイトウヒロシ、降矢由美子、椎谷建治、山西道広、清水宏、森大河、内田稔、小田俊彦、浜口竜哉、市村博、谷口香、園めぐみ、姫ゆり子、倉沢映子、佐藤ゆき子、藤枝亜弥、草薙良一、鶴岡修、大川利治、入江正徳、山本庄助、御友公喜、永田博文、鈴木誠一、山崎義和、垂木勉、沢井正延、三星光男、徳田耕一、椎原忠彦、高木清、宮内彰ら。


1958年から1959年まで放送された同名の人気テレビ番組を基にした作品。
監督は『俺達に墓はない』『レイプハンター 狙われた女』の澤田幸弘。原作者である川内康範が、澤田幸弘と共に脚本を担当している。
それまで脇役しか演じたことの無い桑原大輔が小原役に抜擢されたが、ここから人気が出ることは無く、いつの間にか芸能界から姿を消した。
幾子を志穂美悦子、黒木を地井武男、豊橋を原田大二郎、松田を藤岡琢也、竹林を鈴木瑞穂、末松を桜井センリが演じている。他に、トミーをジョニー大倉、阿部を鈴木ヤスシ、尾崎をガッツ石松、正人を井上純一、緒形を内田喜郎、ジュリーを長江英和、相川をサイトウヒロシ、片貝を五代高之が演じており、パトカーの警官役で小柳トム(現・ブラザートム)、新聞記者の役で晴乃ピーチクが出演している。
「新人」として表記される(デビュー作ではない)めぐみ役の降矢由美子は、後に特撮番組『宇宙刑事シャリバン』でリリィを演じた。のぞみ役の斉藤智美も同じく「新人」として出演しているが、こちらは以降の消息が全く分からない。

『月光仮面』が実写映画化されたのは、これで初めてではない。テレビ版が放送されていた頃、その人気に目を付けた東映が映画化している(なんと6部作だ)。テレビ版とは全く異なるキャストでの映画化だったが、登場人物の設定や物語の内容は類似していた。
そんな旧映画版やテレビ版と本作品は、「月光仮面という白覆面の男が事件を解決する」「月光仮面はバイクに乗っている」「月光仮面の正体は不明だが実質的にはバレバレ」といった共通項はあるが、それ以外は全くの別物になっている。
そもそも、主人公の設定が全く異なる。テレビ版や旧映画版の主人公は、祝十郎という私立探偵だった。袋五郎八やカボ子という助手がいて、繁や木の実ちゃんという戦災孤児の面倒を見ていた。
それが今回はジョージ・小原という自然科学者に変更されている。まあ劇中で「小原が月光仮面」と断定されるわけではないが、誰がどう見たって正体はバレバレだ。それに、そういうことを言い出してしまったら、祝十郎だって「月光仮面の正体は彼」と明確にされているわけではない。

それはともかく、なぜ名前や職業を変更したのか、理解に苦しむ。
祝十郎という私立探偵のままで不都合があるようには思えないからだ。
「時代の変化と共に、主人公が私立探偵ってのは古臭くなってしまった」ということなら理解できる。でも、そんなことは無いわけで。
改変するにしても、なぜ自然科学者なのかと。
それは今回の内容なら、組織に潜り込むには適しているけど、普段から彼が月光仮面として活動していることを考えると、「これ以外の事件の時は、どう考えたって不都合だろ」とツッコミを入れたくなる。

主人公の設定だけでなく、月光仮面の肩書きも「正義の味方」ではなく「愛の助っ人」に変更されている。
月光仮面といえば、有名な主題歌でも「正義の味方よ、良い人よ」と歌われているのに、そこを変更するってのは驚いた。
それって、もはや月光仮面を否定しちゃうことになるんじゃないかと。そこを変えるぐらいなら、そもそも月光仮面を映画化したらダメなんじゃないかと思うわけだが。
「正義とは何ぞや」という部分に疑問を抱いたとしても、そこは「正義の味方」を貫く気概が無きゃダメでしょ。

っていうか根本的なことを言っちゃうと、「どうして『月光仮面』をリメイクしたんだろう」ってことなんだよな。
月光仮面ってのは、1981年という時代にマッチしたヒーローだとは思えない。
まず、見た目がカッコイイとは言えない。だからと言って、そこを大幅に変更して現代風にリニューアルしてしまったら、もはや月光仮面である必要性が無い。
見た目を全くの別物にするぐらいなら、最初から異なる覆面ヒーローにした方が絶対にいいわけで。

「月光仮面の戦い方や目的がイマイチ」という問題もある。月光仮面は特別な武器を使うわけでもなく、特殊能力を発揮するわけでもなく、生身の肉体による格闘と拳銃の発砲によって敵と戦う。
拳銃を使っている時点で「だったら覆面ヒーローの意味がなくねえか」と思ってしまうわけだが、おまけに敵を退治するための武器として使うわけではない。敵の銃を撃ち落とすとか、威嚇して動きを制するとか、そういう目的で使われる。敵を撃つにしても、せいぜい負傷させる程度だ。
「憎むな、殺すな、赦しましょう」というのが月光仮面のモットーであり、捕まえることが最終目的なのだ。
そういうのも、ヒーローとしてのヌルさに繋がってしまう。
じゃあ格闘アクションでKOするのかというと、それも無いのだ。

