『劇場霊』:2015、日本

大雨の降る夜、児島真希は部屋の中で、美しい女性の姿をした実寸大の人形と向き合っていた。彼女は突如として倒れ、妹の早織が部屋に入って来た。早織が見つめる中、人形は向きを変えた。早織の悲鳴を耳にした父の児島敬一郎は、アトリエから駆け付けた。彼は「お前か、お前がやったのか。なぜなんだ」と言い、人形をアトリエへ運び込む。彼はナタを構えるが、振り下ろすことを躊躇した。しかし覚悟を決めてナタを何度も振り下ろし、人形の首を切断する。彼は灯油を浴びせ、人形に火を付けようとする。そこへ警官2人が駆け付け、彼を捕まえた。児島は「その人形が娘たちを殺したんだ」と叫びながら、警官たちに連行された。
20年後。水樹沙羅は死体役としてTVドラマに出演し、刑事役の俳優が忘れていた台詞を教える。彼女は台詞を記憶する能力に優れているが、死体役しか回って来ない。所属するファインアーティスト・プロモーションの事務所に戻った沙羅は、もっといい役は無いのかと女性マネージャーに尋ねた。するとマネージャーは、グラビアアイドルへの路線変更を提案した。沙羅は「目立ちたいんじゃなくて、芝居がしたいんです」と言い、その話を断った。
沙羅は仕事を始めて5年目になるが、全く芽が出なかった。マネージャーは彼女に、「女優ってね、真面目ならいいってもんじゃない。与えられた仕事に文句付けるより、自分に何が足りないか考えてみたら?」と告げる。マネージャーは沙羅の態度に呆れながらも、有名な演出家である錦野豪太の新作舞台『鮮血の呼び声』のオーディションがあることを教える。TVドラマに主演している事務所の所属女優、篠原葵がオーディションを受けるので、沙羅も受けてみてはどうかと彼女は持ち掛けた。
オーディション会場へ赴いた沙羅は、香織という女性に声を掛けられた。沙羅は『ガチで怖い動画』シリーズの第2作で死体役だったが、香織は第3作に同じような役で出演していた。『鮮血の呼び声』は中世ハンガリーのエリザベート夫人という女貴族が主人公で、彼女は若さを保つために少女を集めて生き血を浴びていた。錦野や演出助手の渡瀬良介が見守る中、オーディションが始まった。沙羅は農民の娘を演じ、葵と組んで演技をする。葵は台詞を忘れ、錦野はオーディションを終わらせた。沙羅は改めて芝居を見てほしいと訴えるが、錦野は却下した。席に戻った葵は、沙羅の行動に対して露骨に不快感を示した。
美術スタッフの田崎勝と井上エリコは、エリザベートの分身である人形を見つけるために倉庫へ赴いた。大量の人形が保管されている中で、エリコは頭部だけの人形を見つけた。それは20年前、児島が燃やそうとした人形だった。エリコは田崎に声を掛け、その人形を指差した。アパートへ戻った沙羅はマネージャーから電話を受け、アンナという農民の娘役で合格したこと、葵がエリザベート役に決まったことを知らされた。それなりに台詞もあると聞かされ、沙羅は喜んだ。
沙羅が舞台稽古に行くと、香織も農民の娘役で合格していた。田崎が美術部屋へ行くと、エリコは人形を見ながら虚ろな目で「ちょうだい、ちょうだい」と呟いていた。稽古が始まると、葵は途中で台詞を忘れてしまう。沙羅が小声で教えるが、錦野は稽古を止めて葵に苦言を呈した。すると控室に戻った葵は沙羅に八つ当たりし、「アンタのせいよ。余計なことしないでくれる?間を作ってたのに」と告げる。次の仕事が入っている彼女は、袖が破けたドレスを衣装係へ持って行くよう沙羅に指示した。ドレスを運んでいた沙羅は、葵が錦野の車に乗り込む様子を目撃した。
沙羅は誰もいないステージに上がり、エリザベート役の演技をする。そこへ人形担当の和泉浩司が現れたので、彼女は「良く出来てますね。まるで本物見たい」と褒めた。和泉は自分が胴体部分は作ったが、頭部は別だと話す。「大事に扱ってくれよ。女優の代わりはいても、人形はこれ一体だけなんだから」と彼が口にしたので、沙羅は腹を立てた。沙羅は和泉に同行して美術部屋へ行き、エリコにドレスを渡す。エリコは人形を凝視した後、しばらく沙羅を見つめてから立ち去った。
その夜、エリコは1人で美術部屋に残り、ドレスを修繕する。仮眠を取った彼女が目を覚ますと、いつの間にか人形が移動していた。人形は背後からエリコに接近し、「ちょうだい、ちょうだい」と口にした。翌朝、警視庁捜査一課の神崎は後輩刑事を連れて現場検証へ赴き、まるで蝋人形のようなエリコの死体を確認する。鑑識係は神崎に、「死蝋」と呼ばれる状態であることを告げる。永遠に年を取らない死体だが、そういう状態になる環境ではないため、鑑識係は頭を悩ませていた。
錦野は神崎たちに、舞台稽古を続行すると通告した。葵は人形の目が動いたのに気付き、動揺して芝居を止めた。しかし錦野は彼女が台詞を忘れたと決め付け、冷淡に注意する。錦野は沙羅が全員の台詞を覚えていると知っており、「彼女に教えてもらったらどうだ」と告げた。控室に戻った葵は苛立ち、マネージャーを追い出した。物音に気付いた葵が振り返ると、人形が立っていた。何かに魅入られたように、葵は「ちょうだい、ちょうだい」と言いながら人形へ近付く。しかし割れた鏡に触れて我に返り、慌てて廊下へ飛び出した。
葵は人形に追われて屋上へ逃げ込み、そこから転落死した。現場を通り掛かった沙羅は、屋上に人形がいるのを目撃した。神崎の事情聴取を受けた沙羅は「人形が」と口にするが、それ以上は何も喋らなかった。葵は意識不明の重体に陥るが、それでも舞台稽古は続行される。錦野は沙羅をエリザベート役に抜擢し、1人だけ居残りさせて芝居に全くOKを出さなかった。彼は演技について話し合うことを提案し、暗に肉体関係を要求する。それを悟った沙羅は、拒否して逃げ出した。
翌日の稽古で、沙羅は人形の目が動いたのに気付いた。驚いた彼女は、剣で頭部を弾き飛ばした。錦野は稽古を中断し、嫌味っぽく「主役は荷が重すぎたようですね」と告げた。和泉は美術部屋で人形の傷を確認し、沙羅は謝罪した。和泉が工具を取りに行った直後、人形の頭部から血が流れ出した。沙羅が傷に触れると、彼女は児島家の敷地に立っていた。大雨が降る夜で、児島は「埋葬の準備が済みました」と電話を掛けていた。沙羅が室内に入ると、人形が棺に納められていた。
人形が棺から起き上がり、悲鳴を上げた沙羅は幻覚から元の美術部屋に戻って来た。頭部から血は流れ続けており、胴体部分が椅子から立ち上がって歩み寄って来た。沙羅は美術部屋を飛び出し、共演者を呼びに行く。しかし美術部屋に戻ると血は完全に消えており、胴体も元の場所に戻っていた。沙羅は人形が生きているのだと訴えるが、誰にも信じてもらえない。錦野は彼女に降板を通告し、立候補した香織を代役に抜擢した。
アパートで舞台を宣伝するテレビ番組を見ていた沙羅は、和泉から電話で呼び出された。和泉は沙羅に、20年前の新聞記事のコピーを見せた。それは長野県の諏訪で起きた事件について報じた記事で、「自宅で姉妹変死 人形作家の父親を逮捕」という見出しが付いていた。児島は「娘たちを殺したのは人形だ」と訴え、証拠不充分で不起訴となっていた。和泉は児島に会いに行くことを沙羅に告げ、「一緒に行くか」と誘う。沙羅は和泉に同行して児島の元を訪れ、自分も人形が動くのを見たことを訴えた。すると児島は、長女が土砂崩れに巻き込まれて死んだこと、遺体の状態が無残だったので似せた人形を作って棺に納めたことを話す…。