「月光仮面が素性を隠して行動している意味は無い」という問題もあった。
「私立探偵の祝十郎」として全ての行動を取ったとしても、何の不都合も無い内容だったのだ。
「普通の私立探偵だったら拳銃の携帯は認められない」と思うかもしれないけど、月光仮面なら許されるという問題でもないしね。
それに、そこは「警察によって特別に許可されている」ってことにすれば成立する。その程度の虚構は、余裕で甘受できる類の話なんだし。

見た目の問題はともかく、「戦い方」とか「使用する武器」とか「月光仮面が素性を隠す意味」については、時代に合わせて改善できる余地が幾らでもある部分だろう。
しかし、そこに改変は感じられるものの、まあ見事なぐらいカッコ悪いことになっている。
まず見た目から変更しているのだが、それは「1981年でもカッコ良く見えるための改変」ではない。「道路交通法に引っ掛かる」ってことを気にして、バイクに乗る時にヘルメットを装着させているのだ。
それ以外の部分は従来と基本的に変わらないので、ただでさえイケてるとは言い難いコスチュームなのに、ますますカッコ悪くなるという状態に陥っている。

戦い方に関しては、今回は拳銃を使わない。
「敵を殺すために拳銃を使う」という設定に変更するよりは、そっちの方が遥かに望ましい。だから拳銃を使わせていないことには、全面的に賛同できる。ガンアクションを排除する代わりに、スピードやキレのある格闘アクションをやらせたり、バイクを使った派手なスタントで見せ場を作ったりという部分に力を入れればいいのだ。
しかし実際には、ひたすらダサいアクションが繰り広げられるだけで、最後まで見せ場らしい見せ場も無いままに終わってしまう。
何しろ月光仮面の初登場シーンからして、わざわざ光学エフェクトまで使って期待を煽っておきながら、「バイクでトラックを飛び越えるだけ」という、全く無意味なアクションを「いかにも見せ場です」といったアピールで飾り付ける始末だ。

その後、一度は姿を消した月光仮面が後ろから登場し、トラックの荷台を開けてスーツケースを蹴り落とすが、レッドマスク強盗団は何もせずにボーッとしているだけ。月光仮面が逃走した後、ようやくトラックを停めるという体たらくだから、そりゃあアクションなんて盛り上がるはずもない。
次に月光仮面が登場するのは銀座の現金受け渡しだが、もちろん警察に金を渡せば仕事は終わりなので、アクションなんて全くやる必要が無い。「風船で空を飛ぶ」という行動は取るものの、ものすごく遠景でチラッと写るだけなので、とてもじゃないが見せ場になるようなスタントシーンとは呼べない。
そんな風に「見栄えのする月光仮面のアクションシーン」が訪れない中で、なぜか「レッドマスクが東条寺の手下たちと戦う」という、月光仮面の全く関与しないバトルを用意したりする。
ちなみに東条寺の手下たちは、なぜか忍者集団になっている。軽やかな動きは見せるものの、あっさりと蹴散らされる情けない連中でもある。

映画開始から45分ほど経過し、東条寺がバイク軍団を差し向ける展開が訪れて、ようやく「月光仮面と敵の戦い」が描かれる。
しかし、やってることは「荒れた場所でバイクを走らせている」というだけであり、ほとんどモトクロスのレースみたいなモンだ。一応は「バイクに乗ったまま戦う」というシーンのはずなんだけど、そんな風には全く見えないのよね。みんなが同じ方向へ走っているし。
だから当然のことながら、そこも見せ場としての力なんて全く無い。
バイク軍団を蹴散らした月光仮面は、幹部たちの前をバイクで走り抜ける。多勢に無勢なので厳しいと判断したのか、マトモに戦おうとはしない。トミーがジープで追い掛けると、いつの間にかバイクから降りていた月光仮面は飛び乗り、ようやく戦いを挑む。
しかし、何しろトミーはジープを運転しているもんだから、ちゃんとした格闘は成立しない。そもそも相手は運転しているので、明らかに月光仮面が有利な状況だ。
で、モッサリした揉み合いが少し描かれるだけで、あっさりと終わる。

「月光仮面が素性を隠している意味」については、今回は正体が組織に関わっている自然科学者なので、そこは意味がある形になっている。
しかし前述したように、「これ以外の事件の時は、どうするのか」という問題が起きている。
自然科学者を全く必要としない組織が事件を起こした場合、その職業は全く役に立たないわけで。「普段の仕事が事件の捜査で役に立つ」ってことを考えると、ものすごく幅が狭い状態になっているわけで。
「今回の事件だけに合わせた職業設定」なので、素性を隠している意味は生じているものの、それ以外のトコロでの引っ掛かりが強すぎて、結局は全く賛同できない改変になっている。