監督は中田秀夫、脚本は加藤淳也&三宅隆太、企画は秋元康、製作総指揮は佐藤直樹&榎本善紀、製作は由里敬三&井坂正行&中村理一郎&大角正&高橋善之、エグゼクティブプロデューサーは田中正&阿比留一彦、プロデューサーは西尾沙織&山本章、アソシエイトプロデューサーは鈴木恒夫、撮影は林淳一郎、照明は児玉淳、美術は原田恭明、録音は柿澤潔、編集は青野直子、音響効果は柴崎憲治、VFXスーパーバイザーは立石勝、音楽は川井憲次。
主題歌『もしもあなたが…』Thinking Dogs 作詞:秋元康、作曲:福田貴訓、編曲:重永亮介。
出演は島崎遥香、足立梨花、高田里穂、町田啓太、小市慢太郎、中村育二、護あさな、広岡由里子、諏訪太朗、小久保寿人、芹沢礼多、土村芳、ヨシダ朝、瀬川亮、柳憂怜、佐藤奈織美、坂井裕美、菊池梨沙、岡田桃子、今中菜津美、仲村瑠璃亜、森田ひかり、佐久間麻由、滝本ゆに、佐々木浩久、山城秀之、橘美緒、松尾薫、沼倉計太、川島絵里香、林正樹、永吉明日香、小野田せっかく、小澤雅貴、栗田隆寛、佐々木亮、石田亮介、山本結加、実川麻那美、三和万亜子、渥美麗、斉藤ひかり、山本啓之、宮牧愛那、野村将之、芳賀友奈、荒井武司、丸岡真由子、関山貴也、里美黎、池田繁孝、平澤宏々路、榊原広己、小川智弘ら。


秋元康が企画し、当時はAKB48のメンバーだった島崎遥香が主演を務めた作品。
監督は『クロユリ団地』『MONSTERZ モンスターズ』の中田秀夫。
脚本は『クロユリ団地』に続いて中田秀夫とのタッグとなる加藤淳也&三宅隆太。
沙羅を島崎遥香、香織を足立梨花、葵を高田里穂、和泉を町田啓太、錦野を小市慢太郎、児島を中村育二、児島の長女を護あさな、沙羅のマネージャーを広岡由里子、刑事役の俳優を諏訪太朗、渡瀬を小久保寿人、沼田を芹沢礼多、エリコを土村芳、真希を橘美緒、早織を松尾薫が演じている。

まず最初に引っ掛かるのは、登場人物の役名だ。
井上エリコと一緒に人形を探す美術スタッフの名前は、公式なデータでは「沼田勝」となっている。ところが劇中では、和泉が彼のことを「ザキさん」と呼んでいる。
「沼田勝」のニックネームが「ザキさん」なのは不可解だ。どう考えても、苗字に「崎」という文字が付くはずだ。つまり「尾崎」なり「山崎」なり「田崎」ってことだ。
なので粗筋では「田崎」と書いたが、実際の名前は分からない。
また、人形作家の児島にしても、公式データでは「児島敬一」となっているが、劇中では和泉が「児島敬一郎」と説明している。なので粗筋でも「児島敬一郎」と書いたが、どっちが正解なのかは分からない。

キャッチコピーに使われていたわけではないが、公開された当時は「『女優霊』から20年ぶり」という言葉が使われていたと記憶している。
なので『女優霊』と類似性や共通点があるのかと思ったら、そういうわけではなかった。
単に「どっちも中田秀夫が監督」という程度だ。あと、柳憂怜が両方の作品に出演しているけど、それぐらいだろう。
『女優霊』を持ち出したことでカルトなホラー映画ファンの期待感は煽られたかもしれないが、その反動で失望感を強くする逆効果になったんじゃないかと。

もちろん、カルトな人気を持つ『女優霊』の名前を使うことで、訴求力に繋げたかったんだろうとは思う。
だけど『女優霊』って、一般的な知名度がそれほど高くないわけで。
その作品名でホラー映画ファンを呼び込もうとするのは、裏目に出たんじゃないだろうか。
むしろ、「普段はホラーをあまり見ない」という客層にアピールした方が良かったんじゃないか。
そうすれば、この程度の映画でも怖がってくれた可能性はあるだろうし。

いつの頃からか、邦画の世界では「女性アイドルが主演するホラー映画」ってのが1つのジャンルとして定着した。
年に複数本が必ず製作されるという状況が、ずっと続いている。
それ自体が悪いことだとは思わないが、その手の映画で面白い出来栄えになるケースは皆無と言ってもいいだろう。
高い演技力を持っている女性アイドルなんていないだろうし、そういう人間を起用する作り手側の志も決して高いとは言えないだろう。
だから、低品質になってしまうのは当然っちゃあ当然だ。