最初に月光仮面が大型トラックを飛び越えて姿を消した時点で、レッドマスク強盗団は「まさか、月光仮面?」と口にしている。
つまり、「月光仮面は人々に広く知られている存在」という設定らしい。
後でインタビューを受けた市民が「22、3年前は我々のヒーローでしたよ」とコメントするシーンがあるので、テレビ版の月光仮面が実在していたという世界観なのかもしれない。
ともかく確実に言えることは、「レッドマスク強盗団が最初から月光仮面を知っている」という設定が、何の効果にも繋がっていないってことだ。

「そもそもリメイクする時点で間違い」という印象は強いものの、ともかく映画化するのであれば、少なくとも「正義のヒーローが悪党と戦ってカッコ良く活躍する」という内容にして、観客にカタルシスを与えることを目指すべきだと思うのだ。
ところが何をトチ狂ったのか、川内康範センセイは「理想国家の建設を目指す者たちの苦悩と葛藤のドラマ」を持ち込んでしまった。「月光仮面を正義のヒーローとして活躍させる」という意識が欠如しているだけでなく、月光仮面よりも敵の組織に重点を置いてしまったのだ。
わざわざ説明しなくても、そのように書いた段階で気付いた賢明な人もいるだろう。つまり本作品は月光仮面が狂言回しと化しており、もはや月光仮面が主人公として登場する意味さえ乏しいのだ。
これが長く続いているシリーズ作品で、その中の一篇として作られたのなら、「異色作」として位置付けることが出来たかもしれない。
しかし、久々に月光仮面を復活させた映画で、その月光仮面を活躍させることよりも全く別のトコロに重点を置くってのは、明らかに間違っている。

間違った方針でシナリオが製作された結果として、おのずと「月光仮面の活躍」は見られない内容に仕上がった。この映画の月光仮面は、ちっともカッコ良くない。
前述したようにアクション方面でカッコ悪いだけでなく、なんと「盗難金を返還する時に10パーセントの手数料を差し引く」というセコいことをやらかしているのだ。
もちろん自分の懐に入れるわけじゃなくて、工場爆発事故の被害者に寄付しているので、一応は「慈善目的で使う」ってことになるんだけど、勝手に使われた銀行からすると、たまったもんじゃないわな。
どういう目的で使うにしても、手数料を取っている時点でカッコ悪いことは確かだよ。

月光仮面も小原も全く関与しないトコロで、「理想を目指す者たちが、理想と異なる教団の姿に苦悩したり幻滅したりする」というドラマが描かれる。黒木は刺客に殺され、めぐみは逃げようとして捕まり、幾子は人質を取られて脅される。
もはや「この映画のタイトルって何だったかな」と思ってしまうぐらいだ。
ただし、じゃあ月光仮面を外して、「苦悩する者たちのドラマ」だけを見れば質が高いのかというと、それもノー。
例えば幾子は「幼少期の記憶」という要素があるけど、何だか良く分からない形で雑に処理されて終わりだし。あと、彼女はめぐみを人質に取られているけど、2人の関係性なんて全く描写されていなかったし。しかも、なぜか賢法は「国から1千万ドルの金を奪って来い」と、急に円じゃなくてドルで要求しちゃうデタラメっぷりだし。

終盤、賢法は信者の若者たちを騙して、毒入りの酒を飲ませようとする。しかし、なぜ一気に若者たちを全滅させようとするのか、その理由がサッパリ分からない。
そこへ月光仮面が姿を現すが、ただ唐突で違和感たっぷりなだけで、何の高揚感も無い。
で、月光仮面は液体の正体が毒であることを暴露し、「竹林賢法の正体はコレだ。君たちに毒杯を飲ませ、自分だけは生き延びようとしている。今こそ自我に目覚めよ。ここを立ち去るのだ」と説法する。
月光仮面は戦って若者たちの目を覚まさせるのではなく、言葉で説得する。
ただ、若者たちは目覚めた様子に乏しく、ダラダラと立ち去るだけなので、ますます月光仮面はカッコ悪いことになっている。

残り時間が少なくなった頃になって、ようやく月光仮面がバイクを降りた状態でマトモに戦うシーンが用意されている。
相手はガッツ石松で、遅ればせながら格闘アクションがあるのかと思いきや、「ビュンビュンという効果音と共に、月光仮面が右の手刀をガッツの顔の前で何度か振る。すると、なぜかガッツは催眠術に掛かったように目を閉じて倒れる」という、ワケの分からんシーンになっている。
その後に刺客2人が襲って来るが、あっという間に終了しており、格闘アクションの面白さなんて皆無。っていうか格闘アクションに限らず、映画としての面白さが最後まで見えないまま、グダグダで幕を閉じてしまう。
そしてエンドロールでは、川内康範センセイが作詞と作曲を担当したカッコ悪い主題歌『愛の助っ人』が流れ、さらに観客をゲンナリさせるのであった。

(観賞日:2016年6月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会