そんな「女性アイドルが主演するホラー映画」という潮流の中に、この映画も含まれている。
ただし、主演はAKB48の人気メンバーで企画が秋元康、監督は中田秀夫だから、そういう作品群の中では製作費も宣伝費もかなり上位に入るはずだ。
公開される前にはスピンオフとして深夜枠の連続TVドラマ『劇場霊からの招待状』を放送していたし、製作委員会の日活や松竹としても、それなりに力を入れていた映画と言っていいだろう。
しかし残念ながらというか、当然の結果というか、「女性アイドルが主演するホラーはポンコツ」という私の固定観念を崩すには至らなかった。

まず根本的な問題として、島崎遥香の演技力が低いという問題がある。
AKB48のファンの間では、彼女の塩対応は有名だ。そんな彼女は、芝居でも塩対応だった。
もちろん本人なりに演技はしているんだろうが、厳しいと言わざるを得ない。
ほぼ素のままでOKというぐらい分かりやすいアイドル映画なら良かったんだろうが、ホラー映画だから、そういうわけにも行かない。
だからアイドルとホラー映画って、そんなに相性がいいとは思えないんだけどね。
ただ、それでも「恐怖で悲鳴を上げる」という演技さえ一定の質をクリアしていれば、それで何とかなる部分もある。でも残念ながら、そこが「しょっぱい」状態になっているんだよね。

大きな芝居を要求されるようなシーンだと、それなりに感情表現は出来ている。例えば、「人形が動いた」と訴えるシーンでは、さすがに「まるで感情が見えない」なんてことは無い。
しかし何かを言われた時のリアクションなどは、何を考えているのか、どう感じているのか全く伝わらない表情だ。
それと、「感情を見せるシーンと見せないシーンの落差が極端」という問題もある。
児島を訪ねるシーンでは、彼がドアを閉めるまでは「無」の状態で、ドアが閉じられた途端に「開けて下さい」と激しく訴える。なので、「ドアが閉まったタイミングでスイッチを入れました」という段取り芝居が、モロに見えちゃうのよね。

島崎遥香の演技だけでなく、実は中田秀夫監督の演出にも大いに問題がある。すっかり錆び付いてしまったのか、のっけから「それはダメじゃないか」と言いたくなる。
まず真希が倒れるシーンは、窓の外からのアングルで見せるだけ。早織に至っては悲鳴が聞こえるだけで、どうなったのか全く画面に写し出されない。
人形が2人を襲って殺害する様子を見せる必要は無いが、「死んだ」ってことはハッキリと示すべきでしょ。悲鳴を上げる早織の顔をアップで捉えるカットさえ無い状態なので、ホントは「姉妹が立て続けに謎の死を遂げた」という出来事なのに、ものすごくボンヤリしたシーンになっている。
人形が動くのも、「カットが切り替わると向きが変わっている」という薄い見せ方。そんな描写にするぐらいなら、人形が勝手に動くことなんて観客に明かさない方がマシだわ。

人形は姉妹を殺害したのに、児島が来ると襲わないどころか無抵抗で工房へ担ぎ込まれる。
人形は命を得るために姉妹を襲ったのに、児島が殺そうとすることに対して何の反応も見せないでズタズタに切断されるのは不可解だ。
また、そこへ警官が駆け付けるのも不可解。
通報するような人間は、誰もいないはずでしょ。その家には殺された姉妹と児島しか住んでいないんだから。
「悲鳴を聞いて近所の人が通報した」と仮定しても、来るタイミングが早すぎるし。

人形は燃やされずに残ったわけだが、それが20年後に芝居の美術倉庫で発見されるのは全く理解不能。しかも首の部分だけって、誰が何の目的で運び込んだのか。
そこはホラー映画で許容される不条理を遥かに逸脱している。「人形が自らの意思で美術倉庫へ行った」と仮定しても、「胴体部分はどうしたんだよ」と言いたくなる。
そこへ行った理由も理解不能。その芝居や場所、関係者と人形に因縁があるわけではないんだからさ。
エリザベートと人形を重ね合わせようとしているけど、「芝居のヒロインが自分に似ているから人形が美術倉庫へ行った」という理由には繋がらないし。

人形の頭部をエリコが見つけた時、「魅入られた」という様子は乏しい。なので、幾つもある中でエリコがその頭部を選ぶのは、強引さが否めない。
また、彼女がその頭部を選んだとしても、実際に芝居で使われるのは不可解だ。
低予算の小演劇ならともかく、有名演出家が手掛けて大きなホールで上演する芝居なんでしょ。
だったら、最も重要な小道具である人形は既存の物を使うのではなく、一から新しい物を作るのが普通でしょ。

エリコがドレスを修繕している途中で眠るのは、ものすごく不自然な行動になっている。「いつの間にか転寝してしまった」ってことならともかく、彼女は「これから仮眠を取ります」と言わんばかりに、横になっているのだ。
だけど、そんなに時間の掛かる作業じゃなくて、もう少しで終わりそうな状況だったはず。そのタイミングで仮眠を取るのは、ものすごく不自然だよ。
さらに不自然なのは、彼女が不可解な死を遂げても、まだ稽古が続くことだ。
錦野が稽古を続けようとするのは、そういうキャラだから別にいいよ。でも「スケジュールを送らせるわけには行かない」と言われた神崎が、そのまま放置するのは変だろ。
まだ死因も不明だし、犯人も捕まっていないんだから、まずは関係者の事情聴取が優先されるはずでしょ。

エリコが謎の死を遂げただけでなく、葵は屋上から転落して意識不明の重体に陥るが、それでも稽古は続行される。沙羅以外の面々は稽古のことしか頭に無いらしく、エリコの死や葵の転落事故を気にする様子など全く見せない。
また、有名演出家の舞台稽古中に人気女優が謎の転落事故を起こしたのに、なぜかマスコミが騒いだり取材に押し掛けたりする様子も無い。
っていうか、事件が立て続けに起きたのに、芝居の上演は中止の危機に見舞われないのかよ。それは無理があるだろ。
錦野が上演しようとしても、プロモーターや公演場所の責任者からストップが掛かるはずだろ。「莫大な費用が掛かっているから、今さら中止に出来ない」と錦野は言うけど、たとえ赤字が出ても中止にせざるを得ないぐらいの状況でしょ。

児島は人形が姉妹を殺したことについて、「若くて綺麗な体が羨ましかったんだろう」と言う。
この台詞には、2つの違和感を覚える。
まず、「作ったばかりの人形が、なぜ姉妹の体を羨ましいと思うのか」ってことだ。そこを納得させるためには、その人形を児島が単なる人形ではなく、「長女」として捉えていると解釈する必要がある。
ただし、そこを「長女」と解釈しても、なお違和感が残る。
だってさ、殺したのは実の妹たちだぜ。実は妹たちを妬んでいたとか、「自分ばかり辛い思いをさせられて」という思いを抱いていたとか、そういう事実が明らかにされるわけでもないので、まるで腑に落ちない。

人形が人々を殺していることについて和泉が「どうすればいいんですか、貴方の娘さんでしょ」と言うと、児島は「違う。もうアレは私の娘なんかじゃない」と告げる。
この会話、どっちも変でしょ。
そもそも人形は、最初から児島の娘じゃないからね。長女に似せて作った人形だからね。
当たり前のように「人形の正体は児島の死んだ長女」ってことで話を進めているけど、そのための手順を雑にスッ飛ばしているのよ。

終盤に入ると人形が本格的に動きして人々を襲うんだけど、まあ見事なぐらい怖くないのよね。
それ以前の段階でも恐怖映画としての質は高くなかったけど、クライマックスが訪れると余計に落ちるという困った状態に陥っている。
人形は若い女性だけを標的にしており、キスをして死蝋状態に変えるんだけど、「本気で抵抗すれば何とかなりそうじゃねえか?」と感じるのよね。
そんなに動きが俊敏ってわけではないし、すんげえパワーが強そうにも見えないし。

女性たちが死蝋状態にされる様子は淡白だし、残酷描写で引き付けるわけでもない。人形の動きは凡庸だし、表情を恐ろしく変貌させるようなケレン味が用意されているわけでもない。
本気で怖がらせる気があったのか、ひょっとするとローティーン向けのホラー映画なのかと思ってしまう(っていうかローティーン向けだとしても弱いけど)。
あえてクライマックスで怖いトコを探すなら、追い込まれた沙羅が「ちょうだい、ちょうだいって、あげないんだから」と叫びながら人形を叩きのめす描写かな。
「そのセリフはマジなのか」と、ある意味で恐怖を感じたわ。

(観賞日:2017年6月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会